撮影日記 2017年7月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2017.7.28 カメの卵の話(後)

 水から完全に離れることができない両生類の場合は、水辺に集まって雨の日に産卵するなど、その行動を予測しやすい。
 その点、両生類ほど水に束縛されない爬虫類は読みにくく、そのライフサイクルを一通り撮影するとなると、まめに歩いて、小さな取っ掛かりを地道に物にする他ない。
 おのずと爬虫類の撮影のフィールドは、まめに歩くことが可能な、いつでも行ける範囲の身近な場所になる。
 するとイシガメは福岡県北部では数が少なく、撮影に適したフィールドが見当たらず、本を作ることができるような枚数を撮影するとなるとほぼ諦めざるを得ない。
 イシガメは僕にとって、撮影の対象というよりは、本を読んで楽しむ世界に近い。 
 

 
 「イシガメの里」は、手に取り、読んでみて、いい本だなぁと唸らされた。
 とにかく作者の思いが、ひたすらに真っすぐに伝わってくる。
 この本の中には、コンテストに入賞しそうな見るからにスゴイ写真は一枚もないし、一枚一枚の写真は、ある程度以上の技術を持つ人ならば誰でも撮れると言っても言い過ぎではないかも。
 ギターの演奏に例えるなら、演奏する上で技術的に難しい箇所があるわけではないのに、聴衆の心に残る何かがあるとでも言おうか。
 こんな本を読んでしまうと、「スゲー写真を撮ってやろう」なんて目論む自分が、「俺の写真スゲーだろう」と主張する自己顕示欲の塊のような気がして、嫌になる。
 写真を使って生き物の本を作る場合、主に、「写真」「生き物」「本」の3つの要素があり、それらの要素のうちの2つが一定水準を超えた時に、それが企画として成立すると思っておいてほぼ間違いないが、「イシガメの里」の場合は、「本」の部分の完成度が非常に高い。
 3つの要素を別の言葉で表すなら、「写真」は技術、「生き物」は知識、「本」は著者の「心」になるのかな。
 そのうち一番真似が簡単なのは「写真」、つまり技術の部分。そもそも技術というのは、どこの誰でもが同じような結果を出せることを目指しているのだから、これは当然のことだろう。
 「知識」すなわち生き物の部分は、好き嫌いに大きく左右される。
 「心」の部分は、人の本を読んで真似しようと思っても、なかなか真似ができない。
 それらの3つの要素に加えて、さらに言うならば、「商売」という要素が加わる場合もある。



● 2017.7.27 カメの卵の話(中)

「デジタルカメラの登場で誰でもが簡単に写真が撮れるようになると、写真はもはや良くて当たり前。プロ級の写真などという概念はいずれなくなり、求められるのは、いかに上手に写真を撮るかよりも、写真を通して何を言うかになる。」
 デジタルカメラが登場してしばらくたった頃、そんな風に囁かれるようになり、僕は内心、ホントかな?と半信半疑だったのだけど、確かに、今やそうなった感がある。
 一昔前なら、「ほ〜、プロって凄いね」と人に言わしめた、鳥やトンボが飛んでいる写真などは、今や「だから何?」という程度の反応でしかなくなった。
 そう言えば、一流とされるある出版社では、企画が持ち込まれた際に、写真を除去した、文章だけのサンプルの提出を求める場合があると聞いたことがある。
「写真があると誤魔化されてしまうんです。だからまずは先に内容を見るし、そもそも、今時悪い写真を撮る人なんていないでしょう?」
 と。
 僕が写真を始めた頃には、自然写真業界では、プロでも一部の人しかノーハウを知らなかった白バック写真だって、今やアマチュアの人たちの間にも普及した。
 ただそれでも、未だにアマチュアの人があまり手を出さない世界もある。
 例えば、生き物の撮影の場合なら、孵化や羽化などの撮影が挙げられる。。
 そうしたシーンを偶然に見かければもちろん多くの人の撮影の対象になるのだが、それを狙って撮影することに関しては、フィルム時代よりも、むしろカメラを向ける人が減っているのではないか?と感じることもある。

 さて、カメの孵化が近づいてからは、カメの卵の前から長時間離れることができなくなっていた。
 おのずと、その他の撮影は短時間で済ませなければならなくなり、いつもなら一泊で出かける場所を日帰りをするなど、体力的に厳しい撮影が続いていた。
 卵は複数あるし、卵の外観から判断をすると、ある卵は今にも割れそうだけど、またある卵はまだ硬そうに見えるなど発生の進み具合にばらつきがあるように思えたので、もしも1つくらい外しても、次の卵を撮影できればいいかなという誘惑に駆られた。
 だが実際には、それらの卵は見事なくらいに同調してほぼ同じ時刻に孵化をしたので、甘く見なくて良かったと胸を撫でおろした。
 ある卵は、殻がボロボロになり細かく砕けるように孵化をし、ある卵はまた硬そうな卵がパーンと割れるように孵化をした。
 ともあれ、孵化や羽化などの撮影は、非常に疲れる。
 デジタルカメラの登場でどんなに写真撮影が簡単になっても、流行らないのも分かるような気もする。



● 2017.7.23〜26 カメの卵の話(前)


孵化して間もないイシガメの子供
NikonD7200 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 まだお腹に黄身の痕跡がある、生まれて間もないイシガメの子供。
 イシガメは穴を掘って土の中に卵を産み落とすが、この段階の子供はまだ土の中にいるはずなので野外で見つけ出すのは難しい。
 特に、イシガメが少ない福岡県北部では、産卵場所の特定は、偶然にでも見舞われない限り、ほぼ不可能ではなかろうか。
 子供の頃、図鑑には「イシガメはそこらの水辺で見られる身近な生き物」と記されているにもかかわらず、一度も見たことがなかったし、図鑑って結構嘘が書いてあるよなと感じたものだった。
 身近と書かれていればついつい期待をするし、嘘っていやだなと思った。
 それが嘘ではなくて、福岡県北部の事情だと分かったのは、大学進学のために山口に引っ越した時だった。
 とにかくカメがそこらにゴロゴロいて、時期によってはあちこちで車に轢かれているし、イシガメも珍しくなかったのだ。
 ともあれ、僕が今、孵化して間もないイシガメの子供を得る場合、親を飼育して卵を産ませ、その卵を、管理下で孵化をさせることになる。

 卵を産ませること自体は、ある程度の広さの場所とそこに馴染んだ親ガメさえいれば難しくはない。
 問題は、カメは、環境に馴染むのには時間がかかるということで、馴染まない場所では、正常な産卵が見込めない。イシガメをそんなにたくさん飼った経験があるわけではないけど、余程に運がいい場合を除いて、馴染ませるのには2年を要するのではなかろうか。
 家のカメはもう10年近く飼育しているのだが、狭い場所で飼っているためか産卵をしても無精卵が多く、昨年は有精卵が1つしか得られなかった。
 その虎の子の1匹も、発生の途中で死んでしまった。
 そこで冬の間に広い飼育場所を作り、カメたちを移して、さらに新入りも追加した。
 場所替えと言っても数メートル程度の移動だし、気象条件にはなじんでいるわけだから、今回に限っては有精卵をたくさん、ちゃんと産んでくれるのではないかと期待をして。
 だが残念なことに、やはり新しい場所には急には馴染めなかったようで正常な産卵はみられず、具体的には、本来は穴を掘って卵を産むはずが、陸上や水中に産み落とした。
 その場合、早く卵を取り上げればちゃんと育つ場合もあるらしいので、カメが陸に上がって卵を産みそうな時は、近くで見張っておき、産むと同時に取り上げる。
 しかしこれは、待ち時間が非常に長くなり、効率が悪い。
 こうした時間がかかるシーンの撮影は、必要に迫られてからでは手遅れですね。



● 2017.7.16〜22 孵化の撮影の話
 
 昨年、カメが卵から孵るシーンを撮影しようとして、結局撮影できなかったことがあった。卵が発生の途中で、死んでしまったのだ。
 最後に卵を割ってみたら、かなり体が出来上がっていて、孵化まであと少しという状況だった。途中何度か、光で卵を透かして検卵をしたら、その時には確かに動いているのが見えた。
 そろそろ出てくるのではないか?とその近辺では他の予定を入れずに待機をする時間が長かったので、他の撮影が滞ることになりダメージが大きく、何もシャッターを押していないのにグッタリ疲れる感じがした。
 今年もまたカメの孵化の撮影で、ちょうど今、待機の真っ最中だ。

 イシガメの卵が孵化に要する日数は、約2ヶ月と言われており、今年の卵が産まれたのは5月20日なので、7月20日前後がその日になる。
 5月の末に、その予定日をカレンダーに書き込もうとして、嫌になった。
 7月20日は、弟と釣りに行く約束になっていたのだ。
 そこで、カメラを卵の前にセットした上で、シャッターを押しさえすれば誰でも写真が撮れる状況を準備した上で、人に見張りと撮影をお願いして釣りに出かけた。
 自分は指示をするだけ、というのは、まるで偉い先生になったみたいやなぁ。昔、ある滝の本の制作で、事前に助手が下見をしておいてカメラを設置する場所を決めた上で、後から先生がやってくるというのを読んだことがあり、それはもう助手の人の写真なのではないか?それでも先生が撮ったと言えるのだろうか?などと疑問を感じたことがあるのだが、人にシャッターを押してもらうなどというのも近いものがあり、一人苦笑い。
 
 結局、釣りに出かけている間に、孵化は始まらず、ああ、自分の目で見ながら撮影ができる、と一安心。
 だが代わりに、サンショウウオの先生と明日山に行く約束に行けなくなった。
 さすがにさらに追加でカメの見張りをお願いするわけにもいかず、まるで、お父さんの仕事の都合で急きょ遊びに行く約束を反故にされた子供のように、うじうじと拗ねたくなる。
 この日記の大部分の読者にとっては、へぇ〜という程度の事だろうし、客観的に言えばその通りなのだろうけど、僕にとっては一大事だ。
 それくらい、山に行きたいな、生き物を見たいな、写真を撮りたいなと感じなければ生き物の撮影の仕事はできない反面、思い通りに行かなかった時に、それを笑い飛ばせるくらいの能天気さもこの仕事には必要なんだろうな。
 カメの孵化は以前フィルムの時代に撮影したことがあり、当時の写真と今目の前にある卵を比べれば、目の前の卵が実際にはいつ頃孵化をするのか?本当に明日は待機をしておく必要があるのかの目途が付けられるはずなのだが、残念ながらフィルムの場合自動的に日時が記録されず、当時残したはずのデータが、今となってはどこにあるのかがわからないので、参考にできない。
 だが、卵のひび割れがいよいよ大きくなっているから、孵化は今日〜明日くらいかな。
 因みに、羽化や孵化を撮影するために待機する場合、その時の心理状況により、短い時間が長く感じられたり、その逆になったりと時間の感覚が狂いがちであり、あとどれくらいの時間で目的の現象が始まるのかの見当を記憶に頼るのはあぶない。



● 2017.7.12〜15 締め切りの話

 先月から、ずっと悩んでいたことが1つ。
 どうしてもうまくいかない撮影があって、ついに、仕事の締め切りを延ばしてもらえないか、とお願いをする決意をした。
 今シーズンの撮影を諦めたわけではないけど、仮に達成できなかった場合に、関係者に迷惑をかけてはならないと考えた。
 そこでその旨を申し出てみたところ、元々来年まで撮影ができるスケジュールになっていることを知らされて、ホッとする。
 なぁ〜んだ。

 実は昨年、締め切りを延ばしてもらった仕事が1つあった。
 それをお願いするかどうかでは、なんと言っても先方に迷惑をかけるのだから、随分悩んだ。
 だが、頑張れば一応形にはなるだろうけど、納得できる仕事にはならないだろう。撮影したものの、この写真はできれば使いたくないなと先方に渡さずにストックしてある、写っているだけで感動を伴わない写真がたくさんあった。
 一方で、そもそも生き物の撮影の場合、絶対に締め切りを守れるなどと確信をもって約束できるケースの方が稀であり、
「大丈夫です。間に合います。」
 とやせ我慢をしておいて、追い詰められた者が発揮する火事場の馬鹿力的な何かで何とか帳尻合わせをすることも大切。
 時にそのストレスに耐えてこそ、写真で生活ができるという面もあるのだから、安易に締め切りの延長を申し出るのは自分のためにもならないし、申し出るにしても、そのまま貫くにしても、その判断には苦しみが伴う。


NikonD7200 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

CanonEOS7D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

 さて、海の魚の白バック写真に、微生物に、風景写真。
 水辺という共通点はあるものの、これが同一人物が撮影する被写体か?と自分でも思うくらにジャンルが多岐に渡る。
 昨年〜今年にかけて1つ分かったのは、被写体が多岐に渡る場合、撮影が各段に難しくなるということ。
 特に、気持ちの切り替えが難しく感じるのだが、年を取ってきたのかな。



● 2017.7.9〜11 海水魚


NikonD7200 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 初めて図鑑で見た時には、ふ〜んくらいしか感じなかったネンブツダイ。実物は、非常にきれいな魚で、先月持ちかえってスタジオで撮影してみたのだが、その色を再現することができなかった。
 そこでもう一匹持って帰ってみたけど、やっぱりダメ。
 魚は、採集してバケツに入れると、比較的短時間で色が変わってしまうことが多い。
 体色は周囲の色の影響を受けて変化するが、おそらくそれだけではなく、魚の気分もある。
 あの色を正確に再現するためには、採集して悪くても2〜3分以内に撮影する必要があり、撮影セットを現場に準備しておいて、釣り上げた直後に撮影するしかないのかな。
 この写真を撮影した撮影セットはそうしたケースを想定してあり、持ち運びができるようになっているのだが、実際には現場で撮影したことはない。
 せっかくそれを想定しているのに、なんでやろう?釣りや採集はロマンであり、その現場に仕事を持ち込みたくないのかな?
 仮に現場で撮影するならば、自分で釣るのではなく、釣り好きの人に釣ってもらい、僕は写真を撮ることに徹したい。
 その方がすっきりする。
 ともあれ、採集と撮影の相性は、あまり良くない。


NikonD7200 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 こちらはキヌバリ。各地の海辺に普通に生息することになっていて、おそらくダイバーなら年中飽きるくらいに見ている魚だと思うが、個人が大規模な道具なしにいつでも採れるかどうかとなるとまた別問題。港でも釣れるとされているけど、北九州では一度も釣れたことがない。
 そこで、山口の海に行ってみたら、今回、数匹釣れた。
 同じ山口の海で、前回は一匹も釣れなかったのだから不思議に思うのだけど、海水魚ではそうしたケースが多々あり、採れる時に撮っておくことが肝心。
 多分、港の沖に生えていた藻が水温の上昇で枯れてしまい、その藻の周辺にいた魚が散らばった結果、港の堤防から釣れたのではなかろうか?



● 2017.7.7〜8 気分転換

 生き物の生態を撮影するタイプの自然写真家にいわゆる「休日」はない、というのは、当初から覚悟をしていたこと。
 とにかく、生き物のその瞬間を逃してしまったら話にならないし、狙ったシーンを撮影できるようにスタンバイしておく必要がある。
 だが、気分転換をしたいなと思うことはある。

 人と話しをするのは、いい気分転換になる。
 ところが、生き物の活動に合わせて暮らさなければならない立場では、なかなか人と約束をすることができない。
 例えばここのところなら、カメの産卵など、幾つかいつ起きるかわからないイベントを待っているという事情がある。
 そんな時に僕は、話をしたい誰かの顔を思い浮かべながら、同時に近々撮影しなければならないシーンのリストを広げ、その人のところで、あるいはその人にお世話になりながら撮影できる仕事はないか?と検討する。
 そして、そんな仕事が思い当たれば、
「○○を撮影したいのですが・・・」
 とお願いをして、ある意味仕事をするふりをしながら遊びに行って、気分転換をはかる。
 自然写真家に休みはないけれでも、代わりに、どの仕事から片づけてもいいし、どんなやり方でやってもいいという自由がある。
 一昨日は、山口県は下関市・徳永浩之さんのお庭にお邪魔をして、ドジョウの稚魚を採集させてもらった。
 
 翌日は大雨。
 近所が冠水している情報を得て、カメラをもって出かけるが、水はすでに引いており、何も撮影せずに帰宅。
 ただし、雨が峠を越えたかどうかは簡単には判断できないから、川が氾濫した場合に犬や機材を避難させる必要があり、外出を控える。
 ここのところ、これをしなければ、あれをしなければとなかなか心が解放されないのだが、昨日に限っては、激しい雨音が何もかもを忘れさせてくれるような気がして、急きょ何もしない日に決めて、午前中、昼間、午後とただひたすらに眠る。



● 2017.7.4〜6 感謝

 「感謝」という言葉を頻繁に使う方がおられるが、僕は、「感謝」を気軽に口にするのは好きではない。あるいは、
「〜させてもらう。」
 という表現を、近年よく耳にするようになったけど、どうも好きになれない。
 いずれも「人様のお陰」という概念であり、例えば出版の場合なら、
「本を出しました。」
 ではなくて、
「本を出させてもらいました。」
 などというように使われる。
 だが作り手は、誰かに感謝することよりも、出て当然という内容のものを作ろうとする意地が大切ではないかな?
 もっとも、こんなことを書いている僕も、実は人に感謝する機会があるどころか、感謝の連続であり、感謝を感じる誰かの顔をふと思い浮かべる機会が年々増えているのだが、それはあくまでも結果的についてくるものであり、
「人に感謝しなさい。そうすればあなたの夢がかないますよ。」
 的な、ある種のテクニックとして「感謝」という概念を使いたくないと思う。
 したがって僕は、人脈を駆使して政治力で本を作りたいとは思わないし、政治力で作られた本を、いいなとも思わない。
 人様のお陰という概念は、コネや今流行の忖度的なものに結びつきやすい。



● 2017.7.3 ホームページの話

 爬虫類の生態撮影の、まあ、なんと難しいことか。
 両生類なら、普段は森に暮らしていても繁殖の時期に水辺に集まるなど、水という観点から撮影の機会をうかがうことが可能だが、水からある程度離れて暮らすことができる爬虫類の場合、各種のイベントの予測が非常に難しい。
 例えばヘビの交尾を見たことがある人は、ごくごく少数なのではなかろうか。
 ある爬虫類がお寺に住み着いていて今頃繁殖するというので、藁にも縋る気持ちで先日行ってみたところ、お寺はちょうどアジサイ祭りの真っ最中。
 観光バスでやってくる人だかりに、
「これは激ヤバだぁ!」
 と這う這うの体で逃げ出した。
 次から次へとやってくる観光客とそれを取り仕切るボランティアの人。
 現場は非常に慌ただしいのだが、みんなが熱心に花を見ているか?と言えば案外そうでもなく、僕らが動物を見る時のように噛り付いてアジサイを見ている人はほぼ皆無。
 大半の人は、まるでBGMを何となく聞き流すかのように、ふ〜んくらいの感じで通り過ぎる。
 人がたくさん集まると言っても、必ずしもみんなが夢中になっているわけではなく、何となくであるケースはよく見かけるが、世の中というのは、まあ、そんなものなのかな。

 僕は、自分の写真やこのホームページをそんな風に見てもらいたいとは思わない。生き物や写真に関わる暮らしが好きで好きでたまらない人に、みてもらいたいと思う。
 だからホームページのヒット数を上げたいという気持ちにはならない。それよりも、ずっと継続して見てくださる方に見てもらいたい。
 ヒット数が全くどうでもいいわけではない。今はアクセス解析を完全にやめてしまったけど、以前少しやっていた頃の経験で言うと、自分が思っている以上に僕を知らないであろう人が検索でやってくるケースが多かったのだが、それでも全くヒット数が増えないとするならば、それは、検索でやってきた人がまた見たいとは思わなかったことになるし、面白くないということを意味し、にもかかわらず何の工夫もできないのならやめてしまった方がいいと思うけど、アクセスをただ増やしたいという気持ちは全くない。
 僕の場合は、要は質。
 そういう意味では、僕のホームページは、それなりの成果が上がっていると言ってもいいだろう。ホームページの日記を続けていたからこそ巡り合えたいい仲間は、少なくない。

(更新のお知らせ)
今月の水辺を更新しました。



● 2017.6.26〜7.2 写真展のお知らせ



手前は西本さん、奥が大田さん。先日6/30は、恒例のネイチャーフォー写真展の展示作業。
恒例のネイチャーフォー写真展のお知らせをします。
1.場所 平尾台自然観察センター(北九州市小倉南区)
2.開催日時 7月1日(土)〜8月28日(月) 9:00〜17:00
3.休館日 7月3日(月) 10日(月) 18日(火)
       ※夏休み期間中は無休
4.入館料 無料 (駐車場あり 無料)
5.出品者  武田晋一  水辺の生き物 10点
        西本晋也  トンボ      10点
        大田利教  星         5点
        野村芳宏  野草       10点
                       合計35点。

 僕が写真を準備する際にここ数年しみじみ思うのは、適当な写真が見つからないということ。
「ええ?あなたは、毎日のように写真を撮っているんでしょう?」
と思う方もおられるだろうが、仕事で写真を撮る場合は人が求める通りに写真を撮る場合が大半で、そうして撮影された写真はあくまでも商品であり、自分の作品という感はない。
 あるいは、仮に人からのリクエストがなくても、そうしたリクエストを予測して先撮りした写真は、やはり作品というよりは商品だと思う。
 その点、写真展では自分の作品を見せたい気持ちが強いし、少なくとも、仕事を見せたいという気持ちにはなりにくい。
 ただ、現実的なことを言えば、作品を撮影する時間は、ほとんどない。自然写真を仕事にするというのは、趣味としての写真を捨て、新たに仕事としての写真を始めるような面がある。

 写真展を開催する意味は、いくつかあるが、プロの場合は一般的にはパーティーの意味合いが大きいだろう。
 その点僕は極めつけのパーティー嫌いなので写真展という見せ方をほとんど念頭に置いてないが、ネイチャーフォーの写真展には、趣味として写真を撮っている仲間と接することで、自分が好きなものを撮るという写真の原点を再確認する意味がある。写真の基本は、撮りたいから撮る、好きだから撮るという趣味としての写真ではないかと僕は思う。
 したがって、展示作業の日に、みなさんと顔を合わせることが重要。
 また、その展示が早く終わってしまうと顔を合わせる時間が短くなってしまうので、展示はある程度めんどくさくて、そこそこ時間がかかることに意味がある。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2017年7月分


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