撮影日記 2017年5月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2017.5.24〜28 仕事(3)



 幼児向けの本を作っている会社は数社あるが、それぞれ社風が異なり、当然、作風も違ってくる。
 ただ全体として言えることは、たとえ生き物をテーマにした本であっても、自然物や科学物というよりは一般書であり、エンターテインメントであるということ。
 その中で唯一、フレーベル館の「しぜん」は、一般書ではなくて、科学物という印象。
 そのキンダーブック・しぜん6月号の、かたつむりを担当した。
 
 幼児向けの本の場合、編集者が絵コンテを書くことが多い。
 つまり、編集者が実質的な著者や作者になる。
 その場合に、大きく分けると2つの選択肢がある。
 1つ目は、編集者は著者や作者なのだから、これから取り上げようとするものを自分の目で見て、絵コンテを描くような作り方。あるいは自分の目で見ることができない場合は、見たことがある人の話を聞いて、それをまとめる聞き取りのようなやり方。
 これは何も幼児の本に限ったことではなく、報道なんかでも同じだ。まずは記者が自分の目で物事をみようとするし、それができない場合は、それを見たことがある人に聞き取りをする。
 そうして作られる本は、科学の本や報道の本やドキュメントの本になる。
 2つ目は、編集者がすでに知られている知識を「ネタ」とみなして、幼児の本向けにアレンジしてまとめる作り方。
 この場合は、編集者が自分で見たわけではないものをまとめることになるので、何が事実かというよりは、それでいかに喜ばせるかということが主眼のエンターテインメント物になる。

 キンダーブック・しぜん6月号の「かたつむり」に関しては、編集者がある程度勉強をしたうえで家にお越しになり、聞き取りをした上で最終的な絵コンテが決められた。
 エンターテインメント性よりは、何を伝えるべきかに主眼が置かれている。
 聞きそびれてしまったけど、月刊誌なのにハードカバーだし、保存をして何度も何度も読む前提で作っているのかな。
 「しぜん」をためていけば、雑学とは異なる、体系的な知識が得られるだろう。
 日本の本というよりは、論理的な欧米の本のような感じがして、日本の社会の中で売ろうとするならば不利なやり方ではないかと思うが、科学性を大切にするその姿勢は尊敬に値する。
 
 キンダーブックと言えば・・・
 僕が大学4年生の時に修士の一年だった池田先輩は、確か、大学教授のご子息だったように記憶している。話の端々に、高いレベルの教育を受けてきた人なんだろうなと感じさせるものがあった。
 ある時、何がきっかけだったのか、キンダーブックの話になった。
「キンダーブックのキンダーはドイツ語で、ブックは英語でしょう。あれが子供の頃から疑問だったんだよなぁ。」
 と池田さん。アニメの主題歌の中で使われる単語なんかでも、意味なんて知りたいとも思わなかった僕とは大違い。
 高い教養とは裏腹に、斑があり、ある時突然頑張って池田大作(たいさく)と呼ばれる大規模な装置を作り上げたかと思うと、急に学校に姿を見せなくなったりと、研究は決して熱心とは言えなかった。
 無心に打ち込めるものが見つからずに、苦しんでおられるように感じた。
 今、どうしておられるのかな?会ってみたい先輩の一人だ。



● 2017.5.23 難しい

 絵コンテを受け取って、う〜んと考え込んだ。
 ある生き物が飛び立ってから飛んでいく様子が大きく描かれていた。
 小さく写せばいいのなら多分一日あれば撮影できる。だが大きく写して大きく伸ばして使うとなると、途端に難しくなる。
 これって、物理的に撮影可能か・・・?
 幼児向けの本の撮影なので、過去にスティーブン・ダルトンがやったような厳密な瞬間写真が求められているわけではないのだろうけど、それでも難易度が高い。
 機材の揃えるところから始めて、丸々それだけに取り組んでも1週間くらいは必要ではなかろうか。
 おまけに絵コンテは他にもたくさんあって、そこに時間を取られると他がおろそかになるから、とにかく、大急ぎで必要な機材を取り寄せる。
 それから、その生き物を何度も飛ばせてみて、撮影可能かどうかを見極める。
 だが、どうしても絵コンテのようにならないので、何を参考にしてその絵柄を決めたのかを編集者に問い合わせてみたら分かった。
 参考にした写真は、ある方が、生き物を飛んでいるかのような状態で標本にして撮影した写真だった可能性が高い。
 なるほどね。何度試しても撮れないはずだ。作り物の写真が広まってしまう悪しき例だ。
 正直に言えば、僕も、一度だけ同様の手法を使ったことがある。
 言い訳をすれば、それをするつもりだったわけではなく、翌日の撮影用に採集しておいたモンシロチョウが一晩の間に死んでしまい、死骸をそのまま捨ててしまうのは生き物を粗末にするかのようで嫌だったので、飛んでいるかのようなセットで撮影した。
 だが、その写真を見た昆虫写真家の海野先生に、
「これは2度とやったらダメ。」
 と指摘をしてもらった。

 ともあれ、編集者が気楽に描いた絵が、実は非常に撮影が難しいことがある。
 他にも、ある1ページの撮影に苦戦中。
 単なる白バック写真なのだが、肝心な生き物が見つからない。
 多分地域差で、家の近所では見られないのだと思うが、決めつけてしまうのは危険なので、ある程度の時間をかけて探すことになる。



● 2017.5.22 仕事(2)



 同じようなポジションの本でも、出版社によって、作り方は違ってくる。或いは、同じ出版社でも、担当者が変わると作り方が変わる。
 おのずと自分がどういう風に本づくりに参加するかも、違ってくる。
 自分の意見を言いながら一緒に作り上げる感じで撮影する場合。
 お任せと言わんばかりにほぼ自分勝手に撮影する場合。
 相手の言う通りに撮影する場合・・・。 

 世界文化社のワンダーしぜんランド4月号に関しては、担当者が描いた絵柄を実現する一技術屋であることに徹した。
 描かれた絵は、基本的にすべて受け入れる。
 仲間が何かにチャレンジしようとしている時に、意気に感じて、「僕にできることがあったら言ってみてください。」と自ら申し出てサポートに回る時のような気持ちに近い。
 ある方の
「カメラマンはたくさんいるけど、最近は職人が減ってしまった。」
 という言葉が常に頭の片隅にあった。
 何かを好きに撮れと言われたら確かにいい写真を撮るけど、この通りに撮れと絵コンテを渡された時に、狙って、ある一定の時間の中でそう撮れる人が近年少なくなったと。
 同じ話を、随分前にこの世界文化社でも聞いたことがあった。
「昔、きれいな写真を撮ることで有名なある方に撮影を依頼したんだけどね、好きに撮らせたらすごくいい写真を撮るその人が、絵コンテ通りに撮ってとお願いしたら全くダメだったんだよね。」
 と話してもらったことがあった。
 ああ、そこを僕に求めているんだなとその時感じたものだった。
 
 技術屋に徹する時に注意しなければならないのは、従業員のような体質になってしまって、決まりきったことしかできなくなることだ。
 ピントもあっている。
 露出もあっている。
 構図も悪くない。
 色も出ている。
 最新のテクニックも知っている。
 学校の美術の授業なら確かに評価されるかもしれないけど、どこか事務的で面白みがない写真しか撮れなくなってしまう嫌いがあり、そうならないようにする意識が非常に大切になる。
 確かに仕事の現場では技術屋が求められるのだが、そこで求められている技術屋はしばしば作家性を兼ね備えている技術屋であり、ただ真面目な写真が撮れる人ではないのだ。

【更新のお知らせ】
4月分の今月の水辺を更新しました。



● 2017.5.21 仕事(1)



 昨年撮影を担当したチャイルド本社・ビッグサイエンス5月号「たべたらうんち!」を、幼稚園で読み聞かせている様子を撮影した画像が、先日送られてきた。
 撮影をした人の技術が良くてよく撮れていることもあるけど、みんな楽しそうで、一気に報われる感じがする。
 担当の編集者は、自らハチを飼ってみたり、作物を作ってみたり、さまざまな体験をしたり、と同業者の集まりでは、「そう言えばあの人・・・」としばしば話題になる業界の名物的な存在。
 いつも心の底から面白がって取り組む努力をして、新しい何かを作ろうとする心意気がすごいので、その分、撮影は大変。
 創ることの苦しさを、これでもか!これでもか!というくらいに味わうことができる。
 だが終わった後で、お金以外に、ああ何かが残ったと感じられるのは、だいたいそんな仕事で、これがとても重要。
 写真の仕事をする上で、僕が思う一番大切なことは、昨日よりも今日の方、今日よりも明日の方が楽しいということ。
 なぜなら、もしも今日よりも明日の方が楽しければ、今日できたことは明日もできるし、それを繰り返していけばずっと続けることができるから。
 その場合に、今日よりも明日を楽しくするものの1つが自信であり、自信は、今の自分には出来ないとか難しいと思っていたことが、できたり、できるようになることから得られる。
 独力で今の自分に出来ないことにチャレンジできれば、それがいいのだろうけど、僕は精神力が弱いので、絵コンテが送られてきて逃げられないなどある種の強制力がなければなかなかそこまで踏ん張ることができない。
 そういう意味では、強制力にも悪いものといいものがある。

 今はあまり強制しない時代だと思う。
 それによって悪い強制も減るけど、いい強制も減ってしまうから、誰かと一緒に難しいことにチャレンジできるいい強制の機会はなかなか尊い。



● 2017.5.19〜20 鳴き声から調べる野鳥図鑑

 僕がプロの自然写真家になろうと決意をしたのが大学4年の時。以降、先輩方からいろいろなことを教わってきた。
 先輩=僕の教科書だった。
 ところが教科書は先輩だけではないことを、ここ数年で思い知らされるようになった。後輩も、非常にいい教科書なのだ。
 先輩の言うことは、とても貴重な話ではあるけど、ある部分過去の話。例えば、日本の景気が良かった時代と今とでは、かなり状況が違っている。
 だがメキメキ頭角を現す後輩のすることは、まさに今の話であり、「へぇ、こんな風にやったらいいんだ!」と教えられることが多い。
 そんな風によく教えてくれる後輩の代表格が、1990年生まれの菅原貴徳さんであり、僕は何度か、彼の人間力にうならされたことがある。



 菅原貴徳さんが撮影を担当した「鳴き声から調べる野鳥図鑑」(文一総合出版)。
 今の時代に、20代でちゃんとした出版社から出る本の写真撮影を担当できるというのは、凄いことなんです。
 ただ写真がうまい若者なら何人も知っているけど、社会の中でそれを発表できる場を確保できる人はごく一部であり、この人に注目!



● 2017.5.17〜18 スジエビの青

 魚部の井上代表が、
『言うまでもないかと思ってたが、誤解を招いているかもなので、一言。大どじょう展は下請けや発注などの「業務」でもなければ、「ボランティア」でもない。適当な言葉が存在しないが、魚部の「心意気」以外の何物でもない。』
 とツイッターでつぶやいておられた。
 「業務」でもないし「ボランティア」でもない。それがただひたすらに好きだから、やりたいからとことんまでやる。
 そこが魚部の魅力。
 僕も、魚部の出版物には少しだけ関わっているけど、面白いから本気を出して参加するのであり、ボランティアというつもりは全くない。
 お金をもらわない=ボランティアというのは大間違い。

 いわゆるボランティアのすべてを否定するつもりは毛頭ないけど、本来狂ったように夢中になって取り組むことの方が当たり前の場にボランティアの発想を持ち込み、その空気を広める人にはうんざりさせられる。
 こっそり言うと、そうした人には学校でエリートだった人が多い。
 先日テレビの番組で、ある方が、
「学級員的な意見になってしまうけど・・・」
 という前置きした上で発言するのを聞いて、学級員的ってどんなことなのかな?と少々考えさせられたことがあった。
 簡単に言うと、常識的ないい子ちゃんの意見なのかなという風に理解をしたのだが、そうした人が学校で評価されやすいのは、自然なことだろう。
 役人になったり、企業の従業員になるのには最適な体質ではなかろうかと思うし、日本の学校教育はそちらを向ていると思う。
 だが写真活動のように、人の心を打ったり、面白がらせたり、何かを投げかけていくのは、それとはまったく別のことであり、常識を超えて取り組んで、初めて何かができるという側面が大いにある。

 僕は、生き物や写真が好きな人となら、その人がたとえ普通ではなかったとしても、付き合うことにしている。あいつは普通じゃないから付き合わない、などということは言わない。
 なぜなら、生き物や写真が好きな人は、程度の差こそあれ、みんなひどく変なところやダメなところを持っているもので、それが実はとても大切だから。
 だが、常識を持ち込みたがる人とは距離を置くことがある。常識が悪いわけではないけど、それに影響されてしまい常識的になったら、僕らの場合はおしまいだから。


NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 さて、スジエビの雄雌の区別のポイントを撮影してみた。これは雌。
 こうした写真は、あくまでも説明なので分かればいいし、人の心を打とうとする写真ではないというのが常識。
 だが僕は、何か感動はないか?と探したいと思う。
 カメラマンを志すような人は、、ちゃんと説明できていればそれでいいと思ったら、おしまい。一行の文章でも、一言の言葉でも、何か面白くできないかと、最後の最後まで探る意識がとても大切。
 この日は、光の角度によって微妙に浮かび上がる青系の色を加えてみた。
 
 

● 2017.5.13〜16 Xデー


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

 オイカワマル先生が講師を務める水辺の観察会。
「魚嫌いな人、手上げてみて。」
「ハ〜イ。」
 へぇ、結構いるんだね。でも、みんな楽しそう。


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

 この日、最高の盛り上がりを見せた生き物が、ヘビだった。
 そして、
「ヘビが触れないとか気持ち悪いとかいうのは後天的なものなのだ」
 というのがオイカワマル先生の主張。
 大人が怖いとか気持ち悪いという態度を取ったりそんな言葉を発するから、子供が怖いという反応をするようになると。
 現場で手を動かし続けている人の話を聞くのは、楽しい。

 人の話を聞くときに、自分の意見があれば、なお楽しい。
 子供が特定の生き物を恐れるようになる場合、幾つものケースがあると思う。
 ヘビの場合がそうであるかどうかは置いておき、僕が関心を持っているのは、「怖いもの=悪いもの」という風に社会が思い込ませ、その結果、怖いものが遠ざけられてしまうケースだ。
 怖いは必ずしも悪いことではないし、時に面白いし、人の心を豊かにする。
 怖いはあくまでも怖いであり、怖い=悪いではないはず。食べ物に、うま味の他に、辛みや苦みなどがあるように。
 だからもしも僕が怖いとされている生き物の本を作るのなら、
「怖いやろう。そこがオモロイやろう。」
 という切り口のものを作ってみたい。
 暗い、というのも怖いと同様に悪いこととされている感があるが、そうではないのでは?という気がしてならない。
 例えば、たまに昭和の名曲の特集番組などを見ると、暗いものが非常に多い。
 子供向けの本の中で使用される生き物の写真は、とにかく、怖くなくて明るいものが好まれるのだが、本当にそれがいいのかな?
 

NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 その日の夕刻、飼育室を見回ると、カワヨシノボリに産卵の兆候があった。
 繁殖のために雄が作る巣がまだ未完成だというのに,、雌がすでに巣穴に入り込んでいて、とにかく卵を産みたがっているように見えた。
 間違いなく今から産むだろう。
 ところで産卵って、どのくらいの時間を要するのだろうか?
 産卵が終わるのが深夜になる可能性があるので、まずは腹ごしらえをと夕食を食べていたら、その間にも産卵が始まり、カメラを手にした時にはすでに数十個の卵が産みつけられていた。
 問題は、岩の裏側の隙間をきれいに照らすのが非常に難しいということ。
 ある程度テストはしていたのだが、岩の裏側に入り込んでいるヨシノボリが一匹なのか二匹なのか、あるいは、ヨシノボリが地面にいるのか岩の裏側に張り付いているのかで影の出方が違ってくるため、テストは所詮テスト。
 今回はその場をしのいだけど、同様のパターンの撮影に備え、何か専用の道具を作っておいた方がいいだろう。

 前日の撮影が深夜におよんだので、翌朝は朝、飼育中の生き物のチェックをしたら、もうひと眠りしようと思っていたのだが、撮影を依頼されていた虫に羽化の兆候あり。
 重なるなぁ。
 しかしここが踏ん張りどころであり、この機会を逃すと、仕切り直すのには何倍もの労力と時間がかかる。
 今回依頼された写真はややアングルが特殊で、その通りに撮影するためには、その場で臨機応変な何らかの工夫が必要になるのだが、残念ながら疲労で冴えがなく失敗。
 あ〜あ、とガッカリしていたら、2個体目、3個体目が続々羽化し、虫の撮影は無事終了。
 よし、これで少しゆっくりできると思ったら、水槽の中の別の生き物が産卵・・・。
 殺す気か!



● 2017.5.6〜12 爆発

 アイドリング中の車から突然爆発音がして、煙で目の前が真っ白になった。
 たまたま用事があって自動車屋さんの駐車場だったので、10メートルほど車を走らせて、そのまま整備工場へ。
 車がオーバーヒートして冷却液を溜めてあるタンクが高温になり、破裂してしまったようだ。
 車内の温度計は正常な位置をさしていたのだが、センサーの位置の関係で、すべてのオーバーヒートがメーターに現れるわけではないのだそうだ。
 破裂するほど高温になっていたわけだから、エンジンが重篤なダメージを受け修理代が高価になる可能性があり、すでに20万キロ以上走っている軽自動車でもあるし、即修理ではなく、まずは見積もりを取ってもらうことにした。

 重篤な故障をしたとは言え、運がいいと言っていいのだろうな。
 故障の翌日には、車一台がギリギリ通れる、公道ではない片道の未舗装の山道を走る予定になっていたことを思うと、ゾっとする。
 坂が急で、昨年登った時にはアクセルを最大限踏んだ状態で、車がギリギリ動くか止まるかの瀬戸際だったから、山道を登る途中で故障をした可能性が高い。
 その場合、車を降ろせるかな。
 麓から救援車に来てもらい、坂道を上を向いた状態で動かなくなった自動車を、バックの状態で牽引をしてもらい、あの曲がりくねった道を降りるのは不可能にも思える。
 いやその前に、現場に向かう高速道路で破裂した可能性もあるし、その場合は面倒どころではなく、下手をすると命にかかわる。
 2〜3年前だったと思うが、高速道路で、500メートルくらい前を走っている車が、突然水蒸気爆発のような破裂をしたことがあった。
 何にぶつかったんだ?
 車?獣?
 動けなくなった車を追い抜きざまに見てみたのだが、ぶつかった相手が見つからず、何が起きたかわからないままだったのだが、多分僕の車と同じ故障が走行中に発生したのだろう。
 自分の車が破裂してみて、よく分かった。
 個体差なのか、車種の欠陥なのか、今回故障をした三菱の軽ワゴン・タウンボックスは、冷却系のトラブルが多かったが、フィールドワークをする場合、冷却系が弱い車は避けるべきだと痛感させられた。



● 2017.5.4〜5 正確な知識、精密な技術の話

 何年か前に北九州のある水路で、外観の特徴から、ニッポンバラタナゴと思われる魚がたまたま網に入った。ニッポンバラタナゴは、タイリクバラタナゴとの交雑で純粋なものがあまり見られなくなっているのだが、採集した魚の特徴はニッポンだった。
 そのニッポンバラタナゴを昨年撮影することになり、またそこで捕まえようとしてふと立ち止まった。
 本当にあれはニッポンバラタナゴなのだろうか?タイリクバラタナゴの血は混ざってないのだろうか?
 その答えは遺伝子を調べる他ないし、写真の場合、外見がニッポンバラタナゴの魚はニッポンとして扱って問題ないだろうと思ったけど、もしかしたら、あまり知られていない区別のポイントが存在し、見る人が見れば交雑個体が区別できる可能性もゼロではないので不安になり、結局、研究者の方にまぎれもないニッポンバラタナゴが採れる場所を教わり、そこで採集した。
 僕らが作る本は、全国のいろいろな人が目にし、中には飛び切り詳しい人もいるのだから、慎重にならざるを得ない。

 オイカワの雌も、実はなかなか悩ましい。
 水槽の中で産卵をさせるために昨年の春に釣り上げ、雌だと思って飼育していた個体は、なんと雄になってしまった。
 オイカワは普遍種なので、なんと初歩的なミスを、と恥ずかしくなった。
 だが恥を忍んで水環境館の川原二郎さんに聞いてみたら、
「あれは実は難しいんですよ。」
 と返ってきて、一人胸を撫でおろした。
 その後、今や淡水魚の研究の第一人者になりつつある通称オイカワマルさんにも聞いてみたが、やはり難しいとのこと。
 オイカワマルを名乗る人でも難しい。なぁ〜んだ!
 それを、図鑑に書いて欲しいよね。

 そうした、簡単だと思っていたものが実はそうではなかったというケースがいくつか重なり、ある仕事の期限を一年延ばしてもらった。
 そして今年は、僕の目の前で産卵をして雌であることが100%確かなオイカワを撮影した。


オイカワ(雌)
NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 ついでに、写真も、昨年よりも精度を上げることにした。
 魚の場合は、白バックで撮影するとヒレが背景に溶け込んでしまいがち。
 なぜ溶け込むかと言えば、背景の明るさとヒレの明るさが同じになってしまうから。
 したがってそれを防ぐためには、背景よりも魚が暗くなるようにすればいいので理屈の上では簡単だが、背景を照らす照明が魚にも当たらないようにするためには、背景と魚を離さなければならず、撮影には場所を要する。
 去年はそこまでこだわる時間的なゆとりがなく、「ええい!ままよ」とやったけど、撮り直してみて分かった。
 危うく後悔するところだった。
 魚の雌は、白バックで撮影すると、まるで死んでいるように見える場合がある。
 そこで、鱗に反射を入れるなど、生きている生き物の凛々しさの再現にこだわってみた。
 ともあれ、この地味なメスを面白くしたいよなぁ〜。



● 2017.5.3 貝の毛


NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 タニシは卵ではなくて、子貝を産む。他の生き物にはあまりない特徴なので、タニシを撮影するからには、生まれたばかりの子貝の姿は外せない。
 しかし、一体いつ子貝を産むのだろうか?
 身近な生き物ではあるけど、愛好家が多いわけではなく、大まかに知っている人ならいても、手に取るようにわかる人にはなかなか出会えないし、自分で調べるしかない。
 生き物の繁殖の場合は1年のサイクルがあり、一通り知ろうと思えばおよそ1年かかるし、一度見落とせば2年を要する。

 そのタニシが次々と子貝を産んだ。
 数匹のメスが産んだのだから、冬眠明けの今が子貝を産む季節であることは間違いないだろう。
 ということは、交尾は前年の秋になるのかな。
 他の時期にも産む可能性はあるだろうけど、冬眠明けというタイミングで揃って出産する今が見やすいことは間違いないだろう。
 出来れば親の体からまさに出てくるところを撮りたいけど、殻に覆われている生き物の場合、外から見て出産の兆候を掴むことはできにくいので、それは難しい。
 撮れるとするならば、今の時期にタニシの親を撮影していたら、「あっ、産んだ。」と言った感じで偶然に撮れるパターンが最も考えやすい。


NikonD2X Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D
 
 カタツムリの中には、殻に毛を生やしたものがいて、面白い。その毛は何のためにあるのか、いくつか説があるけど、正直に言えば、ピンとくるものはない。
 もっと言えば、こうした疑問にクリアーカットな答えを出すのはほぼ不可能だろう。というのは、カタツムリの毛の場合、切り落としたからと言ってカタツムリが弱るわけではないし、現に野外で毛が擦り切れた個体をたくさん見かけるし、毛があればカタツムリにとってどれだけ有利になって、なければ不利になるのかを数値化しにくいから。
 

CanonEOS7D MP-E65mmF2.8 1-5×マクロフォト

 タニシの殻にも、毛が生えている。


NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 そしてタニシの毛の場合は、殻の表面に泥や汚れを付着させる役割をしているように思う。
 ゴミが付着していた方が目立ちにくくなる?直観的にはそう感じるけど、それによってタニシが生きていく上でどれだけ有利になるかを数値化できなければ何も言えないし、カタツムリの毛の場合と同じでそれは難しい。
 

NikonD7100 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
 
 付着したゴミが気になるのか、メダカが殻を何度も何度も突いた。

 毛が生えたカタツムリの姿を見て、「面白いね!」と人が喜ぶのを、僕は何度も見たことがある。
 だが、タニシに生えた毛を見せても、人はそんなに喜んだりはしないだろう。
 スター性がある生き物とそうではない生き物とがいる。
「スター性のある生き物ばかりが取り上げられる」と嘆く方がおられ、僕もその気持ちが非常によく分かる。
 だがスター性のある生き物ばかりが取り上げられるのは、人が何を好きになってもいいと保障されているからであり、日本の社会がある程度自由であることの証。それに口を出すのは検閲的な発想であり、筋違いではないかと近年感じるようになってきた。
 そんなことよりも、自然ってこう見れば面白いと1つでもいいから提唱できたらなと思う。
 タニシの毛とカタツムリの毛をセットで見せれば、スター性が低くてあまり読んでもらえないタニシのページが、誰かの記憶にとどまりやすくなるんじゃないかな。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2017年5月分


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