撮影日記 2016年12月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2016.12.28〜31 年を取る

 今年は、落ち込んだ気持ちになる時間が長かった。
 無気力になったりやる気が出ないというのは、僕の場合、節目節目によくあることだが、落ち込んだり悲しい気持ちに支配されるのは、実は生まれて初めてのこと。
 原因はこれといった決定的な何かではなく、多分、小さなことの積み重なりだと思うが、その1つには、物心ついたころから僕にとって絶対的な存在だった身の回りの大人たちが、みんな示し合わせたかのように立て続けに大病をしたり、一人また一人と亡くなっていくことがあげられるだろう。
 今日もまた、そんな連絡を受けた。
 自分の人生が後半に入っていること、人はいずれ身の回りのすべての人とお別れしなければならないことを実感した年になった。
 大人たちだけでなく、同級生の訃報もたまに届くようになった。
 それ以前にも同級生の訃報はいくつか耳にする機会があったけど、それらは事故という印象だったのに対して、今年は、多少気が早いのは確かだけど、寿命なのかなと感じる内容だった。
 年を取るって、寂しいことなんやな。
 自然にカメラを向ける理由は人ぞれぞれだけど、僕の場合は、命っていったい何なのか答えを自然に求めている部分が多分にあり、その思いは、いずれ写真で表現したい。



● 2016.12.21〜27 短気は損気
 小さな生き物が不活発な季節になり、本来であれば多少はゆっくりできるはずなのに、なかなか自由になれない。
 というのは、今年は引き受けた仕事がいずれも思ったよりもはるかに難しく、「これは下手したらどれかに穴あけてしまうぞ!」 と冷や汗をかきながら春から延々と写真撮影のみに打ち込んできたため、その他大部分の用事を放置してため込んでしまったのだ。
 到底一気に片づけるなど不可能な量。分割をして毎日朝一番から地道に片づけてはいるのだが・・・
 さらに今取り組んでいる仕事の関係で大量の生き物を飼っていることもあり、それらに病気が出たり、思い通りに飼えなかったりすれば、薬を投与したり、道具と揃えたりとその対応だけで本当に一日が終わってしまう。
 生き物を飼うのは病気になったり死んだり予想外のことが起きたりで煩わしいから嫌いだという方がおられるが、気持ちがとてもよくわかる。
 悪いことにパソコンの故障も重なり、焦った僕が自ら傷口を広げてしまうというお粗末さ。
 1つのトラブルがさらに別のトラブルへと飛び火していくその様子に、ふと、天中殺という言葉が浮かんだ。
 小学生のころ、友達の努君が、
「天中殺っちいうのがあるんばい。」
 と教えてくれたことがあった。
 簡単に言えば、厄年のようなもの?
 努君は、新しい概念を輸入してくるのを得意としていた。スーパーカーやスターウォーズやその他、その後ブームになった物事を、流行するよりも前に言い出して、クラスに広めるのを生きがいにしていた。
 流行のものを輸入してくるだけでなく、自ら作ろうともした。何かに驚いた時には「スペペ」 と叫び、それを聞いた身の回りのものは「グピピ」 と答える。
 僕は未だに、「スペペ」と口から出そうになることがある。 
 新しいものを持ち込む人はその場を空気を乱し勝ちであり、先生からすれば扱いにくい子供であり、努君に対する先生の評価は高くはなかった。
 子供たちが、「スペペ」だの「グピピ」などと言い出せば、先生としても対応に困るのは理解できる。
 だが自分が写真のような仕事に就き、常に最先端の物事の中に何か使えるものはないか?と監視して試さなければならない立場になってみると、努君の流行を先取りするセンス、ムーブメントを起こそうとする精神は稀に見ると言っても言い過ぎではないくらいに優れていたと思う。
 件の天中殺だって、努君以降に僕が耳にしたのは、なんと数十年後に、当時テレビによく出演した細木数子さんの口からだったのだから、努君の先取りをする能力のなんとスゴイことか。
 
 ともあれ、今特に頑張らなければならないのは、画像処理だ。
 その中でもきわめて面倒なのは、写真を、収める先に合わせて整理しなければならないこと。
 この写真はどこに収める、こちらの写真はあそこに収める、これはあの本、あちらは・・・などと振り分ける作業は、混乱しやすく非常に面倒l。
 自棄を起こしたくなってしまうけど、短気は損気。
 苦しい時ほど、憎たらしいくらいに冷静であれるようになりたいものだ。



● 2016.12.19〜20 価値観

「イリオモテヤマネコを、何でこんなに特別扱いするんかね?」
 と西表島で父に聞かれて、はたと困った。
 僕の父は生き物があまり好きではないのだが、生き物に関心がない人にそれを説明しようと思うと非常に難しい。いや、不可能だと言った方がいい。
 そう言えば昔、ある方から
「あなただって、私がエルメスのバーキンの価値を語っても理解できないでしょう?」
 と言われたことを思い出した。確かにバーキンがいかに素敵なものかを語られたところで、そのお話を暗記することならできても、心の底から「なるほど、素敵だ!」と感じることは、僕には不可能だろう。それと同じことであろうと。
「いやいや、バッグと自然を一緒にするなよ。バッグなんていくらでも作れるけど、自然は人の手では作れない。」
 などとつい口から出そうになるけど、それこそまさに分かってない奴の言うこと。人が何に価値を感じるかは人それぞれであり、他人の価値観を尊重できない者には、自分の価値観を主張する資格はないだろう。
僕が、ブランド物のバッグなんてと思うのと同様に、相手からは、
「何の役にも立たない生き物なんて。」
 と切り捨てられてしまう。
 あるいは、
「ブランドのバッグと環境の破壊を一緒にするな。」
 などと言いたくもなるが、世間が考える環境の破壊と自然愛好家が考える環境の破壊は、似て非なるもの。
 自然愛好家が考える破壊とは、そこにあるべき自然がなくなることであるのに対して、世間が考える環境の破壊とは、あくまでも人の日常生活が不自由になるような変化が環境に生じることであり、逆に人の暮らしを維持するためには何だってやるという一面さえある。例えば、近年はソーラーパネルの設置のために希少な生き物の生息環境が切り開かれるケースがあり、それに対して、
「環境を守るためのソーラーパネルが環境を破壊するのだから、これは矛盾だ!」
 と主張をする方がおられるが、これは矛盾でもなんてもなく、ソーラーパネルが守ろうとしているのは、化石燃料の使用による温暖化を抑制することで人が今と同じような暮らしをすることであり、最初から自然や生き物を大切にすることではない。
 環境の破壊という言葉をうかつに使うのは、時に危ない。

 では、自分に何ができるのかな?
 まずは、生き物について一人でも多くの人に知ってもらうための機会を作ること。それからその結果、自分も生き物が好きと言ってくれる人を増やすこと。
 本音を言えば、生き物の本を読んで面白いと感じる人は、すでに関心がある人であり、関心がない人を心変わりさせるのは不可能かなぁ。
 というのは子供の頃を思い出してみた時に、友達の中で生き物が好きな人は好き、関心がない人はないとその時点でかなりの部分が決まっており、生き物の本を手に取っていたのは、そもそもすでにそれが好きな人だったように思うから。
 ただ、僕は人工物にはあまり興味がなく、したがって歴史的建造物にも関心はないけど、もしも金閣寺をつぶしてサッカースタジアムを作ろうかなどということになれば、金閣寺が生み出す経済効果を度外視しても、実に馬鹿な話だなと思う。
 自然に対してその程度の関心を持ってもらうことなら、自然写真の仕事で多少は可能であり、それはそれで、大切なことではないかと思う。



● 2016.12.18 雑誌とは



 平凡社の雑誌「アニマ」は、自然関係の雑誌の中でムーブメントを起こしたと言える唯一の存在ではなかろうかと思う。アニマ以降にも自然雑誌はいくつか存在したけど、いずれもムーブメントを起こすところまではいかなかった。
 そのアニマを今改めて開いてみると、当時の「スゲー記事の集まり」という僕の印象に反して、1つ1つの記事は、案外、それ単独では存在できないようなものが多い。
 つまり、 「この記事、他にどこで発表できるか?」と考えてみた時に、アニマ以外にはどう考えても発表の場ってないよな。
 だが、そうした記事が集まることによって1つの場が成立して、そこに人が集まり、本来であれば人に見てもらうことが難しい記事が見てもらえるようになっていた。
 今で言うならば、コミックマーケットのような存在だと言えるのではなかろうか。
 アニマは、広く市販されていながらその性質は同人誌であり、その同人誌的な着眼が、自然という存在を対象にする際に適していたのではないかと思う。
 一方でアニマ以降に登場した自然雑誌では、1つ1つの記事の完成度が高くて、それ単独でも存在できるようなものが多かった。それらの記事や写真は、他の雑誌や広告でも通用しそうだったけど、別の見方をすれば、他の媒体でも読めるような。

 さて、北九州・魚部(ぎょぶ)が制作している雑誌、「ぎょぶる」は、そういう見方をすれば、まさに同人誌。
 同人誌ではあるけど、執筆陣は豪華で、ゲッチョ先生や丸山宗利先生のようなヒットメーカーの記事も読むことができる。
 そんな人が出てくるのならもはや同人誌ではないのでは?と感じる方もおられようが、丸山先生の記事は得意の虫ではなくて、魚でタイトルは「熱帯雑魚 釣り紀行」。
 僕は自然写真家の仕事という連載記事を書いています。
 5号は、多少値上げをして800円。魚部に入会すれば、年会費が3000円で、年2回「ぎょぶる」が送られてくる。
 遠くに住んでいる人などは、入会しても行事に参加できないから・・・と考える方もおられようが、自然に関して伝えたり訴えていく活動を応援するという意味合いだってあるし、そうした応援がステータスであるような社会になればいいなと個人的には思う。
 魚部に入会希望の方は、こちらからメッセージを送信してください。


● 2016.12.14〜17 林

 「林っち言ったら、ここら辺ではどこにあるかね?武田君はお父さんに山とか連れて行ってもらっとるから、知っとるやろう。」
 と小学校での漢字の授業の際に、先生から問われたことがあった。
 「木」と「林」と「森」を教わった日のことだ。
 「林」がどんなものかは漢字を教わる前に本ですでに知っていたけど、それに該当する場所は、僕には思い浮かばなかった。
 その日どこだと答えたのか今となっては記憶はないが、とにかく適当にどこかを答えた。
 なぜ、「わかりません」ではなくて無理矢理に答えたのかといえば、「林」は、僕が読んだ本の中ではごく普通に存在する場所として紹介されていたからだと思う。家の近所にもあるはずだと。
 だが、西日本の平地には、「林」という言葉がぴったりくる場所は、ほとんどないのではなかろうか。
 先日、埼玉県のいわゆる武蔵野と呼ばれる地域を案内してもらったのだが、まさに、「ああ、これぞ林」という環境があり、子供のころに本の中で見たシーンそのものだった。
 自然関係の出版はほとんど東京でしか成り立たないので、東京の近辺がスタンダードになっているのかな?
 子供のころ、林に限らず、本の中で当然のように記されている自然が、何でうちの近所にはないんだろう?と内心感じる機会は、決して少なくなかった。
 僕はだいたい大人から褒められるようなタイプではなかったし、自分に自信はないし、本に書いてあることを理解する能力が僕にはないんだと思った。
 本って難しいなと。
 作り手の書き方1つで、そう感じてしまう読者が出てくるわけだが、今にして思えば、当時難しいなと感じた本には、、作り方が悪いものも少なくなかったと思う。
 当時を振り返って、
「何でこんな風に書いちゃうのよ?」
 などと今更ながら込み上げてくる思いは、僕が今本を作りたいと思う動機の1つだ。



● 2016.12.5〜13 組織

 長いこと幼児の本に携わっておられた方が、「全く違う部門へ移ることになりました」と挨拶してくださった。
 残念やなぁ。
 今年は、同じような出来事が複数あった。
 僕は会社や組織のことは全くわからないので、多くの会社に配置換えがありそれらの会社がちゃんと運営できているということは、配置換えって、その会社が利潤を生みだすために何かの効果があるんだろうなと思いつつ、その人が蓄えてきた見識や経験を思うと、理不尽だなという気持ちにもなる。



● 2016.11.30〜12.4 組織



 磯と言えば、思い出されるのは、大学の3年の時の臨海実習だ。広島県の向島にある臨界実験所に泊まり込み、海の生き物を材料にして何らか実験をしたはずだ。
 はずだ、というのは、実験に関して何1つ記憶がないから。
 代わりに思い出されるのは、向島には親戚が住んでいて、抜け出して遊びに行ったこと。携帯電話なんてなかった時代だから公衆電話を使ったはずだが、電話をかけた記憶はなく、迎えに来てもらった車の中で、カーラジオからレベッカのフレンドが流れてきたところから忽然と思い出がある。
 それから、M君と将棋を指したこと。M君とは実習期間中に何度か対局したが、毎回いい勝負だった。
 それを見たT君が俺にもやらせろとやってきたが、見るからにヘボ将棋で、助手のY先生が、
「これは勝負にならんよ。構えが全然違うもん」
 と一言。
 だが僕は、T君の嵌め手のような奇策にひっかかり危うく負けそうになり、すんでのところでひっくり返した。
 それはともあれ、例年であれば実習を仕切るはずのI助教授が、何らかの事情で参加できなかったのは、僕に実験の記憶がない1つの原因になっているだろう。
 I先生はネットリした感じで冗談が通じにくく、決して冷たいわけではないのに、冷たいような感じがして、非常にサボりにくい雰囲気を醸し出した。
 それに対して代わりに参加したY教授は、明るくて、おおらか。
 だから僕らの年の臨海実習は、実にゆるい雰囲気だった。
 それを象徴するかのように、その時僕が撮影した写真の中に、Y教授が花火を持って生徒よりもいい表情をして写っているものがあったけ。花火の撮影に使用したフィルムは、ISO3200のコニカカラーGX3200で、雑誌の広告には高感度の常識を超えてきれいに写るとうたってあったのに、実際にはザラザラの画質でガッカリさせられた記憶がある。
 その日使用したフィルムの銘柄まで思い出せるのに、やっぱり実験の記憶は蘇らない。

 唯一、磯で生き物を採集したことに関しては、少しだけ記憶がある。
 非常にいい環境で、あの磯をもう一度歩いてみたいなと思うが、その日の記憶は不思議なくらいに素っ気ない。
 恐らく僕は、採集に夢中になれなかったのだろう。
 僕にとって一番大切なものは自由であり、記憶をずっと幼い頃まで遡っても、何かの組織の一員として活動をして心の底から楽しいと思えたことは、一度もなく、それは僕の悩みだった。
 その活動が、たとえ大好きな生き物に関わるものであり、本来であればワクワクするはずであっても。
 ところが不思議なことに、他人と一緒に過ごすことのすべてが受け入れられないわけではなかった。
 例えば釣りの師匠と一緒に出掛ける釣りの時間は、文句なしに楽しかった。
 今にして思えば、時には師匠の弟さんや息子さんもついてこられたが、決して団体行動ではなく、あくまでも個の集まりだった。
 管理という概念はそこには微塵もなく、大人も子供も関係なく、みな対等な一人の人間だった。
 師匠も含めて、失敗することもあるし、時には間違えもおかすけど、それに自分で気付いたり自分で考えることこそが大切なことであり、大きな喜びでもあった。
 ああだこうだと口出しをして、その大きな喜びを奪うような野暮は、そこにはなかった。
 そもそも、みんな自分がしたいことがあり、それに夢中だから、他人を構っている暇なんてないのだ。

 さて、昨日は、やはり自由を愛する仲間と日本海の磯を歩いた。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2016年12月分


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