撮影日記 2016年11月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2016.11.24〜29 もしも人類最後の1人になったら

 もしも自分が人類最後の1人になったら、その時には、「これをしてはならない」というタブーはなくなり、何をしても許される。
 いや、何をしても「許される」という表現は間違いだろう。「許される」というのは、許してくれる誰かの存在を前提にした言葉であり、その誰かが存在しないのに使うのはおかしい。
 だから、何をしてもいいと言った方が正確。
 絶滅が心配される希少な生き物を殺して食べてもいいし、川に毒を流して魚を採ってもいいし、イライラするという理由で、動物を虐待してもいい。
 逆に言えば、人の社会に「これをしてはならない」というタブーがあるのは、自分以外の他人が存在するからであり、その他人に対する配慮だと言える。
 例えば猫を虐殺すれば今の日本の社会の中では咎められるが、なぜ咎められるのか?と言えば、猫がかわいそうだからではなくて、猫を愛する人たちに嫌な思いをさせたからであり、猫を好きな人たちがかわいそうだから、だと言える。
 何がかわいそうなのかは人によって感じ方が違うし文化によっても異なるが、猫を虐待するなと感じる人の数が一定数を超え市民権を得ると、人間の社会の中では無視できなくなる。
 だから、罠にかかったネズミを水に沈めて殺しても、咎められることはないだろう。それを怪しからんという人は、ごくごく少数だから。  
 たまに、
「猫はダメなのにネズミはいいのか?そこに合理的な理由はない!」
 などと言い出す人がおられるが、人という生き物に対する理解が浅い人ではないかと思う。
 合理性や科学性は人の感情を左右する1つの要素ではあるけど、あくまでも1要素に過ぎず、それ自体で物事が決まるわけではない。
 捕鯨なんかでも、同じことだろうと思う。
 クジラが殺されるのが嫌という声が一定数を超え市民権を得ると、無視できなくなる。
 犬をペットとして飼う人が増え、犬が食べられるのが嫌だという人の数が多くなれば、アジアの一部の国で犬を食べる行為だってそう。

 さて、スケートリンクの氷の中に海水魚を敷き詰めて、滑る人たちに海を感じてもらおうというイベントを企画をした北九州市のスペースワールドが、批判を受けた。
 批判の理由の中には、「魚がかわいそう」という声があるが、変な意見だなと思う。
 魚からすれば、死後に食べられようが、肥料にされようが、スケートリンクに敷き詰められようが同じこと。
 ではその魚は、人から食べられるのなら納得できて、スケートリンクに敷き詰められるのなら納得できないとでも言うのだろうか?
 「魚がかわいそう」ではなくて、「それを見た私が悲しい気持ちになった」と主張すべきではないかと思う。
 それはともあれ、僕は、生き物を殺さなければ撮れない写真の撮影は原則として断ることにしているが、例外もあって、仕事に伴い生き物を殺すこともある。
 そうした行為にかかわる人は、なぜそんなことをするのかを日頃から主張し、市民権を得る努力をする必要があるんだろうな。



● 2016.11.18〜23 続けることって難しい

 初めて昆虫写真家の海野先生をたずね、「僕も自然写真家になりたい」と教えを乞うたのが学生時代。海野先生は、写真そのものについてだけでなく、お金や生活のことなど、非常に現実的なアドバイスもしてくださった。
 つい先日ある場で、当時の思い出話をしたら、同席しておられた方が、あまりに現実的なそのアドバイスの内容に、
「ええ、海野先生がそんなことをアドバイスをしたんですか?」
 と驚かれたのだが、それに対する海野先生の答えは、
「だって、最低限のお金がないと写真活動ができないんだから、そういうことも大切だよ。」
 というものだった。
 ともあれ、学生生活を終えた僕は、当時そのアドバイスを忠実に実行した。
 いや、実行したというよりは、当時の僕にはアドバイスの内容が字面では分かっても、感覚として理解できなかったから、理解しようとしてきた。
 その後、先生のアドバイスを、「そこまで現実的にならなくても良かったんじゃないか?」と感じた時期もあった。
 だが最近になり、やっぱりアドバイスが正しかったと痛感するようになった。
 もしも10年間写真活動をすればいいのなら、確かに、そこまで現実的になる必要はなかったかもしれないと思う。だが、20年、30年・・・と1つのことを続ける期間が長くなればなるほど、いいこともあれば、厳しいことだっていろいろと起きる。
 景気が悪くなる場合もある。
 体調が悪くなる場合もある。
 精神状態が保ちにくくなる場合もある。
 長く続けるためには、それらに耐えられるだけの「構え」や「備え」が必要になる。
 最近、1つのことを長く続けるって難しいなぁと思う。逆に言えば、何かを長く続けている人は、それらを乗り越えているということであり、長く続けている人に対する尊敬の思いを強く感じるようになってきた。
 この場合の長く続けるとは、常に新鮮な情熱をもって何かに打ち込み続けることを意味し、何々を初めて何年という意味ではない。





 さて、毎年一緒に写真展を開催する写真仲間の野村芳宏さんの個展を見に行ってきた。
 会場がある英彦山はちょうど紅葉の盛りで、平日であるにもかかわらず今日は祭日だったか?と一瞬思えてしまうような人出。写真展も大盛況で嬉しくなる。
 野村さんの特徴は、1つのことを地道に長く続けられること。
 僕は、自分の何かが続かなくなりそうな時にふっと野村さんの顔が思い浮かび、それがきっかけで頑張れることがある。
 野村芳宏さん、西本晋也さんに、途中から大田利教さんが加わり、「ネイチャーフォー」と称して一緒に写真展をするようになって随分の年数がたつが、写真展の展示や撤収の作業の際に、みなさんからさりげなく受ける刺激は、劇的ではないけど、ジワリと僕のことを支えてくれる。
 野村さんの写真展の詳細に関する情報は、上記のネイチャーフォへのリンクから確認してください。



● 2016.11.17 情



 仕事柄、いろいろな生き物がうちにやってくる。
 可愛い、カッコイイ、気持ち悪い、怖い、キレイ・・・といろいろあるけど、すべての生き物は神々しくて尊いな、と最近しみじみ思う。

  さて、飼育下の生き物が飼えなくなった時に、野に放つくらいなら殺処分せよ、という考え方があり、「絶対に野に放たない」ようにすることは、日本の自然を守る上でとても大切なことだ。
 僕も、例えばカタツムリハンドブック制作の過程で全国から採集したカタツムリは、撮影に使用した個体については、記録を残す上で当然のこととして、撮影に使用しなかったものもすべて標本にしてしまった。
 だが、殺処分はどうしても忍びないと野に放ってしまう方もおられる。
 そして人の社会全体を考えた時に、そうしてしまうような人もまたとても大切な存在なんだろうな、と思う。
「いやいや、殺処分がかわいそうというけど、その野に放たれたその生き物に食べられる在来の生き物がかわいそうじゃないか。」
 という方もおられる。
 だが、食べられる側の生き物からすれば、自分を食べようとする相手が在来の生き物なのか外来の生き物なのかの区別はつかないだろうし、外来の生き物から食べられるのならより残酷というようなことはないだろう。
 飼育下の生き物を野に放たないようにすることで守ろうとしているのは、「個々の生き物の命」ではなくて、「日本の自然という秩序」なのであり、これは秩序を取るのか、自分の目の前の生き物の命を取るのかの問題。
 僕は、自然科学出身であり、自然科学の世界は「情」をそもそも排除して物を考えるのだから、秩序を取るのが当然だと固く信じ込んできたのだが、人の社会って、それだけでは成り立たないんだなぁと最近教えられる機会が多くなってきた。
 正しいことを主張するけど、情に欠ける人はなかなか尊敬されない。
 そうした問題は、「自然」という角度だけから考えることはできないんだろうな、と。



● 2016.11.7〜16 更新のお知らせ

10月分の今月の水辺を更新しました。


● 2016.11.4〜6 ネズミゴチ

 コチを釣った直後に、より小さな同じような魚が釣れた。僕の設備では大きな魚を撮影するのは難しいので、小さなものが採れるのは大歓迎。
 大きな水槽を買えばいいじゃないかと感じる方もおられるだろうし、そうする可能性もゼロではないが、それだけの水槽にそそぐ海水を確保していつでも撮影できる状態にキープしておくのは簡単ではなく、当面は小さなものを撮影することにしている。



 ところが釣り上げた魚をよく見ると、期待したコチとはちょっと形が違う。
 それでも外見から、「これは絶対にコチの仲間やな」と思っていたのに、帰宅をして「コチ科」のページを探しても、該当する種類が見当たらない。
 そこでさらに広い範囲を調べてみると、ネズッポ科の「ネズミゴチ」であることが分かった。
 図鑑の中でコチ科とネズッポ科のページが結構離れているということは、コチとは他人の空似的な関係であり、分類上はあまり近縁ではないのかな?
 海水魚の名前を調べようとすると、そんなことが多い。

 ネズッポ科のページには、
「鰭を広げると、艶やかで華麗なる魚たち」
というタイトルが一番上に記されていた。
 なるほどねぇ。じゃあ、そんな風に撮ってみるか。いや、そう撮らなければ、多分、写真が使われることはないだろう。
 ところがこの魚、背中に2つに分かれている背びれのうちの前のヒレをなかなか広げようとしないので、肝心な、「鰭を広げると、艶やかで華麗」な写真がなかなか撮れない。
 昨晩いろいろと試して、ようやく、そのヒレを見せてくれるやり方が分かった。

 より派手できれいな雄も同じやり方で撮影しようと思ったが、こちらは、どうしてもそのヒレを広げず、ギブアップ。

 ギブアップするくらいなら殺して標本にして撮影しておこうかとも思ったが、それは魚のカメラマンや研究者にお任せして、僕のすることではないと思いとどまる。
 僕が表したいのは生き物を同定する場合のポイントや形態ではなくて、凛々しい姿なのだ。



● 2016.11.3 よみがえる人生

 昔、ある高校で講師として理科を教えていた時に、同僚の先生から、
「向坊弘道って知ってる?」
 と聞かれたことがあった。
 向坊弘道さんは、大学時代に車を運転中に事故を起こし、体が動かなくなりながらも執筆活動をした人。
 名前は聞いたことがあった。武田家のお寺である円徳寺に、向坊弘道さんの講演会のお知らせが貼ってあるのを見たことがあったから。
「あれ、私の従兄弟なんよ。若松の海辺に住んでいてそこで私が今度科学部の合宿をするから、武田先生も会ってみらんね。」
と誘われて、会いに行った。
 もう20年くらい前のことだ。

 そのお住いの近くで先日魚を採集する機会があり、どうしておられるのかな?と思い出した。
 ユーチューブに講演会の動画があがっていたので再生してみたら、お陰で首の骨を折った人の中では日本で一番長生きをしているけれど、事故の時に死んでしまった方が幸せだったのではないかという気持ちになることも数多くあると語られて、もっと話を聞いてみたくなった。
 その手の講話には、辛いことをこうして克服して幸せになったという一種のサクセスストーリーが多いように思うが、死んでしまった方が幸せだったのではないかと感じることが多々ある、つまり向坊さんにとって今でも解決していないというところを聞いてみたいな、と。
 僕は何かにサクセスしたいのではなくて、納得したい気持ちが強い。辛いことや不幸なことを、気の持ち方で楽しいと思えるようにする、つまりある意味見ないようにするのではなくて、辛いまま受け止めることができたらな、と思う。
 向坊弘道さんは、癌ですでに亡くなっておられることが分かった。あの時死んでしまった方が幸せだったのでは?と感じていた人が、どんな風に癌という病を受け止めたのだろうか?
 故人と言えば、以前六人で展示会を開催した際のメンバーの1人である田代勝大さんがちょっと前に亡くなられた。
 田代さんは筋ジストロフィーで、僕が出会ったころにはまだ絵を描いておられたが、近年はいよいよ指先しか体が動かなくなり、絵を描くことができなくなっていた。
 SNSではたまに、そろそろ・・・というようなニュアンスのことを呟いておられた。
 野次馬的な興味ではなくて、生き物や自然を見ている者として、田代さんの目に世界がどのように映るのかを聞いてみたかったのだけど、僕には聞くことができなかった。

向坊弘道さんの著作は

  



● 2016.10.28〜11.02 更新のお知らせ

遅くなりましたが、9月分の今月の水辺を更新しました。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2016年11月分


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