撮影日記 2016年9月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2016.9.28〜29 フィルム時代のように撮ってみた



 今日の写真は、撮ったままの状態で、一切の画像処理をしていない。
 フィルムの時はそれが当たり前だったのだけど、デジタルになってからは、色被りを取ったりとか、背景の白の濃淡の斑を軽減したり、ゴミを消すなど多少の画像処理を施すようになった。
 そうした画像処理を施す前提で、写真を撮ることが多くなった。
 いやいや、それが当たり前になった。
 画像処理は、写真の内容そのものを変えてしまうわけではない。
 一種の仕上げと思ってもらえればいい。
 特に水中の場合は、撮影の際の制約が多くて、その結果、何らかの画像処理を施すことが多い。  
 例えば水槽にそそぐ水の量が多くなると大がかりになってしまう。
 淡水ならまだしも、海水の場合、調達を考えると、どんなに多くても30L以下の水量で撮影したい。 
 すると、陸の生き物の撮影に比べるとはるかに狭い面積(体積)の場所で撮影しなければならず、その結果、背景の白が不自然になるなどの現象が起きる。
 仕上げと言っても、一枚一枚に要する時間は、せいぜい30秒〜1分くらいだろうか。
 ただそれでも写真の量が多いと、一枚一枚は大したことがなくても、写真の量が多いと膨大な時間になる。100枚処理すれば、100分かかってしまう。
 そうした画像処理に時間を取られることを、なんとかしたい。いや、なんとかしなければ、もたなくなってしまう。
 そこで今日は、フィルム時代のように、一切の仕上げの必要がないように、撮影してみた。
 最初の一枚を撮影するまでに要する時間は長くなるが、トータルとしては、僕の場合は、フィルム時代のように撮影した方が早いかな!
 それ以前に、細部にこだわって撮影した方が、撮影自体が楽しい。
 そうだ!そうだ!細部にこだわった撮影が、めんどくさいんじゃなくて、面白いんだよなぁ。
 フィルムの時代はそれが当たり前だったのだけど・・・
 デジタルの後処理は便利だけど、「結果さえよければそれでいい」といった風に、撮影が作業的になってしまう嫌いがある。
 まあ、状況に応じて、どちらもできなければならないんだろうな。



● 2016.9.23〜27 負のスパイラル

 干潟に出かける準備中に、カメラの予備バッテリーが1つ足りないことに気付いた。
 実はつい先日、バッテリーをうっかり濡らしてしまい使用不能になり、新しいものを買ったばかり。それ故に、またも買わなければならないのかと思うと、購入に要する金額以上(もちろんお金のこともあるけど)におもしろくないし、せっかくの干潟で楽しく過ごすためにも何が何でも見つけ出したかった。
 だが、干潟には潮がある。
 ゆっくり探す時間はないし、バッテリー探しは帰宅後にと言い聞かせる。
 そんな時は、忘れ物をしやすいものだが、昨日もしかり。穴が開いた胴長の応急修理と弁当を車に積み込むのを忘れてしまった。

 現場で、胴長の修理をしていないことに気付き、仕方がないから普通の長靴で干潟に入った。
 その分、そろりそろりと歩いた。が、突然にストンと吸い込まれ、あっという間に、股間まで泥の中。
 運が悪いことに、あまり水を持っていなかった。
 仕方がないから最低限手だけを洗い、防水のシートを敷いて、車を走らせ帰宅する。
 途中、長靴の中に入り込んだ砂と小石が重力でつま先から甲のあたりにギュッと凝集され、足が痛いのなんの。

 件のバッテリーだが、いつどこで触ったのか、どうしても思い出せない。
 心当たりの場所を何度も何度も見直すが見つからず。
 仕方がないのであきらめて1つ注文したら、ふと思い出した。
 バッテリーと同じカメラバックのポケットに入れておいた他の小物が、先日ポロッとこぼれ、あっ、このポケットこぼれやすくて危ないなと感じたことがあったよな。
 ということは、どこに置いたか分からなくなったんじゃなくて、何かの拍子にこぼれた?
 そこで、車の隙間を探してみたら、ありました!
 注文したバッテリーは、大急ぎでキャンセル。
 それにしても、バッテリーを見失ったことが忘れ物につながり、忘れ物が泥まみれに結びつくのだから、まさに負のスパイラルの一日だった。
 最近、何か1つのトラブルが別のトラブルに結びつくケースが多いような気がするのだが、それに気付くようになっただけかな?
 先日、ある同世代の編集者が、
「最近、同じことをするにしても、昔よりも時間がかかるようになったんです。」
 とおっしゃったことがふと思い出された。
 昔は気付かなかったことに気付くようになり、考えることが増え、その分物事を難しく感じるようになったのは僕も全く同様でありおそらくそんな年齢に差し掛かっているのだと思うが、ああ、同世代の人と話をするのはいいもんんだなぁと感じたのだった。



● 2016.9.20〜22 魚の撮影

 淡水魚を主に撮影するカメラマンは、虫や鳥や植物などにカメラを向ける他の自然写真家とは、何となく体質が違う感じがして、なぜなのかな?と以前から感じていたのだが、今年魚をたくさん撮影してみて、なるほど!と分かった。
 魚の場合は、まずは網を入れるなどして採集しなければ、何も始まらない面がある。それから捕まえたものを飼育する。
 虫でも同じようなことが当てはまるような気がするが、規模が全く違う。
 魚の場合、虫のように散歩の延長のようなやり方ではなかなか採集できないし、捕まえるとするならば漁に近い。
 また飼うにしても、広い場所やそれなりの設備を要する。60センチ水槽とか90センチ水槽などと呼ばれるサイズの水槽を5本とか10本とか設置するためには、もはや小屋が必要。
 しかもその小屋には、水道や流しがなければならない。あるいは、水槽を置く台も、水の重量に耐えるものが必要。
 つまり、写真撮影に、「漁」という要素と「ペット」という要素が加わり、魚のカメラマンは、属している業界が微妙に違うのだ。例えば、虫の飼い方の本は大きなペットショップでもあまり見かけないけど、魚の飼育の本ならよく置いてある。
 昆虫写真家でペットショップに頻繁に出入りする人は少ないのではないかと思うが、魚を扱えば、いつの間にかペットショップの常連になる。

 ともあれ、魚は、物と場所を要求する。
 魚の白バック写真を撮る時にいつも思うことなのだが、陸の生き物と比較をすると、水槽の設置が実に面倒。
「魚の写真は、ギャラ5割増し。」
 とたまに叫びたくなる。



 さらに海の魚を撮影してみると、淡水魚の撮影が楽に感じられるほどに手間がかかる。
 まずは海水の調達。
 人工海水はなかなか高価なので、僕は海に汲みに行くのだが、「水道から海水でらんかなぁ」などとつい妄想。
 概して言うと、水中の生き物は、陸の生き物よりも糞を垂れ流し的に頻繁にするように思う。そして、糞は撮影水槽の水を汚す。
 その場合に淡水なら新しい水に入れ換えればいいが、入手に手間がかかる海水の場合は、綿などで濾して同じ水を再利用する手間がかかる。
 塩分濃度の問題もある。魚を採集した場所の塩分濃度に、水槽の水を合わせなければならない。 
 またどんなに丁寧に作業をしても、水はそれなりにこぼれるし、海水の場合、金属を錆びさせてしまうので、錆びたら困るものは水洗いしなければならない。
 「え〜い、海の生き物は、ギャラ倍増じゃあ!」



● 2016.9.16〜19 業務連絡

携帯電話の変更により、ホームページの仕事依頼窓口に記載し、これまで使用してきたドコモの携帯メールが使用できなくなりました。代わりに、スマートフォンを持ち歩き、携帯端末でE−mailを受信できるようになりました。



● 2016.9.12〜15 「助からないと思っても、助かっている。」

 1つの撮影が上手く行かなければ、そのあおりを受けて、すべての予定が後ろにずれ込む。
 そしてそれぞれの生き物には見つけやすい時期があるものだが、予定が後ろにずれ込んだ結果、その時期を逃してしまうことがある。
 すると、本来なら簡単に見つかるはずの生き物がなかなか見つからず、余計な時間がかかるし、そもそも時期を逃しているのだから時間がかかればかかるほど不利になり、どんどん後手後手に回る。
 きっと借金地獄になる時も、こんな感じなんやろうなぁなどという想像がこみ上げてくる。
 そうなってくると何が物を言うかと言えば、体力だろう。が、僕はそもそも勤勉なのは好きではないし、体力勝負みたいな状況は得意ではない。
  まず冷静になり合理主義に徹したいのだが、なかなか難しく、それどころか普段ならやらないようなミスをしてしまいがち。
 そんな時に僕が思い出すのは、将棋の大山十五世名人の
「助からないと思っても、助かっている。」
 という言葉。
 将棋の世界にはA級と呼ばれる上位10人の枠があるが、A級にとどまれるのはだいたい20代〜30代。50代でもA級であり続けられるのは天才の中の天才とされるような特殊な人だが、大山名人はあり得ないことに60代で病死するまでA級であり続けた。
 将棋がただ強いだけでなく、将棋盤の外でも他の棋士にコンプレックスを植え付けるような言動や振舞いをするなど、勝負師に徹したと言われている。
 だからだろうか、今、現役の棋士で、大山名人が憧れだと言う話はあまり聞いたことがない。憧れで名前があがるのは、「新手一生」を掲げ、新しい手を見つけ出すことに命をかけた升田幸三さんや「光速の寄せ」と言われ、最短の手数で勝ちにいく美しい将棋で知られる谷川浩司さんであることが多い。
 野球の東尾投手は、自分には速い球があるわけではないから、そんな人間が生き残っていくためにはわざとデッドボールを投げることで相手に恐怖心を与える必要があったと語っているが、大山名人の場合は、ただでさえ強い人が、あらゆる手段を駆使するのだから、例えるなら、一級品の球を持っているダルビッシュ投手がたまにわざと打者にぶつけてくるようなものであろうか。
 ただ将棋に関してはトリッキーな戦法を好まず、大山将棋は、まず相手の好きにさせ、それを受けてから戦う堂々としたものだったとされている。


交尾中のアオウミウシ。アメフラシなどは波打ち際で交尾をしているのをよく見かけるが、アオウミウシも浅い場所で行うことが多いのか、水槽の水面付近である場合が多い。

 さて、 アオウミウシは、もっともよく見かけるごく普通のウミウシだとされているが、うちの近所では、たまに見かけることがある程度で、多くはない。
 過去に、僕が見たことがあるのは7月。多分、その頃が産卵期で、産卵を終えると死んでしまうものもいて、夏以降は数が少なくなるのではないか?と想像する。
 元々多くないのだから、時期を逃すと非常に厳しい。それ故に投げ出したくもなったのだが、虎の子の1つがいを水槽内で交尾するように仕向けると、交尾をして、さらに卵を産んだ。
 ただその卵は、本来の岩に渦巻き状に産みつける長いものではなく、断片的なもの。
 時期を逃したからか、あるいは餌が足りないのかなぁ。
 アオウミウシはクロイソカイメンを食べるとされており、それを入れてあるのだが、食べているのは見たことがない。
 元々飼育が難しいとされている生き物だ。



● 2016.9.11 下手の考え休むに似たり



 明るい背景で撮影するのは簡単ではないよな、とスタジオで気合を入れて凝って撮影してみたものの、どうも何かが足りない感じがする。
 けどね、今は他に撮らなければならないものがあまりに多く、まあ仕方がないやとクラゲを飼育水槽に戻した。
 この世界に飛び込んで何に驚いたかと言えば、撮影しなければならない写真の量。それをクリアーするためには、ある程度のところで先へ進まざるを得ない。
 ただ、飼育水槽でゆったりと泳ぐクラゲを眺めていると、
「ああ、これこれ。この雰囲気。」
 という思いがこみ上げてくる。
 そこで、飼育水槽にいるクラゲを、何の工夫もせずにそのまま撮影してみたら、それがよりいいという皮肉。
 水槽の上に乗っかっている観賞のための蛍光灯を取り外すこともなく、その上からストロボを光らせるという非常に乱暴なやり方だったが、偶然にも蛍光灯がストロボの光が当たる部分と当たらない部分をうまい具合に作り出した。
 そう言えば将棋の格言に、「下手の考え休むに似たり」というのがあったよなぁ。



● 2016.9.11 カマドウマ

 先日釣ったヤマメのうちの数匹は、お腹がパンパンに膨れていた。
 腹を裂いてみると、正体はカマドウマ。コオロギを猫背に、さらに足を長くして不気味にしたような昆虫だ。
 今の時期、ハラビロカマキリを捕まえてお尻を水につけるとハリガネムシという細長い生き物がでてくるが、ハリガネムシは水生の生き物で、カマキリやカマドウマに寄生をして、彼らの脳をコントロールして水辺に向かわせ、連中が水に入ったところでお尻から出てくる。
 そのハリガネムシに導かれて水に入ったカマドウマが、渓流魚の重要な餌になっているという説をどこかで読んだことがある。
 虫の体から抜け出したハリガネムシは、水中で繁殖。幼生は、水生昆虫の幼虫に食べられ、それらの水生昆虫が成虫になり陸に上がってカマキリやカマドウマに食べられるのだという。
 ナイフで腹を裂きながら、
「ああ、カメラがあればなぁ」
 と思ったのだが、今回釣りをしたのは非常に厳しい沢であり、水に落ちたり、何ヶ所か岩場を通り抜けなければならずひどく転んだりする可能性もあって少しでも荷物を減らす必要があり、カメラは置いていくことにした。



● 2016.9.11 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
 今回はアカテガニです。
 甲殻類の本を作っているわけではないのに、ここのところの今月の水辺は、アカテガニ、カブトエビ、ヤシガニ、サワガニと立て続いていて、何かそちらの方向に引っ張られているのだろうか?



● 2016.9.8〜9.10 渓流へ

 ヤマメとイワナを釣って白バック写真を撮り、バンガローに泊まり込みで、翌日は趣味の渓流釣り。子供の頃から憧れに憧れに憧れた状況のはずなのに、写真というノルマがあると、楽しむのは難しい。
 予定日が近づくと、「あっ、今度釣りに行くんやったな」と楽しみになるのではなく、「ああ、撮影どうしよう?」となってしまう。
 撮影の技術的なこともあれば、渓流魚は、釣れない時にはどうにもならないくらいに釣れないものなので、魚の確保に関しても気が気じゃない。特に魚の確保は川のコンディション次第であり、運と言ってもいい。
 よくアスリートが大きな大会で、抱負として「楽しみたい」と口にするけど、それはエンジョイしたいという意味ではなくて、それを乗り越えて楽しめるくらいに精神的に強くなりたいという意味なんやろうな。
 しかしせっかくの釣りなので、これを楽しめないのは人生の大損だとも言える。
 だからいっそうのこと、白バック写真用の魚は養魚場で購入してしまおうか?それなら学生時代にイワナを購入した適当な養魚場が山口県にある、とも検討してみたが、川で育ったものはヒレの美しさが違うし、本当にきれいな魚を撮りたいよな、とその案は却下して、最後の最後の最後の手段とすることにした。

 魚を生かしたまま水槽や撮影機材を設置した場所まで持ち帰るためには、沢歩きで山の奥深くに分け入ることはできず、そこらの道沿いのお手軽な場所で釣りをしなければならないのだが、実は、これがとてもやっかい。そうしたアクセスがいい場所には釣り師が殺到するから、魚がすれていて、釣りが格段に難しい。
 しかし夕刻間際、何とかヤマメを一匹釣った。
 ただその虎の子の一匹は、こんな時に限って大物で、準備した水槽での撮影はサイズの関係で簡単ではない。何となく、そうなりそうな予感がしていたのだが・・・

 僕は、白バック写真は、基本的に生き物を持ち帰り、十分に設備が整ったスタジオが整ったで撮影することにしているので、現場での撮影にも思いがけないアクシデントが起きないか不安があった。
 そしてその不安は的中。いざ撮影しようと思っても、渓流の冷たい水を水槽に入れるとガラス面が結露をしてどうにもならないのだ。
 何か工夫をしようにも町から車で一時間くらいの場所なので、物がない。手持ちのもので出来ることと言えば、写真のレンズを拭く高性能な布でサッと水気を拭きとって、即座撮影することくらい。
 一方でデリケートな渓流魚の場合は、持ち帰るにしても生かして持って帰れる保証はないし、それを心配しながら車を運転するのも楽しくない。
 やっぱり現場で撮るしかないよな。



 ヤマメは何とか調達できたけど、イワナが釣れなかった。
 ヤマメとイワナでは、ヤマメの方が流れがあって針を送り込みにくい場所に居付くため格段に釣りが難しいのだが、本来イワナが分布しない九州の沢で釣りを覚えた僕はヤマメのポイントを釣る習慣がついてしまっていて、無意識のうちに、ヤマメを選択的に釣ってしまう。
 しかたがないからイワナの方は養魚場で買うか・・・と思っていたら、翌朝、弟が軽い気持ちでバンガローの目の前で軽い気持ちで投げた釣り針にイワナがかかった。


 前日は水槽の結露に悩まされたので、イワナの撮影にはキャンプ場の水道水を使用。
 水温が高いため魚が弱ってしまうから、撮影終了後はすぐにしめてはらわたを出して、クーラーボックスの中で保存をして食べてしまうことにした。
 ちなみに、イワナは前日のヤマメよりもさらに大物で、これまた撮影に苦心。
 僕は、スタジオで撮影した生き物は、原則として元の場所に放すようにして、殺さないことにしている。
 というのは、
「この魚、カッコいいよね、素敵だよね。」
 とカメラを向けた相手が直後に殺される運命にあるというのは、僕が制作にかかわっているような本では、読者に対する裏切りであるような気がするから。
 ただ、すべての物事には例外がある。

 ヤマメとイワナの白バック写真というノルマを果たしたところで、今回のメインイベントである沢の源流部に入ることにした。
 沢歩きの本に「単独行は避けるべし」と書かれている厳しい場所。
 最後はフラフラで、まるで遭難者のような足取りで車にたどり着いた。



● 2016.9.1〜9.7 労働



「そんな道具がなければ撮れない写真は撮らんでいいわ」、と数年前に処分した水槽用のクーラーを再度購入。それから、場所を取り過ぎるという理由で、去年だったか、やはり処分した90センチ水槽を再度購入。
 「これはもう絶対に使わん」と処分したその2つの道具を組み合わせて使用することになったのだから、僕の見通しのなんとあてにならないことか。
 飼育室の中を、ただ単に撮影用の生き物をストックして置く場所から、そのまま撮影もできるように整理し直した。
 撮影の場合は、照明器具を置いたり、三脚を立てたり、ある程度の空間が必要なので、置いてあったたくさんの物を外に運び出すことになった。
 ただ、運び出した物を即座におけるスペースなどあるはずもなく、代わりに何かを捨てて半ば強引に場所を作り出すのだが、毎日1〜2時間ずつくらい作業して、今日で10日目くらい。
 ようやく、それらの労働から解放されそうだ。
 同時にさまざまな撮影も進めなければならないので気が焦るのだが、その手の労働自体は、本来大好き。
 他の職業に作るのなら、大工さんになってみたいなと思う。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2016年9月分


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