撮影日記 2016年7月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2016.7.26〜31 自己主張の話

 僕の地元選出の衆議院議員は、麻生太郎さん。
 突っ込みどころ満載で、地元でも「あの人は品がない」と顔をしかめる人も少なくない。
 一方で、直接会ったことがある人の多くが、
「すごいオーラでカッコ良かった。」
 というので、多分そんな人なのだろうと思う。
 太郎という名前は、麻生家が最初から政治家にする予定で、覚えやすいようにつけられたと聞いたことがある。
 そこまでするんかぁと感じたものだが、都知事に立候補した増田さんが身内からも散々に名前を間違えられている様子を報道でみて、今更ながら、なるほどなぁと妙に納得。
 その都知事選と言えば、立候補者がいろいろに叩かれ、中には真実も多く含まれているのだろうし、スネに傷があるものだらけという感じだけど、堂々と名乗りを上げて立候補できるだけでもスゴイなと思う。
 写真は、自分の意見を主張したりメッセージを発信する仕事だが、名乗りを上げて自己主張をするというのは、なかなか難しい。

 さて、幼児向けの本の場合、編集者が文章や絵コンテを描くことが多い。
 だが編集者の多くは生き物愛好家ではないので、おのずと過去に出版されたものを見ながら本を作ることになる。
 つまり、いわゆるコピー&ペーストになってしまう。
 それはそれでありだと思う。そもそも、始終、新しいことばかりなんてやれるわけがない。
 だが、一つ注意をしなければならないのは、そこから何か新しい局面が開けるか?と言えばNOだということ。
 だから、何か新しいものを生み出したいというクリエイター的な衝動を持っている人は、違ったやり方をするべきだと思う。
 例えば、仮に編集者が絵コンテを描くにしても、現場を物を見ているカメラマンの話をよく聞いて欲しいと僕は求めてみたりする。
 実際にそうして本を作ってみると、予定調和ではなく撮影しながら先の見通しが不明なのだから、やはり大変な労力を要する。
 一言で言えば、とにかく、不安。
 自己主張をするということの、なんと大変なことか。
 が、得られるものも大きい。僕らの世界は、取ったリスクの分しか前に進むことができない。
 人間は弱い存在なので、一人でリスクを取るのは難しい。一緒にリスクを取って立ち向かってくれる人のなんとありがたいことか。
 そういう存在の人のことを、仲間というのかな?



● 2016.7.22〜25 お知らせ

 撮影した画像には適切な画像処理を施し、ファイルに必要な情報を埋め込んだ上で、分類をして整理する。
 今は仕事の現場でもJPG画像がスタンダードになったが、以前はTIFF画像が求められることもたびたびあったし、TIFFの方が画質がいいこともあり、僕は今でも画像はTIFFの状態で保存する。
 ただし、大量の画像の中から必要な画像を探す時にファイルサイズの大きなTIFFでは時間がかかるため、小さなJPG画像も作成しておく。

 TIFFからJPGの画像を作成するのは、ニコンの古い画像閲覧ソフト・ViewNX 2が便利だ。
 必要な画像を選択し、長辺のサイズや画質を指定するだけで、一括して短時間でTIFFからJPGの変換できる。
 より新しい閲覧ソフト・ViewNX-iでは、この機能が無くなってしまい、非常に残念。
 その結果、新旧2種類の画像閲覧ソフトを同時に使用することになる。
 ところが困ったことに、新しい方の画像閲覧ソフトViewNX-iをインストールするためには、古い方のViewNX 2をいったん削除しなければならない構造になっているので煩わしい。
 それから詳細は省くが、画像処理の手順によっては、新しいソフトで作成したJPGやTIFFの画像には、新しいソフトでしか受け入れられないニコンの独自の情報が埋め込んであり、それに対応していない古いニコンのソフトでは表示できないなどというトラブルも起きる。
 一方で、それらのニコン独自の情報を検知しない他社のソフトは、それらの画像を問題なく開くことができる。他社のソフトで開ける画像が、いくら古くなったものとはいえ、ニコンのソフトで開けないのは納得ができにくい。
 その場合は、いったんフォトショップで画像を開いて保存をし直すことで、古い方のソフトでも表示できるようになるが、ひと手間余計にかかる。
 こう書くと、ニコンのソフトがダメと聞こえるかもしれないが、そうではない。
 ニコンの画像閲覧ソフトは他社の物に比べると志が高く、それは十分評価に値するのだが、志が高いがゆえの不具合もある、ということ。
 トータルの性能では、ニコンはソフトも非常に良い。

 ともあれ、撮影した画像を整理するまでには、いくつかのソフトを駆使して結構な時間がかかる。
 したがって大切なのは、撮影した生のデータではなくて、整理されたすぐにでも使える状態になった画像であり、それらの画像が収められているハードディスクは、バックアップを作成するのは言うまでもなく、作業を終えたら雷対策で電源やUSBコードを抜くようにしているし厳密に管理する。
 今日は整理済みの画像を保存するハードディスクが満タンになったため、より大きなハードディスクに引っ越し中。
 満タンになった方の古いハードディスクは、仕事場の火災に備え、自宅に置いたり、知人に預かってもらう。


(お知らせ)
 僕も所属する日本自然科学写真協会のホームページの「撮影技術を知ろう」のコーナーで、中田一真さんの自動撮影に関する記事が公開されています。
 僕は、現場写真を撮るのをお手伝いしました。



● 2016.7.20〜21 ツイッター

 日記を更新する時間が取れにくい時は、短文投稿サイト・ツイッターへ記事を投稿するようにしていますので、そちらをご覧ください。
 ツイッターの画面の見方ですが、ツイッターの画面には2種類の記事が表示されます。
 1つは、僕自身が投稿した記事で、カエルのマークがついていて武田晋一と記されています。
 ツイッターの記事には書き込みができるため、誰かの反応が書かれている場合もあります。
 あとの1つは、他人のツイッターの記事で、僕が面白いなと感じたものを紹介したものです。そうして他人の記事を紹介することを「リツイート」と言って、「あなたがリツイート」と記されています。
 武田晋一のツイッターは、
 https://twitter.com/TakedaShinichi
 ここ最近では、トカゲ、ヤモリの卵、メダカに怯えるミジンコの写真などと短文を投稿しています。



● 2016.7.12〜19 批判

 ちょっと前に、ムツゴロウさんこと、作家の畑正憲さんに対する批判的な記事を読んだ。
 昔ムツゴロウさんが制作しヒットした映画を作る過程で、視聴者には見せられない残酷な行為が多数あったというもので、ムツゴロウさんと行動を共にしてきた弟さんの告発であると記されていた。
 2匹の動物が寄り添っているシーンで、実はその2匹が縫い合わされていたこと。崖から猫が飛び降りるシーンでは、網を構えておいた上で、猫を何度も何度も投げて、撮影したこと。
 あるいは猫の脳に電極を突き刺して、涙を流させることまで検討されたとのことだった。

 自分なら同じことをするか?と言われれば、答えはNO.
 だが、制作と名の付く行為には、程度の差こそあれそうした面が付きまとうし、そこまでやろうとする人もまた必要であり、「自分ならそんなことはしない。」といった類の批判はナンセンスだと言える。
 生き物の研究者なんかでも、その生物を調べるために、大抵の場合、研究材料になる生き物を大量に殺す。
 これは、仮に何か批判を受けてもそれでもやる根性があるか?という覚悟や、どこまでそれに命をかけているのか?という日頃からのその人の生き方の問題。
 因みに猫の脳に電極の話は、ムツゴロウさん自身が、それを検討したことを著作の中にしっかり書いておられる。



● 2016.7.8〜11 ガチンコ





尾園暁さんの著作・ぜんぶ わかる!トンボ

 難しいシーンの撮影にチャレンジしているなぁ、というのが第一印象。
 オニヤンマが喧嘩をしているとか、水浴びをしているところとか。
 昆虫写真といえば羽化、孵化、脱皮などが定番で、そうしたシーンの撮影は苦労が伴うし決して簡単ではないけど、ある程度カメラマンのコントロール下で撮影することができる。
 つまり、予定調和的な撮影であり、プロの業務的な撮影だとも言える。
 それはそれで必要だし、意義があると思う。けど、情報が過多な今の時代、多くの人が予定調和に辟易しているいう面もある。
 そしてそれが分かっていても、クリエイターはその枠組みから飛び出すことがなかなかできない。
 その点、オニヤンマの喧嘩とか水浴びなどは予定調和の写真ではなく、ガチンコであり、そんな撮影にチャレンジする姿勢に、ああこの人、本当に好きなんやなぁ、と心を打たれる。



● 2016.7.8〜11 生き物の撮影って難しい

 スタジオであるシーンの撮影。
 不可能じゃねぇ?というほど難しいわけではないけど、決して簡単というわけでもなく、片手間でチョロっと片づけようなんて横着を目論んで下手にこじらせると、長〜く長〜くなってしまう可能性もある。
 ポイントは、スタジオ撮影ではあるけど、飼育中のモデルを撮影するのではなく、新たに野外から目的の生き物を採集してきて、当日、あるいは翌日までにサッと撮影してしまうこと。
 ということは、状況によっては徹夜もあり得るし、研ぎ澄まされた状態で徹夜ができるだけの体力と気力を確保しておく必要がある。
 それから当然、撮影に適した個体もそうでない個体もいるわけだから、なるべくたくさんの個体の中から、これ!と言ったいいものを持ち帰ること。撮影するのは1匹でも、いいモデルが最低5匹、出来れば10匹欲しい。
 ということは、その生き物をたくさん見つけなければならないから、たくさん見つかる場所へ行かなければならないし、さらにいつでもいいというわけではなく、見つけやすい気象条件の日に出かける必要がある。
 つまり撮影の前後は、気象に合わせて動かなければならない。
 が、社会はなかなかそんなことを許してくれない。
 例えば、誰かと出かける約束を交わすとする。
 何月何日に出かけようよ、という約束ならできる。あるいは、何曜日に出かけようよ、という約束でもできる。
 だが、次の青空の日に出かけようよ、などという約束は難しい。
 それは僕のような暇なカメラマンであっても同じで、なかなか自由には動けないものなのだ。
 生き物の写真撮影って、難しいねぇ。



● 2016.7.6〜7 不自然な光



 子供の頃に、モツゴを捕まえた記憶はない。
 他の魚に紛れて気付かなかった可能性もゼロではないけど、気付かないわけないよなぁとも思える。
 自分としては、家から自転車で行ける範囲の小学生が安全に網を入れることが可能な浅い水辺には生息していなかったのではないか?と思うことにしている。
 なので、車を運転できるようになって初めてモツゴを手にした時には、大変に感激をしたものだった。
 一方で、写真撮影の対象としては、これと言った特徴があるわけではなく、非常に難しい。

 さて、生き物を夜間に懐中電灯で照らすと、昼間よりも見つけやすい傾向がある。
 生き物の保護色は自然界に存在する光の下で発揮されるようになっているため、自然界にはない光には対応できず、目立つのだ。
 その性質を写真撮影に応用する手がある。
 写真撮影の際の光の当て方の基本は自然の光をまねることだけど、被写体に存在感を持たせるために、自然な光に少しだけ不自然な光を混ぜることがある。
 被写体を背景から浮かび上がらせたい時に、僕はまず、被写体と背景との色を違え、色の差によって浮かび上がらせることを考える。
 それが上手くいかない場合は、被写体と背景との間に明暗差が生じるように構図を決めることで、明暗差によって浮かび上がらせようとする。
 それでもダメな場合に、少しだけ、自然界ではあり得ないような光の成分を照明器具で加えてみる。



● 2016.6.24〜7.5 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。
今月は、外来の生き物だと言われていますが、僕の子供の頃の憧れだった生き物を取り上げてみました。

(お知らせ)



平尾台自然観察センターにて、ネイチャーフォーの写真展を開催中です。
詳細は、https://www.facebook.com/Naturefour4/ へ


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2016年7月分


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