撮影日記 2016年1月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
・今現在の最新の情報は、トップページに表示されるツイッターをご覧ください。
 


● 2016.1.21〜27 専門家

 生き物の写真の世界には、それで生活をしているプロの人と、他に主たる収入源を持つアマチュアの人とが混在するが、昔、プロともアマとも接する立場にあったとある方が、その経験から、
「プロとアマチュアは、一緒に何かをしようとすると絶対に分かり合えない。価値観が違い過ぎる。」
 と話をしてくだだったことがあった。
 どんな話の流れから出てきた言葉だったのかを今となっては思い出すことができないが、当時は、その意味が、分かるような、分からないようなだった。
 だがそれから随分時間がたった今、なるほどなぁと感じる部分が増えてきた。確かに価値観や物の見方が違うのである。
 プロの人は、気分で動くのではなく、目的がより明確な傾向があり、アマチュアの人は、意気に感じて動こうとする傾向が強い。
 ともあれ、自分にプロの気持ちがよりわかるようになったとも言えるし、アマチュアの人の気持ちがその分分からなくなったとも言える。

 さて、プロや専門家がより正しいと思ったら、それは大間違い。
 専門家は、読んで字のごとく専門家なのであり、そのジャンルにおいては詳しいが、逆に言うとある限られた角度からだけ物を見ているのでもあり、とても偏った特殊な人だとも言える。
 だが人が社会の中で生きていく時に、何か1つの角度からだけ物を見ていれば十分というケースは滅多にない。
 同じ森を見ても、自然の専門家と経済の専門家とでは全く違ったものの見方をするだろうし、時には意見が180度逆になることだったあるに違いない。
 そして自然の専門家が、「あなたは自然について全然わかってない。もっと自然を勉強してから物を言うべき」と嘆くときには、恐らく経済の専門家の方は、「あんたは経済について全然わかってない。もっと経済について勉強してから物を言うべき。」と感じている可能性が高い。
 あるいは、自然の専門家と軍事の専門家などでは、さらにさらに違ったものの見方をしていることだろう。
 そしてお互いに、俺は専門家なのだからより正しいと。逆に、俺は専門家であり正しいと思えるのは、その人がある限定された狭い局面だけを見ている証でもある。
 自然写真業界でのキャリアを積むにつれて、望む望まないにかかわらず専門家になっていくが、出来ればそうはなりたくないものだなぁと今は思う。



● 2016.1.17〜20 何となくの写真、具体的な写真


Nikon1V3 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

Nikon1V3 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

 生き物の写真に関して言うと、本を最終的な発表の場にするのなら、『何となくの写真』には、ほとんど使い道がない。
 まずそこに写っているシーンが人に紹介するに値する具体的なシーンであり、その生き物が何をしているのかがはっきりとわかることが求められる。
 『何となくの写真』には『何となくの写真』の魅力があることは間違いない。
 だが本にはページ数の縛りがあって、使用する写真を泣きながら切り詰め絞り込んでいく作業があるため、内容的に不可欠ではない写真はそこで削り落とされることになる。
 写真を具体的にするためにはいくつか方法があるが、一番オーソドックスなのは、被写体をシンプルに大きく撮影すること。

 デジタル一眼レフ用のレンズにニコン1シリーズのカメラを取り付けると、一眼レフよりも被写体を大きく撮影することができる。
 600mmレンズに取り付ければ、一眼レフに換算すると、1600mm相当の超超望遠レンズになる。
 そして1600mm相当で撮影してみると、本を作る上でこれが非常に有効であることに驚かされる。
 では、より遠くの被写体を撮影できるようにもっと望遠になるカメラを作ればいいのか?と言えば、答えはNO。
 遠くのものは人の目にかすんで見えるが、被写体とカメラの間の空気の層が厚くなると、被写体がクリアーに見えなくなってくるので、当然、どんなカメラであっても写真の写りは悪くなる。
 いろいろと試してみたが、1600mm相当あたりが限界なのかなと感じる。
 そういう意味では、600mmというそこそこ普及している(800mmはさすがに特殊なレンズである感が強い)レンズで、その範囲をカバーできるニコン1(CXフォーマット)は大変によくできた規格だと思う。

 他にも、従来の一眼レフが機械だとするならば、ニコン1は電気製品であり、シャッターを切った際に機械が動くことに伴う振動が発生しないことも大きい。カメラの作動の際の振動がこんなに悪影響を与えていたのか・・・と今更ながら、驚かされる。
 ただ現状では、ニコン1にはまだまだ未完成な箇所があり、使いこなしが要求される。
 したがって今ニコン1を使いこなそうとすることは、一歩早い・・・、いや半歩くらい早いのかなと思うが、道具はそれくらいの時が一番楽しいような気がする。
 ともあれ、ニコン1シリーズの次の新製品〜次の次の新製品あたりは、大変に楽しみだ。多分、僕の撮影スタイルはガラリと変わってしまうだろう。



● 2016.1.16 物忘れ


Nikon1V2 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

Nikon1V2 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

Nikon1V2 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

 使用する予定のカメラをレンズに取り付けたところで、記録メディアが入ってないことに気付いた。
 ニコン1V3に採用されているのは、携帯電話やスマホによく使われているマイクロSDカード。
 小さくて触りにくいし、見失ったりその存在を忘れてしまったりする可能性が高いので、このカメラに関してはカメラからカードを取り出さないようにして、画像を取り込む際にはカメラとPCとをコードで接続するように警戒していた。
 ところが先日、PCのトラブルで、コードで接続しても撮影画像を認識できなくなった。
 そこで仕方なくカードを取り出してカードリーダーに挿してみたら、カードなら認識することができ、その場をしのぐことができた。
 その後、まさに警戒していた通りにカードはPCに刺しっぱなしになり、現場に到着したところでカメラの中にはなかった。
 しかたがないので、同じ規格の別のカメラを使うことにした。
 ニコン1V2は、1V3の1つ前の機種であり、多少画素数が少ないものの画質の面ではほとんど違いはない。
 ただ、ピントが合う速度や像の見やすさは新しい1V3の方が上なので、できれば1V3の方がいい。
 
 さて、今日は天気が理想的でたくさん撮影できたため、代役として活躍てくれたカメラのカードが、撮影の終盤に満タンになった。
 そこで新しいものに交換しようとした際に、カメラバッグの中に、今日使いたかった1V3に使用できるカードの予備も入っていることに気付いた。
 俺ってなんて用意がいいんだ!
 だが、用意をしていることを忘れていた上に、未だにいつそれを用意をしたのかを思い出すことができないのだから、全く話にならない。



● 2016.1.12〜15 PCのトラブル

 画像処理に使用しているPCを、先日ウインドウズ10にアップグレードした。
 同じ機体で前にも一度やったことがあったのだが、なぜか多くの設定が引き継がれず、それらをやり直す気にはなれなかったので、元のOSに戻した経緯があった。
 元のOSに戻してしばらくしたら、今度は動作が不安定になった。
 インターネットで検索しても一件も類似の例が引っかからないような、理解不能なソフト上のトラブルがここのところ立て続いた。ここ一月くらい、トラブルへの対処で割と自由になるはずの時間が潰れてしまうことが多かった。
 そこで、不安定なPCを立ち直らせることを目的に、先日OSを再度アップグレードした。

 以前アップグレードした時と同様に、やはり多くの設定が引き継がれなかったことの他にも、アップグレードに伴う小さなトラブルがたくさん起きた。
 トラブルの症状をそのまま文章にしてインターネットで1つずつ検索し、見つけた解決法の記事の中に次々とでてくる知らない言葉をさらに検索することを繰り返したら、何とかすべてのトラブルが解決できた。
 ネット上に投稿されているその手の解決法の記事ってありがたいなぁ。そして、人の活動の蓄積ってスゴイ。
 これだけインターネットの検索で調べられる時代になると、人に物をたずねる前に自分で検索をしようとしない人は、横着な人だということになってしまう。

 ともあれ、その晩無事にアップグレードできたPCが、今日またおかしくなった。
 今回は、非常にやっかいだった。
 というのは、トラブルの原因がハードなのかソフトなのかの判断ができなかったから。
 自分の手では無理だと判断し工房に持ち込んでみたのだが、それでも分からなかった。
 1つ怪しい部品があった。
 だが、どれだけ調べても、それを交換することで解決できる確証がどうしても得られなかった。
 そんなケースであらかじめちゃんと説明した上で部品を変えたにも関わらず、不具合が解消されなかった時に客に責められるケースがあるのだろうと思うが、店員さんの話はまるで政治家の答弁のようにキレが悪かった。
 結局、
「上手く行かなくても気にしなくていいですよ。」
 と明言し、ダメ元で部品を変えてみたら、解決できた。
 恐らくその部品は完全には壊れておらず、それが判断を難しくしていたのだと思う。
 さらにもしかしたら、ここ一月くらい立て続いた幾つかのソフトのトラブルは、その壊れかかった部品の不安定さから生じたものである可能性もある。



● 2016.1.11 変わること

 この日記をブログに変えようか、と何度か考えたことがある。
 理由はいくつかあるけど、中でもホームページの黎明期に採用されていた方式が今では古くなり、決定的な不都合ではないものの、少々扱いにくくなっている点が大きかった。
 ここ最近も、プログラムの専門家とのやり取りの中で同様に考えさせられるケースが立て続けに2件あった。
 一方で、今までそうしなかったのは、この日記の記事を過去〜現在まで連続した状態にしておきたかったから。
 僕は、人が変わることをとても重視する。
 だから昔自分が書いた記事を読んで、
「ああ、こんなひどいことを書いているなぁ。」
 とか、
「こんな恥ずかしいことを書いている。」
 などと感じられることを、自分が正しいかどうかよりも大切にしている。
 何かに一生懸命取り組んで勉強すれば、勉強した分だけ自分が変わるし、自分が変われば考え方や感じ方も変化するのが自然だと思うから。

 この感覚を理解してもらうのは意外に難しい。
 例えば、
「あなた、昔と言っていることが違うよね。」
 とどこかで誰かが言えば、それはしばしば、相手に対して一貫性がないとを批判しているのだと受け止められる。
 逆に、
「俺は昔からこれを一貫して主張してきた。」
 と言う人は、自分が変わらなかったことを誇りにしておられる場合が多い。
 もちろん誰でも変わらない部分もあるし、あっていいと思うけど、変わらないからと言って別に誇れるわけでもないように、僕は感じる。
 子供の頃から自分がエリートタイプではないことも、そう考える理由としてあるような気がする。
 学校ではいつも問題を起こして先生に怒られ、叩けばいくらでも埃がでるし、すねは傷だらけ。何をするにしても、最初からはきちんとできないし、簡単なことを理解するのに非常に時間がかかるのだ。

 それはともあれ、ブログ化、どうしたものかなぁ〜。
 僕の好みの考え方は、ホームページの日記をを更新したらそれをパソコンが自動的に読み取ってブログにも勝手に投稿してくれるシステムを確立すること。例えばツイッターに記事を投稿したら、同じものがフェイスブックにも表示されるような。
 恐らく不可能ではないと思うのだが、知識や技術がない僕には無理であることは間違いない。
 手作業で、ホームページとブログを両方更新するようなやり方もあるが、そんな単純作業に人手を使うような発想は、好きではない。



● 2016.1.10 ヒドラ

 ヒドラを何種類か見てみたくて、魚部の井上代表に
 「魚の飼育水槽の中にヒドラが紛れ込んでしませんか?」
と問い合わせをしたら、魚部の水槽の中には見当たらなかったけど、可能性のある部員の方に問い合わせてくださった。
 ヒドラは過去に何度か、家の水槽にも紛れ込んでいたことがある。野外から岩や落ち葉などを持ち帰った際にそれに付着しているのだと思われる。
 そして、
「うちの水槽にそれっぽいものが・・・」
 と北九州市水環境館にお勤めの川原二郎さんが、名乗り出てくださった。
 川原二郎さんの名前は聞いたことがあった。物静かだが、生き物のことにあると熱い男という評判であったので、どっちみち会ってみたくて水環境館に行ってみたら
「ほら、ここに・・・」
 と水槽の一部を指さしてくださるのだが、肉眼ではどうしても確認できなかった。
 老眼だ。
 僕は近視なのでコンタクトレンズで視力を補正しているのだが、コンタクトを装着すると老眼が気になる。コンタクトの度を弱めれば、まだまだ近くも見えるが、写真撮影のピント合わせの際に像が特によく見えるように補正をすると、その代償として文庫本くらいの字は非常に読みにくくなる。
 ともああれ、その場では確信が持てないまま、結局岩ごと持ってかえってスタジオで撮影してみた。
 どうもこれはヒドラと同じクラゲの仲間ではあるが、ヒドラではなさそうだ。
 ヒドラは割とよく移動をするのだが、こやつはまったく位置を変えない。
 一見植物のようにも見えるが、微生物を与えると触手で絡みとって食べてしまう。



 こちらは正真正銘のヒドラ。
 場所を変えたり、伸びたり縮んだり、紛れもない動物という感じがする。



 ちょっとしたきっかけがあって小さなものに興味が湧きつつあるのだが、目がなぁ・・・。見えなくなってしまうと、今や見える人の方が信じがたい。
 その結果、以前はどちらかという敬遠していたルーペや実体顕微鏡をつかわざるを得ず、いつの間にか大好きになった。
 ルーペでしか見えないおもろい世界があることに、肉眼が見にくくなったからこそ、気付けた面もあった。 



● 2016.1.8〜9 更新のお知らせ

2015年12月分の今月の水辺を更新しました。



● 2016.1.3〜7 フィールドとスタジオ

 生き物のことを知りたくて自然条件下でどれだけ観察しても限界があるし、あるところから先を深めるのは難しい。
 そこで、自然科学の世界では、実験という手法がつかわれる。
 実験ではしばしば、自然条件下ではあり得ない状況を人工的に与え、それに対して生き物がどのような反応をするのかを見ることで何かを調べようとする。
 例えば家の中に侵入したアカイエカのメスは夜になると寝ている人の血を吸おうとするが、いったいなぜ夜に血を吸うの?とどれだけ自然条件下で観察しても分からないだろう。
 そこで、実験で昼夜が存在しない環境下にアカイエカをおいてみたり、アカイエカに手術を施してみたりもする。

 写真も同じで、自然条件下でどれだけ写真を撮っても理解できないことや気付きにくいことがたくさんある。
 その点、スタジオで写真を撮ってみると、非常に勉強になる。
 スタジオでは、光を照明器具によって作り出す。そして自分で光を作ってみると、ある物体がなぜそのように写るのか、光の仕組みが非常によくわかる。
 正直に言えば、スタジオは僕にとってどうしてもやりたいことではなく、仕事の手法という側面が大きいし、純粋に自分の好みを主張することが可能なら、その時間を野外での撮影に回した気持ちがある。
 だがそれは、写真を仕事として考えた時に現実的ではないので、僕の場合は、いかにして被写体の色を出すかとか、シャープに写すかとか、スタジオで身に付けたことを野外での撮影に徹底して活かすことを考える。


Nikon1V3 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) NX-D

 一方でスタジオを経験することには、リスクもある。
 スタジオでは光を自分で作ることができる分、光を作り出せない状況が逆に苦手となる人が少なくない。それはちょうど、便利な道具に慣れた人が、しばしば道具がない状況下では何もできなくなるのに近い。
 あるいは、スタジオでの手堅い撮影になれると、野外での非効率的な撮影に耐えられなくなりがちだ。数ヶ月、いや時には数年をかけて一枚の写真を撮るなどというバカげたことができなくなりがちだし、そうならないように注意する必要がある。



● 2016.1.1〜2 日本のカモ 識別図鑑



「アゲハが飛んでいるのを見かけたら、万札が飛んでいるんだと思え。」
 というのは、ある世界的な写真家が言ったとされる言葉であり、初めてそれを聞いた時には、商魂たくましいなと驚かされたものだが、写真の世界は積極的でなんぼの世界。誰かに言われてようやくそれが被写体があることに気付くのではなく、自分からドンドンカメラを向けよという意味なんやろうなぁと最近思うようになってきた。
 そういう意味では、草むらや藪の周辺にも万札はたくさん落ちている。
 ただしその万札は、光や気象条件によっては、ただの紙屑かそれ以下の存在になる。写真の基本は光であり、今年はその光にガツガツして、いい光に食らいついてやろうと思う。
 元旦は、実に気持ちがいい青空が出て、草むらは万札だらけ?お日様からのお年玉だと思うことにしようか。



 初めてKindle版の図鑑を購入した。
 紙の本が4746円、デジタルのKindle版が3780円。
 紙なのか?デジタルなのかは言うまでもなく一長一短だが、デジタルの方が安価であることや取材先に何冊でも持ち歩きができることや仕事場でも場所を取らないことなどから、デジタルを選んでみた。
 内容は、まさに知識の塊であり、文句なしに面白い。
 特に雑種のページが面白い。カモは雑種ができやすいのだが、その雑種の例がいろいろと取り上げられている。
 ところで、ある雑種とみられるカモが、何と何の雑種であるかをどうやって確かめたのだろう?と興味を感じたのだが、図鑑の記載によると、欧米ではカモの飼育が盛んであり、飼育下である程度確認されているようだ。
 多くの生き物では雑種は繁殖力を持たないのだが、カモの場合は繁殖力を持つケースもあり、何鴨と何鴨の雑種がそれに該当するかなども記されている。
 ふと思い出したのは、淡水魚の専門家・中島淳さんのお話だった。
 中島さんによると、今日本に分布するドジョウの中には、雑種起源の種が存在するのだそうだ。
 人も、現代人の遺伝子の中には別の種類の人類であるネアンデルタール人の遺伝子が含まれていて、過去に交雑したことがあるのではというような記事を読んだことがある。
 ドジョウを調べることで、もしかしてそうしたことも分かるの?と中島さんの話に勝手にワクワクさせられたものだが、カモも面白い研究材料なんやろうなぁ。
 カモの場合は、雄と雌とでは色がまったく異なることや、雄は多くの種で非常に特徴的な色をしていることなどで雑種がビジュアル的に面白い。
 この図鑑は、鳥の同定にある程度以上のこだわりを持つ人なら、買ってまず損はないような気がする。

 僕が購入したKindle版は、パソコンでもタブレットでも見ることができる。いずれも専用のアプリ(無料)をダウンロードする。スマホでは、画面がちょっと小さすぎる鴨。
 専用アプリは、上記の本のリンクの中からもダウンロードすることができ、アマゾンのアカウントと同じ情報を入力すれば、購入した本が自動的に表示され、本を閲覧しようとするとPCにダウンロードされる。
 図鑑本体の購入は、『Kindle版』のボタンをクリックした上で、他のアマゾンの商品と同じように購入できる。
 専用アプリは何台のPCでもインストールでき、複数のPCで同じ図鑑を見ることができる。
 無料で本のお試し版もダウンロードできるので、試してみてはいかが。


   
先月の日記へ≫

自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2016年1月分


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TopPageへ