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● 2015.9.25〜28 スハダナメクジ


Nikon1 V3 1 NIKKOR 18.5mm f/1.8 Capture NX-D

 兵庫県ではスハダナメクジ、岡山県ではクロツノナメクジとされているナメクジは、中国地方の山間部で、葉っぱの上に乗っかっているところをたまに見かける。
 名前が2つもあるのは、ナメクジがあまりよく調べられてないからだろう。
 僕も、元々はナメクジにはほとんど興味がなかったのだが、いろいろなタイプのカタツムリの写真を撮っているうちに、次第に興味が湧いてきた。
 カタツムリの専門家の中にはナメクジのことを「この貝は・・・」などと呼ぶ方もおられ、ナメクジはカタツムリの仲間の殻が退化した存在。そしてカタツムリの中には、ナメクジとカタツムリをつなぐ中間形のような形態のものも存在し、それらをズラリと並べてみるとワンセットで陸産貝類の進化が非常に面白いし、その場合にナメクジの存在は欠かせない。

(撮影テクニックの話)
 撮影に使用したカメラとレンズは、ニコンのミラーレスカメラ・ニコン1V3に1NIKKOR 18.5mm f/1.8。
 ニコン1シリーズは、画像を大きく伸ばすと低感度でも多少ノイズが気になるが、小さく使用する分には全く問題がないし、むしろ大きな一眼レフよりも扱いやすい。
 したがって、図鑑的な写真を撮るのには非常に適する。
 どのカメラが適するかは、画像を使用する際のサイズによっても違ってくる。
 レンズの明るさを生かすために、1NIKKOR 18.5mm f/1.8は、やたらめったに絞らないようにして、絞りを開放付近で使う。
 ライトは、マンフロットのLUMIE LEDライト PLAYとカメラに加えてカメラの内蔵ストロボを、一枚の乳白のアクリル板越しに同時に光らせた。
 マンフロットのLUMIE LEDライト PLAYシリーズのいいところは、軽量コンパクトであることと、LEDライトでありながら演色性が考慮された球が使用されており、色がいい点。高演色のLEDライトが手ごろな価格で登場するのは、近年僕が最も待ち望んでいたことの1つだ。
「デジタルカメラはホワイトバランスを整えられるので、蛍光灯やLEDライトでもちゃんとした色が出る。」
 と言った旨の記述をネット上でたまに見かけるが、これが大間違い。そんなことは、実際に自分で試してみればすぐにわかること。
 白い紙をオートホワイトバランスで撮影しても照明によって全く色が異なる。
 ホワイトバランスは、単に赤系と青系のバランスを整えているに過ぎず、多くの蛍光灯やLEDライトではなかなか色は出ない。
 もしも蛍光灯やLEDライトを使用するのなら、演色性が考慮されたものを使いたい。まだちょっと高いけど・・・



● 2015.9.19〜24 写真は撮ってみるまでわからない

 インターネット上ではそこそこ名の知れたある方が、ブログで、ニコンのミレーレスカメラ・ニコン1を、なかなか辛辣にこき下しておられた。
 記事を読むと、ごくごくオーソドックスなカメラの使い方をイメージしておられるようだが、ニコン1というカメラをまったく分かっていない。
 ニコン1のスゴイところは、一瞬の出来事や動体の撮影など、これまで初心者には撮影できるはずもなかったシーンが実に簡単に写ることであり、そんな平凡な使い方をするカメラではないのだ。
 怪しからんな、と思う。
 ブログの主が怪しからんのではなく、愛を込めて、ニコンというメーカーが怪しからん。
 このスゴイ特徴を、なぜ、全面に押し出してアピールしないのだろう?
 人気ブログを書いているほどの見識の持ち主でさえ、ニコン1がいかなるカメラなのかを全く理解できていないのだから、アピール下手にもほどがある。



 ピンポン玉が水中から浮き上がる様子を、画像処理ソフトを使用して1枚の画面に合成した写真。
 こいつは難しいぞ!と思ったら、水槽やカメラのセットにかかる時間も含めて、ニコン1を使うとわずか30分。
 多くのカメラは、シャッターを押した直後の出来事を記録するが、ニコン1には、シャッターを押した前の出来事が写るベストモーメントキャプチャーという機能があり、ピンポン玉が水面から飛び出してからシャッターを押せば、過去のシーンが秒間40枚という超高速連写で最大で2秒間写るのだから、実に簡単。
 この手の撮影は、従来のカメラなら非常に特殊なセッティングを要する上にシャッターを押すタイミングがとにかく難しくて、3時間、4時間、下手をしたら半日を費やすのが当たり前だった。
 スゴイぞ!ニコン1。



● 2015.9.16〜18 続・おもしろい、ということ



 先日、
「たまたま用事があって北九州に来ていて、自由な時間が取れたから。」
 と、注目の若手ナチュラリストが連絡をくださった。
 非常に傲慢な言い方になってしまうけど、生き物や写真のことに関して言えば、ある人がどれくらいそれを好きで、今どれくらいの力を持っていて、さらにどの程度の伸びしろがあるのかは、ほんの5〜10分も話をすればだいたいわかる。
 僕に人を見抜く特殊な能力が備わっているとかではなく、「類は友を呼ぶ」という言葉があるけど、それが何かを好きであるということであり、この世界で生活ができている人なら誰でもそうだろうと思う。
 したがってたまに自分をより大きく見せようとする方がおられるが、わかったふりをしたり背伸びをするのは全くの無駄か、むしろ無知や自信のなさをさらけ出す機会を増やし、墓穴を掘るだけだと言える。
 何かに夢中になり本当に一生懸命取り組んでいる人の話は、とにかく面白い。
 ここで言う面白いとは、前回の日記にも書いたが、ギャグが切れ切れで笑えるという意味や話術がスゴイのではなく、そんなことを抜きにしてまた話を聞きたくなる、ということ。
 ではなぜ話を聞きたくなるのか?と言えば、その人からしか聞けない内容があるから。
 その人からしか聞けない話は、独自の経験や並外れた情熱から滲み出る。
 SNSなどのやり取りを見ていても、いい写真を撮る人が書くことは、しばしば気が利いていて面白い。
 これは、口べたとか饒舌とか引きこもりと目立ちたがり屋などといったその人のタイプとはあまり関係がない。

 何か質問をされるにしても、面白い人は面白い質問をする。
 僕は元々野鳥専門のカメラマンを目指していたのだが、プロの写真家を目指す際に、なぜ、昆虫のカメラマンである海野さんに手紙を書いて会いに行ったのか?と聞かれた。
 おおざっぱに言えば、海野先生の世界が面白かったからだと思う。
 アマチュアの場合はまた違うのかもしれないが、プロの自然写真の世界で被写体が鳥なのか虫なのかは案外些細なことであり、鳥や虫の狭い局面の話よりも、その人が面白いかどうか=オリジナリティが重要だと僕は考える。



● 2015.9.13〜15 おもしろい、ということ





 ももさんのツイッター https://twitter.com/momodog22 は、とても面白い。
 ここで言う面白いとは、笑えるという意味ではなくて、また見たくなるということ。
 つぶやきの中身は主に、カエルやその他の生き物に関することと犬のこと。
 そのうちの犬に関する部分が本になり、つい先日「ももとじん」が届いた。
 ももさんのつぶやきを僕のツイッターの中でたまに紹介すると、僕の友達も、ももさんのファンになる。なるほど!僕の好みに合うとかそんなレベルの話ではなく、やっぱり面白いのである。
 これは「多分・・・」の話なんだけど、写真で一番大切なことも、「面白い」なんじゃないかな?と思う。
 その写真にどんな意義があるか?を重視する方もおられ、それも理解できるけど、物事の意義のすべてが言語化できるわけではなく、一番大切なものは?と言えば、何度も見たくなるかどうかの「面白い」であるような気がする。

 熱烈なファンを何人も抱えているももさんのことなので、本に関する僕の安っぽい解説はなしにしておこうと思うが、人との長い歴史の中で生まれた犬という存在を、擬人化することで愛するのでも、人以外のもろもろの動物たちとしてみるのでもなく、「犬は犬である」ということが表されているように感じる。



● 2015.9.12 自然

 多分、多くの人にとって自然を守るというのは、今の状態(あるいは、今そこにあるべき状態)を維持することなんだろうなぁと思う。そこに湿地があるのなら湿地があり続け、何か生き物がいるのなら、その生き物が同じように居続けるように。
 あるいは自然という言葉に対して、「変わらないもの」というイメージを持つ人も多いだろう。
 だが自然は元々変化するものであり、湿地は乾いていくし、山は浸食されて低くなっていく。或いは大雨や大地震の際にはその逆も起きる。
 日本の自然写真家の中では、宮崎学さんが昔からそれを主張しておられる。多くの写真家が、変わらない自然、永遠の自然を表そうとするのに対して宮崎さんは、自然は変わるものと主張し、その変わりゆく自然の最前線を表そうとしてこられた。

 さて、自然に変化が起きると・・・例えば大雨を境に自分の土地がある日突然湿地になってしまったら、土地の持ち主は生活ができなくなる。
 したがって、人の立場から物を見れば、自然は変わらないであってほしい存在だと言える。
 そこで、例えば治水をして、なるべく昨日と同じ状態が明日も維持されるようにする。
 その結果、今ある湿地が乾いて減っていくことはあっても、それを相当する新たな湿地ができる可能性は低い。
 ふと思い出されるのは、司馬遼太郎さんんが、「土地は共有にすべき」といった主張をしておられたことだ。
 すべての土地が国からの借りものであって、個人が土地を所有することが許されず土地に執着することがなければ、自然の方に合わせて人が移動することが可能になるのだから、なるほどなぁと思う。
 土地に執着をする日本では不可能なのだろうけど、確かどこかヨーロッパの国で、地球の温暖化に備えてワイン用のブドウ園を北に移動させているという話を聞いたことがある。
 もっとも、司馬さんの土地共有論は、それとは違った動機のものだと思うが。ずいぶん以前に読んだ本であり、中身はすっかり忘れてしまった。

 人がテクノロジーを手にした結果、自然が移り変わる速度が、本来よりも格段に速くなることはあり得る。湿地はいずれ乾くにしても、その乾く速度が本来よりも速まったり、地球が暖かくなったり寒くなるのは昔から繰り返されてきたことであるにしても、過去にないようなスピードで暖かくなったり。
 その結果人の暮らしにしっぺ返しが来ているという考え方もある。
 がその場合、そのしっぺ返しに対応する速度もテクノロジーによって速くなっているのだから、人の暮らしという観点だけから見れば、テクノロジーが悪い結果をもたらしているかどうかの評価は非常に難しい。
 一方で僕が普段撮影しているような、人の暮らしの良し悪しとはあまり結びつかない野生生物は、しばしば、その急激な変化についていけなくなる。



● 2015.9.8〜11 思いがけない台風

 変温動物の卵が孵化をするまでに要する日数は、温度の影響を受ける。
 温度が高いほど早く孵化をするが、ここのところ雨の日が多く気温が低いため、撮影中のメダカの卵がなかなか孵化せず、すでに当初の予定の倍以上の日数を要している。
 その間、留守ができなくなるのが困る。
 一日だけ、会議に参加をするために上京しなければならずホテルに泊まったが、北九州からの出発を遅めの時間にしてその日の撮影を終えた上で、翌日は大急ぎで帰宅して、さらに続きを撮影。
 25度くらいに温度管理をするべきだったかなぁ。
 
 そのたった1日の上京の当日、ニュースを見てビックリ。
 2〜3日前には何の警報もなかったのに、なんと台風が接近中だという。
 もしも帰宅ができなくなれば、すでに2週間以上に日数を費やしたメダカの卵の撮影が台無しになる。結局無事北九州に帰り着くことができたのだが、滅多に会えない人たちと会える機会だというのに、気が気ではなかった。
 人にお願いする手もあって、幾分の備えはしてあったが、お願いするとなると、前日には連絡を取りややこしい指示を聞いてもらわなければならないし、そもそも微小な被写体の撮影は難しいのでお願いできにくい。


● 2015.9.5〜7 更新のお知らせ

 8月分の今月の水辺を更新しました。


● 2015.9.1〜4 メダカとヒメダカ

 ヒメダカの写真を撮影するのは、いったい何年ぶりだろう?
 過去に撮影した時には、いずれも軽くカメラを向ける程度。したがっていよいよ本格的に撮影するのは、実は今回が初めてのこと。
 ヒメダカの写真には、あるジャンルでそこそこの需要があり、
「ヒメダカの写真撮ってくれない」
 と過去に何度も依頼をされたことがあった。
 だがいつも、
「了解です。」
 と答えつつも、最低限約束を果たす程度の取り組みだった。
 ヒメダカを撮影しようとすると、人の手で品種改良されたヒメダカよりも、どうせなら野生のメダカを撮影したいよなぁ〜という気持ちがこみ上げてきて、求められたものを求められた通りに撮影しなければならない仕事の辛さが一層際立つので、そこから逃げていたのだ。

 もちろん、辛抱して撮影することはできる。
 だが、そんな気持ちで撮影した写真は、見る人が見れば一目でわかってしまうし、そんなその場しのぎをやっていると、長い目で見れば結局損をする。
 そこで、ヒメダカの撮影の中に、何か自分が尋常ではなく夢中になれるものを探す必要がある。
 撮影の技術を磨くというのは、夢中になれる何かになり得る。
 例えばヒメダカの卵のような小さな被写体をシャープに撮影するやり方を極めよう!、などとテーマを設定し試行錯誤をすると、疲れるけれど、充実する。
 本来の目的は、「ヒメダカの撮影」であるが、それを、「小さな被写体をシャープに撮影するやり方を確立する」という別の目的にすり替えてしまうのだから一種のごまかしになるが、卵をシャープに撮影しようという試行錯誤が、結果的に質のいいヒメダカの卵の写真を撮らせてくれる。
 新しい機材を試すというのも、ヒメダカの撮影に夢中になる手段としてあり得る。新しいカメラやレンズに夢中になって狂ったように撮影した結果、結果的にいい写真が撮れていた、というのはよくあることだ。
 そういう意味で、いい道具はカメラマンを夢中にさせる。
 あるいはまったく逆に、こんな安い道具で、これだけの写真が撮れるというのもある。
 ともあれ、どんな動機でもいいから、自分の中から尋常ではないパワーを引き出さなければ始まらない。


   
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