撮影日記 2014年11月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2014.11.29〜30 世の喧騒

 出版社は土日はお休みなので、例年上京の際には週末が含まれないようにする。
 ところが今年はわけあって、12月の金曜から、約一週間の連泊を予約をしようとしたら、航空券とセットの手ごろなホテルは見事なくらいに満室。
 金、土が、特に込み合うのだそうだ。
 あんなにたくさんホテルがあるのに?そんな訳ないやろう!と、最初は失礼なことに旅行会社の担当の人の能力を疑ってしまったのだが、どうもそれが現実らしい。



 さて、遠方の親戚のうちに遊びに行くのに、昨日、犬可のホテルに泊った。
 こちらは、山の中の辺鄙なところにあるホテルなので、余裕で予約が取れるだろうと思っていたら、意外にも週末は際どかった。
 週末になるとあちこちに人が殺到し人で溢れ、何をするにしても落ち着いて楽しむことができないのに、平日には閑古鳥がないてどこも案外経営が厳しいというのは、楽しくないなと思う。

 情けない話だが、 僕は、そんな状況から逃げ出したくて、カメラマンの仕事を選んだ感がある。
 自由業なら、人が殺到して渋滞する週末にどこかに出かけることを避け、人がいない平日に、ゆっくり自分のペースで出かけることができる。
 そんな暮らしにドップリト浸かり、ますます人ごみへの免疫がなくなったところで、たまに今回のように世の現実を思い知らされると、実は結構ショックを感じる。
 ますます、隠遁生活がひどく、引きこもってしまいそうだ。

お知らせ
迷いもあるのですが、今年から、年賀状を順次やめることにしました。




● 2014.11.28 何を取り、何を捨てるのか


クマドリヤマタカマイマイ 鹿児島県奄美大島差

 カタツムリは、ある程度以上大きくならなければ、種類が分からないことが多い。
 今年の6月上旬に奄美大島で採集した小さくて同定ができなかったカタツムリは、ついに成貝になり、クマドリヤマタカマイマイであることが分かった。

 奄美大島に分布するカタツムリの中で、クマドリヤマタカマイマイとアマミヤマタカマイマイは、現在制作中のカタツムリ図鑑のリストには含まれてなかったのだが、出来れば掲載したいと思っていた種類だった。
 そのうちアマミの方は、大人の貝を見つることができた。
 が、それに時間がかかってしまい、クマドリの方は時間切れになった。
 その後、アマミは、数が少なくて比較的探しにくい種類だと聞かされた。
 となると、数が少ないアマミが掲載され、より普通に見られるクマドリが掲載されないのはバランスを欠くので困るなと思っていた。
 やがて、飼育中の幼貝がクマドリのようだと判明したのだが、ある程度の大きさになるには時間がかかるだろうから、図鑑には間に合わないだろうと諦めていた。
 ところが、クマドリは非常に成長が早いことが分かった。恐らく奄美では、5月上旬にくらいに稚貝が生まれ、その年の晩秋には成貝になるのだろうと思う。

 さて、本はページ数に制限があり、カタツムリ図鑑を作る過程で何を取り上げ何を捨てるかの決断は、非常に悩ましい。
 泣けてくるほど悩ましい。
 

お知らせ
迷いもあるのですが、今年から、年賀状を順次やめることにしました。




● 2014.11.27 愛しさとせつなさと


ヒラベッコウ 7/3 静岡県にて

 カタツムリ図鑑の制作に関して昨日触れた西浩孝さん作成のリストは、実に出来がいい。
 それに則ってカタツムリを1種類ずつ順に探していけば、カタツムリに関する基礎が、誰にでもしっかりと身に付くだろう。
 現代の日本には悲しいかな学歴社会という面があるが、もしもカタツムリに関することが国家の重大事項であるカタツムリ歴社会であったなら、あのリストは出世の近道としてもてはやされ、今でいう受験の赤本的な存在として祭り上げられ、西さんは著者として高額なお金を手にしたに違いない。
 
 リストに掲載されたカタツムリを探す過程で、リストにはない種類も随分見ることができたが、それらにどう接するべきかは、実に悩ましかった。
 リストは図鑑制作の際のノルマであり、まずはそのノルマを果たすのが最優先であることは言うまでもなく、その他に時間をかけるだけのゆとりはあまりなかった。
 しかし、それがリストにない種類であればあるほど興味をひかれた。時には、狙って探そうとしても見つけにくいとされる珍品が出てくるものだから、僕の心はしばしば千々に乱れた。
 名前が分からないまま採集しておいたものを、専門家に見てもらったこともあった。
「これ何ですか?」
「どれどれ・・・、あっ、これはヒラベッコウ。なかなか見つけられんよ。」
 などと教わる経験を一度してしまえば、悩みはますます深くなる一方なのだ。
 ノルマであれ、それ以外であれ、どちらにせよ好きなことをやっているのだから、贅沢な悩みであることは重々承知しているつもりだが、好きなものと好きな物との間で選択を迫られるのがこれほどに苦しくせつないこととは、この年になるまで分からなかった。
 好きな人二人から同時に求婚され、決断を迫られた人の苦しみを、僕は初めて理解したのだった。

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迷いもあるのですが、今年から、年賀状を順次やめることにしました。




● 2014.11.25〜26 なぜか最後にケチがつく

 カタツムリ図鑑は、文章を担当される西浩孝さんが作成したリストに則って、採集〜撮影を進めてきた。
 目録には、過去に西さんがそのカタツムリを見つけたことがある場所も記載されている。
 場所は必ずしも細かく書いてあるわけではなかった。
 中には○○山というようなおおまかな記載もあり、その山になかなかたどり着けないなどというケースもあったが、逆に、
「ああ、西さんがカタツムリを見たのはまさにこの木じゃないか」とか、「この石垣じゃないか」とか、「この広場じゃないか」など、西さんと僕がカタツムリを探した結果、全くの同一地点に立っているとしか思えない瞬間もあった。

 リストに掲載するカタツムリは、約100種類を目途にした。
 カタツムリは基本的に隠れている生き物なので、探せと言われて探すのが難しい種類もあって、当初それが全部自分に見つけられるとは思わなかった。
 しかし意外にも結果はついてきた。誤同定で、見つけたつもりが帰宅後に別物であることが判明したケースを除き、狙った獲物は逃さなかった。
 しかも運がいいことに誤同定で見つけられなかった種類は、いずれも西さんがお住まいの愛知県から探しに行ける範囲か、僕が自分で出直しできる範囲に分布する種類だった。
 そしてついに最後の一種類が残った。
 決して難しくないと思った。難しくないと思ったからこそ、後回しにしてあった。
 僕が訪れたタイミングで雨がふり、カタツムリを探すには悪くない条件にもなった。
 ところが、その最後の一種類は、ついに見つけ出すことができなかった。
 種子島のタネガシママイマイだった。
 よく調べてみると、タネガシママイマイは宇治群島などでは珍しくないが、種子島ではあまり記録がないことが分かった。
 最初から知らべて行けよ!と感じる方もおられるだろうが、カタツムリの場合、普遍種でさえ、現代の充実したインターネット網にもほとんど情報がない種類も多々あり、事前に情報を持つことが難しいのだ。
 ともあれ、最後の最後で、ケチがついた。

 狙ったカタツムリが見つけられないのとあと1つ、僕が恐れたのが、撮影した画像が、後に図鑑を作る作業に入った段階で見つからないケース、つまり画像の紛失や、うっかりで撮影を忘れているケースだった。
 長時間1つの作業を続けるのは得意ではないので、図鑑用の画像を選ぶ作業は、一日5種類くらいと決めて毎日少しずつ作業をしたが、その間連日、僕はそれに怯えた。
 しかし、そのようなアクシデントが起きることなく、昨日、画像選びの最後の日を昨日迎えた。
 ところがなんと最後の日に、一種類だけ、画像が見つからない種類があった。
 沖縄のヤンバルマイマイだった。
 これまた運がいいことに、ヤンバルマイマイに限って、過去に撮影した画像があり、かろうじてしのぐことができた。



● 2014.11.23〜24 現役

 以前は、お年寄りが新しいものについていけなくなることが、どこか納得できなかった。新しいものを「難しい難しい」と言うけど、最初から毛嫌をいして勉強しないだけじゃないか?と心のどこかで感じた。
 しかしここ1〜2年、なるほどな、と感じるようになった。まだ少しだが、自分の中にもその兆しがあるのだ。
 
 猛烈なスピードで新しいものに移り変わっていく社会に疑問を感じる一方で、現役でいようと思うのなら、悲しいかな、それについていかざるを得ない。
 今ついていくことを拒絶しても、しばらくはしのげるだろうが、気付くと手の打ちようがなくなりかねない。
 例えば、デジタルカメラが登場した時に、
「デジタルの描写はフィルムのコクには敵わない。デジタルが完全にフィルムを超えるまで、俺はフィルムだ。」
 と言い張っても5年か10年程度はしのげただろうが、気付けば、業界は完全にデジタルを前提に構築され直していて、やがて取り残されただろう。
 或いはパソコンが普及を始めた時に、
「俺はパソコンなんていらねぇ。」
 と言い張っても当面は何とかなっただろうけど、その後、デジタルカメラが登場した時に二進も三進もいかなくなってしまったに違いない。
 カメラに限らず、社会が、そうした新しいテクノロジーを前提に構築されていく。
「俺はこんなものいらねぇ」とか、「古い物の方が良かった」と思ったとしても、新しい物を試してみたりそれに触れる機会を失えば、その瞬間に現役が終わる日が決まってしまう。

 さて、ノートパソコンを買い増したことは昨日書いたが、OSを何にするか、少々迷った。
 マックはお金がかかるので随分前にやめてしまったので、ウインドウズ7にすべきか、8にすべきか。
 7なら使い慣れている。が、一つ前のOSであり選択できる機種の限られてくるのと、今なら割高になる傾向がある。
 しかし8は、かなり操作性が異なるという巷の噂。
 結局8を選んだ。次々と新しいものに更新される類の物事の場合、新しい物を避けようとするのは終わりの始まりなんだろうと。
 結論から言うと、8で良かったと思う。

 8の注意点は以下の通り。


新しいスタイルの画面の例

古いスタイルの画面の例

 8の場合、新しいスタイルと古いスタイルの、2種類の画面を選択できる。
 古いスタイルを選択すれば、ほぼ従来のパソコンと同じ使い方になるので、まずは、古いスタイルの画面を呼び出す方法を覚えることをお勧めしたい。
 その方法だが、若い人ならネットで検索すればいいし、年配の人は一冊本を買った方がいいだろう。検索する場合は、新しいスタイルの画面は「スタート画面」という呼称で、古いスタイルが「デスクトップ」という呼称になる。
 そして、まずは従来通りのやり方で、使えるようにすること。

 そして、ちょっと時間がある時などに新しい画面を試してみたらいいだろう。
 いきなり新しい画面の方を試すと、あまりに操作性が違い過ぎて絶望し、すぐにでも7のパソコンに買い替えたくなる人が大半ではなかろうか。
 例えば新しい画面でソフトを1つ起動させる。
 するとそのソフトを使うところまではできるが、ソフトを終了させることができない。
 どこを触っても終了できないので困り果て、インターネットで検索してみてようやく方法が分かるのだが、適当にいじくったのではまず到達できないやり方になっている。
 使いこなすと、なるほどなと思う。
 きっとそんな方向に向かっていくのだろうなと。



● 2014.11.21〜22 ニコンのソフト

 カタツムリ図鑑用の写真を選ぶ作業が、予想よりも順調なので一安心だ。
 僕のことだから、いざ作業に取り掛かると画像の紛失が判明したり、画像は見つかるもののそれが何のカタツムリなのかの確証が持てないなどのトラブルが起きたり、一枚の画像を選ぶのに結構な時間がかかるに違いないとひどく恐れていたのだが、今のところ大丈夫。
 スタジオで撮影した画像は、必ずその日のうちに画像処理して、いつでも使える状態にしておいたのが良かった。
 これはもっと徹底すべきで、さらに言えば、ダミーの本のページの中に画像を貼り付けるところまで進めておければなお良かった。

 図鑑用のカタツムリのスタジオ撮影は、非常に時間的に厳しいものだった。
 野外から採集してきたカタツムリが死んでしまっては元も子もないので、とにかく急いで撮影しなければならなかった。北海道や沖縄に再度採集に出直すなどというのは、絶対に避けたかった。
 また、カタツムリが死ななくても、少しでも弱れば、殻に篭りがちになったり、殻から出てきても肌に張りがなかったりして、それを凛々しくみえる写真に仕上げようとすれば、膨大な待ち時間がかかってしまう。
 心情的には、画像処理をする暇があるのならどんどん撮影を進めて、デスクワークは秋〜冬にまとめてという気持ちになったのだが、そこを必死に堪えたのは、やっぱり今になってみると正解だった。
 唯一困るのは、野外で撮影した写真だ。
 長期取材の際に持っていくノートパソコンの処理能力が低くて、画像を一通りチェックするのにも無駄に時間がかかってしまうので、それらの写真に関しては一切手を付けることなくそのまま放っておいたのだが、今改めて画像処理する時間はなかなか取れない。
 本作りの段階で画像処理が割り込むとリズムも悪くなるし、最低限やはり写真を選ぶところまでは、現場でやっておくべきだった。
 ノートパソコンは、データを吸い上げるためだけのものという意識があったので、それにお金をかける気にはなれなかったのだが、最新のそれなりのスペックのものを買い増すことにした。

 さて、最新のノートパソコンでも、ニコンの画像閲覧ソフトViewNX2を使用する場合、それほど動きが良くなる訳ではない。
 なぜなら、画像を一通り見る際には使えそうなものに印をつけるのだが、ViewNX2は、印をつけた直後にはその情報を保存せず、さらに次の画像を見ようとするなど別の操作を加えた段階で、遅れて前の画像の印の保存を行うのだ。
 したがって、本来次の画像が表示されるタイミングで、前の画像に付けた印の保存が行われ、その間新しい画像がすぐには表示されず、一瞬と言えば一瞬だが、実に間が悪いのだ。
 ニコンの画像処理(閲覧ではなくて)ソフト・Capture NX-Dにも、画像を閲覧したり印をつける機能は付属しており、そちらは動きが早いのだが、あくまでもニコンの画像を処理するためのソフトであり閲覧ソフトではないので、見る、選ぶ、運用すると言うことに関してはやはり使いにくい。
 因みに、ViewNX2で画像につけた印は、Capture NX-Dで画像を表示させたときにも反映されるの
だが、逆はできない。
 したがって、Capture NX-Dで印だけつけておいて、運用はViewNX2で行うような使い方もできない。
 しばしばニコンのソフトは、機能自体は優れていても、運用面の問題が多過ぎる。
 設計者は自分で使ってる?と聞きたくなる。
 ユーザーの声を、もっと吸い上げる努力をしてほしい。



● 2014.11.19〜20 残酷とは?(後編)

 庭に放置してあるバケツの水を地面に流せば、水中に生息する大量の微生物が死んでしまうが、誰もそれを残酷だとは言わない。
 一方でたった一匹の生き物を殺しただけでも、多くの人がそれを残酷だと感じれば、その人は残酷な人になる。

 また、何を残酷だと感じるかは、人によって感じ方の違いがある。
 或いは同じ人だって、例えば食糧事情やその他、その人が置かれている状況によっても変わってくるだろう。飢えれば、他の生き物を殺して食べる時に、美味そう!とは感じても、残酷だなんて感じなくなる。
 さらにそれは、しばしば矛盾に満ちている。
 例えば虫が好きな人であればあるほど、庭に虫が発生したという理由で殺虫剤をまかれたりするとやるせない気持ちになったりするが、誰かが昆虫採集をして採集した虫を殺す分にはあまり差し障らないのが普通だ。
 虫に興味がない人にとっては、まったく理解ができない矛盾であるに違いない。
 何が残酷かには絶対的な指標があるわけではなく、大多数の人が人がどう感じるかの問題であり、多数決に近いが、決を採るわけではないので何となくその場の空気で決まることなのだ。

 ある一匹の生き物が殺されて、誰かが
「残酷だ。」
 と声を上げる。
 その場合、正確に言うとその人は、「殺された生き物が可哀そうだ」と主張している訳ではない。
 「その生き物が殺されて、私は不愉快な、あるいは悲しい思いをしている」
 と私の感じ方を主張していることになる。
 これを間違えると、議論が噛み合わなくなる。
 例えば、クジラを殺すなんて可愛そうだと指摘され、それを
「クジラがかわいそうだ。」
 という風に理解してしまった人は、
「そんなの感情論だ。」
 と言い返したくなるだろう。あるいは、
「じゃあ、牛はいいのか?」
 などという話になる。
 だが正確に言うと、
「クジラがかわいそうだ。」
 ではなくて、
「自分が不愉快な思いをしている。」
 と言われていることになる。
 それで不愉快になる人の数が多ければ、それが何の問題であれ、現代社会では、無視することはできなくなる。
 ある男性がどんなに愛情表現だと固く信じていても、多くの女性が不愉快だと感じれば、セクハラになるのと同じこと。
 社会がそういうシステムになっているからだ。



● 2014.11.18 残酷とは?(前編)

シカを硝酸塩入り餌で駆除 静岡県考案、「残酷」の声も - 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASGBP547SGBPUTPB01X.html

 何が残酷かは一旦おいておき、害獣を駆除する際に、人が見えないところや自動的に近い形でそれがなされるのは、僕は抵抗を感じる。
 虫の場合は、現実的に考えると数も繁殖力も桁違いなので話は違ってくると思うが、獣の場合は、めんどくさいけど、生々しいけど、なるべく一匹一匹手で殺すに近い形をあえて取り、人が何をしているかが見えやすいやり方を選択するのが望ましいような気がする。
 見えにくくなるやり方は、怖い。

 例えば・・・
 毛皮を取るために、動物たちが生きた状態で皮をむかれている動画を、今ならユーチューブで見ることができるが、それを見ると、生物学の出身で、数えきれないくらい生き物を殺してきた僕だって、絶対に毛皮は嫌だと思う。
 ダウンだって、羽毛をむしられながら、鳴き声をあげ苦しむアヒルの動画を見たら、嫌だと思う。
 すべてのダウンが、そうして生きた状態でむしりとられているかどうかは、僕の知るところではないが、少なくとも近年のコストダウンを考えると、ろくな扱いはされてないことは言うまでもない。今年はダウンの寝袋を買う予定だったのだが、たしかにダウンは暖かいけど、今や化繊があるのだからそれでいいと思った。
 そんなのは感情論であり合理的ではないという方もおられるが、感情論であるかどうかは、その現場をすべて見てみなければ判断できないはずだし、それを見たことがない人が、「合理的ではない」と主張するのは、もっと合理的ではないのだ。
 僕はおそらく9割以上の人が、それらの動画を見たら、毛皮どころかダウンだって嫌だと感じるのではないかと思う。
 多くの人が、それでも毛皮やダウンが欲しいと思うのなら、人間の社会なのだからそれでいいと思うが、それだけの覚悟を背負って、それらの物を身に付けている人は、ほとんどいないのではなかろうか。
 それが残酷だから怖いと言いたいのではなくて、何がなされているかが見えない状態になることが、人の心を社会に反映させなくするという意味で、すごく怖いと思う。

 ともあれ、害獣の駆除でこうしたことが検討されるのは、言うまでもなく手間やコストの問題が大きいわけだが、逆に言うと、害獣の駆除に手間やコストがかかるのは合理的ではないと日本の社会が考えていることになる。
 日本人の心の中のどこかに、片手間で解決できてもおかしくない、あるいは片手間で解決すべきという決めつけがあるような。
 だが僕は、その手の手間やコストは、行政が道路を作るのと同じくらいに当たり前のことだと思うべきではないかという気がする。
 先日パソコンの調子が悪くなり、自分では完全には解決ができなかったので、車で5分ほどの距離にあるパソコン専門の工房に持ち込んだら、見事に解決してくださった。
 工房は恐らく、一般的な日本の企業のようにまっさらな新人を募集して自社で研修を積ませてスタッフを育てたわけではないだろう。
 あの技術や知識は、とてもそんなやり方で身に付くレベルではないし、言葉は悪いが元々『パソコンオタク』と呼ばれてたタイプの人を集めた結果であることは明白だ。
 時代のニーズと彼らの趣味とがマッチわけだが、行政は、『生き物オタク』をもっと使ったらいいんじゃないかと僕は思う。
 例えば、年に一人か数年に一人でもいいので、役場は生き物の専門家の枠を作って全国から募集し、そればかりに従事させることは今の段階ではできなくても、事あることにアイディアを出させたらいいのに、と思う。



● 2014.11.17 高感度と画像処理ソフト

 ここ数年、パソコン拒絶反応が出始めていたのだが、昨年からそれがひどくなった。
 どんなに頑張っても画面に向かうことができるのは、せいぜい1時間半。
 そこで、画像処理のやり方をなるべくシンプルになるように変えることにした。
 具体的には、TPOに合わせて複数のメーカーのカメラを使用していたのを、よほどの事情がない限りニコン一社にして、画像処理の際に使用しなければならないソフトの種類を減らし、毎回同じソフトで同じ手順で作業ができるように、つまり可能な限りの流れ作業化をした。

 さて、撮影した画像は、ざっと一通り見ながら、使えそうなものにマークをつける。
 次は、それらの画像を2つに分ける。
 1つは、ニコンの純正ソフトで処理をした方がいい結果が得られそうなもの。あとの1つは、シルキーピクスという汎用ソフトで処理をした方がいい結果がえられそうなもの。
 両者の区別のポイントだが、雑然としたシーンや明暗がきつ過ぎるシーンなどを少しでもすっきり描写したい時はシルキーピクスを使う。それから風景写真も、シルキーピクスの方がだいたい好結果。
 一方で、色やコントラストを力強く描写したいシーンでは、ニコン純正ソフトの方を使う。
 特に、撮影時にISO800以上の高感度を選択した場合は、元々感度が低い場合に比べると色やコントラストが弱くなりがちなので、そうなりにくい純正ソフトの方が好結果になりやすい。
 それから、ニコン1で撮影した画像も、ニコンの純正ソフトの方が結果がいい場合が多い。



● 2014.11.15〜16 日常

 もしも近いうちに自分が死ぬことがわかったなら、僕はもうカメラや車を欲しいとは思わないだろう。それから多分、どこかに生き物や自然風景を見に行ったり、写真を撮りたいとも望まないような気がする。
 そんなことをするよりも、家族や親しい人とただ過ごす時間が欲しい。
 家族や親しい人の方が、写真を撮ることや自然の中で過ごすことよりも僕にとって上だと言いたいわけではない。
 明日があるからこそ意味があることと、明日がなくても意味があることの性質の違いを述べたに過ぎない。
 何がそれに相当するのかは、人によって多少異なるに違いない。

 子供頃、時々、釣りの師匠や父に連れられて、魚釣りに出かけた。
 約束の前一ヶ月くらいから、ワクワク感で夜眠れなくなった。
 待ち遠しさのあまり一日があり得ないくらいに長くて、ようやく出かけたその日の感激は、いまだにそれを超える、いやそれに近いものもないほどの究極だったけれども、一方で非常に悲しくもあった。
 なぜなら、その釣りはあくまでも息抜きや一種のイベントであって、日常ではなかったから。
 飲み屋街をほっつき歩く会社員に例えるならば、きれいなホステスさんについてもらってお世話をしてもらっても、それはその場限りのことであり、決してその美女とお付き合いをしているわけではないのと同じことだった。
 それを承知で遊べるだけの大人ならいいけど、ホステスさんを本気で好きになってしまうのは困ったことなのだ。
 釣りの師匠は、一見狂ったように釣りにのめり込んでいるようであっても、その点しっかり一線を引いておられた。釣りに関する師匠の大きな大きな話は、あくまでも他に日常があり、そのストレスを解消するための趣味という空想の枠の中での話だった。

 僕はその当時から、自然の中で過ごすことが、自分にとって当たり前の日常であって欲しいと思う気持ちが強かった。
 今自然の中で何をしたいかではなくて、明日も明後日もあることが重要だった。
 そのためには、自然を仕事にする以外にない。
 したがって、単に写真を撮ることよりも、写真で生活をすることが僕には重要なのだ。
 写真じゃなくてもいいいのだろうと思う。他に何か、自然を日常にできる手段があれば。



● 2014.11.13〜14 Nikon1の話(7) 使いこなし編



 再び、先日の画像を持ち出してみる。
 外側の枠がニコンのデジタルカメラ・D810やD610などの画像を記録するセンサー(FXフォーマット)だとすると、内側の枠はニコン1シリーズのセンサー(CXフォーマット)だ。
 ニコン1シリーズの小さなセンサーは、ある意味、より大きなセンサーの中央部分を切り抜いてトリミングしたようなものだとも言える。
 したがって、さらにそれ以上切り抜くだけのゆとりはあまり残されておらず、それをすると画質が急激に悪くなる。
 ニコン1に限らず小さなセンサーのカメラを使用する場合は、ちょっとした記念写真や記録写真を撮影する場合でもなるべくトリミングの必要がないように、被写体を大きく撮影するのがコツだ。
 いや、トリミング厳禁と言ってもいいくらいかも。
 それをしっかり守ることができれば、いわゆるプロ用の大きなセンサーを使用したカメラとの画質の差は、少なくとも一般的な印刷物での使用に関しては、風景のようによほどに広い範囲を写す被写体を除いて、無視できるくらいに小さくなる。
 だが守ることができなければ、画質は急激に悪くなり、これは所詮、レンズ交換ができるコンパクトカメラやな、とガッカリさせられる。


Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D

Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D

Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D

 ニコン1シリーズを手にして、とにかく被写体をなるべく大きくとらえようとすると、撮影時に緊張感が生まれる。
 僕の場合は、3600万画素という高画素のNikonD800を使うようになって以降、写真は多少広く撮影しておいて、あとで少々切ればいいという「何となく撮る」方向にどうしても流されがちだったが、ニコン1を使うことで、撮影時の緊張感を取り戻すことができた。
 また、大きなセンサーの高画素のカメラで多少広く撮影すればいいという発想では、何が言いたいかが分かりにくくなるわけだから、写真に自分のメッセージを込めることができにくくなる。
 自分の主張は、被写体にぐっと迫ることで明快になるのであり、小さなセンサーのカメラを使いこなそうとすることは、写真の勉強にもなるだろうと思う。

 バッテリーの持ちが悪いとか、液晶ファインダーの見え方はいまだ光学ファインダーには勝てないなど、現段階では仕事のメインに据えることができるカメラではないと思うが、より大きなセンサーのカメラと組み合わせてワンポイント的に使ってみると、ニコンのCXフォーマットという規格は、非常によく考えられた規格だと思う。



● 2014.11.11〜12 Nikon1の話(6) 実機紹介 AW-1編


 左が1V3、右がAW-1

 AW-1の最大の特徴は、防水であること。
 だが使ってみると水中カメラという感じではなく、フィールドワーカーがあらゆる環境でワイルドに使用するためのカメラという感じで、2Mからの落下に耐えたり、GPSログを記録できる。
 カメラマンの仕事道具というよりは、山岳ガイドとかネイチャーガイドとか生き物の調査の仕事をする人などが持つ物であるような印象を受ける。
 
 1V3とは、幅はほとんど同じだが、AW-1の方が若干背が高い。
 そのほんのわずかな高さの差で1V3は小さすぎ、AW-1の方が随分握りやすい感じがする。
 丈夫に作られている分AW-1の方がずしっと重たいが、元が小さいので心地よい重さであり、1V3は軽すぎる。軽すぎると撮影時に案外ぶれ易い。
 また、海の中でグローブを付けた状態で操作しやすいように作られているので、AW-1のボタン類は押しやすく、これを普通に陸上で使用すると手触りが上質で、超高級なメカをもったかのような気分にさせられ、僕はそこにやられてしまった。

 ニコン1シリーズの問題は、バッテリーだ。
 うちにある1V3、1V2、AW−1のバッテリーと充電器はすべて違うものなのだ。
 ただし、1V3とAW−1のバッテリーは形が同じで、AW−1に1V3を入れても何の問題もないどころか、撮影枚数が増える。
 逆に、1V3にAW−1のバッテリーを入れると、カメラは使えるが撮影枚数が減る。
 つまり、1V3の方がAW−1の方を含んでいると考えてもらえばいい。
 充電器も同様で、1V3の充電器でAW−1のバッテリーを充電しても何の問題もないが、AW−1の充電器で1V3のバッテリーを充電すると、やや充電不足になるのだそうだ。
 
 AW-1を買うにあたって、後悔が1つある。
 それは、ズームレンズとのセットを買わずに、ボディー単体と水中専用の単焦点レンズを買ったことだ。
 当初僕はこのカメラを水中カメラとしか見ておらず、水中では、僕の用途ではズームレンズは不要だと思った。
 ところが実際に使ってみると、このカメラは陸上での使い心地が非常によく、フィールドワークのよき友であり、その場合はズームレンズが欲しくなる。
 ところが防水のズームレンズは、セット販売のみのようで、それ単体では売られてないようなのだ。
 防水ではないニコン1用のレンズも使用できるが、それではこのカメラの魅力が半減してしまう。



● 2014.11.10 Nikon1の話(5) 実機紹介 1V2編



 ニコン1V3の1つ前のモデル・1V2は、1V3が発売された今でも、継続して販売されている。
 僕が思う新発売の1V3の方が決定的に優れている点は、ファインダーをのぞき込んだ時に見える像の大きさや見やすさ。それから、シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまでのタイムラグの短さの2点で、いずれも、使ってみなければカタログだけでは分かりにくい改善だ。
 他に、1V3にはタッチパネル式の背面液晶が採用されており、例えば、液晶をタッチすると、そこにピントを合わせると同時にシャッターを切る機能や、液晶をタッチすると、そこにあるものが移動しても追いかけて自動的にピントを合わせ続ける機能などがあり、別になくてもいいが、使い方によっては便利だと思う。
 画素数は、1V3が1839万画素と1V2が1425万画素で1V3の方が多少大きいが、画素数が増えすぎることには弊害もあり、画質は、ベンチマークテストをした訳ではないけど、使用した印象では全くの互角。
 画素数が増えることの弊害と1V2から1V3への技術の進歩とが、ちょうど打ち消し合うくらいの印象だ。
 したがって、どちらか1つを選ぶとなると液晶とタイムラグで1V3になるが、1V2に何の問題もない。
 特に1V2のグリップが大きく飛び出した形状は非常に持ちやすく、ボタンやダイヤルの操作がやりやすい。新しい1V3をそれなりに使用してみて、それから再度古い1V2を使ってみて、1V3がこの形状にならなかったのは非常に残念だと感じる。
 
 問題はバッテリーだ。
 1V3と1V2とには全く違うバッテリーが採用されており、互換性がない。
 したがって両者を併用するには2種類の電池と充電器を持ち歩かなければならず、これはめんどくさいので、1V3は完全な仕事用、1V2は普段の生活の中でちょっとした写真を撮る時、と結果的に使い分けるようになっている。

 1V2には、1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOMというズームレンズを取り付けている。
 レンズの描写は、何の問題もなし。
 オートフォーカスもむちゃくちゃ早いし、正確。
 このレンズは、1V3とセットになって販売されていたもので、レンズキャップが内蔵されていて、カメラの電源のオンオフに合わせて自動的に開閉し、他愛ないことだが、これが非常に便利だと思う。
 これを使用してみて、普段、レンズキャップを外す、失くさないようにしまうという動作が、いかに撮影のリズムを悪くしているかを痛感した。
 普段仕事で使用する数本のレンズに関しては、僕はレンズキャップを付けずにカメラバッグに収納しているのだが、傷をつけるのではないか?という一抹の不安は心のどこかにある。

 昨日、一昨日と日記の中にカメラの画像を載せたが、いずれも1V2+1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOMで撮影したもので、少なくとも通常の出版で使用するには十分過ぎる画質が得られる。白バックの場合は、ニコン1シリーズでは白が少し色被りする傾向があるが、画像処理で容易に対応できるレベルだ。



● 2014.11.9 Nikon1の話(4) 実機紹介 1V3編


ニコン1V3と一眼レフ用のレンズを使用するためのアダプター

 ニコン1V3には、専用レンズではなく、ニコンのFXフォーマットと呼ばれるより大きなセンサーのカメラ用のものを、アダプターを介して取り付けている。
 撮影現場では、まずはFXフォーマットのカメラでの撮影を検討し、それではどうしても被写体が小さく写ってしまう場合などのみに限定して、ニコン1V3を持ち出す。

 ニコン1V3の用途は、僕の場合、大きくわけて3つ。
 まず1つ目は、AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G EDなどの接写用のレンズを取り付け、1ミリ〜せいぜい10ミリくらいの小さな被写体を大きく拡大する。
 2つ目の使い方は、野鳥撮影用の超望遠レンズ・Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)に取り付けて、遠くの野鳥を大きく撮影する。
 この使い方に関しては、確かに鳥は大きく捉えられるが、ブレ凄くて、それをいかに抑えるかという点で未だ格闘中だ。
 そして3つ目の使い方は、このカメラの連写の速さを生かして、飛翔中の昆虫などの動体を撮影する使い方だ。


Nikon1 V3 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

 連写速度は、秒間10枚、20枚、30枚、60枚と選ぶことができるが、10枚以外は、シャッターの仕組みの関係で虫の羽が妙に歪んで写ったりするから、なるべく秒間10枚の連写を使う。
 シャッターを押してから実際にシャッターがきれるまでのタイムラグが小さいのも、このカメラの特徴だ。
 激しく動く被写体を撮影したい場合、被写体との距離が非常に重要で、被写体をカメラで追いかけやすい距離に立ち位置を決めると撮影が有利になるのだが、ニコンの一眼レフ用の接写用のレンズは、40ミリ、60ミリ、85ミリ、105ミリ、200ミリと種類が多く、状況に応じていろいろな焦点距離を選択でき、被写体との距離が自由になるのも、このシステムの強みだ。

 弱点もある。
 ミラーレスのカメラとしては手触りが非常に上質でいいが、ただ小さすぎる、と僕は思う。
 カメラの小型化は基本大歓迎だけど、ここまで小さくすると、ボタン類が押しにくくなったり、カメラが持ちにくくなる。
 グリップをつけると持ちやすくはなるが、グリップをつけたままでは電池の交換ができない。
 電池の持ちは、多くのミラーレスカメラと同様にあまり良くないし、そこそこの量撮影すると必ず電池交換が必要になるので、いちいちグリップを取り外さなければ電池が変えられないのは受け入れがたい。
 そこで僕は、カメラを振り回して動体を激しく追いかける場合のみ、カメラの持ちやすさを優先して下の画像のグリップを取り付ける。
 
 グリップには、アングルファインダーを取り付けるための特注の金具が付くようにしてある。
 アングルファインダーは、カメラを地面に置いて低い位置にあるものを撮影するようなケースで、ファインダーを上から覗くための筒みたいなもの。
 カメラ背面の液晶は可動式なのでアングルファインダーを使わなくても像を上から見ることはできるが、背面液晶では、地面の低い位置で激しく動く虫などに正確にピントを合わせるのは難しいのでアングルファインダーを使う。
 シャッターを押すと、押した瞬間ではなく、それよりも前のシーンが写るパスト撮影と呼ばれるモードもある。Nikon1V3のパスト撮影では、カメラの設定がかなり制限されるが、動体の撮影では非常に有効。



● 2014.11.8 Nikon1の話(3) 小さなセンサーの利点 実践編

 通常、小さな被写体を撮影する場合は、マクロレンズと呼ばれる接写に強いレンズを使用する。
 マクロレンズは一般的なレンズよりも被写体を大きく拡大できるし、接写以外の一般的な撮影にも使用できる。
 ただマクロレンズとてどこまでも被写体を拡大できるわけではない。
 では、それ以上に大きく拡大して撮影したい場合はどうしたらいいのか?
 以前は、そんなケースでは、被写体を拡大することに特化した特殊なレンズやアクセサリーを使うなど、レンズの側に工夫を施した。
 僕の場合は、キヤノンの MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォトという特殊なレンズ他、キヤノンのシステムを使用してきた。
 だが今なら、レンズを変える以外に、カメラをより小さなセンサーのものに交換する選択肢があるのは昨日書いた通り。
 僕が今主に使用しているニコンのカメラの場合なら、センサーが大きいものから順に、FX、DX、CXという3つの規格が存在するので、レンズは従来のままに、最少のセンサーを搭載したCX規格のカメラ、すなわちニコン1シリーズを使えばいい。
 具体的には、ニコンの大きなセンサーを搭載したカメラ用のマクロレンズ・AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G に、CX規格のニコン1V3というカメラを取り付けている。



 ニコン1は、ニコンの従来の大きなセンサーのカメラとは規格が異なり、直にAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8Gを取り付けることはできないのだが、専用アダプターを介せば取り付けるが可能になる。
(その場合でも、オートフォーカスやレンズ側の手振れ補正は使用できるが、オートフォーカスでのピント合わせは中央一点のみになる)
 従来から使用してきた、大きなセンサーのカメラに MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォトという拡大に特化したレンズと取り付けるキヤノンのシステムと比較すると、被写体を大きく拡大した上でぼかし気味に表現したい時は、大きなセンサーを使ったキヤノンのシステムの方が高画質。
 だが、被写体を大きく拡大して、さらになるべくぼかさないようにシャープに撮影したい場合は、AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G +ニコン1V3の方が高画質になる。
 今年はこの組み合わせで、カタツムリの体の一部の他、微小貝と呼ばれる1〜2mm程度のカタツムリを随分たくさん撮影した。


Nikon1 V3 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G +ニコン1V3は、あくまでも違う規格のシステムをアダプターを介して結合する使い方なので、すでにニコンのレンズを持っているニコンユーザー以外には勧めにくいが、非常に有効な組み合わせだと思う。
 注意しなければならないのは、タムロン社製やシグマ社製のニコン用のレンズは、ニコン1では正常に認識されないので、ニコンの純正のレンズが必要になる。

(さらにオタクな接写マニア向けの話)

 CX規格のニコン1シリーズはまだ新しい規格であり、レンズがそれほど充実しておらず、専用マクロレンズはラインアップされていない。
 が、将来専用のマクロレンズが発売されても、僕はおそらく、アダプターを介してAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G を使用することになるだろう。
 というのは、AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G には接写リングやテレコンバーターなど、被写体をさらに大きく拡大できるアクセサリーが準備されているからだ。
 そうしたアクセサリーは最近はあまり開発されない傾向にあり、ニコン1シリーズ用のものが登場する可能性は非常に低いのだ。
 先ほど、ニコン1は、タムロン社製やシグマ社製のニコン用のレンズを正常に認識しないと書いたが、接写リングなら、ケンコー製のものに関してはちゃんと認識される。
 下の画像は、AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G +ニコン1V3の組み合わせに、ケンコーの接写リング(厚さ20ミリ)を追加して撮影したものだが、殻の長さが1.5ミリ程度のケシガイが、このサイズに、このシャープさに写る。
 それからあと1つ、仮にニコン1用のマクロレンズが登場しても、多分、30ミリくらいのレンズになり、60ミリという焦点距離ではないだろう。
 が、30ミリ程度のレンズは、小さなものをガーンと拡大するには、ちょっと被写体との距離が近過ぎるのだ。


Nikon1 V3 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED+ケンコー製接写リング



● 2014.11.7 Nikon1の話(2) 小さなセンサーの利点 理論編


 外側の枠がニコンのデジタルカメラ・D810やD610などの画像を記録するセンサー(FXフォーマット)だとすると、内側の枠はニコン1シリーズのセンサー(CXフォーマット)だ。
 同じニコンのカメラでも、ニコン1シリーズの方が、搭載されているセンサーが小さい。
 そして、仮にそれら2種類のセンサーの画素数が同じ場合、センサーのサイズが大きい方がよりポテンシャルが高いことは昨日書いた通り。

 今日は、そこに一匹のハチを加えてみようと思う。

 まず内側の枠だけを見ると、つまり、ニコン1などのCXフォーマットのカメラで撮影すると、ハチは画面の中でほどほどの大きさに写っていることがわかる。

 次に、今度は外側の枠だけを見てみる。つまりD810などFXフォーマットのカメラで撮影したとすると・・・

 これでは、被写体があまりにも小さすぎる。
 デジタルカメラのセンサーは大きい方が画質がいいのだが、仮にもしも同じレンズを取り付け、同じ位置から撮影した場合、センサーが大きいと、相対的に被写体が小さく写ってしまうのだ。

 では、どうしたらいいのか?
 まずは、より望遠のレンズを取り付けることで大きく写るようにする。実際に、センサーが大きなカメラに付属して売られているレンズは、センサーが小さなカメラよりも望遠になっている。
 しかし、レンズがより望遠になると、ピント合わせやその他の扱いが難しくなったり、大きく重くなり過ぎて、現実的ではなくなってしまう傾向がある。
 あるいは、被写体にもっと近づくことを考える。
 だが、相手が生き物の場合は、近づくことを許してくれない場合も多々ある。
 望遠レンズを使うことや近づくことで解決できない場合は、仕方がないので、小さく撮影しておいて、あとで画面の一部分を切り抜くトリミングと呼ばれる操作がなされる。
 その場合は一部分を抜き出すのだから、トリミングの結果画面の画素数が減り、画質が悪くなる。例えば1600万画素のカメラを使っても、トリミングの程度によって、800万画素、400万画素と画素数が減ってしまう。
 そんなことをするくらいなら、最初から小さなセンサーの1600万画素のカメラで撮影しておいた方がいいということになる。

 したがって、理論上は大きなセンサーのカメラの方が高画質だが、実際には、小さく写ってしまうものを大きく写したい場合に、小さなセンサーのカメラが有効な場合も多々ある。
 その小さなセンサーを搭載したニコン1シリーズの場合、アダプターを介せば、ニコンのより大きなセンサーのカメラ用のレンズも使用できるので、実に都合がいい。
 僕の場合は、普段はなるべく大きなセンサーのカメラを使用しておいて、時々、遠くのものをどうしても大きく写したい時のみ、例えば木の高いところに珍しい生き物がとまっている時などに、ニコン1を持ち出す。
 大きなセンサーのD800に300ミリレンズを取り付けたのでは小さくしか写らない被写体が、同じレンズにニコン1を取り付けることで、大きく写すことができる。



● 2014.11.6 Nikon1の話(1) 大きなセンサーと高画質

 デジタルカメラの内部には、像を記録するセンサーが組み込まれている。
 センサーの大きさには幾つかの規格があるが、基本的には、大きなセンサーのカメラほど高価であり、ポテンシャルが高いと思ってもらえればいい。



 簡単な図で表してみた。
 上の図の外側の枠が高価なカメラの大きなセンサー(ニコンFXフォーマット)だとすると、内側の枠が安価なカメラの小さなセンサー(ニコンCXフォーマット)だ。

 センサーの中には、画素と呼ばれるものが組み込まれている。
 1600万画素のセンサーなら画素が1600万個、2400万画素のセンサーなら2400万個の画素が含まれ、画素数が大きいほど、撮影される画像も大きくなり、より大きく伸ばすことができる。
 画像をポスターのようなサイズに伸ばしたいのなら、より大きな画素数のカメラが望ましいし、逆に普段の記念撮影などの用途でそこまで大きく伸ばすつもりがないのなら、カメラの画素数はせいぜい1000万画素もあれば十分だろう。
 お手持ちのデジタルカメラの画素数を知りたい人は、まずは何度もいいので適当に一枚撮影し、画像をパソコンに表示させればいい。
 その画像をどんどん拡大していくと、最後には画像が点の集まりとして表示される。
 その点の数が画素数なので、点を丁寧に数えれば、自分のカメラの画素数が分かる。
 しかし、例えば1600万個もの点を数えるほど暇な人はそんなにおられないだろうから、使用説明書やメーカーのホームページを見た方が断然早い。

 さて、上記の大小2種類のセンサーの中に、それぞれ1600万個の画素を組み込んだとする。
 すると、得られる画像のサイズは両方ともに1600万画素なので、同じになる。画素数が同じなら、大きなセンサーのカメラでも小さなセンサーのカメラでも、同じサイズの画像が得られるのだ。
 だが、質は異なる。より大きなスペースに1600万画素を組み込んだ方が、設計上有利になり、基本的に画質がいい。
 画質の良さはどんな風に現れるのかと言えば、例えば、撮影された画像にザラザラした感じがないとか、色がよく乗るとか、とにかくよりリアルな方向に見栄えがすると思ってもらえればいい。
 したがって、理論上は、画素数が同じなら、センサーのサイズに関係なく画像を同じ大きさに伸ばすことができるはずだが、小さなセンサーのカメラの画像を大きく伸ばすと粗が見えてしまうので、実質的には、そこまで伸ばすことは難しいし、大きなセンサーのカメラの画像の方がやっぱりよく伸びる。



● 2014.11.5 準備

 恒例の合同写真展の準備。 今回は、北九州市の山田緑地が会場だ。 
 写真展の詳細は、ここをクリック。
 同じ内容の写真を、北九州の3か所の会場で巡回展示しているのだが、興味を持って毎回のように熱心に見てくださる方もおられ、声を掛けられるとやはり嬉しい。


Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D

Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D

 山田緑地は、木をテーマにした緑地だと以前聞いたことがある。奥に入ると、比較的自然度が高い森があり、散策を楽しむことができる。
 大きな建物は、ログハウス風。
 建物の前には芝生広場があり、休日は、親子連れでにぎわう。ペットは入ることができないので、犬のおしっこや糞を気にすることなく、芝生に横たわることができる。


Nikon1 V2 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM Capture NX-D



● 2014.11.4 ニコン1 AW-1



 コンパクトカメラやミラーレスのカメラは過去に何度か試したが、結局使わなくなった。プラスチック的な手触りとおもちゃみたいなボタンの質感で、カメラに触る喜びを感じることができないのだが大きな理由だ。
 僕は、自身をかなりの合理主義者だと思っているので、そんなことにこだわってしまうのは、自分でも予想外のことだった。
 その点、今年の春から本格的に試し始めたニコン1シリーズは長続きしており、しかも、徐々に使用の頻度が高くなりつつある。
 特に、水中に沈めることもできるAW−1は秀逸。
 実は、水中カメラとしては、僕の用途ではほとんど活躍の場がなく、正直に言えば、余計な買い物をしてしまったかな・・・と悔いた瞬間もあった。
 ところが・・・
 海の中でグローブをつけたままでも操作しやすいように設計されたボタンの質感ややや大きめのボディーが、陸上で使用すると、最高級のデジタル一眼レフを上回る心地良さで、次第にとりこになったのだ。
 また、2Mの落下にも耐えるように頑丈に設計されたボディーは、撮影時にはちょうどいい重さであり、やたらに軽いカメラよりも持ちやすく安定する感じがする。
 このカメラは、多くのミラーレスカメラが不要に小さすぎ、軽すぎることに気付かせてくれる。
 高度計とカメラが向いている方角を記録できるコンパスと、GPSによる位置情報と、どのように移動したかのログも記録でき、それが本当に必要かどうかは別にして、フィールドワーカーとしてワクワクしてしまう。
 僕がネイチャーガイドなら、間違いなくこのカメラを持つだろう。

 ニコン1シリーズは、画質も、キチンとポテンシャルを引き出す使い方ができれば、少なくとも印刷上ではデジタル一眼レフとの違いがほとんど出ないレベルだ。
 では、どうしたら画質が引き出せるのか・・・
 一言で言えば、カメラの基本に忠実に使うこと。
 つまり、基礎がしっかりしているかどうか、その人の技術の力量が試されるカメラでもあると思う。



● 2014.11.3〜4 計算違い
 潮が満ちるにつれて、遠くで餌を食べていた干潟の野鳥たちが、波の先端と一緒に岸辺に寄ってくる。
 それを見越してちょうど夕日の時間帯に撮影ができるような日を選んで有明の干潟に出かけたつもりが、若干見当が外れていたようだ。
 鳥が寄ってくる前に日が暮れてしまった。
 でも、まあ、いいかな。







● 2014.11.1〜2 採集禁止

 10月の上旬に宮崎から連れて帰ったSマイマイは、そのあたりにしか分布しない特殊な種類だとは分かっていたのだが、それにしても目撃の頻度が低い激レアなやつだと判明した。
 しかもなんと、採集が禁止されていることがわかり、大慌てで返しに行くことになった。
 以前とまっていた箇所にカタツムリをくっ付けて、サヨナラ。


NikonD610 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX ストロボ

 昆虫などに比べると、カタツムリには、採集が禁止されている種類が多いように思う。
 しかし昆虫よりもはるかにその認知度が低く、よほどに全国のカタツムリに通じている人以外は、それを知らないケースが多いのではなかろうか。
 カタツムリの場合は、ある狭い地帯にしか分布しない種類があまりに多く、全国のものに通じている人は数えるくらいしかいないだろう。
 ほとんどその土地に住んでいる専門家人しか持たない情報が多い。

 Sマイマイを放った翌日は雨。
 雨粒が車内泊の車の天井を叩く音で、目が覚めた。
 カタツムリの観察には絶好のコンディションなので、まだ薄暗い時間帯に寝袋から抜け出して宮崎県内のフールドを何ヶ所か歩く。
 劇レアなSマイマイを別の場所でも見かけたので、今度は、証拠写真を撮影してみることにした。
 実は僕は、普段証拠写真の類は滅多に撮らない。
 生き物や自然現象にカメラを向ける場合、どんな被写体であろうがまるで写真集でも作ろうとしているかのように入魂して撮影する主義であり、証拠写真的な写っているだけでいいという撮り方は好みではないのだ。
 ただし生き物を研究する場合は、証拠写真が大いに意味を持つ。
 僕の場合、目先の目的は生き物の撮影であり、それを研究する意識ではない。しかし、撮影の過程で自分が見かけるものがしばしば高い資料価値を持ち、その写真を残しておくことで誰かの役に立つ場合があるだろうなとは思うケースは多々あり、証拠写真を撮影する習慣をつけてもおくのも悪くないと最近思う。



 証拠写真の撮影に使うカメラは、ニコン1AW-1。
 防水なので水に沈めることも可能だし、2Mからの落下にも耐えるのだという。
 レンズの先端にメッツのMECABLITZ 15MS-1 を取り付け、カメラの内蔵ストロボを光らせると、それに反応して発光するように設定しておく。
 MECABLITZ 15MS-1 にはLEDライトが組み込まれているので、夜間や暗い場所での撮影の際にも、カメラはピントを合わせることができる。
 この組み合わせでは、多少遠くのものを撮影した場合にストロボの光が画面の四隅に少しだけ写り込んでしまうので、その部分はトリミングする。



 これが、その証拠写真。
 早朝のまだ真っ暗な状況での撮影なので、ストロボの光のみで写した写真だが、周囲が明るい状況でこれに自然の光を多少入れてやると、証拠写真としては、かなり上等の仕上がりになる。
 ニコン1AW-1は、実はすごいカメラなので、近々何がすごいか多少詳しく紹介したい。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2014年11月分


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