撮影日記 2014年10月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2014.10.31 今月の水辺

今月の水辺を更新しました。
今回は、「気持ち悪〜い」です。



● 2014.10.30 逃げない被写体

 ある液体の写真を撮った。
 本の中で小さく使用する写真だった。
 普段、相手が生き物じゃなかったら、どんなに撮影がスムーズに進むだろうと思うことが多々ある。
 生き物の場合は、まず相手を探すことから始めなければならない。僕には、撮影したいものの、まだ出会えてさえない生き物が多数存在する。
 仮に見つけても、逃げられたり動き回る結果、撮影ができないケースも少なくない。
 ところが、逃げない『物』をいざ撮影してみると、話は簡単ではないことを思い知らされる。
 とにかく思った通りの描写にならないし、その他、液体を入れた容器の汚れが気になったり、液体にホコリが落ちたり・・・と予想外のトラブルだらけでボロボロ。
 ふと、ある写真関係の経営者の方が見せてくださった一連の写真を思い出した。
 実験用の試験管の写真だったのだが、それは見事な仕上がりだった。
 通常、その手の写真は実験に詳しい自然科学系のカメラマンに依頼するところを、普段宝石などを撮影している一流のスタジオカメラマンに依頼したのだそうだ。
 撮影セットも見ることができたのだが、規模が違っていた。
 ここまでするの?
 いや、仮に僕が同じ機材を持っていても、何をどう使っていいか、さっぱり分からないだろう。
 しかもその専門家が、あり得ないような長い時間をかけて撮影するのだそうだ。
「そこまでやって、コスト的に見合いますか?」
「見合いますよ。一度このレベルの写真を使った人は、もう元のレベルには戻れません。リピーターになってくれます。」

  僕らが作る生き物の本の中でスタジオで撮影された『物』の写真が求められた場合、僕ら程度の技術でも一応通用する。
 また、その程度のことを勉強しておくのは、普段自然をテーマにしている人でも大変に意義がある。
 だが、超絶の世界を演出したいと憧れるのなら、話は違ってくる。やっぱり、餅は餅屋なのだ。
 自分はどこで勝負すべきなのか?
 何に時間を費やすべきなのかを、その日随分考えさせられたものだった。



● 2014.10.29 紅葉

 某所でたまたま見かけたNHKのテレビ番組「俳句サク咲く!」によると、もみじ(紅葉)という季語は、別にモミジの木のことを指すわけではなく、さまざまな木の紅葉や黄葉を含んでいるようだ。
 さらに、山紅葉とか谷紅葉とか夕紅葉など、もみじから派生した様々な秋の季語が存在するらしい。
 当然、番組の中でそれらのシーンを紹介する写真が出てくるんだろうなと思いつつ画面を眺めていたら、出てきた。
 山が一面に紅葉している、山紅葉の写真。
 沢の風景の中に紅葉した木が写っている、谷紅葉の写真。
 夕暮れの景色の中に紅葉した葉っぱが写っている、夕紅葉の写真。

 写真は、番組向けに誰かに撮影を依頼したわけではないだろう。
 すでにある写真をどこかから借りてきたものだと思うが、撮影者は、季語を知り、意識した上でシャッターを押したのだろうか?
 僕が見た感じでは、そうではないような印象を受けた。例えば、谷紅葉という言葉をカメラマンが意識していたならば、もっと違う写真になるように思えた。
 番組用の写真を探す担当の人は、100%ピッタリとイメージに合うものがなかなか見つからず、苦労したのではないかなぁ。
 もしもそんな状況で、季語をよく知った人がそれにピシャリ合う写真を撮っておけば、その写真は使われる確率は非常に高くなる。

 ただし、その高確率で使われる写真が、必ずしも人の心を打つとは限らない。
 何かをよく説明できているのと、つまり人のニーズにかなうかどうかと、人の心を打つかどうかは別問題なのだ。
 したがって、ニーズに詳しくなって自分をそのニーズに合わせてしまうと、間違いなく写真はたくさん使われるようになるだろうけど、人の心はあまり打たない写真になりがち。
 だがニーズを全く知らないと、今度は撮っても撮っても写真がなかなか使われず、こんなにいい写真が撮れているのになぜ?ともがく状況に陥りがち。

 僕がよく仕事をする子供の本の場合は、子供に具体的な何かを伝えなければならないから、きちんと説明できていることがまず求められる。
 したがって、その世界で長く仕事をすると、感覚的にそれが正しんだと思い込んでしまう。
 その結果、自分や出版社の人からみれば100点の写真が、その業界に関係ない他人からみれば、確かによく写っているものの心を打つわけではないなぁ、という70点の写真と評価されてしまう。
 そんな頭でっかちにならないためにも、写真が使えるとか使えないなどという仕事的な発想を抜きにして、もっともっとたくさん写真を撮るべきなんだろうなぁ。



● 2014.10.28 リズム

 月に一度の割合で、犬をシャンプーしてもらう。
 自分で洗ってもいいのだが、うちの犬はシャンプー屋さんが大好きで、おしりをブリブリ振りながらお店に入っていく。
 予約が必要なので、毎回シャンプーを終えて料金を支払う時に、次回の約束をする。
 その日が撮影に適した日と重なってしまうこともあり、チクショウと地団太踏むこともある。
 が、シャンプーの日に合わせて、毎月一度くらいのペースでやらなければならないことを、その日にまとめて片づけるようにしておくと、物事がうまく回りはじめる。
 僕はとにかく自由でありたいのだが、それでも、暮らしに何らかのリズムや規則性は必要になる。

 犬というと屋外に置いておかれるものというイメージがあり、シャンプーなんて・・・と思わないでもないが、室内で飼い、ノミ、ダニ、フィラリアに対する対策や、シャンプーをして皮膚をケアーしたりすると、寿命が全く違ってくる。
 屋外に放置しておくと、10歳というとかなりの老犬という感じがするが、ちゃんとケアーすれば、柴犬なら15年くらいは生きるようだ。



● 2014.10.27 珍品

 先日、種子島に渡る前に、宮崎でカタギセルというキセルガイを探した。
 カタツムリは夜行性なので夜に探すことが多く、深夜に採集を終えクタクタになってからすぐに眠ることができるように、まずは車内泊ができる場所の目星をつけることにした。
 あたりには、多少土地勘があった。以前、新燃岳が噴火をした際に、散々走り回った経験があった。
 その際に立ち寄った公園にまずは行ってみたら、夜間は出入りが出来ないことが分かり、がっかり。
 だが、ついでに公園の中を歩いてみたら、目的のカタギセルが数匹見つかった。
 傾向も多少分かった。
 カタツムリは、森のはずれの建物やトイレやゴミ捨て場などの人工物の周辺に多い傾向があるが、カタギセルはより自然度が高い場所にいて、そうした人工物の場所までは出てこないようだ。
 とにかく、簡単に見つかったので、まずは一安心。

 ところが、そのあとに苦難が待ち受けていた。
 キセルガイの採集では良くあることなのだが、見つけても見つけてもどれも殻がひどく傷んでいて、図鑑に掲載するモデルとしては不適なものばかりだったのだ。
 場所を変え、さらに場所を変えた。
 が、結果は同じ。
 この時採集したカタギセルは、持ち帰って丁寧にクリーニングして撮影してみたが、やはりどれも殻の痛みが許容範囲を超えていて、納得できるものではなかった。
 悔しいなぁ。



 カタギセルを探している最中に、数匹、黒っぽいカタツムリを見た。
 コベソマイマイの子供だと思っていたのだが、ふと良く見てみると、殻の形の特徴から、そのカタツムリは何かの子供ではなく成貝であることに気付いた。
 あとで、あれはなんだ?と調べてみたら、Sマイマイではないか?と思えた。
 Sマイマイは分布が限られていて、さらに記録がある場所でも個体数が少ないと記載されている珍品だ。
 かたや、カタギセルは決して珍しい種類ではないと思うのだが、ついに思うようなものを見つけることができず、探してもいない珍品が現れる。
 そんなもんなんだよなぁ。
 カタギセルの方は、近々、もう一度採集に出かけることにした。

 自然に確実とか絶対はないなぁ、としみじみ思う。
 自分がよく知っている種類や普遍種でも、いざ、「じゃあ、今から案内してよ」と求められると、内心ドキッとすることが多い。
 逆に、人からいざ案内してもらう時は、普段の自信に満ちた話が、みんな、急に小さくなる。
 仮に目的のものを見つけることができた時でも、「ほらね」という自信家の顔ではなく、安堵と、まるで激レアな何かを見つけた時のような恍惚の表情になるのだ。



● 2014.10.26 リスク

「自分もフリーのネイチャーカメラマンになりたい。」
 などと若い人から言われた時に、以前は、割とスラスラと自分の考えを伝えることができたのに、今では、何をどう話していいのか分からなくなってしまった。
 そんな問いかけに答えようとするのは自分にとってもいい機会であり、大切な機会であると思うのだが、一方で、他人の人生を左右するかもしれないことを、怖いと感じるようになった。
 それで生活をするとなると、仮にその人が20代前半なら、少なくとも40年くらいの期間は自然写真を撮り続けることになる。
 その間には、必ず不運もあれば、アクシンデントもある。
 世情の変化もあるし、それに対応できなければならない。それも一度ではなく、何度かはそんな機会があるに違いない。
 40年という期間は、どこのだれも正しく予測することはできないだろう。
 変わるのは社会だけではない。自分の好みや考え方や置かれている立場も変わる。
 そのすべてを受け止め、乗り越える必要がある。

 自分が何をしたいかが大切だと思う。
 もしも、プロレベルの写真を撮りたいとか、プロレベルの本を作りたいというのなら、必ずしもフリーの写真家になる必要はないだろう。
 勤めながらも質の高い写真を撮り、質の高い本を作っている、実質的にプロと同等かそれ以上に優れた写真家が現におられる。
 そうした方々は、ある意味、プロよりもスゴイとみなされる。通常の勤務をこなしたうえで、さらに何かを成し遂げるなんて、僕には絶対に無理だ。
 
 だが、もしも「プロのカメラマン」と呼ばれ、そのプロとしての評価を得たいのなら、新聞やテレビのカメラマンのように組織の中で写真を撮っている人は別にして、フリーになる以外に選択肢はない。
 大半の人は、プロのカメラマンという言葉を聞いた時に、その人が他に職業を持っているとはまず考えないし、他に職業を持っている人をプロとはみなさない方が一定程度以上おられるからだ。
 つまり、人がプロのカメラマンに求めているのは、写真の技術や本作りの技術だけではないことになる。
 それに加えて、リスクを取ってでも何かにチャレンジしたいというその馬鹿げた生き様が、求められていることになる。
 写真に限らず、プロの○○というのは、しばしばリスクと引き換えに与えられるステータスなのだ。
 僕の場合は、ステータスにはあまり興味はないのだが、自由でありたい、組織に属したくないという気持ちが強く、そのためにはフリーになる以外に選択肢はなかった。
 ただし、そんな自分に本当の意味で気付いたのは割と最近のことだ。



● 2014.10.25 干潟にて

 野鳥の写真は、光を駆使して絵にするよりも、その姿を大きくはっきり、忠実な色合いと質感でとらえたい気持ちが強い。
 だが今日は、後述するが、状況がそれを許さなかった。
 仕方がないので、鳥以外の要素で画面を成立させることを考える。

 野鳥を絵にするよりも忠実に撮影したい理由は、野鳥の場合は、その方が誤魔化しが効かず、はるかに難しいから。
 他にも、近年はカメラの機能が発達し、オートフォーカスと言って自動的にピントを合わせてくれるようになったのだが、あえてその便利な機能に一切頼らず、飛翔中の野鳥に手動でピントを合わせをしたりと、カメラマンという人種は、欲も悪くも難しいことに走る傾向がある。
 同じ飛翔中の被写体でも、これが野鳥ではなくトンボになると、事情が違ってくる。
 飛翔中のトンボの場合は、保護色で背景に溶け込むからか、カメラがなかなか検出することができず、最新のオートフォーカスであってもなかなかピントを合わせることができない。したがってオートフォーカスよりも手動でのピント合わせの方が確率が高いのだが、そうなると今度は意地でもオートフォーカスでピントを合わせてみたくなる。
 くだらねぇな〜と思うが、これがカメラマンの、技術屋の悲しい性なのだ。


NikonD800 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) Capture NX-D

NikonD800 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) Capture NX-D

 少なくとも、デジタルカメラになってからは、一度も有明海には行ってない。
 僕がデジタル一眼レフを使い始めたのは、キヤノンのEOSD30から(30Dではない)であり、D30が2000年の発売であることから判断すると、最後に有明で写真を撮ってから少なくとも14年以上が経過したことになる。
 その久しぶりの有明海で、今日は土曜日ということもあるのだろうが、干潟は、野鳥を観察する人たちで溢れかえっていて、極めつけの人ごみ嫌いの僕は、それを見ただけでクラッと失神しそうになった。
 そのまま帰宅すべく駐車場を一旦素通りしたのだが、ちょっと待てよ、僕の悪い癖だなと何とか思いとどまった。
 帰るのはいつでもできるのし、様子見だけでもいいじゃないかと自らに言って聞かせる。
 人が多いと自由な位置に立つことが出来なくなるが、まあ、出来る範囲で写真を撮ればいいじゃないかと。
 干潟に限らず、今日はあちこちで人出がすごかった。
 野鳥の撮影終了後は、夕刻まで予定していた他の幾つかの撮影は取りやめにして、逃げるように帰宅した。



● 2014.10.24 カタギセル

 種子島に行く途中、宮崎でカタギセルというカタツムリを採集して持ち帰ったのだが、撮影してみると殻の痛みが目立ち、僕の許容範囲を超えてしまう。
 採集のやり直しかなぁ。
 いつもなら、カタギセルが分布する九州南部くらいまでなら大した苦も感じないのだが、去年〜今年にかけては、全国のカタツムリを採集するために散々車を走らせており、もう運転はウンザリなので、やや気が重い。
 専門家の話では、キセルガイは非常に長生きなので、殻が痛んでいるものが多いのだそうだ。
 カタギセルも、それなりの数見つけ出したのだが、どれも殻が痛んでいた。
 見つけても見つけても殻が痛んでいるものだから、そのうち、自分の基準が厳しくなり過ぎてるかな。案外、スタジオで撮影してみたら、まあ許容範囲かもしれんぞと思えてきて、その段階で採集できたものの中のきれいなもので良しとしたのだが、撮影してみたらやっぱりダメ。
 妥協したら、結局2度手間になる。
 
「キセルガイは、飼育すると、それはきれいなものが得られますよ。」
 と教わり、いろいろと飼ってみたのだが、形が、親とは微妙に違ってしまうケースがあり、仮にそれを撮影したとしても、データが付かないので、図鑑のような用途には使いにくい面がある。




● 2014.10.23 チャイロマイマイ


 種子島で採集したチャイロマイマイは非常に不活発。
 スタジオでなかなか動いてくれない。
 活発にさせるために、まずは水に浸けて刺激する。
 それでもダメなら、カタツムリの本来の活動時間である夜間に撮影を試みる。
 さらに日を変えてみたり、餌で釣ってみる、などあらゆる手段を駆使するが、どれも通用しない。
 僕が種子島で見たチャイロマイマイには、殻の色と高さにバリエーションがあり、複数匹を持って帰ったのだが、どれも同じ反応だ。
 そんな種類なのだろうと思う。
 採集の時から嫌な予感はしていた。
 雨の日で本来カタツムリが胴体をビヨ〜ンと伸ばして動き回っていてもおかしくないようなコンディションの時でも、何となく体を縮めたような感じだった。
 野外でさえそうなのだったら、ましてスタジオでは・・・とその段階で不安な気持ちになった。
 昨日は、このたった一枚を撮影するのに、約半日。昼過ぎから撮影をはじめ、撮影が終わったのは深夜だった。
 野外での撮影やスタジオでも美麗種なら、撮影で半日なんてあっという間の出来事なのだが、チャイロマイマイはこの究極の地味さだから全く写欲が湧かず、半日が長いのなんの!
 途中癇癪を起しそうになり、ああ、辛いなぁとしみじみ思う。

 色々な刺激を与えられるカタツムリにも悪いなぁと思う。
 生き物のカメラマンや生き物の研究者は、自分の成果のために時に生き物を苦しめるという批判がある。
 大いに当たっている部分があると思う。
 が、人はそもそも矛盾だらけの存在であり、人のすることはそんなに単純に割り切れるものではない。
 もしも僕がカタツムリに対して本当の意味で興味を持っていなければ、このチャイロマイマイのようなケースで辛抱はできないだろう。
 生き物を好きな人が生き物を苦しめるわけがないというのは大間違えで、研究にしても撮影にしても、やっぱり、それが好きな人にしかできないのだ。
 写真や図鑑や研究がなければ、その生き物を理解してもらうことなんてできない。
 恋愛みたいなものだと思ってもらえればいい。
 どこかに必ずワガママな要素が付きまとうが、それでしか成し遂げられない、それでしか成立しない世界がある。
 世の中が聖人君子ばかりになれば、人類が幸せになるかと言えば、僕は絶対にならないだろうと思う。



● 2014.10.21〜22 ストラップ〜ニコン巻き




 長いこと気に入って使っていた Lowepro のストラップは、犬のリードの先端に取り付けてあるような金具が採用してあり、カメラから簡単に取り外すことができる。
 水辺での撮影の場合、ストラップは水やぬかるんだ泥に浸かってしまうことがあり、そこからカメラバッグに湿気や泥を持ち込んでしまうので、状況に応じて簡単に取り外せるものが望ましい。



 犬のリードの金具との違いは、金具に突起がないこと。
 リードの場合はその突起に触れることで金具を開閉し、犬の首輪に取り付けたり、首輪から取り外しをするのだが、カメラのストラップの場合は、突起は何かに引っかけることがあるし、その拍子で思いがけずカメラがストラップから取れてしまう可能性もあるので、なるべくならない方が安心できる。
 突起がないと開閉は多少しにくいが、それよりも安心を重視した作りになっている。

 これは、今では販売されていない。
 したがって長く使いたいのだが、金具はいずれ金属疲労で破損するだろう。
 金具の欠点は、壊れる予兆が掴みにくいことで、ある時突然に、ポキンと折れてしまうこと。
 そうなる前に新調しておかなければ、カメラを落とすと、とんでもない高額な出費に結び付く。
 問題は金具だけなので、Lowepro のストラップに採用してあるような、引っ掛かりがない金具を散々探してみたのだが、見つけることができなかった。




 仕方なく痛みかけた Lowepro のストラップをズルズルと長く使い続けていたのだが、DOMKEが似た製品を販売していることが分かり、うちにあるカメラのストラップをすべてそれに交換した。

 Lowepro と DOMKE とでは少しだけ作りが異なり、件の金具の位置が違うので、まずは、Lowepro と同じように変更する。
 DOMKEの本来の取り付け方では、仮にストラップをカメラから取り外しても、カメラ側に少し紐の部分を残してしまうのだが、これは撮影の際に邪魔くさいので、ストラップ全体を取り外すことができるように変更。
(変更の前後の違いは下の2枚の画像)


(変更前)

(変更後)

 他は、金具やプラスチックの部品へのストラップの巻き付け方を、ニコン巻きと呼ばれる巻き方に変更する。
 ニコン巻きは、ネットで検索してください。



 因みに、上はニコン巻きではない通常の巻き方。
 ストラップの余った紐がピョンと飛び出していて、そこに何かが引っかかったり触れたり、目に紐の先端が入ってしまったりする可能性がある。

 色は、3色あり、アマゾンの表記では、クロ、ネイビー、サンドとなっている(ヨドバシカメラだと、サンドはタン)。





● 2014.10.18〜20 不完全であること

「ここはもっとこうした方が良かった。」
 とか
「この道具はいらない。代わりにあれが必要。」
 とか、種子島取材の際に感じてメモしておいたことを反映させた上で、使用した機材や道具を棚に戻す。
 そうした片づけの時間は、僕にとってい一番楽しい時間だ。
 不満を感じたり上手くいかなかったことに対して何も手を打たなければ、次回がまた同じクオリティーの取材になってしまうし、逆に何か有効な手を打つことが出来れば、次回はその分取材や撮影が上手くなる。
 上手くなれば、楽しくなる。
 楽しくなるのが何よりも肝心。

 楽しくなるのその元をたどっていくと、必ず何かうまくいかないことがあり、そこでは一旦打ちのめされるが、冷静になってその対策を施すことにたどり着く。
 自分のやり方が完全に確立され何も修正すべきことが無ったとするならば、それはもうそれ以上上手くならないということであり、それ以上楽しくもならないことを意味する。
 つまり、直すべきことがある。
 =自分が不完全であり、今上手くできないことがあったり何かに失敗し、それに手を打っていくことが、楽しく暮らすために一番重要なことだと僕は思う。
 
 カタツムリ取材の場合は、カタツムリをスタジオで撮影するために持ち帰り、それが生きている間に確実に撮影を終えなければならず、例えば20日を超える取材の場合、帰宅後一ヶ月くらいはスタジオ撮影に忙殺された。
 その間、片づけは後まわりになったり、片づけをすることなく室内に積んである道具をまたそのままの状態で積み込んで次の取材に旅立たなければならなかったりして、その点は非常にせつなかった。



● 2014.10.17 更新のお知らせ

9月分の今月の水辺を更新しました。


● 2014.10.16 GPS

 ツイッター上で、取材の際にGPSでログを取っておくことを勧めてくださった方がおられ、先日の種子島取材では、最初から最後まで、ログを記録してみた。
 何月何日の何時何分頃に自分がどこにいたのかが細かく記録され、それを地図上で見ることができる。
 まだ、完ぺきに使いこなしている訳ではなく、パソコンの画面上で何となく触っている段階だが、それらのデータは、写真を整理する際や、別の機会に同じ場所に行く際に役に立つだろう。
 問題は、僕のような車内泊の取材の場合、数日ならともなく、10日とか20日といった期間になってきた時に、GPSの電源の確保が難しいことだった。
 GPSは結構電池を消耗するので、起動したままにする場合、毎日電池交換の必要があり、単三型のニッケル水素電池の充電が追い付かないのだ。そうでなくても、近年は、デジタルカメラ、携帯電話、パソコン、タブレット・・・と車内で走行中に充電しなければならない道具が多過ぎる。
 カメラやパソコンと違って、GPSの場合は普通の乾電池も使用できるし、今はアルカリマンガン電池が安いのでそれを使う手もあるのだが、廃棄物が大量に出るのはやっぱり気分が悪い。それだけもの廃棄物を出すのなら、ログを取るような使い方をする気にはなれなかった。
 ところがふと調べてみたら、僕が使用しているGPSでは、シガーライターから電源を取れる専用のアダプターが存在することが分かり、取り寄せてみたのだ。

 車の運転中は、常にGPSを起動させておき、移動の記録を取り続けた。
 僕の場合、元々GPSの一番重要な役割は、地図に載っていないような小さな池や沢を探すことだった。そして、めぼしい生き物の生息地を見つけた時には、その場所を記録することだった。
 ただ、そうした需要は常にあるわけではないので、種子島での取材の際は、フィールドを歩く時には、機材の量の関係で、基本的にGPSは車に残しておくことにした。
 例外的に、夜の探索の時だけは、道を見失う可能性が十分にあるので、機材を削り、GPSを持つようにした。
 夜に関しては、過去に、「帰りの道が分からなくなったか!」と何度かヒヤッとしたことがあり、生き物探しに夢中になってしまうと、自分が思っている以上に危ないことが分かってきた。



● 2014.10.14〜15 開聞岳

 種子島への行きがけは、錦江湾を出た途端に、海が大荒れ。
 大波に乗っかった船が、今度は舳先を下げて波を下る時には空がなく、巨大な波の壁だけが目の前に立ちはだかる。
 手すりを持ってもたって移動することは不可能。客室に、悲鳴が鳴り響く。
 種子島へは、どんな人が主に渡るのだろうと興味を持っていたのだが、労働者のような身なりの人が圧倒的に多かった。
 したがって悲鳴も、キャーではなくて、オ〜と言う感じで何の色気もない。
 みんな横になり、目を閉じて、船酔いをひどくしないようにひたすらにしのぐ。
 一人だけ、座って平然と本を読んでいるおじいさんが。
 漁師さんなのかな?

 帰りは、波が穏やかで快適。
 台風の影響で10日から欠航していた船は、14日には動いたが、僕が乗船したのは台風の影響がほぼ完全になくなった15日の便。
 もしも14日に乗っていたら、行きがけよりも激しい事態になっていただろう。
 今日の画像は、行きがけに撮影したもの。 


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

 島に渡る場合、僕の選択肢は大きく分けて2つ。
 1つは、フェリーに乗って車ごと渡る。するとフェリーの代金が高額になるので、その分、島では宿を取らずに車内泊をする。
 あとの1つは、船や飛行機で単身島に渡り、島ではホテルに泊まってレンタカーを借りる。
 
 どちらにするかは、まず第一にコストの問題がある。
 鹿児島〜種子島や鹿児島〜屋久島のように島が近ければ、どちらを選んでも大して額に違いはないが、島が遠ければ、よほどに島に長く滞在しない限り、車を渡すのは非常に割高になる。
 ただし、仮に島が近くても、風呂に入ることができる施設がなければ、車内泊は厳しい。
 その点、種子島は温泉があるので、今回は車ごと島に渡る選択肢を選んだ。


NikonD610 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD NX-D

 海の側から見た桜島
 山の山頂より上にあるのは雲。
 それよりも下にあるのは火山灰。右側の斜面に、よく爆発する噴火口がある。


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

種子島へは、およそ3時間半の旅。


NikonD610 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

 こちらは開聞岳。
 鹿児島には戦時中に飛行機の基地があったため、第二次世界大戦中にパイロットをしていた人の記述の中には、空から見たこの開聞岳についての描写が時々出てくる。
 特攻で基地を飛び立った方々の目に、この山はどう映っていたのだろう?
 今の錦江湾をめぐる船旅は、素晴らしい景色に幸せの一言。
 僕は、人は死んだら何も無くなってしまうのだと思っているので、靖国で会おうという発想にはなれないのだが、代わりに今の平和な時代の開聞岳を見てもらいたいし、見せてあげたいなと思う。
 鹿児島〜種子島・屋久島間には高速船もあるが、写真撮影が好きな人には、フェリーを選んで船の甲板からの撮影する旅をお勧めしたい。



● 2014.10.12〜13 ネーチャンフォトとネイチャーフォト

 台風の影響で、種子島のホテルに二泊。
 一泊目は、何もする気になれず、昼過ぎからひたすらに寝て過ごす。
 一年で一番過ごしやすい気温のこの時期、4〜7日間くらいの長さの取材は、あらゆる車内泊の取材の中でも一番体快適なのだが、それでも疲れているんだろうな。
 僕はほぼ何時間でも寝ることができる体質なので、夜は夜でいつも通り、いやいつもよりもさらに早く眠った。
 二泊目は、ようやくパソコンを扱う気分になり、ここ数日分の画像をハードディスクに保存して、目を通す。
 最近はパソコン拒否反応はひどくて、車内泊の場合は、数日に一度程度しかカメラからハードディスクに画像を移さないようになった。


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD610 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)  SB-R200×2 SILKYPIX

 先日(10/6)、種子島に渡る前に、宮崎県でカタギセルというカタツムリを探した。
 キセルガイは倒木の陰にくっついていることが多く、まずはそんな場所を探す。
 めぼしい倒木を見つけたので、周囲を歩いてみたら数匹のカタギセルの姿あり。
 そこでまずは斜面をよじ登り撮影を試みるのが、足元がゆるくてグラグラと崩れ、三脚は不安定になるし、自分も泥だらけに。
 立っているのも精一杯の場所では、ほんのちょっとカメラの設定を変えるのも実に面倒で、カメラの操作性の良し悪しをしみじみ思う。
 ネーチャンフォトとネイチャーフォト。ほんのちょっとした綴りの違いだが、ネイチャーの方は実に泥臭い。
 モタモタしているうちに木漏れ日が陰り、ほんの数枚撮影したところでシャッターチャンスはお仕舞い。


● 2014.10.6〜11 種子島取材

 種子島取材中です。

 8日のフェリーで鹿児島から種子島に渡った。
 島でカタツムリを探して10日のフェリーで鹿児島に戻る予定だったのだが、大型の台風の影響で予約していたフェリーが欠航中。
 台風が通過するのは13日の見込み。
 14日のフェリーは、台風の進路予測から判断すると、動くかどうか何とも言えない状況。
 したがって10日に予約してあった便を14日に振り替えて予約しなおしてそれがさらに欠航した場合、15日、16日あたりはたまったお客さんですでに満席になっており、再度の振り替えは17日の便になってしまう可能性がある。
 そこで、手堅く15日のフェリーを予約した。
 台風が通過した13日の午後からはおそらく撮影ができるだろうから、13〜14日は台風一過の爽やかな空気の元で風景を撮影しようかと思う。
 5日分の仕事がたまり、帰宅後に慌ただしくなるのを考えると気が重いが、13〜14日で思いがけず風景を撮影できるのは、それはそれで楽しみだ。
 ともあれ、今晩11日は車内泊。
 12日、13日はホテルを予約隅済みなので、ホテルに缶詰めになることだろう。
 問題は、今回見つけたいタネガシママイマイが、まだ見つかってないことだ。
 種子島南部の神社を回っているのだが、死んだタネガシママイマイの殻も見つからないのだ。
 どこにおるんよ。誰か知りません?



● 2014.10.5 更新のお知らせ

 8月分の今月の水辺を更新しました。
 8月は、「カタツムリの魅力」です。


● 2014.10.4 国家的なプロジェクト

 台風の雨の湿り気が残っているうちに、島に渡ってカタツムリを取材したい。
 フェリーで車を渡して車内泊をするか、ホテル+レンタカーにすべきか迷ったが、車内泊を選択。
 仮に島に2泊3日なら、車を渡す方が7000円くらい割高になる。
 3泊4日なら、ほぼ同額。
 4泊5日以上なら、車内泊の方が安い。
 多分、2泊3日で十分なので車を渡すと高くなるが、車なら道具をたくさん持っていくことができるのと、運転は慣れた車の方が安心できる。

 夏休みでもなく、無茶苦茶に人気がある場所でもないし、フェリーの予約はせずに港でチケットを買う予定だったのだが、台風の進路予測がはっきりしてきたことに伴いおのずと日程も決まるので一応予約を入れようとすると、何と、「その近辺の3日ほどは満車です。」とのこと
 別の会社に問い合わせてみても同様。
 仕方がないので、ホテル+レンタカーの組み合わせを調べてみたら、僕にとって都合がいいホテルは見事に満員。
 この島、どれだけ人気があるんよ!とただひたすら呆気にとられる。
 実は、僕がカタツムリを探したいタイミングで、島では国家的なプロジェクトが開催され、それに伴なってすでに昨年の時点で、フェリーは予約で満車になっていたのだそうだ。
 結局、予定よりも数日遅れで島に渡ることになった。



● 2014.10.1〜3 湛水

「栗を拾いに来ませんか?」
 と誘ってもらい、両性類の達人・山口県の徳永浩之さんのお宅にお邪魔した。


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX
NikonD610 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD610 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

 徳永さんのお宅では、今では使われていない田んぼや水路が、生き物たちに提供されている。
 湛水された元田んぼでは、1シーズンにギンヤンマやカトリヤンマが100匹以上羽化するのだという。
 湿地をウロウロすると、連結した糸トンボが飛び出してくる。
 山口県では珍しいハネビロエゾトンボの繁殖も確認されている。
 今日は、水たまりに大きなトンボのシルエットを見た。
 写真を撮影して拡大してみたら、これまた山口県西部では稀なルリボシヤンマだった。
 徳永さんのお宅は、僕が写真を撮影するにはむちゃくちゃに広い御殿だが、農地としてみると、猫の額程度の小さな田畑なのだいう。
 その農地としては猫の額程度の土地でも、開放して、知識を持った人がケアーするだけで、これだけ多くの生き物が集まってくるのか!と驚かされる。


NikonD610 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 ここのところ、ほとんど使う機会がなかった Carl Zeiss の Distagon T*2.8/21ZF.2 を手放して、ニコンの新製品の広角レンズを買おうかと思っていたのだが、今日久しぶりに Distagon T*2.8/21ZF.2 を使ってみて唸らされた。
 やっぱり描写がいい!
 立体感と空気感がいい。
 普段持ち歩いているカメラバッグの中には、カメラが一台に、ズームの広角レンズと望遠レンズが各一本。それから接写用のマクロレンズと魚眼レンズにストロボが3個。
 フィールドで長い距離を歩くことを考えると、それくらいが持てる機材の限度であり、その他のレンズは実際のところほとんど使う機会がないのだが、 Distagon T*2.8/21ZF.2 は、ここぞ!という時のための必殺仕事人的なレンズとして、やはり持っておいた方が良さそうだ。
 そう言えば昔、ある仕事でこのレンズを使ったところ、編集部のみなさんを唸らせることができたことを思い出した。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2014年10月分


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