撮影日記 2014年9月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
・今現在の最新の情報は、トップページに表示されるツイッターをご覧ください。
 


● 2014.9.27〜30  噴火

 以前、ある自然写真家が、宮崎県の新燃岳の最初の噴火を撮影した写真は迫力満点で凄かった。
 写真や映像の他に生き物の調査の仕事もしておられるその方は、その関係でたまたま宮崎におられ、仕事を終えたあとの帰りの車の中から撮影した写真だったように記憶している。

 さて、生き物の生息環境を撮影した「環境写真」を、同時に「風景写真」としても成立させる、というのは、僕が掲げている大きなテーマの1つだ。
 その中には、植生や里や山地と言った環境のタイプの他に、地質など地学のジャンルも含まれるし、おのずと僕は、火山や地震といった現象に興味がある。
 ただ、火山の噴火のような現象の撮影は、大きく運に左右される。生活のすべてをそれに捧げ、ここぞと決めた場所の近くに住み着きでもしない限り、狙って撮影できるシーンではないだろうし、少なくとも生き物の撮影と兼務するのは極めて難しい。
 数少ない例外として、鹿児島の桜島はコンスタントに噴火をしているが、コンスタントに噴火する場所では、それはそれなりに安定した環境が出来上がっている。
 そうした場所もいずれじっくり撮影したいと予定しているのだが、他に、突然の噴火を、いや火山の噴火に限らず、頻度は低いものの劇的な自然現象を、スクープとしてではなく、自然という角度から捉えたいのだ。
 運任せのテーマと言えばそれまでだが、ささやかな抵抗としては、カメラを常に肌身離さず持ち歩くことくらいだろうか。

 コンパクトカメラはそれに最適だし、過去に何度も持ち歩くように心がけたことがある。
 だが、結局、毎回持ち歩かなくなった。
 持ち歩かなくなる理由は、画質が完全には満足できないこともあるが、それ以上に、機械としての愛着が湧かないことが大きい。
 腕時計などがいい例だと思うのだが、常に持ち歩く道具で、別にないならないで生活に大きな支障をきたさない物には、役に立つかどうかの他に、手放したくない愛着や思い入れなどがしばしば必要になる。
 最近は、ニコンのNikon1V3が気に入っている。
 まだNikon1シリーズ用のレンズがあまり揃っておらず、ニコンの一眼レフ用のレンズを専用アダプターを介して使用している状態なのだが、いずれ、充実させたいと思う。
 一気に買い揃えてしまおうか、と考えることもあるのだが、僕の場合、過去にそんな買い方をした時にはだいたいロクなことになってない。
 愛着が湧かないのだ。



● 2014.9.25〜26  汚いって







 汚い水を好む生き物たちが存在する。
 連中にとっては、これがとてもいい水なんだろうな。
 僕らが澄んだ水を目にした時にワクワクするように、連中もこんな水に浸かるとい〜気持ちになるのだと思う。
 人が言う、きれいとか汚いというのは、あくまでも人間にとってどうか?という話であり、絶対的な指標ではない。
 
 昔、ある地方議員さんの
「遠賀川を川をきれいな水にしたいんです。」
 という話に考えさせられたことがあった。
「きれいな水ってなんだ?」
 と。
 前後の話の流れからするときれいな水=澄んだ水であり、その動機としては、人間の都合ばかりじゃなく、もっと自然のことを考えるべきだという主張であるように、僕は理解した。
 そんな時に、きれいな水を好まない生き物はいったいどんな存在になるんだろう?とその方の自然観に興味を感じたのだった。
 きれいな水にしたい動機が自然のためではなくて、われわれ人間が気持ちよく暮らせるように、というのなら非常によく分かる。また、議員のような立場の人は、人間社会について考える立場にあり、人間の立場から物を言えばいいのだと僕は考える。
 だが、自然のことを考えるべきだという自然についての話だったので、
「遠賀川をきれいな水にしたいんです。」
 という話には、賛同しつつも、一抹の違和感や不安を感じた。

 直感で言えば、今の日本の社会の場合、仮に自然が損なわれているとするならば、人が汚しているからというよりは、逆に、人が潔癖でキレイでであろうとすることの方が、より大きな原因になっているような気がする。
 汚い場所を増やせと言いたいのではない。人間にとってきれいな場所だけが自然ではないと思うのだ。
 そもそも、きれいってどんなこと?汚いって何?自然って何?と言葉をきちんと定義する機会、考える機会が、足りないような気がする。



● 2014.9.24  おいちゃん

 小学生の頃に読んだまんが・エコエコアザラクの中で、優秀な兄に嫉妬した弟の呪いで、おにいさんが病気になり、脳が溶けて死んでしまうシーンが出てきたときには、心底怖くなった。
 僕の場合は、優秀な兄ではなかったので嫉妬による呪いの心配は不要だったが、病気で自分の脳は溶けてしまわないだろうか?とひどく不安になったものだ。
 子供の頃、悪くても40歳までは生きたいなと思っていた。40歳は、当時の僕にとって、おっちゃんであり、大人だった。
 60歳まで生きることが出来たら大成功やなと感じていた。60歳は、おじいさんだった。
 毎年敬老の日に、何歳からがお年寄りなのか?という話題になる。うかつに敬老の日のお祝いをしようものなら、
「おれは年寄じゃない!」
 と怒られるんじゃないかと。
 僕の個人的な意見は、おじさん、おじいさんと言った呼称は、基本的には、若い人から見たより年配の姿を表すものであり、若い人の感覚が決めることだと思う。
 先日知人の撮影スタジオに遊びに行ったら、娘さんから、
「おいちゃん。」
 と呼ばれた。

 さて、僕が子供の頃から身の回りにいて、哲学をもって生きていて、頼れて、何があっても倒れるはずがない絶対的な存在だったおいちゃんたちが、一人、また一人と大きな病気をするようになった。
 客観的に言えば、今や僕がすでにおいちゃんであり、みんなはおじいちゃんなのだから、病気をするのは当たり前のこと。
 さらに人は必ずいつか死んでしまうのだし、それが年の順になるのは理屈を言えばむしろ幸せなことのはずなのに、いざとなると、なかなかそう割り切れない自分が存在する。
 そんな時に、自然科学の知識などというものは、ほとんど何の心の支えにもならない。
 そんなことよりも、僕は、人間っていったい何者なんだろうなと思う。

 人間っていったい何者?と考える時の中身は、主に2つ。
 1つは、人間の中の自然の部分について。
 どんなに文明が発達しても、人は、自然には逆らえない面があり、その究極の局面で自分はどうしたいのか、その答えを求めてフィールドに出るし、自然現象にカメラを向けているのだと思う。
 あとの1つは、自然界にはない人間独自の部分であり、大雑把に言えば、人の社会とは何か?という疑問だ。
 ただ、それではあまりに漠然としているので、仕事って何だろうな?と具体的に考えることが多い。
 僕は、「写真って何だ?」と写真そのものについて考えたことはないのだが、仕事として写真を撮る行為については、割と頻繁に考える。
 特に、仕事が辛い時に、それを考える機会が多くなる。
 もっとも、考えたところで、仕事が楽になることはないのだけど・・・



● 2014.9.23  太郎コオロギ

 何も用事がなければ8時半とか9時に寝ていた早寝の僕が、カタツムリ探しで深夜までフィールドをウロウロするようになったのが昨年のことだ。
 夜は、眠いし、怖いし、あり得んぞ!と思っていたのが、この一年の間に、夜のカタツムリ探しの虜になってしまった感がある。
 カタツムリが生息する場所はしばしば気味が悪い。
 夜のフィールドに慣れた人でさえ、これはちょっとキツイねという感じの場所が多い。
 例えば、山の中の神社などは、車を付近に止めヘッドライトを消した瞬間、ゾクッと背筋に何かが走る感じがする。
 ところがある日、その日に限っては全く怖さを感じないことに気付いた。
 なぜだ?と考えてみたら、秋の虫たちの鳴き声が紛らわせてくれていた。
 虫の声っていいなぁ。
 特に、コオロギの声が好きだ。

 子供の頃、僕には学校の授業がとてもつらかった。
 とにかく、じっとしていることができなかった。
 したがって、先生には散々に怒られた。
 要注意のマーク人物であった。
 が、今になって思うのは、よく耐えたなぁということ。それから40年近くが経過した今でも、じっとして座って過ごすのは、相変わらず大の苦手なのだ。

 ひたすらに辛抱だったこと以外に授業の記憶はほとんどないが、数少ない思い出が、国語の「太郎コオロギ」だ。
 コオロギという生き物の名前が出てきただけで、耳を傾けてもいいような気になった。
 いつになったら本格的なコオロギの生態の話が始まるのかと待ったのだが、ついに最後までそれはなくガッカリした記憶がある。
「太郎コオロギだ。」
 とお話の中で誰かが叫ぶところだけが思い出される。



● 2014.9.21〜22  光るキノコ

 沖縄でやんばるの森ってすごいなと思ったのは、深夜の1時とか2時に、人に出会うことだった。
 遠くから懐中電灯の光が近づいていて、真っ暗な中、挨拶を交わす。
「両生類ですか?」
「いえ、カタツムリです。」
「自分は光るキノコを探しに来ました。」

 その数日後、夜の奄美大島の森の中で何となく気になるキノコを見つけ、懐中電灯を消してみたら、その光るキノコだった。
 写真を撮りたかったのだが、グウドベッコウというカタツムリを必死に探している最中で、撮影する時間的なゆとりがなかった。
 あとで気付いたのだが、その日の昼間にたくさん見つけて一部を採集しておいたカタツムリが、その晩の目的のグウドベッコウだったのだが、特徴が図鑑の記載と違っており、それがグウドベッコウだと気付くことができなかった。図鑑には殻の直径が9mmと記載されていたが、僕が見つけた物は6mmだった。
 結局一晩中探しても9mmのグウドベッコウを見つけ出すことができず、う〜んと考えた。じゃあ、ここらで大量に見つかるその6mmのものは何だ?と。
 すると、グウドベッコウ以外に候補が見当たらず、サイズは違うがそれがグウドベッコウであろうとその場の結論を出した。
 帰宅後にようやく分かったのだが、グウドベッコウには大小2種類のバリエーションがあるのだそうだ。
 そんなことなら、あの晩、光るキノコを撮影しておけば良かった・・・光るきのこ、探しに行きたいな。
 それを見に行くことができる企画はすでに検討に入っているので、いずれ実現させたい。



● 2014.9.19〜20 釣り


NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD610 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR Capture NX-D

 夕刻に目的地に到着し、バンガローに荷物を置いたあと、試しに少し釣ってみる。
 水量など川の状態は非常にいいが、魚の活性は極めて低く、反応がほとんどない。
 本番は翌朝だが、これは明日は下手したらぼうずやなぁ・・・
 ぼうずとは、魚が一匹も釣れないこと。
 
 僕は別にぼうずでいい。
 僕にとって、例えば撮影でカタツムリを探すのと魚を釣るのは、場所や対象や道具が違うだけで、本質的には同じことであり、その手の体験は山ほど、ある意味飽きるほどできる。
 釣りは、釣果うんぬんよりも参加することに意義があるのであって、またそういうことにしておいた方が、釣れなかった時のためにも都合がいい。
 だが、弟には釣らせてやりたいなぁ。
 弟は勤めを辞め自営になり、従業員を抱えている立場上、簡単には休むことはできなくなったので、数少ない機会なのだ。
 翌朝、バンガローの前を弟が釣り、僕はより上流に入った。
 4時間くらい釣りをしてバンガローに戻ったら、弟がヤマメを2匹釣り上げていて一安心。
 人に釣らせるのは、自分が釣るのよりもはるかに難しいのだ。



● 2014.9.18 僕の年末

 今年はたくさん渓流釣りに行こうと思っていたのだが、カタツムリ図鑑の制作で時間のゆとりがなく、ここまでまだゼロ。ようやく今日から、今シーズン初めての釣りに出かける。
 渓流釣りには漁期があり、九州は9月いっぱいまでなので、シーズン最後に釣りになるだろう
(川を利用した釣り堀にはいく予定だが)。
 それだけカタツムリが面白かったということでもあるけど、禁漁の日が近づいてくると、何とも言えない寂しさがこみ上げてくる。釣りができないから寂しいのではなく、ああ、もう一年たったのかという寂しさだ。
 僕の場合、年末や正月なんかよりも、その日が区切りの一日だったりする。

 自分で一番好きな写真は、昔、渓流釣りの最中に思いがけず出会った被写体を撮影した写真だ。思いがけない出会いだったわけだからカメラを持っておらず、数時間をかけて釣り登った道なき沢を下り、機材を車まで取りに戻った。
 今年たくさん渓流釣りに行こうと思ったのは、そうした予想外の何かに出会うため。つまり、あらかじめ絵コンテが書けないシーンに出会うため。
 自分の意思を超えた何かに出会うため。
 絵コンテを描いた上で見通しをつけて写真が撮れるのは、写真を仕事にする上で大切なことだが、それは同時にハウツーであり、今の自分に想像ができるシーン、自分の枠の中にあるシーンを手堅く撮っているのでもあり、それだけでは何かが足りないように感じるからだ。
 きちんと計算されて撮影された写真は、「いい仕事だなぁ。すごいな。」と感じてもらうことはできても、なかなか深いところで人の心を打つところまではいかず、どうしても業務の範囲にとどまってしまう。
 多分、カメラマンは、自分でも想像できないことにチャレンジしたり、それに出会おうとするリスクを、どこかで、何らかの形で取る必要があるんだろうな、と年々強く感じるようになった。

 昨晩、釣りの道具一式を車に詰め込んだ。
 今朝になって、カメラと小型の三脚を持ち歩くために購入したザックを積み忘れていることに気付いた。
 いや、釣りの時のために、とそんなザックを買ったことすら忘れていた。
 そうやった、そうやった。ニコンのD610は、比較的軽量でしかも高画質だが、そもそもこのカメラも、釣りの時に持ち歩きたいと買ったカメラだった。
 ピカピカのザックを棚からおろそう。



● 2014.9.17 更新のお知らせ

6月分の今月の水辺を更新しました。



● 2014.9.16 グループ展

 今日は、恒例のグループ展の飾り付け。
 もう数年続けてきたので、そろそろ、誰に何を見せたいかをはっきりさせ、それに特化していこうかと次回以降のために多少の打ち合わせもする。
 とにかく写真展をやってみて考えるための材料や情報を得ている段階から、何かを仕掛けていく段階へと差し掛かってる。

1.場 所 :北九州市門司区白野江2丁目  白野江植物公園市民キャラリー
2.期 間 :9月16日(火)〜9月28日(日)
3.出品者 :西本晋也 武田晋一 野村芳宏 (全30点)
4.入場料 :駐車料1台300円 入園料1人200円
5.休園日 :9月から11月は無休

 今日の画像は、出品作品から。


東京都奥多摩町 稲村岩

新潟県糸魚川市 明星山

 奥多摩で石灰岩の稲村岩を見た時に連想したのが、新潟県糸魚川市の石灰岩の岩山、明星山だった。明星山も、そのうち樹木が茂って稲村岩みたいになっていくのかなぁ。
 明星山の岩場には、ムラヤママイマイという薄っぺらくて左巻きのカタツムリが生息し、それは石灰岩の岩場の隙間に暮らすのに特化した形だとされているが、やがて木が茂った時にムラヤママイマイはどうなっていくのだろう?
 ムラヤママイマイは、その変わった形態から非常に特殊なカタツムリだと思われていたのが、近年の遺伝子の研究の結果、東日本に広く普通に分布するヒダリマキマイマイの1タイプだと判明したのだそうだ。
 カタツムリの遺伝子の研究は、痺れるくらいに面白い。
 明星山では見事に晴れ渡ってしまい、カタツムリを探すには不適な気象条件になったため、しかたなく風景を撮影した感があった。
 しかし今になってみると、その青空の風景が実に楽しくて貴重。
 撮影しておいて本当に良かった。
 明星山は僕が過去に見たことがある風景の中でも大好きな景色の1つであり、非常に強烈に印象に残り、その興奮が冷めない感があったのだが、奥多摩で稲村岩を見た時に、ようやく、何か落ち着いたような気がした。
 おそらく、最初に明星山の風景を見た時に、その岩山が将来どう変わっていくのかを見たい衝動に駆られ、稲村岩みたいになるのではないかという具体的なイメージができたのだと思う。
 ともあれ、生き物の生息地を表した環境写真でもあり、同時に風景写真としても成立するような写真が、僕の理想の写真の1つだ。



● 2014.9.13〜15 両極端な方針



 夕景の撮影で、帰りが遅くなってしまった。
 自宅で夕食を食べるのをあきらめ、外食して帰ることに決めた。
 ふと、昔釣りの師匠に連れて行ってもらったチェーンの焼肉屋さんが途中にあったことを思い出し立ち寄ってみようと思ったのだが、焼き肉部門は今ではなく、うどん部門だけが大きくなって新しい建物にリニューアルされていた。
 その焼き肉屋さんだが、はて、いったいどこへ釣りに行った時に、連れて行ってもらったのだろう?
 僕と師匠の釣りは渓流釣りだが、お店は海沿いであり、渓流とは基本的に正反対の方向だ。また、そこを通っていくような渓流も思い浮かばなかった。
 唯一考えられるのは、付近にアユの名所があること。
 師匠は一時期、アユに凝っておられたので、おそらく、何かうまいこと丸め込まれ、ヤマメ釣りを切り上げアユ釣りへと変更し、アユに全く興味がない僕は、師匠の釣りの見学でもしたのではないかと思う。何となくそんな思い出がある。
 師匠は、普段はワンマン経営者であり、一から十まですべてを自分が決めるタイプの方であって、釣りに行ってもそれが滲み出た。
 わしが釣る。君らはわしを見守りなさいというような面が多分にあった。
 たまに師匠の弟さんや息子さんが釣りについてくることもあったが、そこには師匠を頂点とし周りの者がそれを立てる歴然としたヒエラルキーが存在した。

 子供の頃、そんな師匠の一家がとても羨ましかった。
 特に、息子さんの立場になりたいと切望するほどだった。
 武田家はそれとは正反対であり、僕の父は父を立てるのではなく、父に挑みかかって父を超えることを何時にも要求した。
 常に、向上を求められた。
 旅行中に、通りがかりの看板などに英単語が記されていたら、
「おい、あれは何という意味だ?」
 と聞かれ、難易度が高いわけでもないのに答えられなかった場合には、
「バカモン、前にも教えたはずだ。」
 、とゲンコツが飛んでくることも珍しくなかった。
 父は大変な勉強家で、僕が高校生の頃に新聞に掲載される共通一次試験の問題を解いて、英語と数学と物理は当時でも満点を取るようなふうだったので、その基準で物事を考え、それを超えろと常に求められるのは非常に疲れることだった。
 それ故に、うちの兄弟は父とどこかに行くことを嫌った。楽しくないのである。
 師匠は丸っきり逆だった。
「おい、あれは何という意味だ?」
 と英単語の意味を聞かれても、答えられる必要はなかった。
 むしろ、
「分かりません。」
 と答え、
「よしよし、そうやろう。じゃあ、わしが教えちゃろう。あれはなぁ・・・」
 という流れに持っていなければならなかった。
 師匠の知識にはいい加減なところがあり非常に間違えが多かったのだが、その間違えを指摘しようものなら、ひどく不機嫌になられた。

 父は口では平凡でいいと言ったが、実際には常に頂点を目指さなければ許されないようなところがあった。
 師匠は、口では
「世界を目指せ」
 とおっしゃったが、実際には、僕が自然写真家を目指すと話した時に、
「おい、お前それでいったい日本で何人飯が食えると思うとるか。各ジャンルほんの数人やろう。その立場になれるわけがなかろうが。」
 と腹を立てられ、むしろ平凡であることを良しとするように求められた。
 武田家と師匠のお宅とは、一般的な感覚で言えば極端な方針で、しかもその両端であろうが、全く正反対の父と師匠とが気が合うのは、実に不思議に思う。
 恐らく、誰しもその両方の要素がどこかしらで必要で、お互いに自分に不足しがちな何かを満たしているのかもしれない。



● 2014.9.11〜12 憧れ

「よく1つのことが続きますね。」
と言われた。
 撮影の中身はどんどん変わっていくので、1つのことを続けているというよりは、違うことをやっているという面もあるが、一般的な感覚で言うと、やはり1つのことを続けているになるのだろうと思う。
 だとするならば、1つのことが続くのは、それで生活している今でも、自然写真の仕事が僕にとって憧れだからだと思う。
 たまに、憧れの人と結婚して、結婚してもなおその相手が憧れであり続ける方がおられるが、同じようなものだと思ってもらえればいい。
 多分、僕だけじゃなく、続いている人は、多少なりともみんなそうじゃないかと思う。



● 2014.9.10 SIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM


NikonD610 SIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM Capture NX-D

 昨日、スーパームーンを撮影してきてほしいと急遽依頼された。
 そのつもりがなかったので備えがなく、どこに行けばいいのかイメージが湧かなかった。
 調べてみると、月の出が18:30頃。ということは、月が撮影可能な位置にくるには19:00過ぎ。
 今の時期、午後7時というとかなり暗くて、暗いと月の周囲が真っ暗に写ってしまって面白くない。
 と言うことは、少しでも明るい時間帯に月を捕捉したい。
 そこで今回は、どこでもいいからとにかく高くて、月が少しでも早く姿を現しそうな場所をめざすことにした。
 夕刻ちょっと前に約束があり、それを終えてから出かけると、山に登っている途中で月が出てきてしまった。
 しかたねぇなぁ。ここで撮影するか。
 三脚を立て、カメラをセットして数枚撮影する間にも、空はグングン暗くなり、実質的に撮影が可能な時間は2〜3分程度だった。
 より高い場所まで行く時間があれば、もうちょっと早く月を捕捉でき、もう少し長く撮影できたのだろうけど、それでも、そんなに長時間撮影することはできない。
 写真って、やっぱり瞬間なんだよなぁ。

(撮影機材の話)
 野鳥の撮影に使用するような500ミリや600ミリといった超望遠レンズは非常に高価で、ニコンやキヤノンの最新のものを新品で買うと100万円コースになってしまう。
 その点、シグマ社製の APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM は、実売価格で12万円前後。
 その分写りが悪いかと言えば決してそんなことはない。
 すごく切れるレンズというわけでもないけど、十分過ぎるくらいに実用になり、何よりも描写に味わいがある。
 名作レンズと言い切っていいと思う。

 ズームリングを回して500ミリレンズとして使用すると、f6.3と少々暗いが、その分コンパクトで手持ち撮影も苦ではないし、手振れ補正もなかなか優秀。
 ニコンのレンズの手振れ補正と比較すると、シグマの方がカクカクして品はないけど、強引にでもブレを止めると言うことに関しては、シグマの方が上のだと僕は個人的に感じる。
 もちろん、三脚を使用した方がいいが、使用するにしてもそれを軽くできるし、レンズ自体が軽いと、巨大なレンズをどっこいしょと抱えて載せるより三脚へのセッティングも素早くできる。
 それだけで、下手をすると、1分、2分の差になる。
 おまけに僕みたいな貧乏人は、数十万円もするレンズを使用する際には、落としたどうしようと手が震え、体の動きがぎこちなくなり、それでシャッターチャンスを逃すケースもある。
 だがシグマなら、サクサク、ブルンブルン振り回すことができる。



● 2014.9.8〜9 更新のお知らせ

 何のために写真を撮るのか?
 画像処理の順番の関係で順序が前後していますが、今月の水辺を更新しました。順番では本来6月ですが、7月分の更新です。



● 2014.9.7 デジタルカメラのノイズの話


NikonD610 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) Capture NX-D ストロボ

 デジタルカメラには、「感度」という設定項目があり、感度を高くすればより暗い場所で撮影ができるようになる。感度は、100、200、400、800、1600などという数字で表され、数字が大きくなればなるほど感度が高い。
 カタツムリの場合、だいたい薄暗い場所に多く、それらをコンスタントに撮影するためには、最低感度800、できれば1600くらいを使いたい。
 だが感度を高く設定すると、その代償としてノイズが発生しやすくなり、画面がザラザラしたり、色が浅くなる。

 ノイズの出方はいつも一定ではなく、状況によって変化する。同じカメラの同じ感度でも、ノイズが目立つシーンもあれば、目立たないシーンもある。
 一般に、ノイズは、画像の中の影の暗い部分で目立ちやすいため、カタツムリを多く見かけるような物陰が多い場所写真を撮ると、ノイズは目立ちやすい。
 カタツムリの撮影に関して言えば、世間で、
「このカメラは高感度の画質が優れていて、感度800でも常用できる」
 と高評価の機種でも、自分の現場で試してみるとノイズが目立ち、使えないというケースばかりだった。
 ところがニコンのD610を使用してみて驚いた。
 D610の感度800は、僕の撮影現場でも全く違和感なしで、何の問題もなく常用できる。時に、画像処理をする際に、感度800の高感度で撮影していることでさえ忘れてしまう。
 撮影機材は自分の使い方で試してみなければ、評価することなんてできない。
 特に生き物の撮影の場合、一般的なカメラの使い方で言うなら、極めて特殊とも言える状況でばかり撮影することも珍しくない。

 デジタルカメラの高感度の画質は、画素数とも関係があり、一般に画素数が多くなればなるほど、高感度の画質が悪くなる。
 画素数とは画像の大きさのことであり、ニコンのカメラなら、D800は3600万画素、D610は2400万画素。D800の方が大きな画像が得られるが、D610の方が高感度の画質はいい。
 ニコンには、他に1600万画素のセンサーを搭載したカメラがあり、そちらはさらに高感度の画質が優れていることが期待され、それらのカメラの感度1600は、D610の感度800に相当する可能性もあり、試してみたくなる。



● 2014.9.5〜6 僕の蚊学



 「僕の蚊学」というのは、大学時代の先輩の実験ノートのタイトルだ。学生時代、蚊の行動を調べる研究室に属していた関係で、蚊には今でも特別な興味がある。
 画面右側の植え込みの中には、ヒトスジシマカが生息している。
 ヒトスジシマカは朝夕をピークにして光がある時間帯に吸血するので、明るい時間帯に植え込みに近づいて2〜3分も作業をすれば、ほぼ100%血を吸われる。
 だが、画面左の建物への出入り口の扉の前なら、ほとんど血を吸われることはない。
 この場所で血を吸われるのは、ヒトスジシマカの吸血欲がピークに達する夕刻だけ。
 まるで目に見えないバリアーでも存在するかのように、血を吸われるかどうかは、この程度の距離で劇的に違ってくる。ヒトスジシマカのような昼行性の蚊は暗い場所を好み、影がない場所にはあまり出てきたくないのだ。




 こちらはハチの巣。
 先日、カタツムリを探したある場所のトイレの軒下に見つけた。
 役所に知らせるべきか、それとも放っておくべきか。さて、どうしたものか?
 ハチの巣というだけで神経質にすべて取り除いてしまうのは好きではないが、公園のトイレという場所柄、知らせてあげなければ不親切だろうな。
 
 しかし、代々木公園での殺虫剤を噴霧しての蚊の駆除には、怒りを感じる。
 同時に大量の生き物を無差別に殺してしまうことを考えると、狂っているとしか思えない。
 一度そうして絶やしてしまうと、二度と回復できない生き物がたくさんいるだろう。
 蚊を全部殺してしまうことなどどっち道不可能なのだから、もっと穏やかな方法で駆除すべきではないかと思う。
「役所のすることは怪しからん。」
 と憤っている方も多くおられるようだが、役所は住民の顔色をうかがっているだけであり、それを求めている人がたくさんいるということ。
 そんな時、生き物のことをもっと知ってもらいたいなとしみじみ思う。



● 2014.9.4 たまにはいい知らせ

 メールや電話の類が怖い。反射的に、また何か失敗をやらかして、お叱りの連絡ではないか?といつも悪い予感がする。
 先日は、以前サンプル画像を送っていた相手から、使用する画像が決まったので本データを送って欲しいと求められ、その画像を送信したつもりだったのだが、違う画像が来ているとのメールが届いた。
 そんなことがあるだろうか?
 そんなミスが起きないように、相手のメールに記載されていた画像のファイル名をコピーし、パソコンの検索ボックスの中にペーストして、それで検索された画像を送ったはずなのに。
 だが確認してみると、確かに僕は、間違えた画像を送っていた。
 そこで、再度同じ操作をしてミスの再現を試みたら、原因が分かった。
 検索ボックスの中にファイル名をペーストすると、過去に検索されたことがある似たファイル名が、検索の候補としてずらりと表示され、どうもその中の1つを何かの操作ミスでクリックしてしまったようなのだ。
 また、先月には、メールの返事がないと指摘をされたことがあった。
 僕には文面を作成した記憶があったので、迷惑メールと間違えられて削除されたのではないか?くらいに思い、再度作文をしてメールを送り直した。
 ところが先日、今度は別の方とのやり取りの中で、自分が送ったつもりのメールがやはり相手に届いてないことが判明した。
 そこで、メールソフトを確認してみたら、それらのメールはしっかりと未送信のまま、保存されていた。
 当時、相手からの返信がないことは、多少気になった。
 だが、催促するのもなぁ・・・
 そうならないように、必ず返事を返さなければならないような文面を送るべきだったと思ったが、メールを受け取りましたという返事はしない方も結構おられるし、気にしないでおこうと忘れることにした。
 それが実は、僕の方がメールを送っていなかったのだから、冷や汗が噴き出した。
 
 今日もまた、一瞬体がかたまった。
 が、今回は珍しくメデタイお知らせだった。
 今年の春に撮影した画像が、編集会議で好評だったのだそうだ。



● 2014.9.2〜3 続・禿

 自然に興味を持つ人は、生き物の形態や行動を見て、それにいったいどんな意義があるのか?としばしば考える。
 だが、すべての自然現象に適当な理由があるわけではないだろう。
 例えば、人は年を取ったら毛が薄くなって禿げたり、白髪になったり、しわが増えたりするが、それに意義を見出そうとしても、答えは見つからないに違いない。
「神様がそんな風にお作りになったから・・・」
 としか答えようがない。
 自然現象の中には、運命とか定めとしか、説明ができないことも山ほどある。

 今西錦司さんは、生き物の進化という現象も、ある部分そうなのだと主張された。
 一人の人が生まれてから死んでいくまでの間に生じる変化があらかじめある程度決まっているように、生き物の進化も、そうなるようにできているのだと。
 なるほど!とも思うが、如何わしいような気もする。
 今西さんの進化論は、今では全く話題に上らなくなった感がある。
 それは、進化論というよりは、今西さんの自然観を表現した哲学に分類されるべきじゃないか?と個人的には思うのだが、僕は、フィールドで生き物を眺めている時に、今西さんと同じように感じている自分にハッと気付かされることがたまにある。



● 2014.9.1 老化現象

 画像処理の際には、デジタル画像に、いつ、どこで撮影したかなどのデータを埋め込むのだが、先日その最中に、おや?と感じることがあった。
 滋賀県の北部、福井県との県境付近で撮影した画像と高知県の室戸岬で撮影した画像の撮影日が同じ日になってしまったのだ。
 位置的にあり得んよな?と、取材の際の記録を確認してみたら、間違えではなかった。
 その日は確かにそれだけの距離を移動していた。
 無理し過ぎやな。先を急ぎ過ぎると、雑になってしまう。その日、ハゲギセルのつもりで採集したカタツムリは、のちにナミギセルだと分かった。
 結局ハゲギセルは、採集して送ってもらうことになった。


ハゲギセル(主に関西周辺に分布)

 キセルガイの仲間は、フィールドで見つけても殻が禿げていることが多く、きれいなものを探すのに苦労することがある。
 ある時は、朽木をひっくり返したら目的のヒカリギセルが数十匹も出てきたのに、どれをとっても殻が痛んでいて、これぞというものが結局一匹も見つからないこともあった。
 ヒカリギセルなのだから、ピカピカ光っていなければ困るのだ。
 その点、ハゲギセルの場合は、名は体を表すで、別に禿げていても気にする必要はない。
 次回関西に行く際には、フィールドでハゲハゲのハゲギセルを撮影したい。


   
先月の日記へ≫

自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2014年9月分


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TopPageへ