撮影日記 2014年7月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2014.7.31 更新のお知らせ

 5月分の今月の水辺を更新しました。



● 2014.7.29〜30 見本誌

 定期購読をする雑誌の場合、出版社の営業マンは、「見本誌」と呼ばれる本を持って売り込みをし、見本誌は一般に、年度の初めの号である4月号になるケースが多い。
 つまり、4月号の出来不出来で年間の売り上げが決まるわけなので、4月号に関しては、どの出版社も非常に要求が厳しい。
 普段は割と編集者が自由にできる社でも、4月号だけは、みんなで会議をして意見を出し合って内容を決める、当然融通が利かなくなるし、その難しさも加わる。
 その4月号は、7〜8月に作らる。
 したがって、7〜8月の、それらの写真を収めるまでの期間は、僕にとっても非常にシンドイい期間になる。
 早く自由になりたい!



● 2014.7.28 うかつにも

 どうやって写真を撮ったらいいのかが分からず、冷や汗が出てきた。
 そう言えば、撮影を依頼された時に、
「このシーンは大丈夫ですか?」
 と確認されたことを思い出した。
 そんな場合は、第一感で大丈夫だと思ったとしても、いったんそれを捨て去り、出来ないんじゃないかという目で再度検討するべきだが、そうすることなしに、
「大丈夫ですよ。」
 とうかつに答えてしまったことを悔いた。
 内容は、標本撮影みたいなものだが、ページが仕掛けになっていて、いざ実際に写真を撮ろうとすると、それを実現するのは非常に難しく、極めて特殊な加工が必要であることがわかった。
 先日、キノコ写真の達人・新井文彦さんが、「自然に見える写真を撮るためには、不自然なことをたくさんしなければならない」と言ったことをつぶやいておられるのを読んだばかりだが、まさにその通りだなぁ。
 求められた写真を撮るためには、かなり面倒で器用さが要求される何らかの操作が必要であり、標本を加工する工作が始まった。
 ドリルを持ち出してみたり、針金を使ってみたり・・・
 標本を壊してしまうと、まさに負のスパイラルに突入してしまうので、冷静に冷静に。
 もがきにもがいて、何とか片付いた。

 それとあと一点、こちらはそんなに撮影は難しくないと思った別の写真を含めて画像を送ったら、難しくないと思った方の画像が、少々編集者の意図と違うという理由でNGになった。
 そっちかよ!
 仕事って、難しいものだなぁと思う。
 けどまあ、それもよくあることなので、撮影セットをそのまま残しておいた。
 そんなところだけは、多少成長したかなと思う。



● 2014.7.26〜27 言葉

 ウクライナ上空で旅客機が紛争に巻き込まれた事故で、「遺体が雑に扱われている」という理由でオランダが激怒しているという報道に、驚かされた。
 心と体を分けて考える多くの欧米の人は、死んでしまった人を、heや she ではなく、it と呼ぶのだと聞いたことがあったし、そこから僕は、死体は彼らにとってあくまでも「物」なのだと理解していたのだ。
 だが、死体が雑に扱われていると激怒するということは、そうではないということになる。
 it という言葉には、僕らが学校で教わるような無機質ないわゆる物ではなく、もっと幅広い概念が含まれているのかもしれない。

 そう言えば、日本人は虫の鳴き声を楽しむのに対して、欧米の人は、虫の鳴き声を noise と表現するのだと聞いたことがある。
 ノイズは、僕らが学校で習った英語では、雑音的な音を意味する単語だった。
 だが、以前海外に行った際に、
「あなたたちは、虫の声を心地いいと感じないのですか?だって noise なんでしょう?」
 と聞いてみたら、驚かれ、
「そんなことはないよ。」
 強く否定された。
 noise という単語の意味も、雑音以上に、もっと幅広い概念を含んでいるのかもしれない。
 そもそも、日本の単語と英単語が、一対一で完ぺきに対応するはずがないのだが。



● 2014.7.23〜25 楽しいかどうか

 先月、ある虫の撮影の際に、同行した編集者が、
「武田さんが楽しそうに撮影しているので、良かった。」
 とおっしゃった。
 不確定な要素がつきまとう撮影だったし、天気やスケジュールの問題もあり、僕が苦痛ではないか、気にしておられたのだと思う。
「いや、実は楽しいというのは、ないんですよね。」
 とこたえた。
 僕の場合、仕事は仕事であり、集中して無心になって写真は撮るが、楽しいという感覚ではないし、終わると必ず、ああ終わって良かったと思う。
 仕事の喜び、つまり人のニーズにこたえたいという本能は常にあるが、楽しいかどうかに関して言えば、仮に同じシーンにカメラを向けたとしても、それが仕事なのか、あるいは趣味なのかで、全く違った意味合いの時間になる。仕事が仕事である限り、「楽しい」はないだろうと思う。
 したがって、僕にとって、プロのカメラマンとアマチュアのカメラマンは、全く別の存在だ。

 先日、某所で、
「プロのカメラマンの定義を聞かせて欲しい。」
 と言われたのだが、僕は、写真や映像で稼いだお金で、ある一定の期間以上生活をしている人」としている。
 理由はいたって簡単で、「プロのカメラマン」と一般の人が耳にした際に、イメージするのはそんな人だからである。
 少なくとも、その人が他で稼いだお金で暮らしているとは、まず考えないだろう。
 別にそれがエライわけでも、スゴイわけでも、上手いわけでもないと思うが、言葉は共通理解なので、ある単語からみんなが思い浮かべるイメージを、なるべく同じにすることが大切だと考える。
 これは、誰を相手にして仕事をするのかによっても違ってくる。
 僕は一般の人を相手に仕事をしているので一般の人の感覚を基準にしようとするが、クライアントや編集者を相手にすれば、同じ僕でもまた違う定義がになるだろうと思う。



● 2014.7.21〜22 名簿の流出

 名簿の流出が問題になっている某社は、生き物の写真をたくさん使ってくれる会社なので、流出が会社に与えるダメージの大きさによっては、僕らの仕事も多少だろうけど、影響を受ける可能性がある。
 自然写真家には一見あまり関係がなさそうな事件だが、社会ってつながっているんだなと思い知らされる。

 個人情報保護法が持ち上がった時に、日本を代表するジャーナリストのみなさんが会見を開き、反対の立場を表明されたことを思い出す。
 個人情報の保護を名目に、報道の自由が損なわれてしまうというような内容だったと記憶している。
 だが今は、個人情報保護法は、必要で重要な法律として日本の社会で扱われている。
 僕自身は、別にどうでもいいと思う。
 どんなに法律があったとしても、あるいは会社がちゃんと情報を管理しますと主張しても、重要な位置づけの一部の人が不正を働けば情報は洩れるのだから、個人的には、住所を記入する際には、漏れるという前提で書く。
 ただ、あの時会見を開いたジャーナリストのみなさんは、実際に法律が運用され、今それをどう思っているのか、やはり問題を感じるのか、それとも法が成立して良かったのか、改めて意見を述べるべきではないと僕は思う。
 特定秘密保護法にしても、法律が成立する間際や直後には、デモをしたり、あれだけ大騒ぎをするくせに、ほんのちょっと時間が経っただけで、まるで最初から何事もなかったかのようだ。
 そんな騒ぎ方をする人を、僕は信用が出来ない。
 集団的自衛権の解釈の問題にしても、正直に言えば、軍事のことが全く分からない僕にはその是非が判断できないのだが、報道に携わる人やジャーナリストを名乗る人は、むしろ物事が決まり運用が始まった後にどんな問題が生じるのか、あるいはそれが必要だったのかを冷静に検証しようと、てぐすね引いて待ち構えるくらいの気持ちが大切なのではないかと感じる。



● 2014.7.20 カタツムリの魅力


 この2匹が同じ種類だと言われても、大半の人は、ピンと来ないだろう。
 小さい方がノトマイマイ、大きい方がクロイワマイマイと、外見が異なるだけでなく、同種でありながら名前までが違う。
 クロイワマイマイは、山に生息する山地型と呼ばれるタイプ。ノトマイマイは、里に生息する里型を呼ばれるタイプ。
 クロイワマイマイとノトマイマイに限らず、カタツムリには、大きくて黒くてゴツイ「山地型」と小さくて明るく華奢な「里型」とが存在し、両者の名前が違っているケースが多々ある。
 
 山地型のクロイワマイマイを里に放したらどうなるのだろう?里では、ノトマイマイのようなカタツムリに育つのだろうか?
 分布を乱してしまうのでそのような実験をすることはできないが、飼育下では、クロイワマイマイからはクロイワマイマイが、ノトマイマイからはノトマイマイが生まれる。したがって、山地型と里型の違いの大部分は、環境による育ち方の違いではなく、遺伝子の違いであることがわかる。
 遺伝子が違うのに、なぜ両者は同じ種類なのだろうか?
 それは、ノトとクロイワ分類をした人に聞いてみなければ分からないのだが、多分、両者の中間型が見られ、クロイワマイマイからノトマイマイまでつながっているからだと思う。
 或いは、今ならDNAを調べることになるのだろうが、両者のDNAの違いは別種と言えるほど大きくないのかもしれない。
 一匹ずつみれば明らかに別の種類に見える生き物同士がつながっていたりして、カタツムリを知れば、どこからどこまでが一種類の生き物だなどとは、うかつに言えなくなる。
 ノトマイマイとクロイワマイマイが将来どうなっていくのかは知る由もないが、もしかしたら、将来は完全に別の種類へと別れ、僕らは今、1種類だった生き物が2種類の生き物へと別れる進化の過程を見ている可能性もある。
 そうした変異が大変に多くて、あちこちで進化の過程と思われる現象がみられることが、僕にとってのカタツムリという生き物の面白さだ。

 因みに、小さな方のノトマイマイが、殻の直径で35ミリ〜40ミリくらい。
 35ミリ〜40ミリというのは、撮影していると、それを見かけた人が、
「わぁ〜大きいねぇ。」
 と驚くサイズ。
 まして、クロイワマイマイの大きさになると、もう化け物クラス。
 因みに、画像のクロイワマイマイは、殻の直径が58.5ミリ。
 僕は手は決して小さな方ではないが、こんな感じになる。




● 2014.7.19 カタツムリと宗教

 カタツムリは移動能力に乏しいので、たとえ今木がたくさん生えていたとしても、一度更地にされた場所には少ない。
 大半のものが羽をもつ虫と違って、ゆっくりと地面を這って移動し、しかも乾燥に弱くて開けた場所に出ることができないカタツムリの場合、いったんいなくなってしまうと回復には長い時間がかかるか、あるいは回復不可能だ。
 したがってカタツムリを探す際には、昔からあまり人手が入らない場所を探す。

 手入れがあまり行き届かない神社やお寺は、そういう意味で最高のポイントだと言える。うろうろしても怪しまれにくいし、駐車場もある。
 ご住職や神主さんを見かけた際に、
「生き物を探してもいいですか?」
 とお願いすれば、大抵、快く許してもらえる。
 お遍路が盛んな四国は、大変に取材がしやすかった。
 いいお寺はたくさんあるし、お遍路の人のためにお寺には道順に番号が振ってあり、それが道路標識でわかるようになっている。
 それにしても、あれほどまでに、お寺が行政や生活の中心にあることには、驚かされた。
 各地でカタツムリを探すると、日本には具体的な宗教がないようで、やっぱり明確にあることを思い知らされる。
 三重県の高速道路などは、その作りをよく考えてみれば、伊勢神宮にお参りするために作られているようなものだ。



 一般に民家の近くや標高が低い場所には小型〜中型のカタツムリが多く、大型の種類は山地の標高が高い場所にいかなければみられない傾向があるが、四国では、日本最大のカタツムリ・アワマイマイが、町や標高が低い場所でもたくさん見られた。
 大型のカタツムリが暮らしていける環境が残っているからだと思う。
 そのアワマイマイの、古くて白くなった殻を拾った。
 サイズを測ってみたら、直径55mm。
 55mmというサイズは、実質的に見られる日本産のカタツムリの最大級だが、カタツムリの殻のサイズは、同種でも山に行けば大きくなる傾向があるので、山地では、化け物みたいな巨大なアワマイマイが見つかるに違いない。
 図鑑によると、徳島県のある山頂で、直径65.8mmという記録がある。



● 2014.7.17〜18 肌の張り

 どんなに苦労してカタツムリを採集しても、生きているうちに図鑑用の写真を撮らなければ、何もしなかったのと同じこと。いや、時間と交通費を使っていることを考えると、何もしなかったよりも、ある意味悪い。
 したがって、ノロノロしているうちに死なせてしまい、もう一度採集に出かけなければならないなどというのは、まさに最悪中の最悪の展開だと言える。
 だが帰宅をすると、やはり「ああ終わった!」という気持ちになり緊張が保てないのも正直なところであって、帰宅後のスタジオでの撮影は、ある意味、フィールドワークよりも苦しい。 
 小学生の時に先生が遠足の度に言っていた、
「家に帰りつくまでが遠足です。」
 という言葉が思い出されたりする。写真を撮り終わるまでが採集なのだ。
 残るはスタジオで撮影するだけだから、と言っても、実はそんなに余裕があるわけではない。
 せいぜい4〜5匹撮影すればいいのならともかく、ひたすらに撮影しても一週間〜10日は要する量の場合、相手は生き物なのだからその間に死んでしまうこともありうるし、死ななくても弱ってくると、それが写真に出てしまう。


カントウベッコウ

 ベッコウマイマイの仲間など死にやすい種類に関しては、現場で、簡易スタジオで一応写真を撮るが、簡易スタジオで撮影したものの中に、カタツムリの力感が大変にいい写真が含まれていることがある。採集したばかりのものは、軟体の部分の力強さや張りが違うのだ。
 今回見つけたカタツムリの中では、カントウベッコウは持ち帰ってスタジオで撮影したものの、現場で撮影した写真にはどうしても敵わなかった。



 また、現場ですぐに簡易スタジオで撮影する時間的なゆとりがなく、死なせてしまったものもある。
 高知県の山の中でイボイボナメクジを見つけたが、本来図鑑に掲載する種類ではなかったことがあり他を優先して簡易スタジオでの撮影を後回しにしたら、写真を撮るまえに死んでしまった。



● 2014.7.13〜16 逃げ出したシメクチ

 四国で何とか1匹採集したシメクチマイマイに、逃げられてしまった。
 スタジオで撮影するために殻の汚れを取り、待機用の容器に入れておいたのだが、なぜか容器が倒れ、蓋があき、撮影直前のカタツムリが数匹、室内で逃げ出してしまったのだ。
 小型のカタツムリが隠れ込む能力はなかなか大したもので、室内と言えども時に見つからないことがあるので、最悪の結末も覚悟した。

 まず、テーブルに這った後がないか探してみるが、痕跡なし。
 そこで、あたりのものを1つずつ丁寧に見て、見た物は別の部屋へと移していく。
 すると、まず最初に、いっしょに逃げ出したハリママイマイが見つかった。
 ハリマは、テーブルの裏側にくっついていた。さすが、木に登るカタツムリだ!
 しばらく探すと、幸運にも問題のシメクチが見つかったが、それは思い掛けない場所だった。
 僕はてっきり、台の脚や壁やその他、何かに付着していると予測していたのだが、床の上で見つかった。
 なるほどなぁ。このカタツムリは、よほどに低い場所を好む性質なのだろう。
 この感じで、草むらで草の根っこなどに潜り込まれたら、野外では簡単に見つかるわけがない。
 ともあれ、最後の最後まで、油断は禁物ですなぁ。



● 2014.7.12 シメクチ

 今回リストアップされた四国産のカタツムリの中で、もっとも探しにくいのは、おそらくシメクチマイマイではないかと予測していた。
 シメクチマイマイのような草地に生息するカタツムリは、植物の茎や葉に止まって休む一部のものを除いて、非常に探しにくいのだ。
 黒っぽい色をしているシメクチの場合、おそらく草にくっついて休むのではなく、どこかに地面の障害物の中などに潜り込んでしまうに違いない。
 草の上の目立つ場所で休むカタツムリには明るい色合いのものが多く、逆に隠れこんでしまうものには黒っぽいものが多い。
 目立つ場所で休むカタツムリが明るい色合いをしているのは、日光による温度の上昇を防ぐためであり、黒っぽいものは隠れなければならないのだと想像する。

 しかしその難易度が高いと思われたシメクチマイマイは、ある雨の日、別のカタツムリを探している最中にたまたま数匹見つけることができた。
 すると、残るはヤマガマイマイのみ。
 ヤマガマイマイを探す当日の天気は、台風一過の青空。カタツムリを探しには最悪のコンディションだが、それは計算の上だった。
 ヤマガマイマイは木の上で休むので探すのは容易いと思われたし、事実、カタツムリが動かない晴れの日の昼間にも、あっという間に見つかった。
 これで、今回リストアップされた全種を見つけ出し、あとは帰宅するのみ!
 カタツムリを探すのは楽しいが、連日、雨の中での深夜1時、2時までの探索で体が疲れ切っており、さすがにホッとした気持ちになった。

 しかしそこで、思いがけず、1つの疑問が湧き起こった。
 それは、先日見つけたシメクチマイマイの殻に、縞模様があったことだ。
 シメクチって、縞があったっけ?
 調べてみたら、僕が見つけたのはオビ(帯)シメクチというバリエーションであり、典型的なシメクチマイマイではないことが分かった。
 そんなものが存在するのかぁ・・・
 となると、典型的なシメクチマイマイをこれから探さなければならない。
 快晴の、カタツムリを探しにくい日に、よりによって探しにくい種類を探すという最悪の事態になった。
 ああ、早めに縞模様の有無を確認しておけば、台風の雨の間にシメクチを探すことができたのに・・・。

 カタツムリの専門家ならともかく、昼間に僕の技術でシメクチを見つけるのは、100%無理だろう。
 となると、カタツムリが活発になる夜を待つしかない。
 その夜、シメクチマイマイの生息地に足を踏み入れる前に、木の登るカタツムリを一通り見ておくことにした。
 連中がどれくらいの割合で活動しているかを見ておきたかったのだが、本来よく動く夜だというのに、晴れの乾燥した天候の影響で見事に殻にこもったままだった。
 ということは、シメクチもどこかに隠れて休んでいる確率が高い。
 がしかし、草地の足を踏み入れると、活動中の一匹のシメクチマイマイの姿が目に飛び込んでいた。
 やった!と思わず大きな声を出した。
 ちょっと殻が痛んでいるが、悪くない。
 さらに、子供の貝が2匹。
 よっしゃ!この調子なら、ピカピカのきれいな殻の大人のシメクチマイマイが見つかるはずだと胸が躍る。
 しかし、その後は何時間探しても姿はなく、結局、最初の一匹に救われた。
 カタツムリは、晴れの日が続くと、活動するものの割合が低くなる。高知は、明日、明後日と晴れの予報なので、明日、明後日はどんどん状況は厳しくなるだろう。
 ああ、ヤバかった。



● 2014.7.11 カタツムリと探しにくさ

 カタツムリを、休む場所によって大きく分けると、
 (1)木の上で休むすタイプ 
 (2)落ち葉や朽木の周辺で休むタイプ
 (3)草地で休むタイプ
 に分けられる。
 他に、石灰岩の岩の隙間に隠れ込むようなものも存在するが、特殊な分化を遂げた種類が多く、ここでは除外する。
 一番見つけやすいのは、木の上で休むタイプだ。
 仮に降雨がなくカタツムリが殻にこもったまま動いてくれなくても、木を見上げれば、殻がポンと目に飛び込んでくる。
 逆に探しにくいのは、草地で休むタイプだ。
 草むらで休むタイプの中でも、茎や葉にとまったまま殻にこもるタイプはよく目につき見つけやすいのだが、隙間に隠れてしまうタイプは、晴れの日が続いて動かなくなると、それを見つけるのは至難の業。
 雨が降って、連中が自ら這い出してきてくれなければ、打つ手なしと言う感じになる。

 カタツムリ取材では、そうした見つけにくさを最優先に、何をどんな順に探すかを判断する。
 具体的には、雨が降り、カタツムリが活発に動いて目に付きやすくなりそうな日は、見つけにくい種類を探し、晴れてカタツムリが動かず目につきにくい日には、見つけやすい樹上性の種類を探す。



● 2014.7.10 シロマイマイ

 台風よりも、僕が恐れていたのは、台風一過の晴天が続くことだ。
 したがって、天気が荒れている、あるいは湿り気が残っている間に、一刻も早く、目的とするカタツムリを見つけ出しておきたいし、気が急く。
 カタツムリの場合、晴れの日に探すのは骨が折れる。
 
 シロマイマイが見つからずに苦心する。
 近縁のものを、九州や中国地方でたくさん見ているし、そんなに難しいはずはないのだが・・・・
 環境的にもとてもいい場所を探しているはずだし、気象条件も申し分なく、採れない道理がない。
 そんな時は、ちょっと距離を置くことにしている。
 小さなため池のそばでヤブヤンマが羽化をしていたので、しばらくカメラを向ける。
 トンボにレンズを向けながら、考えてみる。
 この条件で、シロマイマイごときが見つからないはずがないよなぁ。
 木の登るし、色が白いのでよく目立つし、だいたい生息する場所では密度が高い傾向がある。
 ということは、場所が悪い可能性が高いので、場所を変えてみおうか。

 車で20キロほど移動してみると、すぐに見つかった。
 点々と木に止まっていて何も慌ている必要はないのだが、大慌てで近づくと、植物のとげがズボンに突き刺さった。
 が、なかなか見つからなかった反動から、そんなの何もかんけーねぇとそのまま突き進み、痛さも忘れて一匹手に取ってみる。
 嬉しい!妙に嬉しい。
 簡単に見つかってほしいのだが、なかなか見つからない方が最終的には楽しくなれるのが、人生の難しいところだ。
 台風の影響は、結局ほとんどなし。
 途中からは、梅雨明けを思わせるような見事な青空が広がる。



● 2014.7.9 台風

 台風の接近に備え、ホテルにチェックインする。
 カタツムリは雨の日に活発になるとはいえ、翌日が暴風雨でフィールドワークができない可能性もあるので、深夜までひたすらにカタツムリ探し。
 報道されているほど天気は荒れず、そういう意味では別にホテルでなくても良かったのかもしれないが、雨でずぶぬれになっても、ホテルなら何時でも風呂に入ったり体を乾かすことができるので気が楽だ。
 憧れのアワマイマイが、町に近いところにもたくさん生息しているのでびっくり。
 アワマイマイは、日本最大のカタツムリだ。



● 2014.7.8 高知へ

 滋賀・福井の県境から、まずは兵庫の明石へ。
 兵庫県に生息するハリママイマイを探す。
 ハリママイマイは、僕が見慣れたセトウチマイマイの変種だ。
 その後、橋を渡って四国へ。徳島から高知の室戸岬へ。
 四国は、道の広さ、人口密度など、車を走らせる時に感じられる雰囲気が九州に近く、ぼんやりしていると自分が他所の土地にいることを忘れてしまう。
 台風の接近が気になる。
 予報通りに行けば、直撃を受けそうなので、いろいろと案じるよりも、早々とホテルに宿泊することを決めた。

 室戸岬では、キセルガイを一種類採集してすぐに眠る予定だったのだが、その最中に、珍しいムロトマイマイの殻を見つけ、気合が入ってしまう。
 結局生きたムロトマイマイは見つけられなかったものの、その最中に、他所で探す予定になっていたカタツムリ数種を見つけた。



● 2014.7.7 湊宏先生

 和歌山の白浜で、カタツムリの分類の第一人者・湊宏先生をたずねる。
 僕はだいたいコミュニケーション障害気味なので人に会うのは得意ではないが、生き物の話をするときだけは別。
 早く話してみたいな、と前の晩から妙に気が急く。
 湊先生のことは、制作中のカタツムリ図鑑の中で紹介する予定だ。
 湊先生と言えば、とくにかくフィールドを恐ろしくくらいマメに歩いておられる。どこへ行っても、
「湊さんが来たことがあるよ。」
 と言われる。
 それゆえに、ひたすらにフィールドワークに徹した方だというイメージを持っていたのだが、実際にお会いしてみると、先生の業績の本質は、フィールドから帰宅後のデータの整理にあるのではないかと感じた。
 見聞きしたことを、放っておかないと言ったいいのだろうか。
 湊先生は新種を100種類記載しておられるが、そうした記載も、その延長線上にあるのではなかろうか。
 さっそくその影響を受け、自分ももうちょっとしっかりデータを管理しなければらなんな、と帰宅後にすべきことに思いを巡らせる。
 そうしたテーマが見つかった時は、何だかやる気が湧いてきて楽しくなる。

 昨日、湊先生のお宅に向かう途中、神社でカタツムリを探したら、びっくりするくらいに大量のキセルガイを見つけた。
 さすが和歌山。森、朽木、落ち葉が凄い。
 キセルガイは、ぱっと見、3種類いるように見えた。 
 それを一通り採集したつもりだったのだが、湊先生に見せようとしたら、2種類しかいないことが分かった。一番大きなものは、どれも殻が剥げていてきれいではなかったので、採るべきものが見つからなかったのだろう。
 だが先生の話を聞いてみたら、それはおそらく、コ(小)ハゲギセルだろうとのこと。
 ああ、しまった!それならば、剥げていても採集しておけば良かった。
 相手は、ハゲギセルなのだから。
 コハゲギセルは、今回制作のカタツムリ図鑑のリストに入っていないが、より大きなハゲギセルは採集することになっている。
 そのハゲギセルの採集で、和歌山から滋賀・福井の県境まで北上。
 夜にハゲギセルを探し、その後、兵庫の明石まで南下し、ハリママイマイを探す予定だったが、ハゲギセルを見つけたところで体力の限界。
 滋賀・福井の県境付近で眠る。


● 2014.7.5〜6 愛知〜三重〜和歌山と移動中

 和歌山県は、紀伊半島の一番下側にある。
 その和歌山の白浜へ、愛知から向かうには、大きく分けると2つのルートがある。
 1つ目は三重県を南に下るルート。つまり紀伊半島の右側を下るルート。
 2つ目は大阪を通るルート。つまり紀伊半島の左側を下るルートだ。
 三重回りの場合は自然度が高いので、途中でカタツムリを採集することができる。三重県が開発されているのは北側の伊勢までであり、それより南側の自然度の高さは素晴らしい。
 三重を伊勢まで車で走ってみると、伊勢という場所がいかに特別な扱いを受けているかがよく分かる。
 伊勢に何があるか?と言えば、伊勢神宮であろう。
 ともあれ、三重回りの場合、高速道路が貫通していないので、和歌山までは約200キロの下道が待っている。
 大阪周りの場合は、白浜のすぐ付近まで高速道路が通じているが、自然度は低い。

 さて、5日に愛知を発ち和歌山の白浜に向かうのに、三重ルートを選択した。
 5日の夜に和歌山の宇久井で、カタツムリを採集しようと考えたのだった。宇久井には、昨年カタツムリを探した場所がある。
 ところが、連日の長距離の移動の疲れが出たのか、宇久井よりも遥か遠くでギブアップ。駐車場に車を止めて車内泊だ。
 カタツムリの採集はできず、下道の運転のみが残ってしまった。



● 2014.7.4 助っ人登場

 助っ人現る。
 Yagi I隊員、Yasu 隊員、Kou 隊員の3名で構成された日原カタツムリ探検隊が、手伝いに駆けつけてくださった。
 カタツムリは夜行性なので夜に探すことが多いが、夜は不安になるし、実際危険も増すので、人と同行できることは非常にありがたいし、とにかく元気がでる。
 特に、カタツムリが多い場所には不気味な場所が多く、探検隊のみなさんも、
「普段この状況で一人で探しているんでしょう?この場所で夜の一人が怖いなぁ。」
 という感想だった。

 同行者のぬくもりを感じた後は、次に一人になった時に、その反動で心に穴が開いたような気がする。失恋したかのような寂しさが込み上げてくる。
 また、その同行者が採集の達人であった場合、例えば昨年からのカタツムリ取材の場合、北海道では駒澤正樹さん、東北では大八木昭さん、沖縄では小原祐二さんんが援軍に駆けつけてくだったが、そうしたレベルの達人とお別れした後に反動としてやってくる不安感はかなりのものだ。
 大船から、小舟に乗り移った感じ。
 あるいは、幼い頃、親とはぐれて迷子になった時に近い不安感が襲ってくる。
 そうした寂しさや不安感を味わうと、改めて、仲間っていいなと思う。



● 2014.7.2〜3 縄文系

 学生の頃、縄文系の人、弥生系の人について教わった時には、弥生系の人についてはよく分かったが、縄文系の人というのがややピンと来なかった。
 身の回りの人を片っ端から思い浮かべてみても、分かるような、分からないような。
 ところが今回、伊豆や奥多摩のわりと隔離された場所で、地元の方を見ていて、なるほど!と実感。
 がっちりした体つきや顔つきで、僕が住んでいる九州ではなかなか見ないタイプの方が、あたりに多かったのだ。
 九州にもそんな人がいないわけではないが、そこまでまとまった数ではないし、典型的でもなく、なるほどと実感するほどではない。
 奥多摩などは、東京都だと思って少々なめていた感があるが、山が深くて、これが東京都か!とびっくり。
 よくここで暮らしているな、いや、よくここで暮らせるな、何が仕事として成立するのだろう?と思うのだが、そうした隔離された場所はオモシロいなと思う。



● 2014.7.1 オークション

 インターネットのオークションのサイトを見るのが好きだ。
 営業力が弱くて既存の市場では大手に太刀打ちできない小さな会社が、オークションの場に優れた製品を出品しているケースが多々あり、そうした製品から伝わってくる技術屋の心意気を感じるのが楽しいのだ。
 そんな会社が、やがて評価を得て大きくなっていくのを見ると、嬉しくなる。
 野生の生き物の出品されている。
 野生生物に関しては賛否両論があるのはよく分かる。「これは性質が悪いなぁ」と感じる出品も多々ある。
 が、時代の流れには逆らえないというのが僕の考え方だ。
 何かの悪い点だけを見てそれを全否定することには、なんの意味もない。
 あらゆることに、いい面もあれば悪い面もあるのは当然であり、全否定するより、その悪い面を工夫によってなるべく小さくすることを目指すべきだと考える。

 さて、以前、オークションにカタツムリが出品されていたので買ってみた。
 説明を読むと、野外で採集されたものではなく、すべてブリードされたものだったので驚いた。
 カタツムリを育成するにはそれなりに時間と手間がかかるので、カタツムリがオークションで落札される際の安価な額ではお小遣いにもならず、むしろ生体を出品する煩わしさの方がはるかに勝るだろう。
 これは何か意図があるなと思ったのだが、その通りだった。
 カタツムリと一緒に、非常によくできた自作の飼育書が届き、おまけと称して、これも飼ってみてくださいと別のカタツムリがついてきた。
 オークションを、仲間を募る場として利用しておられた。
 なるほどなぁ。こんな利用のしかたもあるのか!と感心。
 出品者の住所から、ネット上でよく知られている方であることが想像できた。
 北陸から、途中埼玉で一泊し、翌朝は茨城へ。
 その飼育の達人に会いに行ってみた。
 オークションって、面白いなぁ。
 虫なら、各地にコミュニティーがあるのだろうが、カタツムリくらいマイナーな生き物になると、なかなか語り合える仲間を探すのが難しいのだ。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2014年7月分


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