撮影日記 2014年5月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2014.5.30 大人のイッシキマイマイ、見つからず


クロイワヒダリマキマイマイ

 クロイワヒダリマキマイマイは、殻の巻き方が反時計まわりの左巻き。
 僕が住んでいる九州本土には左巻きのカタツムリがいないので左巻きには憧れがあり、左巻きと聞いただけで見るのも難しいような気がしてくる。
 ところがクロイワヒダリマキマイマイはそうした種類ではなく、たくさん見られた。 
 むしろ、たくさんいると思っていたイッシキマイマイが、実は密度が低い種類で見にくいことを、進化の研究者でイッシキマイマイを材料にしておられる細さんから教えてもらった。
 細さんの著作 「右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化」は、以前にも紹介したことがあるが、時代を超えて読みつかれていく名著のポジションを獲得しつつある。
 ともあれ、細さんがカタツムリが活発になる夜の森で探しても、イッシキマイマイはだいたい1時間に1匹の割合でしか見つからないそうだ。
 僕なら3時間に1匹かなぁ。
 昨晩は、必死に探したが、ついに大人の貝を見つけ出すことができなかった。
 大人の貝と子供の貝とでは、形態が異なるので、図鑑に写真を載せるとなると大人が望ましい。特にイッシキマイマイの場合は、大人の貝に特徴があるのだという。


 
 さて、車に旅行用のトランクケースを積み込んでおいて、石垣島に渡る際には、その中に2泊分の荷物をつめこんだ。
 あれが必要。これも必要、と思い当るものを1つずつ入れていく。
 充電器の類の数にはビックリさせられた。
 僕はだいたい忘れ物が多いタイプなので、普段は必要なものはすべて取材用の車のあちこちに積んだままにして下さないようにしてあるので、充電器を一堂に並べるような機会はなかったのだが、こんなにたくさん使っているんだ!
 車内泊の場合は、電源の管理が煩わしい。
 例えば、パソコンを充電するためだけに、車のエンジンをかけなければならないこともある。
 長距離を移動する際には運転をしながら充電ができるが、島の場合は狭いので、それでは間に合わなくなる。
 特に高画素のカメラを使うと、データの量が多く、撮影した画像をハードディスクに移し、バックアップを取るのに2時間かかったこともある。
 その点、その点ホテルは楽チン。
 その時間の間に風呂に入ることもできる。
 普段取材の際にはほぼ100%車内泊なので、ホテルと言えば、上京の時に利用する狭い狭い部屋のそれほど快適ではないイメージしかなかったのだが、実に快適だった。

 図鑑の仕事のように採集を要する場合も、ホテルが楽でいい。 
 採集の場合は、捕まえたもののデータの整理が重要。
 また、それを生かして持って帰る場合、高温になる車内は適さない。カタツムリに関しては、クーラーボックスに氷を入れて15度前後で管理しているのだが、毎日忘れずに氷を買わなければならない。



● 2014.5.30 石垣島へ


ヒラコウラベッコウガイ(名護市)

 那覇の空港に車を置いて、飛行機で石垣島に飛ぶ。石垣島ではレンタカーを借りて、ビジネスホテルに2泊する。
 ホテルは格安だが、広々している上に、入り口に玄関があり、靴を脱ぐことができるのがありがたい。

 探すカタツムリは、イッシキマイマイとヒラコウラベッコウガイの2種類。
 ヒラコウラベッコウガイは、制作中のカタツムリ図鑑のリストの中には入っていないのだが、背中に背負った殻が肉で覆われていて、出てきたり隠れたりし、カタツムリのようなナメクジのような外見の不思議な生き物。
 どうしても見てみたい生き物の1つだ。
 外来の生き物で、畑の周囲などで見られることになっているのだが、畑と言っても石垣島は広大でどこに行けばいいのか見当もつかず、たくさん撮れるか、逆に大苦労するかの両極端な結果に分かれるような気がして、限られた日程の中で計算ができないことが気になっていた。
 ところが、沖縄本島の名護で採集することができ、石垣ではその分ゆとりができた。
 その時間で、マサキベッコウとクロイワヒダリマキマイマイを探してみたい。



● 2014.5.25〜29 離島のカタツムリ取材



 鹿児島新港発、沖縄行きのフェリーに車ごと乗り込み、沖縄のカタツムリを取材中だ。
 行きがけの車の中で、パソコンをインターネットに接続するための端末がないことに気付いた。
 普段は、車に積んで持ってきた籠の中に入れてあるのだが、その中に見当たらなかった。
 出がけに机の上を見た時には何もなかったので、積み忘れたというよりは、どこにあるかが分からなくなった。
 ちょっと前までインターネットなしでやっていたのだから、まあ、いいかと思った。
 物を使いこなすこととは、便利なものの恩恵にあずかりつつ、別にそれがなくても楽しく過ごせることではないかと僕は考える。それがなければもう楽しくない、というのは、物を使いこなしているのではなく、依存だと思うし、依存はしたくないと思う。
 ただ、月額の使用料金の問題もあるし、いずれ探さなければならないのだが、時間が経てばたつほど、いつそれに触れたかの記憶をたどりにくくなるから見つけにくくなる。
 6月上旬に帰宅した時には、探す気になれないだろう。
 それで、家族に電話で詳しく状況を説明したら、見事に見つけ出し、営業所止めの宅配で出して送ってくれた。
 椅子の背もたれと座るところの間の隙間に入り込んでいたのだそうだ。
 よく見つけたものだと感心。僕なら見つけきらなかったような気がする。

「残念なことに、沖縄、梅雨入りしたってよ。」
「梅雨入りしたから、行くんよ。」
 カタツムリの場合、雨は最高の条件。
 26日と27日は、土砂降りの雨の中、深夜までひたすらに図鑑用のカタツムリの採集。
 採集したカタツムリは宅配で自宅に送り、帰宅後に白バック写真を撮影する。
 28日は曇り時々雨。
 カタツムリは雨の日に活発になるが、土砂降りだとさすがに撮影はさすがに辛いので、この日を待っていた。
 29日は晴れ。
 カタツムリはほぼ引っ込んでしまったので、やんばるの森を歩いてみる。
 2匹のノグチゲラが5メートルの至近距離だが、鳥を撮影できる道具は車の中。以前、野鳥を主に撮影していた時には、遠くのシルエットしか見れなかったのに・・・
 アカヒゲは、2メートル。
 鳥の写真も撮りたいなあ。次にもしも晴れたら、鳥の写真を撮ろう!



● 2014.5.22〜24 準備〜出発

 これからしばらく、幾つかの長期取材の続く。
 梅雨明けまでにそれらの取材を終えることができれば状況はぐっと楽になるが、梅雨明け後〜8月まで持ち越してしまうと、非常に苦しくなる。
 さて、どうなることやら。

 長期取材に出る前には、仕事の空間、生活の空間、倉庫・・・とすべて片づけ、不要なものを捨て、場合によっては整理し直す。
 長期取材があるお蔭で、身の回りが片付く。
 僕の変な癖みたいなものかと思っていたら、ちょっと前にある風景写真の達人が確かフェイスブックだったと思うが、同じようなことを書いておられた。
 できれば、引き受けたスタジオでの仕事も終わらせておきたかったのだが、それらが予想以上に難しく残してしまったため、取材と取材の合間に撮影しなければならなくなった。

 出かける前の「すべて終わらせてしまうぞ!」というあの気力が普段から出れば・・・と思うのだが、なかなかそれはできないものだし、ちょっと追い詰められているくらいが、僕の場合、長い目で見れば一番いい結果になる。



● 2014.5.21 ピントの位置


NikonD610 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 小さな画像ではピンとこない方もおられるだろうが、今日の画像を大きくモニターに映し出した時にパッと目が行くのが、右側の矢印の周辺だ。
 ところが、その位置のヤドカリはややピンボケ。僕がピントを合わせたのは、左側の矢印の2匹のヤドカリだった。
 こうした写真、つまりパッと見た時に目が行く位置とピントが合っている位置がずれている写真は、基本的に論外だと言える。
 構図の基本はそれを一致させることであり、その他構図に関する諸々のテクニックは、その最低限のことが満たされた上での話になる。
 構図というと、写真の技術の中では好みの要素が大きいような気がするが、その点に関しては、僕はプロが撮影した写真に対して違和感を感じることは日頃滅多にない。つまり、みんな同じようにその条件をきちんと満たしているということであり、むしろ好みに左右されない。
 逆に言えば、人に写真を見せる上で絶対に満たしておかなければならない条件ということにもなり、初心者とそうでない人の分かれ目でもある。
 ごく稀に、プロの写真に
「ん?なんで?」
 と意表を突かれることもあるが、その場合よくよく写真を分析すると、そうせざるを得なかった理由があったり、わざと違和感を感じさせることで何かを狙っている場合が多い。

 ずいぶん前の話だが、東京で写真展を開催した際に、自然分野の方ではないが、ある一流の大先生から、
「君の構図はおかしいな。なんで被写体がこんな位置にあるんだ?」
 と指摘をされたことがあった。
 もっと真ん中にあるのが当たり前じゃないかと。
 当時は、その指摘の意味が理解できなかったのだが、今にしてみれば、なるほどなぁと思う。
 仮に今日の画像の場合、カメラを左に振ることで左の2匹のヤドカリをただ真ん中に持っていけば、画面全体のバランスが崩られる可能性が高い。したがって左の2匹を主要な被写体にするのなら、もっと違った切り取り方、例えばこの2匹をグンとアップにするなどになるだろう。
 
 人が見るのは主に画面の中央付近なのだから、こんな端っこに被写体を置くのは、技術以前に、常識の問題といった方がいいのかもしれない。
 その証拠に、この手の写真は、出版の現場ではまず選ばれない。
 写真のプロでもなければ、写真の勉強をしているわけでもない編集者のみなさんにもそれがおかしいことが分かるのだ。
 むしろ、写真を撮る人の方が、技術やテクニックに惑わされ、視野が狭くなる嫌いもある。
 僕は、ゆとりがあれば、そうした非常識な構図からオーソドックスな構図まで一通りのことを試した上で、その中から最終的に残す写真を選ぶ事が多い。
 その過程で生じる失敗作は、基本見せないのだが、ふと東京での写真展の際に指摘されたことを思い出し、あえて載せてみた。



● 2014.5.20 微小な貝殻


NikonD600 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

 撮影用に持ち帰っていた磯の生き物たちを、先日、元の場所に放した。
 干潮のつもりで出かけたら満潮。潮時表を見間違えた。
 過去に磯で写真を撮った時には、何を撮るかによって干潮なら干潮、満潮なら満潮と出かけるタイミングが決まっていたので表の決まった列しか見なかった。したがって表を見間違えるような経験はなかったが、今シーズンは、撮影や観察には干潮、飼育用の海水を汲むのは満潮と、両方の時間帯に用事があり、混乱してしまった。

 ついでに、成体になって間もない極小サイズのヤドカリが入るような貝殻を探してみた。
 直径にして2〜3ミリの貝殻。
 そうした極小サイズのものはなかなか落ちてないことを先日書いたが、今回は少々コツがわかったようで、割と短時間で5〜6個拾うことができた。
 今の時期、磯でヤドカリを探すと、岸に近い場所では、ある程度以上の大きさのものが見つかる。
 磯の場合、満ち引きがあり岸に近いところは水がなくなってしまうので、そこへ行くことができるのは、ある程度以上大きくなった移動能力が高いものだけなのだと思う。
 成体になって間もないミリ単位の微小なものは、多少沖の、より安定した場所で見つかる。
 そこで、小さなヤドカリがギリギリ見つからない岸近くの場所を探すと、小さな貝殻が見つかりやすいことが分かった。
 つまり、小さなヤドカリがたくさん住んでいる箇所では、小さな貝殻はヤドカリたちによって使い尽くされている感があるので、僕が探そうと思ってもなかなか見つからなかったのだと思う。
 ということは、ヤドカリにとって殻の数は、少なくとも適当なものがそこらにゴロゴロ転がっているほど多くないということになる。微小なヤドカリで、適当な殻が見つからず、何かの餌食になったり、死んでしまうものもたくさんいるのではなかろうか。

 逆に、岸に近過ぎる場所でも、微小な貝殻は見つかりにくい。
 貝殻を元々背負っていた貝は陸に近過ぎる場所には生息しないのだから、これは当然のことだろう。
 陸に近い場所の貝殻には波で打ち寄せられたものが多く、古かったり、砕けているものが多い。
 直径、2〜3ミリの貝殻は、大抵は、本来はもっと大きくなるはずの貝が、早い段階で死んでしまった結果であることを思うと、それらの貝たちに何があったのだろう?などと少々気になるが、幼くして死んでしまう貝がいなければ、ヤドカリは存在できないことになる。
 自然って良くできてるなとも思うし、早死にした幼い貝の立場にたってみれば、厳しいなとも思う。



● 2014.5.18〜19 カメラの設定ミス


CanonEOS7D EF100mm F2.8L マクロ IS USM

 このシーンは、しっかりダンゴムシ・オーディションさえすれば、助手なしで一人で撮影することも難しくない。ポイントは、よく丸まり、丸まったままなかなか起き出さないダンゴムシを選ぶことだ。
 すぐに起き出すダンゴムシを選んでしまうと、ダンゴムシを地面に置いて、そこにカメラを向け、正確にピントを合わせシャッターを押す前に歩き出してしまう。

 あと1つ、これと一緒に依頼されたシーンが、予想に反して難しかった。
 すぐに、長くなるなと分かった。
 途中、やった!上手くいった!と思ったら、「カードが入っていません」とカメラの液晶に表示され、ガッカリ。
 ここ数年僕は普段ニコンのカメラを使っているのだが、今回は他の特殊な撮影のために机の上に置いてあったキヤノンのEOS7Dをなんとなく使ってみたくなり、そうした結果だった。
 今使用しているニコンのカメラには記録メディアが2枚入るが、EOS7Dには一枚しか入らないので、パソコンで画像を確認するためにカードを抜いた後、再び撮影に戻るさいにカードを挿し直すのを忘れ、撮影できなくなってしまうことがよくあるのだ。

 まあいいや、と撮影のやり直し。
 するとしばらくすると、また上手くいった。
 が、よし、これで終わり!と喜んだのもつかの間、カメラの感度が暗い場所で撮影する設定になっていた。
 そう言えば先日、室内で犬の写真を撮る際に、カメラを高感度に設定したのだった。
 カメラを高感度に設定すると、ザラザラした画質になったり、質感が悪いツルンとした画質になってしまう。
 そうしてカメラの設定を触ると元に戻すのを忘れるうっかりがあるので、普段、仕事ではない写真を撮る際には、仕事用のニコンのカメラを使わないことにするなど対策をしているのだが・・・ 
 なんとなくキヤノンを使いたくなってその使い分けを崩してしまったばっかりに・・・。
 ただ、高感度と言ってもISO800。どうしても使えない画像ではなかったので、それで良しとしようかな・・・と一瞬考えた。下手したら、分からないんじゃないか?と。
 が、やっぱり人を欺くみたいで後ろめたかったので、撮影をやり直すことにした。
 結局、早朝に始めた撮影が終わったのは夕刻だった。
 アホやなぁ。


CanonEOS7D EF-S15-85mm F3.5-5.6 IS USM



● 2014.5.16〜17 ファーブル



 生き物の中には、名前を正確に同定するのが難しい種類が存在する。大抵は、似たものが存在し、その中のどれなのかを確定できないケースだ。
 小さな昆虫や植物の、どこどこに毛があるとかないとか、そのレベルで種類を区別するような場合も珍しくない。
 当然肉限での区別は困難であり、現場でルーペを使ってみたり、写真を撮影して大きく拡大してみる。
 が、限界があり、そうした生き物を相手にして正式に物を言うと思うのなら、採集をして持ち帰り顕微鏡下で確認する必要がある。
 その上で、標本を残しておけば完ぺきだ。
 標本は、その時は不要だと思っても、あとで必要になることがある。
 古い論文を手に入れて数十年前の生き物の記録に目を通した際に、これ、同定の間違えじゃないかなぁ?と感じたもの、標本が残されておらず、どうにもならなかったことが過去にある。
 僕の場合は研究者ではないので、そこまで正式に物を言うつもりはないし、日頃、撮影した生き物を標本にすることは滅多にないが、自分なりの同定だけは、可能な限り突っ込んでやっておきたいと思う。

 昨年の冬に、ニコンのファーブルと呼ばれているシリーズの実態顕微鏡を購入した。
 新品が、なぜか激安の15000円だったのだ。
 本格的な顕微鏡は置き場に困るし、ちょっと見てみたくてもいちいち準備をするのが面倒なので、結局使わなくなる。
 その点ファーブルは片手にのるサイズなので、机の上に置きっぱなしにしておいても邪魔にならないし、特に必要がないものまで、つい見てしまう手軽さがいい。
 今シーズンは、ファーブルのおかげで撮影できたシーンが幾つかあった。
 微小な生き物を何となく見たら、脱皮の兆候がわかり、そのまますんなりと脱皮のシーンを撮影できたこともあった。
 ここ最近で購入したものの中で、大当たりだったものの1つだ。



● 2014.5.12〜15 人の直観

 今西錦司さんの著書は、今読んでも面白いなと思う。
 データに基づいて物を言うというよりは、その前に、「まず、どう考えてもこうでしょう?」という自然観察の経験からくる直感がベースになっている場合が多く、その感覚の部分に魅力や共感を感じる。


CanonEOS7D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS7D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 さて、小高い貝殻の上で佇んでいたヤドカリの幼生が、ハッと何かを見つけたような素振りをした。
 体の向きを変え、ジッとそちらをしばらく見つめ、やがて一直線に歩き出した。
 辿りついた先は、小さな巻貝の殻だ。幼生はその貝殻に入り、生まれてはじめて殻を背負った。
 その間の距離が、3センチ5ミリくらい。人間にとってはごくわずかな距離だが、2〜3ミリのヤドカリにとっては結構な距離になる。
 おまけに、巻貝の殻は同じくらいのサイズの小石に紛れているのだから、カメラを向けている僕だって一瞬見失うようなことは何度もあったし、それを思うと、ヤドカリの視力は驚異的だと感じた。
 少なくとも、僕は、まず見つけられるはずがない距離だと思った。
 一般的に言って、ヤドカリみたいな生き物の視力がいいはずがないし、
「ヤドカリの眼がいい。」
 などと主張すれば、知識がある人からは下手をすると、
「バカなこと言うなよ。」
 と笑われてしまうだろう。
 だが、自分に必要な形を認識する能力は、非常に優れているように感じる。
 ヤドカリに限らず野生の生き物には、何かを命がけで探すような時に発揮される集中力みたいなものが備わっているように感じることが多い。

 でなければ、生きていけるはずがない。
 海辺で、極小のヤドカリが背負うに適した3〜4mmくらいの貝殻を探してみると、長時間這いずり回っても、なかなか見つけることはできない。
 ところが付近の水たまりには、極小の殻を背負った幼いヤドカリたちが狭い範囲にわんさか見つかる。
 彼らが長距離を移動できるとは思えないので、殻はすべて付近で拾ったはずだし、微小な生物が砂に埋もれているものを掘り出せるはずもないのだから、殻は、あるとするならばコロンと転がっているはずなのだが、なかなか見つからないのだ。
 それを見つけ出し、背負っている個体がたくさんいるのだから、視力検査をしなくても、奴らはむちゃくちゃ目がいいはず、というのが、僕の感覚だ。



● 2014.5.9〜11 文章

 この日記をご覧の方々から、たまに
「文章を書くのが好きなんですね。」
 などと言われると、少し答えに困る。
 僕の場合、自分はこう思う、といった思いを書くのは嫌いではないが、写真にキャプションをつけたり、何かを説明するような文章を書くのはむしろ気が重い。
 さらにその自ら進んで書いている文章にしても、誰かに読んでもらいたい気持ちはほぼゼロだ。したがって、アクセス数や人の反応などを気にしたことも、ほぼない。
 反応を気にするとするならば、それは、インターネットとうい手法の傾向や性質を知りたいという好奇心であり、自分がどう思われるかにはあまり関心がない。
 逆に、人の文章を読む際にも、喜ばせようとかウケようなどと人目を強く意識したものは、あまり好きではない。
 ともあれ、この日記は、自分の心の中にある概念を言葉にすることで自分を知るために書いているのであり、それを、「書くのが好き」と言ってもいいのかな?という思いが、いつもこみ上げてくる。
 つまり、僕にとって書くことは考えるための手段なので、考えるのが好きというのが自分自身での理解だ。

 ふと、大学時代の恩師の言葉を思い出した。
 数年前、山口で撮影をしたついでに先生のお宅に遊びに行った時に、
「言葉って大切だよな。人は言葉でものを考えるんだ。言葉がなかったら、考えられないんだ。」
 と先生がおっしゃったのだった。
 当時、その意味が分かるような、分からないような気がして、そのもやもやした思いをこの日記に書いた記憶があるが、よく考えてみたら、この日記だって、言葉で考えるためのもの。
 数学の問題を解くことに例えるなら、頭の中で問題を解くのには限界があり、自分が考えたところまでを紙に書き記してみることで、さらに先へ先へと考え続けることができる。
 僕の日記は、数学で考えた過程を紙に書き記すようなものだ。
 したがって備忘録でもないので、あとで日記を見返すことはほとんどない。
 見返すとするならば、心の中にある概念が上手く言語化できなかった時に、もっと上手い書き方がなかったかどうかを検討する時くらいなのだ。



● 2014.5.8 長所

 今シーズンは、ある虫の撮影を引き受けた。
 約30ページ分。
 本のサイズが大きく高画質な写真が要求されるのに、飛翔など、しっかりと撮影するのが難しいシーンが絵コンテの中に多く、撮影は気合抜きでは語れない。
 おまけにそれらの飛翔写真がすべて季節ものの植物がらみであり、植物の旬と気象条件が整う日となるとチャンスも少なく、条件が整った時に確実に決める必要がある。
 反射神経の冴えが要求される動体の撮影では体調の影響も大きく、前日は十分な睡眠時間を確保し、体に障りやすいものは食べないようにする。
 現場に出かける際には、アニマル浜口の
「気合だ!気合だ!気合だ!気合だ!」
 という叫びが、いつの間にか頭の中でリフレインする。
 おまけに撮影を依頼してくださった編集者はその虫を趣味で長く飼った経験をお持ちで、とにかく、ごまかしがきかない条件が整っていた。
 ただ、さすがに編集者が現場でその生き物を見ておられるだけあって、あり得ないようなシーンや、ひどいやらせが必要になるようなシーンは絵コンテの中にはなく、簡単な撮影ではないのに、迷いなく取り組める打ち込みやすいものだった。
 生き物の本を作る場合、編集者自身が自然や生き物を知っているというのは、絶対的なストロングポイントになる。

 ただ、そうでなければいい本が作れないか?と言えば、NOだろう。
 本が好きとか、写真が好きとか、美術が好きとか、子供の本なら子供が好きとか、何かその編集者に売りがあればいいのだと思う。
 ある編集者は、今年非常に早い時期に絵コンテを作成し、うちの事務所までそれを持って打ち合わせに来てくださった。昨年、お会いした際に、
「とにかく早く撮影を依頼してもらうことが、いいページを作るために一番大切だと思います。」
 とお願いしておいたら、それに応えてくだったのだった。
 多くの撮影の依頼が時期的に手遅れに近いタイミングで寄せられ、多くの絵コンテが絵に描いた餅なのだ。撮影にどれほどの時間がかかるかが、分からないのだろうと思う。
 また編集者にとって、いつもよりも早い時期に撮影を依頼するというのは、自分のリズムを変えることであり、おそらく簡単そうでなかなか難しいことなのだろう。
 
 ともあれ、早い依頼の結果、僕自身、びっくりするような質の写真が撮れる。
 なるほどなぁ。
 その方は特に生き物が好きなわけではないようなのだけど、その代わりに、カメラマンが働きやすい状況を作ってくださったことになる。それから、要望に耳を傾けてくださったということは、信じてくださったのかな。
 それがその方の優れたところなのだろう。人には色々な長所があり、色々な自分の発揮のしかたがあるものだな、と思い知らされる感じがした。

 早く依頼をしてもらえれば、準備がたくさんできる。
 自然相手の場合、すべて準備で対応しようとすると、やがて行き詰る。なぜなら、自然は完全には管理できないから。
 ただ、あらかじめ絵コンテが存在し、その通りに撮影するケースでは準備が命。準備で9割決まると言っても言い過ぎではない。
 また、依頼が早ければ、撮影した画像を見てもらった上で問題があれば撮り直しもできる。



● 2014.5.7 NikonD610


NikonD600 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX

 デジタルカメラで撮影された画像には、さまざまなデータが埋め込まれている。例えば、そのカメラが過去に何枚の画像を撮影しているのかが、そのデータから分かる。
 僕は普段それを気にしたことはなかったのだが先日ふとした事情で調べてみたら、現在主に使用しているニコンのD800のシャッターは、メーカーが主張する撮影可能な限界の枚数に近づいていることが分かった。
 そうなるといつ壊れてもおかしくないので、予備を買う必要が生じる。
 そこで同じものをあと一台注文しようとしたのだが、全く同じものを買うのもおもしろくないような気になり、急きょ予定変更で同じニコンのD610を購入してみた。
 D800よりも軽いことと、レンズよりも下の部分のでっぱりが小さい点を評価した結果だった。
 レンズよりも下側に大きくでっぱるカメラは、なるべくレンズを地面に近づけたい時にそのでっぱりが邪魔をして近づけることができないので都合が悪いが、D610のそれは、ニコンのカメラとしてはきわめて小さいのだ。
 あくまでもD800の予備だと思っていたが、使ってみると予想以上にいいのでびっくり。操作性には1点だけ納得できない不満もあるのだが、とにかく画質がいい。
 D800で撮影された画像が繊細な感じがするのに対して、D610は力強い。
 デジタルデータは、印刷するとモニターで見た感じよりもずっと弱くなるので、印刷にはD610のデータは適するのではではなかろうか。
 デジタルカメラで撮影される画像の大きさは画素数で表され、画素数が大きい方が、より大きな画像が得られる。
 だが実際には、同じ画素数でも質(ゆとりの大きさの差)があり、質がいいと、より大きく伸ばすことができる。
 D610とD800とではD800の方が画素数が大きいのだが、D610で撮影されたデータは、画素数以上に伸びるだろうという印象を受けた。
 それから、カメラが軽いということは、こんなに重要なことだったのか!



● 2014.5.6 3Dトラッキング


NikonD7100 AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) SILKYPIX

 うちの犬は、とにかく新しいものが大好き。
 初めての人も嫌いではないし、初めての場所に連れて行くと大喜びするし、遠出の際に車に荷物を積み込めば、それを感じとってソワソワする。
 それから、新しいおもちゃ。
 生後3ヶ月くらいの頃だったか、僕が、以前撮影で使用したサッカーボールを処分しようと思って運んでいるのを見つけた時には、初めて目にしたものであるにも関わらずひどく興奮した。
 そこで転がしてみたら、狂ったように追いかけた。

 ドッグランに犬を連れて行き、人が蹴ったボールを全速で追いかける姿を撮影してみた。
 ニコンD7100に望遠ズームレンズを取り付け、明るさの調整は、あらかじめ手動で決めておく。
 ピント合わせは、ニコンの3Dトラッキングを使った全自動。
 3Dトラッキングというのは、一旦ピントを合わせたら、被写体が移動してもそれをカメラが自動的に追いかけながらピントを合わせ続けるというニコン独自の技術だ。
 先月も、犬を被写体に3Dトラッキングを試し、その際にはあまり結果が良くなかったのだが、今日はかなりの成績だった。
 先月と今回の違いは天候だ。先月は曇り。今日は晴れ。曇るとコントラストが弱くなるので、カメラが被写体を検出できにくくなるのだろう。
 撮影中は、ピントがちゃんと合っているのかどうかが分からなくなることも多々あるのだが、そんなことは一切気にせず、カメラを信じて、全速で駆ける犬が着地をした瞬間とか、一番高く跳ねた瞬間とか、とにかくタイミングを捉えることのみに集中してシャッターを押す。
 もちろん、カメラがピントを外すこともあるが、3Dトラッキングがある程度被写体を追いかけることができる条件の時には、よほどに手動でのピント合わせに自信がある人以外は、カメラ任せにした方が、平均で言えば結果が良くなる可能性が高いだろうと思う。

 動く被写体をカメラが自動的に検出して、同じ場所にピントを合わせ続ける同様の機能は、ミラーレスと呼ばれるタイプのニコン1V3にも搭載されているのだが、実は、ちょっと試した範囲では、1V3の方が格段にすごい。
 こちらは紛れもない実用レベルであり、明らかに人の能力を超えていると思われるので、いずれ本格的にテストしてみたい。



● 2014.5.5 画像処理の話


CaptureNX2

SILKYPIX Developer Studio Pro 6

 同じ画像(RAWデータ)を違うソフトで処理をした2枚の画像。上がニコンのCaptureNX2による処理で。下がSILKYPIX Developer Studio Pro 6による処理。

 NX2の方が色に濁りがない。したがって、スタジオで撮影した生き物の標本的な写真の処理などには、NX2が適する場合が多い。だが味や色気に欠ける嫌いもある。
 SILKYPIXの方は、どんなに色を操作しても除去できない濁りが入る。それが味になる場合もあれば、嫌味や抜けの悪さにつながる場合もある。
「ライカのレンズで写真を撮ると、ガラスに少し色がついているんじゃないか?と言いたくなるような微妙な濁りが入り、その味わいが何とも言えずいい。」
 と主張する方がおられ、僕も同感なのだが、SILKYPIXの仕上がりは、ちょっとライカっぽいなと思う。

 同じ元画像なのにSILKYPIXの方が、ボケがいい印象を与える。
 フィルムの時代は、カメラは単なる暗室であり、写真のボケ味はレンズによってのみ決まっていたが、デジタルになってからは、カメラに搭載された画像処理ソフトの影響もある。
 一方でNX2は、シャープで力強い画像になる。この特徴も、やはりスタジオで撮影した生き物の標本的な写真の処理に適する。

 SILKYPIXの方がハイライトからシャドーまでが滑らかにつながり、暗部が汚くつぶれにくい。
 この特徴は、風景の撮影に適する。風景の場合、接写や物の撮影と比べて広い範囲を撮影する結果、暗部から明部までより幅広い明暗が画面に含まれることが多く、それらが滑らかにつながることが重要になる。
 NX2では、暗部がストンと落ちる。それが力強さに結び付くこともあれば、汚く感じられることもある。その暗部の落ち方の程度はカメラによっても異なり、D3やD700やD3Xあたりの世代のカメラではより顕著であり少々扱いにくかった。したがって僕はほぼすべての画像をSILKYPIXで処理していたのだが、その後発売されたD800ではかなり扱い易くなり、今年になって購入したD7100、D610では、特段気難しさを感じなくなった。

 僕の場合、風景の写真では、ほぼ100%SILKYPIX。スタジオで撮影した物的な被写体の写真では、主にNX2。
 マクロレンズを使用した小さなものの写真などのケースでは、状況によって両者を選択する。
 マクロレンズで接写をする場合、僕は、近景、中景、遠景が1つの画面の中に存在するように画面構成し、中景の印象で画面をコントロールしようとするのだが、その場合は、中景のボケ味は重要な要素なので、ボケがきれいなSILKYPIXを選びたくなる。
 だが、近景+遠景のシンプルな画面構成の画像の場合は、ボケ味の要素がなくなってしまうのでNX2を選ぶ場合が多い。それから、とにかくシャープに仕上げたい時と色の抜けを重視したい場合にもNX2を選ぶ。



● 2014.5.4 トンボ合宿


NikonD7100 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD7100 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD7100 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD7100 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

「今年のトンボ合宿は、カワトンボにしようかとおもっちょるんですよ。堀田さんがむちゃくちゃいい場所を見つけたらしいんですよ。」
「今年はなぁ〜。磯の生き物の撮影があるので、参加できない可能性がとても高いのですが、声だけは必ずかけてくださいね。」
 と、トンボ愛好家の西本さんと話をしたのが、確か1月のこと。
 そのトンボ合宿だが、前日まで、参加できるかどうかを決められない状態だった。
 前日の朝の段階では、ほぼダメだと思った。撮影しなければならないシーンがあり、その難易度が高く、しかも量も多かった。
 ところが奇跡的に、それらがすんなりと、思いのほか簡単に片付いた。ちょうど手伝ってくれる人がいたことも大きかった。
 翌日は、トンボ合宿に参加させてもらうことにした。

 大分県の某所で待ち合わせをして、川へ連れて行ってもらう。
「この場所は、ニホンカワトンボのオスが3タイプ、メスが2タイプいますから、5タイプ撮って帰ってくださいね。交尾は、オスが3タイプとメスが2タイプの組み合わせになりますから、6パターン(笑)。」
 とトンボの神様の堀田さん。
 せっかく神様がその場所の面白味を紹介してくださったので、いつもの自分の視点を捨てて、ちょっとマニア的な視点から写真を撮ってみた。

 午後になると多く交尾がみられるらしいのだが、磯の生き物の世話があるので、昼過ぎに退散しなければならなかった。
 もう一回行きたいなぁ。
 そんな何かがあると、目先の仕事にも気合が入る。僕の仕事は写真なのだが、趣味も写真なんだろうなぁ。



● 2014.5.1〜3 上のステージへ


CanonEOS7D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 磯の生き物の撮影を依頼されたのは、昨年冬のこと。
 自分に撮影可能かどうかを検討した結果、結果がでるかどうかは別にして、物理的には不可能ではないようなので頑張ってみることにした。
 難関が待ち受けていることは最初から分かっていた。卵から孵った子供はプランクトンの状態で生まれてくるのだが、その育成が難しいようなのだ。
 すでに出版されている本で現在購入可能なものをすべて取り寄せてみたが、いずれもそこにはなるべく触れないように作られていた。が、僕が依頼されたのは、まさにそこをテーマにした本であり、さらりと流すわけにはいかなかった。
 とにかく磯で採集した親からプランクトンの状態の子供を得て、それを育てながら、ポイントポイントで写真を撮る日々が始まった。
 
 育成を試みると同時に、磯でのプランクトンの採集も多少試してみたのだが、目的のものを捕まえることはできなかった。
 僕の感触では、獲れないことはないのだろうが、いい写真を撮るとなるとプランクトン程度の微小でデリケートな生き物なら10匹〜20匹くらいは確保したいし、それは到底無理に思えた。
 そして以前にもちょっと書いたことがあるのだが、今回モデルに選んだ種類とは近縁のものが同じ場所で他に3種類見つかることを思うと、プランクトンの段階でそれらの子供どうしを区別することは不可能であろう。仮にプランクトンが採れたとしても、何の子供なのかが分からないのだ。
 いや、見てわからないのなら、それを写真に撮ればいいのかな?
 いやいや、やっぱり科学物なので、確からしさを大切にしたいと思った。とにかく、飼育を成功させるしかなかった。

 その育成だが、今日、プランクトンが3度目の脱皮を終え、1つ上のステージに進んでいることが分かった。
 もう一度脱皮をすれば、親と同じステージになる。なんと、育成に成功したようだ。
 飼育のポイントは、一昔前までならまず第一に餌だったのだが、今は、海の生き物を飼うのがブームでありそれに伴っていろいろなものが開発されており、それらの中に、生まれた直後の小さすぎるプランクトンが食べられるものがあった。
 それから、水と酸素。
 水は、水換えに勝る手段なし。下手なろ過は、やらない方がいい。
 毎日数十リットルの海水を使い、また汲みに行った。
 僕の仕事場からいい海水を汲むことができる場所まで、車で30分。海の生き物の撮影をするには、ギリギリの距離であろう。
 プランクトンのような微小な生き物の場合、エアーは緩やかに与えるのがセオリーだが、僕が飼育をした範囲では、強く与えた方が良かった。
 ただし、強いエアーに伴う強い水流は好ましくなく、そのためにはそこそこの大きさの容器を使い、片側から強いエアーを供給しつつも、反対側には水があまり動かない場所を作るのが効果的。
 脱皮までに要する期間は、決まっているわけではなく、いい条件の容器の方が若干成長が早かった。
 飼育自体は、実は好きではないのだが、そうした開発的なことは嫌いではない。


   
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