撮影日記 2014年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2014.2.28 LEDライトの話

 写真撮影の際に照明器具を使う場合は、器具の色温度と演色性に注意する必要がある。
 色温度は光の色の見え方。演色性は物の色の見え方なのだそうだ。
 写真用の照明器具としては、ストロボか、以前はタングステン電球もよく使われたが、いずれも写真専用の光源であるから演色性は十分に高く、カメラマンが気にしなければならないのは色温度だけだった。

 ところが近年は、撮影用の照明器具として、LEDライトが使われるようになった。
 おそらく、熱を出さないし、小さなバッテリーで長く使用できる点が優れているという理由で、元々はビデオ撮影用のライトとして発展してきたものではないかと思う。
 これを写真撮影に流用すると、ピカッと一瞬しか光らずどんな風に光があたっているかが確認できにくいストロボに比べ、ずっと光を出し続けるLEDは初心者にも扱い易い利点がある。
 僕も随分使ってみたが、ストロボよりもはるかにデリケートな光のコントロールができるし、照明の勉強になる。
 ただし、これらは元々写真用ではないから、演色性という要素は考慮されておらず、演色性が悪いものが多く、LEDのカタログを見てもそれに触れられているものはほとんどない。
 まだまだ発展途上のライトだと言える。
 ともあれ、僕は、LEDの球に興味を持ってしまったのだ。

 LEDの球にもピンからキリまであり、有名なところでは、日亜化学の色判定用のLEDの評価が高いが、これを使用したライトは、ポケットサイズの懐中電灯でも目玉が飛び出るくらいに高価で、5〜6万円は覚悟しなければならない。


 
 さて、演色性が高いLEDが使用されているにも関わらず、激安なペンライトが売られていたので購入してみた。
 さっそく試してみたが、肉眼で明らかに分かるくらいに、物が自然に見える。
 撮影に使用してみても、LED独特の色が鈍い感じがない。



 こんなものが普及して欲しいと思っていたのだが、演色性を気にするのはカメラマンくらいだろうし、すぐには普及しないだろうと諦めていた。
 それだけに、いったい誰がこんなものを必要とするんだ?と考えてみたのだが、例えば、お医者さんが喉の奥や鼻の中などを見る際には、皮膚本来の色が見えた方がいいだろうし、案外僕が思いつかないだけで、ニーズがあるのかもしれない。
 ただし、このライトは出力が小さ過ぎて、撮影には不適。
 
 出力が低い球とは言え、演色性が高い球を使用したペンライト1個が1200円くらいで購入できるということは、この球1つの値段は、せいぜい数百円だろう。
 同社の製品で、演色性が低い球を使用したペンライトが600円くらいであることから判断すると、ずばり600円かな。
 


 僕が今主に使用しているライトは、「LEDビデオライト F&V HDV-Z96」。
 小型の球を96個並べたものだが、一個600円の演色性が高い球を96個並べると57600円。
 高すぎて、売れんでしょうね。
 が、撮影用のLEDライトの製作を中国などに発注しているメーカーは、限定で30個とか、演色性の高い球を使用した特別仕様のものを作れば、あっという間に売り切れるだろうと思う。
 30個売ったって、もうからんでしょうが。
 
 

● 2014.2.27 撮影機材の話



 左の「送信機」をカメラのストロボを取り付ける位置にセットしてシャッターを押すと、右の「受信機」付きのストロボがワイヤレスで光る。
 ストロボをカメラに直接取り付けて使うと不自然になるが、こうしてストロボをカメラから離してより理想に近い位置に置くことで、自然な光を得ることができる。

 

 また、送信機なしで、他のストロボの光を利用して、ストロボを光らせることができるスレーブと呼ばれる部品がある。



 ストロボにスレーブを取り付けておき、他のストロボを光らせると、スレーブがその光を感知して、ストロボが光る。
 上の画像のストロボはカメラに取り付けられていないにも関わらず光っているが、これは、僕が別のストロボを光らせ、スレーブがそれに反応したからだ。
 この場合、他のストロボが送信機で、スレーブが受信機だと理解しておけばいいだろう。
 ただし、明るい場所では使いにくい。
 他のストロボを光らせても、周囲が明るいとスレーブがそれを検知してくれないのだ。
 したがって、室内ではとても便利だが、昼間の屋外では役に立たない場合もあり、信頼できない。




 では、これは可能なのだろうか?
 まずは上の画像左側のように送信機にスレーブを取り付け、画像右側のようにストロボには受信機を取り付ける。
 そして、スレーブ付きの送信機に向かってストロボを光らせると、スレーブがその光を感知して送信機のスイッチが入り、その信号が受信機付きのストロボに伝わりストロボが光る。

 ニコン1というシステムを色々と試しており、小さな生き物の撮影に可能性を感じるのだが、唯一、ストロボシステムが非常に特殊で汎用性がないという問題があり、ストロボを自在に使いこなすことが不可欠な微小な生き物の撮影では、それが致命的な欠点であるように思える。
 そこで、ニコン1の内蔵ストロボの前に、上の画像左の送信機付きのスレーブを固定し、画像右のストロボを光らせることが出来れば、と考えたのだ。
 スレーブは、上にも書いた通り、明るい場所では反応が不安定になる問題があるが、さすがに内蔵ストロボの真ん前に置けば、周囲が明るくても光らないことはないだろうと思う。

 さっそくうちにあるこのタイプの道具をすべて試したのだが、このやり方ではストロボを発光させることはできなかった。
 何でだろう?
 因みに、スレーブとストロボの間を、コードでつなげば問題なくストロボは光るので、当面は、ニコン1の内蔵ストロボの前にスレーブを固定しておき、スレーブとストロボをコードで接続して使うことになりそうだ。
 
 

● 2014.2.26 写真展のお知らせ

場所   白野江植物公園 市民ギャラリー
      北九州市門司区白野江

開催期間 2月25日(火)〜3月13日(木)
       休園日なし

出品者  野村芳宏 野鳥 8点
       西本晋也 トンボ 8点
       大田利教 天体 3点
       武田晋一 水辺の景色 8点

入館料 大人200円 (駐車料300円)



● 2014.2.22〜25 中国山地へ







 ある自然現象の撮影で、中国山地へ出かけた。
 撮影はなるべく冷え込む日が望ましく、夜間になる。
 寒さはともかく、普段早寝で9時とか10時には普通に寝ている僕にとって、夜の眠気との戦いは非常につらい。

 一日目は、見当はずれの場所にカメラをセットしてしまい失敗。
 二日目は、いい場所にカメラを構えたのだが、カメラをセットしたことによってその現象があまりはっきりと現れなくなり、これまた失敗。
 これで合計4度目の失敗になるが、今回の経験を生かせば、多分、次は間違いなく撮影できるのではないかと思うのだが、自然の撮影は、そう思ってからさらに一悶着くらいはある場合が多い。
 したがって今回は絶対に撮れると思うと、予想外に失敗が続き、精神的に持たなくなる。
 失敗してもいいやと思いつつ、簡単に撮影できないからこそ面白い、と全力を尽くすのが望ましい。


● 2014.2.21 後ろ向きな動機

 先月あたりからずっと心の重荷になっていたことを、昨日の午後、片づけてきた。
 それを考えただけで、すべてが何となく面白くなかった。
 今日行こう、今日行こう、と思い続けて約3週間。
 運転免許の更新だ。

 僕は、お役所系の場所や公共機関、人がたくさん集まる場所、授業のような形式が、情けないくらいに大の苦手だ。
 別にそれを否定したいわけではないし、講習などを聴けば、良くできた授業だと感心させられるのだが・・・。
 今にして思えば、よくぞ子供の頃に学校に耐えられたなぁと思うのだが、当時はそれしかないと思っていたし、他の世界を知らなかったので耐えられたのではなかろうか。
 知らぬが仏という言葉は、真実だと思う。
 ただ、全校集会とか運動会の練習とか校歌の練習などは、当時から限界に近かった。
 僕がフリーのカメラマンを選択した理由の1つは、組織や団体が苦手だからだ。
 これは、とても後ろ向きな動機だが、もしもこの動機がなかったなら、僕の場合、写真の仕事は続かなかったような気がする。
 もちろん最大の動機は、生き物が好き、そして写真撮影が好きという前向きなものだし、他にもいくつかの前向きな動機があるのだけど、人はいつでも前向きでいられるわけではないし、普段僕を支えている前向きながんばる動機が、一斉に通用しなくなることもある。
 そんな時に、1つだけちょっと質が異なる動機があれば・・・
 僕の場合なら「勤めは絶対に嫌だ」というような後ろ向きな動機が、写真の仕事を続けることを支えてくれるのだ。
 もっとも、勤めが嫌でなければ、その時は就職するのも1つの幸せであり、その幸せが今の僕には想像できないだけ、という可能性もあるが。
 
 ともあれ、フリーのカメラマン、特に他に職を持たずに野生生物しか撮影しないようなカメラマンの仕事は、やっぱりまともじゃないなと思うし、基本的には霞を食うようなもの。
 したがって、当然山あり谷ありであり、1つのやり方が延々と通用するわけではないから何度も脱皮をしなければならない。
 時には、全く想像もできなかった状況に陥る場合もあるし、それを思うと、なるべくたくさんの質が異なる頑張る動機を持っていた方が、対応できやすいだろうと思う。
 したがって僕は、この後ろ向きな動機を、とても大切にしている。
  
  

● 2014.2.20 同定



 フィールドでの生き物の研究に関しては、アマチュアの達人はほんとうに凄いなぁ、と思うし、その成果に心を打たれることが多い。
 先日購入したカヤツリグサ科の図鑑は、やはり買うに値するものだった。
 カヤツリグサ科と言えば、イネ科と並んで同定がやっかいなグループだけに、この図鑑には大変に感激させられた。
 著者の谷城勝弘さんは、高校の先生なのだそうだ。
 こんな図鑑を出してくれた出版社にも感謝したい。

 僕が陸の生き物をよく知らないだけかもしれないが、水辺の生き物には同定が難しいものが多いような気がする。
 水辺に適応するために似てくるのか、それとも元は一種類だった生き物が、水辺という環境の影響でたくさんの種類へと分化した結果、よく似た近縁の種類が多く存在するのか・・・



● 2014.2.20 同定

 先日、ある生き物の達人が、
「自分は、ギブアンドテイク的なやり取りを重視するんです。」
 とおっしゃった。
 自身が誰かに生き物に関する情報を提供し、代わりに自分も情報を受け取り、それでお互いに充実した生き物の観察を楽しむのだそうだ。
 当然、そこには知識が集約され、その方がある意味博物館であるように僕は思うし、やがて、生き字引と言われるような存在になられるだろうと思う。

 僕の場合は、実はギブアンドテイクは考えたことがなく、生き物の情報よりも、生き物好きの人と話をしたり、その姿を見ることに興味がある。
 この世界には何か持っているとしか言いようがない天才肌の人が存在し、僕は、人と行動を共にする時には、そうした姿を見ることが、ある意味野生生物を見ることよりも面白いのだ。
 とくに、自分と考え方が異なる部分が面白い。
 
 さて、蛾の達人である飯田市美術博物館の学芸員・四方圭一郎さんが仕事で北九州にお越しになるとのことなので、会いに行ってみた。
 生き物の世界はとても狭い世界なので、おそらく、日本で公に活動している主な自然屋さんは、ほぼ全員が、友達の友達の範囲に収まるだろうと思う。
 ただ、その中にも幾つかの系統があり、学芸員である四方さんの周りには学者さんが多く、学者さんに関する話がとても興味深かった。
 以前、四方さんが、
「学芸員ではなく、学芸人を目指している。」
 とおっしゃっていたのだが、人に伝えるということを重視しておられるだけあって、話がとても上手で、前向きな何かが伝わってくくることも楽しかった一つの理由だろうし、僕はそういうところから刺激を受けやすい体質なのだ。
 
 

● 2014.2.19 目に見えないコミュニティー

 先日、フェイスブックとはどんなものかを説明しようとして、はたと困った。
 どうしても説明ができないし、相手も理解ができない。
 なぜ説明ができないのか?と言えば、これまでになかったものだからだろう。
 僕は、その手のものは本来嫌いなのだけど、それが結び付けてくれた素敵な縁があることもまた事実。
 好き嫌いに関係なく、世の流れにはある程度乗らざるを得ない。
 パソコンなんて嫌いだと思っていても、やがてパソコンが写真活動をするために必須になったように、今後どんな展開が待っているかが分からないからだ。

 

 本を一冊贈ってもらった。
 骨の本は骨の本でも、食べ物などにかかわる身近な骨の話が多く、実に面白いと思う。食べ物を食べながらこんなことを考えれる人がいるんだ!と思うと、その見識に感服させられるし、知識って生活を楽しくしてくれるすばらしいものだなと感じる。
 一方で、それだけの見識を持った人が活躍するジャンルで自分が本作りの仕事をすることが怖くなる。

 ○○写真協会とか○○自然団体というような組織以外に、僕らの世界には、目に見えないコミュニティーがある。
 人のつながりと言ってもいいのかもしれないし、知識や情報の流れと言ってもいいのかもしれない。
 その流れの中にいることで、新しい物の存在を知り、いつの間にか新しいことを身に付けることができる。
 
 

● 2014.2.18 記録

 しまったなぁ。前回の日記で紹介した水辺の虫を、採集しておくべきだった。

 この手の生き物は名前を確定するのが大変に難しくて、写真では到底無理なのだ。
 体の一部を虫眼鏡で拡大してみて、どこそこに毛があるかどうかとか、時には解剖も必要になるようだ。
 写真に写ってくれた生き物には感謝したくなるし、採りたくない気持ちもある。
 が、僕が撮影した場所ではおそらく水生昆虫はよく調べられていないだろうし、どこに何がいるのかについては、ちゃんと記録を残し、あとで再検証もできるようにしておく必要もあり、それも自然に対する愛情の1つなのだ。
 採るな、という方もおられるが、多分、持ち帰らなければ同定できない生き物がたくさん存在することを知らないんだろうなと思う。なぜ知らないのか?と言えば、そんな生き物には興味がないのだろうと思う。
 
 今回僕が撮影した虫には羽があるが、近縁の種類で、セッケイ(雪渓)カワゲラと呼ばれる羽がないものがいて、是非見てみたいものだと思う。
 多分九州にはいないはずなので、どこかに見に行かなければならない。
 それから、やはり雪の上を歩くクモガタガガンボも見てみたい。
 先日は、他にもトビムシの仲間が見られたが、時間切れで撮影できなかったことに悔いが残る。  
  

● 2014.2.15〜17 メロディー

 撮影中に、ふと気付くと心の中で流れている音楽がある。
 谷で水しぶきの音を聞きながら渓流や滝の写真を撮る時には、マイケルシェンカーグループのキャプテンネモのメロディーが流れてくる。
 レコードに収録されていたかしこまった演奏ではなく、当時発売されていたライブビデオで聞いたよりテンポが速い演奏だ。
 マイケルシェンカーグループの音楽は、昔エレキギターに夢中なった頃に一通り聞いたものの、当時は飛びっきり好きというわけではなかった。
 しかしそれから30年近く経ってみると、当時大好きだったグループの曲をほとんど聞くことがなくなった。
 それに対して、マイケルシェンカーの曲は今でも良く聴くし、撮影中に心の中で勝手に流れるのだ。
 何をイメージしてこの曲が作られたのかを知りたいと思うのだが、インストロメンタルなので歌詞がなく、言葉のヒントがない。








 冬の渓谷で活動する昆虫を探して、熊本県の菊池へ行ってみた。





 スケートの羽生選手がSPで採用した音楽・パリの散歩道が、ゲーリームーアの曲であることを、先日初めて知った。
 ゲーリームーアも、マイケルシェンカーと並んで当時エレキギターを練習する者なら知らない人はいない巨匠だったが、なぜか僕の好みではなく、レコードをわずか一枚聞いただけだった。
 したがって、「パリの散歩道」を知らなかった。
 曲は聞かなかったものの、音楽雑誌でゲーリームーアが特集された際には、穴がくらいに真剣に記事を読んだし、ある時、ゲーリームーアが非常に太い弦をギターに張っていることを知り、僕も真似をした思い出がある。
 弦は太い方がいい音ができるが、扱いが難しくなり、ただでさえ下手糞な僕の演奏がより一層ひどくなるし、指先には巨大な豆が出来て痛くなるしで、僕はギターをあきらめた。
 ゲーリームーアとは逆に、非常に細い弦を張り、細い弦ならばでの自在な演奏で人気があったのがヴァンヘイレンだ。
 どうせ真似をするのなら、ヴァンヘイレンの真似をすべきだったと今では思うのだが、どっち道、僕は正確さを要求されることは不向きであり、楽器の演奏は早めにやめて良かっただろうと思う。
 
 

● 2014.2.14 Nikon1シリーズ



 Nikon1V2という小型のレンズ交換式カメラで撮影。このシリーズは、コンパクトカメラをレンズ交換式にしたものと考えるといいだろう。
 驚いたことに、テントウムシサイズの小さなものを撮影することに関しては、一眼レフよりもトータルとしての画質は上。
 ただし一眼を超える画質を引き出すためには、使いこなしがある。コンパクトカメラは光のコンディションが悪いと急激に画質が悪くなるので、必ずストロボを使って光をいい条件に整えることだ。

 ところがこのカメラ、ストロボの規格がとても特殊で、しかも品揃えが薄く、アクセサリー類も存在せず、どうにもならない。
 何か物を自作して市販の普通の規格のストロボを使用できるように工夫をしたいと思うのだが、時間かけて満足できるやり方が確立できたころには、一般的なストロボの規格に変更されたNikon1V3という新型がでてくるような気がしてならない。
 最低でも、一般的なストロボをコードで接続するための接点であるシンクロターミナルをつけて欲しかった。あるいは有料でいいので、シンクロターミナルを取り付けるサービスを準備して欲しかった。
 ただスタジオの場合は、内蔵ストロボに同調させるやり方で、他のストロボを光らせることができる。
 野外では、周囲が明るいとそれが上手く作動しないことがある。

 専用のレンズの他に、アダプターを介してニコンの一眼レフ用のレンズを取り付けることができるので、 今回はAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED を取り付けた。
 その場合、オートフォーカスは作動するが中央一点のみになり、暗い場所では迷う傾向がある。
 それから、僕はニコンの一眼レフに採用されている画像処理があまり好きではないので、普段はシルキーピクスを使っているのだが、Nikon1系にはニコンの画像処理が合うように感じる。
 
 

● 2014.2.10〜13 大きな写真、小さな写真







 写真を選ぶ際には、写真を大きく拡大してから選ぶ。
 まず最初にパッとみた時に、ビビッと何かを感じる写真にざっと印をつける。
 そこで、どうしようかなぁ・・・と長々と見たりしてはならない。なぜなら、人はそんなに長い時間写真を見てくれないのだし、まじまじと見ないと魅力が伝わらないような写真は、見てもらうまでもなく素通りされてしまうからだ。
 つまりまず最初に、オーラの有無という視点で写真を選ぶ。
 次にそれらの写真の中から、ピントやその他、技術に問題がない写真だけを選び出す。
 つまり細部を見る。
 最後に、今度は写真をサムネイルと呼ばれる小さなサイズに縮小した状態で見て、それでもいい写真だけを残す。
 小さなサイズにしても目に付く写真は、小さくても目立つということであり、それだけ画面に力があるということ。構図や色使いが人目を引くように撮れているということであり、3番目に写真の全体像を見る。
 僕は中でも、小さなサイズで写真を見ることを重視する。

 大きく拡大したらいいのだが小さくするとイマイチな写真が出てくる。
 例えば広い風景を細密に描き出した写真などは、小さくすると何が写っているのかが分からなくなり、魅力が損なわれてしまう。
 そんな写真は、大きく伸ばして見せられる場合に威力を発揮するのだろうが、現実にはそんな大きな写真を発表できるばは滅多にない。
 逆に小さいサイズではいいのに、大きく拡大するとイマイチな写真が出てくる。
 その手の写真は、図鑑やその他、小さな写真を載せるケースで使うと生きる。
 小さく使われる写真は、小さなサイズで見ておいた方がいい。
 経験的には、 コンパクトカメラやそれに近い規格のカメラで撮影すると、小さく見た時には一見シャープに見栄えがとてもいいのに、大伸ばしにすると耐えられない写真が多くなる。
  図鑑向けの写真は、コンパクトカメラに近い規格のカメラで撮影した方が、好結果になる場合が案外多いように思う。
 
 

● 2014.2.9 LEDライト


● 色が割といいという評判の写真用ポータブルLEDライトを使用

● 特に評判ではない 並みの写真用ポータブルLEDライトを使用

● オークションで購入したリングタイプのポータブルLEDライトを使用

 写真撮影用のLEDライトにもさまざまな発色のものがあり、購入する際には、発色の評判を調べてから買うことをお勧めする。
 カタログ等に記載されている色温度は、ほとんどあてにならないので注意が必要。
 そもそも、照明の色温度が厳密に同じなら写真は同じように写るのか?と言えば答えはNOであり、他に演色性という要素がある。
 色温度は光の色の見え方だが、演色性は物の色の見え方であり、例えば上の2番目の画像などは緑っぽいが、その大きな原因は、色温度はおよそ5000Kになっているものの、演色性が低いからだと思う。
 したがって、この緑っぽさや色の鈍さをカラーフィルターで補正しようとするのは、おそらくほぼ不可能だ。
 僕は今でも、サンパックの120Jという古いストロボを時々使用する。 
 120Jで被写体を照らすと、他の乾電池式のストロボで撮影するよりも遥かにビビッドに、生き生きした感じに写るのだが、それも多分、120Jの光の演色性が優れているのだと思う(間違えている可能性もあり)。
 
 ポータブルタイプのLEDライトは、僕の場合、屋外で太陽光で撮影する際の補助光として持ち歩いているので、今回のテストは、デジタルカメラの色温度を太陽光に設定しておこなった。
 
 

● 色温度5000Kと記載されているLED懐中電灯

● 色温度5000Kとされている別のLED懐中電灯
 
 直進性の強い補助光が欲しい時のために購入したLEDの懐中電灯。
 上のものは撮影用には論外。下のものは使えるが、光の芯と周辺部とではかなり色が異なるのが気になる。
 

 
● 番外編1 → 蛍光灯の光
 昔は、蛍光灯と言えば、写真撮影の際には嫌われる光だった。蛍光灯のもとで撮影すると、物が独特の緑色に写った。
 現在ではいろいろな発色の蛍光灯が開発されており、昼光色タイプの物は、一応使える光源だろうと思う。
 写真の知識がない人がオークションなどに出品する商品を撮影するようなケースでは、昼光色の蛍光灯を使うのが一番簡単ではないかと思う。
 
 

 
● 番外編2 → ストロボの光
 
 僕のストロボはちょっと赤く写るが、デジタルカメラでは色温度を変えることができるので問題はない。
 ただし、複数のライトを使う場合にそれぞれのライトの色味が違うと、それぞれのライトが照らし出す面ごとに写真の色がばらついてしまうことになる。
 そうなると、カメラの設定や画像処理では手のほどこしようがない最悪の画像になり、それだけは避けたい。
 複数の照明を使う場合は、ライトごとの色味を揃えるのは必須だが、複数のライトの色を揃えるのは意外に面倒。
 
 

● 2014.2.9 名前

 要調べと書かれたフォルダーの中には、名前を調べなければならない生き物の画像がたくさん放り込んである。
 冬の間にその手の画像をきれいすっきり整理してしまいたいものだ。

 生き物の種類で言うなら、植物が多い。僕は植物は得意ではない。特にその名前は、右から左に忘れてしまう。
 学生時代に暗記科目が弱かったはずだと今更ながら納得させられる。
 植物の中でもカヤツリグサの仲間は、同定が難しく放ったままになる率が高いので、本を一冊買ってみることにした。
 

 
 いやぁ、世の中にはマニアックな本があるものだと嬉しく思う。
 さらにマニアックそうな本もあって、是非見てみたいし、そんな本を作った人や出版社はスゴイと思う。
 が、ちょっと高価なので躊躇してしまう。
 いや、スゴイと思うなら、その思いを態度に表すべきで、買うべきだと思うのだが・・・。


 
 

● 2014.2.8 コンテスト

『本』に偏り過ぎているんじゃないかな?と最近考えるようになった。
 本の場合、自分が言いたいことをたくさんの写真で表すので、その分、一枚一枚はおろそかになる傾向がある。
 おろそかは言い過ぎかもしれないが、一枚の写真撮影で見る人をノックアウトするような意識が欠落する嫌いがある。

 それが特によく分かるのが、趣味で写真を撮っておられる方々の作品を見せてもらった時だ。
 趣味の写真の場合、印刷物上での発表の場はほとんどなく、雑誌の月例フォトコンテストなどが数少ない写真の披露の場になる。そしてコンテストの場合、組み写真でせいぜい3〜4枚程度の写真を見せるくらいであり、大抵は一枚の写真を見せることになるから、その一枚にすべてを凝縮させなければならない。
 そうしたコンテストの上位入賞の常連さんのみなさんの写真には、一枚写真のすごさがある。
 僕らが本を作る時のように70点以上の写真をコンスタントにたくさんそろえるのではなく、100点、あるいは120点の写真を一枚撮ろうとすることに関しては、コンテストの常連さんの作品は、並みのプロよりも経験とキャリアがあるのだ。

 時々、写真クラブなどに属して趣味で写真を撮る方々とお会いする機会があるが、みなさんが目指しておられるのは、コンテストで上位に入選するような華のある写真であり、そんな時に僕らが仕事で作る本を見せても、大抵はほとんど何に反応もしてもらえない。
「これは、あくまでも生き物を説明しただけのものでしょう。」
と。
 せいぜい、ピント合わせやライティングのテクニックに興味をもってもらえるくらいで、写真そのものに感動してもらうは難しい。
 目指しているものの違いと言ってしまえばそれまでだが・・・、その一言で片づけていいのかなと思う気持ちが年々強くなってきた。
 
 

● 2014.2.7 新年会

「今後は写真活動に没頭する」
 と写真仲間の野村芳宏さんが、と小学校の教員を早期退職したのが5年前のこと。
 その時にどんな会話を交わしたのかは今となってはほどんど記憶にないが、何か応援できることはないかな?と考えた結果、定期的に一緒に写真展を開催することになった。
 写真展というからには、合計で30〜40点くらいの写真が欲しいが、自分の仕事の状況を考えると、一人当たり15〜20点近くの作品をコンスタントに準備するのは難しいように思えた。そこで、トンボ写真の西本晋也さんにも声をかけ、一人10点ずつ持ち寄り、合計30点で写真展が始まった。
 その後、西本さんの友人である大田利教さんがメンバーに加わってくださり、現在では4人になった。
 やってみると、年に10枚の写真を準備するのが、案外大変だと分かった。
 僕の場合、生き物の本を作る前提で写真を撮っており、写真展向きの一枚で見せられるような写真がなかなかないのだ。
 
 そのうちに、新年会と称して、年に一度小倉の繁華街で食事をするようになった。
 今年は2月7日がその日。
 写真展のメンバーではないが、山口県のトンボの達人・野田司君も、新年会の常連になった。
 今晩はそこに、山田緑地公園のスタッフであるトンボ愛好家の石原雅貴くんが参加してくださった。
 どなたか、北九州での僕らの写真展、あるいは集まりに参加希望の方がおられましたら、歓迎しますので、遠慮なく連絡をください。
 
 

● 2014.2.6 夢の話

 犬はよく夢を見るようだ。
 パソコンに向かう僕の傍らで、昼寝中の犬がワンワンと吠えたり、足を掻いて走るようなしぐさをする。
 そして夢にうなされたあげくにやがて目を覚ますと、ハッと我に返り、一瞬驚いたような寝ぼけたような顔をするが、サッとつも通りの振る舞いに戻る。
 夢から覚めても興奮が続くようなことはないことから、目が覚めた瞬間に「あっ夢だ」と理解できるのだと思う。
 夢を見るという現象があり、その時自分が見たものが現実ではないことは、犬なりにわかっているのだと思う。

 どんな夢を見ているかについては、しぐさから想像をするしかないのでほとんど何も分からないのだが、以前一度だけ手術を受けた直後に、過去にも、その後にもないほどひどく夢の中でうなされたことがあり、その時は手術を受ける際の検査や麻酔から覚醒した時の恐怖感などの何かが夢の中に現れたのではないかと思う。
 僕は、そうして観察することや考えることが好きだ。
 科学者の場合は、そのあとに自分の仮説を客観的に証明する作業に入り、そこが技術の見せどころになるし、その証明の部分こそが現代の科学なのだろうが、僕の場合は、自分がへぇと分かれば十分であり、他人にも分かるように証明することにはあまり興味がない。
 写真撮影も同じで、自分の感動を人に伝えたいという気持ちよりも、自分自身が納得できる写真を撮りたい気持ちが強い。
 
 

● 2014.2.5 パソコン拒絶反応

 ハードディスクの中で未整理のままになった画像を、毎日少しずつ整理する。
 一日につき10枚とか20枚とか。
 もっとたくさんやろうかとか、一気に100枚〜200枚片づけてしまおうかと思うこともあるのだが、ぐっと堪える。
 以前は、画像処理をそれなりに楽しんでやっていたし、一晩中、パソコンに向かったこともある。
 だが、年々それが苦痛に感じられるようになってきて、昨年末からは、画像処理用のパソコンを見るのも嫌になり、しばらく起動させなかった。
 とにかく疲れるのだ。

 僕らの世界は尋常ではないものが求められる。
 元々それが好きな人の集まりであり、何かを一生懸命するのは当たり前のことであって、さらにその上にどれだけ積み重ねられるかの世界だと言える。
 何かに興味を持った時には、日々の暮らしさえも犠牲にして一気にそれを習得して行きつくところまで上達させるような要素も大切になる。
 狂ったように何かに打ち込める人はいい仕事をするし、逆に、常識的にセーブしようとする人は、ある程度以上は上達しない傾向がある。
 ただ、自分が壊れるところまで打ち込んでしまうと、すべてが終わってしまうので、元も子もないし、自分で自分を壊してしまう人がいるのもまた事実。

 写真の世界で、「弘法筆を選ばず」という例え話を持ち出す方がおられるが、カメラは、ある意味、『物』の世界だと思う。
 カメラメーカーのカタログを見れば分かるように、多種多様なアクセサリーはラインアップされており、書道とは質が異なるように思う。
 デジタルカメラになってからは、そこにパソコンが加わった。
 僕はテクノロージーや物が元々嫌いではないので、その沼にはまりやすい資質があるだろうし、注意が必要だろうと思う。



● 2014.2.4 貸し出し

 そろそろ、写真の貸し出しの依頼が多い時期に突入する。
 次々と絵コンテが送られてきては、それに合う写真を探すことになる。
 写真を貸し出す作業は、僕にとって非常に辛い作業だ。事務所の仕事で一番つらいと言ってもいい。
 なぜなら、貸し出そうにも、まともな写真は数えるくらいしか出てこないから。
 何でこんなに下手糞なんかなぁとか、馬力ねぇなとか、自分の不甲斐なさを嫌と言うほど思い知らされる。
 そして、「すいません。」と心の中で土下座でしながら写真を見てもらう。
  
 写真に仕事や趣味の区別なんてねぇと思うこともあるのだが、写真の貸し出しが多い時期になると、仕事と趣味は全く別物としみじみ思う。
 自分の感動を表現するのと、人のニーズに応えられるように備えるのとは、相当に違うことだと感じる。
 
 

● 2014.2.3 思い出

 僕が自然写真の道へ進むことを決意した大学4年生の当時、写真業界には一人知り合いがおらず、まず途方に暮れた。
 父に相談をしたら、父の友人の弟さんであるNさんが第一線で活躍する写真家であることがわかった。
 Nさんは、
「生き物の写真はほとんど撮ったことがないなぁ。フリーになったばかりに頃に、動物園で糞の写真ばっかり撮らされたことがあってねぇ、もう2度とやりたくないと思った思い出がある。でも、カメラマンの知り合いはいますから、あなたが上京する時に合わせて詳しい人をセッティングしてあげましょう。」
 と僕の訪問を受け入れてくださった。
 僕はNさんが経営する戸越銀座のところにあるスタジオを訪ねた。
 Nさんは日本政府の招待で数人のカメラマンと共にカナダを訪れたことがあり、その時にさまざまなジャンルの写真家と面識ができ、その中には自然分野の方がおられたのだそうだ。
 最初に、星野道夫さんに声を掛けようとしてくださったらしいのだが、星野さんは国内にはおられなかった。
 それでなるべく自然写真分野に近い人ということで、今度は釣りの写真で有名な秋月岩魚さんに声を掛けてくださった。
 秋月さんは、釣り好きの僕にとって憧れの写真家の一人だったし、秋月さんが撮影を担当した本を何冊も持っていた。
 秋月さんは、自らを、
「俺は旅の写真家だからさ・・・。」
 と紹介してくださった。
「誰にでも分かる写真なんてつまらない。」
 ともおっしゃった。
 その秋月さんが写真展を開催していることを、ある方のホームページで先日知った。
 さっそく写真展のホームページにアクセスしてみたら、なぜ旅の写真家なのかが書かれていた。
 それには大変に羨ましいいきさつがあった。
 
 ともあれ、Nさんは、
「写真が上手い人はいくらでもいますよ。」
 とおっしゃった。
「成功するかどうかは、写真よりもむしろ、マネージメントが上手いかどうかですよ。」
 と。
 僕は、自然写真分野の人に話を聞く必要があると感じた。
 それがきっかけになり、大好きだった昆虫写真家の海野和男先生に手紙を書くことをようやく決意することができた。
 引っ込み思案な僕にとって、一大決心だった。



● 2014.2.2 雨の夜

 沖に浮かんだ一匹のオスのカエルの様子がおかしかった。
 蛙のくせに、水面であっぷあっぷして、まるでおぼれているかのよう。
 懐中電灯の明かりを最強にして照らしてみると、アメリカザリガニの子供に足をとらわれ、まさに水中に引き込まれようとするところだった。
 水の中に立ち入って撮影したい。しかしそれをすると水が濁り、カエルたちの産卵の様子が撮影できなくなる。
 どうしよう?と迷っているうちに、カエルは水の中に姿を消した。

 時々激しい雨粒が水面をたたき、僕が水を濁らせなくても、波紋で水の中が見えなくなる。
 そうなると、カエルが産卵をしても水中での様子を観察することができない。
 水辺の撮影には、とにかく障害が多い。
 今日は雨が強すぎるから帰って布団に潜り込もうよ、という甘いささやきがどこからともなく聞こえてくる。







 しかし、土砂降りでさえなければ、その雨粒の波紋が、写真に臨場感や変化を与える場合もあり、それが水辺の撮影の面白さでもある。



 しなやかな長い脚。



 新しい照明ようのアクセサリーを試したのだが、ちょっと光が柔らかすぎてメリハリに欠けた。
 カエルの体が陸上に出ている時には悪くないのだけど、水中に沈むとコントラスト不足の感があり、もうちょっと光に芯が欲しい。
 水辺でしかも雨の中、となると、機材にも制限が多く、なかなかコレというやり方にたどり着くことができない。
 
 

● 2014.2.1 ヤマアカガエルを探して


 ヤマアカガエルの卵を探して、近所の森へ。

 雑木林を抜けると、ため池がある。

 ため池は一方がすり鉢状で深さがあり、アカガエルの仲間が卵を産むには適さないが、反対側は遠浅で、アカガエル好みの深さで、すでに幾つか卵が産み落とされている。
 今の時期は水が少なくて、広い面積の陸地がむき出しになっている。

 他にも、小さなため池が数個。

 雑木林の向こう側には畑が見える。
 
 ヤマアカガエルの繁殖地には、一般に不気味な場所が多い。彼らが活発に活動する夜間は、正直に言えば、幽霊が怖いと感じることがある。
 カタツムリを夜間に採集する際にも恐怖を感じることがあるが、カタツムリの夜間採集の場合、一ヶ所でじっと待つのではなく歩きながらになるので恐怖感が和らぐ。その点蛙の場合は、待つことが多く、待つと恐怖が倍増する。
 立ち止まると、後ろに何かが立っているような気がしてくる。
 どこか、恐怖を感じずにヤマアカガエルをのんびりと観察できる場所はないものか?と毎年思うのだが、今のところ、完ぺきな場所を知らない。
 カエルは雨の日に活発になるので、撮影機材の維持の問題もあり、出来れば車から近い場所がいい。
 3年くらい前に、大分県で実にいい場所を見つけたのだが、池の地面が緩く、水際に近づくのが難しくてあきらめた。
 
 今回ロケハンをした一帯は、数年前に少しだけ調べたことがある。
 この場所は事務所から数分だし、里なので、人の気配が怖さを和らげてくれるのではないかと考えた。
 そこで夜に行ってみると、人の気配が感じられる分、どこかに死体が捨てられているのではないか?というような、幽霊とは違った現実的なタイプの妄想がこみ上げてくることが分かり、それ以降、ここに夜間足を踏み入れたことはない。
 が、もう一度、試してみようかと思う。

● 今月の水辺を更新しました。
  
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2014年2月分


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