撮影日記 2013年10月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2013.10.31 へそ



 僕が初めて名前を調べたカタツムリは、コベソマイマイだった。
 名前にコと付くにも関わらずかなりの大物だったから、自分の同定を疑い図鑑の解説を読んでみると、殻のうら側のくぼみ(へそ)が小さいことからコベソと名付けられたようだ。
 他の種類のへそをまじまじと見たことがなかったので、果たして目の前のカタツムリのへそが小さいのか大きいのか何とも言えず、ふ〜んと受け止めるしかなかった。
 へそが大きい、オオベソマイマイというのも存在することがわかった。
 今日の画像は、オオベソマイマイの仲間で小さなコオオベソマイマイ。カタツムリ図鑑の文章を担当される西さんが採集して送ってくださったものだ。
 コベソ、オオベソの類にはそうした思い出があり、ワクワクしながら手に取ったコオオベソマイマイは、殻の直径1センチ足らず、実に実に実に地味な奴だった。
 もしもフィールで見つけても、図鑑の制作をしていなければ、なんだか地味〜な奴がいたなと素通りしてしまいそうだ。
 
 スタジオでカタツムリを歩かせて一通り撮影した後は、へそを撮影する。
 小さなカタツムリは胴体を刺激してやると、殻に閉じこもる。
 逆に、殻の直径で40ミリを超える大きな種類は、どんなに胴体を刺激しても、直前まで活発に歩いていた個体が殻に閉じこもることはなく、引っ込めようとしても引っ込めようとしてもどんどん体を出してくる。
 カタツムリの天敵と言えばマイマイカブリやオサムシなどが知られているが、そうしたものに襲われた際に小さなものは殻に閉じこもり、大きなものは、もしも直前まで胴体を伸ばして活発に歩いていた場合は、閉じこもるのではなくて逃げるのだろう。
 大きなカタツムリの場合は、スタジオで歩かせて撮影したあと、しばらく乾燥させて自分から殻に引っ込むのを待つ。
 
 

● 2013.10.30 厄介な奴


アツブタガイ
 
 僕は特別に写真のセンスがあるタイプではないから、日頃、小さな積み重ねを重視している。普段の仕事の中でちょっとでも不具合を感じる箇所には、必ず何か手を打つことにしている。
 しかし今年に関して言うと、7月の北陸〜東北取材以降目先のことに追われ、毎日が自転車操業であり、それらは完全に放ったままになっている。
 先日、必要があって過去の仕事の記録を見返そうとしたら、記録も残されていないことがわかり、記憶がたどれる分だけを大急ぎで書き残したりもした。
 デジタルカメラの画像は撮影の日時の情報を持っているから、そうした場合には記憶をたどる手掛かりになる。

 その際に、同じカタツムリのスタジオ撮影を何度もやり直して停滞しているケースがあったことに気付いた。
 いや、そんな日があることは承知していたのだが、改めて見直してみると、予想以上に時間がかかっていた。
 それらは大抵長く飼育しているカタツムリの撮影だった。長く飼われているカタツムリは全体に不活発になり、殻から出てきても体をしっかりと伸ばしてくれない傾向があり、撮影をするのなら採集直後が好ましいのだ。
 カタツムリに限らず、多くの生き物でそうした傾向がある。

 一方で、野外で採集した直後から動きが悪くて、撮影に苦心する種類がある。 
 スタジオでもっとも撮影に時間がかかるのが、殻に蓋があるタイプのカタツムリであり、例えばこのアツブタガイ。
 とにかく臆病でなかなか殻から出てこない。出てきても、体をよく伸ばした状態では歩いてくれない。
 今日の画像の個体は、スタジオに2日放置した上で、ようやくよく顔を見せてくれた。
 これでも、野外で見かける時に比べると、胴体は縮こまり気味だが、スタジオではどうもこの程度に体を伸ばすのが限界のようだ。
 それだけ苦心しても、見る側の人にとっては、ふ〜んという程度の写真だろうと思う。苦心に見合う反応がないことが最初から分かっている、非常に孤独な撮影なのだ。
 
 

● 2013.10.29 うまれたよ!カタツムリ



 「うまれたよ!カタツムリ」(岩崎書店) は、ボコヤマクリタさんとのコンビで作った6冊目の本になる。
 満足はもちろんあり得ないのだが、自分で言うのも何だけど、いい本だと思う。具体的には、媚びてないのだけど、子供の本に求められるものがちゃんと満たされていると思う。
 二人の自信作です。

 コンビで本を作ることにはリスクがある。もしも二人が噛み合わなければ、一人で作った方がましとなる。 
 それでも一緒に本を作るのは、一人でできることには限界があり、それ以上のものを目指したいから。目先のことよりも、10年後くらいのことをイメージした結果だ。
 コンビを噛み合わせるのは簡単なことではない。試行錯誤、無駄、失敗が必ず付きまとう。一時的なセッションを楽しむわけではないから、その覚悟ができるだけのガッツとチャレンジ精神があり、本当に意味で責任感が強いきれない人としか、コンビは組むことはできない。

 写真家にもいろいろなタイプがあり、中には、自分の関係者がいろいろな人と仕事をすることを嫌い方もおられる。暗黙のうちに「君だけを見るから僕だけを見て!」とまるで恋愛のような何かを要求することから、僕は勝手に恋愛型と名付けている。
 僕らは恋愛型ではない。
 が、お互いに理解をするのには、それだけの時間がかかる。
 今回の本作りで、僕がボコヤマさんにどんなパスを出さなければならないのか、その要領が少しわかったような気がする。
 本当に分かっているのかどうかは、次の本で確かめることになる。


 
 

● 2013.10.28 ゴミ問題


クロダアツクチムシオイ

 昆虫写真家の新開孝さんが、ある方が撮影する昆虫の標本写真について、
「○○さんの標本写真にはゴミが全くついてないんだけど、どうやって標本を掃除しているのかが分からないんだよなぁ。」
 とおっしゃった言葉が思いだされる。
 カタツムリをスタジオで撮影する際にも、殻に付着するゴミに悩まされる。

 ゴミは大きく分けると2種類。1つはスタジオ内の細かいほこり。あとの1つは、殻にこびり付いた泥など。
 ホコリは、殻が黒っぽいカタツムリの場合に大変に気になる。
 取っても取ってもいつの間にか付着しているから、宙を漂っているものが静電気で殻に吸い寄せられるのではないかと思う。
 生物学の学生時代、研究室にはユニット式のクリーンルームがあったが、個人のレベルでは到底持つことはできないだろう。空気清浄器を検討したこともあるのだが、うちのスタジオは強風の日などは室内の扉が揺れるくらいにスカスカなので、おそらく無駄だろうと試したことがない。
 殻に付着した泥などの汚れは撮影前に可能な限り取り除くが、実は、これもなかなか難しい。
 目視では見えないレベルの物が写真には写るので、撮影しては掃除し、また撮影しては掃除するが何度も繰り返される場合もある。
 力を入れ過ぎると殻が壊れる。思い入れのあるカタツムリだからきれいにしたいと執着すると、その思い入れのあるものに限って殻を壊してしまう。

 さて、今日の画像のクロダアツクチムシオイは、殻の径が約4mmの微小貝。
 殻についた汚れをもっとよく落としたいのだが、これが限界。
 このサイズのもので完ぺきはあり得ないのだろうが、もうちょっときれいにできる掃除の方法を工夫したいと思う。



● 2013.10.27 写真と遊び

 近畿〜東海取材の際には、採集して福岡へ送ったカタツムリを受け取り飼育をしてもらうなど人様にいろいろとお世話になったので、今日はお礼も兼ねて、みんなで日帰り旅行へ出かけた。
 ただし、行きがけに山口県の湿地二ヶ所に立ち寄り、ため池の定点撮影。

 植物の写真でよく指摘されるのは、必ず植物全体が写っている写真を撮れということだ。素人が植物にカメラを向けると、部分のアップの写真ばかりを撮影してしまう。
 風景の定点撮影の場合にもそれと似た面があり、たとえば池だけを写せばいいのではなく、池の手前の陸地が写っていることが非常に重要になる。
 しかしそこを入れると撮影が非常に難しくなる。やってみればわかるが、手前の陸地から撮影できる池は、意外に少ない。
 そこを画面に入れると、草刈の直後などはいいが、草が伸びてくると草が池を隠してしまう。
 それでも池が隠れないような場所とは、どこか高い位置から見下ろせるようなような池しかない。
 それから、その陸地に自分の影が落ちてしまう。
 今日の画像の場所も、夏の太陽が高い時期には影の問題はなかったのだが、秋になり日が低くなって影が長くなると三脚に取り付けたカメラの影が写ってしまう。
 今回は、影を画像処理で消すことにした。



 さて、旅行の行先は、広島県の宮島だ。宮島と言えば、海に浮かんだ赤い鳥居が有名だが、実はその他の街並みがいい。個人的には、京都よりも風情があると思う。
 もしも宮島に行くのなら、一泊し、本土ではなく島の中に宿をとることをお勧めしたい。
 宮島でもやはり、何か撮影すべき自然はないかと探すが、カタツムリがわんさか見つかりそうな環境だった。
 自然写真の仕事はいつでも遊びだとも言えるが、いつ何時でも仕事だとも言える。
 それを常に仕事で安らぐ瞬間がないと考える人もいれば、すべてが遊びだから常に楽しいと考える人もいる。









 宮島に到着したのは午後日が傾いてからで、斜光が非常に美しく、光を追いかけるような散歩になった。
 生き物のカメラマンは、スタジオでは光にこだわり複雑な光を作ろうとするくせに、野外では光にあまり興味を持たず、せっかくの斜光や逆光の時間帯に、影になっている部分にストロボの光を浴びせてしまう人が多い。
 けれどもそうして野外で光の遊びをしない人で、スタジオでのライティングが本当に上手い人を僕は見たことがない。自然の光で遊ばない人は、スタジオでどんなに凝ろうとしても、ある意程度以上は上達しないように思う。
 ライティングは技術であり、技術とは基本的に誰でもが身に付けられるように確立されたもののことを指すが、その根底には遊びがあり、遊ばない人の限界は低いように思う。
 
 

● 2013.10.26 悔い

 近畿・東海取材では、このまま一気に関東まで行こうかと静岡県で一瞬考えたが、結局伊豆で引き返した。
 引き返して正解だったと思う。
 今や近畿・東海で採集したカタツムリの標本撮影でどうにもならないくらいに手いっぱいであり、それに加えて、あと数日帰宅が遅くなった上に関東産のカタツムリの撮影が加われば、精神力が弱い僕のことだから、発狂していた可能性がある。
 
 さて、近畿・東海取材で後回しになった感があるのが、伊豆のシモダマイマイと紀伊半島南部のシゲオマイマイだ。
 いずれもそこそこ数が多く、見つけるのは難しくないと思われた。したがって、雨降りでカタツムリを見つけやすい日をより難易度の高い種類の探索にあてた結果、この2種が手薄になったのだった。


シモダ(下田)マイマイ


シゲオマイマイ

 ご覧のとおり、シモダとシゲオは良く似ているが、シモダマイマイは関東のミスジマイマイの亜種、シゲオマイマイは近畿のギュリキマイマイの亜種であり少し系統が異なる。
 ミスジマイマイとギュリキマイマイはお互いに全く似ていないのだが、その亜種同士が良く似ているのだから、本当に分類って正しいのか?という疑問がこみ上げてきて、はっきりしない感じがしたのも、この2種が後回しになった理由としてある。

 だが、スタジオで撮影してみて、そんな思いは吹き飛んだ。
 やっぱりこの2種は全く別物であり、シゲオは完全にギュリキマイマイの仲間だ。
 先日紹介したナチマイマイもギュリキマイマイの1つのタイプだが、シゲオとナチの殻の丸みがよく似ており、実に美しいカーブなのだ。


シゲオマイマイ(ギュリキマイマイの亜種)


ナチマイマイ(ギュリキマイマイの亜種)

 なるほどなぁ。
 そうなると、シゲオマイマイに興味が湧いてくる。
 シゲオマイマイには殻の色に多少の変異が多少あり、今回はそのうちの2タイプを採集したのだが、もっとたくさん採集しておけば良かった、という悔いが残る。
 来年は北陸取材が残っているので、他にもそうして悔いが残った種類をもう一度探しに行ってみようかと検討しているのだが、シゲオマイマイの場合は、紀伊半島南部のみに生息なので、ついでに行きにくいのだ。
 しまったなぁ。シゲオにはあと一日使っても良かったかな。
 
 

● 2013.10.25 カタツムリ友達募集

 仲間が与えてくれる刺激っていいなぁ!
 青森の大八木昭さんや北海道のゲッコーさんと一緒にカタツムリを探す機会が得られたことは、非常に大きかった。
 
 図鑑用にカタツムリを採集する際には、撮影前にカタツムリが死んでしまうケースを想定して、余裕があれば複数匹採取する。
 帰宅後にその中から一番いいものを選んで撮影し、撮影した個体は標本にして保存する。
 さて、撮影に使わなかった個体は今のところ飼育していいますが、もしもカタツムリを飼ってみたいという人、或いはすでにカタツムリを飼育していて交換したいというような方がおられましたら、気軽に連絡をください。



● 2013.10.24 テキスト



 小学校の高学年〜中学の間、僕は父の同級生であるY先生に数学を教わった。月並みな言い方をすれば塾になるのだろうが、塾というよりは、公文とかそろばんとか、そういったものに近い印象がある。
 その間に先生から問題の解き方を教わった記憶はない。先生は、
「まずはこれをやりなさい。それが終わったら、次はこの問題集を解きなさい。」
と指示をして、あとは管理するだけ。
 けれどもそれだけで、僕は数学で困ったことはなかった。数学はいかなるテストであろうが満点を取るのが当たり前だった。
 時々町でY先生を見かけたが、いつも本屋さんでテキストを見ておられた。先生が選ぶテキストは、それを順に解いていけば誰でもが中学の数学をマスターできるようになっていた。
 優れたテキストを見つけてくるのがY先生のやり方だった。
  Y先生は公立中学の先生だったので副業は禁じられているはずだが、何らかの抜け道を使っておられたのだろう。学校の先生としては協調性に欠け、他の先生とは必ずしも上手く行っていないという噂を耳にしたこともあるが、実はY先生の数学教室には学校の先生の御子息が多かった。
 さて、カタツムリ図鑑の撮影は、文章担当の西浩孝さんが作成した目録に従って進めている。
 目録には撮影すべき種類の名前とその産地が記されているのだが、これが非常に良くできていて、目録に従ってカタツムリを見つけていけば、僕のような素人でもカタツムリについてそれなりにマスターできるようになっている。
 僕はふと、Y先生が選んでくる数学のテキストを思い出したのだった。

 目録にリストアップされたカタツムリを探す際についでに見つかる、釣りで言うなれば外道が、カタツムリ探しをより一層楽しくしてくれる。
 今日の画像のカタツムリは、ヌノメニッポインマイマイではないかと思う。
 ヌノメニッポンマイマイは、ニッポンマイマイの1タイプという扱いだと思うが、そうした単なるタイプにもちゃんと名前が付けられていてまるで別種のような扱いをするところがカタツムリのややこしいところであり、面白いところでもある。
 生物学出身の僕としては、これとこれって名前は違うけど同種でしょう?と最初は馴染めない感じもしたが、いつの間にか、それでいいんじゃないか?と名前がついていることの意義を感じるようになってきた。
  
  

● 2013.10.23 無駄毛



 平らで角が張った殻のカタツムリ。通称カドバリ(角張り)。



 こちらはこんもりとした山型の殻に、微小な毛がびっしりと生えている。



 この2匹がいずれも北海道に生息するヒメマイマイで同種なのだから、カタツムリは面白い。
 これが同種ですよ!
 そしてこの2つをつなぐ中間的なタイプが存在する。
 カドバリの方は北海道では有名だが、毛が生えているヒメマイマイはほぼ情報なしのノーマークに近い存在。
 今回撮影したものは9月の北海道取材の際に同行および案内をしてくださったゲッコーさんが先日採集して送ってくださったもので、ゲッコーさんの命名で通称ケヒメ(毛姫)。
 インターネットで検索してみても、カドバリの記事はたくさん見つかるが、ケヒメに関する記事は、僕が検索した範囲ではゲッコーさんのホームページとブログの2件のみ。
 1件は今回僕が撮影したものが採集された際のブログの記事。
 あとの一件は、ホームページの中の北海道生き物図鑑のヒメマイマイの箇所で、2009年にゲッコーさんが採集したヒメマイマイの子供の中に、毛が生えているものが含まれていたというもの。
 記事を最初に読んだ時には、たくさんいるわずか直径1センチのヒメマイマイの幼貝の中に一匹だけ毛が生えたものがまぎれていることに気が付かれたのだから、すごい注意力だなと感じたものだし、そんな方とついに一緒に歩く機会が得られたことは非常にありがたく、そこで勉強させてもらったことは、先日の近畿〜東海取材でも僕を支えてくれた。

 ともあれ、大まかに言えば一ヶ所で色々なタイプのヒメマイマイが採れることはなく、殻の形は、ほぼ産地によって決まっている。
 今回送ってもらったケヒメが採集された場所では、毛が生えたものばかりがたくさん見つかったそうだが、5キロ離れた別の産地ではごく普通のヒメマイマイした見当たらなかったそうだ。
 ただ、2009年にゲッコーさんが見つけた毛が生えたヒメマイマイの子供の産地は札幌市南区と記載されており普通のヒメマイマイの産地のはずなので、毛が生える変異はあちこちで稀に起きているのだろうし、ある場所でのみケヒメが大増殖したのだとすれば、その理由を知りたいものだと思う。
 毛は何の役に立っているのだろう?
 
 

● 2013.10.22 @大分


 
 毎月一度定点撮影する大分県のため池のほとりにある森。
 このアングルは冬になって落葉すると、常緑樹、落葉樹、広葉樹、針葉樹が入り乱れていて、僕が見慣れた九州の森のイメージそのもの。
 そこで、ため池のついでにこの場所も定点撮影することにしたのが昨年の冬だ。
 その際に、うかつにも僕は、いつも風景を撮影する時のように定点撮影のアングルを決めてしまった。
 書道で文字を書く際に勢いが大切であるのと同様に、写真も、考え込みすぎるとだいたいロクなことはなく、三脚にカメラを据えるような風景の撮影の際でも、大まかなアングルは勢いでパッと決めた方がいい。そうすることによって写真に微妙な勢いが出るし、その勢いはその写真を撮影した本人でさえ、あとで再現しようと思っても難しい。
 ところが定点撮影の場合は、毎月同じアングルで安定して撮影しなければならないのだから、再現しやすい構図にしておく必要がある。
 果たして、最初の構図を勢いで決めてしまった僕は、この場所の定点撮影では毎回のカメラの微妙なアングルの調整に非常に時間がかかってしまう。
 素人やなぁ。
 
 

● 2013.10.21 @スタジオ


ツルガマイマイ

 ツルガ(敦賀)マイマイは、町のカタツムリ。
 町の場合、山に比べると乾いている。そして乾くとカタツムリは殻に閉じこもり、休眠する。 
 するとその間は殻の成長が悪くなる。
 殻が成長したり、乾いてしまい成長が止まったりが頻繁に繰り返されると、丸いイメージのカタツムリの殻が何となく凸凹になってしまったり不均一になる
 町のカタツムリは、森林公園のような場所や神社や手入れの悪い民家の庭などの身近な場所に多い。したがって採集そのものは難しくはないが、きれいなものを見つけるのは、実は非常に難しい。

 僕は人ゴミが大の苦手だ。
 それは、随分前から分かっているつもりだったが、今年のカタツムリ取材で、自分が思っていた以上に人ごみが嫌いであることを強く自覚させられた。
 町のカタツムリの採集で町へ行くのが、とにかく辛いのだ。
 町へ行くと、理屈ではなく、すべてが後ろ向きになり弱気になってしまう。
 カタツムリを探す段階に入れば、そんな弱気も吹き飛ぶし、自分がどこにいるのかはあまり関係がなくなるのだが、それ以前に探す段階に入れない。



● 2013.10.20 @休み

 旅の疲れを取るために、ひたすらに眠る。
 だいたい僕は、一日に何時間でも、何度でも眠ることができるタイプなのだ。


● 2013.10.19 @スタジオ

 事務所の机の上には、撮影しなければならないカタツムリが山積みになっている。膨大な量のスタジオ撮影が始まる。

 カタツムリを採集しても、撮影前にそれが死んでしまっては、採集できなかったのと同じことになる。
 したがって撮影を終えるまでは、何も成し遂げていないのと同じことなのだが、僕の場合、採集が出来た途端にすべてが完結したかのような気持ちになる。
 日ごろから、ゼロあるいはマイナスの状態から何かを切り開いている時にはやり甲斐を感じるのだが、まとめる段階に差し掛かると急に気力がでなくなる傾向が強い。
 だいたい僕は、詰めが甘い。

 カタツムリの標本撮影は、採集が難しくてもしも死んでしまったらダメージが大きい種類から手掛ける。
 今回の取材の場合は、ヒラヒダリマキマイマイとナチマイマイがそれにあたる。
 ヒラヒダリマキマイマイは生息密度が低くくて簡単には見つけられない。ナチマイマイは分布の狭くてそのピンポイントに行かなければ採集が出来ない。
 

 ヒラヒダリマキマイマイ
 殻は平たくて左巻き。殻に刻まれた深い脈が魅力。

 僕は、生き物の適応に興味がある。適応とは、大雑把に言えば、生き物が自分を環境に合わせること。
 一方で、適応という考え方に時に疑問を感じることもある。例えば、枯葉そっくりの虫がいて、それによって敵や獲物に見つかりにくくなると言われるが、本当にそうなら、すべての生き物が何かに化けた目立ちにくい形態になるはずじゃないかと思う。
 また、枯葉そっくりの生き物はそれによって有利になって大繁栄するべきなのに、意外にそうした生き物は数が少ないような気がする。
 ただそれでもやっぱり、自然を観察すれば適応という現象を認めざるを得ない。
 カタツムリの場合は、殻が低い種類は岩の隙間などに隠れやすくなると言われているが、確かに、殻が低い種類は隠れる能力に長けていて、見つけるのが難しい場合が多い。
 そして隠れるのが上手い種類には、あまり動かない種類が多いように思う。


 ナチマイマイ
 殻の脈が非常に細かくて均一で丸みが美しく、なんともいえない味わいがある。
 なぜ、こんなに均一な殻になるのだろうか?

 カタツムリの活動を制御するのは、僕が観察した範囲では3つある。
 1つ目は、サーカディアンリズムと呼ばれる体内時計の働き。カタツムリの場合は、昼間活性が低くなり、夜活動的になる。サーカディアンリズムは、単細胞生物も含めてほぼすべての生き物に認められる現象なので、カタツムリの場合もこれが活動のベースになっているはず。
 2つ目は湿度。湿度が高まれば、サーカディアンリズムによる活性が全体的に高められる。
 3つ目が温度。カタツムリには高温を嫌うものが多く、高温はサーカディアンリズムによる活動を全体的に抑制するようなマスキング効果がある。
 ナチマイマイは、沢沿いのいつも比較的湿っていて温度も安定した環境に住んでいるので、湿度の変化や温度の変化を受けにくく、サーカディアンリズムに忠実な、昼間寝て夜活動する規則正しい暮らしをしていることが想像できる。
 したがって、殻の成長も規則正しく均一になるのではなかろうか?
 一方で、遺伝的な要因による可能性もあるので、それを確かめるために比較的小さな幼貝も一匹だけ持ち帰り、うちの事務所の環境で飼育実験をしてみることにした。
 

イブキクロイワマイマイ
珍種ではないが、部外者がパッと行って見つけるのは、かなり難しい種類だと言える。
胴体に対して殻が小さい。
近縁のクロイワマイマイではそんなことはないので、イブキクロイワの特徴なのかもしれない。
殻が軽いからだろうか?クロイワよりも活発で、スタジオでは非常によく動く。



● 2013.10.18 @岡山〜帰宅

 ひたすらに車を走らせて帰宅する。
 山口に住む友人がツクシマイマイというカタツムリを採集しておいてくれたので、途中、立ち寄って受け取る。ツクシマイマイは見慣れた種類だが、カタツムリの場合、産地によって形態が異なる場合があるので、こうした申し出は非常にありがたい。

 近畿〜東海取材では、狙った種類をほぼ見つけることができた。
 時間の都合で一種類だけ、関西のナミマイマイを採集できなかったのだが、ナミマイマイは関西ではもっとも普通のカタツムリの1つなので、次回あたりを通る際に探してみようと思う。
 ここ数日は体調が悪かったのだが、帰宅をして気が緩んだせいか頭痛がひどく、夕食後、そのままベッドに潜り込む。


● 2013.10.17 翌朝 @兵庫〜岡山



 森があって、そのはずれに岩場があり、そこから崩れ落ちた礫が積み重なっていて落ち葉と土が少し被っているような場所は、カタツムリを探すのに絶好のポイントだ。
 岩場には珪藻が生え、カタツムリの食べ物になる。日当たりが悪すぎても良すぎても珪藻の育ちが悪くなるので、一日のうち数時間だけ弱い光があたるような微妙な方角の場所が良い。
 岩場が石灰岩であれば、殻の材料になるのでなお良い。
 礫の隙間は、カタツムリの隠れ家になる。
 分解されかかった落ち葉も食べ物になる。
 落ち葉が深すぎると、あまりカタツムリが見当たらなくなる。カタツムリがいないのか、あるいは落ち葉が多過ぎて見つけにくいのかは僕には分からないのだが、落ち葉をさっと掃くと地面が見えるくらいがいい。

 さて、滋賀県でギュリキマイマイというカタツムリを採集したのだが、思っていたのと若干違うカタツムリだった。
 これがギュリキか・・・イセノナミマイマイにそっくりやん。
 それもそのはず、ギュリキとイセノナミは亜種関係にあり、どの地域からがギュリキでイセノナミマイマイなのかははっきりしないのだそうだ。
 ならば、本来の産地(模式産地)により近い場所のギュリキも見ておきたいと思い、兵庫県の六甲の周辺を探してみることにした。
 
 前日の夕方、かろうじて光がある間に兵庫県に到着することができたので、適当にロケハンし、いかにもカタツムリが見つかりそうな雰囲気の場所を見ておいた。
 そして、カタツムリが活発になる夜に探してみると、そこは、ギュリキマイマイの大産地だった。


休む

隠れる

食べる

 翌朝、同じ場所へ行ってみた。
 ギュリキマイマイは晴れた日の昼間には見つけにくい種類だと思うが、夜の間に生息場所をピンポイントで把握しておけば、昼間でも探し出すことができる。

(この日採集して帰ったものを帰宅後にスタジオで撮影してみると、なんと!すべてナミマイマイでした。採集前日の夜に山に入った際には間違いなくギュリキもたくさんいたのですが・・・いや、見間違えだったのでしょうか?次回同じ場所に行って確かめてみたい!)

 つまり、カタツムリの撮影には、前日の昼間に場所を決め、夜にカタツムリを探して翌日に撮影すると言う風に、一ヶ所につき2日欲しい。

 兵庫から岡山へと移動。
 高速道路に乗る前にガソリンを入れようとしたら、スタンドの店員さんから、
「タイヤに釘が刺さってますよ。」
 と教えてもらった。
 さっそく釘を抜いて修理に入るが、刺さっていたのは釘ではなく、直径5〜6mmの金属の棒だった。 
 さすがに穴が大きく補修では不安を感じたので、タイヤを一本取り換えることにした。
 高速道路上のトラブルではなくて良かった。つきがある。
 
 夜は岡山県に移動して、10月1日の撮影日記で紹介した殻が低いコウダカシロマイマイを探してみた。
 コウダカシロマイマイの場合は木の目立つ場所に止まって休むので気象条件や昼夜を問わず探すことができ夜である必要はないが、今回は移動の関係で夜の探索となった。
 するとそれが、幸運をもたらせてくれた。
 ついでに、なかなか見つけられずにいたサンインコベソマイマイが思いがけず見つかったのだ。これまたついている。
 

● 2013.10.16 暴風雨 @滋賀〜福井〜兵庫

 雨が降り、今日も絶好のカタツムリ日和。ただし台風の影響で猛烈に風が強い。
 朝は、岐阜でクロイワマイマイを探す。

 それから滋賀へ向かい、11日に大苦戦したヒラヒダリマキマイマイに再チャレンジ。
 ヒラヒダリマキマイマイはその時になんとか採集できたが、あとで冷静に頭を整理してみたところ、もっとうまい探し方があったように思え、それを確認しておきたかった。
 果たして、気象条件が良かったこともあるが、3匹見つけることができた。
 カタツムリに限らず、多くの生き物は、必ずしも、生息している場所=見つけられる場所ではなく、見つけやすい場所や見つけ得る場所が存在する。
 これは何も採集に限った話ではなく撮影も同じで、必ずしも、生き物がたくさんいる場所=いい撮影ポイントではない。
 したがって、どこに生き物がいるかに加えて、どこで採れるか、或いは撮れるかを考え、的を絞った探索をする必要がある。

 午後は福井県でツルガマイマイを採集。
 それから引き返して兵庫へ向う。
 兵庫では夕刻現場を見て、夜間の探索。夜の山間部は気温が10度を下回り、カタツムリが動いているかどうか疑問だったのだが、そこそこの数が活動していた。


● 2013.10.15 天然記念物 @岐阜

 岐阜で西さんと合流。
 途中で小雨が降り出し、絶好のカタツムリ日和になった。


イセノナミマイマイ

 まずは、天然記念物に指定されている場所でカタツムリを見る。
 石灰岩の露頭があり、イセノナミマイマイがところどころでみられた。


微小貝を探す西さん

 それから山を下り、天然記念物に指定されている場所の外に出て、近辺でカタツムリを探して採集する。


ミカドギセル

 僕が見たかったのはミカドギセルだ。
 細長いキセルガイの仲間は見分け方が非常に難しく、数種類探してみたのだが僕には区別不能だと思えた。
 そこで、キセルガイに関しては西さんが採集したものを送ってもらい、それを撮影することにした。
 ただ、完全にお任せでは永遠に分かるようにならないので、まず極端な形をしたものを見てみようと考えた。
 ミカドギセルは殻の先端が特に長く、ビジュアル的に面白い。
 西さんの意見では、宮崎県のタケノコギセルがいいというので、帰宅をしたら探しに行ってみようと思う。
 多分、そうこうしているうちに、少しずつ分かるようになってきて、最後は見分けにくいものほど面白くなるのではなかろうか。


● 2013.10.14 大渋滞 @愛知

 カタツムリ図鑑の文章担当の西浩孝さんがお勤めの豊橋市自然史博物館で、図鑑の打ち合わせ。
 翌日は岐阜で待ち合わせをして、一緒にカタツムリを探すことになった。

 午後6時、高速道路に乗って僕は一足先に岐阜へ向かうが、インターチェンジを入った直後に渋滞に巻き込まれる。そう言えば、今日は3連休の最終日だ。
 渋滞が解消されるまでパーキングエリアで休むことにしたのだが、待っても待っても一向に道路が空く気配はない。それどころか、どこかで事故が起きたのだろう、救急車と消防車がサイレンを鳴らしながら渋滞の列をすり抜けていく。
 しかたがないので夕食を食べようと食堂へ行ってみたら、これまたひどい行列を目の当たりにして車に引き返す。
 午後9時、ようやく食堂に空きの席が見えたので財布を握りして食堂に行き、よし串カツじゃ!と意気込んだ途端に、
「ごめんなさい。閉店です。」
 と断られる。
 大慌てで売店でパンを買ってそれでしのぐ。
 楽しくないな。
 10時半、やっと車が流れ出す。
 しばらく運転すると、深夜営業しているパーキングエリアのレストランがあり、そこで食事。
 満腹になるとすでに運転する気力はなく、そのまま睡眠。
 福岡市や北九州市もそこそこの人口ではあるが、周囲の人口が少ないので混雑といってもたかが知れている。
 その点、関西〜関東の太平洋側は、田舎でも、周辺の大都市からの車の流入がすごい。
 
 

● 2013.10.13 チョロイと思っていたのだが・・・ @静岡







 トイレ休憩に立ち寄った駐車場の裏手のお寺を歩いてみると、カタツムリの食痕があった。
 何マイマイだろうな?
 カタツムリの場合は非常に種類が多く、それぞれが地域ごとにピンポイントで生息しているのが普通なので、初めての土地に行けば、大抵初対面の種類に出会える点が面白い。
 雨の日にこの場所に行けば高い確率で、これまで僕が見たことがない種類と容易く対面できるだろう。
 
 さて、雨の予報の日には、雨でも降らなければ見つけることが難しい種類を優先的に探す。
 一方で晴れの予報の日には、晴れても見つけることができる探しやすい種類を探す。例えば、樹上性のカタツムリは木の幹に止まって休んでいる場合が多く、晴れた日でも見つけやすい。
 ただ、その木がどこにあるどの木なのかを突き止めなければならず、それに時に苦労する場合もある。
 木の種類は何なのか?
 自然度の高い森の中なのか?あるいは、公園のような多少人手が加わった環境なのか?
 今日は静岡県の伊豆半島でシモダマイマイというカタツムリを探した。
 最初、観光地にある公園を目指したが、運悪く日曜日と重なり人手が半端ではなく、僕の耐久力を遥かに越えていた。
 そこで喧騒を避けるために山手の森林公園に移動。
 まず森の中を探すが見つからず。
 次に駐車場の近辺にある街路樹を見ていくと、椿の枝にシモダマイマイを見つけた。
 一般にカタツムリは、上りやすいのだと思うが、椿のようなつるっとした枝の木を好む。他にはモミジの類も大人気。
 
 それからヒカリギセルという細長い貝を探す。
 こちらは、予想外の超大苦戦。
 朽木をひっくり返すと大量に出てくるのだが、どれも殻が汚いのだ。
 ヒカリギセルというその名の通り、光沢があるピカピカした殻のものを探したいのに・・・
 そしてついに最後まで、納得できるものが見つけられず。この種類は一番チョロイと思っていたので、ショックが大きい。
 
 

● 2013.10.12 覚醒 @三重

 飛行機とレンタカーを使って宿に泊れば取材は楽チンだろうな、と思うこともあるが、僕は車に寝泊まりしながら日数をかけて少しずつ移動することにこだわる。
 ある程度の時間をかけなければ、何かを見た気になれないのだ。
 とは言え、それでも一日につきほぼ一ヵ所だけの取材。逆の言い方をすれば、どこもたった一日しか見ていないのだから、それとて、ほとんど何も見ていないのに近い。

 車に寝泊まりしながら取材をすると、自分が覚醒する日がくる。
 その日を境に、あまり疲れなくなり、とにかく体が動く。
 短時間の睡眠でも活動中はいっさい眠くらならない。
 僕の場合は、そんな時は食事もまともなのは昼だけで、朝夕はパンを1つかじれば済む。
 体が戦闘状態になっているのだと思う。
 以前は、そんな覚醒状態になるのに10日くらいかかったが、最近は3〜4日目くらいに目覚めるようになってきた。
 今回の取材の場合は、7日に北九州を出発して9日に覚醒。
 9、10、11日と、明るい時間帯は撮影、夜は深夜まで採集をして睡眠は仮眠適度だが疲労感はなく、むしろ普段よりも気力が充実する。
 今日はあえてそれを緩める。
 好きなだけゴロゴロして、時間を気にせずお風呂に入り、値段を気にせず食べ物を食べる。


● 2013.10.11 那智 @和歌山





 近畿のカタツムリに関して言うと、西さんが作成したカタツムリ図鑑の目録の中には、昨日紹介したヒラヒダリマキとあと一種類、非常に厄介なものが含まれていた。
 和歌山県に産するナチマイマイだ。

 ただこちらは、内心自信があった。
 希少種なので見つかる見つからないには運の要素が付きまとうし、他にもきれいな成貝が見つかるかどうかの問題があり十分な結果が出ない可能性はそれなりにあったが、よそ者がパッと行って探すならココしかないというイメージがあらかじめ頭の中にあり、やるべきことはやったという納得は得られるだろうと考えていた。
 以前、岡山県のある場所でイズモマイマイというやはり探しにくいカタツムリを大量に見つけたことがあるのだが、多分その時と同じパターンが当てはまるはずだと思えたのだ。
 果たして予想通り、わずか5分でナチマイマイを2匹見つけることができた。
 研究者の場合は、その生き物の全体像を把握するために見つかる場所、見つからない場所・・・いろいろな場所を探す必要があるが、写真撮影の場合は一番確率が高い場所だけに的を絞って決め打ちできる。
 それにしても伊勢以南の三重〜和歌山の自然、文化の素晴らしいこと!ああ、これぞ日本と思える。僕が過去に行ったことがある場所の中では、最高の場所の1つだ。



● 2013.10.11 難関



 9日の夜にヒルに怯えながら探していたのは、ヒラヒダリマキマイマイというカタツムリだ。
 カタツムリが活発になる夜間に懐中電灯を片手に藪をこいでひたすらに探しても、結局見つけることができなかった。
 図鑑の文章を担当される西さんに別の産地をたずねてみたら、その晩僕が探したポイントが最も実績があるのだという。ただし・・・
 実績があると言っても、そこで見つけたことがあるのがわずか2匹。
 ヒラヒダリマキは生息密度が低く、それ以外の産地では西さんと言えどもわずか一匹ずつしか見つけたことがないそうだ。
 京都大学の出身でありあたりに土地勘がある専門家が探してもそうなのだから、これは非常に難しいことになる。
 さて、どうしたものか?
 もう一度同じ場所を探してみるか?それとも、新たに教わった別の産地を探してみるか?
 前回探索をした場所は、恐らく先月京都を水浸しにした台風の影響だと思うが、谷がひどく荒れていた点が気になった。そこで、場所を変えてみることにした。

 新しい場所に行ってみると、9月の青森取材が思い出された。
 大八木昭さんと一緒にナンブヒダリマキと呼ばれるカタツムリを探した場所によく似ていたのだ。
 ナンブヒダリマキもやはりなかなか見つからない種類であり、達人である大八木さんが探しても見つからない日も多いらしい。
 さらに産地によっては、過去に一匹しか生きたものを見つけたことがないとおっしゃっていたので、その点も今回のケースに近い。
 そして、僕が案内してもらった日も、雨という絶好の条件であったにもかかわらず、わずか一匹しか見つけることができなかった。
 その一匹も、死んでしまった貝の殻だと思って僕がポケットの中に入れておいたものの1つが、実は生きていてあとで動き出したというケースで、見つけたと言う印象はなかった。
 ともあれ、青森での探索後、どうしたらあの場所でナンブヒダリマキを見つけられるのかと考えた作戦が、場所を変えて近畿で役に立つことになった。

 まず、カタツムリが活発になる夜に探すこと。これが一番重要。
 ところが今回の場所は、夜間の立ち入りができないことが判明した。
 となるとほぼ絶望的だが、次は、昼間岩の間に隠れているカタツムリを懐中電灯で探していく作戦を実行する。
 するとすぐにこげ茶色の貝殻が目に飛び込んできて胸が高鳴るが、残念がら死んだ貝の殻だった。
 近くからあと数個殻が出てきて、勇気が湧いてきた。
 今度は斜面を下りて下の方を探索してみると、やはりちょくちょく殻が見つかるが、探してみ探しても生きた貝の姿はなく、内心多分ダメだなと諦める。
 しかしそこでちょっとした幸運が起きた。ヒラヒダリマキではないが、イブキクロイワというやはり今回採りたかった貝が見つかり元気が湧いてきたのだ。
 そうだ、冷静になろう。
 殻を拾った場所から、何か判断できないだろうか?
 斜面の下の方に落ちている殻は信頼ができない。
 大雨の際などに流されてきた可能性がある。
 逆に、斜面の上の殻は信頼性が高い。
 斜面の上の方の殻は、コンクリートで固められた遊歩道沿いに多かった。
 そこから判断できるのは、斜面を登ってきたカタツムリが、遊歩道で行き止まりになり溜まっているという可能性だ。
 よし、その近辺だけを徹底して探そう!と岩の隙間の懐中電灯の光が届かない場所に手を入れてみることにした。
 タカチホヘビがちょくちょく出てくるには驚いた。
 そしてついに、生きた貝が手に触れた。
 隙間から取り出した貝を岩に止まらせて記念撮影。まだ完全な成貝ではないが、まあ、許容範囲だろう。
 またもヒルに吸血されたが、そんなことに構っている場合ではない。
 とにかく、嬉しい!



● 2013.10.10 血しぶき @京都〜滋賀



 釣り用の胸の丈まである胴長靴は、地面に這いつくばって撮影することが多い僕にとって、汚れを防いでくれる無くてはならない道具だ。
 特に車内泊での長期取材の場合、頻繁に洗濯をできる訳ではないから服を汚さないのは重要なことであり、水辺以外の撮影の時でも、僕は胴長靴を身に付けることが多い。
 欠点としては、水辺以外でそんなものを着ていると、
「オマエ何者?」
 といった目で怪しまれること。
「どんな格好をしようが俺の勝手やろうが。」
 という思いも込み上げてきて、町の中で奇抜なファッションをした若者が通り掛かりの人にジロジロ見られ、
「何見とるんじゃ、コラ」
 と眼を飛ばす気持ちが多少理解できる。
 昨日は、目を覚ましたら、服が血まみれになっていた。前日の夜にカタツムリを探した際にヒルに血を吸われたようだ。
 ヒルは、血が固まらなくなる成分を出すので、痛みもなければ傷も微小だが、びっくりするくらいの流血だった。
 もしも首のあたりを吸われ、鎖骨〜胸のあたりにあの量の血が流れたなら、
「山の中に見慣れぬ白いワンボックスカーが止めてあり、男が血しぶきを浴びています。」
 と通報されかねない。
 その夜はうかつにも胴長靴を身に付けなかったのだが、胴長靴は、ヒル防止にも効果がある。
 
 林床でオオケマイマイを見つけた。
 毛が、白っぽくて密でよく目立つ個体だった。
 肘と膝を地面についてカメラを向けると、数匹のヒルが近づいてきた。その目ざとさ、スピードを目にすると、さすがにギョッとさせられる。
 ただ、狭い範囲に無数にヒルがいるわけではないので、わざとヒルを呼び寄せておいて、デコピンで遠くの藪に向かって空の旅を楽しんでもらう。
 本格的な撮影は、寄ってくるヒルがいなくなってからだ。
 
 

● 2013.10.09 たくましき前進者たれ @京都〜滋賀

「たくましき前進者たれ」
というのは、僕の母校である鞍手高校が掲げていた標語だ。全校集会のたびに、当時の酒井校長が白髪を振り乱してこの言葉を放っていたのを思い出す。
 あの熱さを思うと、酒井校長は戸様ではなく、鞍手高校のOBだったのかな?
 ともあれ、それから数年後の大学の4年生の時、僕は教員免許取得のための教育実習で母校にお世話になった。理学部に進学すると理科の教員の免許が取得できるので、まあ、取っておくかと考えたのだった。
 最初は、指導教官の授業を見学し、次からは自分が授業をすることになった。
 ある日、僕が高校時代の先生方のようにチャイムがなってから理科の教官室を出て教室に向かうと、そこにはすでに見物の先生方がずらりと待っておられたのには驚いた。
 しまった!査定授業だったのだ。
 チャイムがなってしばらくして教室にやってきた態度がでかい実習生に、先生方も驚かれたようで、後でしこたま怒られた。
「あそこに書いてあるように・・・」
 と言われて目をやったその先には、
「たくましき前進者たれ」
 が隅に追いやられ、代わりに
「ベルと同時に始業」
 と書かれた大きな紙が貼ってあった。
 




 たくましいと言えば、カタツムリの中でもマイマイ属と呼ばれるグループは、一般に変わりやすい場所を嫌うデリケートな生き物だが、中にはなかなかたくましく、人手がそれなりに加わった場所でも多くみられる種類が存在する。
 例えば関西のクチベニマイマイなどは割と人工的な環境にも多く、僕が住む九州北部にはそれに相当する種類がいないので、たくましいなぁ〜と驚かされる。
 あちこちで、ガードレールや橋の手すりなどに生えた珪藻に、カタツムリの食痕が目立つ。
 九州北部でも食痕はそれなりに見ることができるが、実際にカタツムリが食べているところは、そんなに頻繁に見かけるわけではない。
 食べては進み、食べては進む。
 たくましき前進者?
 
 

● 2013.10.08 標本 @京都〜滋賀



 父はあまり生き物が好きではない。したがって、子供の頃僕が飼っていた生き物は何か理由をつけられて捨てられることもあったし、僕は、堂々と生き物に接することはできなかった。
 その時に満たされなかった思いが、もしかしたら、今僕を生き物の写真撮影に駆り立てるのかもしれないことを思えば、必ずしも認めてもらえなくても良かったのかもしれない。
 認めてもらえる、もらえないではなくて、重要なのは結果だと言える。
 ただ、父は学問が好きなので、生物学の対象としての生き物なら許された。
 その父の言葉で、今でもよく覚えているのが、
「生き物についてよく知っていると言っても色々な知っているがある。生物学者よりも漁師さんの方が魚を採ることに関してはよく知っているけど、学問としての生き物なら学者の方がよく知っていて、どちらがスゴイとか詳しいなどと言えるものではない。」
 というもの。
 それはそのまま、『生き物が好き』ということにも当てはまるような気がする。
 魚の研究者にとっての魚が好き。漁師さんにとっての魚が好き。魚を愛玩している人にとっての魚が好きはそれぞれ質が異なり、どの愛情が一番尊いなどと言えるものではない。
 怖いのは、むしろどれか1つのタイプの愛情しか認めない考え方だ。
 例えば、研究者は時に生き物を殺すから生き物を思う気持ちが欠落していて、殺さずに可愛がる人は愛情が深いなどという発想は非常に怖い。
 それは、自分と同じやり方しか認めないことであり、生き物を愛するというよりは、自分を愛することだと思う。
 
 さて、あるアマチュア研究家が博物館にカタツムリの標本を寄贈した際に作られた目録を目にする機会があった。
 目録が作られたのは最近だが、寄贈された標本は1970〜80年くらいの間に採集されたものが多く、今の状況との比較、或いは僕が同じ場所を歩いた際に見つけることができたカタツムリとの比較は非常に興味深かった。
 目録には解説が加えられていて、専門家が今改めて標本を1つずつ見た結果が記されており、これも実に興味深かった。
 その方がもしも標本を作らずに、写真だけ、あるいは文字だけの記録だったなら、その方が発信をやめた途端にすべては消えてしまい、見たことが引き継がれていくことはないだろう。
 記録の手段が発達した時代に標本は時代遅れではないか?と僕は以前は考えてみたこともあるのだが、改めて標本の存在意義を思い知らされたのだった。
 一方で僕が写真を撮る際には、目の前にいる生き物が全うして欲しいなと思うし、その思いとその生き物を標本にすることは相反する。
 そこに、僕にとっての図鑑作りの難しさがある。



● 2013.10.07 鬱気味 @鳥取

 先日送ってもらった長野県産のミスジマイマイは、外見だけをみればニシキマイマイではないか?という姿だった。しかし解剖をして生殖器を確認した結果、ミスジマイマイであることが確認された。
 分化が激しくて同定が難しい生き物の場合、採集〜解剖は不可欠だ。
 カタツムリ図鑑は文章を担当される西浩孝さんが作ってくださった目録に従って撮影を進めているが、目録に記されてる産地以外でそのカタツムリが手っ取り早く採集できた場合でも、目録の場所は可能な限り訪れてみることにしている。
 外見でこれは○○マイマイだと僕が判断をしても、実は違っていたということがあり得るので、過去に実績がある確かな場所の血統書付きのカタツムリを撮影しておきたいのだ。



 一方で、自分で場所を探すのも楽しいことなので、目録にない場所も組み合わせて取材する。
 今日は、午前中に、過去に風景の撮影で歩いたことがある場所でヤマタカマイマイを撮影。
 午後は西さん作成の目録の中にある滋賀県某所へ向かう。ところが高速道路上で激しい渋滞に巻き込まれ、明るい時間帯に楽々到着できるはずが、真っ暗になっての到着。
 渋滞、人ごみの類に弱い僕は、毎回、神戸〜大阪〜京都のゴチャゴチャには打ちのめされ、楽しくないな〜と気分が鬱気味に。
 さらに目的地の周辺は人がたくさん暮らしている場所で野山とは勝手が違い、普段町を徹底的に避けている僕にとっては慣れない疲れがどっと押し寄せてきた。
 カタツムリは夜活発になるので暗くなって到着しても探すことができるが、それ以前に集中力が途切れてしまった。
 車の中に引きこもり、
「この場所はパスしようか?」
「いや、がんばろうぜ」
 と何度も何度も自問自答する。
 人がいない場所なら悩み考え込んでいる時間も楽しいのだが、住宅地の場合、変な九州ナンバーの車がずっと止まっているなどと人を疑心暗鬼にさせているのではないかなどという思いから、ひどく急かされている感じがする。
 しかし、これは図鑑の撮影であるからそうはいかんのだ、と自分に言い聞かせる。
 まず西さんに連絡を取り、目的地周辺の中でもどこへいったらいいのかのアドバイスをもらい、その通りに歩いてみた。
 すると、この日は非常に乾いていて目的とするカタツムリは見つからなかったものの、別の種類のものが多少出ていて、それらを眺めているうちにふっと心が楽になってきた。
 一転して、いい仕事選んだなぁ。幸せだなという思いが込み上げてくる。
 まあ、こうしたことはいつものことではあり、一喜一憂しないように心掛けてはいるのですが。
  
  

● 2013.10.06 子供の頃の夢

 そろそろ、子供の頃の夢をかなえようか!
 当時憧れだったポルシェ911ターボを手に入れようと程度のいい車を探っていたのだが、先月北海道で一緒にカタツムリを探したゲッコーさんからのカタツムリ探索の報告で、そんな考えは一瞬にして消し飛んだ。
 それは非常に興味深い内容であり、やっぱり生き物が一番面白い!お金は生き物に関係するところにかけようではないかと心を改めた。
 ポルシェはプラモデルにしておこう。
 しかし、世の中にはセンスがある人がいるものだなぁ。

 さて、近畿〜東海取材に出発した。
 多分、取材の期間中にどこかで雨が降るはずなので、カタツムリを探すには最高の条件である雨をどこで迎えるかが1つのカギになるだろう。
 せっかくの雨の日には、雨でも降らなければ見つけにくい難易度の高い種類の生息地に行きたい。
 したがって道順を決めず、天気予報を気にしつつ、晴れの日には、雨が降らなくても見つけることができる種類を探していくようなやり方になる。

 東北〜北海道取材に比べると、ずっと気が楽だ。
 近畿〜東海なら、見つけ損ねた種類があっても、距離的に出直しがきく。したがってこれ面白いなと思うものに出会えれば、ある程度そこで寄り道をしたり、時間を費やすことができる。
 特に近畿は、九州からわずか7〜8時間で移動可能なので、今回はどちらかというと東海地区と岐阜あたりで確実に成果を出しておきたい。
 その東海地区だが、カタツムリ図鑑の著者になる西浩孝さんが愛知県におられるので、どうしても困った時には
「西さ〜ん。」
 と泣きつく、最終手段もある。
 
 

● 2013.10.05 カタツムリのへそ



 近いうちに、近畿〜東海取材に出る。期間は最長で2週間くらい。本来なら、あと数日早く出発したかったのだが、東北〜北海道取材の後処理に予想以上に時間がかかってしまった。

 後処理の中で最も重要で時間がかかるのは、採集したカタツムリをスタジオで撮影することだ。スタジオで軽快に歩いてくれる種類もいれば、殻にこもりっきりで全く出てこない種類もあり、なかなか出てこない種類の撮影にはただひたすらに時間がかかる。
 種類による違い以外にも個体差もあり、大雑把に言えば、年を取り過ぎている個体は動きが悪い。
 
 カタツムリの殻の裏側はへそのように窪んでいるのだが、その部分は時に種類を判断する際に重要な箇所になり、へその画像は必須と言える。
 一般にへその撮影は、カタツムリを殺して軟体の部分を殻から取り出し、標本にしてから行う。
 ところが、カタツムリの殻の色にはしばしば中の軟体の色も反映されており、種類によっては生きている時とは色が違ってくる。
 今回の図鑑はハンドブックなので、野外でみなさんが見かける姿の方が良いだろうと判断し、カタツムリが生きている状態で撮影することにした。

 ただ、これが撮影をグッと面倒にする。
以前にも書いたが、カタツムリを持ち帰っている間に死んでしまっては話にならないので現場で簡易スタジオでの撮影も行い、大部分の写真はそれで十分な品質が得られるのだが、へそに関して言うと、中がある程度中が見えるように撮影しようとすると複数の照明が欲しくなるし、なかなか大がかりになる。
 いや、ただ中が見えるように撮ればいいのなら、へその中を露骨に照明で照らせばいいだけなので決して難しくないが、それだとエグイ不自然な写真になる。
 研究者の場合は分かればいいのだと思うが、僕の場合、ただ分かればいいわけではなく、自然に見えるように撮りたい。
 となると、へそに関してはどうしても設備が整ったスタジオで撮影したい。
 軟体の部分を取り出して標本化された殻を撮影するのなら、持ち帰っている間にカタツムリが死んでしまっても撮影だけはできるが、生きたままのカタツムリを撮影するとなると、絶対に死なせてはならない。
 これはそれなりのプレッシャーになる。
 
 

● 2013.10.04 アオミオカタニシ



 こちらも送ってもらったもので、沖縄産のアオミオカタニシ。
 来年の沖縄取材の際には自分で見つけた物を改めて撮影する予定だが、どこが撮影の際のポイントなのかをあらかじめ知っているに越したことはないので、さっそく撮影してみた。
 一般にこの仲間は敏感で、スタジオではなかなか歩いてくれず撮影に時間がかかるケースが多いが、アオミオカタニシに関しては非常によく歩くことが分かった。
 殻の入り口には蓋がある。
 そして、その蓋が汚れている個体は、スタジオでこうして撮影した際に、汚らしく写ってしまう。
 したがって、殻に傷がないだけでなく、蓋がきれいな個体を探す必要がある。 
 
 

● 2013.10.03 チャイロヒダリマキマイマイ



 ある方がカタツムリを送ってくださった。
 中でも楽しみにしていたのは、画像のチャイロヒダリマキマイマイだ。チャイロヒダリマキマイマイは、関東に多いヒダリマキマイマイの中の山地に住むタイプだ。
 カタツムリの場合、山地に住むものと平地に住むものとで同種でも形態が明らかに異なる場合が多く、山地型の方が黒くてごつくて大きい。

 先日東北で撮影したムツヒダリマキマイマイも、ある目録ではヒダリマキマイマイの山地型として扱われていた。
 しかしムツヒダリマキマイマイの場合、遺伝子の研究では、ヒダリマキマイマイとはかなり遠く、ヒダリマキマイマイのタイプではなく、別種とされている。
 果たしてどちらが正しいのだろう?
 僕の仕事はそれを調べることではないけど、考えることは楽しいし、知りたいなと思う。
 まず、自分の目でムツヒダリマキマイマイとチャイロヒダリマキマイマイを生きた状態で比べてみたいとかねてより思っていたのだが、その現物がやってきたのだ。
 もう何匹か、チャイロヒダリマキマイマイを見てみたくなった。
 
 

● 2013.10.02 達人たち

 東北〜北海道取材でお世話になった生き物探しの達人の腕前は、大八木さんにしてもゲッコーさん
しても、惚れ惚れするほど実に見事なものだった。
 そこで、どうしたらあのレベルになれるのだろう?とずっと考えていたのだが、結論は、カメラマンという立場では不可能だろうというもの。
 写真撮影は、写真の質にこだわると時間がかかり過ぎる。それに執着して撮影に膨大な時間を取られている限り、到底あんなレベルには到達できないのではなかろうか。


日本の昆虫1400 A 文一総合出版

 学芸員のみなさんが中心になって作ったこの図鑑も、非常に質が高い。
 何を見せて何を捨てるのかといった生き物の取り上げ方、説明のしかたが実に見事で、痒いところにパッと手が届く感じがする。
 それは知識と経験と見識としか言いようがない。
 この手の図鑑を作ることに関しては、やはりカメラマンの立場では太刀打ちができないだろう。この図鑑を見ると、プロの写真家が作った同じタイプの図鑑が、正直に言えば色あせて見えてしまう。
 
 では、カメラマンはどうしたらいいのだろうか?
 カメラマンの場合、写真撮影に時間をかけているのだから、言うまでもなく写真の質で勝負ということになる。
 しかしその質とはもはや、写真のシャープさやライティングの良し悪しではないだろう。
 適切なライティングやシャープに写真を撮ることに関しては、デジタルカメラの登場でかなり敷居が低くなっており、誰にでもできるほどではないにしても、プロのカメラマンの独断場ではなくなっている。
 これからは、写真が適切に写っている+何らかのオーラを感じさせるのが、プロのカメラマンの仕事になっていくような気がする。

  



● 2013.10.01 これが同種か?

(上)山口県産
(下)岡山県産
中国地方に分布するコウダカシロマイマイ(甲高白まいまい?)

 この2匹が同種なのだから、カタツムリの同定は難しい。殻の高さには、当たり前のようにばらつきがある。
 コウダカという和名を付けた人は、恐らく上のようなタイプのサンプルを見てそう名付けたのだと思うが、こんなに殻が高いものは滅多にみられず、上と下の中間くらいのものが大多数だ。
 そしてそれは九州に分布するキュウシュウシロマイマイと大差なく、同じ系統のカタツムリの中でコウダカシロマイマイが特に殻が高いという印象はない。
 そこから想像するに、和名を付けた人はそんなにたくさんこのカタツムリを見ていなかったはずだし、中国地方の人ではないだろう。

 下の画像は、実は殻に大きな傷がありそれを画像処理で消したものなので、図鑑のような用途には使用することができない。
 同じ場所で、あと少しで成熟する同じように殻が低い貝を捕まえたので、それを撮影するつもりでいたのだが、残念がら成熟する前に死んでしまった。
 白マイマイの仲間は産地に行けば決して珍しいわけでなく、むしろ道端の草木にポツポツ止まっているのだが、飼育は難しく、上手く育った試しがない。
 もっとも、僕は飼育に熱心なわけではなく全種同じように育てており、他の大多数のカタツムリと同じ飼い方では育たないと書いた方が正確だろう。
 直観的には、木の皮に付着した地衣類などを与えると育つような気がする。だいたいそんな場所に止まっているのだ。

 こうした変異がさらに劇的でビジュアル的に面白いのが、先日北海道で探したヒメマイマイだ。
 ヒメマイマイの場合、それで名前が良く知られているようだが、全く無名のカタツムリでもこれくらいの変異があり得る。
 それを図鑑でつぶさに網羅出来たらいいなぁと思う。
 が、逆に分からなくなってしまうかな。今回の図鑑はハンドブックなので、これが代表と典型を選び出すことが、もしかしたら制作に携わる者に課せられた役割かもしれない。
 カタツムリの場合、種などという概念が意味をなすのかどうか、疑問を感じることさえある。
 
 図鑑で使う使わないにかかわらず、趣味として下のような殻が低いタイプのコウダカシロマイマイで殻に傷がない成貝を採りに行きたいと思うのだが、もっと一般的な種類のカタツムリの写真を揃える方が先決であることは、僕にだってわかる。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2013年10月分


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