撮影日記 2013年9月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2013.9.30 今月の水辺

 月の順序が前後しますが、9月分の今月の水辺を更新しました。


● 2013.9.29 旅行



 図鑑用に撮影したカタツムリは、当初は元の場所に放すつもりでいたのだが、その後、何かあった時のために標本として残すことになった。
 何かあった時とは、例えば同定の間違えが疑われたり、それを指摘されるケース。
 カタツムリの場合、写真だけで種名を確定することが不可能な場合もあり、現物が必要になるケースも十分考えられる。
 僕はここのところ、ほとんどカタツムリ採集と撮影しかしていないのだが、カタツムリという生き物は変異の幅が大きく、見れば見るほど、知れば知るほど分からなくなる。
 やればやるほど、なるほど!やはりカタツムリの場合は標本は不可欠だと納得させられる。

 さて、東北〜北海道取材などもあり不義理をしていたので、今日は仕事を休みにしてみんなで日帰り旅行へ。
 ついでに、以前そこで採集した巨大なイズモマイマイを放す。
 イズモマイマイは、別の場所でサイズは小さいものの、より殻がきれいな個体を採集することができたので、そちらの写真を図鑑では使用することにした。
 さようなら。



● 2013.9.28 昆虫採集

 虫が好きな人と話をした時に必ず出てくる話が、子供の頃に、かわいそうだからと昆虫採集をとがめられた経験だ。
 とがめられるのは、虫好きの人にとっても別に悪いことではないと思う。そうした指摘に対して自分の意見を持っておくことは大切なことであり、指摘は自分の意見をまとめるいい機会になる。
 ただ、昆虫採集で虫がかわいそうだと主張する人で、本当に虫が好きな人に僕はまだ出会ったことがない。それを言うのはいつも、むしろ虫が嫌いで、虫や虫を好きな人を遠ざけたい人であるように思う。

 殺すのがかわいそうと言う人も、おそらく、他の動物を食べていることだろう。
「いや、昆虫採集と人間が生きるために必要な食べ物を食べることは違う。」
 と多くの人が言うが、果たして本当にそうだろうか?
 僕は、誰かが他の動物を食べる際に、それが自分の生命を維持するのに本当に必要かどうかなどを考えながら食べている人に会ったことがない。例えば、自分の命を維持するのに今は肉は必要ないから、今日は代わりに米を食べようなどという発想の人に。
 自分の命を維持する必要だから食べるというのは後付けの理屈であり、みんな食べたいから、おいしいから食べているのであり、つまり喜びとして食べているに過ぎず、人は喜びがあるから生きているのではなかろうか。
 人間が他の生き物と違うのは、食べ物という喜びのほかに知識という喜びも食べる点にある。
 虫が好きな人が昆虫を採集するのは、誰かが食べ物を食べるのとだいたい同じだと考えておけばいい。 
 だからと言って、いくらでも虫を殺していいとは思わないし、地域の個体群を絶滅させるような採り方は慎むべきだと思う。
 
 

● 2013.9.27 自信

 写真を撮ることに関して、時に自信が満ち溢れてくることもあるが、逆に、全く写真が分からなくなったりもする。
 今はちょうど、全く写真が分からない時期。
 まず、自分が撮る写真の画質がひどく悪いような気がする。
 それから、すべてが平凡。
 こんなの、誰でも撮れるぞ!と。 
 論理的に考えれば、恐らく、自信ありの時もそうではない時も写真自体はあまり違わないのだと思う。
 人の心って面白いな。
 
 

● 2013.9.26 ドクガその後

 9月の上旬に、青森でドクガにやられた。
 幸い、一番ひどくかぶれていた時にちょうどスケジュールが劇的に厳しくて、移動、フィールドワーク、食事、寝るだけで精一杯。かぶれた箇所を気にする余裕もなく、何でもなくやり過ごした。
 ところがその後カタツムリ探しの成果が上がり、少しずつ時間にゆとりが出来てくると、突然にやられた箇所が気になるようになった。
 まず触りたくなる。
 触ると掻きたくなる。
 掻くと、今度はかぶれた箇所が広がった。左手から右腕、右腕から顔、顔から耳へ。
 そして2週間が経過しても、直るどころか広がる箇所さえあり、仕方なく帰宅後に病院で治療を受けた。
 先生の見立てではドクガによるかぶれ自体はもうほぼ直っているのだが、そこを掻くことで別の接触性の皮膚炎がおきているのではないかとのこと。
 その接触性の皮膚炎が、ここ数日で、ようやく収まりつつある。
 
 

● 2013.9.25 非対称


 カタツムリの中でも、本の中でよく取り上げられるのがマイマイ属と呼ばれるグループだ。
 いかにもカタツムリという風貌で、一般に中型〜大型で存在感がある。
 基本は殻の巻き方が時計回りの右巻きだが、過去に一度だけ右巻きから左巻きへの突然変異がおきたと考えられており、左巻きのマイマイ属が登場した。
 それがさらに分化をした結果、現在ではマイマイ属の中に複数の左巻きのグループが存在する。
 今日の画像のカタツムリは、その左巻きだ。
 人間の場合、内臓は左右対称形ではないけれども、外見的にはほぼ左右対称であるのに対し、カタツムリの場合は、外見的にも左右非対称であり、右を頭に撮影した場合と左を頭に撮影した場合の姿は、ご覧の通り全く異なる。


 一般的には、右巻きの種類は右を頭に、左巻きの種類は左を頭に撮影するのが普通だ。
 したがって今日の画像のカタツムリの場合は、左頭で撮影するのが常識。
 しかし僕は、なぜか、その逆の姿が大好き。
 ともあれ、左右非対称であることは、カタツムリの魅力の1つだと言える。
 
 

● 2013.9.24 ハイエース

 標本写真の撮影と車の整備。近場で撮影する際に使っている軽ワゴンのオイルを交換してもらう。
 遠征用のハイエースの方をどうすべきか?
 東北〜北海道取材の直前にオイルを換え、約8000キロを走行。10000キロに一度の交換で済むオイルを使っているのであと2000キロ走ることができるが、このあと関西〜東海取材があり、どう考えても2000キロは超えるだろう。
 それにしても、トヨタのハイエースの故障の少ないこと。
 故障が少ないという理由で、途上国で売りさばくために盗難されやすい人気車種と言われているが、なるほどと思う。
 長期取材に出る前に整備工場に持ち込み、
「一ヶ月で10000キロ近く走る可能性があるので、オイルを交換して、他にも車が止まらないように点検してください。」
 とお願いしておいたら、電気系統の部品が取り換えられていた。
 走行距離がその時点で230000キロ。
「ちょうどいいタイミングだったので交換しました。これで、自分が整備すれば、ハイエースなら500000キロは走ります。」
 とのことだ。
 数少ない作りの上での弱点としては、リアのドアが錆びやすいことが知られており僕のハイエースも錆びかかっているので、そのうち交換しようかと思う。
 
 

● 2013.9.23 時間との勝負

 ひたすらに撮影した標本写真を、今度はひたすらに画像処理。
 画像処理のやり方は安定することなく、少しずつ少しずつ変化を続けている。毎日やり方が変わるほどではないけど、一ヶ月前と今とでは必ず違う、と言ってもいいだろう。
 いまだにやり方が変わる理由は、仕事の中身の方が変わるから。例えば、今ならカタツムリ図鑑。
 図鑑の場合、撮らなければならない写真の量が多くペースも早いため、これまでのやり方では追いつかない。そこで、なるべくクオリティーを落とさずより量をこなすことができるように、従来のやり方に変化を加える。
 
 先日、写真家の安田守さん
からカタツムリ図鑑に関して、
「間に合いそう?」
 と聞かれたのが、大変に心に残った。
 商業出版の場合、企画が通ってから出版までの期間は短く、おそらく一般的な感覚で言うと、ウソ?というくらいに短い時間で本を作り上げなければならないケースが多い。
 特に図鑑は写真の点数が多く、間に合わせることができるかどうか時間との勝負になってくるのだが、元々量をこなすのはあまり得意ではない僕は、安田さんの一言でピリッと気合が入ったのだった。
 
 

● 2013.9.22 

 ひたすらに標本撮影。
 手順良くやらなければ、どのカタツムリを撮影してどのカタツムリがまだなのか分からなくなってしまうし、図鑑のページを作る段階で、
「この画像のカタツムリは、いったい、いつどこで捕まえたものだ?分からないから画像が使えないじゃないか」
 とか、
「あっ、あれ撮影をしてなかったじゃないか!」
 となってしまう危険性もあるし、だいたい僕は、そんなことになりがちなタイプだ。

 そう言えば先日、ある方が必要な連絡をするのを忘れ、関係者からひどく怒られてしまった話を聞いた。
「忘れた自分が悪いんです。」
「へぇ、僕も仕事の上で腹が立つことはあるけど、相手に怒ったりはしませんね。」
「ふ〜ん、何でですか?」
「僕自身うっかりが多いタイプなので、自分を振り返るととても怒れないんですよ。腹は立つんですよ。一応。」
 僕のうっかりの多さは、物心ついた時からの筋金入りで、小学校の時は担任の先生から「忘れ物の帝王」という称号をもったほどだ。
 
 

● 2013.9.21 



 カタツムリには実に気まぐれなところがあり、そんなに珍しい種類ではなくても見つからない時には全く見つからないし、手も足も出ない場合がある。
 したがって、こうと決めて取材日程を組んでもその通りにならないケースも想定しなければならず、東北〜北海道取材の間は常に、最大で何日まで取材を引き延ばすことができるのかが頭の中にあった。
 その際に日程の延長の最大の障害になるのが、昨年から始めた、ため池の定点撮影だ。9月分の定点撮影に間に合うように帰宅しなければならないのだ。
 池をただ毎月同じアングルで撮影すればいいのなら、9月29日に帰宅して30日に撮影をすればいいのだが、空が画面に入る撮影のため、青空が心地良い晴れの日でなければならない。
 そのためには、東北〜北海道で取材しつつ、九州の天気の傾向を気にしておく必要があった。
 写真撮影の際に一番難しいのは気象条件の読み方、生かし方だが、それを一年間(12回分)整えなければならない定点撮影は、頭で考えるよりも難しいことを今回改めて思い知らされた。

 さて、台風一過の晴れの間に、山口県のため池の定点撮影と大分県のため池の定点撮影を終えた。
 これでやっと、東北〜北海道取材から帰宅したという気分になった。
 
 

● 2013.9.20 



 先日新潟県で採集した樹上性のカタツムリ。
 スタジオで撮影してみると、足が大きい!というのが第一印象。
 かまぼこのようにこんもりと盛り上がった胴体の周囲に広がった、軟体の薄くて平らな部分がカタツムリの足だ。
 足が大きいといえば、以前撮影したエムラマイマイが思い出された。
 エムラマイマイも、やはり木の上に多かった。そうか!木の上に生息する種類は、木をしっかりとつかむために足が大きいのではなかろうか?
 自然を見て何が楽しいって、僕の場合は、そんなことを考えている時が一番楽しい。
 本当のことを言えば、これはカメラマン失格かもしれないが、発表するのは二の次。
 でも僕らの仕事は発表して何ぼの世界、それじゃあいかんというので、以前は積極的に発表したり人前に出るように自らにプレッシャーをかけていたのだが、年々自分本来の好みが強く出てくるようになり、無理をして何かをすることができにくくなっている。
 
 カタツムリは粘膜を固めることで壁や木に殻を貼り付けるが、粘液が固まった際の強度は、樹上性の種類の方が地上性の種類よりも強いように感じる。これも、木にしっかりと張り付くためではなかろうかと思う。
 それから一般に、樹上性のカタツムリの方が地上性のカタツムリよりもサイズが小さい。大きいと木に登りにくいのだと思う。
 木に良く登る種類は、大きくても殻の直径で40ミリくらいの中型の種類までだ。 
 
 

● 2013.9.19 

 9月の上旬に青森でドクガにやられた。
 やられた箇所を掻いたら皮膚炎が広がってきた。最初は左手と右の上での一ヶ所の被害だったのが、手や腕の周辺、さらに顔、肩、耳と範囲を広めてきた。
 これをどう考えたらいいのだろう?
 僕の体に毒ガの針が刺さっていて、それが掻いた際に広がり、さらなる皮膚炎を起こす。
 やられてからもう2週間もたっていることを思うと、毒はかなり長い期間、例え人体に刺さった状態でも威力を維持し続ける?
 衣類に毒針がついたままになっていることも疑われるが、取材中に身に付けていたものはすべてまだ車に積んだままなので、その可能性は低いだろう。
 それに、炎症を起こしているのはすべて掻いたら普通に手が届く範囲なので、やはり掻くことで広がっていると考えるのが妥当ではなかろうか。
 病院が大嫌いな僕も、さすがに不愉快で、診察を受けたくなった。
 幸い、近所に非常にいい皮膚科がある。
 そこで、夕方出かけてみたら、木曜日は午後休診。
 みなさん、ドクガにやられたときはすぐに病院に行くことをお勧めします!とにかく病院が大嫌いな僕が言うのですから、間違いありません。


● 2013.9.18



 東北〜北海道で採集したカタツムリを、ひたすらスタジオで撮影。
 このあと、関西〜東海取材があるので、それまでに写真を撮り終えなければならない。

 採集したカタツムリは順次福岡へ送ってきたのだが、僕が帰宅するまでに死んでしまう可能性もあるので、最低限図鑑で使用できる写真は現場で撮影してきた。
 そして帰宅後に悩ましいのは、そうして取材先で撮影した写真を、今回新たにスタジオで撮影し直すかどうかだ。
 より整った設備で撮影すれば、より写真のクオリティーが上がる。
 一方で、一度撮影した写真には、例えそれが設備の関係で完全には満足できなものだとしても、思い入れがあり、お蔵入りさせたくない気持ちもある。
 

● 2013.9.17

 福井の途中から、突然に関西のムードが漂ってくる。
 良く言えば活気がある。
 悪く言えば無神経でうるさい。
 福岡からの距離で言うと東北や北海道よりも関西の方が近いのだが、実は僕が、いつもと違うなと、よその土地に来た、と強く感じるのが関西だ。
 日本というよりはアジアという感じがする。


● 2013.9.16

(新潟)


 16日は、再度ヒタチマイマイ(オゼマイマイ?)にチャレンジ。
 幸いにも今度は雨が降り、あっけなく2匹のヒタチマイマイを採集することができた。カタツムリ探しは雨の日に限る。
 ただし川はご覧の通り。川の中からはゴロゴロした雷鳴のような音が聞こえてくる。水中で大きな岩と岩がぶつかっているのだ。
 ヒタチマイマイに会いに行くためには、まず、この川にかかる実に頼りない橋を渡らなければならないが、橋が壊れない保証はないし、鉄砲水でも発生したら車を止めてある川沿いの道路すら危ないため、短時間で探索を終え早めに現場を離脱する必要があった。
 危険を考慮して、前日採集した傷をつけてしまったカタツムリで満足しようかとも思ったが、スタジオでの標本写真の場合は、傷の類が案外気になるのだ。

 ところで、「スタジオでの標本写真」と「白バック写真」はどう違うのですか?と以前聞かれたことがあるのだが、同じです。
 以前は白バック写真という言葉を使っており、その方が表現としてはきれいだと思うのだけど、モデルにされる生き物にしてみればそうした撮影は迷惑そのものであり、自戒の意味も込めて、標本写真と記載するようになった。
 白バックと書くと、何だかスマート過ぎて、一種のエンターテインメントのような気になるのがひっかかるようになってきたのだ。
 虫にしてもカタツムリもしてもカエルにしても、10中8,9、乾いて開けてツルツルした平面は好きではないし、特にカエルなどには相当のストレスを与えてしまうように思う。
 ともあれ、新潟〜長野〜富山と雨のなかでカタツムリ探し。石川県にもどうしても行っておきたい場所があったが、こちらは、がけ崩れの危険があるため回避した。
 

● 2013.9.15
 10時、仙台着。
 港に一番近いヤマト運輸の営業所宛てに送ってもらった荷物を受け取る。
 荷物の中身は近々発売予定の本の試し刷り。それを見て、色をもっとこうとか、コントラストをもっとああとか指示をしなければならない。
 小学校の低学年向けの本で、とてもいい本になると思う。
 
 本来であれば、復路はのんびり帰宅をするつもりだった。秋雨前線の雨で活発になる東北〜北海道のカタツムリを探し、取材が終わるころには秋晴れになるのではないかとイメージしていた。
 ところが台風が発生し、運がいいことに広範囲に雨が降るというのでカタツムリを探しに行くことにした。その雨に乗じて北陸のカタツムリを撮影できれば、今後のスケジュールが大幅に楽になる。
 新潟の最初の目標地点までは450キロ近く、順調に車が流れたとしてもカタツムリを探す時間があるかどうかは実に微妙なところだ。
 しかし30分で結果がでることもあるし、とにかくやってみるしかない。
 果たして、夕刻、たった一匹であったが、非常に模様が美しいヒタチマイマイを採集することができた。

 ヒタチマイマイはとても高い場所にいて、さらに上に登ろうとしていた。
 長網に別の網の柄をガムテープで固定して延長し、ようやくカタツムリに触れることができるかどうかの高さだ。
 したがって、カタツムリを網に入れるというよりは、網の先端で触れるという感じになり、網に入らず地面に落ちてしまう可能性が高い。
 その場合、殻に傷がつく。
 そして、残念ながら悪い予感はあたり、その通りになってしまった。
 あと50センチ低い位置に止まっていれば、カタツムリの進行方向に網を置いておけばそれに自分から上ってくることだろう。
 カタツムリが50センチ上るに10分だとすると、あと10分早く到着できれば・・・。
 傷は多少修復されるが、最終的に気にならない程度まで修復されるかは不明だ。


● 2013.9.14


支笏湖

 北海道の占冠を案内してくれた友人のズボンは、いったん大きく破れたものが、大まかに縫い合わされていた。藪に立ち入った際に植物にひっかけてしまい、一瞬にして裂けてしまったので、自分で縫ったのだそうだ。
 友人はボロボロのズボンを身に付けているのだが、別に気に留める様子もなく、それどころかどこかそれが楽しそう。
 僕自身はむしろ逆の生活スタイルだが、教えられるものがある。
 それは、物がないことを恐れないということ。
 物を否定するつもりはないし、物を追いかけてもいいと思うし、特にカメラマンは常にアンテナを張り巡らし最新のテクノロジーを順次導入していくことも大切なことだと思う。
 ただし、仮に物がなくても楽しく過ごすことがでいる精神心が、根底に必要だと思う。

 支笏湖を観光して、苫小牧を19:00発のフェリーで北海道を発った。


● 2013.9.13



 落ち葉の中から出てきたカタツムリがハルニレの木に登ろうとしている。サッポロマイマイは、ハルニレやヤナギの樹液に集まるのだという。

 カタツムリの場合、名前がついてるかどうかが重要であり、例えばこのサッポロマイマイは関東から東北にかけて棲むヒタチマイマイの亜種になるのだが、ヒタチとサッポロはそれぞれ独立した種であるかのような扱いをされるケースが多い。


ヒタチ風のサッポロマイマイ

 サッポロマイマイとヒタチマイマイは亜種の関係にあるわけだが、一般的に知られている外見は、亜種というほどには似ていない。
 ヒタチマイマイは、火炎模様と呼ばれる殻の中心からの放射状の模様が目立つのに対して、サッポロマイマイは、上から見るとはっきりした縞模様が一本。
 ところがサッポロマイマイの中に、ヒタチ風の殻を持つものがいて、友人が住んでいる地域ではそうしたタイプの方が多いのだという。
 ならば、そうしたカタツムリ関係が分かる写真、ヒタチからサッポロがつながるような写真が掲載された図鑑を作りたくなる。


● 2013.9.12
 北海道に来ると、西日本ではまず見かけない顔の方がおられる。恐らくアイヌの血を引く人なのだと思う。
 景色も違う。
 景色が違うということは、生き物で言うならば生息環境が違うということになる。
 都心のビル街で過ごす人と北海道の原野近くで暮らす人とでは、生き物屋の感覚で言うならば、これが同種か?と疑問を呈したくなるくらいに生息環境が異なることになる。

 その割には、よく意思疎通ができているなと思う。
 国政選挙などの際に、都心部と地方との傾向の違いはあるが、これだけ生息環境が違えばそれは当たり前のことであり、むしろ、よくぞまとまっているものだと思う。
 福岡から見れば、北海道よりも韓国の方が近いが、大半の福岡の人にとって、言葉の壁を除外しても、韓国人とコミュニケーションを取るよりも北海道の人とコミュニケーションを取る方が易しいだろう。
 或いは、北海道から見れば、福岡よりもロシアの方が近いが、それとて同様。
 それが長い歴史のある国家のまとまりなのだと思う。北海道に来ると、国家とはなんぞや?という思いが込み上げてくる。

 これまた生き物屋の感覚で言えば、どこの国家にも属さない、国家などという概念を持たない人が世にたくさんいても良さそうなのに、実際には大半の人がどこかの国家に属し、世界の各地で国家などという存在が成立したことを思うと、国家を形成するのは人間という生き物の生態の1つなのだろう。
 人間の生態は、どんな生き物の生態よりも面白い。
 ただし、それは他の生き物と比較しなければ分からないのであり、そういう意味で、もっとよく野生の生き物を知ってもいいのではないかと思う。
 人間とは何か?が面白くなるような気がするのである。
 僕は、「人間って面白いな」という興味がなければ、「人間って悪いことばかりしている、怪しからん」という怒りや正義感だけでは、文明化された人間の社会はコントロールできないような気がする。
  

● 2013.9.11

 写真が一枚使用された時に得られる平均的な使用料から逆算すると、フリーの写真家として写真で生活をするためには、恐ろしいくらいの量を撮影しなければならない。
 写真を一枚撮るのに費やすことができる時間は短いし、それがフリーの写真家の厳しい面の1つだと思う。週に一日趣味で撮影する人の7倍撮影すれば、それで成立するか?というと、それでは量的に程遠い。
 ただ、自分でスケジュールをやりくりできる強みはある。
 例えば、雨の日に活発になるカタツムリを探すのであれば、雨の日を待ち、その間に別の仕事を先に片づければいい。
 これは、お勤めをしている人には難しい。お勤めの人の場合、仮にカタツムリを探すとするなら、お勤めが休みの日が晴れなら、その条件の中で探さなければならない。
 当然僕は自分の強みを徹底して生かそうとする。カタツムリを探す場合は、とにかく雨の日や雨上がりを狙う。カタツムリの方が出てくるのを待つ。
 ところがこれが弱みにもなる。
 地元でカタツムリを採集する場合にはそれが通用しても、ある程度のスケジュールに則って点々と移動しながらの長期取材の場合は雨を待つわけにはいかず、晴れが続いたりすると手も足も出ないということになる。
 その点、お勤めをしておられる方々のカタツムリの探し方には、大変に教えられることが多かった。
 条件が悪くても見つけられるやり方。先日島牧村で合流したゲッコーさんに最初に教わらなければ、今回の取材は結果が出なかっただろうと思う。
 


 様似町のヒメマイマイ。
 殻の角が張っていて、頂点がまっ平。
 大半のヒメマイマイは、多くの人が見慣れたカタツムリの形、つまりこんもりとした山型をしているのだから、これが本当に同種か?と嘆きたくなるような変異だ。
 図鑑を作る場合には、まず山型の殻のオーソドックスなものが一番重要になり、その写真がなければ始まらない。
 次に、それとは正反対な極端な物が欲しい。それが揃えば一応恰好がつく。
 さらにその間をつなぐ中間的なものが揃うと、完成度が高まってくる。 



 殻に変異が多いヒメマイマイだが、生息地も一様ではなく、海辺の比較的乾いた草丈が低い場所でも見つかったし、山の中でも見つかる。
 ただ、雨でも降らない限りなかなか自分からは出てきてくれないカタツムリの場合、そこにいれば見つかるというものではなく、探しやすい場所、見つけ得る場所が存在する。
 その場所は、人によって異なる。
 なぜなら、人のよって目付のポイントが違うから。
 僕の場合は、ヒメマイマイ探しは、小さな沢沿いが見つけやすかった。
 沢沿いの増水すれば水に沈む場所にはあまりカタツムリは棲まない。逆に沢から離れれば、乾燥しすぎる。
 地形の関係で、沈まず、乾かずの場所が広範囲に出る場所は、いいポイントだと言える。
 これは、渓流釣りのポイントの読み方に通じるものがある。



● 2013.9.10


釣り上げたヤマメを河原で塩焼きにする。友人が手かざしで、魚にエネルギーを送る(ウソ)

 ヤマメはサケの仲間なので、北に行くほど数が多い傾向があるし、逆に九州では少ない。
 生息環境も異なる。九州では山の源流部に生息するのに対して、北へ行くと平地に近い場所にも住む。
 性格も違うような気がする。九州のヤマメは神経質だが、北のヤマメはおおらか。
『釣り針を送り込むと岩陰からヤマメが出てきて針を追い、しかし引き返す。そこで再度・・・』
 などと釣り雑誌のレポートを読むと、魚が釣れるまでの過程が事細かに報告してあるが、九州でヤマメを釣っている限りとにかく魚が神経質で、釣れるとするならばほとんど反射的に魚が針にかかってくるケースであって、駆け引きをするゆとりなどはない。
 ところが北海道では、まさに釣り雑誌のレポートの通りのことが、目の前で繰り広げられる。
 僕はずっと、雑誌は大げさに書いてあり一種の妄想なんだ、と思っていたのだが、なるほど!そう言うことなのか。

 友人の案内で、占冠(しむかっぷ)の森を歩く。
 親の知り合いでもなく、仕事の取引先でもなく、住んでいる場所もかけ離れていて、ただ自然や写真やカメラが好きというだけで結び付いた「縁」としか言いようがない。
 そして人間の死亡率は100%なので、自分の身の回りにいるすべての人といつか必ずお別れをする瞬間がくる。
 死ななかったらそれが一番困るのだが、一方で永遠であって欲しいなと思う。
 そんな何かを、少しずつ自然写真の中で表してみたい気がする。



 本は明かりがないと読めないので、エンジンを止めると電源がない車内泊の旅の場合はあまり読む機会がないのだが、今回の旅には「本日の水木サン」水木しげる著を車に積んできた。
 ゲゲゲの鬼太郎は、正直に言えばまったく面白いとは思わないのだが、水木さんの戦争体験をが語られた著作、その体験からくる生命観が語られた著作は非常に面白いと思う。
 「本日の水木サン」は一番好きな本の1つだが、まんが・『総員玉砕せよ!』の後に読むのがいい。
 

● 2013.9.9




 以前は、長期取材の際には音楽のカセットテープをたくさん準備したものだが、いつの間にか運転中にはほとんど音楽を聞かなくなった。
 運転をしながら原稿を考えたり、構想を練ることが多く、その際には音が邪魔に感じたり、せっかくよその地に行った時にまで普段自分が慣れ親しんだ好きなものを持ち込みたくないと感じるようになった。
 ただ、あまりに運転が長い時には、音を鳴らしてみることもある。
 普段、オフコースの音楽をわざわざ聞くことはないのだが、北海道北部の運転の際には、なぜかオフコースの音楽が実に心地いい。
 洗練されたメロディーだと思うのだが、歌詞は
「もう終わりだね、君が小さく見える。」
 とか、
「あれが愛の日々ならもういらない。」
 とか意外と厳しい。
 音が大きなディーゼルエンジンの車でも、オフコースの音はとてもよく聞こえる。
 今度はチューリップの音を聞いてみたくなったのだが残念ながら持ってない。
 北海道北部は、道が広くて人が少なくて、植物も閑散としてまさに原野という感じで、とにかくさみしい。雲の質感までも、僕が普段見慣れた雲とは全く違っていて、異国の地という感じがする。


● 2013.9.8


利尻を横目に見ながら礼文島へ向かう

利尻昆布

礼文島の海辺

 朝一番の船で礼文島に渡り、午前9時に島に到着。帰りの便は午後2時なので、レンタカーの手続きやその他の時間を引くと、実質4時間くらいの中で結果をださなければならない。
 天気は、雨の日によく動くカタツムリを見つけるには最悪の快晴。さて、どうしたものか・・・
 しかし、あとでこれが好結果に結び付く。
 

 まずは海辺の草地を探してみると、なんといきなり殻が出てきた。
 やった!間違いなくいる。
 さらに探すと、小さいけれど生きている貝が。
 よし!
 でもちょっと待てよ?これ、ヒメマイマイとどこが違うんだ?
 実は、北海道に詳しい誰に聞いても、それすら分からなかったし、カタツムリのバイブルともいえる保育社の「原色 日本陸産貝類図鑑」 に掲載されているホンブレイキマイマイの殻の写真の1つは、見れば見るほどヒメマイマイとは区別ができない。
 困ったなぁ。よし、場所を変えてみよう。
 今度は、山地へ向かう。
 晴れの日のカタツムリ探しは、それを逆手に取るしかない。晴れていても、雨上がりのように湿っている場所は年中湿っている場所でありカタツムリが棲んでいる可能性が高く、全く土地勘がない場所である程度的を絞るのは、むしろ晴れの日の方がやりやすい場合もある。
 すると、ヒメマイマイとは明らかに違う殻が出てきた。
 全然違う!
 おそらく、「原色 日本陸産貝類図鑑」のホンブレイキマイマイの写真の1つは、ヒメマイマイのものを間違えて掲載したのだと思う。
 ああ、これこれ!やっぱり礼文に来てよかった。
 さて、生きたものを見つけなければならない。
 そしてついにご対面。苔の中に頭を突っ込んで隠れているホンブレイキマイマイを見つけた。
 しかも、最初に拾った殻とは別の色合いで、なかなか美しい。
 ただ美し過ぎることが、実は困った。図鑑なので、最もオーソドックスな色のものをまず載せたいし、それは、恐らく最初に拾った殻の色なのだ。
 なおも探索は続くが、場所を変え、4ヶ所目で、ついに時間切れになった。
 しかたない、帰るか。
 谷から道路へ上がるために木の枝をつかもうとしたら、なんと、そこに目的のものが止まっていた!
 

帰りのフェリーより
ホンブレイキマイマイを見つけたら、帰りは海の景色を楽しむつもりだったが、クタクタで余力なし。
 

● 2013.9.7


夕刻 礼文島
きれいやなぁ。みんなに見せたいなぁ。

 さて、残るカタツムリは、ヒメマイマイとホンブレイキマイマイ。
 ヒメマイマイは、殻にバリエーションが多く、それをなるべくたくさん揃えたい。並行して準備をしている別の本でも使いたいし、重要なポイントになる種類。
 ホンブレイキマイマイは、北海道北部、東部、礼文島に記録があり、当初北部で探す予定だったのだが、北海道在住、あるいは出身の誰に聞いてもほぼ情報なし。
 今回の図鑑はカタツムリ大全ではなくハンドブックなので、ホンブレイキマイマイを外してしまう選択肢もある。
 だが情報がないなら、だからこそ見つけたい気持ちもある。その図鑑にしか載ってないことがあれば、それだけで価値があるとも言える。
 ホンブレイキマイマイで一番確かなのは礼文島だが、礼文には船で渡らなければならないし、車を渡せば数万円の出費になる。さて、どうしたものか・・・
 すると、礼文島にレンタカーがあり、軽なら5時間借りて数千円で済むことがわかった。
 行こうではないか。
 さっそくレンタカーの会社に問い合わせをしてみると、一台車があるという。
「ただしお客様、すでに小さな車は予約済みで、大きなものしか車がありません。」
 やっぱりなぁ。大きいって、クラウンかなにかかな・・・高いやろうなぁ
「大きいって?」
「1500ccの車になります。」
 な〜んだ。
「予約します。」

 同時に、船の出発は早朝なので、港がある稚内まで移動しておかなければならず、北へせっせと車を走らせる。
 ただ、今度はヒメマイマイを探す時間がな足りなくなるので、北上する過程のどこかで見つけなければ礼文島に行くも何もない。
 ところが昨晩ジンギスカンを食べ過ぎたのが悪かったのか、夜からひどく腹具合が悪く、当然力もやる気もでないし、根気が続かず、結果がでない。
 苦しいなぁ。優先度から言えば、明らかにヒメマイマイだ。 レンタカーの予約を取り消すか・・・
 冷静になるために車を広場に止める。
 昼時だったのでおにぎりを食べる。
 少し横になり、しばらく眠る。
 目を覚めしてあたりを探索してみると、なんとヒメマイマイを見つけた。さらに探すと、出てくる出てくる。ヒメマイマイで、どうしても見つけたかったタイプのうちの2つ見つけることができた。
 残るはあと1タイプ。
 これで迷いなく礼文へ渡ることができるし、不思議なことに昨晩からの腹具合の悪さも一気に吹き飛んだ。生き物屋には、どんな薬よりも、これが効くのだ。
 
 

● 2013.9.6

 駐車場の一角に簡易スタジオを組み立てて、採集したカタツムリのスタジオ写真をせっせと撮る。早朝に撮影をはじめ、終わったのはお昼ご飯時。
 気温は20度前後。とても過ごしやすくて事務所のスタジオで撮影するよりも快適だし、カタツムリもよく動く。
 撮影を終えたカタツムリのうち、死んでしまいやすい種類は、図鑑の文章を担当する西浩孝さんへ送り同定をしてもらう。そうではない種類は福岡に送り、帰宅後に、簡易スタジオでは満足できな写真に関しては撮り直しをする。
 北海道のカタツムリなのでクール便で送るのだが、どこに宅配業者の営業所があるのかを探すことから始めなければならず、旅先では何でもないことに案外時間がかかる。
 
 午後はヒメマイマイというカタツムリを探す。ヒメマイマイは、これが同一の種か?と疑いたくなるほど殻の形に変異が多いが、今回は殻の高さが高いものが狙い。
 ところが探しても探してもその姿なし。
 人間って弱いなと思うのは、一日そんな日があると、すべてが上手くいってないように感じられたり、先の見通しが立たないような心持になることだ。
 絶好調と絶望は、案外紙一重。
 絶好調も妄想なら、絶望も妄想であり、自分を客観視するのは難しい。
 人の心って、面白いですね。



● 2013.9.5

 ゲッコーさんと合流。北海道のカタツムリのメッカ・島牧村へ向かう。
 ゲッコーさんを紹介してくれたのは、北海道在住の写真家・門間敬行君。
 ヒメマイマイというカタツムリの探し方を教わり、とにかく実に幸せな一日を送る。なんと言っていいのか・・・
 言葉にならねぇ!

 随分前の話になるが、初めて福岡〜北海道の取材の計画をたてたときのこと。
 ごく素直に予定を組んでみたら2ヶ月近い日程になり、さすがにそれは無理だと、計画を1ヶ月に収めることに苦心した思い出がある。
 今回は、他の仕事との兼ね合いで、その1ヶ月よりも短くできれば20日で帰宅したいのだが、当然スケジュールはハードになる。
 これまでのところ、毎日一度以上燃料を入れており、恐らく一日平均450キロくらい走行しているだろう。
 パソコンを立ち上げるゆとりがあるのが数日に一度。撮影した画像も、数日に一度、カメラからパソコンに移動させるのみ。
 ただハードだが、余計なことを考える時間がないのはいい。
 一日、また一日と時間がたつにつれ、体の疲れとは裏腹に、心が軽くなっていく感じがする。
 あいつが怪しからん、こいつが気に食わないとばかり言う人は、すべてがそうだとは思いませんが、基本暇なんだろうなと思う。
 では忙しくすればいいのか?と言えばNO。与えられた忙しさではダメ。
 同じ忙しさでも、自分で選んだ忙しさと与えられた忙しさはまったく別物。
 自分が、憧れとしてどこか諦めていることに、勇気を出してチャレンジして忙しくなればいいのだと思う。
 そして、やり遂げるまで続けたらいいのではなかろうか。
  

● 2013.9.4

 今はもしかしたら呼び名が変わってしまったかもしれないが、カタツムリの中にマイマイ属というグループがある。
 一般に、大きくて丸くて、いかにもカタツムリというイメージ。僕が普段、子供向けのカタツムリの本の制作のために撮影しているのも、マイマイ属の中の一種だ。
 基本は、殻の巻き方が時計回りの右巻きだが、左巻きの種類も存在し、学者さんがDNAを調べた結果、過去に一度だけ、右巻きのカタツムリから左巻きのカタツムリが登場し、その左巻きの種類がさらにいくつかの左巻きの種類に分化したと考えられている。
 左巻きの種類は東日本に集中しているから、素直に考えれば、東日本のどこかで、右巻きから左巻きの新種が登場したことになる。
 そうして登場した左巻きのカタツムリがさらに変異をして、もう一度右巻きになった種類もいると考えられている。
 左巻きの種類の中で一番一般的なのはヒダリマキマイマイだが、ある研究によると、そのヒダリマキマイマイから登場した右巻きの種類がアオモリマイマイなのだそうだ。

 さて、トンボなどは、青森県の先端の下北半島と九州の福岡県とで、共通の種類がちょいちょい見られるが、カタツムリの場合、福岡県と広島県でさえ共通の種類を見つけるのは難しく、分布が非常に局所的だ。
 つまり、カタツムリの図鑑を作るためには、全国を隅々まで回る必要がある。
 ならば、せっかくなので図鑑の制作と並行して、あと一冊本を作ろうと思っているのだが、そちらは進化の本にしたい。
 すると、先に紹介したヒダリマキマイマイとアオモリマイマイは、重要なポジションをしめる種類になる。
 そこで今日は午前中に、アオモリマイマイを中心に、あと1つの本のための写真を撮った。
 午後は青森県の最北端、マグロで有名な大間から函館行のフェリーに乗り込む。
 大間〜函館のフェリーは実に久しぶり。確か便がなくなっていた時期もあったように思うが、今回乗った船はピカピカで感激。女性専用の部屋や家族専用の部屋などもあり、みんなで家族旅行をしたくなる。


● 2013.9.3 雨

 ムツヒダリマキマイマイの撮影で、下北から津軽へ移動。
 青森県は先端が2つに分かれているが、右が下北、左が津軽。
 秋田県を代表するカタツムリの研究者・川口洋治さんの秋田のカタツムリの目録によると、ムツヒダリマキマイマイはヒダリマキマイマイの1つのタイプであるとされている。
 一方で、遺伝子を調べたある研究では、両者はあまり近くない。
 研究者が遺伝子を調べるといっても遺伝子のすべてを調べるわけではなく、ある部分を抜き出して比較するのであり、そこから導かれる結果が必ずしも正しいとは言えないのだが、ヒダリマキマイマイとムツヒダリマキマイマイに関しては、写真家として両者を撮影した僕の印象は、後者が正しいような気がする。
 ムツヒダリマキマイマイは、撮影した印象では、ヒダリマキマイマイよりもむしろエムラマイマイなどに似ている印象を受け、これも遺伝子の研究と矛盾しない。
 僕はカタツムリをスタジオで撮影する際に、ある一定の基準でレンズを向けるのだが、そうすると、両者は写り方が違うのだ。
 

● 2013.9.2 雨

 青森県下北半島の生き物を調べておられる大八木昭さんをたずねた。
 実は僕は、恥ずかしながらつい最近まで大八木さんのことを知らなかったのだが、7月の東北取材で東北地方のカタツムリについてインターネットで検索した際に知り、そのカタツムリに関する調査の詳しさに衝撃を受け、どうしても直に話を聞き、フィールドの歩き方を見たいと思ったのだった。
 僕の場合は、カタツムリを探す際には、いい気象条件の時に現場に行くことができるように努力をする、つまりカタツムリが見つかるとしたらこんな条件のはずと逆算していくのだが、大八木さんの歩き方は、痕跡を一つずつ積み上げていくというものだった。
 例えば僕は普段、死んだカタツムリの殻にはほとんど目をやらないのだが、大八木さんはそれを1つずつ確認し、標本として残し、データを積み上げておられた。
 それによって、ごく稀に死んだ貝の殻が見つかる程度というような希少な種類を最終的には生きた状態で確認するなどの実績を上げてきておられる。
 なるほどなぁ。
 大変に勉強になり、感銘を受けた一日になった。
 大八木さんがブログで書いておられる記事の裏側に膨大なデータがあり、ここまで調べるものなのか!と驚かされるのである。
 しかし、そんな話を聞くことができるなんて、幸せだなぁ。生き物を好きで良かった、と思う訳です。
 

● 2013.9.1

 本来の予定より、一日早く青森へ入ることができ、多少ゆとりができたので、山道を探索してみたら、ムツヒダリマキマイマイが大量に出てくる場所を見つけた。
 ついてるなぁ。俺って持ってる?

 ムツヒダリマキマイマイは、青森では珍しいカタツムリではないはずだが、山の藪の中の地面や低い位置に隠れているので、よほどにピンポイントで場所が分かっていない限り、探そうと思って探すのは、数の割には難しい種類だと思う。
 しかも、写真を撮るわけなので、殻に傷がないきれいなもので、大人の貝を見つけたい。
 さらに殻の色にはいろいろな変異があるので、それをなるべく見たい。
 そうなると、最低10匹、できれば30匹見つけたいのだが、下手をしたら、これは完璧という個体は一匹も取れない可能性も大いにあると思っていたのだ。
 僕は生き物を見つけ出すのはあまり得意ではないが、少し上手になってきたかなぁ・・・
 

● 2013.8.31

 新潟での撮影を予定したのだが、天気が思わしくない。カタツムリを探すには最悪の晴れだ。
 そこで新潟をすっ飛ばし、雨が予想されている秋田へ一気に向かうことにした。
 距離はおよそ850キロ。
 楽な距離ではないが、前日飯田の美術博物館で受けた刺激の影響で気持ちの高揚があり、朝は4時に目が覚めるし、気合がみなぎってくるし、どんなハードなことでも容易くできそうな気がする。
 するとこれが大的中であり、途中雨が降り出し、何となく立ち寄った場所で目的とするカタツムリが見つかった。
 そう言えば、先月、ある場所でイズモマイマイというカタツムリを雨の日の夜に探したら、30匹くらい見つけることができた。そこで、今回の取材でも同じ場所に立ち寄り、今度は晴れの日の夜に探してみたら、4匹しか見つからなかった。
 つまり、ある種のカタツムリを探す場合に、雨の日は晴れの日およそ7倍カタツムリを見つけやすい。雨さえ降ってくれれば、過去に実績がある産地ではなくても、カタツムリを見つけられる可能性が高まるのだ。
 ともあれ、秋田に向かう必要もなくなった。
 本州の最終目的地である青森へ直接車を走らせれば、秋田往復の約200キロを短縮して、さらに秋田で取材をするはずの一日が浮くことになる。 
 

● 2013.8.30 午後
 午後は、長野県の飯田市美術博物館で開催されていたカタツムリの展示を見るために、今回の取材の目的地とは逆の方向になるが、南へ向かう。
 展示の内容はブログで日々少しずつ多少紹介されおり、それを時々見ていたのだが、見せ方が実に見事。正直に言えば僕はそれを見て、相対的に自分の能力の低さを思い知らされ、多少打ちのめされた感があった。
 そんな時はそれを素直に認め、話を聞かせてもらい、その方の凄さの一端でも吸収させてもらうのがいい。
 すると、カタツムリ展を担当した学芸員の四方さんによれば、
「それは、僕がカタツムリマニアではないからだと思います。カタツムリの専門家なら、こんな展示はできないでしょう。」
 ということであった。
 四方さんは、虫屋さんであり、蛾を得意としておられる。

 会場に入ると、お子さん連れのお母さんの姿。ミスジマイマイを捕まえてみたいのだけど、なかなか捕まらないのだそうだ。
 是非、捕まるまで探してほしい。見つからない時であればあるほど、見つけた時の感激は大きい。
 それから、僕の身の回りにはいないような上品な感じのお姉さんの姿も。
 ほう、こんな上品そうなお姉さんがカ・タ・ツ・ム・リを見るか!
 お姉さんは、カタツムリにまつわる文化の展示のあたりから熱心にご覧になっていた。
 夜は、四方さんに誘われ食事へ。
 ちょうど館に遊びに来ておられたヤママユの専門家と某出版社の編集者と芋虫ハンドブックで有名な安田守さんも一緒。29日、30日は、天候が望み通りにならず予定変更を何度も強いられ、やや気分が下がり気味になっていたのだが、みなさんからの刺激で気分が一気に上向きだ。
 この刺激が、次にがんばるエネルギーの源になるのであり、そこから多くのものが生まれてくるのであり、大変な得をさせてもらったように思う。
 
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2013年9月分


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