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2013.7.24〜26(水〜金) 捨てる神あれば拾う神あり

梅雨が明けないのなら、本当はもうちょっと東北でのカタツムリ取材を続けたかった。カタツムリと言えば、雨なのだ。
しかし、どうしても外せない仕事があり、福岡に帰宅をせざるを得なかった。
その仕事とは、ため池の定点撮影だ。毎月一度、ため池の風景を撮影し、一年間の変化を追いかける。
現在僕が定点撮影している場所は、広島、山口、大分、福岡にそれぞれ一ヶ所ずつの合計4か所。
本来であれば東北へ向かう前に、それら4か所の7月分の撮影を終え、後顧の憂いなしにしておきたかったが、他の仕事との兼ね合いで、大分県での撮影だけが残ってしまったのだ。
今年は梅雨明けが早そうだと必死にまとまった時間を作り出し、大急ぎで東北へ向かったものの、梅雨は意外に明けず、そんなことなら、出かける前に何とか一日絞りだし大分での撮影を終えておけば・・・と東北取材の途中で何度も悔いた。
しかし、その後悔も、一通のメールで吹き飛んだ。
それは、この春に依頼されて撮影した画像の中から使用するものが正式に決まったので、該当する写真の印刷用の正式なデータを送って欲しいとのメールであった。
ならば、どっち道帰らなければならない。
そうしたケースに備え、僕がいなくても画像をシステマチックに貸し出せる体制を整えておく必要がありそうだ。
この手のことは、すぐに対策をすることが肝心で、次回出かける前になどと考えると、だいたいろくな結果にならない。ということで、僕が不在時の写真の貸し出しのやり方を考える。これが今日の最初の仕事だ。
一方で、捨てる神あれば拾う神あり。出版社の方が、
「武田さんカタツムリ図鑑の撮影しているのでしょう?先日、編集部で必要があって手に入れたカタツムリがいるのですが、用が終わったので送りましょうか?」
と連絡をくださったのだ。
しかもその種類が非常に特殊なもので、さらにそのカタツムリを取材しようとすると、諸々の事情で大変に日程の組み方が大変に難しくなる種類だった。
「是非、送ってください。」
カタツムリ図鑑で使用する写真は、大きく分けて2種類。
1つは、現地で撮影するフィールド写真。あとの1つは、23日の日記に掲載したような白バック写真。
今回の東北取材では、まず現場にいってフィールド写真を撮影し、一部を持ち帰り福岡のスタジオで白バック写真を撮り、正確な同定をした上で、次回秋に東北へ行く際にそれを元の場所に返すというやり方を考えた。
しかし、期間が一週間くらいになってくると車内泊の車の中で採集したカタツムリを維持するのには少々無理があり、今回、採集したカタツムリの一部を死なせてしまい、白バック写真をどうするか?という問題が残った。
まず考えられる方法は、簡易スタジオを持ち歩き、現場で白バック写真を撮影し、撮影後はカタツムリを放すやり方。
ただこのやり方の場合、同定が難しいものの扱いに困る。図鑑であるから、同定が難しい種は一度専門家のチェックを受ける必要があって、いずれにしても採集しなければならない。 また、簡易スタジオでは、若干写真の質も落ちる。
となると、捕まえたものを宅配で送るか・・・。
しかし、受け取ってもらったものがどう扱われるかの心配が残る。
他には、各地に住む人からカタツムリを送ってもらい、撮影と同定が終わった種類を送り返し、元の場所へ放してもらうやり方。
送ってもらうというやり方は横着で好きでないが、下手をして無駄に死なせることを思えば、今のところ、これが一番いい方法だという結論。
お金が欲しいなぁ。お金さえあれば、現地まで飛行機で行き、レンタカーを借りて宿に泊れば、すべての問題が解決する。
けれども、きっと味気ないんだろうな。
味気ないのは最悪じゃないか!
いや、どっち道そんなお金は持たないので、考えても仕方ないんだって。
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2013.7.23(火) カタツムリという生き物

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX
カタツムリは研究の材料としては面白いが、正直に言えば、単純に写真の対象として見た時には、あまり面白い被写体ではないと思う。
ではなぜ、そのカタツムリの図鑑を、カタツムリの専門家というタイプではない僕が作ろうと思い立ったのかと言えば、図鑑を作る過程で普段カタツムリを調べたり見たりしておられる方々の貴重な話を聞くことができるから。僕にとっての面白味は、撮影よりもそこにある。
写真の対象として面白い生き物なら、本やインターネットでたくさんのことを知り得るが、そうではない生き物の場合は、やっぱり人なのだ。
「左巻きで、ちょっと大きめのカタツムリなんですけど、エムラでいいんですよね?」
と先日、新潟県での撮影ののち、日本を代表するカタツムリの若手研究者である西浩孝さんに聞いてみた。
「エムラだと思います。殻につやがあるでしょう?」
「つや・・・」
カタツムリの場合、つやがあるとか、角が張るとか、そこのところがなんとなく難しい。
ところが持ち帰ったものをスタジオで撮影してみると、紛れもなくつやがあって大感激。おもわず、
「ウヒョ〜」
と声を上げる。図鑑では僕は文章は書かないのだが、そうした感覚的な部分を、可能限り写真で表現したいと思う。
特に、カタツムリの性格を表現したい。
東北へと向かう道中は、これまたカタツムリの本の制作で、構成と文章を担当するボコヤマクリタさんと所々でメールでの会議。
こちらは子供向けで、本はいよいよ大詰めであって、もうしばらくしたら発売される。
ボコヤマクリタさんとは、ここ数年、随分一緒に作業をしてきた。
僕らが組むことにはメリットもあるが、デメリットもある。人が介在すればするほど、お互いにかみ合わないというリスクが生じる。
しかし本当にいいものを作ろうとするならば、個人の力には限界があり、何らの組み合わせが必要になる。
そこで、当面のリスクを覚悟の上で、10年後を頭に思い描きながら、僕らは表に出た物、出なかったもの、制作過程のものも含め、とにかく共に作業をしてきた。付け焼刃の組み合わせではできない、お互いに深い理解を要するものを目指してきた。
そして今回の本は、初めて、二人がガチッと噛み合った。自分で言うのも何だが、本は、非常にいいものになると思う。
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2013.7.17〜22(水〜月) 東北取材

生き物を求めてある場所へ出向いた際に、自分がどんな生き物に注目しているのかによって、そこの場所が全く違うものに見えてくることがある。例えば、田んぼの生き物に注目した場合には自然度が高いと思える場所が、カタツムリに注目した場合は、自然度が低かったりする。
カタツムリの撮影で、一週間ほど、新潟〜山形〜秋田〜青森の東北へ出かけた。
東北地方というと自然が豊かというイメージが強いが、カタツムリに注目した場合、東北は自然度が非常に低いと思う。
とにかく、一部の場所を除いて山は延々と杉の植林であり、平地は徹底して切り開かれていて延々と田んぼや果樹園になっている。
確かにビルは少ない。
また、田んぼには人工物があまり使われておらず、西日本ではあまり見かけない土の水路がたくさんあり、きれいな水が豊富に流れているのだが、カタツムリが好むような、何でもない森や草むら、つまり勝手に草や木が生えてきて何となく存在する場所がきわめて少ないのである。
改めて西日本の豊かさを思い知らされる。

NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX
 NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX
今回は、野外で自然状態での写真を撮ることに加え、その一部を採集して持ち帰り、スタジオで生きた状態の標本写真を撮る。
ついでに、通りがかりに何となく気になった景色にもカメラを向ける。
カタツムリの場合、もしも雨が降ってくれれば見つけやすくなるが、逆に、晴れると、情報が少ない種類の場合は手も足も出なくなる。
そんな時は、風景の撮影に切り替える。
今とても気になるのが岩。トンボなどの水辺の昆虫を撮影する手もあるが、カタツムリの撮影で散々に探さなければならないから、気分を変えるためにも探さないで被写体がいい。
ただそこで問題になるのが、採集したカタツムリたちだ。発泡スチロールの容器に入れているとはいえ、暑い車内に置いて撮影に出かけるわけにはいかず、仕方なく車の下の日陰に置いておくのだが、これが気になってしかたがない。
そんなものを持ち去る人がいるとは思えないのだが、もしも持ち去られると、僕としては非常に困る。旅の終わりにたくさんの種類のカタツムリが入った容器を盗られたりすると、気分的には100万円を盗まれるのよりも大きなダメージを受けるだろう。
その点、何かやり方を考えなければならないようだ。
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2013.7.15〜16(月〜火) 原発銀座
自然の写真は気象条件が命。
その気象だが、様々な情報を集め、ある程度想定できるのは、翌日までだろう。
二日後になると、かなり予報は怪しく、どこの誰にも確かなことは言えないのではなかろうか?
だとするならば、翌日までに行ける場所が、天候に合わせて気を見るに敏で動ける、僕の通常の守備範囲になる。
それはどこまでなのか?
北九州を出て、その日のうちに特に無理をせずに行ける場所は、福井の敦賀あたりまでになる。翌日、その敦賀から車で2〜3時間以内くらいにある場所が、その範囲になる。
だいたい、新潟や長野くらいまでになる。
京都府〜新潟県の海沿いを車で走ると、九州に住んでいる僕でもよく耳にする地名が多い。
大半は原発が立地している場所の名前。
地震対策や津波対策をどんなに施したところで、それを運用するのは人間。施設は失敗に学んでもグレードアップできても、人間の部分に関しては大して変えることはできないのだから、原発のリスクはある程度から先は減らないことになる。
そして大きな事故が起きれば、回復不可能なダメージを受ける。
病気の治療に例えるなら、命にかかわるわけでも、重篤でもない人を治療するのに、下手したら命のやり取りになってしまうようなやり方を進める医者は、あまり信用できない医者ではなかろうか。
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2013.7.2〜14(水〜日) 出雲マイマイ
7月上旬、この夏が締め切りの依頼された撮影の目処がたち、少し自由になった。
依頼された撮影はいずれも過去に経験があったが、非常に難易度が高い。以前には時間もお金も随分かかった。
したがって、そこそこ時間がかかるだろうとは読んでいたが、依頼の中に季節外れもものが含まれていて、それを何とかしようとした結果予想よりも10日ほど余計に日数がかかり、焦りとの勝負であった。
というのも、今シーズンから来シーズンにかけてはカタツムリ図鑑を制作することになっており、カタツムリが一番活発に動く梅雨の雨の時期に入る前には、どうしても依頼された仕事を終えたかったのだ。
ともあれ、カタツムリ図鑑のための撮影に、いよいよ取り掛かることができる。そこで7月4日の夜、翌日の大雨の予報に期待して、僕はカタツムリの撮影けん採集に出かけた。
雨の中での撮影の場合、まず傘が必要になる。傘は、出来れば中が暗くならない透明のビニール傘が良い。
とにかく、普段よりも1つ持ち物が多い。
採集も兼ねているからいるから、できれば、高い場所にいるものを捕まえるための長網も欲しい。
一方で、激しい雨の中で持ち歩けるものの量には限りがあり、持ち物の取捨選択は、普段よりも重要になる。
さて、何を取り何を捨てるのか?
今回、まず弁当を捨てることにした。
朝山に登り、目的とする種類を昼までには採集し、昼食は山から下りて食べる短期決戦を選択した。
しかし、この判断が後程、僕を苦しめることになる。

まずは、麓から探索。


古い民家の壁では、中型の瀬戸内マイマイが盛んに苔の類を食べている。
このカタツムリは、古くさえあれば比較的に民家に近い場所にも見られる。
ちょっと森に入ると、山陰マイマイの姿もある。

神社を囲う壁の下に大きなカタツムリの影を発見。
今回の最大の目的である出雲マイマイではないか?早くも目的達成か?と胸が高まるが、近づいてみればコベソマイマイであった。
おそらく出雲マイマイは、もっと標高が高い場所にすんでいるに違いないと、とにかく山に登る。

山上に登ったところで、少々予定外のことが起きているのに気付いた。空が意外に明るく、先ほどもまで降っていた小雨が上がってしまったのだ。
そうなると、並みのカタツムリならともかく、それほど数が多くなく目立たない出雲マイマイを見つけることは大変に難しくなる。
おのずと、次の雨のピークを待つことになるが、弁当がないのが堪える。
辛いなぁ。でも、我慢するしかなかろう。
しかし空腹ってみじめやなぁ。集中力が落ちてくるのが困る。
とにかく我慢をして、森をさまよう。
ふと、山上の展望台付近で、自動販売機が目に飛び込んできた。普段なら、こんな場所に自動販売機なんて・・・と批判したくなるところだが、君子豹変すと言うではないか。背に腹は代えられぬのであり、とにかく糖分を取って空腹をしのごうとお金を入れようとしたところ、その中にカロリーメイトが含まれていることに気付いた。
あの味気ない食べ物が、非常にウマい。
なんとウマい!子供の頃に父と食べた博多・和田門の、当時のお金で一皿5000円の三色ペッパーのステーキよりもウマい。やはり、空腹以上のグルメは存在しない。
何が嬉しいかと言えば、これで雨が降り始めるまで何の憂いもなく待ち続けることできる。
やがて、遠くで雷鳴が響き、数分後、土砂降りの雨が降り出した。
出雲マイマイは臆病で不活発なので、すぐには出てこないだろう、と一時間ほど屋根がある場所で待機。
そして、一時間後、あたりの探索に入るが、さすがに難関。歩いても歩いても見当たらない。しかも今回は図鑑であるから、大人の貝でなければならない。
今回はダメかな・・・、出直しかなとくじけそうになった瞬間、ふと木の根っこに近い下の方に巨大なこぶのような何かが見えた。出雲マイマイだった。
なるほど、木のふもとの落ち葉の中に隠れていたものが動き出し、木を登り始めた直後であろう。

出雲マイマイは、以前にも殻の直径が60mmを超える大きなものを採集したことがあり、その際には、ナショナルジオグラフィックの日本語版のページに掲載された。
あまりの大きさに最初興奮の度が過ぎ、ノギスのメモリを65mmだと読み違えて報告し、あとで、
「ごめんなさい、ちょっと小さかった。」
と訂正を入れるはめになり恥ずかしかった。逃がした魚は大きいというが、僕の場合、逃がさない魚も大きいのだ。
その後、読み間違えを防ぐためにデジタル表示の電子ノギスを購入した。
その電子ノギスで測れば、今回のものは、それよりも一回り小さい直径が55mm。
野外での写真を撮りたかったのだが、雲が厚くてあたりが暗く、高感度特性に優れた最新のデジカメをもってしても、撮影ができない条件であった。
雨、面白いなぁ。
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2013.7.1(火) 森上信夫さんの著作

3月に送ってもらった森上信夫さんの写真絵本、オオカマキリ(あかね書房)を紹介したい。
森上さんは、定職を持っておられるいわゆるサンデーカメラマンだ。
一般的なことを言うと、サンデーカメラマンの強みは、写真で生活費を稼ぐ必要がないことだと言える。したがってコストを無視して品質のみを追及する撮影ができる。
逆に弱みは、いつでも撮影に出かけられるわけではないから、お勤めが休みの日の条件が良かろうが悪かろうが、その中で撮影しなければならないこと。
例えばこの本の表紙の青空の写真なども、何でもない写真ではあるが、サンデーカメラマンの場合、運が悪ければ、週末たびに雨や曇りという場合だって珍しくなく、休みを取ることなしにこれを必ず撮れと求められると少しいやらしい。
つまり、サンデーカメラマンに有利な写真の撮り方や発表のしかた、逆に職業写真家向きの写真の撮り方、発表の仕方があり、大まかに言えば、型にはまらない撮影はアマチュアが有利、先に決められた絵柄があり、その通りにカチッと撮れと求められれば職業写真家が有利になる。
では、今回のオオカマキリのようは本の場合は、どうだろうか?
先に結論を書けば、この手の本は、サンデーカメラマンが作るには非常に難しい。なぜなら、あらかじめ絵コンテがあり、それにしたがって撮影しなければならないから。
自分が森上さんの立場に立てば、お勤めをしながらこれだけの撮影をこなすのはあまりにストレスが大きい。
そう言えば、「アリの巣の生きもの図鑑・東海大学出版会」という本が先日出版され、多くの自然写真家の度肝をぬく素晴らしい出来栄えなのだが、この本などは、写真そのもので生計を立てている者にはまず作ることができないだろう。あるいは、小檜山賢二さんの「象虫・出版芸術社」なども、そんな例だと言える。
しかし森上さんは、定職を持ちながらあえてその強みが生きるやり方を選択せず、これまでも「アリの巣の生きもの図鑑」や「象虫」のようなタイプの本を目指すのではなく、職業写真家向きの本を作ってこられた。
別に定職を持っている人が、その強みを生かさなければならない訳ではなく、森上さんのような選択肢もありだと思う。
ふと思い出されたのは、将棋の内藤・有吉戦を解説された時の故・米長邦雄さんの言葉だった。
一見損な指し方を選んだかのように見える内藤さんの指し手に対して、米長さんは、
「しょうがないんですよ。性格だから。」「良し悪しじゃないんです。」
とおっしゃったのだった。
人生はそれがあるから面白いのではなかろうか。
ともあれ、森上さんの「オオカマキリ」は、職業写真家が仕事として作る写真絵本と比べると、内容が盛りだくさんで、熱い感じがする。
こういう作り方をする人は、森上さん以外にはいないのである。
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