撮影日記 2013年5月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2013.5.29〜31(水〜金) 地球や自然や生き物や人


NikonD800 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

ikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

 先日、両性類の愛好家・徳永浩之さんと緒に、広島県へカエルを見に行った。
 車は、ハイエースで行こうか、軽自動車で行こうかと迷ったのだが、カエルの生息地であるから道が極端に狭い場合もあるだろうと軽自動車を選択。
 しかし、今回は広島県といってもどちらかというと福岡からは遠い岡山県寄りであり距離が長く、軽ではさすがにきつくて、助手席に乗った徳永さには申し訳ないことをしてしまった。
 ともあれ、助手席に人が乗っていると話をすることで気がまぎれるのでありがたい。

 自然愛好家には、どちらかと言えば左寄りの人が多い。
 したがって、僕の身の回りには、右寄りの政治家である安倍晋三さんを、安倍政権を支持しない方が多い。
 が、僕は安倍政権は支持したい。
 理由は拉致問題である。
 まだ拉致問題が表面化する以前から、拉致の噂だけは聞いたことがあった。
 だから、以前取材で日本海側の海辺に車を止めて車内泊をする際に、「下手をして拉致されないような場所に気を付けて車を止める」、とこの日記の中に書いたことがあるのだが、すると自衛官をしている知人から、
「そんなことがあるわけないじゃないですか。あったら大変な問題ですよ。」
 とメールが送られていた。
 自衛官でさえ、噂を知らない人もいた。
 拉致問題がはっきりしたのは、それから数年後のことだった。
 拉致が噂だった時代から問題に取り組んできたのは、現役の政治家では安倍晋三さんだけであり、また他に拉致問題に踏み込むことが出来そうな政治家も見当たらない。
 僕はそこを支持したい。

 拉致問題が解決しようがしまいが、あと100年たてば、関係者はみんないなくなっているのだから、同じことなのかもしれないなと思うことがある。
 しかしそれを言えば、おそらく地球はいずれなくなるのだから、僕らがどんな暮らしを送ろうが、人類が何をしようが、最終的には何もなくなるのだから同じことになる。
 最終的に同じことなら、地球や自然や生き物や人間は、何のために存在しているのかな?
 拉致問題を考えると、そんな思いがこみ上げてくる。
 ただ、拉致被害者を本気で取り戻そうとしないのなら、そんなものは国家ではないと思う。
 安倍さんの政策のすべてに賛同するわけではないが、一人の総理大臣が何もかも問題を解決できるわけがないし、何か1つできれば十分だと僕は思う。
 
 
 

2013.5.25〜28(土〜火) 金魚の飼育水を抜いてみると

 先日金魚を飼育している容器の水を抜いたら、微生物が繁殖して濃い緑色になった水の中から、ちょうど今シーズン撮影を依頼されている生き物が出てきた。
 しかも卵を抱いていて、孵化直前の有精卵だ。
 その生き物に関しては、前々回の日記に書いたばかり。
 そう言えば、昨年の秋にその生き物を採集した際に、飼育容器に入りきらなかったものをまた川に放そうかとも思ったのだが、いや、何かの役に立つかもと、ポンと金魚の容器に放り込んでおいたのだった。
 ああ、ついてるなぁ。
 いや、ツキと解釈して喜ぶのではなく、上手くいく確率がちょっとでも高くなる選択をしておいたのが良かったのであり、それを常に意識することで、人から見ればついているとしか思えないようなことを何度も何度も再現することが大切だと言える。
  
 
 

2013.5.24(金) 新しい本の紹介-1



かんさつ名人になろう D
かたつむり
ポプラ社

 一部の特殊な写真を除いて、僕の写真で構成されています。個人が買う本というよりは、図書館向けです。是非、近所の図書館に推薦をしてください。
 実は、以前から、図書館向けっていったい何なのだろう?と思っていたのですが、どうも、乱暴に扱われても痛みにくいように、ハードカバーで頑丈に作られている本のようです。
 したがって、内容がその他の本と異なるわけではありませんが、丈夫に作られている分高価になり、一般の書店では売りにくいということなのでしょう。 
 
 
 与えられた時間の関係で、この本はそれ用に新たに撮影した写真はほとんどなく、すでに持っている写真を提供した。
 雑誌と違って単行本はあとに残るし、写真家にとってはステータスなのだから、どうせならそれ用に新しい写真を撮りたいのだが、一方でプロを目指して写真の修行に取り組んでいた頃、先輩方が、新しい写真を撮らずとも、すでに持っている写真だけで本を作れるだけの蓄積を持っているのを目の当たりにして、ああ、すげ〜なぁと感じていた部分もあり、自分がすでにある写真で本を作ることには、それはそれで感激がある。
 さて、カタツムリの本は、単行本として発売されているものだけで、これまでに4冊も作った。
 実は、さらに、今年のうちに出版の予定がある。
 こんなにたくさん作ったのなら、一層のこと、カタツムリのダイジェストを作るか。全国のカタツムリを取り上げた図鑑を・・・
 で、いつやるの?
 今でしょう!ということで、カタツムリ図鑑を作ることになった。
 2年くらいのスケジュールで、全国を回る予定だ。
 撮影する写真は主に2種類で、現地で撮影する写真と図鑑用の標本写真。
 もしも標本撮影用にカタツムリを採集して送ってくださる方や、現地で場所の案内を協力してくださる方がおられましたら、まともなお礼もできない可能性大ですが、是非、連絡をください。
 
 
 

2013.5.21〜23(火〜木) 平常心

 現在飼育中の、撮影を依頼されているある生き物が季節外れの卵を産んだことを,、先日書いた。が、残念ながら卵は無精卵だったようで、すべて死んでしまった。
 季節外れなのでそんなこともあろうかと思ったし、撮影の仕事の場合、卵を産んで神経質になっているところにカメラを向けるのだから親が卵を放棄してしまうケースもあり、担当の編集者には
「期待し過ぎないでくださいね。」
 とお伝えしてあったのだが、今になって分かったのは、そう言う自分が実は一番期待しており、恥ずかしながらがっかりしてしまった。
 ふと、昔将棋に夢中になった頃に、対戦で
「しめた!でかした。」
 と喜んだ時には、最終的にはそれが悪い結果になるケースがしばしばあったことを思い出した。
 結果にこだわる場合、途中の段階で一喜一憂しないことがしばしば大切だ。

 季節外れの、撮影が不可能である可能性が高い注文の場合、それが他の地域に住んでいる人なら撮影可能なシーンの場合は、例えば九州では無理でも北海道では可能なら、僕はまず他の人を推薦する。
 だがそれも不可能な場合は、その現実を相手に伝えた上でできる限りのことをやってみるか、あるいはお断りをする。
 今回の場合は、その生き物が今の時期にはあまり卵を産まないという知識は多少経験がある人でなければ知らないことであり、それが分からなかったのは担当者の落ち度ではないと思えたのと、依頼されたシーンを今の時期に依頼された通りに撮影できる可能性が僕よりも高い人は日本国内にはいないだろうと思えたのと思えたので引き受けてみた。
 さて、卵が無精卵であることが判明し、今のところどんなに考えてみても打つ手なしの状況になってしまったが、どうしたものか。
 
 
 

2013.5.20(月) 更新のお知らせ

4月分の今月の水辺を更新しました。
 
 
 

2013.5.16〜19(木〜日) タケシン写真教室

 自然写真の最大の市場は子供の本。その子供の本の世界には定番の生き物が存在し、そこから外れた生き物の写真は極端に売れないことは、以前にも何度か書いたことがある。
 定番以外でカメラマンが普段面白いなと感じているような写真は、「マニアック過ぎる」、或いは「難しすぎる」と敬遠される運命にある。
 ところが講演やその他で直に子供たちに写真を見てもらうと、その売れ筋があまり受けないことに驚かされる。
 そして、カメラマンが普段面白いと感じているような写真が、やっぱり受けるのである。
 出版の世界での定番と自分が直に子供たちに接したときとのギャップは、いったい何なのだろう?
 定番は定番でいいと思うが、そこに何か考える余地がある、と思う。
 それが分かればもっと本を面白くできると思うし、逆に前例主義に陥ってしまい変化することができず一旦こんな本いらないと思われてしまえば、僕らにとって手遅れになってしまう危険性もあると思う。
 ともあれ、人と直に接するのは、やはり大切なことだと言える。

 人と直に接する。そんな思いがあってホームページの中では写真教室や自然観察教室を引き受けると記載してあるが、以降時々申し込みがあり、つい先日も写真教室を開催したばかりだ。
 今の時期は撮影が立て込んでいるのでイベントを引き受けることはできにくいが、今回の依頼者はこれで2度目の参加であり、多少様子が分かっているので教室を開催してみた。
 まだ完全な初心者で絞りやシャッタースピードといった言葉をご存知ではないので、その説明から始めるのだが、帰宅してら分からなくなってしまうのではないかと心配になる。
 そこで適当な本はないか?と手元にあるものを片っ端から見直してみたが、どれも難しい。
 なるほどなぁ。それなら自分で作るか?
 サルでもわかるデジタル一眼レフの使い方を。

 不思議なことに、写真のことを分かっていなくてもちゃんと写真が撮れる方もおられれば、分かっていてもよく撮れない方もおられる。
 今回の参加者はまさに前者であり、最初の写真教室参加後に、ある事情でパンフレット用の写真撮影に携わっておられるのだが、出来栄えはなかなか見事なものだった。
 なぜそんなことが起きるのかと言えば、ゴールが見えているかどうかの違いだと言える。
 こんなものを作りたい、写真を通してこんなことがしたいと最終形が具体的に見えている人は、あまり知識がなくても試行錯誤によってカバーすることができる。
 逆にその最終形が見えなかったり思い描いた最終形が現実離れをしている場合などは、知識はほとんど役には立たないだろう。
 
 
 

2013.5.13〜15(月〜水) 地雷を踏む

 先月、午前中にトンボの撮影を終え帰りにうどん屋さんに立ち寄ったら、隣の席の二人組が議論を始めた。
 テーマは、人は分かりあえるかどうか。
 一人は分かりあえると主張し、あとの一人は分かりあえないと主張した。
 議論は、食事中、平行線をたどる。
 そしてついに分かりあえると主張する側が腹を立て、相手を罵りはじめたことには驚かされた。
「え?人は分かりあえるんじゃないの?」
 と。
 その人は、人は分かりあえると思ったから、分かりあえなくなってしまったのだった。

 僕は、そんなに人は分かりあえなければならないのか?と思う。
 人間同士が分かりあえるのも優しさなら、分かりあえないことを許すことも優しさだと思うからだ。
 最近、耳にするようになった言い回しで、
「〇○が俺の地雷を踏んだ。」
 という物の言い方がある。
 自分にとってのNGワードを誰かが気付かずに発し、それに対して腹を立てた時に使われる言い回しだが、地雷と言うからには、それが埋もれていることを発言者も理解しているのだろう。そんなことに、神様でもあるまいし、すべて気付くことができるはずがないと僕は感じる。
 俺を分かれ、私を分かれ、分かれ、分かれという押しつけ。
 それなら、それを分かることができない人を、自分が分かってあげたらどうかと思うのである。
 幸い、新しい言葉や言い回しは若い人から広まってくるものなので、僕の身の回りに、「地雷」うんぬんという物の言い方をする者はいないのだが。

 一人の人間が理解できることの範囲なんて、たかが知れている。
 獣のプロフェッショナルが、身近な獣について、みんな何も知らないと嘆き、
「どこを見ているんだ!」
 と批判する。
 ところがその人が、昆虫については恐ろしいほど何も知らない、などということは珍しいことではない。
 俺は物事が分かる、と思った時点で、その人はもうすでに分からなくなっているような気がするのである。
 
 
 

2013.5.4〜5.12(土〜日) 準備

 先日、ある生き物が季節外れの卵を産んだことを書いた。
 厳密に言うとその生き物は今の時期に全く卵を産まないわけではないのだが、大半のものは秋に卵を産む。
 したがって秋に撮影を依頼されれば撮影は難しくないが、今の時期になると非常に難易度が高くなる。
 がしかし、それを可能にしてしまうのがプロ。
 というのが、今日のプロフェッショナルのイメージであり、それは僕としても良くわかる。
 ただ正直に言えば、季節外れの撮影にならないようにあらかじめ十分に前から準備するのがプロではなかろうか?という気持ちもある。

 さて、昨年のちょうど今頃、カタツムリが産卵をする様子を撮影した。
 撮影のための準備は、そのさらに一年前から始めた。
 したがって準備万端での撮影だったが、どんなにこちらが万端でも相手のコンディションに大きく左右されるのが自然写真。昨年はカタツムリの産卵が非常に少なく、あとで振り返ってみれば撮影が可能なチャンスはわずか2度だけで、そのうちの一度をたまたま捉えたまさにギリギリの仕事だった。
 その2度のチャンスの日にたまたま他の仕事に出かけていたり、何かの約束が重なったりしたならばアウトだった。今の時期は撮影しなければならないシーンが多い時期であり、運が悪ければそれも十分にあり得た。
 その時の写真は、単行本として、この秋に発売される予定になっている。

 一方今年はカタツムリの産卵が多い。
 通常もっとも産卵が盛んになるのは梅雨の雨の頃だが、今年は今の時点で早くも2度の産卵のピークがあった。 
 こうなると、多少準備が悪くても撮影は可能になるし、撮影の難易度は低くなる。
 自然や生き物を相手にする場合、準備万端でも大苦戦することもあれば、特に備えがなくても何の苦も無く難しいシーンを撮影できることもあり、それもまた、自然写真家は知っておかなければならない事実だ。
 準備は大切であり、さらにどんなに準備万端でも、どんなに相手のことを良く知っていても、自然は必ずしも人の思い通りにはならない。
 
 
 

2013.5.1〜5.3(水〜金) 虫の知らせ

 軽い風邪でもひいてしまったのか、二日ほど体調が悪かった。体がだるくて、気力が湧いてこない。
 そこで、少し事務所で仕事をしては眠り、また起き出して仕事をしては眠った。
 それを夕刻まで繰り返すと、さすがに眠り過ぎで、もう眠れなくなった。
 ただ具合は相変わらず悪いが、溜め込んでいた疲れから解放され多少気力が湧いてきた。
 年に何度か、そんな日がある。
 もう野外で自然光での撮影ができない時間帯から気力が湧いてきてもなぁ。気力が必要な時に気力がなく、不要な時間帯になってから元気がでてくるなんて、勿体ない一日だったなぁ・・・
 ふと、過去に何度か、そんなケースで思いがけないチャンスが巡ってきたことを思い出した。
 昨年も、全く同様のケースで思いがけずカタツムリが産卵を始め、その後夜を徹しての撮影となったが、体調不良での睡眠が、まるでその晩カタツムリが産卵をすることが分かっていてその徹夜の撮影に備えたかのような結果になった。

 そこで今回は、子育ての様子をスタジオで撮影するために飼育しているある生き物を見に行ってみたら、卵を産んでいることが分かり、すぐに撮影に取り掛かった。
 実はその生き物は、本来の繁殖の時期ではなく、撮影を依頼されたものの、10中8,9、卵は産まないだろうと諦めていた生き物だった。
 撮影は深夜に及んだ。そして、細かい点で大変に集中力を要するトランプゲームの神経衰弱のような疲れ方をする撮影だったのだが、昼間の十分な睡眠のおかげで、最後まで集中を切らさず撮影を進めることができた。
 ついてるなぁ。
 体調不良と言えば一般的には悪いことだが、実は、何がいいことで何が悪いことなのかは、最後にしか分からない。
 将棋の大山康晴15世名人は、それを、
『助からないと思っても、助かっている。』
 という言葉で表しておられる。
 悲観的な目だけで物事を見ていると、チャンスを見落としてしまう。
 楽観するということでもない。
 悲観でもなく、楽観でもなく、思い込みではなくちゃんと物事を見ることを僕は重視する。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2013年5月分


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