撮影日記 2013年4月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2013.4.29〜30(月〜火) ロクデナシ

 普段取材に使用している軽自動車のラジオが壊れたので、先日新しいものを取り付けたら、CDプレーヤーが付属していた。
 いや、CDにラジオがついているのかな?
 せっかく使えるようになったので、車で時々CDを聞くようになった。
 昨日は、ブルーハーツの古いCDを積み込んでみた。

 どここかのエライ人テレビでしゃべってる
「今の若い人には個性がなさすぎる」
 僕等はそれを見て一同大笑い
 個性があればあるで押さえつけるくせに
(THE BLUE HEARTS/ロクデナシUより)

 一言で個性と言ってもイロイロあるが、創作活動に要求される個性に限定すると、押さえつけられて消えてしまうようなものは、個性と言えるほどの物ではないと僕は考える。
 押さえつけても押さえつけても出てくるもの。
 いや、押さえつけられればられるほど出てくるのが個性だと。
 だから、大人は若者をいくらでも押さえつければいいと思う。それに耐えられないような人は、最初から創作活動の分野では論外だ。
 
 実は警戒すべきは、誰か自分を押さえつける他人ではなく、自分だと言える。
 自分で自分を制限し、その事実に気付くことができないことこそが最も恐ろしい。
 では、どんな時にそうなるのか?
 例えば、円満で物わかりが良く協調性に満ちた環境に置かれ、そこで自分がいい子になった時は非常に危ない。
 押さえつける存在がいない環境では、人は自分が何をしたいのかに気付くことができにくくなる。
 そして子供は、親や先生が喜ぶように振る舞いたくなり、いつの間にか大人が喜ぶ人生を送ってしまいがちだ。
 衝突があるというのは実は悪いことではなく、むしろいいことであり、肝心なのはその衝突をいかに肯定し、うまく生かすかだと言える。
 
 
 

2013.4.25〜28(木〜日) 憧れと現実

「アゲハ蝶が飛んでいるのを見つけたら、一万円札が飛んでいるのだと思え。」
 というのは、僕がご本人から直接聞いたわけではないのだが、ある著名な自然写真家の言葉なのだそうだ。
 それを初めて耳にした時には、何と言う商人根性!と思った。
 ところがこの世界で経験を積むにつれて、やがてそれが、僕が最初に受け止めたようなお金に対する執着ではないことが分かってきた。
 と言うのは、やってみると、お金を稼ぐために写真を撮るのは基本的に面白くない作業であり、そう自分に言って聞かせでもしなければ、なかなかやる気にならないのだ。
 だから、何らかの形で自分に鞭を打つ必要が生じるのだが、元々お金に対する執着が強い人なら、そもそも蝶=一万円などと自分に言い聞かせる必要はないだろう。

 さて、プロを目指して修行をしていた頃は、特撮を依頼されるのが憧れであった。難しい撮影を依頼され、
「無茶言いやがって。」
 と愚痴ってみたいと思っていた。
 しかしそんな思いは、最初の特撮を経験した際に、あっという間に消し飛んだ。 やっぱり、自然の写真は何の制約もなく、自由にカメラを向けてこそ楽しい。
 特撮とあと1つ、憧れだったのがスタジオでの撮影だ。
 スタジオと言うと、いかにもプロっぽいと思った。しかしこれも今となっては、少々辛い作業だと言える。
 生き物の写真は、野外で撮影するのが楽しい。

 仕事としての写真と自由な写真とのバランスを取るのは、僕にとってなかなか難しい。
 生き物写真には絶対はないので、もしも撮影を依頼され、それを確実に撮影しようと思うのなら十分な時間が欲しいし、つい仕事一辺倒になってしまう。
 一方で、自由に写真を撮る時間は僕にとってすべてのエネルギーの源であり、不可欠。
 今シーズンは、月のうち10日を仕事、10日を自分の自由なテーマでの撮影、残りの10日をデスクワークや仕事が上手くいかなかったときの予備日と決めてみた。
 4月も終わりに近づいて、ようやく、それが形になりはじめた。
 
 
 

2013.4.24(水) 更新のお知らせ

 2013年3月分の今月の水辺を更新しました。。
 
 
 

2013.4.22〜4.23(月〜火) 2本のマクロレンズ


NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD800 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

NikonD800 AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED SILKYPIX

 写真用のレンズには最短撮影距離があり、それよりも近くにあるものにはピントが合わない。だから小さなアリを大きく拡大したいとレンズをどんどんアリに近づけたところで、ある距離まで近づいたところから先はピントが合わないのだからどうにもならない。
 その最短撮影距離がずっと短くなるように設計された接写用のレンズを、一般にマクロレンズという。
 マクロレンズと一般のレンズとでは、最短撮影距離だけでなく、設計の際の考え方も異なる。
 一般に写真用のレンズは遠くがよく写るように設計されているのに対して、接写用は遠くを犠牲にして、近くが良く写るように設計されている。
 したがって僕らのような小さな生き物を主に撮影する者にとって、そのマクロレンズは必須の道具だと言える。
 ただ最近は、一般のレンズ、特にズームレンズに最短撮影距離が短いものが増えたこともあり、小さな生き物の撮影に、マクロレンズに加えてズームレンズを使用する人も増えた。
 が、どんなに最短撮影距離が短くなったところで、遠くが良く写るように設計されたレンズと近くがよく写るように設計されたレンズとでは接写の際の切れ味は比較にならない。近くのものの撮影にズームレンズを使っているような人はレンズの描写うんぬんを語る資格はない、と言っても言い過ぎではなかろう。

 ニコンの AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED は、そのマクロレンズの中でも稀にみる性能であり、まぎれもなくマクロレンズの歴史に残る一本だ。
 マクロレンズで一般的に使いやすい焦点距離は100mmくらいであるから、60mmのこのレンズを買う際は随分迷ったが、最初に使った瞬間にその迷いは一瞬にして消え去った。
 撮影した写真を見る間でもなく、カメラのファインダーをのぞいただけで図抜けた性能であることがわかったし、それは僕が過去に経験したことがないレベルだった。
 写真が実にシャープに、そして自然な立体感で写るものだから、60mmという焦点距離を非常に使いやすいと感じるようにもなった。
 とにかく、感激。


NikonD800 Ai AF Micro-Nikkor 200mm f/4D IF-ED SILKYPIX

 60mmのマクロレンズは大変にいいのだが、近づくことが難しい被写体を撮影するために、高性能な望遠レンズが欲しいと思っていた。
 そこで、比較的最近発売されたニコンのズームレンズを購入するつもりで、友人が勤めるカメラ屋さんに立ち寄った。
 試し撮りをしてもいいというので駐車場で試してみたら、決して悪いわけではないけど、小さなものを接写することに関しては、特別に切れ味が鋭いという訳ではなく、今僕が使用しているレンズと大差がなかった。
「どうです?」
「う〜ん、凄く切れるレンズというわけではなさそうやね。」
「そうですか。」
「今になって思うとね、昔、ニコンの Ai AF Micro-Nikkor 200mm f/4D IF-ED を手放してしまったのが間違えやったんよね・・・。」
 Ai AF Micro-Nikkor 200mm f/4D IF-ED は、オートフォーカスのシステムが古いことや手振れ補正機構が備わってないスペック的には古いレンズだったが、切れ味は素晴らしかった。
「そのレンズなら、今中古でありますよ。」
「ええっ、そんな特殊なレンズが。程度は?」
「すごくいいです。監視カメラか何かに取り付けられていたほとんど無傷のものが大量に中古で持ち込まれたんですよ。」
「でもお高いんでしょう?」
「それが・・・」
「ええっ、あり得ない。」
 元々定価が20万円を超えるレンズであり、しかもいったん手放した立場であるから、もう2度とそれ手にする機会はないだろうとおもっていたのだが、値段が破格だったので、迷わず購入することにした。
 実は最近、ピントが悪い写真が以前よりも増えた。だから、ちょっと視力が落ちたのかな?と感じていた。
 が、それは視力のせいではなく、レンズのせいだったことが分かった。
 ここのところは、近づくことができにくい小さな被写体の撮影に望遠ズームレンズを使用していたのだが、久しぶりにニコンの Ai AF Micro-Nikkor 200mm f/4D IF-ED を使ってみると、ファインダーの中に見える像が非常に鮮明で、良くピントが合うのだ。
 出来上がった写真も、シャープさはズームレンズよりも2ランクか3ランクくらい上。
 ズームレンズは便利だが、所詮ズームはズームですね。
 
 
 

2013.4.14〜4.21(日〜日) おじさんと挨拶と

「晴れ、雨、晴れという風に天候が移り変わる連続した3日の風景を定点撮影してください。」
 と依頼された。
 やってみると、案外難しい。
 そんな風な予報が出た連続した3日間を狙ってカメラを構えるが、実際にはそう天気が移り変わらないことの方が多い。特に、晴れ、雨まで撮影しておいて、3日目が晴れにならなかった場合は、それまでの2日間が無駄になるのだから、さすがにガッカリさせられる。
 そして先日、ようやく予報通りに天気が移行した3日間があった。
 ところがその3日目の撮影である公園に出かけたら、なんと!ゲートボールの大会の真っ最中で撮影をすることができなかった。
 晴れの日の場合、光の位置の問題があるので、ゲートボールが終わってから撮影という訳にはいかず、今回の定点撮影をあきらめざるを得なかった。
 依頼される仕事は、簡単そうで難しいものが多い。

 そうだったなぁ。その公園では時々ゲートボールの大会が開催されるのだった。
 事務所の近くのその場所の存在を知ったのは、昨年のことだった。
 どこかクロオオアリが多い場所が近所にないか?と事務所の付近の公園を片っ端から歩いて見つけた場所だった。
 そこで撮影用のアリを採集していると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「何をしとるとか?」
 いい大人が虫を採集するなど、大半の人にとって不気味なことであろうから、そうした場合はちゃんと説明しなければならない。
「生き物の撮影の仕事をしていて、撮影用にアリを採集しています。」
「どこからきたんか?」
「折尾駅の近くです。」
「生年月日は?」
「今、何をしているかは説明したはずですし、これ以上あなたに説明する必要はないと思いますよ。」
「不審者!」
「虫を採るのが不審者なら、喜んで不審者になりますよ。」
「不審者などという言葉はない。」
「あなたが不審者と私のことを言ったのでしょう?」
「不審者。」
「だからアリをつかまて不審者と呼ばれるのなら、喜んで不審者になります。」
「アリは虫じゃない!」
「おっさんなぁ。小学校の勉強やり直してこいよ。」
「言いよるのぉ。ちゃんと自分の意見を言えるからあんたエライ。」
「わかった。わかった。いいからどっか行けよ。」
 とおじさんに一歩、二歩、三歩と歩み寄ったら、おじさんは背中を見せた。
 そしてさらに数歩歩いて、今度は公園でゲートボールをしているお年寄りたちに大声で
「おはよう!」
 と叫んだ。
 しかし何も返事はない。
「お前ら挨拶もできんのか。」
「子供でもちゃんと挨拶できるぞ〜。」
「おはよう。」
「おはよう。
 ああ、そうだったのか!おじさんは、あたりでそうしてトラブルを引き起こしている人だったのだ。
 やがてゲートボールの大会を主催している市の職員が二人ほど駆けつけ、おじさんの両脇を抱えてゲートボール場から引き離した。

 僕は、お互いが不安にならないように最低限の何かは必要だと考えるが、基本的には屋外で面識のない人に声をかけられたり、しゃべるのが好きではない。
 目の前に生き物がいたり自然があるのなら、鳥や虫の鳴き声をきいたり、考え事をしたりしたり、逆に心を空っぽにしたい。
 山で、「こんにちは。」「こんにちは。」と通りすがる人と挨拶をしあうことなども、好きではない。
 田舎で、通りすがった子供たちから自然と
「おはようございます。」
 と声を掛けられるのは実に心地良くそれには確かに意味があると考えるが、挨拶や会話=立派なことや美しいや礼儀として押し付け、自分のペースに持ち込むためにそれを利用する大人はごめんだ。
 
 
 

2013.4.7〜4.13(月〜土) 自由

 過去に何度か書いたことがあるが、僕の場合は、有名になりたいとか評価されたいという気持ちはほどんどない。そんなことよりも自然や生き物と接しながら生きていきたい気持ちが強くて、自然写真はその手段に過ぎない。
 では、なぜ自然や生き物と接しながら生きていきたいのか?と言えば、自然は僕にとって自由の象徴であり、僕は自由でありたいから。
「君の言う自由とは何か?」
 と問われるといまだにきちんと言語化できておらず少々困るが、僕はその答えを自然の中に求めているのだと言える。
 自然写真家の中には、
「仕事が楽しい。」
 という方がおられるが、自然に自由を求める僕の場合、仕事はやっぱり仕事であり、仕事は辛い。
 つらいからやめたいとか面白くないと言いたいのではない。
 自由と不自由は一組のものであり、不自由があってはじめて自由がある。人の欲望は際限がなく、今目の前の不自由を無くても、次は何か別のことが新たな不自由になるだけの話だ。
 ともあれ、全く同じ写真を撮るにしても、それが仕事なのかそうでないのかによって、僕にとっては全く別のことなのだ。

 3月末から4月上旬にかけて、トンボの撮影で連日川のほとりで過ごした。
 毎日同じ場所に行くので、トンボを待つ間には水生昆虫を採集し、持ち帰ってスタジオで標本写真を撮影して図鑑で名前を調べて翌日川にかえす。
 水生昆虫は何度か仕事で撮影したことがあり、名前を調べることが非常に細かな作業でその時にはつらいと感じたのが、仕事ではない今回は興味が湧いてきたところに気の向くままにグングン突っ込むことができるので非常に面白い。
 ああ、この面白さを今まで知らなかったのかと思うと、すでに人生の半分くらいを損した気がする。
 以前水生昆虫の仕事の際に、高いけど仕方がないやと購入した「日本産水生昆虫/東海大学出版」(32000円)が大活躍してくれる。
 ああ、こんなに面白い本だったのか!
 
 
 

2013.4.1〜4.6(月〜日) 更新のお知らせ


NikonD800 TAMRON SP AF90mmF/2.8 Di MACRO1:1 SILKYPIX

NikonD800 TAMRON SP AF90mmF/2.8 Di MACRO1:1 SILKYPIX

NikonD800 TAMRON SP AF90mmF/2.8 Di MACRO1:1 SILKYPIX

 ここのところは連日小さな沢のほとりでトンボの撮影三昧だが、今日は雨。久しぶりに事務所で丸一日過ごした。
 トンボの撮影の間にため込んだデスクワークの量は半端ではなく、少々片づけても、焼け石に水的な様相を呈している。

(更新のお知らせ)
 少々遅くなりましたが、2月分の今月の水辺を更新しました。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2013年4月分


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