撮影日記 2013年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2013.2.23〜25(土〜月) 失敗は成功の元

 何であるにせよ、上達すれば自信になるし、楽しくなる。
 そして上達とは、今の時点ではできないことを、できるようになること。
 つまり、成長するためには、まず最初に、今の自分にはできないことに出会わなければならない。
 人は誰しも出来ないことに出会うと不安になるが、出来ないことは決して悪いことではなく、むしろ、出来ないことがなかったり不安にならないのは、何も成長していないことの証であり、僕はそちらの方が怖い。
 
 この2週間ほど、何とも言えない不安感に取りつかれている。
 その不安を生かすも殺すも自分次第。
 ゴクッと飲み込んで頑張る動機にできれば、不安はまたとないチャンスになるし、不安だ!とヒステリーを起してしまうと、下手をすると心の病を患ってしまう場合だってあるだろう。
 
 
 

2013.2.21〜22(木〜金) インタビュー



LEICA M9-P SUMMICRON-M 35mm f/2 ASPH

 自然写真の仕事をする上で最も影響を受けた人は?と問われれば、昆虫写真家の海野和男先生になる。
 今でこそ、海野先生の話を普通の会話として受け止めることができるが、初めて話をした時には、すべてが初めて耳にすること、初めての考え方であり、頭の中に革命が起きたと言っても言い過ぎではないくらいの影響だった。
 海野先生は、自然写真のジャンルでの飯の食い方を教えてくださった。
 こう書くと
「なんだ、金か。」
 と金銭欲に結び付ける人が実に多いが、僕は、生き物や自然といつも接しつつ暮らしたい。そしてもしも自然写真で生活ができれば、そうする自由を得ることができる。
 以前バブルの時代に、海野先生が、ある雑誌のインタビューで、
「今はゴルフ場の会員権を持つことがステイタスですが、森林の入会権を持つことがステータスであるような社会を目指して欲しい。」
 と書いておられたのを読み大変に共感を感じたことがあるが、僕は学生時代から海野先生の意見を読むのが好きで、自然写真家をめざすことを決意した際には、先生に教わりたいなと思った。

 僕の写真の原点は、子供の頃の「川が欲しい。」という夢だ。
 多少現実が身に染みてきて、そんなことは不可能だと分かったのは、大学生の頃。だが、自然写真家になれば、写真機を使って川を持って帰ることができる。
 その「川が欲しい」と海野先生の「今はゴルフ場の会員権を持つことがステイタスですが、森林の入会権を持つことがステータスであるような社会を目指して欲しい。」には、相通じるものがあると先日ある雑誌のインタビューの際に教えてもらった。
 インタビューは緊張するので苦手だし直観的には避けたいのだが、教わることも多く、嫌いなのだけど受けたいなと思う。
 
 
 

2013.2.20(水) 冬期うつ

 僕の大学時代の恩師は、学生が好きに研究をすることを好まなかった。研究室がいろいろな箇所から研究費をもらっている以上、たとえ学生であっても研究は仕事だと考えておられた。
 したがって、研究室として、1つのテーマが設定されていた。
 それは、生き物の体内時計の研究だった。

 当時体内時計の研究は、決してメジャーではなかった。
 が恩師は、
「近いうちに、この分野は大変に大きな分野になります。」
 と断言しておられた。

 それから20年の月日が流れ、確かに恩師の言うと通りになった。学生時代に論文の中での事象として勉強したことが、次々と、一般的に知れ渡った普及した知識になった。
 生き物の体内時計は光の影響を強く受けるので、研究の半分は光と生き物関係であり、それについては文献を読んだり実験をしたが、その際に知った言葉の1つに『Winter Depression』という言葉がある。
 『Winter Depression』は今『冬期うつ』と訳され、広く知られるようになった。
 冬になり日長が短くなったり光が弱くなると、うつとは別のものだが、うつっぽい症状が現れるのだという。気が滅入るとか、やたらに眠くなるとか、甘いものが食べたくなるといった症状が現れるのだそうだ。

 実は僕にもその傾向がある。
 特に曇りや雨が続くと、顕著になる。
 したがって、野外で撮影する日はいいが、原稿を書いたり構想を練る時間が良くない。
 僕の場合は、どうもピリッとしなくて頭の回転が悪くなり、ガァと集中して一気に仕事を終わらせることができにくくなる。
 すると机に向かう時間がより長くなり、その分野外で撮影するはずの時間が短くなる・・・と悪いリズムになってしまう。
 そのうち家を建てるようなことになった時には、冬場に備えて、日がサンサンと降り注ぐ部屋を1つ作ろうかと思う。
 
 念のために書いておかなければならないと思うのは、別にそれで悩んでいるわけではないということだ。
 僕は、自分の思い通りにすることや思い通りになることよりも、何が現実なのか?を知りたいのだ。
 したがって、自分のすることが上手く行かなくてもいいし、一生懸命に取り組んだことが報われなくてもいいのだ。
 
 
 

2013.2.18〜19(月〜火) 才能


CanonEOS7D EF-S15-85mm F3.5-5.6 IS USM SILKYPIX

 愛らしい犬用のおもちゃなんて飼い主を喜ばせるためのものであり、所詮犬には理解できないよと思い込んでいたのだが、この考えは改めざるを得ない。
 犬はその手のものが大好きなのだ。
 犬って、意外と人間的なんやなぁ。
 いや、僕らが人間的と思っている感覚が実は動物的なのであり、ペット用のおもちゃの愛らしさなどは、人の中にあるその野生の部分をくすぐっているのかもしれない。僕は、人の中に存在する動物の部分は、多くの人が思っているよりも大きいと思う。

 さて、僕が物心ついて以降、大学時代に下宿をしていた時期を除き、僕の身の回りには常に柴犬がいるが、一匹一匹みな性格が異なる。
 その性格は人間よりもずっと頑なで、どんなにしつけや訓練をしても基本的な傾向は変わらないし、生き物には、持って生まれたものとしか言いようがない何かがあることを認めざるを得ない。
 人間の世界では、持って生まれたものがその人にとって役に立つ場合、それを才能と言う。


LEICA M9-P SUMMICRON-M 35mm f/2 ASPH

 音楽やスポーツの世界では、才能の存在が大変に分かりやすい。
 写真の場合は、構図などの絵画性に通じる部分に、才能の有無が現れやすいように感じる。構図が上手くならない人は、どれだけ写真を撮っても、どれだけ人の写真を見ても、レクチャーを受けても基本的にたいして上手くならない。

 僕も、あまり才能があるタイプではない。
 その証拠に、大好きな生き物の写真なら、その写真がいいのか悪いのか、好きなのかそうではないのか様々な感情がこみ上げてくるのだが、それ以外のジャンルの写真となると、さっぱり分からないのだ。
 いい悪いどころか好き嫌いでさえ良くわからないのだから、それらのジャンルの写真を練習しようにも、手の打ちようがない。
 
 ただ、一応、いろいろなことを試す。
 仕事用のカメラとは別に、いろいろな道具を使ってみたりもする。
 自動化が進んでいて簡単によく写る道具に身を任せてバシャバシャ撮影してみたり、レンジファインダーを試してみたり・・・
 すると厳密に言えば、練習によって不得手なジャンルでも少しは分かるようになるが、それでもたかがしれている。
 つまり僕の写真は、自然が好きでその自然について言いたいことがあるという一点で成立しているのである。
 
 
 

2013.2.15〜17(金〜日) 120点の写真

 学校のテストでは、100点満点なら100点までしか取ることができないが、写真の場合は満点を超えることがある。
 もしも写真家が見る人の期待に完ぺきに応えることができたなら、それは100点満点の写真だと言えるが、それ以上に見る人の期待や想像力を超えた写真が、時に存在するからだ。
 僕はそうした写真のことを、120点の写真と勝手に呼んでいる。

 仮に100枚の写真を選んだとして、その中に120点の写真が1〜2枚でも含まれているならば、その人のことを怖いなと思う。
 逆に、どんなに大量に、そしてコンスタントにいい写真を取る人でも、その中に120点の写真が含まれていなければあまり怖くない。
 120点の写真を撮る写真家が必ずしもいい仕事ができるわけではない。むしろ仕事の現場では、120点は撮れなくてもコンスタントに80〜90点が撮れる人が重宝される。それはちょうどプロ野球の世界で、打率が高い打者は確実にレギュラーの座をつかみ取るのと同じことだと言える。
 ただ、120点の写真はその人のポテンシャルの高さを示すものであり、伸びしろの大きさを感じさせる人が僕は怖い。
 120点の写真は、いかにもいい状況では撮ることができない。
 なぜなら、いかにもいい状況は誰もがカメラを向けたくなる当たり前のシーンであり、そこで撮影できる写真はみんなの想像通りにいい写真であって、想像を超えた写真ではないからだ。
 一般に、仕事をすればするほど、いい状況というのが体に染みついてくる。
 型にはまってくると言ってもいいし、規格外の120点の写真は撮れにくくなる。

 最近、自分よりも年下の自然写真家の作品を見ていて感じることがある。
 それは、写真で飯を食いだすと、その人はもうそれ以上あまり写真が上手くならず、その人の伸びしろの大きさはアマチュアからプロになろうとする段階のまだ飯が食えない時に培われる部分が大きいということだ。
 写真で飯を食いたいという強い気持ちは大切だが、促成栽培のようなやり方で自分をマネージメントする人は、あまり怖くない。
 もっとも、それはそれぞれの人の価値観の問題ではあるが。
 
 
 

2013.2.10〜14(日〜木) 曇りのち晴れ?


NikonD800 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD800 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

NikonD800 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) SILKYPIX

NikonD800 Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) SILKYPIX

NikonD800 TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD SILKYPIX

 昨年のデータと過去の経験からして、この場所でヒキガエルが産卵をするとしたらこのタイミングではなかろうか?と思える日が浮かび上がった。
 候補の日は、連続した二日のうちのいずれかで、そのどちらになるかは天気次第。
 天気予報は二日連続の晴れになっていて、もしもその通りになるのなら、最初の晴れの日。
 だが空を見上げてみると初日はやや雲が多く、午前中いっぱいくらいまでは雲が残る可能性もあるように思えた。そしてその場合は産卵は翌日ではなかろうか?
 ため池の表面の一部にはまだ氷が張っていて水温は低く、同様のケースで昨年観察した範囲では、カエルの動きが活発になるのは、直射日光が挿し込んでしばらく時間がたってからであった。
 他に仕事がないのなら二日とも池のほとりで過ごしたいのだが、そうはいかないのがつらいところだ。
 いずれにしても、天気をどう判断するかにかかってくる。

 僕は初日を、午前中は予報に反して曇りで午後になってからの晴れと読んだ。根拠は、ここの所、天気予報よりも数時間程度、天気の移り変わりが遅れる日が多かったから。
 しかし残念ながら予測は見事に外れ、雲は短時間で一気に過ぎ去って晴れ。ヒキガエルの産卵のピークはその日であったようだ。
 僕が訪れた二日目にも30匹くらいが池に残っていて、一応写真を撮ることができた。
 ただ前日にオスがカエル合戦を繰り広げ池の中で大暴れをした結果、水が濁っていて水中写真を撮ることができなかった。
 したがって、産卵の様子の水中写真は、また来年。


NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX
 
 早い場所では、ニホンアカガエルの孵化が始まった。
 
 
 

2013.2.4〜9(月〜土) 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
 
 
 

2013.2.3(日) 同級生

 26年ぶりに中学〜高校の同級生と会った。
 夜の中学校に忍び込もうとして見つかってしまい、普段体罰などまず考えられない先生からビンタをされたことを彼も覚えていた。
 叩かれながらホッとした記憶がある。体罰を容認するつもりはないが、一言で体罰と言ってもいろいろある。
 
 部活動が下手くそで叩かれるなどというのは馬鹿げていると思う。そもそもスポーツ科などというのが下らん。
 プロのスポーツ選手になるつもりなら理解できるが、大半の学生は最初からそのつもりはなく、スポーツで進学をしたり就職をしようと考えていて、その際にしばしば顧問の先生のコネクションが物を言うのだという。
 そんな見返りを求めるのはスポーツじゃねぇ、と思う。
 体罰で問題が起きた学校のスポーツ科の募集が中止されたのだという。
 子供たちの人生が左右されるという方がおられる。が、そんなことで人生が左右されるもんか!と思う。
 受験は真剣に取り組めば、そのストレスがいい勉強の機会になるし、目標を持つことは大切なことだと思うが、目標や予定の変更を強いられたとしても、それが必ずしもその人を不幸せにするわけではないし、その逆も言える。
 むしろそんな時にこそ、いい勉強の機会であり、その人の人間力が問われる。大人はむしろ、それを子供に伝えようとするべきだと思う。
 
 友人と会った晩は雨。
 その雨の間に、狙いをつけていた場所での今シーズンのカエルの産卵が終わってしまった。
 不思議と人と約束をすると、そうなることが多い。
 痛いなぁ〜
 が、まあ、楽しかったし良かろう。
 大学の同級生はみな生物学の専攻なので別にして、小学校〜高校の同級生と会うと、いかに自分が特殊な暮らしをしているのかを痛感させられる。
「もしも雨が降ったらカエルの撮影があるから・・・」
 と約束の段階で伝えておく手もあるが、2月の雨の日の夜にそんな用事があることを、心の底から分かってもらうことは難しいだろう。
 
 
 

2013.1.30〜2.02(水〜土) 風景と景色の違い

 仕事の現場では、写真は何かを最低限説明できていることが求められる。ああ、この写真には〇○が写っているんだね、と見る人が見れば一目でわかるような。
 例えば林の写真なら何となく木が写っているのではなく、この林はブナの林だとか、杉の林だとか、常緑樹の林だとか、落葉樹の林だとか・・・。
 つまり、すでに知られている何らかの語句がきちんと当てはまると言ってもいいし、具体的であると言い換えてもいいだろう。
 或いは、物語があると表現してもいいだろう。
 仕事をすればするほど、それが身に沁みついてくる。野山を歩く際に別に意識しなくても、「あっ、これはあれ」「あっちは何々」と頭の中で目の前にあるものの解説やストーリーが展開される。
 それは、僕が生き物のカメラマンであり、生き物の写真の場合、科学性という要素が少なからず関わっているからだろうか?
 いや、風景の写真家でも、よく仕事をしておられる方の写真はみな具体的だ。


NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX

 ただ時々無性に、そうした解説を抜きに写真を撮りたくなることがある。
 野山を散歩しながら、自分の目に映る像をそのまま写真に表現してみる。
 その写真が、具体的に何も言えてなくてもいい。当然、その手の写真が出版の現場で使用されることはほとんどないが、別に売れなくてもいい。
 僕はそれを、景色の写真と勝手に名付けている。
 そんな見方で町や人物にそうしてカメラを向けたなら、それをもしかしたらスナップ写真と呼ぶのかもしれない。
 普段は逃げないものを撮影する際には、10中8、9三脚を使用する。
 三脚を使用する理由はブレを防ぐこともあるが、画面の隅から隅までじっくりと見つめ、よりよい撮り方はないかと微修正を加え構図を追い込むという理由の方が大きい。
 しかし景色の写真を撮る際には、三脚はない方がいい。
 ああ、いいなと感じてからどんなに遅くても3秒以内には、できれば1.5秒でシャッターを押したい。
 具体的に何かを写すわけではないし、特に絵になるシーンにカメラを向けるわけでもないから、景色の写真は取り留めのないない物をまとめる画面構成力が命だ。


NikonD800 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR SILKYPIX
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2013年2月分


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