撮影日記 2012年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2012.2.28(火) テスト




 上の2枚の画像は、同じカメラ、同じレンズで撮影されたもの。
 実は、球が小さく写っている方が、より近くから撮影されている。
 本当なら、近づけばより大きく写るはずだが、この差は、カメラを水に沈めるための防水ケースのレンズ部分の違いである。
 話が長くなるので、詳しい説明は省く。
 がつまり、陸上で使用するカメラを防水ケースに入れて水に沈める場合、防水ケースのレンズ部分の影響を受けるということ。
 防水ケースは、単なる入れ物ではない。



 上の画像では、画面の右下や左下の像が流れたようになっている。
 これも防水ケースのレンズ部分の影響であり、防水ケースと中に収める撮影機材には、相性の良し悪しがある。
 しかし、防水ケースなどというものはそれほど売れるものではないし、防水ケース用に供給されるレンズ部分などはド〜ンとお金をかけて作られたペーフェクトな設計ではないし、なかなか相性のいい組み合わせを見出すことができない。
 海での使用ならなぁ・・・使用する人の人口が比較的多いから、口コミでありがたい情報が得られる可能性もあろうが、淡水で小さなものを撮影することに関しては、いちいち自腹が付きまとうから、経済的な理由で個人では難しい。

 今日のテストに使用したオリンパスのED 9-18mm F4.0-5.6というレンズはズームができる(9ミリ〜18ミリ)が、ズームをすると、その相性がまた違ってくる。
 そこで、ED 9-18mm F4.0-5.6をいろいろとズームして試し撮りをして、僕が使用している防水ケースのレンズ部分との相性を調べる。ズームレンズと言っても、ズームは使用せずに、防水ケースと最も相性がいいところに固定して使うことになる。
  ズームレンズの場合、そうしてズームしてみることで、防水ケースと相性のいい箇所を見出せる良さがある。
 下の画像は、テストの結果、一番バランスが撮れていた領域だ。



 さらに撮影距離のよっても結果が違ってくるので、距離を変えて数枚撮影してみた。完璧ではないが、許容範囲だと言える。
 これらのテストは、試しに撮ってみて、防水ケースをよく拭いて中からカメラを取り出しパソコンで画像を確認して、また水に沈めて・・・と試行錯誤が伴い、野外では厄介なので、事務所の一角に置いてあるプラスチックの容器の中で行った。
 テストをするためにも、準備が必要。とにかく、水の中はややこしい。





写真展のお知らせ
野村芳宏西本晋也・武田晋一による3人展
● 北九州市門司の白野江植物公園市民ギャラー
● 2月29日(水)から3月11日(日) 火曜日が休園日 9:00〜17:00。
  駐車料300円 入園料200円。
 
 
 
 

2012.2.24〜27(金〜月) 書評

 子供の本に関する活動をしておられる方が、うちの事務所にお越しになった。今回が2度目の機会だ。
 僕は、手持ちの写真絵本や写真集を、僕の目線で紹介する。
 ダンゴムシの本などはうちには5冊があるが、誰が写真を撮ったのかによって作風が異なる。
 今森光彦さんのダンゴムシは、主に撮影セットの中で撮影されているが、セットの出来が実に見事。セットというよりは洒落た箱庭と言った方がよく、写真というよりは絵画であって、とにかく徹底されている。
 一方で皆越ようせいさんのダンゴムシは、大半の写真が自然のままに撮影されている。
 そこから、ありのままに伝えたい、という被写体に対する皆越さんの深い愛情が伝わってくる

 どっちを買う?と並べて見せられたなら、すでに生き物にのめり込んでいる人なら意見が分かれるだろうけど、一般的な感覚で言えば、絵画性に勝る今森さんの方を選びたくなる人が多いだろうと思う。
 けれども、僕がそうしてそれぞれの作家の特徴を語った上で選んでもらえば、また結果が変わってくるのではなかろうか。機会があれば、そんな仕事をしてみたいものだと思う。
 本の世界にはすでに書評というものがあるが、同業者にしか語れないこともあるはずだ。


OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6(改造) ストロボ 水中 SILKYPIX

OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6(改造) ストロボ 水中 SILKYPIX

 写真は、写っているものがよく分かればいい、という考え方もあるが、僕は、高画質に撮りたいと思う。
 例えば、今日の画像なら、卵の上部の水の部分の描写がそうだ。
 特に曇った日の場合、こうして写真に撮るとほぼ無地に近くなるのだが、実際には微妙な色の濃淡があり、その濃淡がどれくらいよく出るかによって、水の質感の描写が異なってくる。
 そして水の質感をよく表したい場合、カメラはなるべく大きなセンサーを搭載したものを選んだ方がいいが、大きなセンサーのカメラは図体も大きく、多くのカエルやサンショウウオが産卵をするような浅い水辺の撮影には適さないので機材の選択が悩ましい。
 僕は今、オリンパスのE-620を使用しているが、機会があれば、より大きなセンサーを採用したソニーのミラーレスカメラも試してみたいものだ。
 キヤノンのEOS5Dは、随分古いカメラになってしまったが、そうした描写は今でもピカイチだと言える。
 がしかし、卵の様子さえ分かればいいと考えるのなら、水の部分の描写は大した問題ではないし、機材のことで悩む必要もないだろう。 
 僕が観察を続けている水辺では、ようやくちらほらとカスミサンショウウオの卵を見かけるようになった。

 一方で晴れた日の場合は、被写体は十分に明暗に富んでいるので、カメラのセンサーは小さくても十分によく写る。


OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

 さて、今朝は恒例の3人展の準備だ。

写真展のお知らせ
● 北九州市門司の白野江植物公園市民ギャラー
● 2月29日(水)から3月11日(日) 火曜日が休園日 9:00〜17:00。
  駐車料300円 入園料200円。
 
 
 

2012.2.21〜23(火〜木) 青年の日の思い出

 僕の大学時代の指導教官であった千葉喜彦先生は、生態学といって生き物の生態を調べるジャンルの出身であったが、意外にも、学生が野外で研究をすることを好まなかった。
 野外での研究は、結局あるレベルまでしか調べることができず、結論までたどり着くことができにくい。だから大半の論文が作文のレベルで終わってしまう、というのがその理由だった。
 国立大学の学生は、学生であっても自己満足の研究であってはならない、ともおっしゃった。

 生き物を、実験室に持ち込んで調べた。
 生きている状態の生き物を材料にするのが生理学。さらに、生き物の中に存在する物に注目するのが生化学。
 学生を、生化学の先生の元にあずけることもあり、僕も、少しだけ他のジャンルの先生のもとに出入りしたこともあった。
 生化学のY先生は、自然写真家を志す若者を、「夢とタレント性がある!」と喜んでくださり、僕が卒業時にナショナルジオグラフィックの定期購読を1年分贈ってくださった。


OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6(改造) ストロボ 水中 SILKYPIX

 そのナショナルジオグラフィック誌には、今では日本語版が存在するが、まだそれがなかった時代にサンショウウオの特集記事を読んだことがあった。
 撮影の様子も、多少紹介されていた。
 浅い沼地で底が泥だから、手や足やカメラが水中で地面に触れると、泥を巻き上げてしまう。
 そうならないように水たまりの岸辺にマットを敷き、横たわり、カメラを腕だけで支え、来る日も来る日も撮影をするカメラマンの様子も紹介されていた。
 水中撮影の機材は、カメラを頑丈なケースに入れ、さらに照明器具や照明を支えるアームも必要になり、水の中では浮力の働きで軽くなるが、水面付近では実に重たい。
 腹ばいになった状態で、巨大なカメラを宙に浮かせた状態で支える筋トレに励んでいるようなものだ。
 当時僕は、野鳥専門のカメラマンを目指していたのだが、こんな地味な生き物を撮影するのに、ここまで苦労をするのか!報われんなぁ、と吹き出しそうになった。
 同じような撮影の経験がある者以外には、誰も、そこまで苦心をして撮影した写真だとは思うまい。
 今なら、カメラマンの気持ちがよくわかる。

 その手の水中の写真は、実は水槽を使用して撮影されたものが多い。そして、本当に細かな撮影は、それでなければできない場合も多い。
 あるいは、底が砂利になっていたり、水が流れていて濁りにくいような繁殖地を見つけるなどの撮影方法が考えられる。
 だが、それぞれの生き物にそれぞれの生き物のイメージがあり、今回は、ニホンアカガエルの典型的な繁殖地のぬかるんだイメージと、野外で撮影することにこだわってみた。


 

2012.2.19〜20(日〜月) 会話

 会話の最中に、お手洗いに立つことがある。
 だが席を外している最中にも、聞かれたことへの返事を考えるなど話は続き、席に戻るとまた話は続く。
 会話は、お互いに相手を目の前にして言葉を発音している時だけに成立しているのではなく、お互いの話と話の間に、大抵は数秒かもしれないが、間(ま)があってはじめて成り立つ。
 その間は、時にはトイレの時のように数分のこともあるだろうし、数日や数ヶ月の場合だってあり得る。
 一人で山歩きをしながら、誰かとの話の返事を考え、会話の真っ最中である場合もある。
 逆に、パーティーなどで人が次々とやってきて、たくさん言葉を発していても、何も会話をしていない場合もある。


NikonD700
SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

 さて、自動車の轍にたまった雨水に産み落とされたニホンアカガエルの卵。そのまま立ち去ろうとしたら、ふと、
「そんな写真も撮っておいてくださいよ。」
 という言葉が思い出され、以前の人との会話の続きが突然に始まった。
「了解。これでどう?」
 と数枚シャッターを押し、相手の顔を思い浮かべる。


NikonD700
SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

 撮影を終え、車に乗り込もうとしたら、また今度は、
「全体の様子が分かる写真も撮っておいてくださいよ。」
 という声が聞こえるような気がして、再度シャッターを押した。

 仲間を誘って、ちょいと山口県へと出張。
 徳永 浩之さんの写真展を見せてもらった。
 写真をじろじろ見ていると、徳永さんは恥ずかしそうにして、
「外に行きましょうか!」
 とおっしゃった。
 みんなで一緒にフィールドを歩く。
 人と一緒に野外を歩いても言葉を発して話をしている時間は案外短いが、会話はしっかり交わされるし、僕はそんな会話が好きだ。


NikonD700
TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO SILKYPIX

NikonD700
SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

NikonD700
SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

NikonD700
TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO SILKYPIX

 一人で山を歩いている最中に、突然に父との会話の続きが始まることもある。
 そうした会話は、仮に父が死んでしまっても、父が僕に対して言った言葉が僕の心の中で生き続けている限り続くし、僕が死ぬか、ひどくボケるまで続くことになる。
 人と話をするのなら、そんな長く続けられる会話を交わしたいものだと思う。


 

2012.2.17〜18(金〜土) 逆の発想

 もう20年くらい前の話。夏の北海道へと向かう途中、ある場所で有名な野鳥写真家に出会い、話し込んだことがあった。
 僕がプロを志していると感じ取られたのだろう。
「日本で純粋に野鳥写真だけで生活ができているのは、多分私だけじゃないかなぁ。」
 とその方はおっしゃった。収入の額も自ら進んで教えてくださったのだが、その知名度を思うと、
「え!たったそれだけ?」
 と思える程度の金額だった。
「でも、○○さんや××さんや△△さんだって、活躍しておられるように思うのですが・・・」
「○○さんはね、奥さんに安定した稼ぎがあるんだよ。奥さんには頭が上がらないらしいよ。××さんはね、実家が恵まれていて、財産もあるし、その実家の仕事の手伝をしたり、△△さんはビデオの仕事・・・・・。プロを名乗っている大半の人は、そんなもんだよ。」
 と。
 そんな馬鹿な!と思った。スゴイ写真を撮るライバルの方々に、ケチをつけたいだけなんじゃないかと思った。
 その真相は僕には分からないのだが、プロの自然写真の世界にあこがれ、その世界に入った時に驚かされたことはいくつもある。
 例えば、写真の使用料に定価みたいなものがあるということ。
 厳しい自然条件下で耐え抜いて撮影した写真であろうが、スタジオに生き物をポンとおいて撮影した写真であろうが、同じ額が支払われる。また、撮影に一ヶ月かかろうが、1時間で撮影した写真であろうが、若干の交渉の余地はあるものの、基本的には同じ額が支払われる。
 すると、野鳥の写真のように、一枚の写真を撮るのに時間がかかる撮影は、仕事としては成り立ちにくくなる。
 野鳥写真は、プロよりもアマチュアのレベルが上だと言われることが多いが、それは、アマチュアは無制限に時間をかけられるからだ。
 野鳥写真に限らず、そんなことを思い知らされるケースは、多々ある。
 昨年、鹿児島の桜島の噴火にカメラを向けたが、地元のアマチュアの方がたくさんおられた。中には撮影した写真のプリントを持ち歩いておられる方もいて、見せてもらう場合もあるが、クラッときそうなほどスゴイ写真が含まれていた。
 みなさんは、毎日のように撮影しているのだから、敵うわけがない。
 ただ、アマチュアは、発表の場が限られる。
「コンテストに出すくらいしか、見てもらう場がないんだよなぁ。」
 とボソッとつぶやいた方がおられた。
 
 趣味の自然写真の世界では、一枚の写真を撮るのにどれだけの時間がかかったかが熱く語られるのに、プロの世界では逆に、いかに仕事が早いかの方が評価に結び付くことも、僕がプロの世界で驚かされたことの1つだった。
 価値観が180度逆。
「彼はあれだけの写真集を、わずか○○の期間で作り上げたんだよ!スゴイよなぁ。」
 などと最初に聞かされた時には、頭が混乱し、話についていけなくなってしまった。
 いや、たまにはプロでも、
「この一枚を撮るのに1ヶ月だよ!」
 などという話を耳にする場合もある。
 が、その場合は大抵、だからもっとギャラが支払われるべきだという話であって、時間をかけたことがステータスであるという話ではない。
 別にプロになることが凄いわけではなく、自分が何をしたいか、その好みの問題だと言える。
 そこのところに、プロとアマチュアの境目がある。

 それを逆手に取れ、と教えてくださったのは、昆虫写真家の海野和男先生だ。
 売れやすいものがあるから、まずはそれを撮り、それで稼いだお金でそこで生まれた人脈で、今度は好きなことをしなさい、と。
 そうか・・・そんな考え方もあるか!
 自分が置かれている状況に苦情ばかり言っても仕方がない。それよりも、固定観念にとらわれず逆転の発想で道を切り開く。
 どこで何をしても何らかの苦労はあるだろうし、それができないようなら、どうせどこへ行っても何もできまい。
 開き直り、覚悟が決まり、人生がちょっとばかり楽しくなったような気がした瞬間だった。
 
 
 

2012.2.15〜16(水〜木) スイッチがない


NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) SB-R600 SILKYPIX

 両生類や爬虫類の写真では、コスタリカ在住のマイケル・フォグデン氏の写真が圧倒的に好きだ。彼らを可愛らしく見せたり擬人化するのではなく、自然界に生きる生物の形態の不思議がズバリ写っている。
 両生・爬虫類に限らず、フォグデン氏は、僕が一番好きな写真家の一人であるが、残念ながら日本で出版された本はないはずだし、あまり写真を見ることができない。
 

NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) SB-R600 SILKYPIX

 さて、ニホンアカガエルはあまり神経質なカエルではないが、うかつに近づくと警戒して水に潜る。


OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6(改造)ストロボ 水中 SILKYPIX

 ならば!とカメラを沈める。
 夜間なので撮影用のストロボ(フラッシュ)はもちろん、ピントを合わせたり構図を決めるためのライトも必要になり、僕はストロボにLEDライトが内蔵されている一台二役のものを使っているが、この夜は、なぜだかLEDライトを点灯するスイッチが見つからない。
 なぜだぁ。どうしてだ!
 ストロボを点検すると、内蔵されているはずのLEDライト自体がない。
 おや?
 あっ、そうだ!LEDライトが内臓されていないタイプのものも持っていたんだっけ。
 どうやら、間違えてそちらを持ってきてしまったようだ。
 ストロボは複数使用する場合があり、その場合の2つ目、3つ目にはLEDが内臓されている必要もなかろうとけちったのが間違えだった。
 仕方がないのでカエルを地面に置いた懐中電灯で照らして、その明かりを頼りに写真を撮る。
 カエルが動いたらアウト。
 実に効率が悪くて、一人夜の森の中で苦戦する。が、お蔭でとても忙しくて、夜の怖さを感じない。
 同じ場所で見られるカスミサンショウウオは、より光に敏感ですぐに隠れてしまうため、そんな悠長なやり方では撮影することができなかった。


NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) SB-R600 SILKYPIX

 水中での撮影を終え帰宅をしようとしたら、ヒキガエルのお出ましだ。
 しばらく追跡し、最終的に彼がどこに隠れるのかを確認。後ろ足を駆使して、お尻の方から上手に枯葉に潜る。


NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

 翌日は、その枯葉をめくってみた。
 
 

2012.2.14(火) 怖くありませんか?





「真夜中の野外での撮影は怖くありませんか?」
 と聞かれることがある。
 一番怖いのは、はっきり言えば人間だと言える。浮浪者狩りなどの被害に合うリスクは常に認識し、回避しなければならない。
 しかしそれ以外にも、森の木々の合間から白い顔をした女性がじっとこちらを見ているような気がして、どうにもおさまりがつかなくなる場合もある。
 そんなときは、一回だけと心に決めて森の方を凝視してみる。
 ああ良かった。誰もいない。
 しかししばらくすると、また気になり始める。
 もう一回だけと見る。
 すると、あともう一度見たくなる。
 暗闇を見つめる間隔は次第に短く、ついには30秒おきくらいになり、もう撮影どころではない。
 帰ろうか? 
 いや、そんなことで撮影を中止にするなんて、お前はプロか?
 それは違う!もしも見てはならないものを一度でも見てしまったなら、この先一生の撮影に差し障るではないか。だから、帰るべきなんだ。
 僕は、そんなときの言い訳は、子供の頃から超一流だ。
 ともあれ、自問自答が繰り返される。
 寒かったり、雨が降っていたり風が強いと、なぜだか恐怖が倍増する。
 がしかし、2月のそんな日に、両生類たちの産卵行動が引き起こされる場合が多い。
 どこか、恐怖を味わうことなしに、彼らの行動をほがらかに観察できる場所はないだろうか?僕は、ただ彼らが繁殖する水辺を見つければいいわけではないのだ。
 水辺にパラソルでも立て、みんなでバーベキューでもしながら撮影を楽しんでみたいものだ。
 田舎の山際にでも住んでいるのなら、庭に水辺を作り、彼らの方からやってきてもらうことだろう。

 興味深い自然現象を目にすると、今度は一転して、決して大げさではなく、恐怖を一切感じなくなる。
 だから僕は、なるべく待ち時間が生じないように、時間をよく見計らいながら現場へ向かう。
 
 
 

2012.2.12〜13(日〜月) 新製品

 1月分の今月の水辺を更新しました。
 
 
 

2012.2.11(土) 新製品

 今、カメラは3系統欲しいなと思う。
 1つは、メインの仕事用のカメラ。これは、動体〜スタジオまでに対応できる一番オールラウンドな物。
 2つ目は、超軽量、コンパクトなお手軽カメラ。これは、マイクロフォーサーズ規格のカメラがよい。
 3つ目は、一眼レフよりも軽量コンパクトでありながら、画質にこだわったもの。そして超強力な手ブレ補正機構を備えていてほしい。
 先日の山上の湿原のようなアクセスが悪い場所での撮影の際には、この3つ目のタイプのカメラが欲しいとしみじみ思う。せっかくキツイ思いをして現場に行くのだから、どうせなら高画質に撮りたいが、現場で歩き回る体力を残しておくためには機材はコンパクトであって欲しい。
 これについては、キヤノンのミラーレスカメラが発表されてから、どの社のものを選ぶかを決めることになるだろう。

 先日、メインの仕事用のカメラとしてニコンのD800を予約した。
 一緒に発表されたD800Eの方は、ローパスフィルターという功罪両方ある部品の罪の部分に注目し、その効果が出ないようにわざわざわローパスの働きをキャンセルしたものだが、その結果より高価になることがどうも理にかなっていないような気がして、興味が湧かなかった。
 D800EがD800にさらに手を加えたカメラではなく、最初からローパスフィルターがない設計でD800よりも数万円安ければ、今頃思案の真っ最中であるに違いない。
 しかしEというネーミングには、なぜだか惹かれる。昔ニコンのF4のシリーズにF4Eというモデルが存在したことを思い出す。F4Eは無駄にデカいカメラであったが、F4sよりもカッコよかった。
 D800の発表前は、場合によっては35〜6万円くらいまでは覚悟をしていたのだが、僕が予約をしたお店ではそれよりおよそ10万円ほど安かったのでそのお金を有効に使いたい。レンズさえ充実していれば、OM-D E-M5に飛びつきたいところだ。
 マイクロフォーサーズに、400ミリf5.6くらいのコンパクトなレンズと接写可能な単焦点の広角レンズがラインアップされ、特注で淡水用の水中ハウジングを作れば、オリンパスペンシステムの小ささと軽さから想像するに、野鳥撮影〜水中撮影までに対応できるだけの撮影機材を常に持ち歩くことが可能になるに違いない。
 ニコンやキヤノンのシステムでは、野鳥撮影や水中撮影の道具は、あまりに巨大になり過ぎる。
 パナソニックやオリンパスは、マイクロフォーサーズ規格の軽量・コンパクトな400ミリを発売し、野鳥写真ファンにアピールすべきだと思う。
 あるいは、シグマあたりに期待したい。
 恐らく、マイクロフォーサーズ規格のカメラを使用したことがない多く人が、それを使用してみたなら、
「こんなに写るの?ニコンとイオスとどこが違うの?」
 と感じることだろう。
 特に超望遠レンズは、ニコンやキヤノンの道具はあまりに高価なので、その価格差を考えると馬鹿らしくなるのではなかろうか。
 
 
 

2012.2.9〜10(木〜金) 巨人の星

「用事である小学校へ行ったら、水と地球の研究ノートの全五巻が、お勧めの本として本棚に並べてありましたよ。」
 とある方が知らせてくださり、昨日の撮影の疲れが吹き飛んだ。









 その水と地球の研究ノートの第三巻は 『木が生える沼』 
 この本の舞台になっている山上の湿原は、季節によって、草原になったり沼になることを繰り返す。
 一説には、西日本で最大のモリアオガエルの繁殖地だとも言われている。

 それだけの場所にもかかわらず、この場所に関する情報は極めて少なく、滅多に人が来ない。
 そして何よりも、水辺までは登山をしなければならず、荷物が少ない場合で1時間強。本格的な撮影セットを背負うと1時間半。しかも不快昆虫が多く妙に蒸し暑くて、ここで生き物を観察したり写真を撮るには体力を要する。
 最初にこの場所を目にした時には、一目でその魅力にやられてしまい、頭がクラクラした。
 しかし、湿原にたどり着くまでの体力の消耗を考えると、ここに何度も通って本を作ることは無理だと思った。
 でも、なんだかんだ言いながら本ができた。海野先生に見せたら、
「何で四季のお話にしなかったんだ。これはまだ未完成だし、この場所の良さを考えれば、本が何冊かできるんじゃないか?。」
 とアドバイスをもらった。
 指摘の通り、秋〜冬のページはない。他にも、
「四季のお話にしたらいい。」
 とアドバイスをしてくださった方もおられた。
 よし、冬の湿原へ行こう!
 言うまでもなく、これまでにも冬の撮影にはチャレンジしたことはある。
 だがある時は雪が深すぎて、途中で引き返さざるを得なくなった。
 かといって、降雪ではない日に行ってみたら、冬らしくない写真になってしまった。
 昨日は、、ここ数日の雪の降り具合から、ギリギリ、湿原まで到達できるのではないか?と思えた。
 朝4時起きで、湿原を目指した。





 出だしはまずまず。

 だが途中で雪が深くなり、先行きが怪しくなってきた。
 腰までの雪をかき分けて歩く。
 歩き始めて2時間が過ぎていた。体力的にも限界かなぁ。

 誰もいないのだし、歌でも歌おうか!
 巨人の星のテーマ曲を、伴奏から歌ってみる。
「思い込んだら、試練の道を」
 を僕の弟は、
「重いコンダラ、試練の道を」
 と聞きなしていたのだそうだ。音楽のバックに映るテレビの画面は、飛雄馬が重たいローラーを引いているシーンなので、弟はコンダラとはローラーのことだと思い込む。
 同じ思い違いをしてしまった人はたくさんいたようで、今や一部でローラーのことをコンダラと呼ぶようになった。
 ちなみに僕は、コンダラではなくて、米俵だと思った。
 中学の同級生でお米屋さんのイタ吉が、スポーツマンでもないのに妙に腕力が強かったのは、お店のコメ運びの手伝いをしているからと聞かされた時には妙に説得力があった。
「血の汗流せ、涙を拭くな。」
 元気が出てきた。音楽っていいな。
 なんとか、水辺にたどり着いた。








 
 天気の移り変わりが目まぐるしく、目も開けられないような暴風雪になったかと思えば、パタリと風がやみ、少しだけ青空が顔をのぞかせる。
 麓に水筒を忘れて、お茶を飲むことができなかった。ペットボトルをポンとそこらにおいて撮影している間に、ボトルが降り積もる雪に埋もれてしまい、すっかり忘れてしまったのだった。
 ともあれ、好きなことでこんなに苦しい目にあえるとは、何て幸せなんだろう。
 
 
 

2012.2.7〜8(火〜水) 再開宣言(後)

 ある出版社である編集者が、水と地球の研究ノート(偕成社・5冊組)について、
「偕成社はよく出したなぁ。」
 とおっしゃった。
 子供向けの自然の本には定番や売れ筋が存在し、出版社によって切り口の違いはあるものの、大まかに言えば、ある程度の型がある。
 その点、水と地球の研究ノートは定番ではないものを作りたいという思いが原動力になった本だが、型にはまらない本はなかなか企画が通らない。指摘されたように、偕成社という出版の王道を歩もうとする硬派な出版社だったからこそ、企画が成立したと言えるのかもしれない。
 そうした定番ではない本を作り終えてみて改めて感じたのは、定番に浸ってはダメだが、定番を上手に利用することも大切だということだ。
 
 さて、僕が自然写真の道へと進むことを決意した頃、バブルがはじけるなどというフレーズを耳にするようになった。
 経済は、危うさを漂わせはじめた。
 しかしまだバブルの余韻があった。景気のいい話も随分耳にした。
 ある科学雑誌では、1つの企画の数ページ分の原稿料が200万円だったらしい。
 また、毎回自然写真を採用するある広告では、一枚の写真の使用料が200万円だったそうだ。
 しかしやがて景気が怪しくなった。その豪勢な広告のギャラも次第に低くなり100万円を切り(それでも、あり得ない額だが・・・)、ついには広告を出していた組織は膨大な不良債権を残した上でなくなってしまった。
 
 僕は経済に疎く、さらに凡人なので、200万円もらえたらなぁとその頃何度となく考えたものだったが、それらのお金は実態のないバブルだった。
 それを思う時に、定番の自然写真は、また同じようなものを・・・という側面もあるが、見方を変えれば社会にちゃんと受け入れられており、景気にあまり左右されずに毎年生き物たちについて語ることができる場であり、そして写真家は、実態のあるお金をもらうことができる。それは大変に尊いことだ。
 そうした場を大切にしながら、そこにさらに新しいものを付け加えていくのが、正解ではなかろうか。
 
 
 

2012.2.6(月) 再開宣言(前)

 僕は大学時代に昆虫を研究していたのだが、昆虫のカメラマンにならなかった理由は、植物が苦手だから。昆虫の場合、植物とは切っても切れない関係にある。
 その植物が苦手な僕に、植物の撮影の依頼が寄せられることがある。
 大抵は埴沙萠さんが撮影しておられるようなシーンであり、埴さんの写真が業界でよく使われているにも関わらず、その後継者がいないということを意味する。
 もしも、どうしてもフリーの自然写真家になりたいという方がおられるのなら、埴さんの植物記(福音館)を購入し、最初は埴さんの真似から始めれば引く手あまたであろうし、そうしてある程度仕事をして業界を知った上で次に自分なりの世界を表せば、自然写真で生活ができる確率は非常に高いだろう。



 ただし、埴さんの写真の中には、土の中を断面にして植物の根っこを見せた写真や、植物の種がはじけ飛ぶ瞬間をとらえた写真など、とにかくやっかいなシーンが多く、技術と地道な努力が求められる。
 根っこを掘ることなんて簡単だと思われる方もおられるかもしれないが、時には重機を使用して土をメートル単位で堀るようなケースもあるようだ。その場合は、重機を貸してくれる人や土地を掘らせてくれる地主さんを見つけられることも、その人の実力の一部に含まれてくる。
 そうした特殊な撮影はやりがいもあるが、やはり大変であり、やってみると予想以上に難しくて辛い場合が多い。
 いやいや、仕事なのだから当たり前かな。
 
 動物と植物の違いはあるが、僕も、その手の写真をたくさん撮影してきた。
 ただここ数年は、水と地球の研究ノート(偕成社・五冊組)の撮影に集中するために、そうした写真をほとんど撮っていない。
 その間にも、昔撮影した写真の貸し出しの依頼は途切れることなく続き、新しい写真を撮影していないのだから古いものの使い回しで心苦しかったのだが、水と地球の研究ノートの制作も終わり、また以前のような撮影を再開することにした。
 

 
 
 

2012.2.4〜2.5(土〜日) 子供の本(後)

「こんなカメラやレンズを作ってくださいよ。」
 とカメラメーカーの方にお願いすると、
「自然写真家は、みなさんそうおっしゃるのですが、カメラを使う人全体としては、その要望は極々少数派で特殊なものですから・・・」
 と返ってくる。
 自然写真は、写真業界の中で取るに足らないくらいに小さな分野であるようだ。

 同様に、子供の本の世界でも、自然の本の扱いは小さい。
 僕は、子供のころから自然の本が大好きだったし、自然の本こそが主流であると思い込んでいたし、みなもそう思っているだろうと固く信じ込んでいただけに、自然の本の扱いの小ささと人気のなさを思い知らされた時には衝撃に近いショックを受けた。
 本のイベントでも、科学物や自然物の特集をすると、人が集まらないのだそうだ。
 自然写真の最大の市場は子供の本である。しかし、その最大の市場の子供の本の世界でさえ、自然は極々少数派なのだ。
 そう人から教わっても、なお信じられない気持ちが、僕の心の中にあった。
 自然が好きな者は、自分の周囲を自然が好きな人で固めてしまいがちなので、その現実が見えない傾向がある。
 しかし、子供の本の中でも『お話』の人気を目の当たりにした時に、ああ、そうなんだ!人気があるってこんなことなんだ!と初めてそれが理解できた。子供の本と言えば、お話なのだ。
 お話と自然の本は、時に対極に位置する。
 方やフィクションであり、方やノンフィクション。しかし、例えば宮沢賢治を読もうと思うのなら、自然に関する知識がなければ、読むことはできないだろう。
 また自然科学の研究者だって、自然の中を歩く時に論理ばかりを考えているわけではなく、自然を感じているはず。
 だから確かに方向性は異なるが、両者は繋がっているし、同居しているのだ。
 僕は、そのお話の人気の中に、本の熱い世界の中に、自然の本も加えてもらいたいと感じるようになった。
 もしも自分が、自然写真という大変に小さなジャンルから外に出て、もっと多くの人に自然について知ってもらうために何か活動をするのなら、本の世界でやってみたいと感じるようになってきた。
 
 さて、本に関する大変に熱い活動をしておられる方がうちの事務所を訪ねてくださり、その仲間の端くれに加えてもらえることになった。


 

2012.2.2〜2.3(木〜金) 子供の本(前)

「自然写真の世界でそこそこ名前が売れていても、写真界ではほとんど無名なんだよ。」
 と昆虫写真家の海野和男先生から指摘をされたことがある。
「だから君たち若い自然写真家は、自然写真の仲間内だけに留まってないで、写真界に顔を出しなさい。」
 と。
 確かに、写真業界では、自然写真などほとんど相手にされていないと言ってもいいのかもしれない。
 差別的な表現ではあるが、自然写真なんて女子供の世界だよ、と受け止められている場合が多い。
 そもそも、自然写真などという言葉ができたのが比較的最近の話。それ以前は、自然専門の写真家など存在しなかったのだ。
 自然写真家で、写真界でも名前が知られている人は、全国で5人以下くらいではなかろうか。
 海野先生は、有名になることが大切と言っているのではない。昔、ある著名な自然写真家について、僕が、
「確かにいい写真なんですけど、最近の著作はあまりに同じようなものばかり過ぎるような気がするんです。」
 と言ったら、先生は、
「それはあなたが自然写真に興味があって積極的に見ているからであり、一般の人はそれくらいまでやって初めて本に気付き、手に取ってくれるもんなんだよ。」
 とおっしゃった。
 今特別に自然に興味があるわけではない人に自然を知ってもらうためには、望もうが望むまいが、有名にならざるを得ない。

 さて、僕は、海野先生から指摘をされたことは、とにかく一通り試してみることにしている。
 同時に、自分なりのやり方も考える。
 海野先生がおっしゃる「写真業界に顔を出しなさい」というのは1つの例であり、別に写真業界でなくても、一般の人に自然のことを知ってもらうための活動ができれば、それでいいのではなかろうか。
(続く)
   
 

2012.1.31〜2.1(火〜水) 顕微鏡の世界



「これは苦労しました!」
 と一冊の本が送られてきた。
 送ってくださったのは、この本を編集したSさん。
 以前Sさんが出版社にお勤めの際には、一緒に随分仕事をして、たくさんのことを教わったものだった。
 さっそくページをめくってみたのだが、なるほど!これは大変だ。これを作るためには、かなりの人数のプランクトンの研究者の協力を得なければならないだろう。
 果たして、本の後ろの方に記載されている協力者の名前を見てみれば、気が遠くなりそうなほどの人数の名前が記載されていた。

 ページごとに、プランクトンの名前と面白いお話が紹介されている。
 小学校の高学年〜大人向けだと感じた。
 ああ、微生物をやってみたいなぁ。
 昔、父が、簡単な顕微鏡を買ってくれたことがあった。筆入れに入るくらいのサイズで、望遠鏡みたいな筒状で、先端付近には小さな照明が内蔵されており、それで身の回りの物を手当たり次第に見たらとても楽しくて虜になったことが、本のページをめくっていると思い出された。
 その顕微鏡は、ある日、どこかで無くしてしまった。



 
 
   
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