撮影日記 2012年1月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2012.1.28〜30(土〜月) 七重の滝



 高校生を連れて、カメラを持って山登り。
 将来の進路として写真に少しだけ興味があるが、今のところ、カメラは第三希望なのだそうだ。
 ただし、もしも写真を志すのなら、
「タケシンみたいなのじゃなくて、もっと若者が喜びそうな写真がいい。」
 という。



 場所は、北九州市の小倉南区にある七重の滝。岩場が多く、途中に鎖場などもある。



 ア〜アア〜とターザンになった気分。
 その名の通り滝が連続し、一の滝〜七の滝までの番号が振られている。
 いずれも商業出版の世界で通用するような意味での絵になる滝ではなく、僕はこれまでカメラを向けたことがなかった。今回はカメラを高感度に設定し、三脚を使わずに記念写真を撮るかのように、楽にシャッターを押してみた。


一の滝

五の滝

六の滝

七の滝

 七重の滝がある北九州市の小倉南区と僕の実家がある直方市とでは、間に山脈があり、車で移動をするにはそれをぐるりと迂回しなければならないから、下道を走れば一時間近くの時間がかかる。
 しかし地図上では接していて、山越えをすれば、歩いて行くことだってできる。
 中学生のころ、直方からその七重の滝に向かって、子供同士でキャンプに出かけたこともあった。
 まずは山を登り、尾根にでる。
 そしてその尾根を反対側に下ると、そこに七重の滝がある。
 テント、寝袋、コンロ、コッヘル、食糧・・等、・父の道具を借りた。
 一番肝心なのは、渓流釣りの道具だった。
 メンバーは、僕、幼馴染のコウちゃん、中学の同級生のシミ公の3人。

 釣りに飽きると、今度は川を下った。
 滝を下流へと下るとダムがあり、当時ダムの堰のところには、小さなワゴン車を駆使したホットドッグ屋さんが店を出していた。
 コッペパンにしょぼいソーセージを挟んだだけのものだったが、散々歩いて口にするホットドッグは極めつけにおいしかった。
 そのワゴン車が止まるダムサイトを目指し、ダムをぐるりと道路を歩いている最中に、水際で10人前後の若者がシンナーを吸っているのが目に飛び込んできた。
 時は、横浜銀蠅〜ビー・バップ・ハイスクールが大人気の時代。連中は見事なリーゼント頭を紫色に染めていた。
 僕らは、何を血迷ったか、
「なんかむかつくのぉ。」
 という話になった。そして、
「自転車の空気を抜こうや。」
 と。
 しかし、シミ公が派手にやり過ぎた。
 プッシュという派手な音があたりに響き渡った。
「あっ、あいつら、空気抜きよるぞ。ぶっ殺せ!」
 と連中が追いかけてきた。
 僕らは、全速で逃げた。
 僕とコウちゃんは、途中で小さな工事現場の看板の裏側に隠れ込み、その時にシミ公と逸れてしまった。
 幸いなことに、連中は追い付いてこない。シンナーの影響だろうか。
 シミ公は、どうなったのだろうか?
 当分の間静かに潜んでいると、遠くにシミ公の姿が見えた。
 よし、一芝居打とうか。
「シミ公、大丈夫やったか?」
「おう。」
「僕らはつかまってボコボコにされた。財布を取られて、シミ公が来たら返してやると言われたから悪いけど行って。」
「え〜うそやろう〜」
 トボトボと歩くシミ公の後ろ姿は哀愁に満ちていた。
「シミ公!ウソウソ。」
「なんなん、あ〜死ぬかと思った。」
 とにかく、エネルギーに満ち溢れていた。
 

 
 
 

2012.1.26〜27(木〜金) 続・真似をする

 昨年末に、昆虫写真家・海野和男先生の事務所に遊びに行った。
 メンバーは、僕とボコヤマクリタさんと編集のOさんで、水と地球の研究ノート(偕成社/全5冊セット)を制作した際のチームだ。
 僕とボコヤマさんは同世代。編集のOさんは僕らよりも少し年上で、頼れるお兄さんという感じ。
 そのお兄さんが、海野先生の話を聞く際には、少年のような顔をしておられたのが印象的だった。
 海野先生が、
「僕、これが好きなんだよね。」
 とマッキントッシュのモニターに映し出される画面を紹介してくださった。
 スクリーンセーバーの代わりに、先生が撮影した画像が、パッパッパッと次々と表示される。
 そのリズムは、僕らが作品をプレゼンをした際に、編集者が写真や本のダミーのページをめくる時のリズムによく似ているように思う。
 本作りに携わる方は1つの写真やページをまじまじと見ることは稀で、テンポよくページをめくったり先を見ることで、第一印象と全体のリズムの良し悪しを確かめる場合が多い。
 写真家は、一枚の写真を見つめすぎてしまう嫌いがある。
 ともあれ、モニターに映し出される海野先生の画像は、すべてツボが抑えられたものだった。
 写真を使う側の人が欲しいところが、確実に写っていた。
 どんなに美しい写真でも、使う側の人にとってのツボが写っていなければ、使い道のない写真になってしまうが、そのような写真は一枚もなかった。
 おそらく、海野先生はそれを意識しているのではなく、楽に構えてごく普通にシャッターを押せば、そんな写真になるのだと思う。まさにプロの世界なのだ。
 帰り際に、ボコヤマさんから、
「海野さんみたいな感じでどんどん写真を撮って、そのたくさんの写真の中から自然に本ができれば、構成をする側としてはありがたい・・・」
 というリクエストをもらった。
 僕はとにかく、見たものをスナップ写真的に、次々と撮影する練習を始めたのだ。
 構えなければ撮れないものもあるが、構えないことで撮れるものもある。僕の場合は、後者が弱いので、そこを練習してみることにした。
 機材も、それに合わせて、随分変えた。それほど新しいものを買わずとも、以前買ったものの使わなかったものに、使えるものが多かった。
 撮り方が変われば、道具も変わる。










 

2012.1.22〜25(日〜水) 真似をする



 昨年末から、昆虫写真家の海野和男先生のホームページの中のコンテンツである『小諸日記』を真似て、写真を撮っている。
 と言っても真似ているのは撮影までで、海野先生のように毎日WEBで公開することはしていない。
 僕の撮影日記は自分の考え方を書く場所であり、写真や自然を見せる場所ではないのだから、最初から公開するつもりはなく、写真は僕のパソコンの中に日付ごとに整理されることになる。

 真似をしてみると、「なるほどなぁ」と思う。
 春〜夏にかけてたくさん撮影したことがあり、今までなら、もう写真は持っているからという理由でカメラを向けることがなかったであろうシマアメンボが、時期が違うというだけで新鮮なのだ。
 この虫は、九州では真冬にも活動していて、つい先日も小さなものから大きなものまでたくさん見かけたが、これまではへぇ寒かろうと見ているだけで、冬場にカメラを向けたことはなかった。




 一種の日記として写真を撮ってみると、今度はその日を象徴する写真が撮りたくなる。
 ただ絵作りをするのではなく、季節やその日の気象条件やその場所の地域性を一枚の写真で表現するのだ。
 僕の場合はテーマが水辺なので、そこに水というキーワードが1つ追加して加わり、水辺の生き物や雪や雲といった水に関係する現象を探すことになる。
 さらに出版の現場のことを思い浮かべてみたりもする。
 見開きで写真が使用される場合に、主要な被写体の主要な部分がページの折れ目に重ならないように。それから、画面の中にボケの部分を作り、写真に文字を入れやすいように。
 などなど。
 昨年末に海野事務所に立ち寄った際に、写真で生活をするというのはどんなことなのか、改めて教えてもらった感じがする。




 

2012.1.21(土) 犬

 武田家の2匹の犬は、いずれも穏やかで手がかからない。
 柴犬の方は、ちょっと気難しいところもあるが、基本的に家の中が好きで脱走をする気配などいっさいなく、全速で走る姿なども見たことがない。
 洋犬の血が入った雑種の方は、性格が優しい。
 外見から判断すれば、おそらくゴールデンレトリーバーあたりの血が入っているのだと思う。ラブラドールやゴールデン・レトリーバーなど介助犬に選ばれる犬種では、攻撃を引き起こす遺伝子の一部が欠落していると聞いたことがあるが、なるほど!と思う。
 見知らぬ人が来たりして自分が怖い時には怒るが、それ以外は逃げてばかりでとにかく穏やか。
 武田家では犬と言えば日本犬であり、作り上げられた洋犬に対して否定的だったが、うちの雑種犬の穏やかさを知ってからは、随分考え方が変わった。

 一方、事務所にやってきた柴の子犬は、かなりのやんちゃ者なので、性格がまったく違う。
 常に構ってもらいたがる甘えん坊だが、遊んでもらえないと、ヒステリーを起こして暴れる傾向があり、しつけが不可欠な感じがする。




 活発で、走るのもあっという間に早くなり、玄関先に積んでおいたブロッグも乗り越えて、外に出たがるようになった。



 事務所は、町の中にあるので、逃げ出したら交通事故などの恐れもあるし、やはり先に備えておいた方が後で無駄な手間がかかるまい、と事務所の入り口にフェンスを自作中だ。
 調べてみると、フェンスは比較的安いのだが、門扉はなかなか高価で万単位のお金がかかることが分かったので、木製のフェンスを応用して門扉に流用することにした。
 まずはコンクリートの地面にドリルで穴を開け、ボルトを埋め込み、そのボルトを利用して柱を固定するのだが、ドリルの歯は高性能なものを選んだ方が仕事が断然早い。
 安いものは、すぐに劣化をして、用をなさなくなる。
 そういえば昔、
「芸能人は歯が命」
 というコマーシャルがあったが、芸能人だけでなく、ドリルも、歯が命だ。






 

2012.1.20(金) 夜の水たまり

 カスミサンショウウオやアカガエルの繁殖行動を期待して、森の中の水たまりに行ってみた。
 小学校の教科書に目を通せば、カエルの繁殖は春ということになっているけれども、僕は一番早い例で、12月にヤマアカガエルの卵を見たことがある。
 寒い時期に繁殖をするのは、天敵が少ないからだと聞いたことがある。

 時を同じくして、彼ら以外の生き物たちも活発になる。
 雨が多かった年の翌年には、ヤブヤンマのヤゴが多い。年によっては枯れてしまうような小さな水辺に卵を産むことが多いヤブヤンマの場合、多雨は幼虫の生存率を高くするようだ。
 

 
 ヤブヤンマの幼虫が活発に動いているということは、彼らの餌になるより小さな動物が動いているということ。





 小さな生き物たちも活発だ。つがいになっているも多く、それを食べるカスミサンショウウオの姿があった。



 アカガエルは、今回はまだ一匹のみ。


 

2012.1.19(木) 癒し

 この時期、暖かい雨が降ると、僕はソワソワしてしまう。
 ニホンアカガエルやヤマアカガエルやカスミサンショウウオの繁殖がはじまるかもしれないのだ。
 時は夜。
 とにかくせっかちで、日頃夜まで体力が残っていないケースが多い僕としては、昼間に動き過ぎないことが重要になる。
 僕の場合、すべてが前がかりになりがちで、5時に待ち合わせをしたら、4時には着きたくなり、4時につくには3時半を目安にして、さらにトラブルが起きた時に備えて3時を目指すなどというところがあり、肝心な約束の時間には、待ちくたびれてテンションが下がっているなどというケースが大変に多いのだ。
 撮影の場合も、気力が程よく充実していることが大切で、実は早く着き過ぎるのは、有害な場合が多い。
 ともあれ、これらの生き物は非常に地味で、人気もなければ、写真の需要の少ない。
 中でもカスミサンショウウオは西日本にしか生息しないので、東京中心の出版の世界では、ほとんど写真に需要がない。
 場合によっては、商業出版の世界で、日本全国で、一年間に一枚の写真も使われない年だってあるかもしれない。
 両生類を中心に撮影する写真家でも、カスミサンショウウオに関して言えば、5枚(5つのシーン)程度の写真を持っておけば、一生の間、事足りるのではなかろうか。
 つまり、写真を撮れば撮るほど、赤字になってしまう。
 日本の自然に関する商業出版の中心は心地いい自然であり、人間を癒すことであって、それを抜きにして自然について余すところなく報道したり知ってもらうことではないのだ。
 しかし、性懲りもなく毎年ソワソワし、そして出て行ってしまう。
 カスミサンショウウオについては、ちょい工夫を凝らして、写真のニーズを自分で作り出してみようかと思っている。
 
 さて、同じように野生生物の死を撮影した写真でも、撮影者がどんな気持ちでその写真を撮っているかによって、写真はまったく違ったものになる。
「自然ってこんなものなんですよ。」
 、と撮影者が伝えたいと思っているのなら、それは報道的な写真になる。
 一方で、撮影者の心の内面がその生き物の立場とシンクロし、
「厳しいね、辛いね、さみしいね。」
 と思っているのなら、生き物の死にカメラを向けた一枚の写真が、癒しになり得る場合だってある。
 癒しの写真と言ってもいろいろな表現があり、癒しは癒しで、出版の世界にもっといろいろな癒しがあっていいような気がする。
 
 
 

2012.1.16〜18(月〜水) 企画





 自然写真の世界にも、売れ筋商品が存在することは、これまでも何度も書いたことがある。
 動物の場合なら、大抵は、かわいい生き物やきれいな生き物やかっこいい生き物になる。
 けれども生き物の世界はもっと多様なのであって、世に存在するのはそのように人が好むイメージの生き物ばかりではないことを思うと、特定のイメージばかりを煽ることに、抵抗を感じることも多々ある。
 生き物の中には、人間にとって不都合なものや、大半の人にとって忌わしいものも存在する。
 「お前がそれを言うなよ!」
 と批判されれば、ちと苦しい。僕は、徹底してそうした売れ筋写真を撮ることで、自然写真の業界に足場を作った。
 しかし言い訳をすれば、物事には順序があり、すべてはある程度の足場を築いてからと思い続けてきた。
 かわいい、きれい、かっこいいを否定するつもりは毛頭ないし、むしろそれらは基本なのだけど、それだけではダメ。
 さて、かわいいでも、きれいでも、かっこいいでもない生き物の企画を持って、出版社を訪ねた。
 出版社には会社ごとに特徴がある。ある社はグラフ誌的な本を得意とし、またある社は図鑑的な本を得意とし、さらに別のある社は紙芝居的な本を得意とするが、今回はお話を得意とする会社だ。

 

 飛行機の中では、2冊の図鑑を眺めて過ごした。
 昆虫の食草・食樹の方は、飛行機の中のような隔離された空間によく合うように思う。
 図鑑で調べごとをすると、そこからさらに別の図鑑が必要になったりする場合が多々あるが、この本の場合、ある植物についてピンと来なくても、その植物を食べる昆虫についての記述を読めば、ああ、あの植物か!と知識が連鎖してくるケースが多く、他の本を調べることなしに、この本一冊で完結している点がありがたい。
 文一総合出版の図鑑は、実用性ということから言えば、大変によくできていると思う。 
 
 
 

2012.1.14〜15(土〜日) 写真家

 見ず知らずの方から、
「自分も自然写真家になりたい。」
 と相談を受けることがある。
 僕も、まだ学生の頃に、昆虫写真家の海野和男先生にそんな内容の手紙を出したことが、第一歩だった。
 いや、そんな内容の手紙と書いたが、内容はもう正確には覚えてない。パソコンが普及する前だったから、ワープロで作成した下書きが残っているわけではない。
 海野先生からもらった返事なら、今でもたまに開いて読むこともある。
 ともあれ、そんな相談を受けた際には、僕自身、もう一度自分のこれまでの人生をおさらいすることになる。
 自分のやり方で良かったのだろうか?他に選択肢はなかったのだろうか?それから、僕がプロを目指したおよそ20年前とは時代が違っているので、それらも考慮する必要がある。
 その上で、では自分はなんと答えればいいのか?を考える。
 
 そんな場合、自分が何をしたいのかが肝心だと思う。
 もしも身近な自然について深く深くじっくりと人に知ってもらいたいのなら、プロの写真家にはならない方がいいのかもしれない。
 博物館に勤めるなどができれば理想的だろうが、定職を持ちつつ自分でカメラを使った観察をして、それを発表した方がいいのかもしれない。
 プロの写真家は写真で生活をするのだから、当然のことながらコストを考えなければならない。
 1つの取材を長々と続けることはできない。
 しかし、本当に自然をよく知ろうとするのなら、同じ場所に何度も何度も通わなければならないし、自然は、1年や2年では語れない部分が多い。
 そこに、コストを考えながら撮影することの限界があるし、プロになることによって出来なくなることもある。
 これは、僕が写真を始めた頃から、先輩方がいろいろな出版物の中で書いておられることだが、僕は今頃ようやく、それを痛感させられている。
 
「いや、勤めを持つと、そんな時間はない。」
 とおっしゃる方もおられるだろうし、実は僕もそう思っていた。
 しかし、写真で自分の生活費を稼ぎだそうとすれば、人の依頼を受けて写真を撮る時間が長くなるし、その際に拘束される時間は定職についている人よりも長い可能性だって大いにある。
 それは、写真は写真でも、まったく別の写真を撮っている感がある。
 実はここ2〜3年、中田一真さん西本晋也さんなど、職を持った上で自然について語っておられる方々の活動に、
「ああイイね。素晴らしいね。」
 と脱帽させられるケースが多い。
 つい先日も、ある方にお会いして、やはり同様に感じた。
 また、各地におられるそうした人たちが作る地方の生き物を紹介する図鑑などは、はっきり言って、写真を生業とするプロが作ったものよりも遥かに面白い。
 プロよりも時間をかけて、より突っ込んだものを作るのだから、これはある意味当たり前の話だ。

 しかし、自然写真家として評価を得たいのなら、プロの写真家への道を選ぶのもいいだろうと思う。
 純粋に自然写真で飯が食えている人の人数を考えればリスクはそれなりにあるが、そのリスクを背負っているからこそ、認めてもらえる部分もある。君は変わった人だねぇ。けど、そこまで覚悟があるのなら・・・と。
 さらに組織が嫌いな人も、プロの写真家への道を選ぶのも悪くないと思う。僕は、このタイプだろうなと思う。
 厳密に言えば、組織がきらいというよりは、団体行動が苦手と言った方がいいのだが。

 プロの写真家という言葉にはいろいろなとらえ方があり、誰でも名乗りを上げればプロの写真家ではあるが、ここでは便宜的に狭義にとらえ、基本的に写真のみで生活をしている写真家とした。
 
 
 

2012.1.12〜13(木〜金) 本の紹介(森のいのち)

 以前の話だが、ある子供向けの本のイベントに行ってみたら、そこに自然関係の本はほとんどなかった。
 絵本のイベントだから、仕方ないのかな・・・・。でも僕らが作っている本だって、『写真絵本』と呼ばれているのだから、主流ではなくても、そこそこの数取り上げられているに違いないと思い込んでいただけに、僕にとっては大きな衝撃だった。
 何よりも、参加している子供たちや父兄の熱気が、自然の本の世界とは別次元の熱さだった。
 他にも、絵本の世界では、絵本が好きで、それを子供たちに届けたいと熱望するボランティアの方々の情熱も凄い。
 自然の本もその中に加えてもらう、或いは、加えてもらうのではなくても、何か認知してもらう努力が必要。今はそれが大きく欠けているなと思い知らされた。
 自然関係の本の場合、自然を知ってもらうための仕事やボランティアをしている人だって、見たことがないものの方が大半であろう。
 そんな中に、たった一冊だけ、自然の本があった。
 小寺さんの『森のいのち』だった。


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 面識はないのだが、以前から小寺さんの仕事には興味を持っていたし、僕の身の回りの人で小寺さんと仕事をしたことがある人には、どんな話をした?などと聞いてみたこともある。
 だから伝え聞きでしかないのだけど、小寺さんは、自分の本を持って各地を回って読み聞かせをしたり、洒落たスライドショーをして催しておられるのだそうだ。
 今は環境に人の注目が集まる時代。だから、自然の本にも注目が集まっている、と思い込んでおられる方も少なくない。
 がしかし、それは大変な思い違いであり、自然の本の売れ行きはどんどん縮小しているようだ。
 世間が注目する環境は、経済に結びついている部分であり、生き物にカメラを向ける大半の自然写真家が伝えようとしている自然とは、ある意味180度逆の世界。
 そんな中での小寺さんの努力とその結果には、正直、痺れる思いがした。

 小寺さんの写真がいいのは、言うまでもない。
 しかし、写真の良し悪しは、本質ではない。
 以前、ある方が話してくださったことだが、本の企画書を出版社で見てもらった際に、相手が写真を見ようとしないので、
「写真は見なくてもいいのですか?」
 と聞いてみたら、
「今どき、悪い写真撮る人なんていないでしょう。」
 という返事が返ってきたのだそうだ。
 確かに、これだけ道具が発達すると、悪い写真を撮る方が難しいのかもしれない。
 今や、写真の良し悪しを競う時代ではなく、いかに社会との接点を持つことができるかどうかではなかろうか。
 
 
 

2012.1.11(水) 選ぶ

「ホームページのコンテンツの中でも、今月の水辺がいいと思うよ」
 と先日ある方がおっしゃった。
「僕らはさ、編集者として写真を選ぶわけだけど、使いたい写真がたくさんあって写真を選ぶのって大変だし、選ぶのが辛いこともあるわけ。それなのに、あえて、武田さんが毎月一枚の写真を選ぶところに面白さがあると思うな。」
 と。 
 実は、忙しい時もあるし、今月の水辺はいずれ止めようかと思っていたのだが、続けようという気持ちになった。

 さて、遅くなりましたが、2011年12月分の今月の水辺を更新しました。
 
 
 

2012.1.7〜10(土〜火) タケシン写真教室

 子供や初心者が写真を練習するのには、オリンパスやパナソニックのマイクロフォーサーズと呼ばれている規格のカメラが適しているように思う。
 一般的な一眼レフよりもピントが合いやすいのと、軽いのでぶれにくいという特徴がある。正確なピント合わせやブレを防ぐことは、実は大変に難して鍛錬と経験を必要とすること。また、正確にピントを合わせたり、ぶれを防ぐためには神経を使わなければならず、最初はそんなことに気を取られるよりも、写真を楽しんだ方がいい。
 さて、タケシン写真教室を、近所の公園で開催した。



 僕はここのところ、ニコンのD700を持ち出す機会が多い。
 D700については、近々D800という新製品の発表が噂されており、新製品はD700とは若干性質が異なるカメラになりそうだ。
 僕がカメラに求めるものはD700よりも新製品の方向性であり、D800のスペックは歓迎すべきことなのだけど、意外にも、D700のコンセプトもイイよなぁ、とより強く感じるようになってきた。
 D700は、ファインダーの見え方が若干悪い点以外は、幅広くいろいろなシーンにカメラを向ける一般の写真ファンが使用することを想定した場合、常識的な価格も含めて、現役最強のカメラではなかろうか。
 ニコンのカメラは実に不思議な道具であり、新製品が出ても古いものが古く感じられず、それどころか古い製品の方の良さを再認識させられる場合が多い。
 D700も同様で、新製品のD800の噂が具体的になるにつれて、D700って歴史に残る名作だなぁと感じるようになった。
 



 公園には、タヌキのため糞がある。



 あたりをよくみると、何となく道のようなものが見える。
 いわゆる『獣道』と呼ばれる動物たちの通路だ。
 僕は、そんなところに目が行ってしまう。



 だが、僕が何となく歩いて通り過ぎた場所で、
「気持ち悪い木があるよ。」
 と教えてもらった。
 そうだそうだ!
 写真の基本は、ふと目に留まった面白い形、気になる色などにさっとカメラを向けること。
 写真教室どころか、こちらが教えられているではないか! 
 
 
 

2012.1.3〜6(月〜金) 冬の九州

 ここ3年くらいは、『水と地球の研究ノート/5冊組・偕成社』の出版のための撮影に、ただひたすらに打ち込んだ。
 その間も、それ以前から積み上げてきた撮影や、さらに新しい撮影を並行して進めるべきだとは思っていたものの、元々複数のことを同時進行できるタイプではない。最悪の結末は、他のことに気を取られている間に、肝心な本作りのためのシャッターチャンスを逃すことであり、それだけは避けたいと考えた。
 その結果、他のすべてを止めた上での本作りの撮影だった。

 昨年のちょうど今頃からは、原稿を書くなどデスクワーク中心の具体的な本作りの作業が始まり、事務所に缶詰状態の毎日を送った。
 本が完成し出版されてからは、今度は講演が続いた。
 講演の準備のために割く時間は、あらかじめ日時を決めておきその範囲内で済ませる手もあったのだが、むしろ逆に、これまた他のことを一切放棄して、ひたすらに準備に時間を割いた。
 僕がイメージするプロの自然写真家とは、純粋に自然写真だけで生計を立てられる人のことであり、僕の場合、講演やその他を生活の糧にするつもりはないのだが、自分の考えをきちんと整理する上で、依頼された講演の数々は大変にいい機会であり、いずれ一度は割かなければならない時間だと考えた。

 講演の準備がひと段落ついた夏ごろからは、新しいテーマとして蚊の撮影に取り掛かったのだが、一番調子が上がってくる段階でアクシデントが起きた。
 連日のゲリラ豪雨で、毎日水たまりが洗われてしまうため、水たまりに産み落とされる蚊の卵の採卵が思うようにいかなくなったのだ。
 ともあれ、本を作るためなどという動機ではなく、心を空っぽにして自然の中を歩き、イイなぁ!と感じたものに無心でカメラを向けるという自然写真の基本に則った撮影からは、随分遠ざかってしまった。





 さて、12月に入ってからは、ようやく以前のような撮影のリズムが戻ってきた。
 ふと目に留まった色や形にカメラを向ける。




 翌日は雪の中。
 高校生を連れて山登りをする予定を、ソリに変更。
 ついでに写真を撮ろうと思っていたのだが、人を連れていると、なかなか集中できず、翌日一人でまた出直すことに決める。
 ところが、
「丸い草の上で雪が積もって面白いよ。」
 と言われてしばし撮影。
 正体はアジサイ。
 アジサイと言えば梅雨時の定番だが、よく考えてみれば、それ以外の季節にはカメラを向けたことがない。
 子供に教えられることもある。 





 
 ソリをして遊んださらに翌日は、一人で雪の中を散歩。
 
 
 

2012.1.2(月) スランプの一年

 『スランプ』は、本来できるはずの人間ができなくなったときに使う言葉であり、元々未熟な僕には当分縁がない言葉だと思っていた。
 だが昨年は、撮影に関して言えばすべてにおいて調子が上がらず、これがスランプなのかなと感じた一年だった。
 ただ、それはそれなりにできることをやっておいた。
 たとえば、画像処理用のパソコンにトラブルが生じた際にもあわてる必要がないように、バックアップのパソコンを準備した。もちろんソフトもすべて設定していつでも使用できるように。
 予備の物はほとんど使用することなしに古くなっていく可能性が高いから、2400万画素程度の画像がなんとか扱えればいいという程度の、お買い得なモデルを選んだ。
 事務処理用のデスクトップパソコンにも、バックアップを準備した。
 こちらは新しいものを買うのではなく、取材の際に持ち歩くノートパソコンに、事務用のパソコンと同じ機能を持たせた。
 さらに、事務用のデスクトップパソコンのモニター、キーボード、マウスを、そのノートパソコンにも接続し、ボタンによる切り替えだけでデスクトップと共用できるようにして、仮に事務用のパソコンが故障しても、普段と変わらぬデスクトップのような使用感でノートパソコンを操作できるように準備した。
 機械はいずれ壊れるのだから、それに対する対応を、後でするか先にするかの順序の違いでしかないが、撮影の調子が上がらない時には、僕は今でもできることを先に済ませておくことにしている。
 それに大抵のことは、トラブルが起きてから対応する方が手間がかかり無駄が多く、先に備えておいた方がトータルで見れば仕事が早い場合が多い。
 他にも、長い目で見ていずれ必要になることを前倒しにして、今の自分のやり方を片っ端から見直した。
 苦しい時にはとにかく冷静になり、合理主義に徹し、長い目で見た損得を考えるように心掛けているが、とは言え、撮影のリズムが掴めないのは大変なストレスであり、実に苦しい一年間であった。
 
 
 

2011.12.29〜2012.1.1(日) 更新

 年末は、叔父に連れられて昼食へ。食事制限を言い渡されている叔父が、ステーキのかけらを次々と僕のお皿に置いてくれるので、食べ過ぎてしまい、帰宅後は動けなくなって横になり、再び目を覚ました時にはすでに年が明けていた。
 深夜の妙な時間に目が覚めたので、朝まで生テレビ!を見て過ごす。テーマは原発や福島に関すること。
 僕は、原発については分からないという立場であり、推進派でも反対派でもない。問題は経済や貿易〜自然科学にまでまたがっており、僕にはそれらを論じるだけの見識がない。
 ただ、有名な反対派のゲストの意見は、実につまらなく思えた。人のすることは、何を選択しても常にいい面と悪い面とがあり、議論とは、どちらがよりマシか?ということであって、こちらが絶対に優れているとか、完璧なものなどあるはずない。


NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX
クヌギの落ち葉に降りた霜


NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX
お日様が顔を出した。


NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX
あっという間に霜が溶ける。

 さて、先日ある方が、
「落ち葉や土壌を除染したら、生き物たちに極めて大きなダメージを与えるのに、なぜ自然写真家は誰もそれを指摘しないんだ!」
 とおっしゃったのだが、地面の表面付近の土の中は、地球上でもっとも生き物が豊かな場所の1つであろう。
 果たして除染をせずに現状のままにしておけば、人に対してどれくらいの悪影響があるのだろうか?それと除染をすることで失われるものとでは、どちらがより重たいのだろう?
 
 僕には、放射性物質について語れるだけの見識がないし、僕は、生き物という角度から自分が知っていることを人に伝えることしかできない。
 今年は、落ち葉や土壌に関連が深い生き物の本を作る予定になっている。
 落ち葉や土壌の役割を説明する知識の本ではなく、その湿度が感じられるような本を目指したい。
 そもそも、落ち葉や土壌は本の主要なテーマではないので、出過ぎないようにする必要もある。
 昨年末からは、そのための撮影というわけではないが、それを意識して落ち葉の上に寝転ぶ時間が長くなっている。


NikonD700 Ai Nikkor 20mm F2.8S SILKYPIX

NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX
落ち葉の小道
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2012年1月分


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