撮影日記 2010年6月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2010.6.29〜30(月) 機材の改造

 機材の改造や工夫については、プロなのだから人には言わない方がいいという考え方があり、中には、一流の人でも、特殊な機材に関しては一切見せないし、紹介しないという方もおられるようだ。
 そして僕も、それは紹介しない方がいいと思っているし、紹介するのならその前に特許の取得を試みるなどすべきだと思ってはいるものの、結局最後はネタを明かしてしまう。
 ネタを明かすことで誰かがそれを真似し、気に入った写真を撮って愉快な気持ちになることが、僕にとっても楽しいだ。
 
 さて、デジタルカメラマガジンの7月号に取り上げられていることを先日紹介したが、その中では、これまで基本的に人には言わずに黙っておいた手法を紹介した。
 実は、他にもいくつかのネタをリストアップしていたのだが、取捨選択の結果、採用されなかったようだ。そこで、採用されなかったものの中の一部を、何度かに分けて、時々紹介したい。



(撮影機材の話)

 まずは、キヤノンのレンズ(EF20mm F2.8 USM)。
 上の画像のレンズは2本とも同じ銘柄だが、左のレンズには、マウントとレンズ本体の間に厚さ1ミリの金属の輪っかをはさみこんである。
 そうすることで、その輪っかが接写リングの役割を果たし、レンズの最短撮影距離が短くなり、小さな生き物により接近して、より大きく写すことが可能になる。
 市販品の最短撮影距離は25センチなのに対して、僕の改造品なら20センチくらいまで近づける。

 このレンズの場合、マウントはネジ取り外して引っ張ってみると、レンズ本体と一ヶ所で結合されており、完全に取り除くことはできない。
 つまり、完全な輪っかをはめ込むことはできないので、僕は、輪っかの一部を切ったCの字型の金具を使用した。
 Cの字型の金具でなくても、2つに分割した輪っかを別々に挟み込んでもいいだろう。
 先ほど、このレンズのマウントは、ネジ取り外してもレンズ本体と一ヶ所で結合されていると書いたが、おそらくそこに回路があるのだと思う。その回路さえ損傷しなければ、レンズとマウントの間に物を挟んだって、ちゃんと自動絞りが働いてくれるのがありがたい。
 無限遠は出なくなるが、1ミリの輪っかなら、かなり遠くまでピントはあう。
 1.5〜2ミリくらいの金属を挟めば、小さな生き物の撮影にはもっといいのではないか?と思うが、残念ながら、このレンズのマウントとレンズ本体の間には、それだけの隙間がない。

 具体的な工作は、僕の水中カメラを作ってくださるプルーフの水元弘道さんにお願いした。
 
http://www.proof-08.com/
 プルーフの水元さんは、金属やアクリルを大変に奇麗に加工してくださる。しかも工賃は、会社料金というよりは職人さん価格で、カメラやレンズの加工を引き受けている大半の会社よりもはるかに安い。
 また、水中ハウジングは工夫のるつぼであり、そんないろいろなアイディアをいつも考えておられる水元さんの発想は柔軟で、これまた頼りになる。
 別に水中カメラを受注している人ではなくても、工作の依頼は引き受けてくださるとのこと。ただし、本職は水中ハウジング作りなので、その空き時間に作成する関係上、時間がかかる場合があり、それさえ理解してもらえればいいとのことだった。
 とにかく、大変に丁寧な手仕事が実に心地いい。
 
 
 

2010.6.28(月) 本作りは佳境に

 一言で生き物の本と言っても、いろいろなタイプの本がある。
 たとえば、僕がよく仕事をする幼児向けの生き物の本の場合、それは科学の本というよりは、絵本の一種であることが多い。
 だからそこで使用される写真には、知識よりも、イメージやムードが求められる傾向にあり、時には、
「こんなイメージの写真を撮ってください。」
 と求められた通りのシーンをスタジオ内に再現し、それを撮影することもある。
 それを、やらせだと言う方もおられるが、やらせかどうかは、そこで何が主張されているかによって違ってくる。
 科学的な内容の本の中で、そうして作られたイメージ写真があったならば、それはやらせであるが、絵本やコマーシャルなどの場合なら、話は異なる。
 たとえば、ソフトバンクのコマーシャル中に登場する白い犬を、あんなのデタラメだ。インチキだと指摘する人がいたとするなら、それは余程に頭が硬くて人間のユーモアが分からない人だろう。
 また、ちゃんとした理由や狙いがあれば、科学的の本に使用する写真を、スタジオで撮影する場合だってありうる。
 例えば、科学者はしばしば生き物を実験室に持ち込み、自然状態では不可能な、実験室でしかできないような精度の研究を試みるが、自然写真でも同じような趣旨の写真はあり得る。
 実験室内での生き物の研究なんて嘘だ、という方がやはりおられる。
 だが、そうして実験室で得られたデータから、それまで知り得なかったたくさんのことが分かるのもまた事実で、それを頭ごなしに否定する人は、恐らく実験室での研究を知らない人だろう。
 一方で、今僕が取り組んでいる本は、イメージの世界とは対極にあり、あくまでも自然の現象にカメラを向けていく本だ。しがたって、それらの撮影には、スタジオは使わない。
 
 さて、その本作りが佳境に入ったところで、重症の無気力症候群に取りつかれてしまい、自分が撮影した写真がすべて、つまらなく見え、一向に作業が先へと進まない。
 
 
 

2010.6.26〜27(土〜日) ああ、時間が・・・


NikonD3X Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D
 
 カメラのシャッター速度を20秒にセット。そして、カメラを三脚に固定し、ホタルにピントを合わせる。
 月明かりを模した光を演出したいので、ストロボは蛍の真上くらいの位置に。そして、絞りを絞ってシャッターを押してストロボを光らせると、ホタルの姿が写る。
 さらにシャッターが開いている20秒の間に、今度は絞りを開けてあとは蛍が発光してくれれば、今度はホタルの光が写る。
 何も難しいことはないはず。
 なのに、ホタルは盛んに飛ぼうとして一向にじっとしてくれないから、結局初日は、一枚も写真が撮れないまま終わってしまった。
 そう言えば、真剣にホタルの写真を撮ろうとしたのは、はじめてではなかろうか。ここ数年、毎年、撮影の予定表の中にホタルをリストアップするが、6月は大変に忙しくてたった1〜2日の都合がつけられないまま、あっとう間に数年が経った。
 もっとも、ホタルは、写真に撮るよりも眺めていたい。
 ともあれ、何でもない写真だと思っていたのにうまくいかない。昆虫の写真家は、いったいどうやってその手の写真を撮っているのだろうか?
 しかたがないのでさらに一日時間を設けて、2日目はまずは観察からはいる。
 初日は光がよく目立つオスを撮影しようと思ったのだが、2日目はメスにカメラを向けてみたら、メスは比較的動きが少なくて、一応写真が撮れた。
 最初は1〜2時間もあれば撮影が終わると思っていたのに、予想外に時間がかかった。この忙しい時期に、撮影が長引くのは、大変に堪える。
 曲がりなりにも撮影が終わったあとは、とにかく、画像を早くパソコンの画面上で確認したい。

 画像処理用のパソコンが突然に起動しなくなったことは、つい先日書いたばかり。その時には、それを修復するプログラムを起動させてみたら、無事解決することができた。
 ところがこの夜、一刻も早くホタルの画像を確認したい時に限って、またも不具合が生じて今度は修復プログラムも通用しない。
 仕方がないからハードディスクをフォーマットして、出荷状態に戻し、ソフトをインストールし直した。
 ああ、こんな忙しい時期に時間が勿体ない・・・
 
 
 

2010.6.23〜25(水〜金) かがくプレイらんど7月号



 全27ページ。裏表紙以外の写真を撮影しました。
 
 自分では写真が好きだと思っていたのに、実は、そうではないことにある時気が付いた。僕が好きなのは生き物であり、僕にとって写真は、それを表現するための手段に過ぎないのだと。
 だから、生き物以外の写真を見ようとはあまり思わないし、その前に、写真は写真でも、生き物の写真以外は僕にはあまり理解ができず、それが面白いのか面白くないのかさえも分からないから、面白くない。
 木村伊兵衛写真賞とか、土門拳賞を受賞のような権威ある賞を受賞した特別な作品だって、僕には、その凄さが分からないことの方が多いのだ。

 唯一、賞を受賞した作品で本当にいいなぁと僕にも分かったのは、梅佳代さんの写真くらいかな。
 例えば、おじいちゃんや子供たちの実にユーモラスな表情。
 あの表情は梅佳代さんに向けられているのだから、そこにはおじいちゃんや子供たちの目に映る梅佳代さん自身の姿もいっしょに写っていることになる。
 巷ではスナップ写真というジャンルにカテゴライズされているような節もあるが、梅佳代さんの写真は、スナップ写真なのだろうか?
 通常、スナップ写真とは、1).瞬時に撮影することによって、2)撮影者の存在を意識させないようにし、3)被写体本来の自然な有様を写し撮った写真を指しているようだが、梅佳代さんの写真は、瞬時に撮影するという点と被写体の表情が実に自然であるという点ではスナップ的ではあるけどれも、肝心な何を撮るかと言う点においては、自分と相手との間柄を写し撮っているのであり、むしろ撮影者を意識させないように撮るスナップ写真とは対極にあるように思う。
 
 それはともあれ、自分のことは自分が一番よく分かるという方がおられるが、そんなのは大嘘。
 今は写真が好きなつもりでも、突き詰めていくとそうではないかもしれないし、自分が何に興味を持っているのかは簡単に分かることではない。
 だからこそ誰しも、ああでもないこうでもないと試行錯誤し、時には、自分がこの道こそは!と志した道を挫折することもあれば、この人こそ!と結婚をした人が離婚をすることだってあるだろう。
 僕の場合、
「写真が好きなわけではない。僕は生き物が好き。」
 と言っても、そこにも色々な生き物が好きがある。例えば、生き物がかわいいから好きというのと研究の対象として好きというのは、全く異質のもの。
 では、僕が好きな生き物とはいったいどんな存在なのだろうか?
 それが分かれば話は実に簡単で、僕にはもっともっと強い主張を持ったいい写真を撮れるに違いないが、当面、僕は生き物を愛玩したいわけでも研究したいわけでもなく、生きるってどんなことだろう?と生き物たちの姿を通して考えたい。

 さて、生きるってどんなことなんだろう?と考えた時に、生物の遺伝という現象は大変に興味深い現象だ。そして金魚は、その遺伝の不思議を考える材料としては大変に面白い。
 がしかし、そんなことは、この本を見る子供たちにとっては全く面白くない話だろうから押し付けることはできないし、仕方がないから、金魚を飼育するという切り口の本の中で、少しだけ生き物の遺伝についても触れることになる。


 

2010.6.22(火) デジタルカメラマガジン7月号



 デジタルカメラマガジン・7月号。P78〜81 プロに学ぶ!デジタル撮影塾 に取り上げられています。テーマは 「身近にいる水生生物を撮ろう!」です。是非、ご覧ください。

 僕は、基本的には仕事の依頼は断らないことにしている。自分の専門外の撮影であっても、不得意な撮影であっても、とにかくやってみると決めている。
 不思議なことに、自分が不得意でできれば避けたいタイプの写真に限って、撮影の依頼が多く寄せられるような気がするは気のせいだろうか。
 また、撮影が困難でおそらく割に合わないであろう仕事でも、迷わず引き受ける。
 だが、僕自身を取り上げたいという依頼に関しては唯一の例外であり、十分に吟味することにしている。そして、引き受けることもあるし、過去には何度かお断りをしたこともある。
 僕は、目立つことや人前に出ることが嫌いで、自分が取材の対象になって取り上げられるのが苦手なのだ。
 ただそんな場合でも、担当者が本当に一生懸命に取り組んでくだされば、不思議なことに全く苦痛ではない。だから、もしもそれを引き受けるのなら、相手を選びたい気持ちが強い。
 デジタルカメラマガジンの取材は、担当のKさんが健気なくらいに一生懸命に盛り上げてくださり、非常に楽に終えることができた。
 ありがとうございました。
 取材に同行し、僕の写真を撮ってくださったのは、カメラ雑誌でおなじみの佐々木啓太さん。
 当り前のことなのだろうが、上手いものだなぁ。気張らずに、実に楽に写真を撮っておられるように僕の目には映った。 
 
 
 

2010.6.20〜21(日〜月) 落書き

「これはカメです」
 とどこかのお城の堀でカメの背中に落書きがされていたというニュース。
「動物虐待だ。」
 とか、
「亀を保護しなければならない。」
 などと話は続いていくのだが、くだらねぇなぁと思う。
 カメには、自分の背中に落書きがされていることなど理解ができないのだし、少なくともカメ自身は悲しくもなんともないと思うのだが・・・。
 それとも、カメに人間の文字が理解できるというのだろうか?
 そんなことを気にしているのは人間だけ。つまり、もしも自分なら落書きをされたら悲しいという人間の論理にカメを当てはめているのだが、カメは人間ではない。
 むしろ動物を思いやりたいのなら、カメの論理を理解しようと試みる方が、大切であるような気がしてならない。
 落書きによって景観が乱されて、多くの人が不愉快になるから怪しからん、というのなら話はよく分かるが、それなら、カメがかわいそうではなくて、私が不愉快だと言わなければならない。
 その前に、映像に写ったカメの種類はミシシッピーアカミミガメという帰化生物だった。
 ミシシッピーアカミミガメについては日本の生態系を乱すという理由で捕獲をして殺処分をしている場所もあることを思うと、一方で落書きをされたからと保護をするというのは、変な国だなと思う。
 捕鯨の問題でも、僕は同様に感じることがある。
 浜にクジラやイルカが打ち上げられてしまった際に、それを人間が一生懸命沖に返そうとしたという美談のニュースを時々耳にするが、一方で、遠くまで遠征をしてクジラを捕まえているのだから変な国だなぁと思う。
 むしろ、浜に打ち上げられたクジラこそ、食べてしまったり、研究の材料にすればいいじゃないかと。
 それとも、僕に夢がなさ過ぎるのだろうか。

  
 

2010.6.19(土) チャット

 先日、突然にパソコンが起動しなくなった。
 もちろん、そんなこともあろうかと、うちの事務所ではパソコンは買い換えるのではなくて買い増すようにしており、以前使用していたシステムも、2世代前の物まではいつでも使えるように待機させている。
 だから、一台のパソコンの故障で仕事ができなくなることはないのだが、それでも一番処理能力が高い最新の物が故障すると、やっぱり不自由を感じる。
 本当を言うと、そろそろ新しいパソコンを買い増す時期になっているし、モニターやその他の周辺機器も含めてもう少し強化したいのだが、ここのところは取材費にお金を使い過ぎていて、画像処理のための道具にまでは手が回らない状態だ。
 
 怪しからん、といつも思うのは、パソコン周辺機器が上手く作動しなくなった時にメーカーに問い合わせようとしても、どこの会社もなかなか電話がつながらないこと。もしも僕がえらい政治家になったならば、すべての会社に平均3分以内につながる電話サポートを義務付けるだろう。
 ただ、チャット方式での問い合わせに関しては、それほど待たずともサポートを受けることができるので、あれは実にいい。
 チャット方式のサポートを受けられるのは、故障したパソコンとは別にインターネットに接続できるパソコンを持っていている人でかつキーがある程度以上打てる人だけだから、それほど込み合わずにすむのではなかろうか。
 僕が過去に利用した範囲では、いつも中国の方とおぼしき名前の方が対応してくださり、最初は、日本語大丈夫か?と不安になったものだが、これまでのところは全く問題ない。
 会話ならともかく、漢字を含む日本語をこれほど見事に使いこなせるなどというのは、中国人以外にはあり得ないだろう。
 
 肝心なパソコンの修理だが、無事に完了して、今まで通りに作動するようになった。
 復旧できないようなトラブルに見舞われる前に新しいパソコンを買っておきたいのだが、何度考えても、やっぱりお金がないので仕方がない。
  

 

2010.6.16〜18(水〜金) 上陸


OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro 水中ハウジング

OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro 水中ハウジング

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX

 生き物の本を作る際には、編集者が中心になって本を作る場合と写真家が中心になって本を作る場合とがある。
 編集者が中心になって本を作る場合は、
「こんな写真を撮ってください。」
 と編集者が写真家に依頼し、写真家はそれに応える。
 一方で写真家が中心になって本を作り場合は、まずは写真家が写真を撮り、それを多少なりとも形にした上で出版社に出向いて、
「こんな企画があるのですが、本にしてもらえませんか。」
 と売り込む。
 向こうから撮影の依頼がくるのか、自分から撮影するのかの違いがある。
 どちらの方法にもそれなりの良さがあるのだが、自分から企画を売り込むからには、編集者主導では絶体にできない本を作らなければ意味がない。
 では、編集者主導ではできない本、写真家が主導しなければできない本とは、いったいどんな本なのだろう?

 さて、撮影を依頼されそれを引き受けるからには、やはりその責任上、依頼にこたえることを優先しなければならないし、その結果自分が撮りたい写真は後回しになり、今打ち込んでいる本作りのための撮影だって、まずは依頼された撮影を終わらせてからになる。
 僕は数年前から、依頼にこたえることと自分で企画をして本を作ることの両立を当面の目標にしてきたのだが、それらを両立させることは、やっぱり難しい。特に今の時期はいろいろな撮影の依頼が寄せられる時期なのでそれが一段と難しくなり、尻に火がついたとは、まさに今の僕の状態であろう。5冊セットの本の中の第一巻の撮影に許される時間はせいぜいこの夏まで、と期限が刻々と迫ってくる。
 今日は、なんとか、本作りのための撮影の時間を確保でき、カエルたちの上陸のタイミングに間に合った。
 
 
 

2010.6.12〜15(土〜火) いい場所

 あるシーンについて、どれくらい撮影が難しいかは、実際に写真を撮ってみなければわらかな部分がある。
 だから撮影の依頼を受け、話を聞いて、ああそれなら撮影できると思って引き受けたところ、実際には大変にやっかいで、撮影して僕に利潤が出るところか赤字になってしまう場合もあるし、これは難しいぞと引き受けた写真が、あっと言う間に撮れてしまうこともある。
 がしかし大体において編集者が描くコンテには難しいものが多く、撮影がひどく上手くいかない時には辛くて、何で僕に意地悪するんだという心境に陥ることさえある。
 撮影が予定の時間以内におさまらず、本来の予定よりも一日、二日、三日・・と伸びはじめると、日程のやりくりが火の車になって本来予定している撮影の中から優先度が低い撮影を取りやめなければならないし、とにかくこのプレッシャーから解放されたいと切望することになり、仕事とはなんぞや?と哲学的なことを考えてみたりする。
 一方で、一応写真を収めることができたとしても、最後まで納得できる写真が撮れなかった場合は、結局後になって、心残りで仕方がなくなる。


NikonD700 Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25mm ZF

NikonD700 Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D

 さて、撮影が上手くいかない時にはいろいろな原因があるが、一番多いのは、それが撮影できるようないい場所が見つからずに場所探しに明け暮れるケースだ。
 いい場所さえあればなぁ。
 撮影に適した場所と生き物の観察に適した場所はしばしば全く異なり、いい写真を撮ろうと思うのなら撮影に適した場所を探す必要があって、生き物を追いかけ過ぎないことが肝心。
 ああ、今日の画像の場所をもっと昔から知っていればなぁ。
 もしもこの場所を以前から知っていれば、以前大苦戦した写真なんかがすんなりと撮れていたのかもしれない。
 
 
 

2010.6.10〜11(木〜金) デジカメ+電子メール

 依頼された写真を撮影する際に何が難しいかと言えば、相手が望んでいることを正しく理解することだ。つまり、撮影を依頼する人と写真を撮る人との意思の疎通が難しい。
 自分なりにどんなにいい写真を撮っても、それが相手が望むシーンでなければ、それは使えない写真に過ぎない。どんなに美しい女性の写真が撮れたって、男性の写真が必要な場合には、何の意味もない。
 むしろ、どれだけ相手の意図をくみ取れるかも、カメラマンの技術の一部だと言えるが、それについては僕はまだまだ。
 昔引き受けた仕事を、
「ああ、あの時のあの仕事、今になってよく考えてみたら、相手の依頼に応えられてなかったな。」
 、と突然に思い出すことがある。
 そして、にも関わらず僕に何度もチャンスを与えてくださり我慢して使ってくださったことに今頃になって気付き、ありがたさが込み上げてくることが実は最近多いのである。
 
 今は、デジタルカメラや電子メールがあるから、すぐに相手に写真を見てもらうことが可能だし、その点は随分楽になったと思う。
 今日は、先日から苦心していたシーンについてサンプル画像を送ってみたら、撮影の方針について大まかなOKが出た。
 やる気が込み上げてくる瞬間でもある。
 したがって明日からは何も迷くことはないし、写真を撮ることに集中できる。
 
 
 

2010.6.8〜9(火〜水) 仕事は辛いよ

 先日、買ったばかりの中古軽自動車に乗って出かけた取材は、来春発売される本のための撮影だった。
 がしかし、車の購入に40万円も使ってしまっては、相当に本が売れなければ赤字になってしまう危険性がある。
「車まで買ったんですね!やっぱり大変ですね。」
 と複数の方からも言われた。
 だが、僕は好きでやっているのだから、お金を使うことに関しては、大変という気持ちはあまりない。機材にしてもその他の道具にしても、仕方なく買うのではなくて、仕事を抜きにして欲しいと思うのである。
 物に頼りたいのではない。それは、自分に許される自由のすべてを自然や撮影に費やしたいという僕の昔からの憧れなのだ。

 大変なのは、物の購入なんかではなくて、依頼された撮影をこなすことだ。
 相手のイメージをくみ取り、それにかなう写真を撮影することは、なんと難しいことか。
 これは撮影というよりはまさに仕事であり、仕事として人の依頼にこたえる写真を撮るのは、本当に難しいし、時には辛い。
 一昨日〜今日の仕事は1勝1敗1引き分け。
 一昨日撮った写真は、大変に喜ばれた。
 だが昨日は、散々もがいた揚句、依頼にこたえられるような写真が撮れなかった。唯一の救いは、その過程で、今回の仕事では使えないものの、いずれどこかで間違いなく売れそうな写真が撮れたこと。
 そして今日は、何1つ収穫なし。
 いや〜仕事って本当に厳しいですね!

 

2010.6.5〜7(土〜月) 軽自動車(後)

 この日の取材に出かける直前に、
「この車、工具はいったいどこに入っているんだ?」
 とちょっと気になりタウンボックスの取扱説明書を探すが、さすが中古車、説明書がない。
 そこで、三菱自動車のホームページから説明書をダウンロードして調べてみたら、工具がしまわれているはずの場所が分かったのだが、取扱説明書のみならず、工具も付属していないことが判明した。
 さて、どうしたものか?早く出発して早めに現地に着きたいし、取材から帰宅して、近所のカー用品店でゆっくりと工具を選ぶか。よし、そうしよう。
 いや、やっぱり気味が悪いが悪いよな。うん、工具を買ってから出発することにしようか。
 果たして僕の悪い予感はみごとに的中し、タイヤがパンクした。タイヤの割れ方から判断するに、これはどこかでひどく擦ったというよりは、劣化が原因だろう。
 溝は結構深く残っていたのだけど、ゴムがかなり硬くなっていたため、舗装された道はともかく、超がつく悪路は無理だったようだ。
 ところが、買ってきたジャッキが使用できないことが判明した。
 僕は、良かれと思って油圧式のものを買ったのだが、その背丈が高過ぎて指摘の箇所に入らないのである。
 行きがけにちゃんと使えることを確認したよな?何で?
 あっそうか!タイヤが完全に潰れて車高が低くなっているから、ジャッキが入らないんだ。
 幸いにも、山をほぼ降りきったところでのパンクだったため、付近を通りかかった車の運転手さんに工具を借りることができた。
 どうもありがとうございました! 
 これに懲りて、タイヤは4本とも、新品に付け替えておくことにした。
 

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 
 

2010.6.4(金) 軽自動車(中)

 整備費用やその他も含めて、総額で40万円以内に収まる中古の軽自動車。中でゆっくり寝られるように箱型で、また未舗装の急な坂道を登れるように四輪駆動で。
 そんな条件でお願いしておいたら、
「坂を上る場合は、三菱が一番トルクがありますから。」
 と三菱のタウンボックスが届いた。
 走行距離は8万キロ。
 軽でなければ入れない場所に行く時だけと割り切って買った車だが、町の中でも小回りがきいて快適。逆に、たくさんの荷物を積んで長期取材をする時にだけ、大きなトヨタのハイエースを使った方が良さそうな気もする。
 もっとも8万キロ走った中古車なので、普段から使っていたら、あっという間に買い換えの時期が来てしまうし、こんなに使いやすいのなら新車を買うべきだったかな。
 ともあれ、あの道で、その軽自動車を試す日が来た。
 
 僕の期待とは裏腹に、車は登り始めるとすぐに横滑りをして、前に進まなくなった。
 専門家でもなんでもない地元の人たちが自分たちで作って間もない道。傾斜が急なことに加えて、削ったばかりの崖から落ちてくる小岩がちょうど道全体に敷き詰められたようになっていてグラグラし足元がおぼつかない。そして何よりも、左右の水平が全く取れておらず、崖側が高く谷側が低くなっているので車輪が谷側に向って滑るのだ。
 おいおいおい、軽自動車も駄目か?40万円とは、随分な無駄な出費になってしまったかな。これは・・・
 あっそうか。四輪駆動と言っても、フルタイム四輪駆動ではなくて、手動で切り換える方式が採用されているんだった!
 そして四輪駆動のボタンを押すと果たして、車は登り始めた。


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 いつもは登山でクタクタになった状態から始まるとある山上の湿原での撮影。
 だが今日は、体力と気力がとことんまで溢れ出してくる。
 上空では雷が数時間の間鳴り続け、まるで和太鼓の演奏のように鳴り響く。
 そして時々ムワッと温かい空気が湿原に投げ込んでくると、東京ドーム1つ分ほどの広さがある沼のありとあらゆる方角でカエルたちの鳴きはじめ、それが観客の拍手のようにも聞こえる。
 今回作成中の本とは別に、いずれ電子書籍が普及した時に、もう一度この場所を取り上げた本を作ってみたい思いがある。
 その時には、静止画と動画の中間的な映像を撮り、それに雷の音やカエルの鳴き声を加えてこの場所の空気を表現したいと思う。
  

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX
 
 
 

2010.6.1〜3(火〜木) 軽自動車(前)

 ヒグマと人との事故について、以前、作家の畑正憲さんが、
「いいじゃないですか、少しくらい。死ぬったって年に数人でしょう?車の事故でいったい何人死にますか?」
 と語るのを聞いて、勇気がある人だなと驚かされたことがある。
 確かに、車の事故の中でも運が悪かったとしかいいようがないものは仕方ないとして、飲酒運転や暴走行為などはテロ行為を仕掛けられるようなものだし、自分のわき見などは、ほとんど自殺行為ではないか。
 仮に僕が病気以外で命を落とすとしたら、やはり車の事故の確率が一番高いのではなかろうか。過去を振り返ってみても、あれはヤバかった、というような経験は、すべて車に関係するものだ。


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 さて、以前この道をハイエースという大きな車で登ろうとして、ひどい目にあったことがある。最初は、やばくなったら引き返せばいいや、と軽い気持ちで登り始めたのだが、やがて引くに引けなくなってしまったのだった。
 道幅は狭く、御覧の通りの勾配。おまけにカーブはまさに180度のヘアピンカーブ。軽自動車でも途中で切り返しを入れなければ回ることができない箇所がある。カーブの外側を通るタイヤはともかく、内側を通るタイヤは、カーブを曲がっているというよりは、階段を上っているに近く、途中でどうしても車が登らなくなったのだった。
 これはやばい、と思ってバックを試みたが、それは前に進むこと以上に困難だった。あまりの勾配と急カーブで車を制御できそうもなく、そのままバックで谷側に落ちる危険性があった。
 ハイエースのような箱型の車の場合、運転席が車の先頭にあるから前はよく見えるが、逆に後ろは非常に見にくいのだ。
 仕方がないから、50センチバックしては、ハンドルを少し切ってまた前に出ることを繰り返し、ほんのちょっとでもカーブを大回りできるように車の軌道を少しずつ修正することを繰り返しながら、終点の広場までかろうじて登りきった。
 1つのカーブを曲がるのに十分以上の時間を要した箇所もあった。
 だが、一難去ってまた一難。下りのカーブは、登りよりもはるかに困難だった。
 あまりの急こう配に、ギュッと踏み込んだブレーキを一瞬緩めると、車はハンドルを切っているにも関わらず曲がるのではなくそのまま真っすぐにズズズっと数センチずり落ちるから、またブレーキを強く踏み込む。
 そして今度はギアーをバックに入れ、思いっきりハンドブレーキを引いて、ジワッとアクセルを踏み込むと同時に手に込めた力を緩めて車を後退させることを繰り返し、登りの時と同様になるべくカーブを大回りするように、車の軌道を修正しながら少しずつ少しずつ1つのカーブを曲がる。
 車が横転するか、道を飛び出してしまうことをいったい何度覚悟したことか。
 救援を呼ぼうか?
 いや、救援を呼んだところで、誰にも、どんな道具があってもどうしようもないだろうから、自分で降りるしかない。そして、車が道を飛び出してしまったなら、おそらくそれを引っ張り上げる手段もないだろう。
 後に地元の方に聞いてみたところ、この道は、地元の人たちが自分たちでブルドーザーを操作して作ったもので、四輪駆動の軽自動車なら、一応安全に登れるとのことだった。
 道の入り口には、自己責任で・・・と書かれた立ち札が立てられている。
 ハイエースでのトラブルに懲りた僕は、ここで取材する時にはたとえ時間がかかっても、現場まで歩くことにしていたのだが、歩くと1時間以上の時間がかかる。しかもそんな場所での取材に限って、雨の中での撮影が必要だったり、望遠レンズや水中撮影の道具など、かさ張り重たい道具を必要とする。
 そこで、ちょっと勿体ないかとは思ったが、先月中古の軽自動車を一台調達した。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2010年6月分


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