撮影日記 2010年5月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2010.5.29〜31(土〜月) 筑豊のこどもたち

 福岡県の筑豊と言えば、土門拳の 「筑豊のこどもたち」 を思い浮かべる人は多いのではなかろうか。僕の自宅がある直方市もその筑豊に含まれるが、筑豊は過去に炭鉱で栄えた地域であり、 「筑豊のこどもたち」 は、その炭鉱の労働者の貧しくて厳しい生活を、労働者の子供たちの姿を通して表現したものだとされている。
 だがその中で主人公的に扱われているさみしい女の子が、後に大人になった時に、
「私の子供時代は決してあの本のように貧しくて厳しいものではなく、毎日がとても楽しかった。」
 と語ったという話を聞いたことがある。
 もちろん、聞いた話だからその話の真偽は分からないのだが、僕は、その話は嘘ではないような気がする。一般論として、写真家や報道に携わる人は物語を作りたがり、ある一面だけを強調し過ぎるきらいがあるように感じる。 
 ともあれ、土門拳の筑豊のこどもたちのイメージなのかどうなのか、筑豊には、暗くてすすけた労働者の町というイメージが今もあって、直方を含めた筑豊を文化不毛の地だと嘆く方が結構おられる。

 ところが僕は、その筑豊=文化不毛の地というのを、どうしても理解することができない。そう言えば先日もある方が、
「文化不毛と言われるこの土地に本物の文化を。私は本物って素晴らしいと思うのです。私は子供たちに本物を見せてあげたいのです。」
 と声を大にしておっしゃったのだが、そのときにもやはり、僕にはその言葉の意味が理解ができなかった。
 筑豊には本物の文化ない、というのは、いったい何を指しているのだろうか。
 もしかして本物とブランド物を混同しておられる?
 それなら、その方の話の意味がよく分かる。
「直方には本物の文化がない」
 ではなくて、
「ブランド物がない」
 と言ってもらえると。確かに、筑豊にはブランド物と言えるようなタイプの文化は存在しないように思う。
 では、本物とブランド物とは、いったいどこがどう違うのか?
 ブランド物とは、世間の保証書付きの物のこと。だがそれを持つ人は、必ずしもその良さや値打ちが分かる必要はない。むしろ、セレブではあるけれども自分の目ではものの良し悪しを見極められない人のためにブランドがあるという側面さえもある。
 一方で本物とは、世間が保証なんてしなくても、これって間違いなくいいものだよねと自分で分かるということ。
 そして直方にはブランド物は落ちてないかもしれないが、僕は、本物なら探せば見つかるのではないかという気がしてならない。
 直方には本物がない、と嘆く人は、もしかしたら自分が本物を見る目を持たないだけかもしれませんよ。
 僕はブランドやセレブの道楽のようなものだけが文化ではないと思う。
 確かに、過去においてはセレブの道楽が文化を支えた面も間違いなくあるに違いない。お金持ちが、ポンと金を出すことによって成立した文化が。
 だが今は、そんな時代ではないし、逆に、そのようなものが蔑まれている側面だってあるように感じる。
 とにかく、
「直方や筑豊には本物の文化がない」
 などと嘆く前に、自分の目でちゃんと物を見ようとすることが肝心ではないのか?
 僕のその思いは、次に出版する予定の本の中で表してみたい。自然も、ブランドみたいなものばかりがもてはやされているけれども、当り前に目を開けば、素敵な自然がもっと身近になるんじゃないかい?と。
 
 
 

2010.5.28(金) ちょっとピンぼけ


CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM 水中ハウジング

 オイカワ、カワムツ、ウグイ。
 この場所には俗にハヤと呼ばれる細長い魚が3種類住んでいて、写真に撮るとどれも同じような感じに写っちゃうんだけど、一目パッと見た時に、「あっ違う魚だ。」と誰にでも直観的に分かるような写真を撮らなきゃダメなんだよね。
 理屈っぽい図鑑的な識別のポイントはその次に来るべきことで、まずは直観的な違いが写真から滲み出てくること。これが肝心なんだ。
 オイカワはしなやかで優雅。そうそう、こんな感じ。
 泳ぎが速いでしょう。だからハヤ?
 でも、今の写真は決まったね。
 
 イメージ通りの写真が撮れた日は、帰宅後にパソコンを立ち上げ、画像を見るのが楽しいんだ。
 さてさて、あの写真はどこにあるかな?
 あっ、これこれ。
 おや?これはピントが合ってない。そうそう、たくさんシャッターを押したから、中には似たような写真でピントが合ってないのもあったかもね。
 あれ、おかしいぞ。他にそれらしい写真がない。
 嘘でしょう。もしかして、ちょっとピンぼけ?狙ったところよりも1センチくらい奥に、ピントがずれてしまったみたい。
 しまったなぁ。あの時イメージ通りの写真が撮れた!って喜び過ぎてしまったんだね。やっぱり、良く考えてみたら泳ぎ速かったもんね。ハヤ。
 ピント合わせって結構難しいんだよ。




 

2010.5.27(木) 阿蘇へ


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX NDフィルター

 水中撮影の予定を組んでいたのだが、今日は午前中に天候が思わしくなかったので中止にし、代わりに阿蘇に行ってみることにした。
 水中写真は準備が大がかりになるので、今日は天気が悪いけど一応ちょっと潜って試してみるか、というようなことがやりにくく、理想的な天気の日に満を持して写真を撮るようなスタイルになる。
 午後からは天気が回復することは予報で知っていたのだが、水中の場合、水草が光合成を始めるとその際に放出される酸素が作り出す微細な水流で水中のごくごく小さな浮遊物が舞い上がり、水がわずかではあるが濁ってしまう。
 したがって、水をクリアーに撮りたい時は、植物が光合成を初めて間もない早朝〜午前10時くらいの時間帯に撮影したい。
 水草が生えていないような環境や流水の場合は、その限りではない。
 水中撮影と阿蘇とは全く違う被写体のように感じられる方が大半だろうが、実は大変に関連深く、僕がいつも潜って写真を撮っている泉は、阿蘇の火山活動の結果できた湧水だ。そしてそれらの写真は、同じ本の中で使用する予定になっている。


 

2010.5.26(水) 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
  
 

2010.5.24〜25(月〜火) 釣り(後)



 子供のころ、最後に弟と一緒に遊んだのがいつだったのか、今となっては思い出すことができない。だが僕が高校に入学して以降はそんな記憶が全くないから、共に遊んでいたのが中学までだとすると、今回一緒に釣りに出かけたのは、もう25年ぶりくらい出来事だったことになる。
 弟が突然に、釣りでも始めようかと言い出したのだった。
 子供の頃は、父に連れられて共に山登りに行ったものだが、僕とは逆に弟はその後次第に自然と接する機会を失い、山の中に出かけること自体が本当に久しぶりのことだったようだ。
 ならば、また自然の中で過ごす時間を持ってほしいし、そのためには絶対に楽しい釣りにしたい。他にもいろいろと思うところあって、今回は、どうしても弟に魚を釣らせてやりたかった。
 ところが困ったことに、僕が得意な渓流でのヤマメのルアー釣りは、釣りの中でも非常に難しい部類に属し、初心者にはただの一匹さえも釣れないことの方が多い。同じヤマメ釣りでも餌を使った釣りならまだしも、ルアーという本来食べる必要もない偽物の餌で魚を騙くらかしてしまうこの釣りは、格段に難易度が高いのだ。
 さて、どうしたものか。まずはどこかの管理釣り場にでも行って、放流された魚を釣って楽しんでもらうか・・・
 いやいや、そんな予定調和は、僕にとっては何の意味もない。釣れないかもしれない状況の中で五感を研ぎ澄まし、何とかして魚を釣ろうと馬鹿らしいほど真剣になれることにこそ意味がある。
 結局弟は2匹の魚を釣り上げた。
 幸運だったのは、最初にまぐれで一匹の魚がかかったことだ。緊張した弟はそれを逃してしまったのだが、今日は釣れるかもしれない!と思えたのだろう。
 写真にしても釣りにしても、最初はまぐれでいいのだ。いや、何であるにせよ、まぐれからしか始まらないのではなかろうか。
 むしろ、出来るに決まっていることをやることの方が、時間の無駄だと言える。
  

 

2010.5.21〜23(金〜日) 釣り(前)

 僕が将来の進路のことを生まれて初めて真剣に考えたのは、高校3年生の春のことだ。
 ふとしたことがきっかけで、大学には理学部という学部があり、その理学部には生物学科という学科が存在して、そこに行けばどうやら生き物にのめり込むことが許されそうだと知った僕は、生物学に進学することを思い立ったのだった。
 ところが当時の僕は、生物ではなく物理を選択していたのだから、まずは受講する科目の変更を学校に申し出なければならなかった。
 担当の先生は、
「こんな時期にへそ曲がりなやつやのぉ。」
 といいつつ変更を受け入れてくださったが、それ以前には進路のことや受験のことなど一切考えることなく物理を選んでいたのだから、今考えると、当時の僕はお粗末な学生だったとしか言いようがない。
 ただ将来のことと言えば、就職したくないという漠然とした気持ちなら、厚かましくも小学校の低学年の頃にはすでに持ち合わせていたのだから、これは人よりも早かったのではなかろうか。
 働きたくなかったわけではなく怠けたかったわけでもないが、定職につくことによって、釣りをしたり昆虫を採集するなど、生き物たちと接する時間を失いたくなかった。
 そんな僕の思いは周囲の大人には決して理解されなかった。時にはそれを怠ける心だとと父にひどく殴られたこともある。
 ともあれ、釣りの中でも渓流釣りには随分のめり込み、大学を受験する際にも、渓流魚が多く生息する沢が存在する県の大学を選んだくらいだ。
 ところが大学の卒業が迫り、将来の仕事について考えなければならない時期に差し掛かってみると、釣りでは飯が食えそうもない。そこで僕は、やがて釣り竿をカメラに持ち換えることになる。
 そうして釣り竿を完全にカメラに持ち替えてしまった今では、滅多に釣りをすることはなくなった。特にここ数年は、釣りは、年に一度以下のペースになった。

 その魚釣りに、ここ最近立て続けに2度ほど出かけた。
 一度は弟と。そしてあとの1度は近所の子供を連れて。
 不思議なことに、ほとんど釣りをしなくなったって、久しぶりに竿を出してみると、以前よりも上手くなっているし、より多くの魚が釣れる。
 釣りも自然写真も一番肝心なのは自然を知ることであり、釣り竿を握ることがなくても、カメラを通して自然を知れば、それが釣果に結びつくようだ。
 自然を知ると書くと大袈裟な感じがするが、別に神業のようなことではなく、むしろ当たり前のことが当り前に見えるようになるのに過ぎない。
 釣りに夢中になっていた頃は釣りのセオリーや常識や知識に捉われ過ぎていて、自分の目で物を見て、自分で考えることがおそろかになっていたようだ。
 
 
 

2010.5.17〜20(月〜木) 心の処方箋

 僕は、組織の中の一員になるよりも、団体に属さずに、フリーの写真家として自分一人で仕事をすることを選んだ。
 組織や団体には、あまり興味がない。
 例えば、釣りを愛することと、釣り連盟に入会して連盟の活動をすることは、僕にとっては全く別のこと。釣りを愛することは自分の心の中の問題であり、一方で連盟に属することは、釣りというよりは社交である。
 写真学校だって、同じではなかろうか?写真そのものは別に自分一人でも身につけることができる。だが、学校に行けば、そこにはいろいろな出会いがあるに違いない。
 どちらが正しいなどと言いたい訳ではなく、僕はだいたい技術者型の人間であり、何をするにしてもそれを極めたいとは思っても、それを通して人と社交をしたいとは思わないのだ。
 
 では、他人がどうでもいいのか?と言えば、決してそんなことはない。仲間って、いいものだなぁと思う。
 つまり僕の中に、一人が好きという部分と、人と接したいと思う部分とが両方存在する。
 河合隼雄さんの著作によると、例えば社交の場に出ていくよりも一人が好きで、それに点数をつけるなら2対0のくらいの感じで確実に一人が過ごすことの方が上回っていると思っている人でも、実は心の深層の部分では51対49くらいの大接戦であり、かろうじて一人が好きな方が上回っている程度なのだそうだ。
 確かに同じ2点差でも、2対0と51対49とではかなりニュアンスが異なるし、サッカーの試合で2対0で日本代表が敗れたなら多くの人が完敗と言う感じを受けるだろうが、バスケットの試合で51対49なら大接戦であろう。
 ともあれ、人の心の中には相反するものが同時に存在するのが当り前であり、何か1つの気持ちだけが突出していることはあり得ないのだそうだ。
 
 さて、僕は自分が取材をされるのは大の苦手だが、今日は取材を受けることになった。
 取材を受けることは、弱い自分を正直にさらけ出すなら、避けたい気持ちが強い。内心、うじうじ、うじうじしてしまうし、それがあまりにみっともなくて、今の僕の心中を人には見せることができない。
 でも同時に、自然写真って面白いよとか、水辺っていいよとか、僕はこんなもの見てますよ、などと人に自分の思いを伝えたいという気持ちもあって、その気持ちは決して中途半端で弱いものではない。 
 よく考えてみれば、河合さんの著作に書いてある通りなのだ。
 河合さんの著草に興味をお持ちの方は、『こころの処方箋』(新潮社)あたりが読みやすいのではないかと思う。


 

2010.5.16(日) ボーッとする


NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)
Ai AF-S Teleconverter TC-14E II

 カメラを手にして写真を撮っている時ほど楽な時間はない。いったんシャッターを押し始めると、暑さや寒さだって忘れてしまうし無になれる。仕事をしている、という実感や充実感もある。
 逆に僕にとって辛いのが、ボーっとしている時間だ。こんなことしてて大丈夫か?という不安に取りつかれてしまい、どうも精神衛生上よくない。
 だが、そのボーっとする時間も、恐らくは不可欠な時間なのだと思う。
 何かを自分が考えているのだけど、その自分が考えていることに自分で気付くことができない。つまり何か具体的な思考に入る前段階が、僕の場合ボーとする時間なのだ。
 そして、その漠然とした不安にどれだけ耐えられるかは、どれだけアイディアを生み出せるかであり、僕の仕事の本質であるような気がする。
 だからボーとすると言っても、まったりしているわけではないし、僕にとってボーっとすることは、まったりすることとは対極にある。むしろ、人から見れば忙しそうに写真を撮っている時こそ、実はまったりしているのだ。

 

2010.5.14〜15(金〜土) 一眠り

 森林公園でのイノシシの撮影で何が大変か、と言えば、森の中に仕掛けてある自動撮影カメラを持ち去られたり、付近を通る人を驚かせないようにすることだ。何といってもすぐ近くには大きな繁華街があり、夜になれば人の姿は少なくなるとは言え、完全に人影が絶えてしまうわけではない。
 中には夜間に犬の散歩をする方もおられる。
 したがって、自動撮影カメラと言っても、僕は付近に待機しておく必要があり、イノシシが活動する夜の間中待っておくのは、やっぱり疲れる。
 特に今回の撮影で使用したイノシシの動きを検知するセンサーは、パッシブ赤外線式と言って熱を感知するタイプであり、しかも高性能で数十メートル先のものまでに反応するため、イノシシの通り道のずっと奥にある遊歩道を歩く人間までもを感知してしまう。
 つまり場合によっては、夜間に公園を散歩する人に反応し、森の中でいきなりピカッと照明器具が光るのだから、中には心霊現象か!と肝をつぶす人だって現れかねないし、それはあまりにも気の毒過ぎるだろう。

 以前は、アクティブ赤外線式のセンサーを使用していたので、その心配はほとんどなかった。
 と言うのも、アクティブ方式の場合、センサーは、赤外線を出す発光部とその赤外線を受ける受光部の2つのパーツで成りたっており、発光部と受光部の間を横切るものだけを検知する。したがって発光部と受光部をイノシシの通り道の両端にしかけておけば、その間を横切ったものだけをピンポイントで撮影できる。
 ただし、設置は少しだけ面倒になる。まずはイノシシの通り道の両端にセンサーを保持する三脚のようなものを立て、そにセンサーを取り付け、さらにセンサーからカメラまでコードを引っ張り、センサーとカメラとを接続しなければならないし、コードはイノシシに引きずられないようにしなければならない。そして、センサーやコードが写真に写らないように、カメラの構図などを厳密に決めなければならない。
 一方でパッシブ赤外線式は、熱を感知する1つだけのパーツで成りたっており、カメラと一緒にそのセンサーを三脚に取り付けておけば、その前を通るものをすべて検知してくれるし、設置は実に簡単だ。 
 ちょっと構図を変えたい時なども、三脚ごと向きを変えればいいので、短時間で自動撮影カメラを設置できる良さがある。
 ただし先ほども書いたように、カメラのすぐ前を通ったものから、数十メートル奥を通るものまで、すべて検知してしまう問題がある。


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) NX2

 さて、夜通しのイノシシの撮影が終わり、早朝一眠りしようかと思ったら、羽化をしそうなテントウムシの蛹があった。
 テントウムシの羽化の写真は、リクエストを受けているので撮影しなければならない。
 まあ、どんなに遅くても昼ごろまでには撮影は終わるだろう、腹をくくり、カメラの前に待機する。
 ところが、なかなか羽化は始まらず、結局、撮影が終わった頃には、もう一眠りするには遅すぎる時間になってしまった。
 ああ、そんなことなら、一眠りしておけば良かった。そしたら、眠りから覚め、寝ぼけ眼をこするとピクッと蛹が動き、羽化が始まり、あっという間に撮影が終わったのかもしれないのだ。
 一度くらい、そんな痛快な撮影をしてみたい。
 
 

2010.5.11〜13(火〜木) 自動撮影カメラ

 森の中にポンと置くだけで自動的にイノシシを撮影してくれる自動撮影カメラが完成した。自動撮影に必要なセンサーと照明器具とカメラを、一本の三脚にすべて取り付けられるようにしてあるから、カメラのセットはその三脚を持って現場に行き、それを置くだけであり、2〜3分もあれば十分だ。
 ただ、そうしてカメラの設置の手間を省く一方で、照明の質だけはある程度以上は落としたくないから、いろいろと思案した。
 まず、獣の自動撮影と言っても、僕の場合はそれによって獣の通り道である「けもの道」を表現したい訳ではないし、自動撮影という手法にこだわりがあるわけでもない。
 むしろ本音を言えば、イノシシを自分の目で見ながら写真を撮りたいくらいなのだが、相手は警戒心が強くて夜間にしか活動しない生き物であるため、仕方なくそうした手法を用いるのに過ぎない。
 したがって僕の場合、自動撮影ならばでの説明力のあるくっくりとした写真を撮る必要はないし、むしろその逆に、夜の森に半分溶け込むような、仮に自分がその場にいて肉眼で見ていたならこう見えるのでは、というようなイノシシの姿を捉えられれば、と思う。
  さて先日も書いたように、この場所は、昼間には常に誰かがいるような場所であり、下手をすると撮影機材などは持ち去られてしまう可能性があるので、カメラは昨日の夕刻7時過ぎ、辺りが薄暗くなってから設置した。
 カメラを設置後は、試しに自分が歩き、カメラが作動することを確認する。



CanonEOS30D EF20-35mm F3.5-4.5 USM ストロボ

 僕はこの公園にある水たまりにもう数年間通い続けており、ここで随分長い時間を過ごしたが、過去にイノシシの姿を見たのはたった1回だけ。それも、森の中を歩いている姿ではなく、森の一角にあるイノシシがねぐらにするくさむらを上から見下ろし、くさむらの中を移動するその背中を見たのに過ぎない。
 また、散歩にお越しになる常連の方々に聞いてみても、イノシシを見たという人は皆無だ。
 つまり、イノシシは、それなりに警戒心を持って暮らしていることになる。
 ねぐら以外では、イノシシとの遭遇は2回だけ。いずれも、夜間にニホンアカガエルの産卵の撮影中で、イノシシが水たまりに近づいていくる足音と、そこで写真を撮る僕に気付いた際の「ブー」という鳴き声を聞いた。時間はいずれも丑三つ時であった。
 ところが、昨晩一番最初にカメラの前を通ったイノシシは、僕がカメラを仕掛けてからわずか30分後であったことには驚かされた。
 また、僕の予測よりも大きなイノシシが生息していることがわかった。


CanonEOS30D EF20-35mm F3.5-4.5 USM ストロボ

CanonEOS30D EF20-35mm F3.5-4.5 USM ストロボ

 その後は、親子づれや比較的小さなイノシシの姿が多数あり、これまた、僕の予測よりも多くのイノシシがここに住んでいるようだ。


CanonEOS30D EF20-35mm F3.5-4.5 USM ストロボ

 そして1枚だけ、毛が濡れていいて、水か泥を浴びた後と思われる写真があった。しかも、毛の色が赤く、艶が凄い。
 これは嬉しい!
 
 次は、水たまりとイノシシの関係をもっと直接的に見せる写真、つまり、水たまりでイノシシが泥を浴びるところを撮りたいのだが、過去には、水たまりにカメラを仕掛けると、なぜか、イノシシはやってこなくなった。
 果たして、次回はうまく撮影できるだろうか。
 今は、春雨の影響で、イノシシが泥浴びをするには水たまりの水量は多過ぎるが、代わりにその水の中で、カスミサンショウウオやニホンアカガエルのオタマジャクシがスクスクと成長中だ。
 彼らの体に手足が生え、上陸し、やがて梅雨が明けると、水たまりの水量は次第に減り、またイノシシが泥を浴びにやってくるから、今回準備した、ただ置くだけの横着な自動撮影カメラで、できれば、イノシシが家族で泥を浴びているようなシーンを撮影したい。
 
 
 

2010.5.8〜10(土〜月) 続・痕跡

 町の公園でイノシシを撮影するための準備。
 その場所でイノシシが活動をするのは夜間のみであり、撮影の方法はセンサーを使用した自動撮影になるが、先日も書いたように、そこは多くの人が訪れる場所であり、カメラを数日放置しておくようなやり方ができにくい。
 そうなると、夕刻に人の姿が途切れる頃にササッとカメラを設置し、翌朝、人がやってくる前にササッとカメラを回収する方法しか思い浮かばないのだが、現在僕が使用している自動撮影の道具は、最初にじっくりと時間をかけてカメラを設置した上で、あとは数日間カメラを放置して生き物の出没を待つシステムであり、短時間でカメラをセットするには、道具が多少ややこし過ぎる。
 どうやら、まずは道具の検討から始めなければならないようだ。

 実は以前、その多少ややこしすぎる道具を使って、その場所でイノシシの撮影を試みたいことがあるが、そこにはやっぱり無理があると感じた。
 できれば、一本の三脚にカメラも照明器具も、そして動物の動きをとらえるセンサーもすべて取り付けられていて、その三脚を森の中にポンと置くだけで自動撮影が始まり、カメラの設置は2〜3分もあれば十分というような横着なやり方が好ましい。
 一方で、そうしてカメラの設置時間を短くしながらも、なるべく写真の質が落ちないようにしたい。
 そんな横着でかつ上質な写真が撮れるような道具があったら、痛快やろうなぁ。
 明日は、そのために揃えた小道具〜カメラなどを一本の三脚に取り付け、自分がイノシシになりきり、カメラの動作を試してみる予定だ。
 
 
 

2010.5.7(金) 痕跡


NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 遊歩道ぎわの落ち葉をイノシシがほじくり返した跡がある。そしてこの遊歩道の奥には、僕がカメラを向け続けている森の中の水たまりがある。
 季節によって、水たまりの水が少なくなると、夜、イノシシが泥を浴びにやってくる。だからその様子を自動撮影カメラを数日間放置した上で撮影したいのだが、この場所には毎日多くの人がやってきて常に誰かがいるような状態なので、カメラを放置することができない。
 おそらくカメラを放置したら、あっという間に持ち去られてしまうだろう。
 今年は雨の日が多かったので、今水たまりの水量は、イノシシが泥を浴びるには多過ぎるようで、ここのところはイノシシが泥を浴びた痕跡はない。
 だが、何をしにきているのだろう?水でも飲みに来ているのだろうか?水たまりの岸辺には毎日のように新しいイノシシの足跡がある。
 何とかして、この場所のイノシシを撮りたい。
 僕は、その水たまりで撮影をするたびにいつもイノシシの痕跡を探すのだが、次第に小さな数々の痕跡結びつき、点が線になり、イノシシの姿が目に浮かぶようになってきた。
 そうなると、益々写真に収めたい。
 何か上手い作戦はないものだろうか。唯一考えられるのは、毎日夕刻暗くなってからカメラを仕掛け、翌朝、明るくなる前にそれを回収することを写真が撮れるまで繰り返す方法だが、スマートじゃないんだなぁ。
  

 

2010.5.6(木) 趣味か仕事か

 仕事と言えば、数年前のことになるが金魚の撮影を依頼され、数種類を購入した上で、その写真を撮った。そしてその際に記事を書くために金魚について調べているうちに、僕は金魚に興味を感じるようになった。
 元々は、人の手で品種改良された金魚がむしろ嫌いだった。生き物が好きと言っても、それは野生の生き物の話であり、品種改良された生き物には興味がなく、金魚にのめり込んだことは、むしろ自分自身でも予想外のことだった。
 ともあれ、趣味だった写真を仕事にした結果、趣味を失った僕にとって、金魚は久方ぶりの趣味であり、ここまでは大変に良かった。

 ところが迂闊にも、その趣味のはずの金魚を、写真撮影の仕事を結びつけてしまった。金魚を撮影して本を作ることにしたのだが、これが大きな間違えだった。
 そららの撮影の際に飼育をした金魚は、全部で数千匹にものぼり、その世話と同時進行で進めた撮影の大変さに打ちのめされ、疲れ果てしまったのだ。土台、数千匹の魚を一人で世話するなど、無茶な話だったのだ。
 ただ、その金魚の撮影も昨年の冬に終わり、僕は自由の身になった。

 さて、撮影の際に育てた金魚をどうしようか?せっかく趣味になりかけた金魚だったが、昨年までの苦労を考えると、正直に言えば、しばらく金魚は見たくなかった。
 そこで、まずは一部の特に質の高い魚を除き、ペットショップに引き取ってもらうことにした。

「僕が繁殖させた金魚をもらってくれません?」
「喜んで。」
「これなんですよ。今日はこの容器に入る量しかもってきてないけど、まだまだたくさんいるので、ちょくちょく持ってきます。」
「どれどれ・・・、おおっ、これ凄いじゃないですか!これなら1匹3千円で売れますよ。これもらっていいんですか?」
「はい、売ってしまってください。」
「いやいや、大したもんですよ、武田さん!代わりに今日入荷したばかりのいい金魚がいますから、持って帰りません?」
「いえいえ、買う場所と手間が・・・」

 金魚をショップに持ち込んだ時点では、いずれ大半の魚を処分するつもりだったのに、褒められてしまったものだから、その一言で逆に、またまた金魚熱に火がついた。
 そしてまた、せっせと飼育に励むのである。
 ただ、何か飼い方に工夫をしなければ、世話に時間を取られ過ぎ、撮影の仕事にひどく差し障る。
 当面、これまではすべての飼育容器に魚を入れていたのを改め、容器のうちの半分は、ただ水を張っておくだけにした。
 そうしておけば、水が汚れて急を要する際には、魚を網ですくって隣の容器に移すだけでいい。
隣り合った容器なら、水温だってほとんど違わないし、以前のように水温を調整するのに時間を要することもない。
 汚れた容器の水換えは、撮影に差し障らない暇な時にすませればいいだろう。 
 

 
 
 

2010.5.4〜5(火〜水) 仕事

 先日のトンボの撮影から一転して、今度はコテコテの仕事。自分が撮りたいものを撮りたいように撮るのではなく、依頼されたシーンを、相手の依頼にこたえるように撮らなければならない。
 実は、今回の仕事は内心それほど難しくはないと思っていたので、たくさん写真を撮り、その中からどれかお好きなものを・・・と選んでもらうつもりだった。
 ところが実際に取り組んでみたら、思いつく限りのことを試してみても、どうしてもカメラのファインダーのなかに納得できるような像が描けず、僕はただひたすらに試行錯誤。
 結局、たくさん写真を撮るどころか、恥ずかしながら、たった1枚だけ見せられるような写真が撮れたに過ぎなかった。
 それにしても、依頼にこたえるとは、なんと難しいことか!
 撮影で何が難しいって、人から求められるイメージ通りの写真を撮ることほど難しいものはない。

 そう言えば、僕は一時期FAX恐怖症に取りつかれていた。
 こんな写真を撮ってください、とFAXが送信されてくるものの、いつもどれも大変に厄介な撮影ばかりで、それらをみると、随分気分が重たくなったものだ。
 しかし、良く考えてみれば、それはごく当たり前のこと。簡単ではない撮影だからこそ、わざわざ、撮影してくださいと依頼(特注)されるのであり、簡単に撮れるような写真なら、市場を探せば、すでに誰かが撮影した写真(既製品)が見つかるだろう。
 依頼される、というは、奴なら撮れるのでは?と思ってもらえている証しでもあり、依頼の中身が難しければ難しいほど、嬉しくもある。


 

2010.5.2〜3(日〜月) トンボ愛好家のみなさんと


 NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX
 ある池のほとりにて。


 NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX
 まだ午前6時台だというのに、すでに数台の車が到着しており、中から怪しげな連中が降りてきた。


 NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX
 連中は、何やら情報交換に忙しい。
 早朝の光はドラマチックで、物の見え方が実に美しい。だが彼らは、カメラバッグを背負っているにも関わらず、そのドラマチックな光の元では写真を撮ろうとせずに、スナップ写真を撮る僕のカメラのシャッター音だけが響く。


 NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX
 そして、真剣なまなざしで池を見つめる。
 彼らは、トンボ愛好家のみなさんだ。

 僕は、いろいろと事情があり、普段は土曜〜日曜日が自由になりにくいのだが、ゴールデンウィークと重なった今週に関しては世間の事情が普段とは異なり、運よくこの集りに参加することができた。
 僕自身は、マニアックな世界の人間ではないし、マニアックなことを理解できるようなセンスもない。
 だが、そうした世界を見せてもらうことは大好きだし、楽しいと思う。
 ところで、僕のホームページはリンクフリーにしてあるので、見ず知らずの方がリンクをしてくださっていることがあるが、それが例えばトンボマニアの方のホームページだったりした時には、
「マニアックな人にも、僕の活動が理解してもらえた!」
 と何だか愉快な気持ちになる。
 また、トンボの活動が盛んな季節には、愛好家の方々が集うインターネット上の掲示板に、何か書き込みがなされるのを楽しみに思う。
 そして、そこでいつも見かけるHN(ハンドルネーム)の方々に対しては、いったいどんな人なんだろう?と興味もある。
 HN・ネギトロさんの場合なら、お寿司屋のおやじさんみたいな雰囲気で、いらっしゃいなどと威勢良く挨拶されそうだ。HN・おーたむぐっどさんは、autumn(オータムン)がグッドなのだから、秋が好きなちょっと憂いのある方に違いないなどと、会ったことがない人の顔つきまでもが、もう決まっているのだ。


 NikonD700 Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX
 さて、岸辺へと向かう。


 NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 300mm F4D(IF)
 この場所で最も特徴的なトンボは、ベッコウトンボ。よそでは、あまり見ることができない。



 NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX
 活動的で、敏感ですばしっこくて、青空とお日様の光がよく似合う。
 

 NikonD3X SP AF70-200mm F/2.8 Di LD [IF] MACRO
 こんな時観察すべきは、自然だけでない。僕は、トンボの専門家の撮影の様子を観察し、トンボの専門家にもカメラを向ける。
 トンボを専門的に撮っておられる方がおられるのだから、トンボの写真はそんな方に任せておけばいい、という考え方もある。
 だが、専門家には撮れない写真もあるに違いない。
 
 
 

2010.5.1(土) 更新のお知らせ

4月分の今月の水辺を更新しました。

   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2010年5月分


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