撮影日記 2010年1月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2010.1.30〜31(土〜日) お知らせ

今月の水辺を更新しました。
 
 

2010.1.28〜29(木〜金) ブラインド


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)
Ai AF-S Teleconverter TC-14E II

NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)
Ai AF-S Teleconverter TC-14E II

NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)
Ai AF-S Teleconverter TC-14E II

 車に必ず積んでいるにもかかわらず、もう数年間使用していない道具がある。それは、俗にブラインドなどと呼ばれている野鳥撮影用のテント。
 積んでいるけど使わない、というよりは、使わないけど積んでいたい、と書いた方がいいだろう。僕は、元々は野鳥専門の写真家になろうと思っていたので、その時のこだわりがそうさせているのだと思う。
 目の前にカワセミが飛んできたりすると、つい、ブラインドの中に身を潜めてカワセミをじっくり撮影したい、という思いが込み上げてくるが、今はこの冬に発売される予定の本のための撮影があるから、計画的に撮影を進める必要があって、それどころではない。
 僕は、あまり思い出に浸るタイプではないし、あまりさみしがりでもないし、むしろ古いものはバッサバッサと切り捨ててきた。ところが、野鳥撮影に対する思いだけは特別であり、なかなかそうできない場合が多い。
 

 

2010.1.26(火) 忘れ物

 熊本へと向かう高速道路上で、ウエストポーチを積み忘れたことに気がついた。ポーチの中にはカメラの予備の電池と記録メディアが入っているのだからこれは痛い!いずれも、たくさんの写真を撮る時には非常に重要なものだ。
 がしかし、現場で、撮影中に電池が切れたり記録メディアが満タンになり、その時に初めて忘れものに気付いて、慌てふためき絶望するよりは良かったと考えることにしようか。
 まずは最寄りのパーキングエリアに車を止め、カメラに今入っている電池を取り出し、それを運転中に満タンになるまで充電することにした。そんなこともあろうか、と充電器はいつも積んだままにしてある。
 今回の取材ではニコンのD3Xを使用するのだが、D3Xは電池の持ちがいいので一度フルチャージにさえしておけば、恐らく電池交換をする機会はないだろう。熊本での撮影は、わずかに明日までの、たった一泊の予定なのだ。
 もっとも、そんな短期間の撮影だからこそ、油断をして忘れものをしてしまったのだが。僕は忘れ物が多いタイプなので、いつもは必ず機材のリストと実際に車に積み込んだものとを照らし合わせて点検をするのに、それを怠ってしまった。
 明日の晩からは雨が降るというので北九州に引き返し、明後日は北九州の水辺に向かう。こちらは、先日も書いたが、雨の時に撮りたいものがある。
 先週も全く同じような天気予報だったのだが、共倒れにならないように熊本行きを中止し、北九州の水辺一本に的を絞ったら、結局大した雨が降らず共倒れになってしまった。そこで今週は、二兎を追ってみることにした。





NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)

 今日は熊本で、まずは軽い気持ちで試し撮りをしてみた。 
 今朝熊本へと向かう前に、イノシシが泥浴びをする湿地へと出かけ、セットしている赤外線センサーを回収しておいた。その場所は雨が降ると水がたまるので、センサーが水没してしまう恐れがあるのだ。
 そこが湿地の撮影の難しいところで、自動撮影と言えども、雨の予報に合わせて道具を回収する必要があるし、いつでもそれが可能な場所に自分がいなければならないのだ。
 
 

2010.1.24〜25(日〜月) イノシシ

 先日イノシシが泥を浴びる湿地に仕掛けておいた赤外線センサーを確認してみたら、センサーに取り付けてあるカウンターの数字が進んでいることが分かった。つまりイノシシはやってきた。泥浴び場のイノシシは、カメラを設置すると来なくなるが、センサーだけを設置した場合には確実に現れる。
 そこで今日は、センサーに加えて照明器具を固定するための三脚を置いてきた。そうして1つずつ物を増やし、何を置いた場合にイノシシが来なくなるのかを確かめる予定だ。三脚の次は、故障して使えなくなったカメラを置く予定にしている。
 放置しておいた赤外線センサーには、イノシシがいたずらをした痕跡があった。鼻でつついたのか、ひどく泥で汚されていた。僕が普段よく撮影している小動物たち、すなわち魚やカエルやカタツムリや昆虫や・・・・の中にはいたずらをするようなものは存在しないわけだが、イノシシとのやり取りには他にもいろいろと思いがけないことが多く、とても新鮮な感じがする。
 また、僕は基本的には自分の目で見ているものを撮りたいのだが、センサーを使用した自動撮影の面白さも少々わかってきた。
 その面白さとは、想像である。獣の足跡などの痕跡を1つ1つ丁寧に読み取っていくと、想像の中に動物たちが姿を現せてくれるのだ。
 
 

2010.1.21〜23(木〜土) 隠れ家



 天気予報が、「雨が降る」というので、その雨を期待して予定していた熊本取材を中止してまで出かけた北九州市内のとある水辺。だが残念なことに、雨はお湿り程度の量しか降らず、北九州で予定した撮影もできなかった。
 仕方がないので辺りをウロウロしていたら、イノシシの隠れ家を見つけた。僕がいま取材をしている水辺には水量が少なくなるとイノシシが泥浴びにやってくることは、以前にも書いたことがあるが、そのイノシシの姿を、この場所で自分の目で見たのははじめてのことだ。
 下草が少ないよく整理された森なので、イノシシはいったいどこに隠れているのだろうと不思議に思っていたのだが、上の画像のくさむらの中に昼間は潜んでいるようだ。この場所は、みんなが散歩をする空間のど真ん中なのだ。
 雰囲気的には、放置されて草がぼうぼうになった田畑に近い。
 くさむらの中を見てみたいのだが、近づくと鼻息で威嚇する音が聞こえてくるので見ることができない。
 僕の経験的には、天気の具合などで予定の撮影ができずに手持無沙汰になった時には、何かいい発見がある場合が多い。多分そんな時には、いつも探さない場所やいつも行かない場所に行ってみるなど、普段の自分の行動から外れた動きをするからだと思う。
 逆に、自分がすでに知っている物や狙って撮影できるものしか盗らなくなってしまうと、それ以上世界が広がらなくなり、何となく写真がつまらなくなってしまう。「やる気があるのに体がついてこん」、の状態になりがちだ。
 僕の身の回りの人のことを考えても、自分の足で、自分の目で新しい場所をどんどん開拓しようとする人には、とても楽しそうに写真を撮る人が多いように思う。
 


 すぐ近くにはイノシシが泥を浴びる湿地も見つかった。そこでさっそく自動撮影カメラをしかけてみたのだが、翌日カメラを確認してみたら、イノシシの姿はなかった。湿地と隠れ家の距離はごくわずかなので、もしかしたら簡単に写ってくれるかもしれないと思ったのだが、やはりそんなに甘くはないようだ。
 しかたがないので赤外線センサーだけを残し、カメラはいったん回収。泥浴び場のイノシシは、不思議とカメラをセットするとその日から来なくなるのだが、赤外線センサーは全く嫌がらない。赤外線センサーからの情報はちゃんとカウントされるしくみになっているので、まずはカメラはセットせずに、イノシシの出没の具合だけをしばらく様子見してみようと思う。
 上の画像はセンサーを固定するための雲台と、その雲台を固定するための金属金具だ。この金属金具をネジで倒木に固定する。
 以前は三脚を使用していたのだが、この場所は人がたくさん訪れる場所なので三脚だと盗られてしまう可能性がある。その点金属の金具なら、盗られたところで大したダメージはないし、赤外線センサーはほとんどすべての人には操作方法も用途も理解できないだろうし、盗りたくなるような代物ではないだろう。また、そのセンサーをカメラに接続できるほどの知識を持っている人なら、おそらく人の物を盗るようなこともしないのではなかろうか?

 

2010.1.19〜20(火〜水) 姿勢

 曇りの日に一般的な風景写真を撮る場合は、カメラを水平よりも下向きに構え、空を画面に入れないようにすることが多い。曇り空が写真に写ってしまうと、画面が重たくなったり、しらけてしまうから。
 ところが水辺の場合は、どんなにカメラを下に向け空が画面に入らないようにしても、水面が鏡の役割をしてそこに曇り空がうつってしまうからどうにもならない。つまり水面が画面に入るようなシーンの場合、写真の良し悪しは天気に大きく左右され、言うまでもないが撮影には晴れの日が適するケースが多い。
 また、水辺の生き物には雨の影響を受けて活動をするものが少なくない。そう言う意味でも、水辺での撮影はやっぱり天気の影響を大きく受ける。その場合は、雨を待ち望むことになる。
 僕が普段撮影の際に気にすることと言えば、8割方くらいは気象と水の量のことだ。
 さて、週間の天気予報を見て、今日は晴れるだろうと思い込んでいた。そこで昨晩のうちに熊本県の水辺へと向かっていたら、その車内で天気が崩れることを知り、急きょ引き返すことになった。天気が悪いのなら、北九州の水辺で撮影したいシーンがあった。
 ところがせっかく引き返したにも関わらず、今朝の北九州は青空が顔をのぞかせており手持無沙汰。天気予報って、もうちょっと精度があがらないものだろうか?
 そこで今日はしかたがないから、車内の改造に励んだ。具体的には、車の中でのパソコンの置き場を検討してみた。

 以前は何をするにしても少々姿勢が悪かろうか、そんなにそれが苦になることはなかったのに、近頃は姿勢が悪いとたいそう堪えるようになってきた。そして最近特に気になっていたのが、取材時の車の中でパソコンの操作だ。車の中でパソコンを扱うことを思うと、それが苦痛で出かけたくなくなるほど気になりだしていた。
 これまでは車内に設置したベッドの上に正座をしてパソコンを扱っていたのだが、僕は元々地べたに座るのがあまり好きではなく、できれば椅子に座ったような状態で操作をしたいと思っていた。
 理想は、車内に事務所顔負けのがっちりとしたパソコンデスクと椅子があり、車の走行中も、せいぜいバンドか何かで固定する程度でそこにパソコンを置いたままにし、使いたい時には電源を入れるだけですぐに使える、というのがいい。
 が、車の中ではいろいろと制限が多いから、なかなか思い通りにはいかないわけだが、工夫をして、可能な限り実現してみようと思う。その検討は、まだ頭の中で工作をしている段階であり、具体的ではない。
 それにしても、以前はちょっとした姿勢なんかそんなに気にならなかったのに、最近は姿勢の良し悪しなどが気になりだしたのはなぜだろう?年をとってきたのかな?
 そう言えば、子供の頃、学校でよく姿勢を注意されたものだ。そして、注意をする先生には年配の先生が多かったように思う。
 

NikonD3X SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE

 

2010.1.15〜18(金〜月) ゆかいな仲間たち

 ここ数年、共同で写真展を開催している野村芳宏さん西本晋也さんに、西本さんの小学校時代からの友人で生物ビデオの達人太田さんを加えて近所の焼肉屋さんへ。
 自然写真って面白いなぁ。
 いや、自然写真を撮っている人って面白いなぁ。
 来年はトンボの企画を1つ成立させたいと考えているのだが、そのためにはどうしてもクリアーしなければならない撮影があり、その撮影に関してみなさんに相談してみたら、太田さんが実に適任であることが判明し、手助けをしてくださることのこと。
 非常にありがたい。

 野村さんは元々は学校の先生をしておられたのだが、数年早めに退職をして、今は自由の身で主に野鳥の写真を撮っておられる。
 みんなで開催している恒例の写真展については、いったいどんないきさつで始めたのだったかを僕は忘れてしまいあまりよく覚えていない。が確か、野村さんが退職までして写真を撮るのならやっぱり何か発表の場があった方がいいし、一人で写真展を開催するのが大変なら、僕も参加をして一緒にやりましょうか!というようなきっかけだったと思う。
 野村さんはとても慎重な方で、写真にそれが表れる。
 そこで、野村さんとは逆に大変に大胆で積極的な西本さんにも声をかけてみた。写真は、慎重に考えながら撮影しなければ上達しない側面もあるが、逆に考えるよりもバシャバシャ撮影しなければ上手くならない面もあり、うまくなろうと思うならそのバランスが取れていることが肝心。
 だから、西本さんの積極的なスタイルが野村さんの参考になるのではなかろうか?と思ったのである。
 また、野村さんが普段撮影しておられる野鳥の場合、鳥が狙った枝に止まってくれるのを身を隠して待つなど、写真撮影と言ってもカメラを操作しない時間がどうしても長くなる。
 そしてその間はただ待っているのだから、なかなか写真が上手くなりにくい。
 その点、西本さんが得意としているトンボの撮影なら、いい場所に行けばウヨウヨトンボがいて山ほど写真を撮れるし、飛翔中のトンボにさっとカメラを向け、すばやくピントを合わせてシャッターを押すなどという行為を、わずか一日でも何度も何度も繰り返すため当然カメラをたくさん操作することになり、写真の上達も早い。
 僕が思うに、トンボをひと月撮影すれば、野鳥を10年撮り続けるよりも、カメラの扱い(被写体をカメラのファインダーの中で捉える〜ピントリングを回しピントを合わせる〜素早くシャッターを押す)は上手くなると思う。
 だから、西本さんのトンボの撮影に時々野村さんが一緒に同行するなどすれば、とても楽しいのではないかと考えたのだ。
 そんな思いもあって一緒に始めた写真展なのである。

 

2010.1.14(木) 三脚


NikonD700 AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

 日本の自然関係の出版物は四季にこだわり過ぎているのではないか?と思うことがある。確かに、四季を盛り込むことによって起承転結やリズムが生まれるが、逆に見事にパターンにはまってしまい、どれも同じような本になってしまう嫌いがある。
 とは言え、日本の生き物は四季に適応して生きているのであり、その生態を紹介しようと思うならば時にはやはり冬も必要だし、そこで雪景色がでてくることに僕は何の異存もない。
 特に九州の平地の場合、秋と冬の景色には大差はなく、ある一枚の風景写真を見せられた時に、それが秋なのか冬なのかを区別することは難しい。
 そこでやはり何か冬を象徴するシーンが必要になり、雪にカメラを向けてみる。僕が故郷で雪にカメラを向ける場合、雪は雪そのものを見せたい訳ではなく、冬の寒さを表現するための存在なのだ。

 水辺の生き物を撮影のテーマに選ぶと、シーズン中は三脚が乾く暇がない。三脚を選ぶ際に一番重要なことは、カメラをしっかりと支えられるだけの丈夫さであり、可動部分の機密性が高い三脚であればあるほどそれは丈夫な三脚であると言えるが、一方で機密性が高い三脚には、可動部分から入り込んだ水が乾きにくいという弱点もある。
 そもそも三脚という道具は、水という存在をあまり頭に入れずに作られてるような節がある。
 いやいや、もしかしたら僕の使い方が極端なのかもしれない。時には三脚のほぼ全体を水中に沈め、わずかに先端だけを水面上にのぞかせそこにカメラを取り付けて使用することもあるが、そんな使い方をしているとすぐに可動部分の油がきれてしまうし、三脚はひどく劣化してしまう。
 三脚と言えばとても単純な道具だが、水辺をテーマにする僕にとって三脚選びはなかなか難しく、これでいい!と思えるような三脚には、まだ出会ったことがない。
 
 さて、水の中では三脚の安定性が悪くなるので、時には三脚を地面にグッと押し付け、地中にめり込ませた状態で使うこともある。
 だがその後三脚を引き抜いてみると、足の先端のゴムが地中に残り、無くなってしまうトラブルがたまにある。
 いつもはだいたいすぐに気がつき、外れたゴムを回収してあとで接着剤で固定し直すのだが、昨日は足の先端に泥のかたまりが付着していたのでゴムの落下に気付くことができなかった。
 このゴムは、三脚のモデルチェンジに伴って、全く同じ形のものは今では手に入れることができない部品だと思われるのだが、幸いなことにうちにその部品があったので、それを取り付けることにした。
 メーカーでもあるまいし、三脚の部品があるなんておかしなことだと感じる方もおられるだろうが、僕が愛用しているジッツオ社の三脚の場合、多くのモデルで部品が共通になっており、他のモデルの部品が別の型番の三脚につくことが珍しくない。そして、長くジッツオ社の製品を愛用し、たくさんジッツオの三脚を持っていると、中には誤って車で踏んづけて壊してしまった三脚などもあり、そうした残骸を何かのために取っているのだ。
 

画面一番上の足の先端のゴムがなくなっている

 

2010.1.13(水) 寒波

 事務所の駐車場を出て最初の突き当たりを右折し、その後道なりに進むと、国道3号線に突き当たる。相手は大通りであり大抵はこちら側の信号が赤なので、そこでしばらく停車することになるが、今日はその1つの信号を曲がるのに、僕は信号の先頭で待っていたにも関わらず、30分近くの時間を要した。
 九州北部は雪と低温による路面の凍結で都市高速が通行止めになり、一般道路は大渋滞であった。
 撮影に向かっていた僕は癇癪を起こしそうになり、もう帰る!と引き返すことを考えるが、事務所の方向へと曲がることができる最初の交差点に差しかかるまでに、さらに数十分。
 いつもなら車で5分の距離だ。
 仕方がないのであきらめ、いつになってもいいや、とやっぱり撮影に向かう。 
 例年であれば、この時期は冬の北日本取材に向けての準備を整えているところだが、今年はいろいろと訳あって出かけることができない。ここのところの3週間ほども、ちょうど小中学校の冬休みのタイミングに合わせてどうしても留守をできない用事があり、全く写真を撮っていない。これだけ長い期間生き物の写真を撮らなかったのは、恐らく僕が写真を始めて以来初めてのころだろう。
 だが今日は、ようやく久しぶりに、カメラを持って撮影に出かけることができた。


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
 あとひと月もすれば、冬眠中のニホンアカガエルやカスミサンショウウオがいったん目を覚ましてこの場所に集まり、産卵をはじめる。


NikonD3X SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE + 1.5テレコン
 どこか、落ち葉の下でカエルやサンショウウオが眠っているにちがいない。


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

 さて、例年冬に一ヶ月ほどの長期取材に出かけていたのには訳があり、その訳とは、不自由を体験するためだ。
 たとえば車で寝泊まりをする取材の場合、お風呂は温泉を利用するのだが、その場合温泉には営業時間があるから入浴ができる時間は限られているし、温泉の場所だってどこにでもあるわけではなく毎日探さなければならない。一ヶ月もそれを繰り返していると、いい加減に自宅の風呂に好きな時間に入りたいなぁと思うようになる。
 温泉っていいなぁなどと思うのは最初のうちだけで、やがて、いつでも好きな時間に入浴できることは、とても便利なことなのだと気付かされる。自宅のお風呂には定休日もない。
 コンタクトレンズを1つ洗うことだって、車の中ではとてもめんどくさい。
 パソコンだって、田舎で、しかも車の中ではインターネットの接続に苦労させられることも珍しくない。すると、常時接続で高速回線を使用できることの便利さを改めて思う。僕はパソコンがあまり好きではないのだが「パソコン嫌い!」とか「液晶画面嫌い」などというのは一種の贅沢ではないのかとさえ思えてくる。
 食事だってそうだ。時には、夕方を過ぎるとすべてのお店が閉まってしまい食べ物を入手出来ない場所だってあるし、そんな場所でしばらく写真を撮ると、いつでも食べ物が買えるって便利やなぁとじみじみ思う。
 そして便利やなぁと感じるのと同時に、今度は普段の自分がいかに楽チンで横着な暮らしをしているのかを思い知らされ、なのに自分はさらなる横着を求めていることに気付かされるのである。
 こんな豊かな時代に、少々のことではメンドクサイとかキツイなどとは口にできないな、と僕は年に一度だけ深く反省するのだ。
 それを体験するために僕にとって最低必要な時間が一ヶ月。だからその間は、ただ単に写真が撮れればいいわけではないのだ。

 

2010.1.12(火) SB-R200(後編)

● 撮影機材の話
 キヤノンのマクロツインライトMT-24EXに関しては、随所に見られるその工夫にとにかく感心させられるのだが、ストロボ用のリングをレンズへ取り付ける方式も、なかなか優れていると思う。キヤノンの接写用のレンズ EF100mm F2.8 マクロ USM や MP-E65mm F2.8 1-5× マクロフォトの先端部分には最初から溝があり、そこに直接リングを取り付けることになっているのだ。
 他社の製品の場合は、リングを取り付けるための部品をまずはレンズ先端のフィルター枠にねじ込み、そこにさらにリングを取り付けることになっているのだが、その取り付け用の部品がふとした拍子に緩んでしまったり、逆に、強く締め付けると取れなくなったりするのである。野外での撮影中に、ねじ込んだ部品が取れなくなる、というのはなかなか腹が立つトラブルなのだ。

・使いやすいキヤノンのリング

・レンズの先端の溝

 ただし、あらかじめレンズの側に溝を準備しておくキヤノン方式にはデメリットもある。
 それは、メーカーがレンズを設計する際に、その溝を必ず設けなければならないのだから、より径の大きなレンズなどを作りたい場合には妨げになってしまうこと。実際キヤノンの場合も、最新の手ぶれ補正付きのマクロレンズではレンズの直径がより大きくなったのか、この溝が刻まれていないようだ。



 そこで、キヤノンの新しいマクロレンズを使用する場合は、まずレンズのフィルター枠にマクロライトアダプター67という部品をねじ込み、そこにストロボ用のリングを取り付ける(他に、180マクロ用のマクロライトアダプター72Cという部品もある)。



 そのマクロライトアダプター67を、67→62のステップアップリングを介してニコンの接写用のレンズ・AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)に取り付けてみた。
 上の画像のカメラはニコンD700だが、D700には内蔵ストロボがあり、その内蔵ストロボをコマンダーとして使えばSB-R200を発光させることができるのだから、ストロボのコントローラー部分が不要になり、荷物を減らすこともできる。
 これで、ニコンとキヤノンのいいところ取りが完成したことになる。
 唯一問題があるとするならば、ニコンのストロボSB-R200は、キヤノンのマクロツインライトMT-24EXの発光部よりもやや重たいので、レンズ先端がやや重たくなってしまうことくらいだろうか。

 

2010.1.8〜11(金〜月) SB-R200(中編)

● 撮影機材の話
 ストロボとは、カメラ専用の照明器具のこと。ビデオや家庭で使用される照明との違いは、常に光を出すのではなく、カメラマンがシャッターを押したその瞬間にだけ、一瞬ピカッと光を発するところ。一般的には、ストロボはカメラの上部に取り付けることになっており、そこから被写体を照らしだす。



 だが、小さな生き物を専用に撮影するストロボに関して言うと、ストロボ本体と光を発する発光部がコードでつながれた別々の部分に分かれており、発光部を、カメラではなくてレンズの先端に取り付けるタイプのものもある。
 上の画像はそうしたタイプのキヤノンのストロボ (マクロツインライトMT-24EX) で、光を発する発光部が2つあり、その2つの発光部を丸い輪っかのような部品に取り付け、さらにその丸い輪っかをレンズ先端にはめ込むようになっている。
 キヤノンのマクロツインライトMT-24EXに関して言えば、丸い輪っかのあたりの部品がとてもよく出来ていて、いったい誰がこれを設計したのか、僕としては、設計者に会ってみたいくらいだ。



 そこで、この良くできた部品をニコンのカメラでも使えないかと先日から小さな工作を重ね、上の画像のように、ニコンのストロボをキヤノンの部品に取り付けることができるようになった。ニコンとキヤノンとはストロボの形状が異なるため、まずはニコンのストロボをキヤノンのストロボの形状に変換するアダプターを作成したことは、前回書いた。


こちらは、キヤノンのストロボ

 こちらはニコンのストロボ

 そして、ニコンをキヤノンに変換する自作アダプター(表=ニコンのストロボの形状)

 ニコンをキヤノンに変換する自作アダプター(裏=キヤノンのストロボの形状)

 このアダプターをニコンのストロボに取り付ければ、キヤノンの良くできたリング状の部品にニコンのストロボを取り付けられる。
 ただし、ここで1つ問題が生じる。というのは、ニコンのストロボはワイヤレスであり、コードでストロボ本体と結合されていないのだ。ワイヤレスはコードが邪魔にならないから使いやすいが、もしも発光部がリングからうっかり外れてしまったなら、ストロボは地面に落ちてしまう。また、コードで接続されているキヤノンの場合、電源は本体から供給されるから発光部は軽いが、ニコンの場合は発光部に電池が収められており、より重たくて落下などのアクシデントがおきる可能性は高いだろう。
 特に僕の場合は、ニコンのストロボを自作の変換アダプターによって無理やりキヤノンの部品に取り付けるのだから、その危険性が高くなる。そして僕の場合さらに悪いのは、水の中に立ち込んで写真を撮っている時間がとても長いので、その場合はストロボが水没し、一発でオシャカになってしまうことだろう。



 ならば、とキヤノンのストロボをよく見てみたら、ストロボの一部に、2つの小さな四角いくぼみがみつかった。キヤノンのストロボはリングに取り付けた際にはロックがかかり、うかつに落下しないようになっているのだが、このくぼみはロックを受け入れる鍵穴の役割を果たしている。 


 そこで、自作アダプターにさらに改良を施し、キヤノンのストロボと同じ位置にドリルで小さなくぼみを作った。これで自作のアダプターを使用した場合でもちゃんとロックが働いてくれるので、使用中に何かの加減でストロボが外れてしまう危険性がずっと少なくなった。

(後編へ続く。)

 

2010.1.6〜7(水〜木) SB-R200(前編)

● 撮影機材の話
 カメラ用品の中には、
「こんなもの誰が買うんやろう?」
 とか、
「こんなもの作って、メーカーは元が取れるくらい売れるんやろうか?」
 とついついこちらが心配になってしまうような、オタクっぽくて、そして怪しい撮影用のアクセサリーが多数存在する。
 例えばUNというメーカーは発売しているこれ。僕はさまざまな場所で多くのカメラマンに出会ったことがあるが、この道具を使っている人をまだ見たことがない。


 くの字の真ん中に相当する部分はギアー+ネジの構造になっていて、くの字の角度を変えることができる。そして、くの字の片側には、ストロボを取り付けられる金具がついているのだが、この道具はいったいどんな使われ方を想定して作られたのだろうか?
 ストロボを取り付けるための金具がついているのだから、そこにストロボを取り付けることは分かるのだが、一般的な大きさのストロボを取り付けて支えるには少々きゃしゃ過ぎる。



 僕の場合は、キヤノンの接写用のストロボ・マクロツインライトMT-24EXと組み合わせてこんな風に使用している。
 マクロツインライトMT-24EXは、カメラの上部に取り付ける本体の部分とその本体から伸びる2本のコードの先端にある2つの発光部によって構成されており、本来はその発光部をレンズの先端部分に取り付けて使う。
 だが、このアクセサリーを使えば、発光部をレンズの先端からさらに離して、より理想的な位置にもっていくことができる。


 
 ニコンにも、キヤノンのマクロツインライトMT-24EXに近いコンセプトのストロボ・ワイヤレスリモートスピードライトSB-R200がある。
 だがキヤノンとの違いは、キヤノンの発光部の取り付け部分が一般的なストロボのシューの形をしているのに対して、ニコンはその形が非常に特殊であり、SB-R200専用の取り付け具にしかつかないようになっていること。つまり、今日一番最初に紹介したような汎用のアクセサリーには、キヤノンのマクロツインライトMT-24EXは取り付けられても、ニコンのSB-R200は取り付けることができない。

 

 そこで、ニコンのSB-R200に若干手を加えてみた。具体的には、特殊な規格で作られているニコンのSB-R200の取り付け部分を、一般的な規格に変換するためのアダプターを工作した。


 
 最後の画像は、その変換アダプターを取り付けたところ。これで画面右側の取り付け部分が、一般的なストロボと同じ形状になるので、市販されている多くのストロボ用のアクセサリーと組み合わせて使用することができる。

(後編は数日後の予定です。)

 

2010.1.3〜5(日〜火) 神武以来の天才

 民主党の国会議員が、天皇陛下に対して中国からの要人と面会をするように求めたことに関して、
「天皇の政治利用だ!」
 とか、
「いやそんなことはない。全く問題はない。」
 などともめごとがあったが、そもそも天皇っていったい何をきっかけに誕生した存在なのだろう?と知りたくなった。
 そこでインターネットで調べてみたら、伝説上の人物とも言われているが、最初の天皇として神武天皇という名前が出てきた。
 神武天皇か・・・どこかで聞いたことがあるなぁ。そうだ!そう言えば、将棋の加藤一二三さんがわずか18歳にして一流棋士の仲間入りをした時に、確か『神武以来の天才』と称賛されたんだっけ。
 僕は、子供の頃に将棋に夢中になったことがあるのだ。

 そこで、今度は加藤一二三さんのことを調べてみたら、僕が将棋に夢中になった当時第一線で活躍しておられた他の棋士の名前がたくさんでてきた。
 中でも特に強かったのは大山康晴15世名人だ。天才の集団の中でも圧倒的に強かった。
 だが、とても陰湿で意地が悪かったとも言われており、インターネット時代には、そうしたさまざまな噂レベルの記事も読むことができる。
 僕は、それらがすべて事実だとは思わないのだが、ライバルになり得る相手に対してはあらゆる機会に徹底的に傷めつけ、相手にコンプレックスを与えようとしたのはたぶん事実なのだろう。
 あそこまで強い人がそこまでするのか?いや、しなければならないのか?と思わないでもないが、もしかしたらそれが強くなりたい、勝ちたい、ということであり、その気持ちがあるが故に1つのことを極められるのかもしれない。
 そう言えば、漫画家の手塚治虫さんも他の漫画家に対して大変に辛辣だった、と何かの番組で見たことがある。
 自然写真の世界でも、先輩方に関する噂話の中には、誰と誰が仲が悪いとか、中には大変に血なまぐさい話もあり、それもやっぱり、俺の写真が一番いいとか、もっと上手くなりたいなどという気持のなせることなのかもしれない。
 くだらねぇなぁと思うこともある。
 だが、将棋などのゲームにしても、スポーツにしても、さまさまな芸能にしても、俺が一番だ!と自分の威信をかけ、まるで生きるか死ぬかの真剣勝負のように人と人が対峙している時に生み出される作品は、やっぱり面白い!というのも事実だと思う。
 もしかしたら、そこまで真剣になる、ということが僕らの世代に欠けているのかもしれないぁ、とたまに考えさせられることがある。
 
 

2010.1.2(土) 夢を持つとは

 『夢がある』、というのは人間にとってとても幸せな状態だと思う。だから、大人はしばしば、子供に向って
「夢を持ちましょう」
 と語りかける。
 だが、夢は持てと言われて持てるものではない。だから、
「夢を持て」
 と言われても、多くの子供たちは、分かるようで分からないのではなかろうか。僕はたまに高校野球の中継を見ることがあるが、テレビの解説者が、
「さあ、そろそろ点を取らなければなりませんよ。」
 などと言いだすことがあり、がっかりさせられる。
「点を取れ」
 と言われて取れるのなら試合なんてする必要がないし、そんなの解説にならん!と。
「夢を持て」
 というのも、それに近いものがある。

 ならば、いったいどうしたら夢が持てるのだろうか?
 『夢がある』というのは、違う言葉で言い表すならば、『やる気がある』と言い換えることができる。その逆は必ずしも真ではなく、やる気があるはいつも夢があるとは限らないのだが、夢を追い求めている人は必ずやる気を持っている。
 さらに、『やる気がある人』は、『自信がある人』と言い換えることができる。
 そして、夢は持てと言われて持てるものではないが、自信なら、それを手に入れる方法が多少はあり、その方法とは成功をすることだ。
 では、ある人にとっての成功とはいったいどんなことだろう?と考えてみると、成功とは、自分ができないかもしれないことにチャレンジし、それを成し遂げること。
 そして先生の役割は、子供たちに対して、上手に目標を設定してあげることではないかと思う。
 子供ができるに決まっている目標を設定しても、それは自信にはならないし、逆にできっこない目標を設定すると、下手をすると自信を喪失させてしまいかねない。
 その子にとってはできそうもないのに、実際は、ギリギリのところでなんとかやり遂げることができる。もしもそんな目標が設定され、それをやり遂げる経験ができたなら、その人は自信を手に入れることができるだろう。
 その小さな自信を積み重ね、大きな自信にしていく。
 もちろん、自信が夢のすべてではないので、それですべてが解決するわけではないのだが。

 さて、大人になると、自分のことを怒ってくれる人や、自分が教えを乞える相手や、自分に適切な目標設定をしてくれる相手が次第に少なくなってくれる。
 つまり、先生という存在を得にくくなる。
 そこで僕は、しばしばこの日記に自分で自分の目標を設定して書き、公開する。
 そしてその目標は、少なくとも今の自分には容易にできないことであり、大上段に振りかぶったものとまではいかなくても、中上段か、小上段くらいには振りかぶったものだ。
 だが、人前で宣言してしまった手前、やり遂げなければならなくなる。
「ホームページの日記がよく続きますね!」
 とよく人から言われるのだが、僕にとってこの日記は、自分に対して目標を与える場なのだ。
 もしもこの日記を書かなかったなら、恐らく僕の写真家としての生活は、今ほどは充実していないに違いない。逆に言うと、誰かが読んでくれるから、誰かが聞き役になってくださるから、頑張れるのだとも言える。
 ありがたいことだなぁと思う。 
 
 

2010.1.1(金) 自然のつながり

「あなたはなぜ自然が好きなのですか?」
 と時々聞かれるが、子供の頃から理屈抜きに好きなのだから答えに困る。
 だが、自分のことではなくて他人のことなら、少々わかる。自らの様子は鏡でもない限り自分の目で見ることができないが、他人の様子なら客観的な立場から観察できる。
 そして人さまの様子を眺めてみると、自然愛好家の多くが、人間社会に対して何らかの異をとなえる気持ちを持っていることが分かる。つまり自然を観察するという行為は、知らず知らずにうちではあっても自然と人とを比較し、人間について考える行為であるということが。
 小さな子供でも、自然命というタイプの子には、学校やその他の集団や社会に馴染めないタイプの子供が多いように感じる。
 だから僕も、自分がどのように生きどのように死にたいのか、その答えを自然の中に求めているのかもしれない。

 さて、今年は秋から冬にかけて、数冊の本を出版する予定になっているのだが、それらの本作りでは 『生き物の観察』 いう視点をいったん捨て、 『自然界のつながり』 という側面に注目をしながら撮影を進めている。
  『生き物の観察』 と 『自然界のつながり』 はそう対して違わないじゃないか、と感じる方もおられるだろうが、実はそれらはある意味全く逆の行為になる。
 生き物の観察とは、生き物をより細かく細かく見ていく行為なのだが、一方で、自然界のつながりに注目することはその逆で、物事を大きく大きく見ていく行為になる。
 そして今回の本のみならず、自然界を大きな視点でながめる、というのを自分の本作りのテーマの中心に据えてみようと思う。
 そんな切り口で何冊くらいの本を出すことができるのかは不明だが、最終的には、命ってなんだろう?人が生きるって何だろう?、と本の中から呼びかけられるようになりたい。 
 今年は、このまま順調にいけば、その第一歩になる。

   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2010年1月分


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