撮影メモ

2001年9月分

   
9月29日
(土)
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 10日〜11日にかけて、アマガエルのジャンプを、赤外線センサーを使用して撮影しましたが、機材が正常に作動せず、撮影をやり直さなければなりません。
原因は、まだわからないのですが、写真に理解に苦しむような光の漏れが入ります。
センサーを使用した撮影の場合、機材が複雑なので、妙なトラブルが起こりがちです。
今回のトラブルは、実は、先月から何度も繰り返しているトラブルなのですが、異常が発生したりしなかったりするため、原因の解明が難しくなっています。
いろいろな部分に手を加えては撮影をして、結果を見て、先月末に正常な写真が撮れて、これで解決と思ったら、また同じトラブルという感じです。
今日は、もしかしたら部品ではなくカメラそのものに光の漏れが?と考え、カメラを交換して、さっそくアマガエルのジャンプを撮影しました。
今日は、カメラを替えただけでなく、撮影方法、特に照明に大幅な改良を加えました。
カエルの代わりに、鳥の模型を置いて、いろいろな角度から、いろいろな照明をあて、どのライティングが一番シンプルで、しかも、きれいに物が写るのかを、デジタルカメラを使用して調べました。
今日の画像は、その一コマです。
詳しくは、拡大画像をクリックしてください。
(フィルム1本撮影)

 
9月
27〜28日
(木〜金)
 
 毎年、春と秋のある期間に、僕は、どうしても力がでなくなる時期があり、今がまさにそんな季節です。
これで、3日間、生き物の世話以外に何もできない日が続いています。
何のやる気もなくなり、ひたすらに体がだるくて、食欲も全くない・・・・
撮影をしようとしても、手を滑らせ物を落とし、足を引っ掛けスタジオ内をごちゃごちゃにし、作ったばかりのセットを不注意で壊し、なんで、写真なんて選んでしまったんだろう?という、お先真っ暗な自分が支配してしまう時期です。
フリーのカメラマンの世界は、結果を出さなければ1円のお金ももらえない典型的な弱肉強食の世界で、常に、普通の人が標準的に考える努力以上のものが求められます。
普通の人が考える努力以上のものとは、何でしょうか?
真面目さでも、頑張りでもなく、極めたいというエネルギーです。
一歩、二歩と人よりも先に踏み出す、そのエネルギーがない時には、撮影の仕事は、とんでもなく苦痛な作業になってしまいます。
 「がんばってるね。」と声をかけられることもありますが、「がんばってるね。」と言われると僕は、孤独な気持ちになります。
声を掛けてくれた方の心根が嬉しいことは言うまでもありませんが、写真の世界は、結果の世界なので、評価してもらうためには結果を出すのみで、「僕は真面目に頑張ったんだ。」という主張は、結果が出ないときのいい訳にすぎないからです。
真面目に頑張るということさえ、結果を出すということに比べれば、とても安易で、楽ちんなことだからです。
頑張りではなく、結果が求められているから苦しい。
「頑張ってるね。」と、多くの方が好意的に声を掛けてくれるのに、好意的な目で見てくれる人たちにさえ、全く理解してもらえない。
そんな、孤独を感じることがあります。
 
 
9月26日
(水)
 
 プロ野球パリーグは、近鉄が優勝しそうな雰囲気ですね。
僕は、当然福岡ダイエーを応援していますが、「追い詰められた今、何をしたらいいと考えていますか?」というダイエー選手へのインタビューを、先週テレビで見ました。
数人の選手へのインタビューの中でも、「何をしたらいいかを、これから体験して知ればいい。」と答えた秋山選手の言葉が、僕には印象に残りました。
今の自分は、それを知らない、これから、それを勉強する、という姿勢に、とても共感するからです。
もしかしたら、僕が気難しい、ひねくれ者なのかもしれませんが、僕は、必ずしも、自分のことをひいきめに見てもらっても嬉しくありません。
「そうですとも!あなたの気持ちわかりますよ。」と言ってもらうよりも、「この人は、何を言おうとしているのかな?」と見てもらえたらな〜と思います。
すぐに解かり合えるものではないし、すぐに解かり合う必要もないと思うからです。
 
 
9月25日
(火)
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 14日のメモの中で、大きなカタツムリの後ろに小さなカタツムリがついて歩き、さらに、大きなカタツムリの背中に、別の小さなカタツムリが乗っかっているシーンを家の庭で見かけたと書きました。
まるで、やらせであるかのように出来過ぎたそのシーンを、今日は、スタジオの中で再現して撮影しました。
カタツムリが歩くと、歩いたところに湿った痕跡が残りますが、他のカタツムリはその痕跡の上を歩く傾向があります。
また、何かの障害物にぶち当たると、その障害物に登り、乗り越えようとする性質があり、後ろから歩いてきたカタツムリが、前に歩いていたカタツムリに追いつくと、前のカタツムリの殻の上に登ろうとします。
その結果、写真のように出来すぎたシーンが、自然の中で出来上がってしまうのではないかと、僕は考えています。
いつも生き物と接していると、人が頭で考えて、「なぜ?」と思うような不思議な自然現象にも、本当は、ちゃんとした理由があるような気がしてきます。
人が考えて自然に思えることが自然なのではなくて、実際に自然の中で起こることこそが自然なのだと。
最近、「自然が人を癒す」というイメージが、とても強くなっていますが、僕は、「癒す」という言葉を安易に使ってほしくありません。
自然の美味しいところだけをさらっと見て、美化された自然を作り上げ、「癒された。」というのは、とても安易だと思うからです。
では、癒されないかというとそうでもありません。
時に、自然は人を癒し、時に自然が牙をむくこともあります。
自然は、はるかに人の理解を超えるもので、癒すだとか、自然は恐ろしいだとか、安易に評価を下してはならないように感じるからです。
(フィルム3本撮影)
 
 
9月24日
(月) 
 アマガエルの飼育ケース
 
 今日は、朝から庭でアマガエルの撮影です。
アマガエルを手に取ると、ジャンプして逃げ出そうとします。
大抵は木の枝や植物の葉っぱなど目掛けて飛び移りますが、目標を定めてジャンプする時に飛ぶ距離は、とても、小さなカエルとは思えないほどの距離で、あっという間に逃げられてしまいます。
その勢いで、何かに衝突したら、カエルの鼻の頭に傷ができてしまいますが、アマガエルを採集して、ケースの中に入れておくと、鼻先に小さな傷ができてしまいがちです。
顔の表情がしっかりとわかる角度から、写真をシャープに撮れば撮るほどに、鼻先の傷が目立ってしまうという皮肉な結果になります。
そのため、昨年は、撮影のたびに新しいカエルを採集しに行きましたが、今年は、飼育の方法に工夫を凝らして、飼育しているカエルを撮影のモデルに使用しています。
飼育ケースは、幅60センチの水槽で、中に観葉植物を入れています。
湿気がたまり過ぎないように、蓋は、ステンレスの目の細かい網で作りました。
餌は、釣り用のうじ虫(さくらむし)で、口の狭まったボトルに入れています。
ボトルの中でうじ虫がハエになり、そのハエをアマガエルが食べるという方法です。
このケースの中に、カエルを入れると、最初は、鼻の頭に傷ができ、去年は、その時点で撮影には使いづらいとカエルを放していたのですが、今年は、そのまま、長い期間飼い続けてみました。
飼い続ける間に、カエルがケースに慣れ、頭を打つようなことがなくなり、きれいな状態で維持されることがわかりました。
ケースに入れた直後のカエルは、蓋を開けるとケースから逃げ出そうとしますが、しばらく飼い続けると、ケースの中の自分の隠れ家に隠れるようになり、飛んだり跳ねたりをしなくなるようです。
昨年は、飼育ケースに発泡スチロールを貼り付けるなど、いろいろな工夫をして、全て失敗に終わりましたが、カエルの方に慣れてもらうという方法で問題解決です。
今年は、カタツムリの撮影に時間がかかり、アマガエルを採集に行く時間があまり取れないため工夫をしたのですが、おかげで、いい方法がわかりました。
(フィルム1本撮影)
 
 
9月23日
(日)

 昨日は、アマガエルの泳ぎを撮影しましたが、機材の調子が悪く、思うように撮影を進めすことができませんでした。
撮影に使用するストロボが、何回かに一度の割合で、明らかに強すぎる発光をするのですが、いろいろな箇所をあつかってみても、とうとう最後まで正常に機能せず、修理に出さなければなりません。
別のストロボを使い、その場をしのぎましたが、ストロボは、機種により発色や光の性質が違うため、現像が仕上がるまで、代用ストロボが吉なのか凶かの判断ができません。
いつも使っていたストロボの修理が終わるまでは、代用したストロボを使い続けようとも思ったのですが、修理には時間がかかることもあるので、今日は、博多まで新品のストロボを買いに行きました。
13000円の思わぬ出費です。
僕は、買い物をする時にじっくり考えて買うほうで、衝動買いをするようなことはありませんが、それでも、購入して買った後も本当に納得のいくものは、全体の半分くらいです。
「今回は?」というと、買って正解でした。
故障したストロボも修理すれば、次回同じようなトラブルがあった時に、無駄に時間を過ごさなくてすむので、「壊れたらどうしよう?」という心配から開放されそうです。
やれやれ。
 
 
9月22日
(土)
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 いよいろ秋になってきましたね。
今晩、北九州から直方に帰宅する車内の温度計は18℃をさしていました。
事務所の花壇に植えているシクラメンがポツポツと花を咲かせはじめました。
シクラメンは寒い時期に花を咲かせますが、夏の越させ方には、
(1)土の中に植えたままにして、緑の葉っぱを出した状態で夏を越させる。
(2)球根を花が終わった時点で掘り出し、夏が過ぎてからまた土の中に植え込む。
の2通りの方法があるみたいです。
僕は、面倒なので(1)の方法をとったのですが、木陰に植えていたシクラメンは、緑の葉っぱをたくさん茂らせ、日向に植えていたシクラメンは、すべて葉っぱを落として、まるで枯れたような状態で夏を越し、ここ一週間くらいで一気に葉っぱを出し始めました。
日向に植えていたシクラメンは、結局、(2)の方法をとったのと同じ結果になりました。
球根を掘り出して夏を越させる方法は、自然状態ではありえない方法なので、いったいどんなきっかけで考え出されたのだろう?と疑問に思っていたのですが納得しました。
寒くなる前に、カエルやカタツムリの撮影で、まだ終えていない撮影を終わらせなければなりません。
今日は、アマガエルの泳ぎを撮影しました。
(フィルム4本撮影)
 
 
9月21日
(金)
 今月の水辺へ

 今日は、今月の水辺を更新しました。
最近になり、ようやく、パソコンやデジタルカメラで、デジタル化された画像を扱うことになれてきました。
今の所、僕の場合、自然写真の仕事をデジタルカメラでこなす機会はありません。
デジカメは、もっぱら、ホームページやスタジオでのテスト撮影や記念撮影に使用していますが、仕事でデジカメを使用する時代がくることは間違いありません。
家の庭で、小動物の撮影を終えたあと、HP用にデジカメで撮影し、ついでに家の犬を、実に適当に撮影してみると、その中に面白い写真が混ざっていることがあります。
それは、必ずしも、僕が考えていた撮影の基礎に忠実に撮影したものではありません。
デジカメでの撮影では、フィルム代を考える必要がなく、失敗を恐れずにたくさんのシャッターを切ることができ、いろいろな撮影を試してみると、デジカメの普及で、写真の撮り方が変わってくるように感じます。
一方で、フィルムやデジカメにかかわらず、共通した部分もあります。
画像の影のつき方、生き物の表情のとらえ方などは、フィルム・デジカメに関係なく、同じで、変わらない部分こそが、すべてに通じる基本だということを再認識させられます。
技術革新が日進月歩の現在は、それまでに身に付けてきたものが、あっという間に無駄になっていくと嘆く人もいます。
でも、僕は、そうではないと思います。
デジカメの特性を本当の意味で生かすには、フィルムによる撮影で身に付けた基礎が必要で、これまで以上に、何かを継続することが大切になっているように思うからです。
いろいろなものに触れることを有意義にするためには、その前に、何か1つ、本当に継続して身に付けた何かが大切なのではないでしょうか?
(フィルム1本撮影)
 

 
9月20日
(木)
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 人間には、いろいろな人種がありますが、輸送の手段が発達し、世界が一つになるにつれて人種が混ざり合い、純粋な人種は少なくなる方向に進んでいます。
一方、カタツムリには、長距離を移動する能力がありません。
僕の住んでいる直方市のカタツムリと熊本市のカタツムリとが出会い交尾をすることは、自然の状態ではまずないと考えて差し障りありません。
つまり、直方には直方の特徴を持ったカタツムリが、熊本には熊本の特徴を持ったカタツムリが存在し、カタツムリには、地域ごとにたくさんの種類が存在することになります。
一般に、子供の本などには、関東地方でたくさん見つかる、大きくて縞模様を持ったミスジマイマイの写真が多く使用されていて、スタンダードになっています。
ところが、九州に住む僕は、九州のカタツムリで、ミスジマイマイに匹敵するカタツムリを探さなければなりませんでした。
今年、たくさんの縞模様をもったカタツムリを飼育・撮影してみて、九州に住むカタツムリでは、ツクシマイマイという種類が、イメージ、撮影のしやすさ、生態のわかり易さなど、撮影に適していることがわかりました。
この秋に、ツクシマイマイの卵をたくさん採卵して、次々と子供が生まれていますが、撮影では、そのシーンに応じて適したカタツムリのサイズがあります。
来年の梅雨やアジサイの季節に備えて、いろいろなサイズのツクシマイマイを準備するために、今日は、近くの多賀神社に出かけ、ツクシマイマイ探しをしました。
木の幹を一本一本見ていくと、、ノコギリクワガタの大きなオスを見つけました。
武田家のあいちゃんのHP
 
 
9月19日
(水)
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 カタツムリは梅雨のイメージの生き物ですが、秋にも活発に活動するようです
僕が撮影のモデルとして使っている500円玉よりも大きなツクシマイマイは、ここのところ、頻繁に卵を産みます。
交尾をしているところも撮影をすることができました。
また、産み落とされた卵は、次々と孵化しています。
食欲も旺盛で、レタスの塊はあっという間になくなってしまいます。
秋に活発になるのは、ツクシマイマイだけではないようで、今朝は、小さなオトメマイマイやシロマイマイの仲間が飼育ケースの中で交尾をしていることに気がつき、その様子を撮影することができました。
大きなツクシマイマイの交尾のようすは、とてもわかりやすいのですが、グロテスクでもあるので、子供の本などに使用する写真としては、オトメマイマイなどの小さなカタツムリもいいかもしれません。
交尾をしているのならと、飼育ケースの土を掘ってみると、小さなオトメマイマイのもっと小さな卵がたくさんでてきました。
(フィルム4本撮影)
 

 
9月18日
(火)
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 今日も、昨日に引き続き、宮崎県の渓流での水中撮影です。
今日の撮影場所は、平家の落人の里、上椎葉の尾前川ですが、尾前川も、日之影川と同様に川が少しだけ濁っていて、いい写真が期待できる状況ではありませんでした。
途中でカメラをおき、水中からヤマメの観察をすることにしました。
今日は、水中撮影ですが、陸上から普通に撮影する際には、僕は、胸まである長靴をはき、滑らないような足ごしらえをして、ザイル(ロープ)を常備して、岩をよじ登りながら川を数キロに渡って歩き、撮影をします。
基本的には、道がない場所、人が本来入る場所ではない場所を撮影するため、転落や崖崩れの危険があり、僕が死ぬとしたら、車の事故か渓流での転落だと思います。
危険がある一方で、人の手が加わっていない場所を撮影するため、沢の景観や自然はすばらしく、撮影そのものは簡単になります。
一方、水中撮影では、昨日、撮影メモの中で書いたように、水中撮影は、機材の種類が多く、重く、取り扱いがデリケートなため、機材を持ち込める場所が限られてしまいます。
川のすぐ近くまで車道があることと、車道がありながら川が壊されていないことがとても重要なポイントですが、それに、魚がたまるポイントであることという条件を加えると、撮影ができる場所は、ほとんどありません。
僕は、数年間、必死に水中撮影の撮影ポイントを探していますが、見つけたポイントは、10箇所を越えません。
上の画像は、そんな数少ない場所で、画像の白泡の中が撮影ポイントになります。
この淵は、ヤマメの溜まり場になっていて、大きなものでは、30pを越えるヤマメが、この泡の中で生活をしています。
(フィルム1本撮影)
 

 
9月17日
(月)
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 今日は、宮崎県の日之影川で水中撮影をしました。
残念ながら、水が濁っていて、本来のこの川の透明度ではなく、いい写真が望める状況ではありませんでした。
今年は、水中撮影をする予定で何度かこの川に来ていますが、すべて水の透明度が悪くて撮影に至っていません。
今日は、水中撮影の機材一式の画像を掲載していますが、水中撮影のやっかいな点は、大量の機材が必要な点にあります。
体を丸ごと包んでしまうドライスーツ。
体を水中に沈めるための15Kgもの鉛入りのベスト。
大きな空気のボンベ。
流れに負けないための重量級の三脚。
防水ケースに収めた巨大なカメラ。
これらの機材を2往復して川辺まで運びますが、渓流の場合、川辺まで道がない場所が多く、滑りやすくて足場の悪い谷沿いの斜面を歩かなければなりません。
しかも、水中撮影の機材は、防水面で、とてもデリケートな取り扱いが求められるため、普段沢を歩く時のように、滑って転んだでは済ませられません。
通常の撮影のように、場所が悪かった場合にでも、簡単に場所替えができない所が難しいところです。
今日は、撮影を諦めて、いろいろな機材のテストをしたり、水中で魚を観察したりして過ごしました。
(フィルム1本撮影)
 

 
9月16日
(日)
 赤牛の焼肉

 今朝は、久しぶりに車の中で目覚めました。
僕の車は、布団をひきっぱなしで、いつでも眠ることができるようにしていますが、家の中の布団で眠ることに比べると、車の中での寝泊りは、快適とはいえません。
それでも、スタジオ撮影が続くと、不思議と、車の中で向かえる朝が恋しくなります。
昔、作家の開口健さんが、「男は旅に出なければ自殺する。」と書いているのを何かの中で読んだことがありますが、僕の中にも、そんな部分があるのかもしれません。
昨日は、モンシロチョウの撮影を終えた後、高速道路を利用して熊本に向かい、夜の11時過ぎに、熊本県の玉名パーキングエリアの駐車場で眠りました。
今朝は、8時30までゆっくりと眠り、今日は、宮崎県の日之影町まで移動をしました。
昼間は、ゆっくりと川を見て回り、夕方からは、夕暮れの渓流を撮影し、温泉に入り、車の中でHPの更新をしています。
阿蘇の展望所の駐車場には、いくつの出店がありますが、その中の一つに赤牛の肉の串焼きを食べさせるお店があります。
いつも営業をしているわけではなく、日曜日に時々という感じなのですが、ただ串に刺して塩コショウをふり焼いただけの肉が、とても美味しくて、見つけたときは、いつも食べることにしています。
初めて食べた時は、お店のおじさんの「ステーキよりうまいよ。」という言葉に騙されたと思って食べたのですが、本当にその通り。
病み付きになってしまいました。
(フィルム1本撮影)
 

 
9月15日
(土)
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 明日から、数日間は、熊本〜宮崎県の水辺で水中撮影をする予定です。
今日、菜の花畑を飛ぶモンシロチョウの撮影を終えた後で、車に荷物を積み込み出発しますが、この季節に菜の花が咲いているはずもなく、今日も室内のスタジオに作られたセットの中での撮影です。
僕が今撮影しているテーマは、大きく分けて2つあります。
1つは、水辺の小動物の生態をわかりやすく紹介したり、小動物と四季のイメージを伝えるための写真です。
これらの写真は、僕が仕事として撮影している写真で、この撮影のためには、僕の好み、主義主張を一切捨て去り、写真を使う人のニーズに応えれるように、徹底して厳しく撮影に望むことにしています。
この撮影メモの中で紹介しているように、今の僕は、持てる時間のほとんどを、この仕事としての撮影に費やしています。
あとの一つは、沢を源流から里に向かって旅をするという設定で撮影している写真で、こちらは、僕が趣味として撮影している写真です。
沢を下る旅の過程でいろいろな生き物たちに出会うという僕の物語で、明日からの数日間は、この物語の撮影を楽しむ予定です。
この撮影は、趣味なので、幾らコストがかかるだとか、時間がどれだけかかるだとか、ニーズがある・ないなどと一切考えずに、自分が思うように好きなように撮影をして、最終的に、一流の出版社から一冊の写真集として出版できればいいと考えています。
(フィルム5本撮影)
 

 
9月14日
(金)
 拡大

 自然写真の世界には、これが定番というシーンが幾つかあります。
花と小動物の組み合わせ、大小のカタツムリが並んで歩いているところ、お母さんの背中の上に子供が乗っかっているシーン・・・・
みなさんが目にする微笑ましい生き物の写真には、定番通りになるように、カメラマンによって作り上げられた写真も少なくありません。
自然愛好家の中には、カメラマンが、極端に自然を美化した定番のシーンを作って撮影することを嫌う人も多く、僕も、カメラマンでありながら、直感的には、そういった人たちに共感を感じる部分もあります。
ところが、いつもカメラを持ち、撮影をしていると、定番のシーンが必ずしも人の頭の中でイメージされ、カメラマンの手で作られたものではないことを思い知らされます。
今朝、アサザの鉢の中で、花とアマガエルを撮影していると、鉢のすぐ近くを大小のカタツムリが並んで歩いていることに気が付きました。
「あ!定番そのものだ。」とカエルの撮影をする僕の手が止まりました。
さらに、大きなカタツムリの殻の上には、小さなカタツムリが乗っかっていて、カメラマンの手で作られたシーンでも見られないほどによくできたシーンに出くわしました。
出来すぎた定番の写真をみて、「こんなのやらせだ。」「こんなの嘘だ。」と非難をしている人は、きっと自然を良く見ていないのだと思います。
「これは本当、これは嘘」「これは正しくて、これは間違っている」「これはいいことで、これは悪いこと」という目で自然を見るのではなく、「自然ってどんなものかな?」と見ることが、今大切なのではないでしょうか?
「自然と接することは、いいことですね。」と言われることがあります。
僕は、自然と接することは素敵なことだと思いますが、いいこと、悪いことという、まるで学校の道徳教育のような発想を持ち込まれることが好きではありません。
いいこと、悪いことという発想は、人の論理で、人の社会にはとても大切な秩序だと思いますが、自然の中では、人が編み出した秩序など、とてもちっぽけな、つまらないものだと思うからです。
(フィルム2本撮影)
 

 
9月13日
(木)
 拡大

 アマガエルは、周囲の色に合わせて体色を変化させます。
先月も、レンガ色の植木鉢の色に合わせて体色を変化させたアマガエルの撮影をしましたが、今日は、枯葉の中のアマガエルを撮影しました。
枯葉の中にいるアマガエルの体色は、茶色っぽい色で、所々に黒っぽい斑があります。
アマガエルの体色は、変化するとはいっても、急激に変化するのではなく、かなり長い時間をかけて少しずつ変化をするため、場合によっては、体色が完全に変化をするのに、数日の時間がかかることもあります。
また、カエルによって、素質の違いもあり、あるアマガエルは黄緑色に、あるアマガエルは茶色っぽく、あるアマガエルは濃い緑になりやすいといった傾向もあり、体の色を変化させ、木化け、草化けをする際にも得意、不得意があるようです。
(フィルム1本撮影)
 

 
9月12日
(水)


 拡大

 今日は、うちの庭で、カタツムリや小さな水滴の撮影をしました。
昨年の春にアマガエルの撮影を始めて以来、冬は、メダカやザリガニの水槽撮影、今年はカタツムリのスタジオ撮影と、身近な小動物を、うちの庭やスタジオや水槽で撮影する時間が多くなっています。
生き物を飼育しながらの撮影では、産卵や交尾や孵化の瞬間に立ち会うことに全力を尽くさなければならず、飼育ケースとにらめっこをしながらの撮影を強いられます。
もちろん、野外で撮影をすることもありますが、先週に撮影をした阿蘇の木の撮影のように、依頼を受けたものから優先的に撮影をしなければならず、自分が好きな場所で、思いのままに撮影をする時間は、今年に入ってからは数日しかありません。
さすがに、遠くに旅に出て、手付かずの自然の中で、撮影をしたくなってきました。
今年の冬も、水槽での撮影をしなければなりませんが、昨年、水槽撮影に関しては、無駄を覚悟であらゆる方法を試し、一通りの体験をしているため、今年の冬は、野外で撮影する時間もそれなりに作れそうです。
身近な小動物の撮影は、まだまだこれからも続きますが、この冬は、遠出をしてみたいと考えています。
もしも、趣味で撮影をしたら、毎週末撮影に出かけたとして、週休2日の人で週に2日、月に8日、年に96日、自分が望む場所で、好きなように撮影をすることができます。
仕事として、写真を撮ると、自由に写真を撮れる時間はずっと少なくなり、今年の僕のように自由時間は、年に数日という人も少なくないと思います。
どちらが自分にとって幸せなのか、思案のしどころです。
僕は、安定したお勤めの世界よりも、結果のみが求められる写真の世界の方が自分に合っていると考え、写真の世界を選びました。
(フィルム5本撮影)
 

 
9月11日
(火)
 今日も、昨日に引き続き、アマガエルのジャンプを撮影しました。
アマガエルのジャンプをセンサーが感知し、自動的にカメラのシャッターが切れる仕組みですが、センサーには、光を出す発光部とその光を受け止める受光部とがあります。
発光部から出た光が受光部に届いている時は、カメラは作動をしませんが、アマガエルがその光を横切り、受光部に光が届かなくなった瞬間にシャッターが切れます。
センサーが出す光は、赤外線なので人間の目には見えませんが、とても細い光で、その細い光のところを、ちょうどアマガエルが通過しなければシャッターは切れません。
アマガエルをセンサーの近くに近づけ、アマガエルがジャンプをするのを待ち、ジャンプをしたとしても、10回中、7〜8回は、センサーを通過せず、空振りに終わります。
アマガエルをまた捕まえて、同じことを何度も何度も繰り返さなければなりません。
36枚のフィルムを取りきるのに、アマガエルを捕まえてはジャンプさせるという作業を100回以上繰り返すことになります。
「好きなことをしていていいですね。」という人がいますが、大抵の人は、趣味の写真をイメージしています。
「好きなことをしていていいですね。」という言葉には、大抵の場合、「趣味に生きれたらいいな〜。」というその人の願望が含まれていますが、趣味に生きれるはずがありません。
仕事の写真と趣味の写真は、全く別のものです。
仕事には、仕事の喜びがあります。
(フィルム1本撮影)
 

 
9月10日
(月)
 拡大
 
 今日は、アマガエルのジャンプを撮影しました。
まだ、撮影途中で、明日の午前中に続きを撮影する予定です。
アマガエルのジャンプを自然状態で撮影することは、ほぼ不可能に近いことなので、撮影セットを室内に作り、その中で撮影をします。
拡大画像の黒い枠の中から、アマガエルが飛び出してくるところを赤外線センサーが自動的に感知し、シャッターが切れる仕組みですが、このセンサーによる機械まかせの撮影は、僕が最も苦手かつ苦痛に感じる撮影です。
生き物の撮影の中でも、その内容によって、得意・不得意があるのは、当然のことですが、不得意な撮影でも、僕の場合、一旦カメラを手にして撮影に入ると、大抵の場合、集中して撮影に入り込むことができます。
ところが、赤外線センサーによる撮影だけは、どうしてもそれができず、一度も撮影する楽しみや達成感を感じたことがありません。
人の一生の中には、幾つかそんなことがあるのだと思いますが、こういった写真ばかりを好んで撮影しているカメラマンもいるので、人の好みはさまざまなのですね。
 

 
9月9日
(日)
 拡大
 
 カタツムリが孵化をしました。
カタツムリは、卵の中から殻を食べ、小さな穴を開け、その穴をさらに食べながら広げ、十分な大きさの穴が開いたところで、殻からでてきます。
一匹のカタツムリが孵化をして、他のカタツムリの卵の上を歩き移動を始めると、その振動が刺激になって、他のカタツムリも孵化を始めます。
昨晩は、5匹のカタツムリが孵化をしましたが、
5つの卵の中の一つが、ちょうど撮影しやすい位置にあったため、十分の枚数のシャッターを切ることができました。
これで、カタツムリの卵やその撮影機材、照明器具、照明を保持する器具等、たくさんの機材を持ち歩く生活から抜け出すことができます。
今年生まれたカタツムリは大切に育て、来年の梅雨の季節に、アジサイの花をバックに、撮影のモデルになってもらう予定です。
(フィルム2本撮影)

 
 
9月8日
(土)
 カタツムリの卵の撮影風景
 
 一昨日の夜〜昨日の昼にかけては、カタツムリの産卵を撮影するために、とても不規則な生活になりました。
生き物は、しばしば夜に産卵・出産をするため、撮影をするためには、生き物の暮らしに人の方が合わせなければなりません。
今日の昼間は、その影響で、とても眠たくて、何か新しいことをするような気力がどうしても湧いてきません。
そこで、撮影計画を変更して、まず昼寝をして、目が冴えたところでフィルムの整理をすることにしましたが、夕方目が覚めて、フィルムの整理に取り掛かる前に、一通り、飼育している生き物の様子を観察してみると、先月産み落とされたカタツムリの卵が割れ、孵化の兆しがあることに気が付きました。
予定は、再変更です。
カタツムリの子供が殻を破り出てくるのは、今日の深夜ではないかと思われますが、今日は、睡眠が十分なので、徹夜の撮影も大歓迎です。
昨年の冬〜今年にかけて、何をしてもめぐり合わせが悪いような気がしていたのですが、付きがめぐってきたのかもしれません。
(フィルム1本撮影)

 
 
9月7日
(金)

 拡大
 
 昨晩、カタツムリの飼育ケースをのぞき込んでみると、土に穴を掘り、これから産卵に取り掛かろうとしているカタツムリがいることに気が付きました。
すぐに機材を準備し、撮影できる体勢を整え、産卵の開始を待ち、結局、昨晩は産卵をしませんでしたが、今朝の11時頃、無事、産卵シーンの撮影をすることができました。
メダカやアマガエルの産卵は一瞬ですが、いつ産卵をするのか、そのタイミングは割とつかみやすく、慣れてくると 「さあ、卵を産ませようかな。」 という感じで、思い通りに産卵をさせることができます。
一方、カタツムリは、産卵そのものには数時間の時間がかかりますが、いつ産卵を始めるのか、そのタイミングがわかりにくく、今の僕の経験の範囲では、まめに飼育ケースをのぞき込んで、確認する以外に手がありません。
場合によっては、車で寝泊りする取材の際に、飼育ケースも車に積み込み、撮影のチャンスを待たなければなりません。
生態の撮影は、本当に難しい。
(フィルム8本撮影)

 
 
9月
5〜6日
(水〜木)
 現像済みフィルム
 
 今日から、この春〜夏に撮影した写真の整理に、本格的に取り組みます。
僕が、使用するフィルムは、現像をした時点で色がついて、この写真の一枚一枚を貸し出して使用料をいただきます。
写真の整理とは、上の画像のように連続した写真を一枚一枚ルーペでみて、使用できるものとそうでないものとに分ける作業です。
使用できる写真は、一枚ずつ切り離して小さな袋に入れます。
切り離した一枚一枚の写真には、生き物の名前、撮影場所、撮影日時などを記入したラベルを貼り、ラベルを貼った写真は、分類をしてファイルや箱に収めます。
まずは、すでに一枚一枚切り離してラベルを貼ったものの、分類整理をされていない写真を、所定の場所に収める作業から取り掛かりました。
早朝から深夜までフィルムぶっ続けで作業をしても数日かかりそうな量の写真が未整理のまま残っているため、気が遠くなりそうです。
きっと、今問題になっている不良債権というのも、たまり過ぎてどうにもならない状況なんでしょうね?
物事は、限度を超えてたまってしまうと、処理をするに、二乗、三乗のエネルギーが必要ですよね。
どうかなりそう。
 

 
9月4日
(火)

 
 今日は、「一本の木」を撮影しました。
場所は、熊本県の阿蘇、イチョウの大木です。
阿蘇には、「一心行の大桜」という有名な桜の大木がありますが、このイチョウの木は、大桜から歩いて3分ほどの距離にあります。
僕は、昨年から一心行の大桜とこのイチョウの木を定点撮影していて、この夏の写真を撮影すると秋、冬、春、夏と一年の写真が一通りそろいます。
実は、7月にすでに撮影を終えたような気がするのですが、あまりに撮影スケジュールが過密になりすぎて、写真の整理をする時間が一切とれず、本当に撮影をしたのかどうか、写真がどこに行ってしまったのかもわからず、とりあえず、撮り直しをしたという手際の悪さです。
昨日の夕方の阿蘇の天気予報は、晴れの予報だったのですが、今朝の阿蘇は、どんよりとした曇り空で、嫌な予感が漂います。
阿蘇は、天候がとても難しく、すぐ近くの熊本市が晴れているのに、阿蘇では曇りというケースも多々あり、また、天気予報そのものがとても当たり難い場所でもあります。
かろうじてという感じで、青空がでた短い時間になんとか撮影をすることができましたが、青空がでなければ一日の時間と交通費を無駄にするところでした。
撮影終了後、すぐに福岡に引き返し、秋月にあるイチョウの木を定点撮影しました。
(フィルム4本撮影)

 
 
9月3日
(月)
 
 今朝は、昨日に引き続き、水滴を撮影しました。
ほんのわずかな違いですが、今朝の方が風が弱く、今日は快調に撮影ができました。
昨日は、一枚の写真を撮影するために風が完全にとまるのを30分くらい待ち、今朝は5分くらい待つ感じでしたが、体感的には、風の強さにほとんど違いがなく、昨日も今日も朝は無風という感じでした。
小さなものを撮影すると、人にとって、ほとんど違いがないような風の強さ、振動の大きさも、小さな自然にとっては、とても大きな違いになることに気付かされます。
午後からは、ひたすらに雑用をこなしました。
写真展の後片付け、写真展の際に買ったもらった写真の発送、日本自然科学写真協会の小さな仕事、車の整備等・・・・。
ゆっくりしたな〜。
(フィルム1本撮影)

 
 
9月2日
(日)
 水滴
 
 今日は、写真展の最終日です。
早朝に、うちの庭で水滴の撮影をした後、写真展の会場に出かけました。
写真の撤去が終わった後で、再度、夕方にも水滴の撮影をしましたが、今度は、室内のスタジオでの撮影です。
水滴サイズの被写体の撮影で難しいのは、風で揺れる被写体が、完全に止まる瞬間を待たなければならない点ですが、室内のスタジオで撮影するとその点が楽になります。
ところが、室内のスタジオで、自然状態での水のキラキラした輝きを再現することは難しく、ゆとりのある照明器具(大型のストボロ)と、それなりの広さのある撮影スタジオが必要になります。
僕の、畳一枚の広さもないようなミニスタジオでは、照明を当てる角度などが制限されるため、多少無理があります。
もしも、完全に無風の日であれば、野外での撮影が適していますが・・・・・。
それでも、いつでも、どんな撮影でもできる体制を整えておかなければならないので、スタジオ撮影も身につけなければなりません。
写真を点数に置き換えることは、おかしなことですが、仮に点数に直したとすると、アマチュアのカメラマンは、100点を目指して撮影をします。
もしも、失敗した場合には0点でも構いません。
プロの世界は、失敗が許されないため、100点か0点かではなく、常に75点以上の写真を撮れるようにしておかなければなりません。
100点を目指したくても、必ずしもそうできないところが、プロの厳しいところです。
写真展の会場で、「プロの写真は、すばらしいですね。」とたくさん声をかけてもらましたが、実は、100点を目指すことができるアマチュアの写真集の中には、プロの写真集をはるかに越えるすばらしい本があります。
最近では、林明輝(りんめいき)さんというアマチュアカメラマンの、「水のほとり」という写真集に僕は心を打たれました。
(フィルム1本撮影)

 
 
9月1日
(土)
 
 拡大
 
 今日は、写真展の会場に出向きました。
びっくりするくらい人が少なかったのですが、今日は、よく考えてみると二学期の始業式なのですね。
早めに帰宅をして、フィルム整理をして、早く寝る予定だったのですが、カタツムリが交尾を始めたため撮影をしました。
カタツムリには、オス・メスの区別がなく雌雄同体ですが、2匹のカタツムリが交尾をして繁殖をします。
交尾は、交尾器をお互いに相手の体内に入れて行います。
(フィルム4本撮影)