今月の水辺 / ため池の春

NikonZ7U
NIKKOR Z 17-28mm f/2.8
PL
(撮影機材の話)
風景の撮影では、三脚の高さがとても重要だ。特に水辺の場合、水は低い場所に集まるので、水辺に向かってカメラを向けると、三脚を立てる場所はしばしば下りの斜面になる。下りの斜面に三脚を立てる場合、手前になる2本の脚はそれほど延ばす必要はないが、奥の1本は長く伸ばさなければならない。したがって下りの斜面に立てる三脚には高さが必要になり、最低でも、平地に立てた時の高さで160センチ以上欲しい。

撮影後記 

 むかしの仲間からのメールに、
「両親を花見に連れて行ったら、やっぱり花はいいねぇと言うんだけど、自分はどうしても興味が持てない。」
 と書いてあった。
 知人は生物学の学生時代の仲間なので、少なくとも生き物や自然を受け付けないというタイプではない。知人が言わんとしているのはおそらく、人によって作られた、あるいは強引なまでに盛り上げられる季節や花のイメージのことではないかと思いながらメッセージを読んだ。
 自然写真家の中では、岩合光昭さんが、
「なぜ日本の自然関連の出版物はすべてを四季の物語にしてしまうんだろう。全部同じパターンになってしまう。」
 と疑問を呈しておられるのを読んだことがある。
 確かに、季節感は自然写真の仕事の中でとても高い確率で求められる概念であり、僕もやはり、季節感一辺倒になることに対して、もやっとすることが多い。
 春なら、桜は確かにきれいだし、菜の花やタンポポを見るといかにも春だなと感じるけど、自然に関する記事が、そうした世間の定番のイメージにただひたすらに合わせようとすることに対しては、疑問を感じる。
 本の中でも大人向けは、ある程度しかたがないと思う。大人はたいてい凝り固まったイメージを持っていて、物事をそれに合わせようとするから。自然よりも、人の社会の決めごとみたいなものの方を好むから。
 でも子供向けの本の場合は、子供たちは先に知識が入っていないのだからいろいろなものを受け入れることができるはずだし、春なら、もっといろいろな春があってもいいのではないかと感じる。
 下手をすると、本が子供たちの世界を狭くしている可能性さえあると思う。
 
 さて、オタマジャクシの水中撮影中にふと頭を上げてみると、ため池の周辺の木々の新緑が見事で、春をテーマにした風景写真を撮りたくなった。
 そこで太陽がでている間は水中写真を、太陽が雲に隠れている間は風景写真を撮ることにした。
 帰宅をしてそれらの写真に目を通すと、風景写真は僕のイメージ通りに写っていたけど、気になる箇所もあった。
 池とその周辺の木々が漠然と捉えられていて、その写真は池の写真なのか、それとも池の周辺の木々の写真なのかが明確ではない写真になっていた。
 その懸念は現場でも感じていた。
 けれども、並行してオタマジャクシを撮影していたので風景写真を十分に試行錯誤するゆとりがなかった。なんとかならないか?とざっとあたりを見まわすくらいの検討で、他に撮りようはないと判断せざるをえなかった。
 だがあとで写真を見てみると、やっぱり何かできなかったかなぁという思いも残った。
 それから10日後に思いがけず時間ができたので、もう一度ため池に行ってみた。
 すると、わずか10日の間に季節はずいぶん進み、もはや気になる箇所を直すというよりは、まったく別の写真を撮る感じになった。
 前回は、池の周辺の木々の新緑に惹かれたけど、10日後は池の中の植物の小さな緑が気になったので、池を第一のテーマとして画面を構成した。
 いずれも4月の撮影なので、どちらを今月の水辺に選ぼうかと多少悩んだけど、結局あとから撮影した方の写真を選んでみた。
 池の周辺の木々と池の中の植物とでは、後者の方が僕のテーマである水辺の成分が多いと判断した。
 
 
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2025年4月分


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