今月の水辺 / 干潟

NikonZ7U
NIKKOR Z 14-30mm f/4 S
(撮影機材の話)
今のニコンのカメラで残念だなと思うのは、レリーズ関係だ。ラインアップ自体は他社よりも充実しているのに、製品が2系統あり、カメラによって使えたり使えなかったりするのが困る。Z7で使用できるレリーズがZ8では使えないのは、実に馬鹿げたことだと思う。レリーズの開発に情熱を燃やす専属の担当者が存在しないのだろうか?不思議だなと思うのは、SNSなどでその不満を訴える人があまりいないこと。最近はレリーズをあまり使わない?いや、まさかそんなことはないと思うのだけど・・・

撮影後記 

 写真には、現実を伝える働きがある。
 たとえば、写真に写ったカワウが食べている魚が外来生物のブラックバスなら、それは今の世の中をあらわした意義のある写真だと思う。
 でも写真の用途は他にもある。一例をあげると、自分の理想を発信するような写真の撮り方もある。
 僕の場合、特に風景にレンズを向ける際には、自分の理想を発信したい気持ちが強い。「日本の景色はこうであって欲しい」という願望を一枚の写真に込めたい。
 その理想の景色は、絵画のような景色ではない。人にとって癒しの場所であるだけでなく、野生の生き物たちもちゃんと暮らしていけるような場所だ。
 話は少々変わるが、人が書くの字の特徴は親に似る傾向がある、とどこかで読んだことがある。字を覚える段階でその人が見た親の字が脳に刻まれ、それに近づいていくのだという。
 それが本当か嘘かわからないけど、感覚的には、字に限らず同様のことがたくさんあるような気がする。日頃自分が最初に覚えたものやよく見ているものは、その人の中で常識になっていく傾向がある。
 日本語には、「お手本」という言葉がある。
 せっかく子供向けの本を作る仕事をしているのだから、子供たちのお手本になる景色の本を作ることができたらな、思う。
 僕は普段、自分の写真を広くみんなに見てもらいたい気持ちは強くない。興味がある人が見てくれれば、それで十分だと思う。
 でも、もしも風景の本を作ることができるなら、その時だけは、どの学校の図書館にも、あるいはどの教室にもたいてい置いてあるような本を目指したい。
 そしてその中で理想の景色をあらわし、その景色がやがて誰かの常識になり、世の中がおのずとそんな景色に近づいていくようなことがほんの少しでいいからできたらな、と思う。

 ではどんな景色がお手本と言えるのか。
 具体的に書くと、水辺なら、水から陸までが断裂されておらず、連続しているような景色だ。
 池なら、護岸の位置までいっぱいいっぱいに水があるような場所ではなく、水量次第で池になったり岸になるような余白的な場所があること。
 さらに余白には植物が生えていて、その植物も、水の中に生える種類から、陸の水近くに生える種類までが徐々に移り変わり、陸と水との境界線をきれいに引くことができないような景色がいい。
 そうした水辺の余白には、いろいろな生き物が住み着く。
 人は水と陸をきれいに線引きしたがるけど、多くの野生生物は、その境界にまたがって暮らしていて、境目がぼやけていて連続していることが大切なのだ。

 余白という観点で身の回りの水辺の景色を写真に撮ろうとした時に、今の日本で一番むずかしいのは干潟ではないかと思う。
 実は、僕は、自分が納得できる干潟の景色を写したことがない。
 写真の技術的なことではない。
 それに該当する場所がないのだ。
 干潟の周辺には、本来なら塩性の湿地を好む植物が生え、干潟は徐々に陸地になっていくはずだけど、現実には多くの場所で堤防に囲まれていて、余白がない。
 今月は大分県の干潟を見に行ってみたのだが、残念ながら、その余白を見つけ出すことはできなかった。
 ついでに、干潟の奥に不思議な堤防があったので地元の人に聞いてみたところ、元々は漁港を作ろうとしたらしいのだが、未完成に終わったとのこと。
 
 
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2024年2月分


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