今月の水辺 / 落ち葉

NikonZ7
NIKKOR Z 14-30mm f/4 S
(撮影機材の話)
広角レンズで近くの被写体を撮影する場合、画面手前の描写が悪くなることが多い。今月の写真の場合でも、画面手前の砂の描写がザワザワして滑らかではない。それが仕事を左右することはほぼほぼない。仕事の場合、主要な被写体がちゃんと描写できていれば問題ないのだが、カメラマンとしてはいつも気になる。レンズの光学的なことは僕にはわからないのだけど、前ボケが汚いということになるのかな?以前ニコンには、前ボケと後ボケのどちらを優先するかを選択できる望遠レンズが存在したのだが、同じような機構を搭載したワイドレンズがあれば、使ってみたい。


撮影後記 

 写真のジャンルにもいろいろあり、例えば人物の撮影と風景の撮影とでは、かなり要領が異なる。
 時にはあまりに違い過ぎて、同じ種類の活動とは見なさない方がいいと思えることもある。
 また同じように人物にカメラを向けるにしても、スポーツをしている人の撮影とポートレートとでは、僕には全く違う種類の何かに思える。
 一言で写真撮影と言っても、1つのものだとは思わない方がいい。

 僕の場合は、自分自身の撮影を、大きく3つに分けている。
 1つ目が動物の撮影、2つ目が物の撮影、3つ目が風景の撮影だ。
 そして自分がこれから撮影しようとしている被写体がそのいずれに該当するかによって、頭の中を切り替える。
 被写体が動物の場合は、僕はほとんどその表情だけを見る。動物の撮影は僕にとって、パッと反応してボタンを押す早押しクイズみたいなものだ。
 被写体が物の場合は、ほぼほぼ形の描写だけを考える。物の撮影は僕にとって、中学の時に数学で勉強した図形の問題を解くことなどに近くて、形の理解と言い換えることができる。
 被写体が風景の場合は、画面構成を考える。
 画面構成とは、ある種の言語化であり、風景の撮影は、僕にとって作文に近い。
 動物の撮影、物の撮影、風景の撮影と記せばよく似た行為に思えるが、早押しクイズと数学の図形と作文と言い換えれば、それらは全く異なるジャンルの物事になるだろう。
 
 さて、2024年1月の水辺は、海岸に流れ着いた海藻の画像を選んでみた。
 砂浜には様々な物が流れ着き、それらは生き物たちの食べ物になったり隠れ家にもなり、砂浜には漂着物をあてにしたたくさんの生き物が住み着く。
 海の側からはカニがやってきて、波打ち際の砂の中に潜って隠れている。海から出て、砂の上で暮らすようになった種類のカニもいる。
 陸からも生き物がやってくる。漂着物を動かしてみると、下からはハサミムシやその他の生き物が姿を現す。また鳥も漂着物をあてにしている常連だ。
 漂着した海藻を撮影する場合、僕には2つの選択肢がある。
 1つは、海藻を物として撮影する撮り方。あとの1つは海藻を周囲のものを合わせて風景として撮影するやり方。
 この日僕は、風景写真を撮った。頭の中にあったのは、画面構成だ。
 具体的には、海藻が5割、砂浜と海が3割、空が2割くらいのウエイト配分になるようにした。
 全体の5割を占める海藻=漂着物は、言うまでもなくこの写真の主題であり、続く3割を占める砂浜と海は、副題になる。
 砂浜と海の部分には、砂浜から続く丘や山がきちんと描写されるように注意した。人は自然を海とか砂浜とか山とか分けたがるけど、本来それらは連続しているものであり、きちんと連続している場所に野生生物は多く生息し、海辺の景色はこうであって欲しいと望む僕の理想を現したものだ。
 ただ、写真を見た人が海から山までのつながりを解説なしで感じ取ることは難しいだろう。
 したがって、それは料理に例えるなら隠し味みたいなもの。
 その隠し味を分からせようとすると全体のバランスを崩しがちであり、一枚の写真の中には、理解されなくてもいいと思いつつ込めたメッセージもある。
 ともあれ、さまざまな海辺のつながりを思い浮かべながら、僕は今月の写真を撮った。
 
 
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2024年1月分


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