今月の水辺 /新緑の谷

NikonZ7
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR
(撮影機材の話)
僕は、風景の撮影では滅多に望遠レンズを使わないが、今月のようなシーンでは望遠レンズを使い、ここぞ!という場所を切り抜く。普段風景の撮影に望遠レンズを使わない理由は、本を主な発表の場にしているから。本はページをめくるごとに違うイメージになることが求められ、生き物が主役の本の場合はどうしても望遠レンズで撮った写真が多くなるから、風景の撮影ではワイドレンズを使用する。ただし、ワイドレンズを使用すると記念撮影的になってしまう状況では望遠レンズも使うし、風景=ワイドレンズに執着しているわけではない。


撮影後記 

 中国地方のある場所で、新緑の渓谷を、橋の上から見下ろしてみた。
 ここに行くのが目的だったわけではなく、仕事のついで。仕事といってもその日写真を撮るわけではなく一か月後の下見だったから、ウロウロするゆとりがあった。
 写真は撮影は、そんな時が一番楽しいような気がする。
 僕は、キャプションなしで、自分が見せようとしている物が何かがわかるように撮影することを心がけている。
 一言でイイ写真と言ってもいろいろなタイプのイイがあるけど、その写真をパッと見た時に、撮影者が見せたいものが感覚的によくわかるようなイイを心掛けている。
 そういう意味では、もっと左に撮影ポジションを移すと渓谷そのものが写ってそれに近くなるし、もちろん、そんな写真も撮った。
 だが、一本の谷にいろいろな種類の樹木がはえていることや、その種類が判別できるのは、今月の画像の撮影ポジションだった。
 そういう意味では、水辺という自分のテーマ、言い替えると、自らに課した縛りを緩めてしまったような気もしてなんだか気に入らない面もあるけど、僕は生き物が好きなのだ。

 松が多いのは、多分、この辺りは一度木が切られているのだと思う。まさにこの場所ではないけど、ここから車で15〜20分くらい走った場所で、あたりの木が戦時中に大量に切られはげ山になった話を地元の方から聞いたことがある。
 今たくさん生えている赤松は、その後に生えてきたのだと。
 だとすると、写真に写っている木々の樹齢は80年くらいなのかな。
 第二次世界大戦の喧騒や、木々がまだ芽生えだった頃から大きくなる様子を思い浮かべてしまう。
 が、当時の写真や映像が残っている可能性は低いし、残っていたとしても、僕がそれにたどり着くことはむずかしいから、頭の中に思い浮かぶ情景を確かめることができる可能性は低い。
 代わりに今見ている景色がどんな風に変化するのかは、見てみたい気がする。
 仮に平均寿命まで生きたとしてあと30年。
 たった30年で何が変わる?という気もするけど、僕が子供の頃に登った福智山の景色は、樹木が大きくなったり樹種が変わったりして30年で全く違う景色になったし、時間が経ってみなければわからない。
 できれば、僕が死んでしまうなるべく直前にそれを見て、冥途の土産にしたい。
  
  
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2022年5月分


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