今月の水辺 / 神社

NikonZ7
NIKKOR Z 14-30mm f/4 S
NDフィルター
(撮影機材の話)
カメラが低感度のフィルムから、より感度が高いデジタルになった時に、僕は最初、三脚の使用頻度が低くなるに違いないと思った。ところがむしろ、三脚はより当たり前に使われるようになった。パソコンの大きな画面で画像を拡大して見るようになった結果、カメラマンはブレにより敏感になった。あるいは、デジタルカメラは、その場で撮影結果を見ることができる分、ぶれを生かした表現が身近になり、長時間露光がよりたくさん使われるようになった。今月の画像では、しめ縄の一部を動かしてみた。


撮影後記 

 福岡県の平地では、年によっては積雪を一度も見ないこともあるが、大分県との県境にそびえる英彦山に行けば、毎年積雪がある。
 雪を見たい時に僕がよく行くのは、英彦山の中でも高住神社のあたりで、標高が830Mくらいの場所だ。
 高住神社の冬の間の気温は、だいたい-6〜-2度くらいの間になる。
 あたりには、小さな湧き水が幾筋もある。
 それらの流れは小さすぎて地図には載ってないけど、向きと位置から判断すると、今川の源流になるのだと思う。
 冬になると湧き水が滴る岩場が凍り付き、日当たりによってはキラキラして、氷がまるで宝石のようだ。
 だから冬に英彦山に行く時には、必ずマクロレンズと三脚を持ち歩く。
 暖かい季節は暖かい季節で、また楽しい。
 夜になると明かりにいろいろな虫が集まってくるし、コノハズクの鳴き声が聞こえることもある。
 昼間に登山道を歩くと、ミソサザイやコマドリの鳴き声が聞こえる。そしてあたりの細流には、サンショウウオの幼生が見つかる。 
 神社は、今月の画像の階段の上にあるが、僕は神社の本体よりも、神社に向かう階段の景色が好きだ。
 先日、テレビの番組で、「あっ、高住神社の階段だ」と思ったら、全く違う地域の別の神社だったことがあった。もしかしたら、神社は同じような景色になるのように作られているのかな?
 そう言えば、僕は普段人工物を撮影する習慣がなく、この階段をちゃんと撮影したことが一度もなかったことに気が付いた。
 そこで今月は、あたりを流れる細流をまとめた象徴的な存在として、高住神社の階段にレンズを向けてみた。

 自然写真の仕事をしていて痛感するのは、生き物がたくさんすんでいた場所が、年々無くなっていくこと。
 さらに、自然写真の仕事の中でも定点撮影を引き受け、同じアングルで毎月一度写真を撮るような体験をしてみると、どんな場所でも、自分が思っていたよりもずっと高い確率で工事があったり、木が切られたりして、一年間、コンスタントに定点撮影を継続するのが難しかったりする。
 僕はそんな時に、そんなに、変えないといけないのかな?と思う。
 変わらない何かも必要ではないか?という気がしてくる。
 その点、英彦山の高住神社のあたりは、神社があることで簡単には人の手が入れられないので、割と安心できる。
 僕は神仏を拝むようなタイプではないのだけど、現代の神仏は、そんなことのためにあるのではないか?という気がしてくる。
 あるいは、皇室なんかも、もしかしたら、人の社会の中で同様の役割を果たしているのかもしれない。政党の中には、天皇制はいずれ廃止すべきと主張する党もあるけど、僕は支持できない。
 一方で、本来、変わらない何かを主張をする政党は保守なのだろうけど、保守の人から、自然環境をなるべく変えないようにしようという主張が聞こえてこないのを、残念だなと思う。
 
 
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2022年2月分


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