今月の水辺 / 干潟の水脈

EOSM5
EF-M11-22mm F4-5.6 IS STM
(撮影機材の話)
画像処理ソフトは、今や撮影機材の一部。僕は数種類を使い分けている。中でもニコンのソフトは、他の多くのソフトとは傾向が異なる。具体的には被写体の輪郭がとても強く出る。そうした特性は、図鑑写真みたいな理屈っぽい説明写真に向くことが多い。一方でシルキーピクスは輪郭は弱いが、その分、物の丸みや濃淡がきれいに出て、立体感が要求される風景写真に適することが多い。


撮影後記 

 僕は普段文章を書く時に、面白いかどうかを考える。
 一言で面白いと言ってもいろいろな面白いがあるが、ここで言う面白いは、ギャグのことではない。
 世界中で僕しか語れない内容で、かつ、他人が聞くに値する普遍性をもった話になるべく近づくように心掛けている。
 写真を撮る時には、今度は美しいかどうかを考える。
 そしてやはり、一言で美しいと言ってもいろいろな美しさがあるが、ここで言う美しいは、芸術性や美術性ではない。
 そこにあるものがよく見えていて、合理的にちゃんと説明されているような写真を志す。言うならば、機能美に近い美しさを追及する。

 さて、今の時期、家の近所では、夕刻と夜明け前が潮干狩りに適した干潮になる事が多い。
 だから日中に干潟で貝を探したい時には、午後の3時くらいに出かけることになる。
 僕はだいたいせっかちで、日頃前のめりになりやすい。
 だから毎日午前中はよく頑張れるのだけど、お昼過ぎにはすでにかなり疲れていて、夕刻には、もはや抜け殻になっているのが通常だ。
 したがって、いつも干潟からの帰りがけにはほとんど気力が残っていないのだが、この日は、ああ、ここで今写真を撮りたい!と込み上げてきた。
 夕方の、逆光の低い光で、普段はあまり気付けないような、あるいは写真には写りにくい干潟の細くて小さな水脈がよく見えていたから。
 画像の右下は陸地なので、画像右下から流れ込むこれらの水脈は、恐らく淡水なのだと思う。
 広い干潟の中でもそうした水脈がある場所には生き物が集中していたり、他の箇所とは違う生き物が見つかったりする。
 ある場所をただ撮影するのではなく、その中でも生き物の暮らしに深くかかわっている要素を、なるべく明解に写し撮るのは、僕の大きなテーマの1つ。今月の画像は、もしかしたら、多くの人にとって夕刻の情緒を写した写真に見えるかもしれないが僕の狙いは、干潟にある細くて小さな水脈だった。
 水脈がある場所の地面は特に柔らかくて、実はここで、昔、足が埋もれて抜けなくなったことがあった。
  
 写真は一般に、自分が見せたいものを画面の中央付近に置く。画面中央付近の中でも、横位置の場合は、下から1/3くらいの場所に配置する場合が多い。
 また、一般に、画面の中で明るい場所には、その人が見せたいものがある場合が多い。
 あるいは画面の中でも面積が広くなっている箇所は、しばしばその人が見せたい箇所だ。
 つまり写真は、位置、明るさ、面積などで自分の意図を表現する。
 それらをすべて満たすことができれば、わかりやすくて強い写真になるし、どれかを満たすことができず、例えば一番見せたい箇所が影になり暗くなっていたりすると、その分だけインパクトが弱いわかりにくい写真になる。
 今月の写真の場合は、僕が見せたい水脈の部分が光の加減で輝き明るくなっていて、ここが僕が見せたい場所ですよ、と見せることができる条件が整っていたのだ。
  
  
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2021年12月


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