今月の水辺 / 浜辺

NikonZ7
NIKKOR Z 14-30mm f/4 S
(撮影機材の話)
風景の写真を撮る際には、三脚に固定したカメラのISO感度を変えて、数枚の写真を撮ることがある。例えばISO64、100、200、400、800、1600などと。そして、帰宅後にそれらの画像を24インチのモニターに大きく映し出して比較をする。すると、ISO64〜400では画質の良し悪し区別がつかないし、ISO800でさえ、区別できないことの方が多い。もちろん、デジタルカメラの画質は、理論上は低感度に設定した方が画質がいいのだが、現実には、最新のデジタルカメラの場合、もはや低感度に執着するのはナンセンスだということが分かる。樹木が写っている場合は、むしろ、被写体ブレをおこしにくい高感度の方が、よりシャープで高画質に見える写真が撮れることもある。


撮影後記 

 生き物の写真を主に撮影している人は、写真が上手くなりにくい傾向がある。生き物の写真は、撮影者が何を言いたいのかが一目瞭然であり、どうしたら自分が言いたいことが伝わるのかなどと試行錯誤することが少ないから。
 例えば鳥が写っている写真なら、「ああ、撮影者は鳥を見せたかったんだね。」と誰が見ても分かる。
 ところが風景を撮影してみると、事情が異なることに気付かされる。撮影者が見せたいのが、木なのか、海なのか、影なのか・・・いろいろな解釈ができてしまうのだ。
 絵画として撮影している写真なら、それも悪くない。いやむしろ、いろいろに解釈できる写真の方が楽しいのかもしれない。だが、自然界の何かを伝えたい写真の場合は、それでは困る。
 そこで、構図の技術が求められる。
 一般に、その写真をパッと見た時に最初に目が行く場所にあるものが、その写真で撮影者が見せたいものになる。
 ところが技術力が低い人が写真を撮ると、写真がそうなっていないことがある。
 お花畑の写真で、パッと見た時に目が吸い寄せられる場所にある花にはピントが合っておらず、別の場所にある花にピントがあっているような写真になりがちなのだ。
 そのお花畑の写真を見た人の目は、どんな動きをするのかというと、最初にパッと見た時に目が行く場所に吸い寄せられるが、そこにはピントがあっている花がない。
 そこで、ピントがあっている花がある場所を探すことになる。
 その探す時間が、写真の間の悪さになる。 
 だから写真撮影の際には、パッと見た時に目が行く場所と、自分が一番見せたいものがある場所とが一致するように、画面を構成する。
 写真の撮り方には決め事はないし、どう撮影してもいいはずなのに、この点に関して言うと、ちゃんとした出版物や印刷物で、僕は例外を見たことがない。
 基本に忠実な人はもちろんのこと、セオリーを崩してやろう!と目論んでいる人でさえ、みんな同じように撮っているのだ。
  
 さて、僕は内陸で育ったので、わりと最近まで海にはなじみがなかったし、海は苦手だった。
 ところがある時、ヤドカリの本を作ることになり、そこから海の生き物にどんどんひかれていった。
 担当の編集者に、
「普段海の生き物を撮影していない僕に、なぜヤドカリの撮影を依頼したのですか?」
 と聞いてみたら、
「武田さんはカタツムリをたくさん撮影していて、殻を背負った生き物と言えば武田さんだから」
 という答えが返ってきてうならされた。
 生き物を好きな人はつい分類群で生き物を考えてしまうのだが、写真を撮る事に関しては、被写体の形や大きさや、その生き物が地面の上にいるのか、木に止まっているのか、飛んでいるのかなどの条件の方がより重要だからだ。確かに、カタツムリの撮り方は、ヤドカリを撮影する際にも通用する。
 そう言えば昔、ある編集者が、キノコの図鑑について語ってくださったことがあった。
「キノコの図鑑と言えば分類にしたがって並んでいるものばかりなのですが、私は、地面に生えるキノコ、木に生えるキノコなど、人が見てわかる特徴でまとめたキノコ図鑑を作りました。」と。
 それはともあれ、ヤドカリの本をきっかけに興味を持った海は知らないことだらけ。
 そして知らないことが幸いし、海辺での撮影は、まるで子どもの時のような新鮮な気持ちでのぞむことができる。
 遠方にまで行かなくても、そこらの海辺に行っただけで、生えている木からして種類が違うし、たったそれだけで撮影が楽しいのだ。 
 
 
 
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎月の撮影結果を紹介する今月の水辺 2020年4月分


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