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日々の撮影活動を紹介します。 バックナンバーへ

07月30〜31日(火〜水)

 僕には、とてもうっかりが多い。例えば、この日記の中には誤字や脱字が多いし、僕にはとてもルーズな面がある。そして、そのルーズな面は、年々増える傾向にある。
 僕の父は、車で会議に出かけて、その車を忘れてタクシーで帰宅するような人なので、僕も父に似つつあるのだと思う。29日には、フジフォトサロンで写真展(SSP展)の準備をしたが、その帰りには、SSPの本部から預かった写真展のためのお金を置いてきてしまった。
 そんな面がある僕なので、何かの準備をしたり、撮影以外のイベントに参加して、責任を持たせられると、「また、うっかりをしてしまうのではないか?」と心配になり、とても疲れる。
 29日に忘れてきたお金は、サロンの方が預かっていてくれたが、「無くした?」「どこで!」ととても慌てたし、その時のダメージが大きくて、昨日(30日)は、一日経ったにもかかわらず、ひどい疲れが残り、渓流撮影の取材に出かける予定を取り止めにした。
 写真展の準備ごときで、翌日になっても撮影ができないほど疲れるなんて、きっと僕くらいだろう。日頃、滅多なことでは予定を曲げないし、特に撮影をすることに関しては、かなりタフな方になるのでは?と思うのだが、僕にはそんな弱点がある。
 だから、僕が気ままにすると、そんな作業に関わらなくなり、ただひたすらに撮影にのめり込む傾向があるが、それでもSSP(日本自然科学写真協会)に関わることは、僕にとって有意義なことだ。
 僕のSSPへの入会は、会の副会長を務める昆虫写真家の海野先生の勧めだが、「いろいろなことに関わり、世界を広げなさい」という先生のアドバイスであり、また、僕の弱点に対する指摘でもあったのではないかと思う。
 今回、SSP展の準備をしながら、一緒に準備に携わった栗原智昭の話を聞くことで、僕はとても元気がでたし、SSPに関わったおかげで、今年の6月には、川口孝さんの写真を見に行き、気持ちのいい刺激を受けた。
 また、西本晋也さんは、SSPへ入会したばかりで、今回の写真展へはまだ作品を出品していないが、それでも写真展の準備に駆けつけてくださり、SSPに入会したことを、大変に喜んでくださった。
「ああ、こんなに喜んでくれる人がいるのなら、SSPが少しでもすばらしい写真家集団になるように、できる限り貢献をしたいな」と思った。
 海野先生は、後進やアマチュアなど、写真に関わる人をとても大切にする。それは、先生の性格もあるとは思うが、それだけではない。写真に携わることで喜んでくれる人がたくさん存在し、そんな人たちの顔が海野先生には、とてもよく見えているからだと思う。一流の人にはそれだけの余裕があることを、今回、西本さんから気付かせてもらえた。

今月の水辺を更新しました。

第23回SSP展・福岡展を案内します。
場所 フジフォトサロン福岡 福岡市博多区住吉3−1−1 092-281-0231
期間 7月30日から8月16日 9時から17時30分 (土・日・祝は休館)
内容 自然の不思議・神秘を捉えた写真74点で、すべてSSPの会員が撮影したもので、僕の写真も展示されています。
  

07月29日(月)

 SSP展準備の様子

 明日から、福岡は博多のフジフォトサロンで、日本自然科学写真協会(SSP)の写真展が開催される。この写真展は、毎年一度、全国を回り数カ所で開催されるが、今日は、その福岡展の準備の日。
 上の画像は、準備に駆け付けた面々で、右から宮崎で絶滅したとされている九州産ツキノワグマの撮影にトライしている写真家の栗原氏、その隣が僕で、それから木や森の写真を撮っている長崎の川口氏と、北九州でトンボの写真を撮っている西本氏だ。
 栗原氏は見た目の通りであり、この画像からイメージできる人間を想像していただければいい。川口氏は、ちょっとばかり恐持てに写っているが、温厚でぬくもりのある人。西本氏は、飾り気がなく、素朴という言葉がとてもピッタリとくる人。写真には、その人の人柄が滲み出るという人もいる。今日集まった4人は全員HPを持っていて、このHPにもリンクをしているので、果たして、あなたがその写真からどんな印象を受けるのか、是非のぞいてみてもらいたい。

今月の水辺を更新しました。

第23回SSP展・福岡展を案内します。
場所 フジフォトサロン福岡 福岡市博多区住吉3−1−1 092-281-0231
期間 7月30日から8月16日 9時から17時30分 (土・日・祝は休館)
内容 自然の不思議・神秘を捉えた写真74点で、すべてSSPの会員が撮影したもの
僕の写真も展示されています。
  

07月28日(日)

 僕は学生の頃、蚊の研究をしていた。蚊が一日の中でいつ活動するのか、その仕組みを調べていたのだが、僕が材料にしていたイエカ(家蚊)の仲間は、一日に二度、朝と夕刻に活動をする。ただし、これはさなぎから羽化をしたばかりの蚊の話で、羽化後に雄と出会い、交尾をした雌の蚊は夜間にも活動をするようになり、その蚊が家に入ってきて寝ている人の血を吸う。
 交尾をする以前の雌の蚊は、朝と夕刻にだけ活動をしていたのだがら、交尾をした際に雄から雌に渡される成分の中に、雌の蚊を夜行性にする成分が含まれていることになるが、僕が籍を置いた環境生物学研究室では、その成分の正体を調べる研究がなされていた。
 ところで、雄や交尾前の雌のイエカは、朝と夕刻だけに活動をするのだが、熱帯では人も同じような傾向にあると聞いたことがある。あまりに昼間が暑くて活動ができず、昼間は昼寝をしてゴロゴロと過ごすのだそうだ。
 ここのところの僕も、かなりそれに近い生活をしていて、昼間の暑すぎる時間帯にはなるべく疲れるようなことをしないように心がけている。その分、涼しい時間帯に集中をして撮影をしているが、これはなかなかいい方法のようだ。特に、考える時間が十分に取れる点がいい。
  

07月26〜27日(金〜土)

 昔、野鳥の写真ばかりを撮っていた頃、いつも感じていたことがある。いろいろな人が、野鳥に関する情報を教えてくれたが、写真を撮らない人よりも、撮る人の方が断然に自然を良く観察しているということだ。
 写真を撮るためには鳥に近づかなければならないし、長い時間鳥のそばにいなければならない。写真を撮ろうとする行為が、自然をよく観察する結果につながっているのだと思うが、それは野鳥だけでなく、他の自然でも全く同じだ。もしも写真を撮っていなければ、こんなことには気付かなかっただろうなと感じることは多い。
 僕はアマガエルのオタマジャクシを撮影するときは、田んぼで採集したオタマジャクシを水槽の中に入れて撮影をする。小さな網で田んぼのオタマジャクシをすくってみると、五体満足なオタマジャクシは意外に少ない。場所によっては全体の一割にも満たないのではなかろうか?大抵のオタマジャクシは、卵から人工飼育したものに比べて尾っぽが短い。
 中には、刃物で切られたように、尾っぽが半分くらい欠けているものもいる。僕には、その理由がわからなかったのだが、今日、トンボの幼虫であるヤゴがオタマジャクシを食べるシーンを撮影していて、理解できた。
 ヤゴがオタマジャクシを捕まえるときに、胴体ではなく尾っぽに噛み付いてしまうと、そこからスパッと尾が切れてしまい、オタマジャクシの方は、尾っぽを犠牲にしてヤゴから逃げ去ることができる。恐らく、尾っぽが切れてもある程度は再生をして、それなりの形が整うのだろうが、その場合に本来の長さよりも短い尾っぽのオタマジャクシになってしまうのだと思う。
 そう言えば、6月の上旬に山間の棚田でオタマジャクシを撮影していて、その撮影にのめり込んでしまった経験がある。その時は棚田が気持ち良かったからだと思い込んでいたが、今考えてみると、どのオタマジャクシも尾っぽが長くて、とても綺麗な体型をしていて、それが気持ち良かったのだ。
 きっと、その時期の九州の山間の棚田には、ヤゴの数が少ないのだろう。僕がいつもオタマジャクシを採集するのは、比較的標高の低い里の田んぼだが、そこでは、オタマジャクシの数と変わらないくらいのヤゴを見かける。
 よく考えてみると、ヤゴが多くすむ田んぼでは、ほとんどすべてのオタマジャクシが、ヤゴに食べられるというニアミスを経験していることになる。ヤゴの方も、胴体ではなく尾っぽに噛み付いて逃げられているということなので、そう簡単に獲物を食べられるわけではないようだ。やはり、野生の生き物が生きていくことは厳しいようだ。
 もしも写真を撮るのではなければ(例えば単にオタマジャクシを飼育するのであれば)、オタマジャクシの尾は、長くても短くても構わない。だが写真を撮り、それを多くの人が見るのなら、そこに写っているオタマジャクシは五体満足でなければならないから、オタマジャクシの体の隅から隅までをよく見ることになる。
 そして、五体満足なオタマジャクシがなかなか捕まらないと僕は疲れる。疲れるから、「なぜ?」と疑問に思うし、疑問に思っているからこそ、何かヒントがその理由がわかるのだと思う。
 小さな物を見るときに虫眼鏡が必要であるように、自然を見る際に、写真はとてもいい手段になる。
  

07月24〜25日(水〜木)

 なんだか頭がいっぱいで、文字を書く気になれない。自分が書いた文を読み返してみて、書けているのやら、おかしいのやら、全く判断がつかない。そんな時に限って原稿書きの仕事があり、昨晩から今日の午前中にかけて、パソコンに向っていたのだが、何度読み返してみても、自分が書いた文章がしっくりと来ない。正確に言うと、しっくりこないというよりは、しっくり来ているのか、来ていないのかの判断が出来なくなっている。
 この夏はのんびり暮らそうと思うのに、パソコンの前でいたずらに時間だけが過ぎ、ほとんど先に進んでいないのに忙しい。何かをやったという実感がない時は苦しい。僕は、小さな仕事が多いときに、そんな症状に陥る傾向があるが、今回もやはり同じだ。
  

07月23日(火)

 事務所の片隅で、まだ尾っぽが長いアマガエルの子供を見つけた。今朝上陸したばかりの子供だ。そのアマガエルの子供を捕まえて、今日はスタジオ撮影をした。
 まだ尾っぽが長いアマガエルの子供は、野外でもたくさん撮影をしたことがあるが、野外ではなるべく周囲の環境がわかるように、アマガエルの生息状況がわかるような写真を撮ることを心がけた。具体的は、ちょっとカエルを小さめに写して、背景の田んぼの雰囲気をたくさん写すようにする。
 一方で、今日はスタジオ撮影なので、アマガエルの子供にぐっと近づいて、ややアップ気味に、体の細かいところまで精密に写し撮るように意識した。特に、まだ残っている尾っぽの部分をしかっりと写すことができる角度を注意深く探した。
 明日は、アマガエルの泳ぎを撮影する予定だ。泳ぎは昨年も撮影したが、今年は、まったく違う方法を試みる。モデルになるカエルは、大き過ぎても小さ過ぎても撮りにくい。
カエルが大きいと、泳ぐ力が強すぎてカメラで捉えるのがむずかしくなるのだが、小さ過ぎると泳ぎの迫力が感じられない。今日は、そのためのアマガエルの採集にも出かけたが、ピッタリのサイズのカエルを数匹採集することができた。
  

07月21〜22日(日〜月)

 とうとう一度も、それらしい大雨が降らないまま、九州北部は梅雨が明けた。例年であれば、雨水で増水した川の堤防がはちきれそうで、恐ろしく感じられる日が2〜3日はあるのに、今年の梅雨はそんな日が一度もなかった。
 4〜5月は「梅雨か?」と思わせるほど雨が多かったから、水不足の心配はないのだろうけど、大雨の渓流をたっぷり撮影したかった僕には、ちょっと残念な気がする。
 特に撮りたかったシーンは、梅雨明けのイメージで、大雨で茶色に増水した沢と青空の組み合わせだ。梅雨明け直前の狂ったような大雨から一転して晴れに転じるような日を待ち望んでいたが、空振りに終わった。
 今日からは、気分を一転して、ひたすらに真夏のイメージをねらう。水中から見た青い空と入道雲、毒々しい昆虫たち、イワタバコのちょっとエキゾチックな花・・・、夏のイメージの自然を、いろいろと頭の中に思い描いている。
  

07月19〜20日(金〜土)

 僕の生き物好きと、水辺とを結び付けてくれたのはヤマメ釣りだ。
 釣りというと、一箇所で糸を垂れている様子が思い浮かんでくるが、ヤマメ釣りの場合、同じポイントに釣り針を投げ入れる回数は、多くても10回程度である。通常は2〜3回釣り針を送り込んでみて釣れなければ、少し上流に移動して、また新しいポイントで釣りをする。だから、ヤマメ釣りに腰をかける時間はないし、その結果、一日本気で釣りをすれば、かなりの距離を歩くことになる。
 ヤマメは、九州では山間部を流れる渓谷にすむ。その渓谷で次々とポイントを変えようとすると、川岸が狭い沢では、胸まで水に浸かったり、時には泳いで沢を移動をしなければならない。ヤマメ釣りは、沢歩きのついでに魚を釣っているようなものなのだ。
 僕の渓流での撮影は、その延長線上にある。撮影機材は重たいし、水に弱いので、ヤマメ釣りと同様とまではいかないが、ヤマメ釣りに近い装備をして川に降り、ある程度の時間と距離を歩き、その沢歩きの間に撮影をする。機材の水没という最悪のアクシデントも、多少は覚悟しているが、もっと怖いのは、僕が水没して死んでしまうことだ。特に、雨の日の渓谷は、日本の一般的なフィールドの中で、最も危険な場所の一つだ。
 釣りの場合は、限度を越え川が荒れたら釣りにならないから、そんなに危険になるまで水辺に留まることはない。が、撮影で、渓谷が荒れ狂うようすを撮影しようとすると、ちょっと危ない。
 今回の熊本取材では、予定通り、雨の渓谷を撮影したが、撮影は、川の水量や水の濁りとの睨めっこであり、2〜3分おきに川の水を確認して、沢に取り残されないように気を付けた。
 もしも、腰まで水に使って川を渡ったならば、ほんの2〜3センチ水深が深くなっただけで帰れなくなる可能性がある。また、水に濁りが入れば、川底が見えなくなるから、わずか膝までの深さの場所でも渡ることができない。
 その分、撮影が疎かになるのは仕方がないが、撮り逃して、惜しいな〜と感じる被写体もあった。水辺にユリの花が咲いていて、地面に転がるようにして広角レンズ付きのカメラを構えると、まるでユリのトンネルの中から雨の渓谷を覗き見るようなアングルになる。ただ、ユリは、沢の流れよりも暗いところに咲いているから、そのまま撮ったのでは、ただの影になる。ストロボを光らせ、ユリのオレンジ色を写し出そうと思うのだが、今日に限って、広角レンズ用のストロボがない。ある意図があって、小動物撮影用のストロボを二種類準備していたことが裏目にでた。しかたなく別のストロボをコードでカメラから離し、露出計を使い露出を測って撮影しようと手間取っていると、突然の激しい雨だ。5分も経たないうちに川は一気に危険な状態になり、泣く泣く撮影を諦めた。
  

07月18日(木)

 今晩から急きょ、熊本県の菊池渓谷に出かけることにした。明日は、梅雨明け前の最後の雨になるという予報だ。雨の渓谷を撮影したい。
 渓谷での雨は、これまでも何度も撮影しているが、撮った写真で一連のストーリーができるようなところまでは至っていない。今日は、これまでに撮影した雨の日の写真をよく検討して、どのような写真を撮り足せば、写真集の中に雨の日の沢の変化や様子が表現できるのかを検討している。
 明日の撮影は、生活費を稼ぐための撮影ではない。将来、写真集をつくるための撮影で、心から納得できる、奥行きのある写真を撮りたい。
 そのためには、撮影に集中するための準備が肝心であり、カメラバックに防水を施したり、水滴に濡れたレンズのガラス面を拭くための布を多く準備したり、できる限りの雨対策をした。
     

07月17日(水)

 僕が写真を始めた頃、日本のカメラメーカーの中で、一番充実したシステムを取り揃えていたのはニコンだった。ライバルのキャノンは、システムが充実しているというよりは一点豪華主義で、ニコンよりも高性能なレンズがあるのが特徴だった。
 今は、システムの充実という点でも、キャノンがニコンを上回っているが、当時のニコンのカタログを見るのは、最新のキャノンのカタログをみるのよりもずっと楽しい。
 とにかく、あらゆる種類のレンズがある。300ミリには、明るさやレンズの種類が異なる4種類の商品があったし、それは300ミリ以外でも同じで、高級品から普及品まで、選ぶ側にはたくさんの選択肢があった。
 ニコンにせよ、キャノンにせよ、最近のカタログには、高性能で大きくて重たいレンズはあるが、コンパクトで扱いやすいレンズが、姿を消してしまう傾向にある。僕は、どちらかというと、ゴージャスな作りのレンズよりも、コンパクトなレンズが好きなので、とても残念な傾向だと思う。
 そんな中で、僕が興味を持っていたのが、キャノンの70−200ミリf4とペンタックスの645用300ミリf5.6だが、いずれも、よりスペックがより上で、高価なレンズが発売されていて、言うならば弟分的な存在のレンズだ。ペンタックスの方は、つい先日手に入れたばかりだが、発売されて、それなりの時間が経過したにも関わらず中古商品がなく、新品を買った。そう言えば、中古レンズの広告の中に、キャノンの70−200ミリf4も見たことがない。多分、それほどの数が売れていないのだろう。
 フィールドで出会うアマチュアカメラマン達も、大抵は高級品の方を持っているし、やっぱり日本は豊かなんだなと感じる。
 僕はなるべく写真を撮る人にしかわからないことは書かないことにしているが、ちょっと機材のことを書いてみたい。先日から、ペンタックスの300ミリをテストしているが、レンズフードには偏光フィルターを操作するための窓があり、最小絞りが45になっている。このレンズのコンセプトは、風景撮影をする人のための300ミリなのだ。
 そのコンセプトが、メーカーの説明を聞かなくても、使っただけでわかる点がすばらしいと思う。僕は、何事にせよ何となくが大嫌いで、はっきりとしたコンセプトを打ち出すことが大切だと思う方なので、ペンタックスというメーカーが、益々好きになった。
     

07月16日(火)

 台風の影響で風が強い。だが、台風はそれ、青空が顔をのぞかせている。
「こんな写真撮れない?」
 と、以前に依頼をされていた「風に揺れる柳の木」を撮影するために、今日は出かけた。場所は、自宅のすぐ近くだが、先週、車で適当に走り、大きな柳の木に目星をつけておいたのだ。
 こんなにすぐに撮影チャンスがあるとは思いもしなかったから、大喜びででかけたが、枝葉のしなり方が、いま少し足りない。木が大き過ぎるため、枝が丈夫すぎるのだ。木が小さければしらけるし、大き過ぎるとしなりが悪い。いつも思うのだが、自然の写真は、頭で考えていてもダメ。撮ってみるまでわからない。
 頭で考えることを否定しているのではない。一番大切なことは、まずやってみることで、その次に、その結果を踏まえてよく考えなければならない。
    

07月15日(月)

 来年度のカレンダーを作るための写真を借りに、D印刷の方が事務所にこられた。
 企業や会社のカレンダーは、大抵は入札方式で、今回貸し出した写真が、実際に使用されるかどうかはわからない。幾つかの印刷会社が持ち寄った候補作の中から選ばれなければならないので、担当の方の話を聞き、イメージに合いそうな写真を30点弱選び出した。
 では、最終的に選ばれなかったら無駄なのか?というと、そうでもない。今日のような時間は、僕自身の勉強になる。特に今回の担当のOさんは、自然や自然写真の専門家ではなく、「空っぽの心」と「まっさらな頭」で僕をたずねてもらえたことが、ありがたかった。
 大きな都市には、複数の写真家から写真を借り集めてきて、写真を貸し出す「フォトライブラリー」という会社があるから、写真の品揃えの点で、僕は、まず勝てない。
 では、なぜ僕のところに来るのだろう?
 これまで、深く考えたことがなかったのだが、写真を借りる側の人が専門家ではないと、貸し出す側もアイディアを出したり、生き物や写真に関して詳しく説明をしなければならない。目の前にある一枚の写真や写っている生き物に関して、一番よく説明できるのは、撮った本人に違いない。そんな当たり前の事に、今日初めて気が付いた。
 それを受けて、僕はどうしたらいいのだろうか?写真一点一点に対して、僕にしかできない説明を、日頃から頭の中に準備することが大切になる。
 例えば「ツクシマイマイ」というカタツムリがいる。頭にツクシ(筑紫)と冠するように、九州北部に産するカタツムリだが、そんなことは、ほとんど誰も知らない。また、ツクシマイマイの写真が子供の本の中で使用される時、それは、単なるカタツムリの写真として使用される。ところが、九州関係のカレンダーであれば、写真に写っている可愛い子供のカタツムリが「ツクシマイマイ」であることには、とても意味がある。そして、ツクシマイマイのいい写真が提供できるのは、多分僕だけだろう。
 担当のOさんに専門知識があれば、いつも通り、深く考えずに写真を貸し出していたに違いない。だから、今日、そんなことに気がついたのは、ただの偶然だったのかもしれない。だが僕は、全くの偶然でもないような気がする。
 人は、自分を大きく見せたがる。特に仕事をする時には、「私はよく知ってますよ。よく分かってますよ」と、自信がない人ほど大きく構える傾向がある。「分からないので教えてくださいね」と、心を空っぽにして、自分をさらけだすことがなかなか出来ないのだが、Oさんは、実に自然体で話に臨まれた。
 だからこそ、僕は、Oさんに対して、「どれがいいですか?」ではなく、一枚一枚の写真やそこに写っている生き物に関して、多少の説明をしようという気になったのだし、そんな僕の能力を、その方が引き出してくれたのだ。
 思いがけず、思いがけない人から、大切なことを教わることがある。
    

07月14日(日)

 高校の頃、美術の授業で、スケッチに出かけたことがある。学校の周辺の思い思いの場所で絵を書き、あとで先生が、みんなの前で一点一点その絵を評価していく。
 その授業の中で、僕の親友のY君の絵が、
「いいですね。いや〜すばらしい!」
 ととても高く評価された。風景の中に鯉のぼりが描かれていて季節感があるというのが、高く評価された理由だった。
 ところが、その時の僕には、季節感があることがなぜいいことなのか、その意味がよく理解できなかった。季節感がなくても僕の心を動かす絵はあるし、季節感があっても僕の心に響かない絵もある。大切なのは季節感の有無ではなくて、人の心を揺さぶることができるかどうかでは?と思ったのだ。
 そんな僕の思いは、今でも基本的には変わらない。僕は、その時の先生の評価は、型にはまった、創造性に乏しい評価だとずっと思っていた。
 ただ、仕事として写真を撮るようになってからは、先生がそんな評価をした理由もわかるような気がする。季節感がある写真は、とても使われやすいからだ。
 先生は、本職は画家であり、高校には週に一度だけ教えに来られる講師だった。
 僕の推測でしかないが、絵も写真と同じく、季節感があるものが売れやすいのではないだろうか?失礼かもしれないが、先生が大金持ちだったとは思えないし、絵を売るために苦心している先生の苦労が、美術の時間の評価の中にあらわれたのではないだろうか?
 僕も写真の世界で仕事をするからには、ある程度、季節感を意識しているし、自然と季節感には敏感になる。

 その季節感が最も要求されるのはカレンダーだが、年末に企業などから配られるカレンダーは、8月頃に企画されることが多い。明日は、そのカレンダーを製作するために、印刷会社の担当の方が事務所に来られる。
 どこの企業のカレンダーなのかは、まだ聞いていないが、印刷会社の方のイメージに合う写真で原案を作り入札に参加して、その入札で企業の側から選ばれれば、僕の仕事が成立する。
 ここのところ写真の整理が滞ってもいるので、今日は、明日の準備も兼ね、写真を整理している。
 ところで、カレンダーのようなケースは別にして、写真を使う側の人は、なぜ季節感のある写真を求めるのだろうか?今の僕は、季節感を否定しないが、それでも必要以上に季節感が重視されるような気がするし、他にも、いい写真はたくさんあるに違いない。
 僕は、その理由の1つには、写真を使う側の人の自信のなさがあるような気がする。どの写真が、見る人に喜んでもらえるのかがわからないので、何かお墨付きが欲しい。そのお墨付きの一つとして「季節感」があるような気がする。
    

07月13日(土)

 「高いカメラって良く写るのですか?」と、時々聞かれる。また、写真の出来映えを道具のせいにする人がいるが、性能の違いは、撮る人にはわかっても見る人にはなかなかわからない。写真を撮る側は、自分の道具の特性をある程度踏まえて使用していることが多いが、他人が撮影したある一枚の写真を見て、
「これはキャノンだ。これはニコンだ」
 と、的中させれる人は、まずいないだろう。また、写真雑誌のコンテストのページにアマチュアの方が投稿した写真を見て、
「画質がいいな〜」
 と思った写真が、低価格のズームレンズで撮られていることもある。それどころか、35ミリ版と、それよりも画質がいいはずの645版や67版の違いさえ、印刷物の中ではわからないこともある。
 ただ、ごく稀に、「この人の使っているメーカーって何?」と写真をみて感じられることもあり、そう感じさせてくれた写真家が、僕の記憶の中に3人いる。
 一人目は岩合光昭さんだ。まだ学生時代に「セレンゲティー」という写真集を見て、独特なパステル調の色合いを「気持ちいい!」と感じたのだが、後にそれがライカのレンズの色調であることを知った。
 二人目は、古賀義章さんという写真家で、この人は有名な人ではないが、火山の噴火の爪あとを記録した「普賢岳」(平凡社)という写真集を出している。その写真の何とも言えない微妙な色合いとトーンに一撃でノックアウトされ、迷わず本を買ったのだが、やはりライカで撮影された写真だった。
 三人目は今森光彦さんで、今森さんの写真の画質の良さにはいつもハッとさせられるが、今森さんはペンタックスの67版をメインに使用している。
 ただ、岩合さんや古賀さんや今森さんが撮影したシーンを、他のカメラで撮影したらつまらない写真になったのかというとそれはない。どんなカメラで撮ろうと、すぐれた、気持ちがいい写真になっただろうし、道具による写真の優劣は「ある」とも言えるし、「ない」とも言える。

 今回の取材は、昨日の午前中の滝の撮影がメインだが、買ったばかりの300ミリレンズを試し撮りも兼ねている。結論から言うと、とても気に入った。
 何と言っても、ファインダーをのぞいた瞬間に、
「あ、僕のイメージ通りだ」
 という安心感があった。
 同じ自然の中を歩いても、人によって見る場所が違う。だから、写真を撮ろうする時にその人がもっているイメージは、人によってそれぞれ違うし、僕と同じ道具を買ったからといって、他の人のイメージに合うとは限らない。自分のイメージは自分にしかわからないので、人から教えてもらうことができないし、自分に合った道具探しは案外難しい。
    

07月12日(金)

 「私には時間がないから好きなことができない」
という人は多い。勤めがあるとか、家族がいるなど、人それぞれの事情がある。そういう人は多いが、僕は単なるいい訳だと思う。
 例えば、生き物の生態を撮影するのであれば、スタジオに持ち込んで撮影するという手もある。スタジオ撮影で徹夜をすれば、たくさんの時間を作ることができるし、仕事をしたいという情熱が、とにかく物を言う。スタジオ撮影は趣味に合わないという人も多いのだが、まずは、そんな出来ることからすればいいい。
 僕は、徹夜が苦手なのだが、昆虫を撮影する先輩カメラマンのMさんから、
「スタジオで徹夜をすれば撮れるシーンは大歓迎だ。徹夜をすれば、昼間に自由な時間が取れなくても、たくさんの撮影時間を作ることができる」
 と伺い、負けられないなと思ったことがある。
 室内で、人工照明を使用するスタジオ撮影は、天気や時間にあまり左右されないし、コンスタントに写真が撮れるという発想は、とてもプロ的な発想なのだ。
 負けられないなと思いつつ、ふと、逆のことに気が付いた。
 屋外での撮影は、気象条件にとても左右されるのだから、気象と時間を最優先にしなければならない。一番いい条件の時にさえ撮影をしていれば、後は、写真を撮る必要はないし、遅れてカメラを持ち出し、どんなに長い時間粘っても無駄なのだ。

 今日は、事務所でフィルムの整理をしようかと考えていたが、急に気が変わり、滝の撮影に出かけた。場所は、大分県の安心院町で、富貴野の滝という大滝だ。
 先々週にも、近くの東椎屋の滝で撮影をしたが、東椎屋の滝が曇りや雨の日が美しいのに対して、富貴野の滝は、晴れの日がすばらしい。この滝は、高さが70メーター以上あると思うが、早朝の6時頃から滝の上部に光があたりはじめ、8時頃には滝壷にも光が射し込む。滝壷に光が当たる時間帯の太陽は、ちょうど虹が一番みごとにかかる位置にあり、その虹を撮影するためには、晴れの日の太陽が不可欠なのだ。
 滝は、水量によって、雰囲気が大きく変わる。水量が多いと豪快なイメージになるし、少ないとひっそりとして繊細なイメージになり、それぞれに魅力があるが、虹を撮影するためには、滝の周辺にたくさん水飛沫が舞っていた方がいい。そのためには、雨の後で水量が増えている時がいいのだが、ちょうど、一昨日の台風と雨の影響で水が増え、昨日は水が濁っているかもしれないが、今日は十分に澄んだ水が落ちているに違いないと考えていたところ、今朝は朝から快晴の予報だ。もしかしたら、今日以上の条件は、今年はもうないかも?と判断して、急遽滝の撮影をすることにした。
    

07月10〜11日(水〜木)

 僕は、あまり物に執着する方ではない。何かを人からもらっても、その気持ちは嬉しいが、いただいた物に対して感激するようなことは、日頃滅多にない。
 ある時タンスを整理しようとすると、誰かにいただいたものの、封も切らずに仕舞い込んでいたネクタイが数本でてきて驚いたことがあるが、大体そんな感じだ。
 僕に贈り物をするなどというのは無駄なことだし、それよりも、話でもしに、ちょっと寄ってもらった方が断然に嬉しい。
 だから買い物も、実用品を仕方なく買いに行くことがほとんどで、物を買ったからといって、それが嬉しく感じられることはあまりない。そんな僕だが、最近車のカセットテープが故障したことをきっかけに、車にMDプレーヤーを取り付け、CDからMDに録音できるMDコンポを買ったら、それがとても嬉しくて、買い物もなかなか楽しいな〜などと、感じてしまった。
 で、その延長で、新しくレンズを一本買った。ペンタックスの645版のカメラに使用するための300ミリレンズだ。
 ペンタックスから発売されている645版用の300ミリには300ミリf4と300ミリf5.6の2種類がある。f4の方は、定価が約45万円近い高級品で、より暗い条件でも撮影ができるが、重量があり、1500グラム近い重さがある。f5.6の方は、f4の約半額で、暗い条件下での撮影を苦手とするのだが、軽くて750グラム前後の重さしかない。
 ここしばらく、ずっと迷っていたのだが、結局f5.6のレンズを買った。
 1500グラムというと、持って歩けない重さではないが、渓流などの足場が悪い場所を長距離歩いたり、当り前のようにカメラバックに入れっ放しにしておくには、やや重過ぎる。一方で、750グラムというと、ほとんど気にならない重さだし、それが選択のポイントになった。
 レンズは、一般に高性能になればなるほど重たい。スポーツ写真のように、競技場で、決められた場所から撮影するのであれば、重たくても構わないのだろうが、自然写真の場合、性能を取るのか、軽さを取るのか、どちらを取るべきなのか、いつも悩まされる。
    

07月09日(火)

 つい先日、台風の影響で・・・と書いたばかりだが、また台風が近づいているらしい。今日は、不安定な天気になるという予報だったが、その通りになった。
 今日の午前中は、うちの庭で雨とカタツムリの組み合わせで撮影をした。午後からは何もしていないが、これは昨日書いた通り、これから夏の間は、ぐうたらな生活をすることにしているからだ。
 生真面目に構え過ぎると、逆の撮れない被写体もあるような気がする。例えば、雨の撮影など、気象条件に大きく左右される撮影は、構え過ぎない方がいい。
 動物の生態の撮影であれば、予測をすることができるし、その動物を良く知り、じっくり時間をかけることで狙ったシーンを高い確率で写真におさめることができる。例えば、アマガエルは、毎年初夏に必ず卵を産むし、そのタイミングを上手く捉えられるかどうかは別にして、決められたイベントが、決められたタイミングでおきることは間違いない。
 ところが、気象は、厳密な意味での予測が難しい。九州であれば、雪が積もらない年もあるし、台風がほとんど来ない年もある。予測が難しいシーンは、忙しい人間には撮りにくい。カメラマンの方も、それなりに適当な気持ちで構えておいた方がいいこともあるし、今年の夏は、ぐうたらな生活の中で、そんな構えることでは撮りにくい、予測が難しいシーンの撮影をしたい。
    

07月08日(月)

 日頃、僕は、ほぼ毎日撮影をするが、その内容は、およそ一年前から計画を立てている。
 今年の場合であれば、アマガエルの産卵の瞬間と、卵の成長と・・・・といった感じで、昨年から予定している撮影を、毎日の計画帳の中に割り振ってから実行しているが、僕は欲張りなので、計画帳は、撮影の予定でいっぱいになる。
 そこで、これからの夏の予定だが、今年は、ぐうたらな生活をするつもりだ。
 可能な限り、暑い時間帯の撮影を止め、野外では早朝に、スタジオでは夕方からの涼しい時間帯に撮影をして、あとは涼しい部屋の中でゴロゴロして過ごす予定だ。
 撮影内容も厳選して、夏の夕立や、入道雲や、夏にしか観察できない生き物の生態に限定する。他の季節でも撮れそうな被写体には、一切カメラを向けないようにするつもりだ。
 去年もそんな計画をたてていたのだが、6月に終えるはずの撮影が予定通りには終わらず、7〜8月にまでずれ込んでしまい、企画倒れになった。ぐうたらな生活をするどころか、朝から仕事を始め、撮影が終わるのが、毎日のように深夜の12時頃になり、ぐうたらとは180度逆の生活を送ってしまったが、それはそれで良かったに違いない。
 今年は、なかなか調子がよくて、これまでの所、「これを撮ろう」と決めたシーンは、ほぼ確実に撮りこなしてきた。5〜6月に予定していた撮影で、7月にまでずれ込むものは、ほとんどない。どうやら憧れのぐうたら生活が送れそうだ。

 昨年、撮影が予定通りに進まなかったのは、スタジオ撮影に初めて本格的に取り組み、それが思うようにできなかったからだが、たった一年で、自分でも不思議なくらいに上手くなった。たった一年前が、遥かに昔のことのような気がする。
 スタジオ撮影で身に付けたことは、野外での撮影にも役に立っているし、あとで振返った時に、昨年の一年は、特別な一年になるような気がする。予定通りにいかなくても、それはそれで楽しい。
   

07月07日(日)

 先週撮影した分のフィルムが現像され、仕上がりが届けられた。結果は上出来で、今回の写真は、ほぼすべて、納得できる仕上がりになった。これまで、うまく撮れなかった雨も、ちゃんと写真に写っている。雨の撮影に関しては、これだ!というコツがわかったし、こうなると、次の雨が待ち遠しい。
 僕は、1〜2週に1度、フィルムを現像に出す。1度に現像するフィルムの本数は平均して30〜40本くらいだが、そのほとんどすべてがボツになることもあれば、逆のケースもある。
 届けられたフィルムを手にして、まず一番最初に見るのは、仕事を抜きにして、僕が好きだから撮影した写真で、今回の現像分であれば6月下旬に撮影した滝の写真が、それにあたる。
 意外だと思われるかもしれないが、僕は滝の写真を売りたいとは思っていない。もちろん使いたいという依頼があれば、それで使用料をいただけばいいのだが、それよりも、将来写真集の中の1ページにしたい。
 写真集を出せば僕の名前が売れ、仕事の依頼は増えるだろうが、写真集そのものの売上は大した事がないだろうし、取材費やフィルム代を考えれば間違いなく赤字になる。それならば一層のこと、写真集はコストを考えずに、本当にいい本を作りたいし、そのための写真は70〜80点の出来では納得ができない。常に100点を目指し、見る人に僕のことをわからせたい。
 その次に見るのが、仕事として撮影した写真で、アマガエルやカタツムリの写真は、僕が仕事として撮影している写真にあたる。
 こちらは、100点を目指すなどという馬鹿なことは考えていない。いつでも、どんなシーンでも手堅く75点くらいを狙い、むしろ、いろいろなシーンを撮影して、写真の品揃えを豊富にすることをを考えている。
 仕事として撮影している写真は、どんなに自分が満足できる写真だったとしても、写真を使う人と見る人とが喜んでくれなければ意味がない。だから、徹底して自分を殺すし、一切の僕の主張を捨て去り、写真を見る人や使う人の気持ちを僕の方が理解したい。
 
 僕の身の回りの人の中には、僕のことを
「人に媚びず、自分の思いを貫いているところに頭が下がります」
 と誉めてくれる人もいるが、僕は、違うなと思う。
 確かに、時には、自分の思いを徹底して貫くこともあるが、時には、自分の思いを一切捨て、ひたすらに相手の要求に答えようとしている時間もあるからだ。
 いつでも、闇雲に自分の思いを貫けばいいわけではないし、逆に、人に合わせてばかりいればいいのでもないと、僕は思う。
   

07月06日(土)

 台風の影響で風が強い。だが、台風そのものは九州からはそれ、天気は悪くはない。曇り時々晴れか、晴れ時々曇りといった感じだ。こんな日は、風を撮影するのに絶好のチャンスだ。
 僕がテーマにしている水辺では何が撮れるかな?と考えてみたが、「これ!」といったものが思い当たらない。ただ、水辺にこだわらなければ、風にあおられた木を撮影してもいいし、風に揺れる草むらもいい。
 迷っていても仕方がないので、風に揺れる草むらを撮影することにしたが、今日のような、特別な気象条件の日には、水辺というテーマを忘れ、その時にしか撮れないものを撮ることにしている。
 できれば風に揺れる柳の木を撮影したかったのだが、大きな柳の木で、周囲に人工物がない場所に生えている木が、すぐには見つからなかったため、結局、草むらを撮影することになった。
 風に揺れる柳の木は、
「こんな写真撮れる?」
 と、打診されていたシーンで、前もってそんなイメージの木を探しておくべきだったが、5〜6月が小動物の撮影で手一杯だったため、取り損ねてしまった。
 写真は、前もって下調べをした方がいい場合もあるし、臨機応変に臨んだ方がいい場合もあるが、木の撮影の場合は、必ずといってもいいくらい、下調べが必要だ。
 周囲の環境を含め、撮影のための条件が整った木は滅多にないし、木は逃げないからだ。
 この季節は、雨の撮影も常に頭に入れているが、雨の場合は、計画をたて過ぎない方がいいような気がする。
 子供の頃、学校で、計画をたてましょうと教わったが、それが当てはまる時もあるし、そうでない時もある。

 まだ学生の頃、
「どうしたら写真家になれるのですか?」
 と、昆虫写真の海野先生に手紙を書いたことがある。
「どうしたら写真家になれるのかは、その人の経済状況、写真のセンス、自然に対する知識などによって、一人一人全員違います」
 と、先生から返事をいただいたが、その返事に、
「こうしたら写真家になれますよ」
 と、書かれていなかったことに、僕はむしろ安心できた。
 人はいろいろなアドバイスをしてくれる。ある人は、
「カメラを持つ前に、じっくり観察しなさい」
 という。また、ある人は、
「いつでも写真を撮れる状態にして待ちなさい」
 という。人は、
「こうしたらいいのですよ」
 と言いたがるが、どうしたらいいのかは、その時々によって違うと、僕は思う。
  

07月04〜05日(木〜金)

 アマガエルのオタマジャクシを撮影している。オタマジャクシの写真は、昨年も、一昨年も、その前もたくさん撮影したが、今回は、これまでとは違う雰囲気の写真を撮っている。
 昨年までは、水槽に細かい砂利を敷いて撮影したのに対して、今回は田んぼの土を敷き、稲を植え、田んぼを再現した撮影セット(田んぼセット)を作った。
 実は、田んぼセットでの撮影は、今回が初めてではない。これまでも、何度もトライしてきたのだが、オタマジャクシが泳いだときに巻き上げられる泥が目立ち、納得できる写真が撮れていない。それから、稲を植えても、水槽用の照明では光量不足で、しばらくすると枯れてしまう問題点もあった。
 水槽の濁りは、魚を飼育するためのろ過装置を使用したり、さまざまな工夫を凝らしたが、ろ過装置は田んぼの泥であっという間につまってしまうし、それよりもろ過装置からの水流で、慢性的に泥が巻き上げられている状態になった。稲の照明不足の方は、照明の数を大幅に増やしてみたが、やはり太陽の光の強さには到底及ばない。いつものことながら、何でもなさそうなシーンでも、やってみると難しいことを痛いほど思い知らされた。
 今回は、全く違うアイディアを思いついた。水槽に泥を入れ、水に浸し、乾燥するまで放っておき、それからそっと水を注いだところ、泥の微粒子どうしがくっつき合い水の濁りがなくなった。それから、水を入れた状態で持ち運びできる程度の小さな水槽を利用して、稲を植えたあとは屋外に置いておくことで光量不足は解消され、稲は順調に育っている。撮影の時にだけ、スタジオに水槽を持ち込めば、それでいい。
 もしも事が順調に進めば2〜3年前に終わっていたはずの撮影だが、一事が万事、こんな調子でやり直しだらけなので、多少ゆとりがあるはずのスケジュールが、殺人的なスケジュールへと変貌してしまう。特にスタジオ撮影は、室内で人工照明を使うため、どんな時間にでも撮影できるし、その結果、睡眠時間を削って撮影することになる。

 そんな写真の撮り方を否定する人は多い。自然と対峙する時は、フィールドの中で、ゆったりと構えることを良しとする人は多い。僕もその通りだと思うが、それは最終的に到達すべき地点であり、修行の段階では、あらゆることを試さなければならないと思う。
 スタジオ撮影をして一番良かったことは、野外での撮影の際に、それまでの自分が基本すら知らずに撮っていたことに気付かされたことだ。
 

07月03日(水)

 撮影の技術を、もう一度、一から勉強し直そうと考えている。具体的には、動くものに対するピント合わせを強化したい。
 最近のカメラは、カメラが自動にピントを合わせるオートフォーカス(AF)になっているが、AFの性能は、年々良くなっていて、スポーツ写真の世界では、AFで撮ることは、もはや当たり前になっている。
 自然写真でも、大型の野鳥が飛んでいるシーンの撮影に、AFはかなり有効だし、この2月に北海道で撮影した際には、AFの威力を思い知らせれ、目から鱗が落ちる思いがした。
 中には、保守的で、「カメラ任せになんて出来るか!」とAFを、全く否定している人もいるが、プロは結果にこだわるべきだし、僕も、これからは、AFを積極的に使っていこうと考えている。
 ただ、いつでもAFが通用するわけではない。AFが苦手としている被写体や状況もある。カメラ任せにするだけでなく、手でレンズのピントリングを回し、動く被写体に対して、素早くピントを合わせる練習もするつもりだ。
 その練習のために、昨日、おもちゃの列車を買ったのだが、さっそく今日から練習に取り組んでいる。グルグルとレールの上を、円を描いて動き回るおもちゃの列車にレンズのピントを合わせ続け、一瞬たりともピントを外さないようになるまで練習する予定だ。
 AFの技術が最も進んでいるメーカーはキャノンだが、試しに、キャノンのEOS−1Nに100ミリマクロレンズを撮り付け、AFで、おもちゃの列車にピントを合わせてみたが、すばらしい性能だ。
 決められたコースを、決められたように動く被写体に対しては、もはや人の手によるピント合わせを遥かに凌ぐ能力を持っている。
 続いて、自分の手でピントを合わせてみたが、恥ずかしながらEOSには全く敵わない。
 ただ、収穫もあった。たった15分練習をしただけで、自分でも驚くほど、手によるピント合わせが上達したし、コツがあることも解った。そんなコツも知らずに、今まで、飛んでいる野鳥を撮っていたのだと思うと、我ながら恥ずかしくなる。
 

07月01〜02日(月〜火)

 九州の中で一番存在感のない県は佐賀県だと思うが、地図を見てみると、交通の上では要所であることがわかる。九州には、縦方向と横方向に、ちょうど十字を切ったかのように高速道路が張り巡らせれているが、九州を縦断する高速道路と横断する高速道路とが交わるのは、佐賀県の鳥栖市だ。
 その鳥栖から東に伸びる高速道路は、大分県に向うことから、大分自動車道路というが、大分道は、霧がでやすく、頻繁に通行が規制される。
 その通行止めになりやすいポイント付近に、一昨日から、撮影をしている由布川渓谷が流れているのだが、昨日(1日)の渓谷は一面真っ白な霧景色で撮影どころではなかった。たまに霧がはれても、カメラのファインダーをのぞき込んでみると、やはりどこか「もや」がかかっているようで、どうにも様にならない。
 渓谷の岩場は、雨に濡れた日が美しいので、僕は、渓流の撮影には雨の日を選ぶことが多い。が、特に霧が出やすいこの川の場合、雨で湿度が高い日は、霧が濃すぎて撮影には向かないようだ。
「霧の渓谷を撮ればいいじゃない」
 と考える人もいると思うが、霧は、光が差し込んだり、よほど気象条件が整わなければ、ただ白っぽく霞んだ、しまりのない写真になってしまう。
 それぞれの場所に適した撮影条件があるから、自然の撮影は難しいな〜と思う。
 代わりに、ちょっと麓の方に降り、田んぼで雨の波紋や水滴を撮影していると、上陸したばかりのアマガエルの子供が、草の中から無数に飛び出してくる。田んぼの周囲の小さな草むらだが、ざっと200匹くらいはいるだろうか。まだ、小指の先端ほどのサイズで、どれもとても可愛い。
 アマガエルの子供を狙って、トノサマガエルも上陸しているが、目の前で小さなアマガエルが食べられた。
 今日(2日)は、朝から、そのアマガエルの子供達を撮影している。