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撮影メモ

日々の撮影活動を紹介します。 バックナンバーへ

05月31日(金)

 熊本へ取材に出かける準備を整えた。が、体調が今一優れない。いつもと違う取材をするわけではないけど、何を準備していいのか、なんとなく分からなかったりする。
 熊本への予定を変更して、まずは、大分の渓流で撮影をしてから熊本に移動をすることにした。大分の方が若干福岡からは近いから、こちらの計画の方が、初日の移動は楽になる。
 やや喉も痛い。これは風邪かな?


05月29〜30日(水〜木)

 昨日は、とても体調が悪く、ほとんど何もできずに一日が終わった。今日は、かなり回復して、生き物の世話や、雑用など、最低限の仕事をこなすことができた。明日からは、熊本取材に出かける。体調不良をずるずると熊本取材にまで引きずらないように、今日は早めに仕事を切り上げ、9時少し前には帰宅して、夕食を食べた。
 体調が悪い時間帯は、不思議なくらいに、とても長く感じる。火、水、木とたった3日間、シャッターを押さなかっただけで、久しく写真が撮れていないような気持ちになる。永久に写真が撮れないような気がしてくる。
 それでも、この日記を振返ってみると、今年はとてもコンスタントに写真を撮っている。
 僕は、だいたい一年前の時点で、何を撮影するのか一週間ごとに計画をたて、翌年、その計画を実行していくのだが、これまでのところ、今年は、その予定をほぼ100%決行して結果が出ている。最近になり、ようやく、毎日写真を撮ることが習慣となり、その習慣をずっと維持していけそうな自信がついてきた。
 「継続は力なり」というが、単に何かを続けることはそれほどにむずかしくない。ただ単に、写真を毎日撮ることは、簡単である。しかし、こだわりつつ、継続することは、とてもむずかしい。
 こだわることには、大変なエネルギーがいる。そのエネルギーを、当たり前に、いつもふりしぼる習慣が、最近やっとついてきたのだと思う。


05月28日(火)

 今日は、まだカメラのシャッターを押していない。朝から、この春に撮影した分のフィルムを、整理をしている。
 先週から約10日間、連続してスタジオ撮影をしているが、さすがに疲れがたまってきた感じがする。やや体調も悪い。野外で撮影する際には、滅多なことで体調が悪くなったりはしないのだが、スタジオ撮影が長く続くと、必ずといっていいくらい、どこか具合が悪くなる。
 野外での撮影の際には、体が戦闘状態になり、朝は、まだ暗いうちに勝手に目が覚めるし、食欲がなくなり、余分な食べ物など、体がいっさい必要としなくなる。長期間の山歩きをする山男達には、一日一食、ご飯一合程度の食事しか山では食べないという人が多いが、僕が野外で撮影をする際にも、全く同じ状態になる。また、創作活動をする人にも、同じようなことをいう人は多い。
 何をするにしろ、自らの限界に近いところまで集中して作業をしようとすると、体や精神が似た状態になるようだ。そうして野外では、自然とほどよい緊張を保てるのだが、スタジオは快適すぎて、そんな緊張を保つことがむずかしい。
 昨年は、生まれて初めて、徹底したスタジオ撮影を体験したが、そういった体調や緊張を維持することまでは分からなかったから、体調不良や緊張感が保てないことに対して不安を感じ、もがき苦しんだ。
 が、今年は、そんなものなんだと良く分かっている。なるようになるさと安心して身を任せておける。
 かといって、撮影が楽になるわけでない。楽になるのではなくて、苦しくてもいいんだと開き直れるだけなのだが、その差がとても大きい。
 緊張感が保てなくなった時には、自分を冷静に振り返るといい。カメラマンの場合、自分を振り返ることは、フィルムを整理することだが、結果が出ている部分に関しては自信が持てるし、結果が出ていない部分に関しては、新しいエネルギーが湧いてくる。


05月27日(月)

 カタツムリ(子供)の飼育ケースの様子 / 日本庭園風

 カタツムリには、殻のバリエーションが多い。ツクシマイマイなど、これが同じ種類だろうかと不思議になるほど、殻の色に変異がある。一般的なイメージは、黄土色で縞模様が一本殻に入っているカタツムリだから、僕は、そのタイプを撮影に使用しているが、黄土色で無地、茶色で無地、縞模様が3本あるタイプ・・・いろいろなタイプが存在する。
 昨年、僕が採卵した卵から生まれたカタツムリの中の数匹は、今でも撮影用にキープしているが、その中には、野外ではあまり見かけない2つのタイプのカタツムリが、それぞれ一匹ずつ含まれていた。殻の色は、間違いなく遺伝なのだろうけど、親は、平凡なカタツムリだったから、両親の遺伝子の組み合わせにより、色々な模様が作られるのだと思う。
 カタツムリを卵から育てると、どんな模様になるのだろうというワクワクがあり、飼育は思ったよりも面白い。撮影のモデルでもあるし、これから数年間、ツクシマイマイだけは飼育を続け、いろいろな殻のバリエーションを手にとって見てみたい。あまり興味が湧かず、仕事だと、仕方なく取り掛かった感のあるカタツムリの撮影だったが、こうなると、もう趣味である。
 世話のコツも分かってきた。餌として与えるニンジンの切り方1つで、腐りやすさが違うことも知った。ニンジンが死んでしまうような切り方をすれば、数日で腐り始めるが、うまく切ればニンジンから根っこがでてきて腐りにくい。
 子供のカタツムリは、とても小さく、つぶしてしまったり、気付かないうちに逃がしてしまったり、取り扱いに神経を使うから、飼育ケースの中に苔を敷き、枯れ葉を入れ、隠れ家を作り、小さな生態系を再現して、メンテナンスフリーで飼育をすることにした。今日の画像は、その飼育ケースの中身だが、まるで日本庭園のようでもあり、なんだか楽しい。昨年は、とにかく写真を撮ることで頭がいっぱいであり、飼育を楽しむゆとりはなかった。
 もちろん、餌は与えるが、数日間放置しておいても苔を食べるから大丈夫。糞も子供は小さいから、放っておいても苔の栄養になり問題ない。ある程度大きくなり、殻の模様の判別がつくようになってから、別のケースで、飼育をすることにした。
 今年は、すでに数百個の卵を採卵した。採卵した卵は、孵化を撮影できるような体勢でキープしてある。孵化は、昨年も撮影したが、生き物の誕生の写真は売れ筋だから、チャンスがあれば撮っておくに限る。昨年のように、無理をして、待って待って撮影をする必要はないが、事務所で仕事をする際に時々見て、簡単に撮影できそうな機会があれば撮ればいい。今日は、まさにそんな日であり、午前中はカタツムリの孵化の様子を撮影した。
 午後からは、一昨日採集したアマガエルをモデルにして、アジサイの上でカエルとカタツムリとが出会うシーンを撮影した。アマガエルとカタツムリがアジサイに止まっている写真は、どこかで何度か見かけたことがある。そんな写真のニーズがあるのだろう。写真は、オリジナリティーが大切だが、仕事としての写真の場合、要領の良さも大切だ。どこかで見たことがある写真は、言い換えればニーズがある写真だから、水辺の小動物に関しては、同じシーンを必ず撮っておくことにしている。


05月26日(日)

 昨晩は、アマガエルの卵を撮影する予定だったが、産卵しそうなカエルが採集できず、撮影ができなかった。
 夜の田んぼに出かけると、その晩に産卵する予定のカエルは交尾をしている。そのカエルを捕まえると、やがて目の前で卵を産むから、産んだばかりの卵が手に入る。その卵を、時間を追い撮影する予定だったのだが、卵が手に入らないのではどうしようもない。仕方なく、適当にカエルを10匹ばかり捕まえて帰り、1つの容器の中に入れておいたが、カエルたちは交尾をすることはなかった。
 僕がいつもカエルを採集する山口県美祢市の田んぼには、とにかくアマガエルが多い。時期さえ間違えなければ、一枚の田んぼで、交尾をしているつがいを10〜20くらいは採集できる。20つがいは必要ないにしても、科学的、実験的な要素の強い撮影はむずかしいから、最低でも5つがいくらいのカエルは確保して、物量作戦で撮影を成功させたい。
 そこで、とびっきりカエルが多い山口県まで出向くのだが、昨日みたいな時もある。
 山口県までは、往復で100キロ以上あるから、うまくいかないとダメージも大きい。今年は、作戦を変え、近くの田んぼを廻り、1〜2つがいのカエルを採集して撮影にチャレンジし、うまくいかなければ、また翌日採集に出かけるといった、まめなやり方で撮影をすることにした。
 アマガエルの卵の撮影には、25日〜28日までの丸四日間を準備していた。その予定が丸々浮いてしまったから、代わりに今日はメダカの稚魚の群れを撮影した。
 メダカの稚魚は、孵化をしてしばらくは、水辺にわいた藻の中などに隠れて過ごす。そこで、数日前に藻を採集して水槽に入れ、水槽の中で自然な感じに増やし、撮影の準備をしていたのだが、こちらは、思ったよりもすんなりと撮影ができた。
 カエルが予定通り撮れなかったことは不本意だが、メダカとカエルの撮影順序が逆になったと思えばいい。今日のところは良しとしておこう。

淡水記を更新しました。
今月の水辺を更新しました。


05月25日(土)

 今から、アマガエルの採集に行く。場所は、山口県の美祢市にある田んぼで、その田んぼでは、ちょうど今の時期、点々と交尾をしているアマガエルの姿を確認できる。
 そのカエルを採集して、卵を目の前で産ませ、その卵がオタマジャクシになるまでの過程をつぶさに撮影する予定だ。
それから、メスが卵を産み落とす瞬間も撮影したい。
 今晩は、まず一つがいのカエルをモデルにして、メスが卵を生み出す瞬間を撮影する。その撮影のための、田んぼを再現した撮影セットも準備ができている。
 撮影終了後は、別のつがいを、今度は綺麗な水を入れた水槽の中で産卵させ、その卵の中の一つをモデルに選び、メダカの卵を撮影したのと同じ要領で撮影する。アマガエルの卵の成長は、メダカの卵よりも早いから、3〜4日でオタマジャクシが孵化する。ただ、あまり自信はない。この手の実験のような撮影には、必ずといっていいくらい、予想もできないアクシデントが発生する。その場合は、また明日、アマガエルの採集に出かけることになし、今シーズン中にうまく撮れなければ、また来年ということになる。

今月の水辺を更新しました。


05月24日(金)

 カタツムリは、地面を這って移動をする。
 また、胴体を伸ばして届く範囲に手がかり(カタツムリには手はないが)があれば、地面が途切れたところでも歩くことができる。たとえば、二本の木の枝があり、その枝と枝の間に七〜八センチくらいの隙間があったとしても、胴体を硬くして、ピーンと伸ばし、自らの体をまるで橋のようにして枝の間に掛け、枝と枝を渡ることができる。
 この枝渡りのシーンは、カタツムリの売れ筋シーンであると、数日前に書いた。だから、今年はたくさん枝渡りのバリエーションを撮影した。
 写真を売るためには、可愛く撮らなければならない。僕は、子供の愛らしいカタツムリをモデルに選んだが、カタツムリでも、他の動物と同じように、子供は胴体がずんぐりとしていて愛らしい。
 だが、可愛いさばかりを強調して、自然を美化して撮るのは本意ではない。仕事なのでニーズを考え、可愛く撮ることは大切であるが、自然には、いろいろな側面があるのだから、恐いものも、気持ち悪いものも、僕は撮りたい。僕にとっても、
「気持ち悪いな。恐いな」
 と、感じる生き物は存在するが、その恐さや気持ち悪さにも興味があるからだ。そこで、今日は、胴体の長〜い、特大のカタツムリをモデルにして、枝渡りのシーンを撮影した。大人のカタツムリは、不思議なくらい胴体が伸びるから、その胴体をいっぱいいっぱいに伸ばして、枝と枝の間を渡るようすは迫力万点だ。そして、気持ち悪い。その気持ち悪さが素晴らしい。

 蛇が嫌いだと言う人は多い。僕の身の回りにも数人いる。
 その中には、普段、自然が好きだと言っている人もいる。だが、その方が嫌いだといっている蛇も、その自然の一員である。なんだか都合のいい、「自然が好き」だなと僕は思う。
 自然の可愛い部分、美しい部分のみをみて、
「自然が好きだ」
 ということに対して、違うなと僕は思う。自然が好きなのではなく、
「可愛いものが好き。美しい物が好き。私を癒してくれるものが好き」
 と、いうべきなのでは?と感じてしまう。
「自然は美しいから好き、可愛いから好き」という人には、僕は警戒心を持つ。
「美しいから、可愛いから好き」
 という発想には、
「美しくないもの、可愛くないものは、好きではない」
 という反面がついてまわるからだ。そんな方に、
「僕は蛇も好きですよ」
 というと、あれが、可愛く感じるのか?といった不思議な顔をされるが、僕も蛇を見て気持ち悪いと感じることがある。むしろ、気持ち悪いから、蛇に興味を感じるのだ。
 写真は、僕にとって仕事なので、僕は生き物達をなるべく可愛く撮る。その写真を見て、
「あなたの写真は可愛いから、美しいから好きです」
 と言われても、僕はあまり嬉しくない。
 その方は、「写真家」武田晋一の笑顔ではなく、「商売人」武田晋一の営業スマイルを見ているような気がするからだ。僕には、いつもそんなジレンマがある。


05月23日(木)

 先週の日曜日に撮影した分の、カタツムリの写真が仕上がった。結果は、思ったよりもいい。この分だと、月、火、水曜日と撮影した写真も、期待できそうだ。
 今年は、スタジオ撮影用のみ、フィルムの銘柄を変えた。昨年まで使用してきたフジフィルム社製のベルビアではなく、フジのプロビアを使用している。自分の意思で変えてはみたののの、それが何となく不安で、とにかく仕上がりが待ち遠しかった。
 フィルムを変えたのには、2つほど理由がある。
 1つはフィルムの「感度」で、あとの1つはフィルムの「発色」だ。

 「感度」という言葉は、一般の人にはわかりにくいと思うが、感度が高いフィルムの方が、より少ない光で写真を撮れると考えてもらえばいい。これまで使用してきたベルビアの感度は iso40 、一方で、プロビアは iso100 であるから、今回はフィルムの感度を上げたことになる。プロビアの方がより弱い光で撮影することができる。
 スタジオでは、ストロボという人工照明を使用するが、少ない光で撮れるようになったということは、ストロボの光が弱くてすむということでもある。ストロボは、撮影の前に充電しなければならないが、強く光らせるほど充電に必要な時間が長くなる。それでは、連続写真を撮ることができない。
 例えば、カタツムリが枝を移動する様子を数枚の写真で表現しようとしても、ストロボの充電が間に合わなくなり、充電を待つ間に、カタツムリが移動を終えてしまう可能性があるが、フィルムの感度が高いと、ストロボの発光が弱くてすみ、充電時間が短くなるのだから、その点が楽になる。
 フィルムの感度というものは、絶対的なものではない。銘柄によっては、iso100 から iso1000 まで、撮影者が好きな感度に設定できるフィルムもある。感度は、低ければ低いほど、写真の発色や質感が良くなるから、なるべく低い感度で撮影をしておき、その感度を現像の際に伝えればよいという便利なフィルムである。
 また、大部分のフィルムは、増感現像という現像をすることで、若干感度を上げることができるし、 昨年までは、その増感現像をして、iso40 のベルビアを iso80 のフィルムとして使用してきた。ただし、増感現像料が余分にかかり、フィルム1本に付き150円くらい高くなる。フィルム20本を撮影すれば、3000円余分にかかるから、CDが一枚買える。これがしゃくに障っていたが、プロビアであれば増感現像の必要はない。

 「発色」の方は?というと、昨年まで使用してきたベルビアは、鮮やかで、深みのある発色をする。特に曇り〜雨の、どんよりと暗い日の写真写りはすばらしい。野外での撮影には、曇りの日も、雨の日もあるのだから、曇り〜雨に強いベルビアは、いつでも安心して使用できるフィルムである。
 が、ストロボという人工的な照明を使用して、晴れた日の光線状態を再現するスタジオ撮影には、曇りや雨の日は存在しない。ストロボの光によって、いつでも晴れた日の光線状態で撮影をできるのだから、ベルビアの魅力は半減する。
 プロビアは、ベルビアよりも淡くて優しい発色をする。今回のカタツムリの写真も、一目見て、
「あ〜、優しい色だな」
 という第一印象の写真だ。


05月21〜22日(火〜水)

 カタツムリとアジサイのシーンで予定していた撮影を、一通り終えた。撮影のために準備したアジサイも、やや盛りを過ぎて、くたびれてきた。写真をいったん現像に出し、仕上がりを見てから次を考えることにした。
 今年は、ただひたすら撮影のことを考えている時間が長い。撮影に集中すると、この日記の内容に、
「僕は、こう思う」
 といった、僕の思いを伝える内容が減り、
「今日は、こんな撮影をしました」
 といった報告的な内容になることが多い。
 逆に言うと、日記が淡白な内容の時は僕が撮影に集中している時であり、日記に僕の思いが込められている時は、撮影で苦しんでいる時だ。
 撮影は、うまく行かなかったら行かなかったで、アイディアを絞り出すための頭が疲れるし、うまく行ったら行ったでアイディアを実行するための体が疲れる。
「ちょっと体を休ませたいな」
 と思うが、後少しで梅雨に入るので、それまでの辛抱だ。


05月20日(月)

 ツクシマイマイ

 きのうに引き続き、カタツムリを撮影している。
 ちょうど一年前、同じようにカタツムリを撮影したが、思い描いたようなカタツムリが採集できず、モデルの質に「?」をつけたまま撮影を続けた。
 が、今年は、すばらしいモデルに恵まれている。一匹は、昨年の夏に生まれた自家製のカタツムリであり、残りの一匹は、昨年の初夏に近くの神社で採集したカタツムリだ。
 自家製の方は、直径1センチくらいと小さいが、殻の色と縞模様が、とても美しい。
 もしも、大きくて立派な縞模様のカタツムリを目にする機会があったなら、殻の中心部分を見て欲しい。殻の中心は、そのカタツムリが誕生した時に持って生まれた殻である。その後、成長するに伴ない、中心部から渦を巻くように殻は大きくなっていくのだが、良く見ると、大きくて、立派な縞を持っているように見えるカタツムリでも、中心付近の縞模様はとても細くて頼りない。子供の時は、ほとんど縞模様のない無地に近い模様だったわけだ。
 ところが、僕がモデルに使用してるカタツムリに関しては、小さいにも関わらず、縞模様がとても太い。いったい、どんな大人に成長するのだろう?
 そして、神社で採集した方のカタツムリは、やや大きい。
 採集後、一度逃げ出して行方不明になっていたのだが、約一年後の今年、家族が庭で見つけ、籠の中に入れておいてくれたものだ。採集直後は、殻がやや柔らかかったため放して帰ろうかとも考えたが、他に適当なカタツムリが採集できずに仕方なくもって帰ったものだが、一年後に出合ってみると、殻は立派に堅くなり、十分に撮影に耐える美しさである。
 しかも、縞模様が3本ある。
 大部分のツクシマイマイは、殻の表側に太い縞模様が一本あるが、この個体は、その太い縞模様の間に、別の細い縞模様があり、さらに画像では見えないが、裏側にも縞模様がある。
 まさに、縞模様があるカタツムリのイメージそのものだ。


05月18〜19日(土〜日)

 蛍の撮影には行かずに、カタツムリの撮影をしている。蛍の撮影を予定していた町の役場に問い合わせてみたところ、まだ、蛍の出現のピークではないようだ。
 今年は、春の訪れが例年よりも10日くらい早かったため、蛍もそうではないか?と考えたのだが、5月に入ってからは、例年通りに戻ってきたような気がする。
 今月下旬に、と考えていた蛍の撮影は、月齢や月の入り等の条件を考えた結果、6月中旬頃に撮影することにした。
 カタツムリの方は、梅雨のイメージの生き物なので、アジサイの上での様子を撮影している。カタツムリは、とても器用な生き物で、葉っぱの裏側を歩いたり、葉っぱの表側に止まっていながら、体を伸ばして葉っぱの裏側を覗き込むようなこともできる。そんな、カタツムリの面白い動きの撮影だ。
 それから、去年撮影したカタツムリのシーンの中でも特に良く売れた写真は、今年も撮影をして、新作を準備しなければならない。
 カタツムリが体を伸ばし枝から枝へと移るシーンは、撮影をして一年も経っていないというのに、すでに数回写真が使用されている。まさに売れ筋だ。もう少しバリエーションを豊富にしようと、今日は、早速撮影をした。


05月16〜17日(木〜金)

 蛍を撮影しようか、それとも、スタジオでカタツムリを撮影しようかと迷っている。今年は、宮崎県で蛍を撮影したいと考えている。宮崎県には、いい場所が多い。
 蛍は、夜に発光している様子を撮影するが、夜と言えども条件があり、晴れた日には蛍が多い。
 それから、撮影は月の影響を受ける。満月の日は、写真が明るく写り過ぎ、月が出ていない日には、写真が暗くなり過ぎる。新月〜半月くらいの明るさがいいのだが、そうすると撮影に適した日付が必然的に決まる。今年は、明日からの数日と、6月上旬の数日間が撮影に適している。
 これまでの経験では、迷った時には野外で撮影した方が、いい結果になることが多い。スタジオ撮影は、「いつでも出来る」とまでは言えないが、野外に比べるといつでもできるからだ。ただ、できれば、蛍が多い時に撮りたいから、明日、役場にでもたずねてから、最終決定をしよう。


05月15日(水)

 ここのところ、カタツムリが頻繁に卵を産む。次々と言っても過言ではない。ツクシマイマイやウスカワマイマイやコベソマイマイなど、卵を産むカタツムリの種類も豊富だ。
 一般的には、カタツムリの活動が本格的になるのは5月上旬頃だと言われているが、産卵を始めたのは4月の上旬であるから、冬眠からあけるのは、知られているよりもずっと早いようだ。
 気のせいかもしれないが、一旦産卵を終えたあと、カタツムリはまた冬眠時のように不活発になるような気もする。産卵を終え、再び冬眠する性質があるのかもしれない。
 僕は、てっきり梅雨の頃にでも産卵をするのだと考えていたし、昨年もそのつもりで撮影の準備をしていたのだから、うまく撮影ができなかったのもうなずける。
結局、秋の産卵の際に撮影することができたが、僕が撮影をしようと気合を入れ待っていた6月には、すでに産卵を終えていたことになる。


05月14日(火)

 「お花畑の写真が撮れませんか。花の種類はなんでも構いません」
 と、打診があった。一面に隙間なく花が咲き乱れているような写真だ。
期限は8〜9月なので、これからの時期ならヒマワリが考えられるが、場所に心当たりがないから、ロケハンをしなければならない。コスモスならいい場所がありそうだが、9月でも間に合わないだろう。春なら菜の花やレンゲがあるのに・・・などと考えながら、先週の金曜日に、滝の撮影で車を走らせていると、目の前にレンゲ畑があり撮影ができた。
 そんな目で見ていると、所々にレンゲ畑がある。ちょうど今が満開である。今日は、そうして見つけたレンゲ畑のなかの1つを撮影した。先日見つけた時には、気象条件が合わずに撮影できなかった畑だ。
 なんで今頃レンゲが?とも思うが、そんな畑が点々とあるところをみると理由があるのだろう。ミツバチを飼い、蜂蜜を採るために植えているのかもしれない。
 ただ、今は田植えのシーズンでもあるから、レンゲがある畑は限られている。周囲に田んぼがあり、中にポツンとレンゲ畑が残っているようなケースが多い。
 周囲に他の花がないためか、チョウがすごい。モンシロチョウとモンキチョウが無数に飛び交っている。どの個体も蜜を吸うのに夢中になっていて、近づいても全く逃げようとしない。他の場所では経験がないほどの頻度で花に止る。15センチ飛んでは蜜を吸い、また飛んでは蜜を吸うといった感じだ。モンシロチョウが、レンゲの上を飛んでいるシーンも今日は撮ることもできた。


05月13日(月)

   富貴野の滝

 自然写真を撮るカメラマンは、西日本よりも東日本に圧倒的に多い。東北や北海道を中心に、東日本の方が、自然がよく保たれているからだと思うが、出版の中心である東京に近いという理由もあると思う。
 実際に車で走ってみると、東北から東京までは近いが、東京から九州まではなかなか遠い。したがって、東北の自然を紹介すると、首都圏に住んでいる人が車を走らせ、その場所に行くことができるが、九州の自然を紹介しても、滅多なことでは現物を見ることができない。
 本はどうしても首都圏中心の作りになる。おのずと、東日本の方に写真の仕事も多くなるし、東日本に住んでいた方が有利である。
 滝の写真もその例外ではない。
 本の中で紹介される写真は、関東から東北で撮影されたものが多い。紹介される機会が多いということは、たくさん写真が撮られるということでもある。たくさん写真が撮られると、気象条件にめぐまれる確率も高くなり、いい写真が撮られる可能性が高くなる。関東〜東北の滝の写真には傑作が多いし、九州の滝の写真にはみじめな写真が多い。
 ところが、九州にもみごとな滝がある。昨日撮影した東椎屋の滝も美しいが、そこから車で10分ほどの場所にある富貴野の滝も甲乙つけがたい。それから、昨日の日記の中に書いたように、西椎屋の滝はさらに素晴らしかったらしい。
 有名な日光の華厳の滝などは撮り尽くされている感もあるが、九州の名瀑には、まだまだ写真におさめられたことがない表情があるに違いない。僕は、風景写真には、それほど執着はないが、機会があるごとに、少しずつ回ってみたいと考えている。

 昨日、東椎屋の滝での撮影を終えた後、ホームページ用に撮影したデジタルカメラのモニターに写し出された画像を見て、僕は、呆気に取られてしまった。何気に撮影したデジカメ画像の構図の方が、すでに645版のカメラで撮影してしまった写真の構図よりも、様になっていたからである。
 慌てて645版のカメラを取り出し、僕は撮り直しをした。
 風景写真は、気象条件が命だとばかり思っていたが、気象条件に加えて画面構成が大切なのだと、今頃になって気が付いた。
 生き物の写真の場合、被写体の警戒心によって、大抵の場合、自分の立ち位置が必然的に決まる。
アングルを工夫するゆとりがない場合が多い。むしろ、生き物の一瞬を逃さないことが大切であるが、風景写真の場合、いいポジションを探すことが重要なのである。
 これからは、まずデジカメで幾つかのアングルを試し撮りして、本番に望むことにしようと思った。
 今日は、さっそくそれを実践。
 虹は太陽の位置によって、刻々と場所を変えていく。慌てる気持ちをぐっと押さえて、デジカメで試し撮りをしたのち、645版の120ミリで撮影をした。


05月11〜12日(土〜日)

 東椎屋の滝

 今年はフィールドでの撮影を増やそう。
 と、去年から決めていた。
 去年はカタツムリをメインに、スタジオ撮影の時間が長かった。それだけに、冬の間から春が待ち遠しく、うずうずもしていたし、気力が満ち溢れていた。
 そして、4月は快調に撮影ができた。
 フィルムの現像や事務所での仕事の合間を縫って撮影したスタジオでの結果も悪くない。野外での撮影と、スタジオ撮影とがうまく噛み合い、お互いにいい気分転換になっている。
 結果が良い時には、後でまとまって疲れが押し寄せてくることが多い。5月になり、8、9、10日とスタジオでの水槽撮影がうまくいかずに苦しんだが、何となく集中を欠く時間が長くなってきている。

 昨日から今日にかけては、大分県の安心院(あじむ)町にある東椎屋の滝で撮影をして、またまたいい気分転換をすることができた。
 10日に、メダカの稚魚の水槽撮影がうまくいかずに、
「やっぱり、スタジオでの撮影は辛いな。いやだな」
と実感し、不思議なくらいにやる気を失っていたのだが、またチャレンジする気力が湧いてきた。
 東椎屋の滝は高さ86メーターとスケールが大きく、九州の名瀑である。日本100名瀑にも選ばれているが、本当は近くにある西椎屋の滝の方が圧倒的に人気があったらしい。残念ながら、西椎屋の滝の上流にはダムができ景観が悪くなり、滝を訪れる人がほとんどいなくなったのだ。西椎屋の滝の周辺のおみやげやさんはすべて廃業したと聞いた。
 話を聞かせてくれたのは、東椎屋の滝の入り口にある駐車場の管理人のおばあちゃんで、2日続けて僕の姿を見かけたため、覚えていて、お茶とおかずを出してくれた。
 おばあちゃんは、
「駐車場にいると、綺麗でしたと声をかけてもらえることもあるしね。この年になってもいろいろな人と話ができるから、毎日が幸せ。」
 と、嬉しそうに話をしてくれた。
 もう15年間、毎日駐車場の管理小屋で過ごしているのだ。
 駐車料金の200円を払おうとしない人もいるらしい。怪しからん奴がいるという話だが、そんな話も、おばあちゃんはどこか楽しいそうだ。
 駐車場が有料であると知り、引き帰す人もいるらしいが、引き帰す車の車種を見たら分かるらしい。いつも周囲を好奇心に満ちた目で見て、人間観察を楽しんでいるようだった。


05月10日(金)

 今日も、昨日の続きを試みている。新しいアイディアを1つ試したのだが、ほとんど効果がなく、進展はない。
 とにかく、水槽撮影は神経を使う。水槽のガラス面の汚れと水の汚れには、たびたび泣かされるが、今回のメダカの稚魚のように小さな被写体を大きく拡大する撮影では、汚れに対する対応が格段に難しくなることを痛感している。
 今回撮影に使用している水槽は、幅5センチ、奥行き0.5センチ、高さ2.5センチの極小のサイズであるが、その小さな水槽に水を注ぎ、ガラスを拭き、光に透かして水の中のゴミの混入具合を確認し、目立つ汚れを取り除いたりする作業は、撮影というよりも明らかに実験に近い。
 学生時代の僕は、実は、実験が大嫌いだった。とにかく細かい作業が嫌いなのだ。実験テーブルの上でのピンセットや顕微鏡やさまざまな道具を使う作業がとても苦痛だった。
 学生時代を懐古する人は多いが、僕は、今の方が断然に楽しい。
 生き物について、科学の目で考えることは楽しかったし、文献を調べたり、生物のことを勉強することは好きだったのだから、もしも実験が性に合っていたなら、僕は写真家への道を選ばなかっただろう。
 一昨日、昨日、今日と、細かい作業が不向きであることを再認識している。
 

05月08〜09日(水〜木)

 孵化一週間目のメダカの稚魚をミニ水槽に入れる。水槽の後ろには青色の紙を置いておく。
 そうして撮影すると、メダカの稚魚を、まるで青い紙の上にでも置いたかのような感じで撮影できる。
 メダカに限らず、生き物関係の出版物では、無地をバックにした写真の需要は案外多い。白をバックにしたり、青や黒をバックにするが、生き物の部分だけを切抜きして使用するのには、無地をバックにした写真が都合がいいし、生き物の形の特徴を説明する場合にも、バックに何も写っていない方が分かりやすいことも多い。
 ところが、その何でもなさそうな撮影に、昨日から手間取っている。青や黒といった濃い色をバックにすると、魚の形が良く分かるのだが、水の中や、ミニ水槽のガラスに付着した埃も異常に目立つのだ。
 3月に、メダカの卵や生まれたばかりの稚魚を同様に撮影した際には、その埃を、仕方ないと諦めて撮った。しかし、仕上がりを見ると、使えない写真ではないが、やはり納得はできなかった。全く同じ方法で撮るのは、能がないと思う。
 昨日から、水槽を洗ったり、ガラスを拭いたり、いろいろと試みているのだが、今のところ、これといったアイディアが思い浮かばない。アイディアが必要な場合は頭を休めることも大切なので、今日は諦めることにした。今から、事務所を出て自宅に帰るが、運転中にでもいい方法を考えることにしよう。
 

05月07日(火)

 今日は飼育をしている生き物たちの世話をする日だ。
 まず、アマガエルには、釣り用のさし虫と呼ばれるウジムシを与える。ウジは、時間が経てばハエになるが、カエルはウジもハエも好んで食べるし、さし虫は釣具屋で安く買うことができるので都合がいい。
 カタツムリにも新しい餌をやり、カメの池の水換えをし、メダカを入れたスイレン鉢の中から、数ミリ程度の稚魚を見つけては掬い出し、稚魚専用の飼育ケースに移す。
 もう気温が十分に上がっているので、保温をしなくても、屋外でメダカは活発に繁殖行動をして産卵をする。親の方は室内の保温をした水槽から取り出し、オス、メス2匹を組にして、小さなプラスチック容器に入れて屋外に出し、その中に、田んぼの土を少量とスイレン鉢に発生した髪の毛状の細い細い藻を入れておく。こうしておくと、植物性のプランクトンが繁殖してメダカの餌となり、ほとんど餌を与える必要もないし、取材の際に3〜4日程度であれば留守にしても安心できる。
 今日などは、その世話に、ほとんど丸一日かかりそうなペースであるが、こうして日記を書いてみると、僕の生活の中には、生き物たちの世話をしている時間が案外長いことに気が付く。
 僕は、やり始めれば何でも楽しめる方だし、飼育をしている生き物たちを被写体にして、スタジオや庭で撮影をしている時には、それはそれで面白いと感じる。しかし、渓流や山での取材から帰宅をすると、やはりフィールドの中は楽しくて、スタジオでの撮影や生き物の世話がむしょうに虚しく感じてしまう。ちょっと寂しい瞬間である。
 

05月06日(月)

 「私は自然が大好きなのですよ。」
 と、時々メールをいただく。
 読んでみると、なるほどな!と感じるメールもあるし、そうだろうか?と思うメールもある。
 意外に多いのは、自然が好きというより、自然を通して人間社会と何らかの接点を持ちたいと考えているタイプの人で、例えば、僕が紹介する生き物よりも、僕の生き方の方に興味を持つ人は多い。
 田んぼの生物たちを紹介しても、紹介した生き物たちに関心を持たれることは稀で、そうやって撮影する僕に興味を持たれたり、子供の頃に自らが田んぼで遊んだ思い出を語られたり、お子さんをお持ちの人であれば、子供を田んぼで遊ばせたいという教育論を論じられたり、生き物周辺にある人間について、話題が集中することが多い。
 「そうか!」
 と思う。
 そう言えば、生き物をありのままに撮影しても、写真は売れにくい。どこか、人間っぽさが必要なのである。
 子供の本であれば、写真には、子供心をくすぐるような人間っぽさが必要である。写真展の際に、撮影時の僕の思いやエピソードを綴った文章を添えると喜ばれる。図鑑のような実用書でさえ、科学の論文のようにクールに生き物について説明するものよりも、ちょと文化的な匂いのするものが好まれる。
 例えば、カササギという鳥を紹介するページの中ではカササギのサイズ、羽の模様の特徴よりも、カササギにまつわるエピソードの方を覚えている人が多い。
 「いや、私はカササギの模様を知っているぞ!」
 と思う人は、絵を描いてみるといい。描こうとすると、実はほとんど何も知らないことを大抵の人は思い知らされるだろう。
 自然写真家は、その写真を見るほとんどすべての人よりも、自然にのめり込んだ気狂いである。
 僕は、子供の頃に子供向けの自然雑誌よりも、本格的な、大人も滅多に買わないような、専門書に近い本を圧倒的に好んだ。子供の頃から気狂いだったのだが、そんな気狂の僕が好きな写真と、一般のまともな人が興味を示すような売れる写真との間にあるギャップは大きく、いつも苦労させられる。

 今日も、昨日に引き続き、花と沢の撮影だ。
 ほんの一日の違いだが、今日は明らかに花がくたびれている。一昨日の雨が強すぎて、花の寿命が極端に短くなってしまったようだ。
 沢と花の組み合わせは人気があり、売れ筋のテーマだが、もしも僕が写真家を志すことがなければ、僕は、このテーマに興味を持つことはなかったと思う。一般に、生き物狂は生物の生態や性質に強い興味を示し、自然を情緒的に見ることを嫌う傾向があるし、僕にもその気があるからだ。
 でも、写真を職業にすることで、多くの人に写真を見てもらう必要があり、その過程で、本来自分の興味の外にあるものにも興味を感じるようになるから、与えられることもまた大切なんだな〜と思う。
 

05月05日(日)

沢の流れとキシツツジ

 日中いっぱい雨が降り続いた昨日とは対照的に、今日は青空が出た。昨日は、夕方の時点で、すでに雨が上がってはいたが、夜の間に渓流の水の濁りもぐっとおさまり、今朝は、なんとか撮影ができる水の澄み具合だった。
 晴れの日の、渓流での撮影はむずかしい。
 渓流は谷になっているため、晴れの日には日向の部分と日陰の部分とが出来やすい。写真の中に極端に黒い影が生じ、仕上がりが見苦しくなる。影が出来にくい曇りの日や雨の日が、渓流の撮影には最適だが、晴れの日の場合、直射日光が谷底に射し込み、日向と日陰とができる前の朝の時間帯が撮影には適している。谷に日が射し込む時間は、川によってさまざまだが、今日は、8時半頃まで撮影することができた。
 午後からは、谷を歩きロケハンをするが、水かさが多く、谷を通して歩くことが難しい。ヤマメ釣りであれば、淵を泳いででも谷を通して移動するのだが、機材があるためそんな荒業も通用しない。いったん谷から上がり、歩いて移動できない箇所を通り越し、また谷に下りる「高巻き」という方法で、川を移動する。
 高巻きの必要ない場所でも、今日は、川幅いっぱいまで水があり、いつもより水の中を歩く時間が長かったが、思いがけない発見もあった。足元から、カワネズミが飛び出してきたのである。
 カワネズミは渓流の水辺に生息し、泳ぎが得意なネズミであるが、それほど頻繁に見かける動物ではなく、僕はまだ撮影に成功したことがない。
 今日は水が多く、仕方なく岸辺の水の中を歩く過程でネズミが飛び出してきたが、撮影の場合、水に弱い機材を背負っているため、自然と水際から離れて歩くようになり、それがカワネズミとの出会いの機会を益々減らしていることに気が付いた。今度からは、意識して水際を歩いてみることにしよう。
 カワネズミは僕に気が付き、水の中に潜り逃げようとする。が、岩に阻まれて先へ進めない。
 岩陰に潜り、また浮いてきては、僕の姿をみて、また慌てて水の中に潜る。そうしながらも、少しずつ上流の方に移動をするネズミを、僕は目で追いながら、機材を積め込んだバックを背中から下ろし、手探りでカメラを探す。ストロボも取り付けなければならない。
 カワネズミとの競走だが、僕の準備の方がほんの一瞬遅かった。ネズミは障害物のない開けた水辺までたどり着き、あとは一気に逃げ去ってしまった。残念。
 

05月03〜04日(金〜土)

キシツツジ

 明日の天気が手に取るように分かればいいのに。
 そう思うことは、数え切れないほど多い。
 テレビやラジオの天気予報は、厳密な意味では、滅多に当たらない。ほんのわずかな雲の厚さ、雨の量、青空の濃さで、仕上がりの写真に色気がでたり、またそうでなくなったりするのだから、撮影の際に僕が知りたいと思う予報の精度が高すぎるのかもしれない。
 が、今回の取材に関して言えば、その予報が的中し、僕のイメージ通りの取材になりかけている。
 昨日、今日と、それなりの量の雨が降り、ぐっと水位を下げていた川の水かさも増し、キシツツジのすぐ近くまで水際が迫ってきている。今日は、まだ雨の真っ只中ということもあり、渓流の澄んだ水に濁りが入り撮影には適さないが、1〜2日たてば理想的な水量・水の澄み具合になりそうである。
 ツツジの開花具合は?というと、今回最も期待をしているA川は、まだ5分咲き程度。これも最適な状況になるには2〜3日かかりそうなので、明日〜明後日くらいには、いい結果が期待できる可能性が高い。
 昨日(3日)は、島根県から広島県まで足を伸ばし、渓流を見て回ったが、中国地方の渓流には、とにかくキシツツジが多い。
 今日は、雨の中、そのA川を歩き、わずか3〜4箇所ではあるが撮影をしてみた。
 周辺の河川よりも7〜10日程度キシツツジの開花が遅いA川ではあるが、日当たりの具合なのか、場所によっては花が終わり、散りかけている場所もあるから、花が絡むと撮影のタイミングが難しい。散った花が、時々、木の下の水際に漂っている。
 

05月01〜02日(水〜木)

 7日にかけ、九州南部で水辺の自然を取材をする予定だったが、変更した。昨日〜今日は、その変更に合わせて、これから一ヶ月の撮影計画を練り直すことになった。
 多少なりとも、動物の生態を撮影しようと考えるなら、1年前に計画を立て、時間を作り、生き物の活動のはじまりに備えなければならないが、1つの計画が動くと、それに伴い一ヶ月くらいの計画に手直しを加えなければならない。僕の場合は、1週間に1度くらい、2時間くらいの時間をかけ、基本の計画に手直しを加え、最終的な予定を決定することが多い。
 水辺の取材で常に頭に入れておかなければならないのは、水辺の水量であり、撮影日の前後の雨の降り方である。これは予測不可能であり、臨機応変の心構えが求められる。
 予報によると、明日の夕方から明後日にかけて、西日本では雨が降ることになっているが、その雨に合わせて、島根県の匹見町でキシツツジと沢の撮影をしたいと考えている。
 水辺には、キシツツジや多くの落葉樹の枝が張り出しているが、雨が降り、水量が増えると、その木々のすぐ手前まで水が押し寄せてくる。そんな日には、ツツジの花や新緑の葉っぱや背景に白い水の流れを写し込むことができる。
 大部分の人が、何気なく見ている、沢と新緑、沢と花の花の写真であるが、実は、雨の降り方や水量といった自然条件が上手く整った数日を狙って撮影されているし、それは、撮ってみなければわからないノーハウである。
 ツツジのついでに、先週に続き、もう一度オオルリを撮影し、オオルリの撮影にもとどめを刺したい。
先週撮影したオオルリの写真の中には、それなりに見られるものもあった。あとは、シャッターを押す敷居をぐっと高くして、本当にいいシーンを狙うのみである。
 撮ったと喜ぶのではなく、そこでのダメ押しが、プロとアマとの違いでもある。