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撮影メモ

2002年4月分 バックナンバーへ

04月30日(火)  



昨年のちょうど今頃、
「沢と花というテーマで写真を撮れませんか?」
とたずねられた事があります。
僕は、すぐに、思い当たる場所を探してみましたが、とうとう、思うような写真を撮ることが出来ないまま、その年の一年を終えました。
沢のような暗い場所を流れる水は、ただ黒っぽいだけで、なかなか写真には写りません。
写るのは、落差がある場所を、白い泡を立てながら流れている水だけで、1.その白い泡をバックにできるような場所に花があり、2.その花が撮影可能な距離にあり、3.花びらが痛んでなくて、4.周囲の雰囲気が明るくて・・・・、そんな条件をすべてクリアーしている場所は滅多にないようです。
特に4番目の条件が厳しく、趣味の写真や、写真のコンテストへの応募であれば、暗い写真もまたいいのですが、仕事用の写真の場合、暗い写真が極端に敬遠され、場所探しがとても難しくなります。
それでも、今年はそういった場所を数箇所見つけ、何枚かは写真を撮ることができました。
僕は、沢をテーマにした写真集を作ろうとしているにもかかわらず、動物ばかりに目が向き、花と沢などとは考えてもみなかったため、その注文は、僕の視野を広げるタイムリーな注文でもありました。
今日は、そういったシーンの1つで、ヒメレンゲという花を撮影しましたが、ヒメレンゲと水の撮影を終え、ヒメレンゲが好んで咲く沢の雰囲気を撮影しようと、周囲を見渡したところ、遠くに赤くて丸い何かが目に入りました。
ゴミかな?
ゴミなら取り除かなければなりません。
しかし、近づいてみるとゴミではなく、ツバキの花が流されてきたものでした。
時に花は、枝に咲いているものよりも、時期を終え地面に落ちたものの方が美しいから不思議です。
 

04月29日(月)  

今日の匹見は、晴れとも曇りとも言えぬ中途半端な天候です。
僕は、撮影の際には、天候を真っ先に頭に入れ、その天候にあった被写体を探しますが、天候が不安定な日には、「これだ!」という被写体選びが難しくなり、目移りをして集中を欠くことが多くなります。
また、風は大抵の撮影を難しくします。
風は、一般的には午前中に弱く、午後からは強くなりがちで、僕は撮影をなるべく午前中に終わらせるように心がけていますが、今日は、朝からかなりの強さで木々が揺れ、結果を求めず、のんびり構えた方が良さそうだなという予感は、目覚めた時から感じていました。
午前中には、渓流沿いのツツジを撮影しましたが、午後からは開き直り、文章を書いたり、本を読んだりと、撮影以外のことをして過ごし、撮影には向かない条件の一日でしたが、それなりに充実した時間を送ることができました。
連休ということもあり、釣り師の姿を多く見かけます。
僕にも、釣りに熱中していた頃があります。
今では、つり竿を握ることはありませんが、こんな日には、ふと、釣り針を流れの中に送り込みたくなります。
ちょうど今の時期は野鳥の繁殖のシーズンです。
以前は、この時期にはブラインドとよばれる小さなテントに身を隠し、野鳥の子育ての様子を撮影していましたが、テントに隠れ一日を過ごすと、僕の存在に気が付かない人たちが、テントの側を通り過ぎていきます。
中でも、山菜とりと釣り師は、ほとんど絶え間なく入れ替わり立ち代り鳥の巣の周辺に現れ、その影響でたくさんの野鳥が巣作りを放棄することを知りました。
野鳥が巣作りをはじめる頃には、まだまだ、フィールドに出る人が少なく、順調に営巣がはじまるのですが、ちょうど雛に餌を運ぶ頃、山菜とりや釣り師がどっと現れ、鳥たちを脅かしてしまうわけです。
僕は、釣りや山菜とりなど、自然の恵みを楽しむことは好きですが、これだけ多くの人がフィールドに溢れ、どこもかしこもパンク寸前になると、もうそんな時代ではないのかな?と感じ、滅多に釣りをしなくなりました。
 

04月28日(日)  

昨日からの予定通り、今日は、キシツツジやオオルリを撮影しました。
ツツジの方は、期待していた沢の水量が少なく、また、花もまだまだつぼみの段階で、日当たりのいい別の沢で撮影をすることになりました。
この時期の渓流は、日当たりによって、春の訪れの時期が全く異なります。
僕のイメージとしては、両岸に点々とツツジが咲き、中央には沢が白い流れを作り、ガスが少しだけかかった源流の流れが頭の中にあるのですが、そのイメージとは程遠い雰囲気になってしまいました。
イメージ通りにいかない時には、瞬時に頭を空っぽにして、思い込みを捨て、目の前にある被写体の魅力を引き出すために全力を尽くすことが大切です。
オシドリ達がつがいになっています。
水が入ったばかりの田んぼや、渓流のたまりに、点々とつがいの姿が認められます。
ウスバシロチョウも、飛び始めています。
オオルリも数カットですが、撮影をすることができました。
デジカメで撮影をすることも忘れ、今日はシャッターを押しました。
デジカメは、気軽で楽しいのですが、その分、飽き易くもあります。
 

04月27日(土)  

 アマガエル

キシツツジが多く咲く谷を見に行きました。
昨年見つけた、島根県のAという沢です。
付近には赤谷以外にも数本の渓流がありますが、どの沢にも点々とキシツツジが咲いています。
オオルリの声も聞こえてきます。
できれば雨が降り、水量が欲しいな・・・
などと、考えながら下見を済ませました。
明日は天候を考えながら、渓流とキシツツジの組み合わせ、またはオオルリの撮影をする予定です。
下見を終え、時間と天候が中途半端だったため昼寝でもしようかといい場所を探しているとアマガエルの声が聞こえてきました。
アマガエルは声が大きく、よく響くため、声の大きさの割には確認できる数が少ないものですが、今日は、ほとんど無数といっていいくらい、たくさんのカエルを確認することができました。
とにかく数がすごい。
アマガエルというと緑色のイメージですが、春に冬眠から覚めてしばらくの間は、大抵の場合、茶色の体色です。
撮影をしていると、土にあいた小さな穴からアマガエルが顔を覗かせました。
冬眠から覚めたばかりなのでしょうか。
穴の中からでてくる様子を見たのは初めてです。
今日は、その姿も撮影することができました。
アマガエルが冬眠から覚め、穴から顔を出し、さらに茶色いカエルが田んぼで活動をはじめ・・・・、アマガエルの写真にも物語が出来始めました。
 

04月26日(金)  

 ヤブヤンマ?のヤゴ

昨日準備した水槽で、トンボの幼虫を撮影しました。
図鑑によると、ヤブヤンマの幼虫は落ち葉が堆積したような水溜りによく見られると書いてあります。
撮影した個体も、まさにその通りで、カエルを撮影しようと近づいた水溜りで採集しました。
枯葉を沈めて撮影をすることにしました。
水をどうするか、ちょっと迷いました。
汚れた水を入れると、まさに水溜りという感じになり、リアリティーがあり、撮影が楽しくなります。
その水槽をのぞき込むと、自分自身が小さくなり、まるで本物の水溜りに潜ったかのような気持ちになります。
が、大部分の人には汚い感じに見え、写真は売れにくくなるでしょう。
形の特徴も分かりにくくなります。
結局、手堅く、きれいな水を入れ、すっきりと撮影をしました。
水槽撮影は、動きがある被写体を除き、いつもは、645版の大きなフィルムで撮影をするのですが、今日は、35ミリ版で撮影をすることにしました。
これが、ギンヤンマやオニヤンマといった代表的なトンボの幼虫ならば、645版で撮影をするのですが、ヤブヤンマというやや特殊な種類の写真に、滅多なことでニーズがあるとは思えず、少しでも安上がりにするためです。
それでも、一通りの写真を揃えなければならないところに、プロの世界の厳しさがあります。
時には、マメな人間にも、ならなければなりません。
 

04月25日(木)  

北九州は、やや肌寒い一日になりました。
昨日、飼育中のイシガメに餌を与えた際は、取材帰りで久しぶりの餌だったことも重なり、びっくりするような量を食べたのですが、今日は、あまり食欲がありません。
気温の低さも影響しているのでしょうね。
23日に宮崎で撮影をした際に、渓流の水溜りで大きなトンボの幼虫を採集して帰りました。
図鑑で種類を調べてみましたが、幼虫の段階での判別は難しく、正確な名前はわかりませんでした。
が、特徴はヤブヤンマかオオルリボシヤンマであり、恐らくヤブヤンマという種類だと思います。
今年からは、水辺の昆虫も少しずつ撮影をしていくことにしています。
今日は、水槽の中にヤブヤンマの幼虫の生息環境を再現し、撮影する準備をしました。
 

04月24日(水)  

疲れ気味です。
4月は、僕が一番不得意としている時期です。
季節の変わり目であるためか、とにかく体がだるく感じ、集中を欠きますが、年々そう感じなくなりつつあります。
今年は、撮影ができないほど集中を欠く日は、まだありません。
やっと、1年を通して、休みなく、コンスタントに仕事ができるようになってきました。
が、5月上旬のもっとも瑞々しい季節を控えているので、気力の充電をしておく必要があります。
今日はカメラを持たず、フィルムの整理に大部分の時間を割きました。
ワンカットずつ、フィルムを見つめ、いいカットはその場で取りだし、生き物の名前、シーンの説明、撮影地、撮影日等のデータを書き込んだラベルを貼り付け、整理用のケースの中に収める作業です。
昨年までは、まとめていいカットを選び出し、まとめてラベルを作り、まとめてラベルを張りつけ、まとめて整理用のケースに収め流れ作業でフィルムを整理していましたが、それでは整理が単なる作業になり、苦痛になることに気が付きました。
今年は、一枚一枚丁寧に整理をすることにしています。
 

04月23日(火)  

宮崎県の五ヶ瀬川は、アユ釣りで有名な河川ですが、ちょうど、今の時期、海からアユの子供達が川に遡上を始めます。
今回の取材ではチャンスがあれば、堰を飛び越え、川をのぼるその姿を撮影したいと考えていましたが、連日の雨で、撮影することができません。
今日は、予定を変更して大分県の山国町に移動をしました。
渓流の撮影をするつもりでいたのですが、それでも雨量が多過ぎ、全く撮影をすることができませんでした。
渓流が最も美しく写真に写るのは雨の日です。
雨の日には岩が濡れ、周辺の葉っぱが濡れ、しっとりとした湿潤な写真を撮ることができます。
ただし、前日から降り続いた雨の日はダメ。
水が濁り、澄んだ流れではなくなってしまいます。
雨が降り出した直後に撮影するのが正解です。
そして、たとえ雨が降り出した直後だったとしても、数日間、晴れが続いた日の後は撮影には適しません。
水量が少なくなり、日頃水中に水没している無機的な部分が露出し、生き物の気配が感じられなくなるからです。
雨が降り、水かさが増し、濁りが取れ、そして、また雨が降り出したそんな日があったなら、絶好の撮影日よりです。
動物の行動を撮影する場合、カメラマンは誰しも一瞬を捉える努力をしますが、渓流の撮影など風景撮影の場合は、一瞬というよりは偶然を捉える努力をしている感じがします。
 

04月22日(月)  

 

オオルリの背中は瑠璃色ですが、光線の具合によっては、ただの黒っぽい色でしかありません。
暗い渓谷の中で見かけるオオルリの羽毛は、水色とも、青とも、群青色とも、何とも言えない深い色で、瑠璃色としか言い表すことができない美しさですが、オオルリが本当に美しい瑠璃色になるのは、一般に周囲が暗い時です。
また、ストロボを使用して撮影すると、この鳥は瑠璃色に写ります。
ストロボの光は、懐中電灯と同じで狭い範囲にしか届かないため、オオルリに光が当たり、周囲には光があたっていない光線の状態ができるからです。
今日は、朝からオオルリの撮影にチャレンジしましたが、残念ながら一週間遅かった。
4月に飛来した直後から続いていた雄達の縄張り争いが終わり、縄張りの中でひっそりと暮らす段階になっていたからです。
それでも、ツツジを撮影したり、新緑を撮影しながら移動をしていると、撮影可能なオオルリを一匹見つけることができ、1時間くらい撮影をすることができました。
フィルム1本半ほどシャッターを押しましたが、今日の写真は単に鳥が大きく写っているだけで、手応えはそれほどではありません。
今日撮影した写真は、これまでに撮影をしたことがあるオオルリの写真と大差がなく、やや黒っぽい、大瑠璃というより大黒といった方が良さそうな写真が大半です。
大黒は歌手の名前なので、本当に瑠璃色のオオルリを撮影したいものです。


04月21日(日)  

  栗原氏

「お代は結構ですよ。」
食堂で牛丼を食べ、そう言われたことがあります。
カツ丼に使うはずの出汁を、間違えて牛丼に使ってしまったというのです。
相手に、分かる、分からないに関わらず、作る人間にはこだわりがあります。
写真家も同様で、いつ、どこで、誰に、何を伝えたいのか、その内容によって、同じ被写体でも撮影のしかたは違ったものになります。
僕の場合、本の中で写真を使用することをイメージしながら撮影をしますが、ある人は講演活動を、ある人は新聞をイメージし、人によって写真を撮る動機は様々です。
本をイメージしている僕が、講演をするとなると、「お代は結構です。」といいたい気持ちになります。
まさに、「カツ丼の出汁を牛丼に使ってしまいました。」という店主の心境です。
この8月には、大学時代の同級生とのジョイント講演が計画されていますが、そのジョイントの相手である栗原氏は、現在、宮崎県の高千穂で、九州産のツキノワグマの撮影にチャレンジしています。
高千穂は、今僕が撮影をしている日之影から近いこともあり、昨晩は、栗原氏の事務所を訪ね、久しぶりに話しをしました。

今朝の日之影は、朝から雨です。
オオルリを撮影することができません。
代わりに、川を撮影したり、新緑を撮影したり、ほぼ一日休む間もなく撮影をして、気が付いたら7本ものフィルムを消費していました。


04月20日(土)  

今日は一日雨。
雨の中で沢の風景を撮影しましたが、目的としていたオオルリの撮影をするには、雨量が多すぎました。
新緑の勢いは驚くほど早く、あと2〜3日で木々の枝の隙間がすべて葉っぱで埋め尽されそうです。
そうなると枝に止っていたオオルリは高い高い梢に移動し、撮影が難しくなってしまいますが、雨です。
天気がこのまま回復しなければ、より春が遅い島根県で撮影する方がいいかもしれません。
単に野鳥を観察するだけであれば、それほどに自然を知らなくても十分に楽しむことができますが、撮影はとても難しい。
野鳥を撮影するのに、新緑の具合や天候や空気の状態や・・・・
ほんとうにいろいろな自然が関わってきます。


04月19日(金)  

オオルリを撮影するために宮崎県に移動をします。
オオルリは、春になると日本に飛来し、秋まで、主に山間部で見られる鳥ですが、撮影の狙い目は4月下旬から5月の上旬までの間です。
見通しがいい場所に好んで止るこの鳥は、夏になり、葉っぱが多く茂ると木の梢など高い場所に止るようになり、撮影が難しくなります。
また、春に飛来直後の、木々の新緑が芽吹いていない時には低い枝にも止りますが、まるで枯れ枝に止っているようで、夏鳥のイメージが伝わらない写真になってしまいます。
九州南部であれば、本当にいい写真を撮ろうと思えば、今週一週間くらいがベストの時期です。
見通しのよい枝とその枝に芽吹いた小さな新緑とオオルリの姿を何とかカメラにおさめたいものです。
撮影は意外に難しく、僕はオオルリの写真で、心からいいな〜と感じる写真を今まで見たことがありません。
また、納得できる写真を撮ったこともありません。
宮崎県の日之影町にはこの鳥が多く、谷沿いの道路を移動しながら風景や植物を撮影していると、どこでもと言っていいくらい頻繁に、この鳥の姿を見かけます。
ちょうど今は、雄同士が縄張り争いをしたり、雄雌の出会いがあったりと、比較的オオルリの警戒心が弱くなり、目の前でその姿を見ることができる時期でもあります。
「商売として野鳥の写真を撮るのであれば、夏鳥はオオルリ、カッコウ、キビタキの3種類を徹底して撮れば、それで十分だよ。」
と、有名な野鳥写真家の叶内さんから教わったことがあります。
それくらい代表的な夏鳥でもあります。


04月18日(木)  

今月の水辺を更新しました。
写真を選びながら、写真の整理をしました。
ここ1年くらい、写真の整理がとにかく億劫で、山のように未整理のフィルムが積まれていますが、今日は、写真を一枚一枚丁寧に見ながら、更新の準備と整理をすると、比較的楽しい時間になりました。
整理が億劫になっていたのは、雑になっていたからかな?と反省。
一度にたくさん撮ってやろう!と、無理をし過ぎている自分に気が付きました。


04月17日(水)  

宮崎から帰宅しました。
生き物たちの世話をしなければなりません。
飼育室のカタツムリやザリガニは、冬眠から目を覚まし、さかんに食べ物を口にするようになりました。
イシガメも餌を待っています。
今の時期であれば、カタツムリやザリガニやカメは、4日くらいであれば、餌を与えなくても全く問題はありませんが、取材から帰宅をすると、さすがにその様子が気になります。
特に、屋外で飼育しているカメは気がかりで、姿を確認できると、なんとも言えず嬉しい気持ちになってしまいます。
猫やカラスに取られるかも、と日々心配になるので、飼育場の上には網を張りましたが、カメを眺めている時間は、事務所での最も楽しい時間でもあり、「どうか無事であってほしい!」、とついつい心配をしてしまいます。
畳一畳ほどの空間とカメをただ見ているだけで、何が楽しいんだろう?と、自分でも不思議なのですが、とにかく楽しいのです。
これから気温があがると、飼育している生き物たちの活性も高くなり、より多くの食べ物を要求するようになります。
カメの健康を心配せずに、安心してフィールドでの取材に集中できるように、飼育場の土の部分には野菜の種を蒔く事にしました。
カメは、雑草や小さな昆虫を食べるので、ダンゴムシやナメクジを見つけては、飼育場の中に放しています。
飼育場の野菜がボーボーに茂る頃には、放した生き物たちも殖え、ほとんど手間要らずの状態になるはずです。
水場の付近の土の部分には、自然の雑草が生え始めました。
飼育場に日があたる時間帯にはその土の上で日光浴をするようになりました。
もう少し草が生え、自然な感じになったところで、カメたちの図鑑写真を撮影したいと考えています。


04月16日(火)  



九州南部は、今が一年で最も美しい季節です。
例年よりも10日くらい早く、宮崎県を流れる五ヶ瀬川の支流、日之影川の水辺も新緑の緑が充満しはじめています。
もよりの駅である日之影駅の二階には温泉があり、気軽に入ることができ、日之影川で撮影をする時には、いつも利用していますが、昨晩は、五ヶ瀬川の水辺から聞こえてくるカエルたちの声を聞きながらお湯に浸かりました。
そろそろ、田んぼに水が入ります。
アマガエルの撮影の計画を立てなければなりません。
田んぼでアマガエルを撮影していると、農家の方に声をかけられます。
「何を撮りよると?」
「お邪魔しています。アマガエルです。」
「アマガエル?ああ、青蛙の事か。そんなもの撮ってどうすると?」
自然が豊かな場所に行けば行くほど、身近な自然を撮影することが、理解されない傾向にあります。
写真は、自らの感動を記録する手段ですが、田舎の農家の人にとって、アマガエルの存在など当たり前過ぎ、写真に撮るような対象ではないのです。
感動ではなく、もっと当たり前の、静かなものなのでしょうね。
生物のカメラマンというと、「都会から脱出し、自然を求めている人」という印象を持つ人が多く、「私も自然の中で暮らしたいんです。」と声をかけられますが、僕はそうは思いません。
生き物の写真を撮る行為は、あくまでも町の人の発想だと思うのです。
もしも僕が田舎の農家の息子なら、生き物の写真を撮る必要などないでしょう。
一流の自然写真家には、「都会や町も好きですよ。」という人が多いのも特徴です。
町からでなければ見えない田舎があり、田舎に行くと町のことがよく見えるものです。


04月15日(月)  

行楽シーズンの始まりですね。
昨日の阿蘇は、天気が良かったこともあり、どこも人だらけで、人気がある場所をあえて避けなければなりませんでした。
今年は、桜の開花が早いことが話題になりましたが、木々の芽吹きも例年よりも早く、九州は今、新緑の真っ只中といった感じです。
今朝は熊本県上益城郡にある公園の駐車場で目を覚ましましたが、木々の緑が美しく、午前中は、その公園の中で新緑の葉っぱを撮影することにしました。
午後からは宮崎県の山間部に移動をしましたが、早くもオオルリがさえずっています。
来週には、アユの遡上も本格的になるはずです。
宮崎県では、早くも蛍が飛び始めています。
僕にとっては、あわただしく、スケジュールの調整に苦労する季節でもあります。
今年は、まだ山口〜島根県の山陰側で撮影をしていませんが、一度様子を見にいかなければなりません。
昨年の初夏に、キシツツジが群生する小さな沢を見つけています。
5月の上旬には、ツツジの花で桃色に染まった沢を撮影したいのですが、今年の開花は早まる可能性もあり気が抜けません。


04月14日(日)  

 木の芽吹き

「撮影の時には自炊をするのですか?」
と、時々たずねられます。
僕は、99%以上、自炊はしません。
自炊は場所を汚すからです。
カメラマンは、人が考えもしないような場所に足を踏み込むことがあります。
一般のキャンパーが、ここなら誰もこないと捨てたゴミの上を歩かなければならないことがあります。
自然の中では可能な限り、自分の痕跡を残さないようにしたいものです。
今日の昼食は、弁当を買い車の中で食べましたが、その中に入っていた魚のフライが油っぽく、まずくて、小学校の頃の給食が思い出されました。
給食は、栄養のバランスを考えつつ、安く食事を供給しなければなりませんが、まずい給食を食べ、その食材を嫌いだと信じ込んでしまう生徒もたくさんいることでしょう。
そのまずい食事を、食べ物を大切にしましょうと、先生が押し付ける姿も目に浮かびます。
多少、栄養のバランスが崩れ、品数を減らしても、子供には、より本物に近いものを与えようというような発想は、きっと行政には出来ないのでしょうね。
本物を目指すことは、時にとても残酷なことでもあります。
誰かが心を込めて作った食事でも、僕が魂を込めて撮影した写真でも愚作は愚作だと言わなければなりませんが、きれいごとや安易な優しさばかりを教えるのではなく、子供には本物を与えなければならないと思うのです。
先月、テレビのニュースで、ボランティアのおばさまたちが小学校をたずね、子供達に腹話術を見せるようすが紹介されました。
おばさまたちには申し訳ありませんが、所詮素人芸で腹話術はお粗末なものでした。
子供を楽しませたいというより、自分たちが腹話術を見せたい、自分たちのボランティア精神の発表の場がほしいといったものでした。
おばさまたちの気持ちはわかりますが、僕は、子供だからこそ本物を見せてあげたい。
あの腹話術を大人に見せる勇気があるおばさまは、恐らく皆無でしょう。
ある意味、子供だからこの程度でと軽く見ているとも言えます。
人を喜ばせることは、安易なことではありません。
優しさが足りない時代だと言われますが、僕は、安易な優しさに満ちあふれた時代だと思います。
むしろ、足りないのは、血のにじむような努力とその結果ではないでしょうか?
メダカやカタツムリなど、今年も子供向けの本に提供する写真の撮影をすでに始めていますが、子供向けだからこそ本物を提供できるように、腰のすわった仕事をしなければ・・・・。
まずいフライを食べながら、そんな思いがこみ上げてきました。
今日は、阿蘇で新緑の桜を撮影。
それから、木の芽吹きを撮影しました。


04月13日(土)  

動物は口をききません。
動物を理解するためには、動物の行動を観察し、理論的に考えなければなりません。
いつも動物と接している僕は、人と接する時にも、動物と接するかのように観察する癖があります。
人は言葉をしゃべりますが、人の行動をよく観察すると、言葉は必ずしもその人のことを正確に伝えるわけではないように感じます。
言葉は案外当てにならないものです。
僕の知人の一人に、「いろいろな考え方の人がいてもいいのですよ。」と主張する人がいます。
ある日、その方が言いました。
「私は、写真を見てこういう風に感じたのですけど、変ですか?」
「そんなことありませんよ。今日、偶然にも、あなたと全く同じ感想が書かれたメールをいただきました。」
「あ〜、良かった。同じ考えの人がいるんだ。私だけじゃないんだ!」
その方が日頃主張しているように、いろいろな考え方の人がいてもいいと心底思うのであれば、自分と人との感じ方がたとえ違っていたとしても心配する必要はないはずです。
その方の日頃の発言と、「私と同じ考えの人がいる。良かった。」という発言とは矛盾するわけですが、僕は、そんな時、「良かった、私だけじゃないんだ!」という言葉の方を受け止めます。
自然と、とっさに、思わず出てくる言葉の方に、人の本心があると思うからです。
いろいろな考え方の人を認めることは容易なことではありません。
僕には、一生かかってもできないでしょう。
「いろいろな考え方の人がいてもいいのですよ。」という、その方の日頃の言葉は、よく言えば、「そう思える人間になりたい」という努力目標、悪く言えば、きれいごとであり、その方の本音ではないような気がするのです。

今晩、阿蘇の温泉で、どこかで見たことがある親子に気が付きました。
なかなか思い出せませんでしたが、以前に一度だけ、全く別の土地の温泉で、見たことがある親子でした。
確か、子供が自動車好きで、まるで評論家のように、きざな口調で、車のことを父親に向かって語っていたような・・・
人を観察する癖があると、通りすがりの人を思わず覚えていることがあります。
間違いありません。今日も、同じような話しをしています。
人にとって、一番面白いものは、やはり人間なのかもしれませんね。
僕は、写真の中に人間模様をなるべく持ち込まないようにしています。
例えば、写真で自然保護を訴え、人のあり方について論じたいとは思いません。
自然を道徳の材料にはしたくないのです。
科学者がそうであるように、写真の中では、冷静に、淡々と自然について伝えたいという思いがあります。
でも、人に興味がないのではありません。
人間観察よりも面白いものはありません。


04月12日(金)  

 カタツムリの食事

自然や生き物の写真には美術的な側面と記録報道的な側面とがあります。
みなさんが目にするプロの写真の大半は、その両面を満たしていますが、どちらにウエイトがあるのかは、カメラマンによって個性があります。
例えば、昆虫写真の海野さんや宮崎学さんの写真は、圧倒的に記録報道的な側面にウエイトがあり、その写真の中に、「きれいだったから」というような理由で何となく撮られた写真、例えば動物のシルエットの美しい写真を、僕は見たことがありません。
海野さんや宮崎さんは、その写真の中で、必ず自然現象について説明をしているのです。
海野さんや宮崎さんの写真は、額に入れて壁に飾るというよりは、「なるほどな〜。」と、読むものだと言っても言い過ぎではないでしょう。
あるいは、科学的な、理科系的な目で捉えられた写真と表現することもできます。
「両氏の写真が好きだ。」
と、心から感じる人は、本当の意味での生き物好きだと言っていいのかもしれません。
一方で、野鳥写真の和田剛一さんや動物写真の久保敬親さん、亡くなられた星野道夫さんの写真は、単に生き物に関して説明する写真ではありません。
和田さんや久保さんや星野さんの写真は、必ず絵になっていて美しい。
写真の持つ美術的な側面にも、大きなウエイトが置かれている。
和田さんや久保さんや星野さんの写真は、「生き物命!」という人でなくても、美術や芸術に興味がある人なら誰でも楽しく見ることができるはずです。
どちらが正しいわけでもありません。
人の好みの問題です。

今日は、カタツムリがカボチャや芋を食べるシーンを撮影しました。
数日後に、食べのもの色をした糞が出てくるはずです。
その糞も撮影しますが、そういった写真は、いずれも生き物の性質について説明する写真です。
美術や芸術ではありません。
科学や生物学に近く、科学出身の僕には、当然の選択なのかもしれませんが、僕は、絵的な写真を撮ることも嫌いではありません。
頑なにならず、いろいろな撮影にチャレンジするのが武田流です。


04月11日(木) 

メダカの卵の撮影があと少しで終わりそうです。
手を焼いているのは、水草に産みつけられた卵の塊の撮影で、5〜6個の卵の塊を撮影しています。
なぜ手を焼いているのか?
メダカは、一度に20〜30個くらいの卵を産みますが、中には数個の無精卵が含まれており、無精卵はやがてカビが生え腐ってしまいます。
複数の卵を撮影すると、その中に無精卵が含まれていて、モデルにしている卵にカビが生え、撮影が継続できなくなる可能性が高くなるからです。
今のところ、二度ほど途中で撮影を中止して、新しい卵を採卵し、撮影をやり直していますが、現在撮影している卵の成長は順調です。
今日は、一日に数度、時間をあけ、卵の成長のようすを撮影しましたが、小さなモデルの撮影は、神経を使います。
ちょっとした振動で、卵は大きく移動します。
家の前の道路を車が通過しただけで、メダカの卵の世界ではまる大地震のような振動です。
横を歩くのにも神経を使います。
早く終わりたいな〜。
新緑が美しい季節が迫っています。
今の間に、メダカの卵やカタツムリの食事など、スタジオ撮影の仕事をたくさんこなし、新緑の季節は野外で撮影できるように、最後の追い込みをかけなければなりません。


04月10日(水) 

 カタツムリの食事

カタツムリって何を食べるのだろう?
僕は、カタツムリの撮影をするまで、カタツムリに関してほとんど何も知りませんでした。
初めてカタツムリを飼育して、本に書いてある通りに与えたレタスやニンジンに取り付き食べている様子を目にした時、たったそれだけのことが、とても嬉しく感じました。
耳を近づけると、ポリポリと食べる音を聞くこともできます。
カタツムリはとても大食いで、活性が高い時期には大きな野菜があっという間になくなってしまいます。
今日は、カタツムリがニンジンを食べている様子を撮影しましたが、数日後にはニンジン色の糞をすることでしょう。
その糞も撮影する予定です。
 

04月09日(火) 

 タンポポ

メダカの卵を撮影する合間に、カタツムリやその他の撮影を進めています。
メダカの卵は、受精から数時間の間に大きな変化があり、その間、付きっきりで撮影をしなければなりません。
その後は、一日に2回くらい、稚魚が孵化をするまでシャッターを押せば、それで十分。
最初の一日を過ぎると、比較的ゆっくりと撮影をすることができます。
今日の午前中は、一昨年から定点撮影しているイチョウの撮影に出かけました。
イチョウは、今が新緑の頃合です。
その木がある高台に登り、足元を見下ろすと、一面にタンポポが咲き乱れていました。
春ですね。

この撮影メモの中で紹介する一日の活動は、それがすべてではありません。
特にスタジオで撮影する際には、何種類もの撮影を組み合わせ時間が遊ばないように心がけますが、中でも最も印象に残った撮影を紹介しています。
 

04月08日(月) 

 カタツムリの餌いろいろ

親が子供を育てる。
人に生まれれば、子育てをすることはむしろ当り前のことですが、子育てをする動物は、動物全体の中ではごく一部の変わり者です。
この場合の動物は獣のことではありません。
中学校の頃、理科の授業で、生き物全体を、動物、植物、菌と分類した記憶がありますが、メダカやカエルやカタツムリや小さなミジンコもすべて動物に分類されます。
親から育ててもらうことがない、親に世渡りの方法を教わらない動物は、食べられるものとそうでないものとを本能的に知っています。
何でもないことのようですが、何が食べられるか生まれつきに知っているなんて、よく考えてみると不思議ですね。
僕は、両親にいろいろな食べ物を与えられ、何が食べられるのかを覚えました。
ガムは飲み込んではならないと教わりましたが、口に入れてもいいのに飲み込んではならないなんて、どうしても理解できず、何度も飲み込んだ経験があります。
数日後、うんこの中にガムが入っていて、「あ!出てきた。」と感激した記憶があります。
口から入ったものがうんこになることを実感したのです。

カタツムリは、いろいろな野菜を食べますが、食べた野菜の色によって糞の色が七色に変化します。
ニンジンを食べればだいだい色に、カボチャを食べれば黄土色に、ホウレンソウを食べれば緑色に・・・
今日から、カタツムリの食べ物と糞の色との関係を撮影します。
まずは、食べ物の撮影。それから糞の撮影。そして色々な野菜を食べているところ。
最後に食べ物に残されたカタツムリの歯型を撮影する予定です。
 

04月07日(日) 

 葉桜

一心行の大桜は早くも葉桜です。
先月の末には満開だったのですから、驚くほどのスピードですね。
一昨年の秋から続けてきたこの桜の撮影も、あとは新緑の撮影を残すのみとなりました。
秋の紅葉、雪の桜、満開の桜、夏の濃い緑、とすべて爽やかな青空をバックに撮影をすることができたのですが、葉桜だけは天候に恵まれず、曇り空での撮影になり、ちょっと心残りな気もします。

この桜は、本来は、今日あたりに満開になることが多く、桜見物のツアーも4月上旬の土日を中心に組まれた企画が多いようです。
当然、たとえ葉桜になったとしても、ツアーに予約を入れた人たちはやってきます。
今日は葉桜でしかも天候が悪いにも関わらず、「よくぞこんなに人が・・・」というほどの人手があり、観光客が嫌いな僕にとって、とても疲れる一日になりました。
大騒ぎするおばさん、酒くさいおじさん、野放しな子供達・・・なんであんなにマナーが悪いのでしょうね。
僕は、人と同じ事をするのが嫌いです。
必然的に、人と同じ事をして楽しいと感じる人を受け付けません。
観光バスに乗って、大勢での見物なんて論外。
そんなことをするくらいなら、近くの野原で遊んだ方が楽しく、また、僕は、どこであろうが自由であれば退屈しない性格でもあります。
僕は写真が好きというより生き物が好きだったのですが、取り立てて興味のない写真の世界を選んだ理由はみんなで同じことをしたくなかったのかもしれません。
 

04月06日(土) 

今日から阿蘇に出かけます。
明日は葉桜になった一心行の大桜の撮影です。
天候は思わしくありませんが、葉桜の期間は限られているので仕方がありません。
植物は、動物よりも厳密な旬があり、「今は何の季節?」といつも気を付けておかなければならず、動物の撮影とは違う難しさがあります。
 

04月04〜5日(木〜金) 



レンゲが満開の頃合です。
昨日〜今日にかけては、田んぼの水路を模して事務所の片隅に自作をした小さな水溜りで、メダカの群れを撮影しました。
田んぼを流れる土でできた水路があり、その水路にメダカが群れていて、周辺にはレンゲが咲いていてるという設定です。
今日の写真は、きっと売れますよ。
自作した水路と言っても、土を盛り水を入れたのは1年以上前のことで、今年になって撮影用に若干の手直しをしたものの、雰囲気はまさに自然そのものです。
今日の画像はその水路のアップですが、自然と植物が花を咲かせ、春になるとミジンコがわきます。
もう少し気温が上昇するとカブトエビとホウネネビの姿も見られるはずです。
草は抜いても抜いてもまた生えてきて、夏になると幅20センチくらいの水の部分は草で覆い隠されてしまい、冬に枯れ、春にまた新芽を出します。
写真は結果の世界で、フィルムに何が写っているかによって評価されるものです。
たとえ自宅に自作した土の水路であっても、本物の水路をよく再現していればその写真は使用され、逆に本物の水路で撮影をしたとしても写真が良くなければ、その写真はあまり使用されません。
自宅に自作をすれば、太陽の向きや、水の深さや、幅など自由に設定をできるので、本物の水路で撮影をするよりもクオリティーの高い写真を作れるという側面もあります。
撮影の面白さ・醍醐味という点では、本物の水路での撮影の方が断然で、自作の水路での撮影は虚しく感じなくもありません。
カメラマンには誰しも「本物でありたい!」というこだわりがあるものです。
もしも撮影がなければ、自然を再現する作業はとても面白い作業です。
僕は、生き物の飼育はあまり好きではありません。
飼育にはどこか無理があるからです。
でも、飼育ではなく生き物が住み着いているというのはとても楽しい。
将来、もしも小さな庭が持てれば、池を作り、水草を生やし、メダカが自然とわいてくるような環境を整え、その中にカメを放っておき、雑草を生やし、カタツムリを放し、コオロギやバッタが住んでいて・・・
そんな空間を持ってみたいと考えています。
 

04月03日(水) 

昨日完成した亀の飼育場の水場の中には数匹のザリガニを入れていますが、その中の一匹が、今朝いなくなっていることに気が付きました。
飼育場を良く探してみると、なんと土に穴を掘り、その穴の中に隠れていました。
ザリガニは水の中にいるだけでなく、穴を掘りその中に潜んでいることが多々あります。
その土の中の様子はいずれは撮影したいと考えていたのですが、今朝の出来事はその撮影のためのヒントになりそうです。
まだ頭の中で構想を練っている段階ですが、ザリガニに穴を掘らせ、その土をバッサリ断面にして地中の様子を撮影したいと考えています。
先月から撮影しているメダカの卵は、明日〜明後日にも孵化をしそうな雰囲気です。
1日に自作した小型水槽で撮影している水草に付着したメダカの卵塊の撮影も順調です。
メダカの卵は1ミリ前後の直径ですが、このサイズの被写体の撮影には自信が持てるようになってきました。
 

04月02日(火) 

 カメの飼育場

カメの飼育場が完成しました。
完成したと言っても、まわりをブロックで囲み、隙間を埋め、土を入れ、カメがブロックをよじ登らないようにひさしを取り付けただけですが、ほぼ一日がかりの作業になりました。
園芸店で購入した土を入れたため、やや陸の部分が不自然になってしまいました(土に色々な成分が含まれている)が、後日、どなたか田畑を持っている方を探して土をわけてもらい、陸の部分の表面に盛り付けようと考えています。
その土に雑草が生えてきて自然な雰囲気になれば、顔のアップや図鑑的な写真であればこの飼育場の中で撮影することができることでしょう。
運が良ければ今年の間に卵が生まれ、小亀が誕生するかもしれません。
生き物を広い場所で飼育すると、やはり自由に生き物が振舞うため観察が楽しくなります。
僕は、以前は熱帯魚と水草を飼育していましたが、どれだけ眺めても飽きることがなく、暇を見つけては水槽の前に座っていました。
今では、熱帯魚の飼育器具を水槽撮影用に使用しなければならず、そんなゆとりもなくなってしまいましたが、カメの飼育場はその代わりになってくれそうです。
 

04月01日(月) 



昨日から水草に付着したメダカの卵の成長を撮影していますが、どうも手応えがありません。
水槽に植え込まれた水草に産み付けられた卵を撮影しているのですが、水槽のガラスは数ミリの厚さがあり、そのガラス越しに直径が一ミリ程度の小さな卵を拡大するとガラスも拡大されてしまうため、卵がガラスの厚さの影響を受けぼやけて見えてしまうのです。
今日は、昨日から始めた撮影を中止して、違った方法を検討し、新しく小形の撮影水槽を自作することにしました。
右は先月自作した水槽を横から見下ろすように撮影した画像ですが、メダカの稚魚や卵を1つだけ標本のように撮影するための水槽で、とても小さくて(奥行きが5ミリ)、この中には水草が入りません。
左は今日自作した水槽をやはり横から撮影した画像ですが、奥行きが25ミリあり、この中であれば卵付きの水草を入れ撮影することができます。
この水槽の側面と背面はアクリル製ですが、正面は顕微鏡用スライドガラスでとても薄く、1ミリのメダカの卵を4ミリ程度に拡大しても、ガラスが写真の仕上がりに与える影響はありません。
スタジオ撮影には何かと工作がつきまといます。
僕は、かつては工作が苦手でしたが、最近は色々な工具の使い方を覚え、比較的きれいに、簡単に作れるようになったためか以前に比べて苦痛に感じなくもなりました。
ここ一週間くらいでも、ガラスを切ったり、アクリルを切ったり曲げたり接着したり、鉄パイプを切ったり・・・いろいろな素材を加工しました。