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撮影メモ

2002年2月分 バックナンバーへ 

02月28日(木) −躁鬱病?−

 

ここ数年、僕は、清流をテーマにした物語「沢の流れの物語」の撮影を続けています。
この取材に出かける前日にも書いたことですが、僕は小学生時代、学校の廊下に描いてあった大きな遠賀川の地図が大好きで、地図に描き込まれた生き物たちの絵を見ているだけで、まるでその中を本当に旅し、生き物たちにこの手で触れているかのような気持ちになることができました。
「沢の流れの物語」は、沢を源流から下流に向かい旅をする物語ですが、小学生だった僕が地図の中で見た清流の風景や生き物のたち姿を、写真の力を借りて形に表そうとしたものです。
ところが残念ながら、自然関係の出版物の中でも実用性のない本にはほとんどニーズがありません。
屋久島・尾瀬・九州の渓流・カワセミ・・・何かを具体的に伝える実用の本の形をとるならばまだしも、僕の心の中を写した実用性のない本を出版することは、とても困難で、「沢の流れの物語」が完成に近づくにつれて、「無駄なのかな?止めようかな?」という空虚感と、「作りたいな〜。」という情熱とが交互に押し寄せてきて、時に僕の情熱のすべてを打ちのめし、時に僕をどこまででも盛り立て、まるで躁鬱病の患者さんのような日々を送っています。

昨晩は、京都に住んでいる親戚の柚山家に泊めてもらい、久しぶりに家の中で眠ることができました。
柚山さんは仏師で、仏像を彫る仕事をしている第一人者です。
僕が人に会いに行くことはそれほどに多くありませんが、後で考えてみると、何かに迷っていてその迷いに対する答えが心の中では準備されているのに、取り出せない時に多いような気がします。
無意識の間にその思いを取り出してくれそうな人を選び、その人の力を借りに行っているような気がするのです。


02月27日(水) −いろいろな危険−

昨日は福島市で撮影を終えた後、新潟まで移動をして、新潟から高速道路にのり、富山付近のパーキングエリアで眠りました。
僕は、車で寝泊りをしているため、いろいろな場所で眠る機会がありますが、高速道路のパーキングエリアは比較的安全で、安心して眠ることができる場所です。
眠るときに一番気をつかうのは海辺で、特に日本海側の海辺では神経を使わなければなりません。
第一に津波の危険があり、地震の時に逃げられそうな高台を見つけておく必要があります。
第二に北朝鮮に拉致をされないように、それなりに人目につく場所に車を止める必要があります。
第三に暴走族等の被害に合わないように目立ち過ぎないようにすることで、第四に、車を盗みに来たロシア人に車ごとさらわれないように注意する必要もあります。
「そこまで考える必要があるの?」と思う人もいるでしょうが、多い年には1年の半分を車の中で過ごし、そんな生活を当分続けるのですから、あらゆる可能性を頭に入れておかなければなりません。
今日は高速道路を走り京都まで移動をしています。
京都では親戚の家に泊めてもらうことになりました。


02月26日(火) −トモエガモ−

トモエガモ

今日は、福島県福島市を流れる阿武隈川でカモの撮影をしましたが、オナガガモの群れの中にトモエガモがまぎれているのを見つけ撮影をすることができました。
デジカメで撮影した画像は良くないのですが、トモエガモの実物は、金属光沢のある緑色と黄色のピエロのような顔で、とても美しいカモです。
このカモは、本来はとても大きな群れを作り、広い水辺で見られるカモで、数年前に山口県の湾内で数百匹規模の群れを見たことがありますが、大抵はとても遠くにいて撮影をすることができません。
撮影が可能なのは、今回のように他の種類のカモにまぎれた単独の個体だけです。
実は、僕がカモの写真で一番撮りたいシーンはこのトモエガモの大群で、近い距離から300ミリくらいのレンズでシャープに写したいのですが、まだそんな機会に恵まれたことはありません。
カモの仲間は一般にとても警戒心が強く、餌付けをしてあるか、あるいは極端に人馴れしている場所以外でカモの撮影に挑むのは無謀なことです。
東日本の人は、鳥に餌を与えるのが好きなのか、点々とハクチョウやカモの餌付けをしている場所がありますが、そういった場所を丁寧に探せば毎年どこかでトモエガモを見ることができますが、西日本にはそんな場所がほとんどなく、九州に住む僕にとってこのカモは憧れの種類です。
(フィルム1本撮影)


02月25日(月) −あっという間の・・・−

山形県最上川河口にて

小学生のときに書いた卒業文集を覚えていますか?
多くの人が、「長いようで短かった6年間」という書き出しで、文章を書き綴っています。
そう書くように、あるいは書き出しの例の一つとして先生が指導をするのかどうか覚えていませんが、僕が充実をしている時には、その全く逆で時間を短いようでとても長く感じます。
北九州を出発して今日で17日が経過していますが、その17日間はまるで無心であり、事務所で仕事をしている時の4〜5日くらいの感覚で、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
それでも、一つ一つを改めて振返ってみると、その間に考えたことや感じたことがあまりに多く、ほんの2週間前に新潟で撮影をした時間がまるで去年の出来事のようです。
同級生達のみんなの文章を読むと、「小学校の6年間の日々は長いように感じていたけど、振返ってみると入学したのがまるで昨日のことのようだ」という意味で、その言葉を文章の書き出しに冠していますが、卒業文集の定番文章である「長いようで短かった6年間」という言葉の本来の意味は、「6年間と言われれば長い期間のようなイメージがあるけれども、実際は短かったな〜」という意味なのかもしれませんね。
今日は、山形県の最上川河口に立ち寄ってみました。
この場所は今回が初めての場所ですが、無数のオナガガモがいてその数に圧倒されました。
また、そこから30分ほど車で走った大山上池・下池では、今まで見たことがないほどのマガモの大群に驚かされました。
午後からは、福島県福島市に移動をして、阿武隈川のハクチョウ飛来地に立ち寄って見ましたが、ここもカモ類が多く、オナガガモ、ヒドリガモ、カルガモ、マガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、珍しいところではコオリガモの姿を目にすることができました。
残念ながら、到着が夕刻になり今日は撮影ができませんでしたので、明日、阿武隈川で撮影をする予定です。
(フィルム2本撮影)


02月24日(日) −復路−

僕は、一時期、「野鳥の写真一本でやって行こう!」と考えていた頃がありますが、いろいろと思うところがあり、ここ数年は、野鳥以外にもたくさんの自然を撮影しています。
いろいろな被写体を撮影することで、学ぶこともあり、また失うものもありました。
例えば、カエルなどの自由に近づくことができる小動物を撮影すると、ちょっとしたアングルの違いで生き物の表情が生き生きとして見えたり、またそうでないように見えたりすることがわかり、アングルの大切が良く分かりますが、野鳥のように近づくことさえ難しい被写体の撮影を敬遠したくなります。
また、風景をたくさん撮影すると、霧や青空や紅葉や虹や・・・いろいろな自然現象に目が向き、今何を撮るべきなのか?今しか撮れないものは何なのか?冷静な状況判断が身につきますが、野鳥の撮影のように1秒、あるいはそれよりももっと短い一瞬を捉えようとする心を忘れてしまいがちです。
野鳥や小動物や風景の撮影で個々に身に付けたものを、僕の中で統合する努力をしなければならないようです。
今日は、函館でフェリーに乗り、青森県に上陸し、秋田県を通り山形県の酒田市まで移動をしました。
ほんの10日くらい前に新潟、福島を通行した際には一面の雪景色でしたが、今日の青森、秋田、山形はもうすっかり春の雰囲気です。


02月23日(土) −コクガンの撮影−

 函館の海辺

今日は、函館の海辺でコクガンというガンの仲間の鳥を撮影しました。
コクガンは、ガンの仲間としては珍しく海辺に飛来し、函館や青森の海岸で海藻を食べている様子をたくさん観察することができます。
今日は、風が強くて、なんとなく撮影結果に自信が持てないのですが、とにかくシャッターを押すことだけはできました。
明日は、フェリーで青森に渡り、再び本州で撮影をしながら九州まで南下します。
僕は、ここ数年は小動物、野鳥、植物、風景、水中と幅広く撮影をしていますが、何でも屋さんになってしまわないように、これから2〜3年をかけて、そういった写真を水辺という一点に収束させていきたいと考えています。
そのために今回の取材は水辺の鳥の撮影に徹していますが、北海道には魔力があり、いろいろな被写体に目移りしそうになってしまいます。
道東では、なんでもない道路沿いにベニヒワという素敵な鳥がいて、つい車を止めカメラを持ち出したくなり、また、「羅臼にワシの写真を撮りに行こうか?」「シマフクロウの写真を撮りに行こうか?」といろいろな思いが頭の中を交錯しましたが、北海道での撮影期間が一週間と今回は短いため、ぐっと堪えて水辺のものだけを撮影して帰ることにしました。
一方で、北海道の面白くなさも感じなくはありません。
北海道で撮影した写真は、誰が撮っても比較的に似た写真になってしまいます。
あらゆる場所が観光地であり、良く知られた場所であり、たくさんの本が出版されています。
北海道で撮影することで、あらためて僕のフィールドである九州の特性を知ることができたような気がします。
北海道での取材中に、僕は、ある一人の写真家のことを思い浮かべました。
その写真家とは昆虫を中心に里山の自然の撮影をしている今森光彦さんです。
今森さんは滋賀県をフィールドにしていますが、今森さんの写真の大半は、決して有名な風光明媚な場所で撮影されたものではありません。
身の回りにある何でもない自然を丁寧に歩き、自分で探し、自分の目で見たものを撮影する今森さんの撮影スタイルは、今の僕の目指す地点に近いような気がします。
北海道には、一流の写真家が何にも移住をしてすばらしい写真を発表しており、それも魅力的な生き方ですが、僕は北海道に来てみて、身近な自然を撮影する今森さんのすごさを感じ、そこから自分の好みや志向を知るとができました。
(フィルム2本撮影)


02月22日(金) −カッコイイ戦闘機−

今日は、移動日です。
釧路から函館まで移動をするのですが、同じ道内とは言え、9時間以上の時間がかかります。
北海道は広いですね。
途中の千歳で、ほんの数分間ですが知人のT君に会い話しをしました。
T君は北九州出身の24歳で、現在は自衛官をしていて千歳の基地に勤めています。
自衛官というと屈強の男を思い浮かべる人が多いかと思いますが、T君はとにかくきつい事が嫌いで、誰もが自衛官なんて向かないよ!と思うタイプです。
それでも彼が自衛官になったのには訳があります。
戦闘機が大好きで、とにかく戦闘機のそばにいたいという思いが強かったからです。
僕は、その気持ちがなんとなくですが、わかる気がします。
T君は、戦闘機だけでなく、生き物にも案外興味を持っていて、キジバトやカモといった、あまり人が好きだと言わないような生き物のことを、真剣に「格好いい!」と言っていたのを覚えていたからです。
生き物の体は自然の理にかなった形をしていて、例えば鳥は空を飛ぶのに適した形をしていますが、戦闘機もそういった意味では全く同じです。
戦闘機の形は、鷲や鷹が全速で飛ぶ時の形にとてもよく似ています。
また、日産の自動車にスカイラインGTRというスポーツカーがありますが、中でもR32といわれるモデルを横から見た姿はサメに良く似た形をしています。
空気や水の抵抗を受けずに速く走ったり泳ぐためには、必然的に似た形になってしまうわけです。
「自然」という言葉からは、生き物や地理をイメージする人がほとんどだと思いますが、空気や水の抵抗といった物理学の法則もまた自然の一部だし、そういった自然の法則を「格好いい!」と思う気持ちは、生き物好きが生き物の体を美しいと思う気持ちと究極のところは同じ物であるような気がします。
もちろん、きつい事が嫌いな彼は戦争なんて大嫌いなはずだし、争いを好む人ではありません。
僕は、理屈じゃなくて、自然の理にかなっていることを、「すばらしい!」と感じる彼の感性にとても感動をした思い出があります。
このHPにリンクしている中野君のHPの中にも飛行機のページがありますが、生き物が本当に好きな人には何となくですが、似た傾向があるように思います。

 T君


02月21日(木) −とても疲れた一日−

 屈斜路湖にて

今日は、早朝にタンチョウのねぐらを、午前中は屈斜路湖でオオハクチョウを、午後からは網走まで移動をしてカワアイサやホオジロガモやワシカモメやシロカモメといった水辺の鳥たちを、夕方に再度屈斜路湖でオオハクチョウを撮影しました。
さすがに今日は疲れを感じています。
特に疲れたのがタンチョウのねぐらの撮影で、撮影よりも場所取りに疲れ果ててしまいました。
タンチョウは川の中の浅いところにねぐらを作りますが、そのねぐらがちょうど橋の上から観察できる場所があり、そこに行くと望遠レンズさえあれば誰でもタンチョウのねぐらを撮影することができます。
簡単に美しい写真が撮影できる場所には人が殺到します。
今日も、朝の5時から6時くらいの時間帯に40人くらいのカメラマンが橋の上に並び、タンチョウのねぐらを撮影していて、僕もその中の一人です。
僕は、昨晩からねぐらが観察できる橋の付近に車を止め眠っていましたが、5時過ぎに到着した人達は三脚を立てるスペースがなく、困り果てたようすの人がたくさんいました。
僕は、順番待ちや行列や人ごみが大嫌いで、どんなに美味しい店でも待たなければならない所で食べたいとは少しも思いません。
また、どんなに安いバーゲンセールでも、人ごみの中に入るくらいなら、高く買った方がましだと感じるタイプです。
それでも、水辺をテーマにしている僕にとっては、川の中のタンチョウの様子は撮影しなければならないシーンで、今日は、自分に鞭打って撮影をしました。
確かにねぐらは美しく撮影そのものは楽しいのですが・・・。
何度も人ごみに中で撮影をするのがイヤで、気象条件の整った日に一日で撮影を終えようと考えていたのですが、撮影を終えホッとしました。
(フィルム14本撮影)


02月20日(水) −根室の港で−

 根室の花咲港

今日は、北海道東部の根室にある小さな港を巡り、海にすむカモやカモメの仲間の撮影をしました。
午前中は、今一歩調子があがらず、昨日に引き続きちぐはぐな撮影をしていのですが、午後からは完全復調で、コオリガモという種類のカモを撮影することができました。
先日、小樽の港でシノリガモを撮影しましたが、コオリガモも僕の自宅がある九州では撮影することができない種類です。
海にすむカモの仲間は根室の周辺を探して回るとたくさん見つかりますが、撮影はおろか観察も難しいほど遠くにいることがほとんどで、いかに距離をつめるかが撮影の結果を大きく左右します。
今日は、午後から、ほとんど人を恐れない群れを見つけることができ、10M〜20Mくらいの距離で30分くらいの間撮影をすることができましたが、午前中は車を近づけただけでカモ達が遠ざかってしまい、クロガモを比較的近くで撮影した以外は、全く結果がでませんでした。
車が近づいただけで逃げる者もいれば、丸腰の人間が歩いて近づいても逃げない者もいるのですから不思議なものですね。
(フィルム5本撮影)


02月19日(火) −今日も荒れ気味−

 タンチョウを撮影するカメラマン

今日も昨日に引き続き、北海道東部の鶴居という場所でタンチョウの撮影をしています。
昨日は、一日中雪が激しく降ったこともありカメラマンの姿をほとんど見かけませんでしたが、今日は天候が回復傾向にあるため、入れ替わり立ち替わり、常に20人前後の人がタンチョウを撮影をしているような状況でした。
今日は、なんとなくすべてがうまくいかない一日で撮影に集中することができず、小さな不手際を繰り返した一日でした。
撮影期間が長くなってくると、疲れが溜まって来たり、どうしてもそんな日が混ざるようになります。
撮影メモを読んで、「その土地のおいしい食べ物を食べて、温泉に浸かっていいですね!」というメールをいただくのですが、毎日毎日、食堂で食事をし、温泉に浸かり、車で寝泊りするのはそれなりに面倒なことです。
地図とにらめっこをして温泉の位置を確認し、次の移動のスケジュールを考え、寝る場所を探し・・・ 
やっぱい家は楽だなと思います。
明日からはようやく天候が回復する予報です。
明日は根室の漁港を中心に、海にすむカモの撮影をします。
明日の昼頃までは風が強い予報になっていて、荒れた海を避けたカモ達が漁港の中ににたくさん入ってきているはずです。
(フィルム3本撮影)


02月18日(月) −北海道での初日−

 タンチョウ

今日の北海道東部はやや荒れ気味の天候で、一日中雪が降り続きました。
そんな日は、車の運転にとても神経を使います。
昨晩眠った駐車場から撮影場所に向かうまで間にも、数台の車が道路から飛び出し動けなくなっていて、中には道路上で横転してしまったトラックもあり、道路は通行止めで約1時間くらいの立ち往生を強いられました。
今回の取材は日中の天候に恵まれた日が多く、早朝から夕刻までフルに撮影をして夜の間に次の目的地に移動をする日が多くなっていますが、僕は夜が弱くて、とにかく移動を苦痛に感じています。
あと10日くらい余分に日程を取り、一日あたりの運転時間が短くなるようにするべきだったなと反省をしているところです。
今日からは北海道東部のみでの撮影で、一日あたりの運転時間が短くてすみます。
福岡を出て今までに約3000キロを走行していて、一日平均で約300キロを走っていることになりますが、これから数日間は、辛い辛い運転から開放されそうです。
今日は、悪天候のため本来予定していた海辺でのカモの撮影をあきらめタンチョウの撮影をすることにしました。
今日の雪は、ほとんど融けかかったシャーベットのような湿っていて重たい雪で、ジャケットから手袋から撮影機材までずぶ濡れです。
まさか北海道東部でほとんど雨のような雪に降られるとは思いもしませんでした。
(フィルム2本撮影)


02月17日(日) −北海道での初日−

 大橋弘一さんの事務所にて

今日は、午前中に小樽の港の周辺の海辺で、海にすむカモの仲間を撮影しました。
今日撮影したカモは、ホオジロガモやシノリガモですが、いずれも九州ではほとんど見ることができない種類です。
特にシノリガモは九州で近い距離から見ることはまず不可能で、小樽の海辺に点々と浮いているその姿を見た時には、思わず顔がにやけてしまいました。
ホオジロガモの方は時々見かける機会がありますが、北海道のような大群を見ることはなく、カメラのファインダーいっぱいに群れているその姿に胸が高鳴ります。
小樽から車で45分ほど走った札幌には、北海道を代表する野鳥写真家である大橋さんの事務所があり、午後からは大橋さんをたずね北海道の野鳥について教わることにしました。
本当に自分の手を動かし行動をしている人の話はとても役に立ちます。
大橋さんの話を聞いていると、とにかく早く撮影がしたくなるのですが、明日からは2日程天気が崩れる予報です。
夕方からには札幌を立ち、千歳で温泉に入ったあと、ちょうど今釧路に向かって移動中です。
釧路に到着するのは、夜の12時過ぎになりそうです。
(フィルム1本撮影)


02月16日(土) −青森・陸奥湾にて−

 

生き物の撮影というと、なかなか思い通りになってくれない野生の生き物を粘りに粘って撮影するイメージを持っている人が多く、中には遠出をする僕に、「まずカメラを持たずに下見に行き、次の機会に撮影するべきじゃないの?」という人さえいますが、写真は撮れる時には不思議なくらい簡単に撮れるものです。
また、その機会を逃すと、どんなに時間をかけて観察をしても今度はなかなか撮れるものではなく、今から来るかもしれないチャンスを生かすために可能な限り準備をしておくことが大切です。
嘘だと思う人は、毎日同じ場所から、同じ風景を撮影してみると良く分かります。
全く同じ場所でも、同じ写真は2枚と撮れません。
あなたの家のまん前の風景でさえ偶然だらけで、誰も理解できていないのです。
また簡単に撮れない被写体は、ほんの数日間下見をした程度で撮影ができるものではなく、そこに住み着き通いつめるくらいの気持ちが必要になります。
今日は、青森県の陸奥湾でカモメの仲間を撮影しました。
カモメの仲間や海辺にすむカモ類など、海鳥の撮影には圧倒的に北日本が有利で、九州で涙ぐましい努力をしても撮影できないものが、北日本では簡単に撮影できてしまいます。
写真を見て「上手い!」「下手だな〜」とあたかも分かったようなことを言う人が多いのですが、条件がいい場所に行けばいい写真が比較的簡単に撮れ、そうでない場所に行けば、どんなにすぐれた技術を持ったカメラマンでも悲惨なもの。
上手く撮ろうとするのではなく、いい場所で撮らせてもらうのが写真の基本だと僕は思います。
(フィルム3本撮影)


02月15日(金) −新たな課題−

 日の出前の伊豆沼

ここ数年、僕はペンタックスの645版のカメラをメインに使用して小動物や風景の撮影をしていますが、35ミリ版で野鳥をたくさんの撮影をするのは久しぶりです。
35ミリ版はニコンを使用していますが、カメラにはメーカーによって写り方に若干の違いがあり、理論上同じ条件で撮影したつもりでも、わずかな違いがフィルム上には現れます。
そういった誤差の範囲とも言えるような微妙な違いは、日頃からたくさんそのカメラを使用をしていなければ完全には把握しきれないもので、なんとなく不安を感じながらの撮影です。
一方で、改めて35ミリ版の良さも感じています。
多くのカメラマンは、35ミリ版の良さとして望遠レンズから広角レンズまでレンズの種類が多く、いろいろなシーンを思ったように切り取れる点を挙げていますが、僕はそれは些細なことだと考えています。
僕が考える35ミリ版の良さとは、645版よりもフィルムが小さく、カメラの構造のすべてが小さくて済むことから、カメラの反応が速い点です。
シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまでの反応時間の短さは、どんなに645版が改良されても決して35ミリ版には適わない点で、一瞬を捉えるにはやはり35ミリ版が有利です。
今回の取材で、改めて35ミリ版を使いこなすための努力がしたい!と考えるようになりましたが、そのためには35ミリ版に適した被写体を選ぶことから始めなければなりません。
生き物の一瞬の表情、最もその生き物らしい一瞬の形、動き・・・ これから数年間、そんな被写体を意識して、徹底して撮影してみたいと思います。
今日は、昨日に引き続き、宮城県の伊豆沼での撮影です。
今朝の気温はマイナス3度と昨日よりもずっと暖かかったのですが、昨晩からちらついた雪で、凍った湖面は真っ白く輝いています。
天候は気持ちのいい晴れで、夜明け前、紫色に染まった沼の上空をガンが舞う様子は最高に美しかったのですが、残念ながらガンの群れは思い通りのコースを飛んではくれませんでした。
午後からは、田んぼで餌を食べているマガンを撮影しました。
九州から出かけた場合、マガンの群れを撮影できる一番近い場所は島根県の宍道湖周辺ですが、日本海側は天候が悪い日が多く、また同じマガンでも伊豆沼のものよりもずっと警戒心が強く、撮影はとても難しいものになります。
伊豆沼でもガンは警戒心が強いのですが、宍道湖のものよりもずっと撮影は簡単でついつい同じような写真をたくさん撮影してしまいます。
今晩からは青森県に移動をして、明日の夕方には北海道に向かうフェリーに乗込みます。
遠出をすると、たくさん写真が撮れるのだと思い込んでいる人が多いのですが、一箇所に費やすことができる時間はせいぜい1〜2日から2〜3日で、その土地に住んでいる週末カメラマンと同じ条件になります。
天候も贅沢は言えず、どんな天候でも写真を撮らなければなりませんが、今回は、そんな中、本当に天候には恵まれています。
20日の取材中10日くらい思い通りの天候であってくれれば十分だと思っていましたが、今の所ほぼ毎日思い通りの天候です。
(フィルム6本撮影)


02月14日(木) −ちょっと一休み−

 今朝の伊豆沼 凍りついた湖面

10日以降、石川県、新潟県、福島県猪苗代湖と雪の中での撮影が続きましたが、今日は、太平洋側にある宮城県の伊豆沼での撮影です。
太平洋側は、山にもほとんど雪が見当たらず、どこか穏かな風景で暖かく感じます。
それでも、昨日から今日にかけての宮城県は観測史上何番目といった記録的な寒さで、今朝の伊豆沼の気温はマイナス9度でした。
今日の伊豆沼は、ほぼ全面が凍結をしていて、やっぱり北国だな・・・と痛感しました。
伊豆沼は、ガンの飛来地として有名な場所ですが、一番いい時期は11月から12月で、今はベストのシーズンではありません。
11月から12月にかけてこの沼に集まるガンやカモ数は圧倒的で、夜明け前には空を埋め尽くすほどのカモの飛翔が見らる日もありますが、鳥たちは、さらに南下をしてそれぞれの越冬地に向かうため、今はやや寂しく感じます。
九州に住んでいると雪の撮影をする機会はとても少なく、昨日までは無心でシャッターを押し続けましたが、今日は、今後の撮影の計画を立て直したり、昼寝をして連日の運転の疲れを取ったりと気持ちをリフレッシュして、北海道に上陸した時に一番気持ち良く撮影が出来るようにコンディションを整えているところです。
(フィルム3本撮影)


02月13日(水) −猪苗代−


カモの羽毛

今日は福島県の猪苗代湖でカモ類の撮影です。
今朝の気温はマイナス10度、天候は晴れのち曇りで、僕が撮影をした午前中は青空が広がり、気持ちのいい天候になりました。
猪苗代で撮影をするのは数年ぶりのことです。
この取材に出る前に、僕は九州の阿蘇山頂付近で寒冷地での撮影の予行練習をしました。
阿蘇山頂の昼間の気温がマイナス6度程度ですが、標高が高く、吹き上げてくる北風は恐らく風速25m以上の強さで、びっくりするほど寒く感じます。
その予行のおかげか、それとも体が慣れてきたのか、今朝のマイナス10度もとても暖かく感じ、気持ち良く撮影をすることができました。
午後からは、猪苗代の湖畔の温泉につかり、その後で、宮城県の伊豆沼に向かって移動をします。
伊豆沼は太平洋側にあるため、楽な気持ちで撮影に臨むことができ、北海道に上陸する前にちょっと気休めをするつもりです。
以前に猪苗代湖で撮影をした時には、とにかく緊縮財政を心がけ、食費も一日1000円以下、可能な限り切り詰めるように心がけましたが、今回は、そんな馬鹿げたことはやめ、その土地の味を味わうようにしています。
わざわざ旅費を費やしグルメの旅に出かける人もいるくらいですから、ついでに、そのために特別な交通費を使うことなく、その土地の食べ物を食べられることは、とてもいいことで、その旅費の分だけ得をしていると考えることもできます。
今日の昼食は、「ニシンそば」と「シソの葉おにぎり」を食べましたが、ソバは本場ではない九州で食べるものとはほとんど別物といったおいしさ、上に乗っているニシンの酢漬けを火であぶったものも僕が初めて食べる味です。
出されたお茶も初めて飲む味。
付け合せの魚の骨のせんべいも初めての味。
すべておいしくて、思わず顔がほころびました。
(フィルム7本撮影)


02月12日(火) −雪の田んぼ−

  
田んぼで休むコハクチョウ 車内からの撮影の様子 一面真っ白な田畑

今朝も昨日に引き続き新潟は雪の天候です。
気温はマイナス2度で、昨日よりもほんの少しだけ暖かく、わずかな気温の違いですが、今朝の湖は全く凍っていませんでした。
そして、今日は昨日よりも雲が多く、残念ながら水とカモの撮影には不向きな条件です。
そこで、今日は湖でのカモの撮影を諦め、瓢湖の周辺の田んぼに出かけ、ハクチョウを撮影することにしました。
瓢湖の周辺は田園地帯ですが、その周辺の田畑では、餌を食べたり休憩をするハクチョウの姿を見ることができます。
九州に生まれ育った僕にとっては、ハクチョウは動物園や公園に飼育されている印象ばかりがあり、野生の生き物というイメージがほとんどないのですが、それでも自然条件下で見かけるその姿は迫力万点で、野生の生き物独特の凛々しさと緊張感が伝わってきます。
今日は、車でそっと近づき車の中から群れの様子などを撮影したあとで車から降り、逃げない距離を確認した上でカメラを持ち出しその姿を撮影しました。
ハクチョウは、多くのカメラマンがとても美しく撮影していますが、餌を食べている時などの首は、まるで蛇のように、どこか不気味で、とても不思議な動きをします。
ハクチョウに限らず、どんなに美しく見える生き物でも、良く見てみると野生の生き物には必ずと言っていいくらい不気味なところがあるもので、僕は、そういった人に理解しづらいところに、その生き物の野生を強く感じます。
今日は、そんな動きを表現するためには、どんな角度から、どのような背景で、どのような光で、どのようなフレーミングで撮影したらいいのかをよく考えながら撮影をしてみました。
(フィルム4本撮影)


02月11日(月) −瓢湖にて−


今朝の瓢湖 コガモ ミコアイサの絵

昨日は夕方まで青い空と太陽がでていたのですが、夜の間に雪が降りだし、今朝の瓢湖は20センチくらいの積雪がありました。
気温はマイナス3度で、湖の岸近くの水面には氷が張っています。
カモは、すべて中央部分の氷が張っていない水面に集まって、その様子を撮影したのが上の大きな画像です。
日が昇り明るくなり始めると、眠っていたカモも目を覚まし次第に岸近くに寄ってきて、体重の軽いコガモなどは氷の上によじ登ろうとします。
コガモはハトくらいの大きさの小さなカモで、オスの顔の模様とお尻の黄色が美しく、僕がとても好きな種類の1つです。
また、白と黒のパンダ模様のミコアイサは水中に潜って餌を捕りますが、僕の目の前の氷の割れ目から突然顔を出したりして、とても近い距離から写真を撮ることができました。
ミコアイサは決して珍しい鳥ではありませんが、それなりに警戒心が強く、至近距離から撮影ができるような場所や機会は限られています。
今日は、その限られたチャンスを無駄にしないように撮影をしたのですが、デジカメで写真を撮るほどゆとりがなかったため瓢湖の看板を撮影しました。
今回の取材では、この看板の絵のような感じで、カモのオスとメスとを一枚の写真の中にピシャリおさめて、その色の違いを分かりやすく見せる写真を撮ることが大きな目的の1つです。
午後からは一転して晴れ間が出て、今日は雪と氷と日差しのフルコースになりましたが、今回の取材は今のところ天候に恵まれています。
自然写真の場合、写真の出来・不出来に一番大きく作用するのは気象です。
今晩から明日も、新潟は大雪の予報です。
明日の朝、目を覚ますのがとても楽しみになりました。
(フィルム7本撮影)


02月10日(日) −瓢湖へ−

新潟県瓢湖

昨日は、兵庫県の伊丹市で撮影を終えた後、琵琶湖のほとりを通り日本海側に移動して、福井県の敦賀という場所で眠りました。
伊丹市がある瀬戸内は曇りのち晴れで温かな一日でしたが、ほんの数時間車で移動をしただけの日本海側は一面真っ白な雪景色で、運転中の真夜中には、九州では数年に一度くらいしかみられないほどの降雪がありました。
今日は、午前中のうちに石川県の河北潟まで、その後、新潟県まで移動をして、明日、明後日の撮影予定地である瓢湖には午後の3時頃に到着しています。
石川県の河北潟は有名な探鳥地で、以前から一度見てみたいと思っていた場所の一つですが、今回の取材で河北潟を見るのか、それとも飛ばして新潟県にまで移動をするのか僕はとても迷いました。
この機会に知らない場所を一目見ておくことは、後々とても大きな財産になりますが、もしも、河北潟に寄らなければ、新潟に昼過ぎには到着することができ、今日からさっそく瓢湖でたくさんの撮影をすることができます。
天気予報では、今日の日本海側は曇りの予報ですが、石川県の上空には晴れ間も多く、同じような感じが新潟県まで続いている可能性も十分にあり、青空が出にくい冬の新潟でその少ないチャンスを逃してしまうと、一日の晴れ間を待つために数日が必要になることもあり、またカモ類のオスの金属光沢がある顔の色を鮮やかに出すためには太陽の光が不可欠です。
今回は、河北潟の最寄りのインターチェンジである金沢東インターの出口から手前100メーターくらいのところまで迷いに迷い続けましたが、明日からの撮影でちょっと考え事をしたかったこともあり、結局、河北潟に立ち寄り、その後、新潟まで移動をして一時間たらずでしたが瓢湖でも撮影をすることができ、今日は、とても欲張りな一日になりました。
2日続けて7時間以上の、しかも、日付が変わろうかという時間までの運転でやや疲れを感じていますが、今晩はゆっくりと眠ることができます。
僕は、愚痴は大嫌いですが、長時間の深夜までの運転はきついですよ〜。
(フィルム1本撮影)

今月の水辺を更新しました。

02月09日(土) −昆陽池− 曇り時々晴れ

    
ハシビロガモ キンクロハジロ アメリカヒドリ ヒドリガモ ヌートリア

今日は、兵庫県伊丹市にある昆陽池でカモ類を撮影しました。
伊丹市といえばすぐ近くに大阪や神戸があり、都会のど真ん中になるのですが、この池では、キンクロハジロ、マガモ、ヒドリガモ、アメリカヒドリ、ハシビロガモ、オナガガモ、ユリカモメ、カワウ、アオサギといった水辺の鳥をとても近い距離から撮影することができます。
この池の生き物たちは、人に例えるならば都会っ子で、肉食のはずのアオサギやカワウがパンをねだりにきたり、ユリカモメが人の手から餌を取っていったり、たしか南米産のヌートリアが帰化していて猫くらいの大きさのまるでネズミのような生き物がいきなり池の中から姿を現したり・・・人間社会に適応して、生き物たちが新しい生活のスタイルを確立している点が昆陽池の特徴です。
最近の生き物に関する報道は大きく2つに分かれていて、1つは、「生き物たちが人によってこんなに打ちのめされていますよ。」という内容で、あとの1つは、「生き物たちが人に対してこんなにひどい悪さをしていますよ。」という内容ですが、僕は、どちらの報道もあまり好きではありません。
生き物を悲劇の主人公にしてしまったり、また、悪役に仕立て上げたり、そういった捉え方そのものが、とても人間中心であるように感じられるからです。
そうではなく、「自然っていったいどんな物なのだろう?」という視点が大切であるように僕には感じられるのです。
(フィルム8本撮影)

今月の水辺を更新しました。


02月08日(金) −出発−

今日は、直方市の自宅を出発し兵庫県まで移動をします。
明日は、ほぼ一日、伊丹市にある昆陽池でカモの撮影をする予定です。
昆陽池は町のど真ん中にある池ですが、野鳥に餌を与えているためカモの仲間を近距離で撮影することができ、特にハシビロガモという面白いくちばしのカモが他の場所に比べて多く、僕が好きな撮影場所の1つです。
池そのものは何の趣もない、ただ大きなだけで動物園の池となんら違いがない池ですが、カメラを手にし生き物の姿の中にグッと入り込んでいくと、そこが大自然なのか、町のど真ん中なのか、極端な場合動物園なのか、そういったことさえ僕には些細な事に感じられます。
僕が通った直方北小学校の廊下の壁面には大きな遠賀川の地図が描かれていて、その地図の中には、それぞれの場所で見られる魚たちの姿が描き込んでありましたが、僕はその地図を見ているだけで、まるでその場所に行き、川辺を歩き、魚たちを手にしているような気持ちになることができました。
僕にとって、地図は地図ではなく川そのものであり、魚の絵は絵ではなく魚そのものでした。
僕が子供の頃に遊んだ場所は、必ずしも、大自然の中ではなく、時には地図の中であり、また、ザリガニを捕まえるのが楽しくて楽しくてたまらなかったその場所は、幼なじみの家の裏にある幅30センチくらいのドブの中でした。
最近、「身の回りに美しい自然がなくなり子供たちの遊び場がなくなってしまった。」という大人が多いのですが、僕はそんな大人の想像力の乏しさをとても寂しく思います。
小学校の廊下の遠賀川の絵のことを、僕は今でも覚えていますが、その絵を誰が書いたのか、その人はどんな人なのか、その絵はいい絵なのかどうか、僕には全く興味がなく、僕が見たものは、その絵の奥にある本物の魚たちの姿そのものでした。
僕にとって、その絵を描いた画家は芸術家ではなく、むしろ魚を生きたまま届けるのが上手い魚の運送業者のおじさんだったわけですが、写真を使い同じような役割を果たすことができるカメラマンになることが今の僕の目標です。

今月の水辺を更新しました。


02月07日(木) −野鳥の撮影について−

先月に撮影した冬の阿蘇と湧き水の池の写真が仕上がり、今日届けられました。
昨日の撮影メモの中で、「この一ヶ月くらい、僕の気力はとても充実している。」と書きましたが、今回の写真は、その気力の充実に比例していい写真が多く含まれていました。
なぜ充実しているのか?
久しぶりにまとまった量の野鳥撮影をすることになっているからです。
僕は、水中撮影と野鳥の撮影を、自分のあらゆる撮影の中でも別格扱いしていますが、この両者は潜水の道具・大きな望遠レンズ・遠隔地操作をするリモコン・撮影用のテントなど、特殊な道具を使いこなさなければならない点で他の撮影とは一線を画します。
また、水中撮影をするためには水の中について、野鳥の撮影をするためには野鳥の性質について良く知らなければならず、単に写真に精通しているだけでは思い通りの写真を撮ることはできません。
人が手を付けにくいということは、それだけ未開拓な部分が多く残っているということでもあり、「人にまだ知られていない自然について伝えたい!」という僕にとって、特別な思いがある分野なのです。
それでも野鳥の写真に関して言うと、熱狂的な野鳥ファンは多く、アマチュアの中にもとてもいい写真を撮る人がたくさんいます。
また、年々写真のレベルが上がっていることも確かなのですが、美しくて気持ちがいい写真やデザイン的にすぐれた写真を撮る人が圧倒的に多く、生き物の命の凄みが写っているような写真はほとんど見かけることがありません。
久しぶりの野鳥撮影ですが、きれいに写すのではなく、命の凄みを感じさせる力強い写真を撮ってみたいと考えています。

今月の水辺を更新しました。


02月06日(水) −上手い文章−

この一ヶ月くらい、僕は、とても気力が充実した状態にあります。
それはどこでわかるのか?というと例えばこの撮影メモを書く時。
気力が充実している時には、日常生活の中に感じることが多く、撮影メモを書くためのネタに決して困りません。
僕にとっては、「何を感じるか?」ということがすべてなのです。
撮影メモを読み、「文章が上手い。」と見ず知らずの方からもメールをいただくこともありますが、僕の文章は上手い文章ではありません。
文を書く時には大切なことが2つあり、1つは何を書くかというその人の思いで、あとの1つはその思いをいかに書くかという文章の技術ですが、上手い文章とは技術がすぐれた文章のことを意味します。
僕の文章が仮に読みやすかったならば、それは僕の思いが分かりやすかったからであり、僕が書く文章の技術が優れていて上手く書けているからではありません。
僕の文章を上手いと感じた人は、恐らく読み手であり書き手ではない人。
写真に例えるなら、鑑賞者でありカメラマンではない人。
読み手にとって大切なことは、自分が読んで理解しやすいかどうか、つまり自分の好みに合うかどうかで、上手いかどうかはまた別の問題です。
文章は余分な言葉を省きシンプルに書くのが正しいとされていますが、作家の開高さんは徹底してくどい文章を書き、例えばある写真集がすばらしいと伝えるために、「この写真集の1ページを開くと、他の本にして何ページ分もの、何冊分もの、完全で、純粋で、最高で、究極の喜びを得ることが出来る。」といった雰囲気で表現をします。
常識を超えたくどさで書くことが読者の印象を強めるわけでが、これは文章の技術。
また石原東京都知事がインタビューの時に、一言くらいとても難しい言葉を口にしますが、これも「何それ?」と聞く人の思考を一瞬停止させ、自分のペースに引き込んでしまう技術。
僕の書くものには、何の技術も駆使されていません。
技術を駆使するのは、本当に素質のある人間がすること。
そうでない人間が、同じようなことをすると、ただの独り善がりになってしまいます。
もちろん独り善がりも大切ですが、それは公に見せるものではなく、自分の仲間内で楽しむもの。
そうならないように、妙な技術を身に付けないようにしているわけではありませんが、本当のところは、僕は勉強が嫌いで、文章の技術を学ぶ気には全くなれず、その代わりにハートで勝負といったところでしょうか。
僕の場合、写真も文章と同じようなもので「上手い写真」ではなく「分かりやすい写真」をといったところなのですが、さすがにこちらは、それなりに表現の勉強をしています。


02月05日(火) −芸術写真−

今日の朝日新聞の2面に写真家の荒木経惟さんが取り上げられていましたが、先日、深夜のテレビ番組で荒木さんの撮影の様子が紹介されるのを見ました。
町を歩き、お店やお墓などの花瓶の中に枯れかけた花を次々と見つけ、その枯れた花に荒木さんの思いを託してシャッターを押すという内容でした。
その思いとは、盛りを過ぎたものもまた美しいといったところでしょうか。
写真には、撮影者の思いを託してシャッターを押すという撮り方があり、荒木さんの写真に写っていたのは枯れた花ですが、見せようとしているものは荒木さんの内面です。
一方で、僕の写真は、そういった「芸術写真」ではありません。
僕の写真に僕の内面を求める人は多いのですが、僕が伝えたいのは武田晋一の内面ではなく、あくまでも自然。
仮に僕が撮影した写真が優しかったからといって僕が優しいわけではありません。
僕の写真が優しいのなら、それは、自然が優しかったから。
僕は、優しい自然も、厳しい自然も、残酷な自然も・・・いろいろな自然の顔色を撮影しているのですが、それでも、人が「優しい写真ですね〜。」というのは、むしろ、写真を見る人が僕や自然に優しさを求めているからだと思います。
自然愛好家、自然保護を訴える人・・・自然に携わる活動をするたくさんの人に写真を見てもらう機会がありますが、みんなが興味を持っているのは人の優しさであり、自然ではないような気がします。

「芸術写真」という言葉を使いましたが、「芸術やアートっていったい何?」という議論があります。
ある時、僕の知人が「君ね、アートという言葉の語源はな・・・」とアートについて語りだし、話を最後まで聞いてみたところ、その人の考える芸術やアートは辞書等に書いてある言葉の通り。
まるで学校の授業で教わるような情報としての知識を教養だと思い込んでいることに、「教養ってそんなつまらないものじゃない!」と寂しい気持ちになったことがあります。
「芸術・アート」の定義は人によって様々。
僕は、正直に言ってそれが何なのかさっぱりわかりませんが、芸術写真という言葉が使われる時には、単に美しい写真ではなく、しばしば撮影者の内面が託された写真を意味するような気がします。


02月04日(月) −ちょっと贅沢を−

 凍りついた古閑の滝

今日は、ちょっと贅沢な撮影をしてみました。
昨晩から熊本県に出かけ、今朝、古閑の滝だけを撮影して帰るというとても不経済な撮影です。
つい先日に撮影したばかりの古閑の滝ですが、今日は、九州は全土で晴れの予報になっていたため、凍りついた滝に光が当たったところを撮影できるのでは?という期待を込めての撮影行です。
残念ながら、予報は外れ天候は曇りがちで、さらに滝は北向きの斜面にあり見事なくらいに日差しが当たらず、僕の目論見は見事に外れてしまいましたが、もっとも、そうでなければ九州でこれほどに流水が見事に凍ることは考えられません。
今日、自分の目で数時間の太陽の動きを確認してみて納得させられました。
贅沢で無駄の多い撮影でしたが、写真に限らず何事も自分の足で歩き、自分の目で確認することは大切なこと。
知識や読みや計算に頼りすぎると、人が頭で考え想像ができる範囲の結果しか出せなくなり、人の想像を越えるような本当にいい仕事ができなくなってしまいます。
一般に自然に携わる活動家にはクソ真面目な人が多く、資源を無駄にせず、自然に優しく・・・・と理詰めで物を考える人が多いように感じますが、時には、無駄とガソリンとフィルム代を惜しまず、時間と燃料とフィルムを湯水のように消費することも大切なことです。
無駄を省くことはとても大切なことなのですが、無駄もまた人にとって同じくらい大切なもの。
そこが、人のとても不思議で素敵なところでもあると僕は思います。
(フィルム2本撮影)。


02月03日(日) −失敗−

このHPにリンクしている北海道の門間君から、「今年の北海道は暖かいですよ。」と連絡をしていただきました。
例年であれば、門間君が住むシムカップの平均的な気温はマイナス20度前後で、マイナス30度になる日が数日含まれるそうですが、今年はマイナス10度前後の日が多いとのことです。
過去に、冬の北日本を取材した時のことを今思い出してみると、「お粗末だったな〜。」と笑いがでるようなことがたくさんあります。
車の底に開いた穴から入ってきた水分が、足元から寝床までカッチンカッチンに凍らせてしまったり、コンタクトレンズを洗うための水が凍りレンズを洗うことができなかったり・・・。
大抵の失敗は、本を読めば、こんなトラブルに気を付けましょう!と書いてあるようなことばかりなのですが、それでも一通りの失敗を体験しなければならないのが僕の特徴です。
僕のようなタイプは失敗をしなければなりませんが、失敗を糧にすることで、失敗をせず真っ直ぐに歩いているエリート達よりも一歩前に出なければなりません。


02月02日(土) −下調べ−

8日からの北日本取材ではカモ類を中心に撮影する予定ですが、野鳥をまとまった量撮影するのは、ほんとうに久しぶりです。
今回の取材は、割ときっちりと計画を立て、その計画を何が何でも実行するようなスタイルで撮影をしてみようと考えていますが、そういった撮影をする場合には事前の下調べが肝心になります。
現在は、その下調べ中です。


02月01日(金) −本格的な準備−

北日本取材のための本格的な準備を始めなければなりません。
僕が車で生活した一番長い期間は約40日間。
今回の取材は20日なので取材期間の長さという点では大した事はありませんが、40日間の取材が夏の取材であったのに対して今回の取材は真冬の取材です。
それなりの準備をしなければなりません。
特に車で寝泊りする生活の場合は車が動かなくならないように整備を十分にすることと、冬用タイヤの溝の深さにゆとりを持たせておかなければ雪の高速道路でスリップしてあの世行きという結果になりかねません。
その他、長い取材に出る場合に僕が気を使うのは事務的な仕事を終わらせておく事と、飼育している生き物の世話を十分にしておく事で、発送しなければならないフィルムをちゃんと発送しておかなければ、とても面倒な事になりますし、魚を飼育している水槽の水が不足し水槽用のヒーターが水中から露出をしてしまうと火事を引き起こしてしまいます。
20日先までを十分に想定するのは案外疲れることです。
先日、帰宅した際に知人宅をたずねたところ、「おっ!珍しいね。たまには世間の喧騒にでも揉まれたくなった?」と声をかけてもらいましたが、僕は撮影に出ると全力で仕事をすること以外にはほとんど何も考えずにすみます。
今から何をするのか?明日は何をするのか?10年後にどこを目指すのか?・・・。
ちょうど釣り氏が魚をかけた時、その魚を何とかして取り込む事しか考えなくなるのと似た心理状況ですが、以前は車で寝泊りしながら取材をする生活にとても疲れを感じ、撮影にエネルギーを注いでいるというよりは、撮影に集中することにエネルギーを注いでいるという感じでした。
難しく考えるよりも、やはり数をこなし体ごと慣れることが一番ですね。