撮影日記 2010年8月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2010.9.30(木) 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。

 

2010.9.27〜29(月〜水) 雨、翌日晴れ

 少しでもいい写真を撮りたいと思うのなら、自然の写真は、変わり目を捉えることが大切。
 たとえば梅雨の大雨の写真を撮りたいのなら、その年の一番最初の豪雨の日に出かけたいし、夏空をとらえたいのなら、梅雨明け後いちばん最初の青空の日がいい。
 同じような天候の日が何日も続くからといって、連日雨が降り続いている時や、連日青空の日の最中に出かけたのでは遅すぎる。
 雨の日に活動するカタツムリだって、何日も雨が降り続いている最中ではなく、晴れの日が続いた後の最初の雨の日がいい。
 しかも、できればその雨が降り始める前から現場で待機し、気象の変化を待ちたい。
 連日雨が降り続いている最中に出かけるくらいなら、その雨が上がる直前〜直後に出かける方がいい。
 さて、カタツムリの撮影に行ってきた。



NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 場所は、僕のカタツムリの楽園。
 神社の大きなクスノキとその足元。
 あたりには落ち葉が積もり、その上に、ほどほどに下草が生える。しかも、積み上げられ、放置された不要な石の柱がカタツムリの食べ物になっているようだ。
 一本の木に、巨大なツクシマイマイが何十匹もくっついているような場所を、僕は他に知らない。

 ただ、少しずつこの場所は整理されつつあり、その楽園も、終焉を迎えつつある。
 整理は急ピッチというわけではないが、あと2〜3年もすれば、すっきり整備された駐車場の一角になってしまう可能性が高い。
 恥をしのんで言えば、非常にさみしい。
 がしかし、この場所は僕の私有地ではないので仕方がない。また常識的に言えば、下草ボーボー、落ち葉がズッシリの場所よりも、きれいに整備された場所の方が、大半の人にとっては心地がいいに違いない。
  それでも、誰かこの土地の持ち主との間を取り持ってくださる方がおられれば、お願いしたい気持ちがある。
 がしかし、その誰かを積極的に探すことにも強い抵抗がある。
 草を刈ったり落ち葉を掃除するのは人間という動物の生態の1つであり、人が生活する場所においては、それもまた自然の一種だと思うからである。
 だから、成り行きに任せている。



NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

 カタツムリは、下手をすると気持ち悪く受け止められる生き物だから、カタツムリの本といえば、どうしても、そのユーモラスな側面を強調した本になる。
 だから今度は、カタツムリのありのままの姿を紹介する本を作りたい、という思いがある。

 ただ、どうしたそれができるのか、僕にはイメージができなかった。
 もちろん、カタツムリのありのままを単に写真に写しとめることはできるが、それでは、「ありのままの姿を紹介する本、世の中には必要なんだよね。」と言われる本になってしまう。
 
 ところが、今制作中の環境をテーマにした本を作っている最中に、いろいろなアイディアが湧いてきた。
 ありのままのカタツムリの写真に加えて、多くの人が共有するに値する何かが必要。いやむしろ、多くの人が共有するに値する何かを、ありのままのカタツムリの写真を通して伝えるくらいの感じであるべきなのかもしれない。
 楽園が消えてなくなる前に、なんとかして、その案を実現させたい。 


NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) SILKYPIX

NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX


NikonD3X Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25mm ZF SILKYPIX

 前日までの雨がやみ、お日様が顔をのぞかせた朝、カタツムリたちは、それまで活動していた木から下り、落ち葉の中に潜り込む。
 低い位置にやってくるから、手に取ることができる。
 が、写真を撮ろうと思うなら手を触れてはならない。この手の生き物は、触れると、当分の間、ありのままの姿を見せてくれなくなる。
 昆虫のように、樹液に夢中になっているときは少々人が触ろうがお構いしとか、縄張りがあり何度追い払っても同じ場所にやってくるなどということはなく、カタツムリは食べている時でも、交尾の最中でも、何をしている時でも完全にそれに集中することはなく、変な刺激があると、すぐに逃げ腰になってしまう。

 

2010.9.26(日) 床下の声

 本を作りのパートナー・凹山さんと話をしながら作業を進めていると、近くで男性の話声が聞こえた。
 建物のすぐ横を通る市道で誰かが話しているのな?と思ったら、また声がして、もっと近い感じがする。
 外じゃない。うちの床の下じゃないか!
 凹山さんがコンコンと床をノックしたのを見て、僕だけの気のせいじゃないことを確信し、ぞっとした。やっぱり床下に誰かがいる。
 悪い夢を見た。
 ここ数週間は本づくりの作業で頭が満タンになってしまい、他のことが、ほとんど手に付かなかった。
 横になるとだいたい数分で寝てしまう僕が、寝つきが悪くなり、何度か悪夢にうなされて目が覚めたのだ。
 本の中に書くことは、かなり前の段階で決まっているのだが、それをどんなに風に表すのかと、あとは知識の部分で間違えを書いてしまったり矛盾がないかを探すことに、ほぼすべての気力を取られていた。
 局面は移り変わり、ここ2〜3日は少しだけ心にゆとりがある。

 第一巻の湧水の池は、結局、僕がどういういきさつでその池を知ったか、から物語を始めることになった。
 当然、第二巻以降も、同様に統一すべきだろう。
 そこで、過去の日記を振り返ってみると、なんと自分でも忘れてしまっている面白いエピソードが幾つかあった。
 20〜30年前の話なら忘れても仕方がないだろうけど、数年前のことだ。今の僕は、月日が経つのが早くなりはじめているようだ。
 
 第二巻の洞窟は、ムカシトンボを探している最中に、その川が洞窟の中から流れ出ているのを見て思いついた。
 ところが過去の日記を読んでみると、実はそれだけでなく、ちょうど同じ時期に洞窟の名所・平尾台自然観察センターの方々と知り合い、僕には洞窟との新鮮な接点があったようだ。
 そして、その平尾台自然観察センターの方々との出会いは、当時僕が一生懸命に撮影していたカタツムリがもたらしたものだった。日本中で平尾台の周辺のみに生息するナカヤママイマイについて教えてもらいにいったのがきっかけだった。
 カタツムリの写真と今作っている本とは全く無縁だと思っていたのに、実際には一連の流れであることに、今頃気がついたのだ。
 いや、もしかしたら、当時はそのつながりをちゃんと意識していたのに、そのつながりの存在を忘れてしまったのかもしれない。
 自分が、何を忘れたのかを、忘れてしまったのである。


 

2010.9.25(土) 学問

 僕の父は、生き物が好きではないので、僕が子供のころに飼育していた生き物たちは、何か理由をつけられて捨てられる運命にあった。
 まれに飼育の許可が出ても、例えるなら倉庫の中でなら飼ってもいいというような感じで父の目から遠ざけておかなければならないから、飼育に適した場所に生き物を置くことはできなかった。
 ただ、父は学問なら好きなので、学問の材料として生き物を見ることなら許された。だから僕は、生物学へと進むことになる。
 がしかし、本来学問をやりたかったわけではなかったから、僕は結局、自然写真家という道を選んだ。
 その自然写真家も、すんなりと選択できたわけではなかった。親元を離れ、大学生活を送るようになってからも、子供のころからの縛りから、なかなか自由になることができなかったのだ。
 ところが大学4年のある日、ある決定的なきっかけがあった。僕はすでに大学院への進学が決まっていたのだが、その後の研究に関して恩師と話をしている最中に、
「君は、趣味を仕事にするタイプの男なんだな。」
 と言われハッとしたその瞬間に、自由になった。
 写真家になろう、とその時決意した。

 学問は学問で、学んでよかったと思う。
 大学のたかが4年で何ができるか?という人もおられるが、そう思う人は大学など行かなければいい。
 生物学の専門家に取り囲まれ、当たり前に専門用語が飛び交い、自然科学の物の考え方の中にどっぷりとつかることで体に染みついたものは、他では得難い。
 独学でどれだけ科学を勉強しても、その人に「科学とは」と語らせると、やっぱり底が見えてしまう。言葉のネイティブスピーカーとそうでない人くらいの違いがあるだろう。
 もちろん、独学でも面白い研究をしている人はたくさんおられるが、それは科学とはまた違ったものであることが多い。
 悪く言えば、おもしろいのだけど、科学にはなりきれない。よく言えば、科学者にはない自由な発想の研究といった感じだろうか。
 今にして思えば、僕が子供のころにやりたかったのは、その科学とはまた違った、おもしろい生き物の研究だった。
 
 科学を学べば科学に取りつかれてしまうし、科学を学んだものに、科学を忘れて自由な発想になれと言っても無理な話。
 何か1つ身につければ、その代わりに、何か1つ、知らないうちに捨てることになる。
 世界的に有名なある自然写真家が、
「自然写真家になるのに、科学の知識や専門教育を受けることは不要。」
 と書いておられるのを読んだことがあるが、その通りだと思う。
 ただし、その場合の自然写真とは、エンターテインメントの写真である。
 だが、自然写真にはエンターテインメント以外の要素もあるのだから、別に科学を知っていてもいいと思う。
 結局、自分が歩んできた道のりは、引き返して変更することはできないのだから、その流れに乗って生きていくしかない。

 

2010.9.23〜24(木〜金) 子守り


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

 町の中の水路で、雷魚が子育てをしている。
 魚が子育て?
「雷魚の親は子供を守る」
 と図鑑にあるし、僕もそんなシーンを見たことがある。
 僕が見た範囲では、子供を守っている親は2匹だったから、卵を産んだメスだけが子守をするのではなく、オスもそれに参加するのではなかろうか。
 そして、成魚になると単独で暮らす雷魚も、子供のうちは群れる。子供が群れるのは、いよいよ小さな時だけだと思っていたのだが、今日は、大人の人差し指ほどに成長したものが、群れを作っているのを見た。
 群れの規模は、目に見える範囲では50〜100匹くらい。
 その近くには、70センチはあろうかというような巨大な成魚の姿がみられた。おそらく、親だと思う。
 なんだか、獣っぽい。

 ところで、人間と他の生き物の間にも、友情のような何かが成立することがある。たとえば犬を飼ったことがある人なら、誰でもその実感があるだろう。
 そして、人に対して友情のような何かを表す生き物は、みな親が子供を育てるタイプの生き物だ。
 カブトムシや金魚のように子供を産みっぱなしにする生き物は、人間に対して友情を示したりはしない。金魚は餌を覚えることならあるが、それは餌を食べたいからであり、人を理解しているわけではない。
 ということは、友情の根底には、親が子を思ったり、子が親を慕うしくみがあるに違いない。
 子守りとか子育てなどという行動や友情とか愛情などという概念は、いつ、どのようにして発達したものなのだろう?
 もしもタイムマシーンが存在するのなら、それを調べに大昔の世界に行ってみたい。
 
 

2010.9.22(水) 通いつめる


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX
 
 もう少し水が少なくなれば、この場所でイノシシが盛大に泥を浴びるようになるだろう。
 イノシシは、いったいどこを通って、どのようにこの湿地に現れるのだろうか?大まかなことは、見ればすぐにわかるが、僕が知りたいのは、どこで立ち止まるとか、どこは早足で歩くとか、もっと細かなこと。
 それが、何度も通ううちに、少しずつ見えるようになりつつある。

 いったい何度この場所に来たことだろう。
 狭い湿地なので最初のうちはともかく、ある程度通いなれてからは、もうすべて見つくしてしまい、何も撮るものはないのではないか?今日は軽く見て回るだけの短時間で帰宅をすることになるだろう、というつもりで出かけるようになった。
 ところがいまだに、行けば必ず何か新しいものがあって、あっという間に数時間が過ぎ去る。むしろ、行けば行くほど撮影すべきものが増えて時間がかかるようになった。
 この場所が、特別に生き物が面白い場所というわけではないと思う。
 僕が今同時進行で取材をしている他の場所に行っても、行けば行くほど撮りたいものが増えていくことに関しては同じ。だが、この湿地の場合、数秒でぐるりと一周回れる狭い場所だけに、自然の奥行きの深さに、僕が気づくことができたのだと思う。
 こんなに狭い場所だって、見尽くすことなんてできないのだと。

 そのことを、本を通して伝えることができればなぁ。それができれば、この狭い場所を取り上げたことに意味を持たせることができるのかもしれない。
 この場所を、本のテーマとして取り上げるかどうかは、実はかなり迷った。
 というのも、狭い場所なので、ページの途中でネタ切れになるか、それを無理やりに引き延ばして本を作っても、退屈なものになる危険性があると僕は思い込んでいたのである。

 何の撮影でも言えることだが、行ってみなければ、何が見られるかわからない。
 いや、行ってみなければ、自分が何に気づくかわからないから、とにかく行ってみる。
 そんな世界があることを、僕はこの場所で、学ばせてもらったのかもしれない。
 物を作る人の世界では、
「自分に満足をしたらおしまい。」
 とよく言われる。
 僕はそれを、執念とか探究心の問題だと思っていたのだが、探究心は、目の前に面白いものがあるから湧いてくるのであり、大切なのは、その面白いものに出会えるような暮らしを自分がしているかどうかはなかろうか。
 そしてその暮らしとは、必ずしも、どこかすごい場所に行くことではないし、もしかしたら身近な場所に何度も通うことかもしれないのだ。
 

 

2010.9.19〜21(日〜火) カーナビ


 
 以前、一か月の長期取材の最中にカーナビが故障をして、大変に不便を感じたことがあったので、ポータブルタイプのものを、予備として、安売りの時に買っておいた。
 確か3万円台だったように記憶している。
 その後、狭い山道を登るために軽自動車を一台買ったので、その予備を引っ張り出してきて軽自動車の方で使用しているのだが、今やポータブルタイプのものでも十分すぎる性能を持ち合わせていることがわかり、とにかく感心。

 ポータブルではない本格的なカーナビの場合は、車とコードで接続されており、車から発信される車速パルスなどの情報を使って、より正確な位置が表示される。だから、たとえば車がトンネルに入り、GPSからの情報が届かなくなっても、車は地図の上をちゃんと移動する。一方で、ポータブルの場合は、GPSからの情報が届かなくなると、カーナビの機能はストップしてしまうのが欠点だと思い込んでいた。
 ところが最近のものは、ポータブルのくせに、トンネルの中でもちゃんと車の位置が変化する。
 どうも、どこかに速度を感じ取るセンサーが付いているようなのだ。
 しかも、かなりの正確さ。これだけ高性能なら、もう本格的なカーナビを、高価なお金を出して買うこともないだろう。
 また、本格的なカーナビは、故障をしたときに大変に面倒だ。取り外しや修理終了後の取り付けには、お金と時間が結構掛かる。修理自体も、高額になる場合が多く、下手をしたら、ポータブルタイプのものが1つ買えるくらいの修理費がかかる場合だってあるようだ。
 
 カーナビなんて軟弱だという考え方もある。
 そんなものに頼っていたら、地形を読んだり地図が見れなくなるし、地理を知ろうとする精神が阻害されると。
 だが、画面に表示される地図に、僕はなんだか男のロマンを掻き立てられる。
 あたりを俯瞰する、鳥のような目が欲しい。
 別に、わかりきった場所に行くときにでも、そこに地図が表示されていてほしい。


 

2010.9.16〜18(木〜土) 山上の湿原


NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 とある山上の湿原。
 僕はここで、まだ写真を撮る人にあったことがない。
 過去に出会った人と言えば、山仕事をする人が数人。山登りの途中で、この湿原の脇にある遊歩道を通った1グループの人たち。季節になると、ある植物の観察に訪れる数人の人たちくらいだ。

 ここに滅多に人が来ない理由は、簡単にたどり着けない困難さと困難ゆえの情報のなさだろう。
 だが、もしもこの場所が東京や大阪や名古屋あたりの都会からアクセス可能な距離にあったなら、それらの条件の悪さを乗り越えて、おそらく点々と人がやってくるに違いない。また、自然が産業と結びついているという点に注目するならば、大自然というイメージの北海道も、見方を変えると一種の都会であり、この湿原が北海道にあっても、やはり人が押し寄せてくるのかもしれない。
 そしてそうなると、手つかずの自然も、やがて手つかずの自然ではなくなる。

 その点、地方はいいなぁ。
 僕は、自分が住む場所を地方に定めて良かった、とここに来るたびに思う。
 地方が、都会化せずに、自然を売りにしてたくさんの人を呼ぶわけでもなく、地方のまま食べていくことができるためには、日本の社会はどんなスタイルになったらいいのだろう?


NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 手つかずの場所には、不快が付きまとうことが多い。季節にもよるが、蚊やメマトイなどの不快昆虫が多いから、ネットをかぶって防御する。
 危険もたくさんある。そして、キツイ。
 自然愛好家の中には、
「自然と人とを対立させないで」
 という方がおられる。
 だが、そう主張する人たちは、自然のごく一部して見ておられないような気がしてならない。
 僕は自然が大好きだ。でも、自然と人とは、基本的に対立する存在であるような気がしてならない。
 その緊張感がない場所は、すでに自然ではなくて、庭かテーマパークのようなものだと思うのだ。


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 湿原の成り立ちだが、元々は沢だった場所が、火山の噴火によって堰止められてできたと考えられている。
 噴火の際の岩石が所々で見られる。


NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX

 湿原の中にもポツンと岩がある。そして、湿原の地下にも多量の岩が埋もれており、この湿原は例えるなら、ろ過装置のような構造になっている。
 ここから流れ出る、目に見える川はない。
 湿原の中を流れる小さな沢の水や雨水は、すべて一旦地下に吸い込まれ、少し離れた場所で、沢としてまた姿を現す

 
 

2010.9.15(水) セミ


NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE +1.4テレコン 
SILKYPIX

 虫から環境を考えるというシリーズの、都会にすみついたセミたち【偕成社】という本を作るための撮影をしたのは、2004年。
 その時、撮影のために持ち帰ったセミの卵を事務所の花壇に置いておいたら、ついに今年セミが羽化したようだ。花壇にはセミが好んで卵を産むような木はないので、どこかからセミの成虫がやってきて産卵をしたとは考えにくく、羽化したセミは10中8,、9、僕が持ち帰った卵から生まれたものだろう。
 つまり、2003年に採集し、2004年に孵化をした卵が、2010年に成虫になったのだから、うちで羽化したクマゼミの幼虫の期間は6年ということになる。

「都会にすみついたセミたち」という本は、それに関連してテレビの番組を作ってもらったり、いくつかのメディアからインタビューを受けた。
 また、本を読んだお子さんが読書感想文の賞を受賞したりもした。
 本は、読書感想文を書くために読むものではないし、読書感想文を書くという行為にはほとんど興味はないが、本が選ばれたことと、一生懸命に読んでくれた子供がいたことが、うれしかった。
 その受賞は、今だに僕を動かす大きなエネルギーになった。
 昆虫写真家の海野和男先生と共著だが、海野先生の話題作りのうまさや企画力を、身をもって感じた。
 大変に教えられることが多かった。
 ただ営業的には、「虫から環境を考える」というシリーズは成績が良くなかったようだ。話題になることと売れることは、必ずしもイクオールではないことを知った。
 そのこともまた、いい勉強になった。本が売れなかったことも、その後の僕の、大きなエネルギーになっているからだ。
 僕は、なぜ売れなかったのかをずっと考え続けてきたし、そしてそれに対する自分なりの結論が持って、現在の本作りに挑んでいる。
 なんと貴重な機会を与えてもらったのだろう。
 
 
 

2010.9.12〜14(日〜火) 秘密にしていたのだけど・・・


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 便利なアイテムなので秘密にしていたのだけど、ある方の撮影日記を読んでいたら紹介されていたので、正直に明かそう。
 実は、こんなものを使っています。
 釣りをする人はよく、胸までの長さの長靴を着用するが、それをさらに上に伸ばし、全身を覆ってしまう長靴が存在するのだ。
 その名も、ウェダースーツ。
 水に潜ると首の部分から浸水をするので、潜水をすることはできないが、深い水中に立ち込んで写真を撮るときには、とても便利だ。

 僕は、水に潜って撮影する時のために、完全防水のドライスーツも持っているのだから、潜水を必要としない場合でもそれを使えばいいという考え方もあるだろう。
 だが、完全防水の服を着て水に入るということは、例えるなら、空気が入った風船を水に沈めるのと同じことなので、浮力が発生し、水に沈みにくくなる。
 そこで、おもりを腰に巻いたり、おもり入りのベストを身につけることになる。
 がしかし、おもりは体の負担になるので、なるべく使いたくない。
 その点、密閉ではないウェダースーツなら楽に水に入ることができる。

 さらに、ドライスーツを着用した状態で、万が一水中で転んでしまった場合、下手をしてドライスーツの足側に空気が集中してしまうと、足が上、頭が下という悲惨な状態で、水中で宙づりのような体勢に陥る危険性がる。
 潜水をするつもりで空気のボンベを背負っているような時なら、そうなっても慌てる必要はないし、水中で宙返りをして危機から逃れればいいが、水に潜るつもりではなかった場合には大きな事故につながる危険性があり、ドライスーツは、水に潜る時以外は、なるべく使いたくないのだ。


 

2010.9.11(土) 心構え

 幾つも撮影しなければならないものが重なると、やっぱり焦るし、無駄を出したくないものだ、と正直思う。
 だから、複数の撮影場所を効率よく回るなどして、無駄を省くことを考える。
 だが、そんな気持ちで撮影した写真からは、無駄をしたくないとか、これくらいでいいでしょう?といった逃げ腰な気持ちがどこかに滲み出てしまい、良くないような気がする。
 結局、幾らでも無駄足を踏む覚悟でとことんまで取り組むことが、何をするにしても近道なのかな。
 ふと過去を振り返って考えてみても、どんな仕事であろうが必ず難しくて煩わしかった。
 今年引き受けた幾つかの仕事も、すべて例外なく、ギリギリまで追い詰められてかろうじて撮影できたものばかりだったし、仕事が無事片付いたことの方が奇跡のように思えた。
 いつも何をしても、自分の限界近くまで追い込まれることになる。
 でもきっと、それが当り前なんだろうなぁ。

(お知らせ)
北九州市若松区響灘グリーンパークにて、写真展を開催中です。
期間  9月4日(土)〜9月12日(日)9:00〜17:00 火曜日は休館日
入園料 100円 
駐車料 300円
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2010.9.9〜10(木〜金) きっかけ


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD3X SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE SILKYPIX

NikonD3X Carl Zeiss Distagon T*2.8/21ZF.2 SILKYPIX トリミング

「近くにいい場所を見つけたので、トンボの写真でも撮りませんか?」
 とトンボの写真家・西本晋也さんに誘ってもらったのは、何年前のことだっただろうか?その沢は、少し遡ると行き止まりになっていて、水は洞窟の奥から流れ出ていた。
 初めて来た場所のつもりだったのに、その景色に見覚えがあった。
 西本さんに連れられて沢を歩き始めた時点では、すっかり忘れていたのだが、僕は以前、その沢を歩いたことがあり、その時も、洞窟の中から流れ出てくる沢に驚いた記憶があった。
 ただ、その当時僕は野鳥の写真家になることを目指していたので、不思議な沢のことはすっかり忘れていた。
 ともあれ、洞窟の入り口を眺めていると、地下に、巨大な帝国があるのではないか?という妄想が込み上げてくる。
 そうだ!洞窟の本を作ってみようか。
 それが洞窟の撮影のきっかけだった。

 同じような箇所が、北九州市内には何箇所かあり、これまでは、もっと大きな洞窟にカメラを向けていた。
 そちらは、中に人が入ることができるし、中から外の景色を撮影することもできる。
 だがふと、原点に帰った方がいいのではないかというような気になり、一番最初に心を揺さぶられたその場所に、カメラを向けてみた。

 洞窟の周辺は、冷気が立ち込めており、真夏だって長い時間撮影するには上着が欲しいくらいに涼しい。
 おそらく、洞窟から水流とともに噴き出してくる空気は、15度位ではなかろうか。どんなに日照りが続いた時でも、この場所の苔はいつも青々としている。

(お知らせ)
北九州市若松区響灘グリーンパークにて、写真展を開催中です。
期間  9月4日(土)〜9月12日(日)9:00〜17:00 火曜日は休館日
入園料 100円 
駐車料 300円
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2010.9.7〜8(火〜水) シロアリ


NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE SILKYPIX

 ちょっと前のこと。トイレのドアを開けたら、ドアの付け根のあたりにシロアリとその蟻道を見つけた。
 さて、どうしたものか?
 インターネットで調べてみると、専門の業者に依頼して駆除をしなければ、とんでもないことになってしまうかのような記述が多い。
 だが、シロアリなんてどこにでもいるはずだし、シロアリの被害で家が倒れたなんて聞いたことがないから、その手の話は、シロアリ駆除の業者さんが発信したものではなかろうか?
 だいたい、生き物に関して世間で言われていることには、嘘やあまりにも大袈裟なものが非常に多く、迷信じみている。 

 そこで大工さんにたずねてみたら、工事の最中にシロアリが出てくるのはざらだし、多少の被害は珍しくもなんともないのだという。特に、うちの事務所のように、床が低く、床下の風通しを良くするための工夫がなされていない建物の場合は、シロアリがいない方が珍しいようだ。
 ただ、そのシロアリがイエシロアリなら、被害がそれなりに大きくなる可能性があるというので、シロアリに食われた柱に穴をあけ、兵隊アリを数匹取り出してルーペで見てみたら、ヤマトシロアリだったから一安心だ。
 建物には床下に入るための入り口がないので、どっち道、その入口だけは何かあった時のために作っておきたかったから、シロアリの被害を見てもらったついでに工事をお願いしたら、シロアリの被害は思ったよりも小さかったのだが、湿気で材木が腐っており、あと少しでトイレの床が抜けるところだった。
 トイレの床は、板を張り替えることになった。
 湿気の原因は、外壁の構造上の問題だった。以前外壁を工事した業者の手抜きのようで、こちらも、床下に雨水などが入りにくくなるように処置をしてもらった。
 やれやれ。

(お知らせ)
北九州市若松区響灘グリーンパークにて、写真展を開催中です。
期間  9月4日(土)〜9月12日(日)9:00〜17:00 火曜日は休館日
入園料 100円 
駐車料 300円
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2010.9.5〜6(日〜月) 一手先が読めない

 子供の頃に夢中になったものといえば、生き物や自然の他にも幾つかあったのに、最後に自然が残り、当時好きだった大半の物事には、今では興味を感じなくなったのはなぜだろう。
 小学生の頃のスーパーカーに対する熱などは、瞬間的には、明らかに生き物に対する思いをも上回っていたように思う。
 当時は、週刊ジャンプに連載されていたサーキットの狼が待ち遠しくてたまらなかったから、一週間が大変に長かった。どこかの駐車場にロータスヨーロッパが止めてあったと聞いたら、それが少々遠いところであろうとも、構わず見に行ったものだ。
 もちろん、今でもポルシェやフェラーリを見かけたらつい目で追ってしまうようなことはあるが、スーパーカーは、今となってはそれ以上のものではない。

 中学に上がると、今度は将棋に夢中になった。学校へは、友達と将棋をするために、通っていたようなものだった。
 まるで、女子が授業中に先生の目を盗んで手紙を回すように、僕らは紙に書いた盤を回して、いつだって将棋に励んだ。
 だが、プロの棋士に憧れたことは一度もないし、今では将棋を指すこともない。
 もっとも、プロの棋士を目指すには中学生ではあまりにも遅すぎる。
 また、将棋の世界でプロになれるような連中は、みな天才であり、仮に僕が望んだとしても、その可能性はゼロだっただろう。努力だけでは成し遂げられないこともある。
 プロの棋士は、何十手も先が読めるなどと言われているが、凡人には、三手先を読むことさえ難しい。三手先とは、自分が駒を動かし、次に相手が駒を動かし、それに対してまた自分が駒を動かすことだ。
 それどころか、一手先でさえ、完全には分からないと言った方が正確かもしれない。
 将棋は、一度指した手を取り消すことができないので、まず頭の中で駒を動かしてみて、それに納得できれば、駒を手に取り動かすのだが、実際に駒を1つ動かして新しい場所に置いてみると、その瞬間にそれが悪手だと気付くなどというのは、日常茶飯事だった。
 ちゃんと想像の中で考えたはずだったのに。
 とにかく、たった一手先の局面でさえ、実際に駒を動かしてみなければ、分からないのだ。つまり、正確には読めないのだ。
 

NikonD700 AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX 
ストロボ 色温度変換フィルター使用

 さて、洞窟の本の中で使用するためのプロフィール写真を撮った。先日の、湧水の池の時と同じように、リモコンを使って一人で撮影した写真だ。
 まず一番最初にカメラを三脚に固定し、自分がいない状態の、背景のみの写真を撮ってみる。
 そして、デジタルカメラのモニターでその画像を確認しながら、自分がどこら辺りに立てばいいかを考える。
 最後に、実際にそこに立ち、リモコンでカメラを操作する。
 ところが、ここに自分が立てばいい、と想像した写真と、実際にその場所に立ってみて撮影した写真とは、しばしば全く別物で、なかなかイメージ通りの写真が撮れないから、何度も何度も撮り直しをすることになる。
 今の僕には、写真撮影の際にたった一手先を正確に読むことが難しい。

(お知らせ)
北九州市若松区響灘グリーンパークにて、写真展を開催中です。
期間  9月4日(土)〜9月12日(日)9:00〜17:00 火曜日は休館日
入園料 100円 
駐車料 300円
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展
 
 

2010.9.1〜4(水〜土) 町の中の泉

「写真は、技術云々の前に、何を言わんとするのかが一番大切だ。」
 という方がおられるが、はたして本当にそうだろうか?
 例えば、子供のころの学校の授業を思い出してほしい。国の検定を受けたほとんど同じ中身の教科書を使い、同じ内容について教わっても、つまり言わんとすることはほぼ同じでも、ある先生に習えば面白く、またある習うと退屈などということが頻繁におきる。
 そして、先生の話が面白い、つまり表現力が優れているというのは、極めて大切なことだ。
 ある写真の中でどんなに興味深いことが語られていても、その写真に人をワクワクさせる力がなければ、人は最初からその写真をみようとはしないし、見てもらえなければ何も伝えることはできない。
 写真は、必ずしも美しい必要はないが、何らかの形で絵になっていなければならないし、写真はビジュアルなのだ。

 さて、本のタイトルは、正式に決まったわけではないが 「町の中の泉」。
 そしてその泉をただ単に写真で説明するのはやさしい。
 だが、何々?と興味を持って見てもらえるようなビジュアル的に優れた写真を撮るには、この場所はあまりにも平凡過ぎる。「町の中の泉」の撮影で何が一番難しかったかと言えば、特殊な水中撮影よりも、泉のただの風景写真の撮影であった。
 せめて、一番様になる方向に向かってカメラを向けてみた。
 ところが、その多少なりとも絵になる方向に向かって撮られた写真には、周辺の民家の雰囲気があまりよく写らない。
 そこで、本の中で使用するプロフィール写真を撮る際には民家を背景にし、その町の雰囲気を表してみることにした。
 写真は、何を言わんとするかも、やっぱり大切なのだ。


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 プロフィール写真は、リモコンを使って自分で撮影した。リモコンでシャッターを作動させては、カメラのモニターで撮られた自分の写真を確認することを繰り返した。

 写真的には、不満が残る。
 たとえば、僕の頭が背景の石垣と若干重なっており、背景からの分離が悪い。もしももうちょっと僕がカメラ側に移動すれば、今度は、僕の頭と泉の水面が重なるが、その方が、僕の輪郭が背景からフワッと浮きあがってくることだろう。
 多くの写真撮影は、主要な被写体と背景との重なり合い方を、たくさんの組み合わせの中から選び出す行為であり、重なり合いを考えることは、基本中の基本なのだ。

 ところが、その基本を考えるゆとりがなかった。暑かったのである。
 水に潜るためのスーツの下には、このあと冷たい湧水の中で1時間近くの水中撮影をするため、冬の屋外でもそれほど寒くない程度に着込んであった。しかも、水に潜るためのおもりや空気のボンベを背負っているから、体は重たい。
 シャッターを押したあと、その画像をカメラのモニターで確認するためにカメラの位置まで歩く僕の動きは、たとえるなら、弱ったカブトムシだ。
 そして、弱ったカブトムシの不器用な動きなのだから、何もかもに時間がかかり、数枚のプロフィール写真を撮るのに、数十分の時間を要した。
 最後はついに、死ぬ直前のカブトムシだった。飼い主が何度起こしても、数歩歩くと、裏返しになってしまう。
 まさにもう限界。僕は、撮影の際に、きついとめんどくさいは言わないことにしているのだが、今日に限ってはもういい、この写真で我慢しよう。


さて、写真展のお知らせです。

北九州市若松区響灘グリーンパークにて、写真展を開催中です。
期間  9月4日(土)〜9月12日(日)9:00〜17:00 火曜日は休館日
入園料 100円 
駐車料 300円
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展


 僕は人物の撮影が苦手なので、何かのちょっとしたイベントの際に記録写真を撮るときにも、それを練習の機会だと考えることにしている。
 だから、ただの記録写真を撮るときでも、自然写真のように、それなりに真剣に撮る。
 しかし、本来写真撮影そのものには興味がない僕だから、そんな機会に真剣に練習をしようと思っていても、最初はやはり真剣にはなれなかった。
 ところが、練習を積んでみると、やがて人物の撮影でも、本質は自然写真となんら変わらないのだと感じようになってきたし、それなりに楽しくシャッターを押せるようになりつつある。


NikonD700 AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD700 AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

NikonD700 AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX
 
 
   
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