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撮影メモ

2001年10月分

 
10月31日
(水)
今日も、写真の整理です。
ようやく、作業が終わる目処がつきそうです。
整理に取り掛かった段階では、行方不明になっていて、「もしや紛失?」と不安を感じている写真が数カットあったのですが、すべて未整理のフィルムの中からでてきました。
良かった。
明日も、朝からフィルムの整理を続けます。
 
  
10月30日
(火)
 
 今日も、昨日に引き続き、写真の整理です。
写真の整理の合間に、今月の水辺 も更新しました。
写真を整理する際に、一枚一枚写真を注意深く見ていくと、諦めていた写真の中に、「おや!」と感じる写真が含まれていることがあります。
今月の水辺(日之影の清流にて)は、まさにそんな写真で、それをお見せすることを、どこか後ろめたくも感じています。
この日は、水中撮影にでかけたものの、雨の増水で水が濁っていて、まともな写真が期待できるような状況ではありませんでした。
申し訳程度に数枚写真を撮り、現像に出す際にも、「現像料がもったいないかな?」と考えていたほどで、フィルムを抜き、そのままゴミ箱行きにしようか?とも考えました。
ところが、昨日〜今日、その写真をよく見てみると、初めて日之影川に潜り、水中の美しさに言葉を失い、「あ〜来て良かったな。」と感じた日の思いが蘇ってきました。
今月の水辺を更新してみて、今年は、フィルムを整理して、自分が撮った写真をじっくりと見る時間がかけていたことを痛感しました。
来年は、撮影とフィルムの整理、スタジオ撮影と自然での撮影、仕事の写真と遊びの写真、すでに身に付けている技術と新しくチャレンジする技術・・・・・バランスを取ることに力を入れてみたいと思います。
 
  
10月
28〜29日
(日〜月)
 
 昨日から今日にかけては、丸一日を費やしての写真整理です。
写真の整理は、面倒な作業なので、ついつい他のことをしてみたくなります。
部屋の整理がしたくなったり、まるで、学生時代の試験前のようです。
26〜27日のメモには、冊子の話を書きましたが、この冊子は、昨年から心の中で暖めているにもかかわらず、なかなか具体的なイメージが湧いてきませんでした。
ところが、写真の整理をはじめてみると、冊子を作る作業を進めたくなってきて、具体的なイメージが次々と浮かんできたりしするから不思議なものです。
せっかくイメージが湧いてきたのだから、写真の整理から逃げたい気持ちを利用して、冊子の作業を進めようと考え、パソコンに向って作業をしました。
写真を持って上京するのは、11月3日なので、さすがにそんなゆとりもなくなってきて、試験でいうなら、今が試験前日の追い込み状態です。
 
  
10月
26〜27日
(金〜土)
 
 親をなくすと、親のありがたみを痛感するといいます。
健康のありがたみは、病気になってみて初めてわかるといいます。
あまりに身近に、当り前にあるもののありがたみには、なかなか気が付くことができないのかもしれません。
僕にも、そんな経験が何度かあります。
初めて南米を旅した時、言葉が通じることが、いかにありがたいことで、撮影にどれほど役に立つことなのかを痛感しました。
道路標識や案内表示が読めるだけでも、読めないのとでは大違いです。
昨年と今年は、北九州市で写真展を開催しましたが、地元の直方市で写真展をする際には感じたことがなかったような面倒しさを感じ、住み慣れた土地、地元の人たちのありがたさを痛感しました。
北九州市は、大都市ではありませんが、それでも北九州くらいの規模の都市になると、人の入れ替わりもそれなりにあり、僕の住んでいる筑豊地区のように、ほとんど全員が地元の人という風にはいかなくなります。
人の入れ替わりが少ない筑豊地区では、人脈をたどると、必ずといっていいくらい、どこかでみんなが繋がっていて、単に生まれ育った土地いう意味ではなく、人の繋がりという面も含めた故郷が存在します。
僕は、昨年から、そんな筑豊地区の特性をいかした何かができないだろうか?と考え、筑豊地区向けの小さな印刷物を作ることを検討してきました。
内容は、筑豊の文化と自然を中心にしたものになりますが、今日は、その冊子のイメージをパソコン上で形にしてみました。
果たして行動にうつせるのか、企画が成功するのか、まだ検討しなければならないことがたくさんありますが、タイトルは、「筑豊・喜怒哀楽楽」、喜は筑豊の子供達、怒は筑豊地区のここを変えたいという部分、哀は失われつつある筑豊の文化や自然、楽は筑豊の文化、2つ目の楽は筑豊の自然について、毎月1つずつ紹介できればいいな〜と考えています。
自然は、僕が執筆しますが、他の分野は、誰かにお願いしなければなりません。
そのような人が見つかるのかどうか、どこかで言われているような一般論ではなく、自分の物の見方を持ち、何かを発信できる人が見つかれば、この企画が成立するのではないかと思います。
喜怒哀楽楽表紙へ
 
   
10月
24〜25日
(水〜木)
 
 この撮影メモの中に掲載している画像は、デジタルカメラで撮影したものですが、デジタルカメラの発達は、パソコンの普及があってのことです。
僕は、学生時代から論文や学会発表用の図表を、NECのパソコンを使用して作っていましたが、当時のパソコンは、ウインドウズ95以前のもので、マウスもなく、とにかく取り扱いにくいものでした。
卒業論文や大学院の修士論文を書くような、特別なイベントの際には、助手のT先生がマッキントッシュを特別に使わせてくれました。
マッキントッシュは、当時から、今のパソコンと操作性がほぼ同じで完成度が高く、初めてマッキントッシュを使った時の驚きは、今でも鮮明に覚えています。
パソコンと写真とを結び付けてくれたのは、昆虫写真の海野和男先生です。
海野先生の事務所をたずねた際に、「今、パソコンでこんなことやってるんだ!」とマッキントッシュで本の見本のようなものを作って見せてくれ、僕は、それを真似してパソコンを扱うようになりました。
デジタルカメラの登場は、ずっと後のことになりますが、デジカメを使ってみせてくれたのも、やはり海野先生でした。
海野先生から「こうしなさい!」と言われたことはありませんが、いつも時代を先取りして、新しいことに着手する海野先生がやってみせてくれたことは、数年後に必ず僕の役に立ってくれました。
今年は、来月の上旬に、ほんの数日ですが上京する用事があり、海野先生の事務所にも立ち寄る予定になっています。
上京の際には、今年撮影したカタツムリやその他の写真を届けに行きますが、まだ、写真の整理が終わっていません。
昨日から今日にかけて、写真の整理を進めていますが、6月に撮影した写真の整理が、依然として終わっていないほどで、まだまだ時間がかかりそうです。
 
   
10月23日
(火)
 解説
 
 今日は、カタツムリの殻のバリエーションを撮影しました。
以前に、「カタツムリの撮影には気が乗らなかった。」と書いたことがあります。
なぜ、気が乗らなかったのか?
カタツムリについて知らなかったからです。
カタツムリの写真のニーズは、子供の本が中心で、本の中で使用されているカタツムリの写真の大部分は、関東に生息するミスジマイマイです。
九州にはミズジママイが生息しないため、まずは、モデルにするカタツムリの種類から考えなければなりませんでした。
そこで、陸産貝類の図鑑を開いて見ましたが、カタツムリには、とにかく種類が多く、しかも、どれも似ていて、素人には区別がつかず、僕は、圧倒されてしまいました。
さらに、驚いたことは、実際に採集してみると、カタツムリには殻に変異があり、図鑑に載っているタイプ以外にも、いろいろな殻のカタツムリが存在したことで、たくさん採集したカタツムリが果たして同一種であるのか?同じ容器に入れておくことで卵を産んでくれるのかどうか?僕は、自信がないまま見切り発車で撮影をはじめました。
今年一年間、たくさん採集や撮影をしてみて、関東のミズジマイマイと九州のツクシマイマイが、ほぼ匹敵する種類であることがわかりました。
サイズも、生態もほぼ同じで、ミズジマイマイに見られる殻のバリエーションは、ツクシマイマイにも見られるようです。
いつ、どうやって繁殖するのかも、飼育と野外での観察の両面から解かってきました。
ある日、僕は、カタツムリに興味を持っている自分がいることに気が付きました。
僕の頭を混乱させた、いろいろな殻のバリエーションが、今度は逆に僕の楽しみの1つになっていました。
まずは知ることから、次の一歩が踏み出せるのですね。
(フィルム3本撮影)
 
   
10月22日
(月)
 拡大
 
 カタツムリは、一年に2度、活動的になります。
最初は梅雨の頃、2度目は秋雨前線が活発になる頃で、ここ数日は雨が降り、カタツムリが活発に活動をしています。
昨日〜今日にかけては、かなりまとまった雨になり、しかも気温は20度前後と、それほどに下がらなかったため、点々とカタツムリの姿を見かけましたが、中には、木の幹の上で求愛〜交尾をしているものもいて、撮影をすることができました。
この2匹は、殻がかなり異なりますが、ともにツクシマイマイです。
昨年までは、春にカタツムリを採集して初夏に撮影をする計画を立てていましたが、時間的にきびしい状況での採集は、焦りとプレッシャーで精神衛生上良くないため、今年は、秋のこの時期に、連日のようにいろいろな場所を回り、カタツムリの採集をしています。
カタツムリの飼育ケースの数も一つ一つ増え、棚いっぱいになってしまいました。
通常、大きなカタツムリは、幅30センチほどのケースで2〜3匹しか飼えないとされていて、詰め込みすぎると弱いものが死んでしまうとされています。
そこで、殻のタイプが同じものどうしを組み合わせ、2〜3匹ずつ同じケースに入れるようにして、いろいろな模様のものを殖やす試みをしてみることにしました。
ツクシマイマイは、成長するのに3年以上かかりますので気が長い話ですが、3年後には、いろいろなタイプのツクシマイマイが育つはずです。
 
   
10月
20〜21日
(土〜日)
 拡大
 
 イチョウや桜の木が、ほんの少しですが色づき始めました。
阿蘇には、僕が定点撮影しているイチョウと桜の木があり、今日(20日)の午前中は、その木々のようすを見に行きました。
さっそく撮影を試みましたが、イチョウの撮影がどこかしっくりきません。
画像の木の右下の部分にはお墓があり、そのお墓を隠すためにカメラの位置をさげ、手前の草に隠すようにして撮影をすることに決めていたのですが、いつもと同じようにしているのに今日は、どうしもお墓が隠れないのです。
「おかしい!」と何度も三脚の位置を微調整し、高さを細かく変えてみますがどうしてもお墓が隠れません。
冷静になって、お墓を見てみると、墓石が新しく、以前に建てられていたものよりも高さが高くなっているのです。
もともと、お墓を隠すために、構図的にやや無理があるカメラポジションから撮影をしていたのですが、高さが高くなったお墓を隠すために、さらに無理があるアングルから撮影をしなければならなくなりました。
逃げも隠れもしない木の撮影ですが、定点撮影は何が起きるかわからないので、難しいですね。
動物に比べると植物は逃げないので、撮影が易しいと思われがちですがとんでもない。
撮影には、その被写体によって、得意、不得意がありますが、何度も撮影をしていると、不得意なものでも大抵は克服をすることができます。
それでも、自分には向かないと感じる被写体があり、僕の場合、植物がまさにそれです。
(フィルム6本撮影)

  
  
10月19日
(金)
 拡大
 
 今日は、テナガエビの撮影です。
テナガエビは、その名の通り手が長く、成熟したオスの手の長さは、長い場合は体長の2倍近くになりますが、今日の画像のテナガエビは、メスなのか子供なのか、手は短くて体長の半分ほどです。
川に罠をしかけて小魚を捕まえようとすると、特に冬の間、魚ではなく、このエビがたくさん捕まります。
僕は、子供の頃、よく川で遊びましたが、家の近くの川で、このエビを捕まえた記憶はほとんどありません。
ただ、図鑑が大好きだった僕は、このエビの存在を知っていて、捕まえたいな〜と憧れていた生き物です。
子供の頃に、魚捕りをした環境と似た場所で、今魚を採取すると、このエビがたくさん捕まりますが、もしかしたら、最近になって増えている生き物なのかもしれません。
(フィルム1本撮影)

  
  
10月18日
(木)
 拡大
 
 15日の月曜日にメダカとザリガニを採集しましたが、その際、メダカ以外に数種類の魚が網に入りました。
今日は、その魚たちの中から、ハゼの仲間のヨシノボリとドンコを撮影しました。
画像の魚は、ドンコですが、ヨシノボリもよく似た形をした魚です。
昨年までは、魚の撮影には、フジフィルム社製のベルビアという銘柄のフィルムを使用していましたが、今日は、プロビアというフィルムを使用してみました。
異なる銘柄のフィルムを使用したことには訳があります。
昨日、ずっと顔を合わせていない知人からメールをいただき、その友人が、いろいろなことにトライし、試行錯誤して、いつも考え続けていることを知り、刺激を受けたからです。
昨年の冬、嫌というほどメダカの撮影をした結果、魚の撮影に関してはそれなりのノウハウをつかんだつもりですが、それでも、決して考え続けることを止めてはならないことに気付かされたからです。
「これでいい!」ではなく、「どうしたらいいのかな?」といつでも考え続けたい。
(フィルム2本撮影)

  
  
10月17日
(水)
 ネズミの死体
 
 僕は、このホームページの中の撮影メモの他に、純粋に自分用の記録として撮影日記をつけていて、大抵は箇条書きで、その日、撮影した内容を書き記しています。
撮影メモの中で紹介する日々の撮影の記録は、その一部に過ぎず、ここに記したもの以外にもたくさんの撮影をしているからです。
その記録の中に、ここ一週間で2度、エアコンの大掃除という記録があります。
実は、ある日、急にエアコンが臭いだし、我慢ができないほどになってきたからです。
といっても、エアコンの掃除方法を知っているわけではないので、ダスキンの真似をして、エアコンの内部を洗ってみることにしました。
ダスキンに出来るのなら、似たようなことをしても大丈夫だろう?と、エアコンのカバーを取り除き、霧吹きをたくさん吹きかけてみたり、エアコンの消臭用のスプレーを水滴がしたたるほどたくさん吹きかけてみましたが効果はありません。
それどころか、日々臭いが強くなってくるため、もう一度、同じ作業を繰り返しました。
それでも効果がないため、今日は、たまりかねて、再々点検をすることにしました。
まずは、原因究明です。
原因究明のためには、冷静な観察が大切ということで、懐中電灯を用意し、エアコンの内部の隅々をよく見てみることにしました。
吹き出し口周辺には異常が無く、電気系統が収められている部分を懐中電灯で照らし出してみたところ、なんと!ネズミが挟まって死んでいるではありませんか。
ネズミを取り除きましたが、あまりにひどい臭いなので、まだ余韻が残っています。
たったこれだけのために、3日も撮影の時間を無駄にしてしまいました。
どこから侵入したのか、今だに理解できません。
それでも、撮影が忙しい時期ではなくて良かった。
おかげでエアコンの内部構造もよく理解できました。
次に、似たようなことがあっても、もう大丈夫です。
 

 
10月16日
(火)
 拡大
 
 今日は、カタツムリの採集に出かけました。
場所は、北九州市小倉南区の平尾台周辺で、北九州のトンボのHPを主催する西本晋也さん http://www.pal-com.co.jp/tonbo.htm から教えてもらった林道です。
カタツムリの殻には、色や模様にバリエーションが多く、これが同じ種類?と驚かされるほどの変異があります。
今日の画像のカタツムリは、9日の画像のカタツムリと同じ種類ですが、殻に沿ったらせん状の黒い縞模様が無く、代わりに、放射状の縞模様があるタイプです。
図鑑の中で、このようなタイプがあることは、知っていたのですが、初めて見つけたのでとても感激しました。
きれいな模様ですね。
僕が飼育しているカタツムリの中には、今日のカタツムリと同じ色で模様が全く無い無地のものや、もっと明るい黄土色で模様が全くない無地のものなどがいますが、いずれも、採集した時点で傷が多く、撮影用ではなく、ひたすら繁殖用として飼育しています。
今日、殻に傷がなく、これまでとは違うバリエーションのカタツムリを捕まえたことで、いろいろな殻のカタツムリを集めて撮影してみたくなりました。
もう少し、採集にも力を入れてみたいと思います。
(フィルム2本撮影)
 

  
10月15日
(月)
 拡大
 
 今日は、メダカとザリガニの採集に出かけました。
今日、採集したメダカやザリガニは、この冬から来春にかけて撮影する予定です。
田んぼの水路での採集なので、水路上から網を使って採集することもできますが、より確実にいいモデルを捕まえるために、水路の中に胴まである長靴を履いて立ち込み、手網を使って採集します。
今日は、午前中の間に出かけ採集を始めましたが、なんと!途中でお腹が痛くなり、一旦帰宅を余儀なくされました。
昨日、キシリトール入りのガムを食べ過ぎたことが、腹痛の原因と思われます。
ガムの包みには、「キシリトールにはお腹をゆるくする働きがあるので、食べすぎはいけません。」と書いてありますが、まさか本当に来るとは思っていませんでした。
気をつけた方がいいですよ。
ザリガニやメダカの他にも、たくさんの生き物たちを採集しました。
魚ではドンコやヨシノボリ。昆虫ではトンボの幼虫数種類。他にテナガエビやヌマエビなどが今日の収穫です。
 

 
10月14日
(日)
 早く散歩にいこうよ!
 
 家の犬は食が細く、食べ物を与えてもほとんど喜ばないという珍しい犬です。
代わりに散歩は大好きで、散歩の雰囲気を感じ取ると、家の中や庭を駆け回り、本当に嬉しそうにします。
その様子を見ると、「今の僕にも、そこまで喜べることがあったらいいのにな〜。」とうらやましくなりますが、子供の頃は、渓流釣りに連れて行ってもらうことが何よりも嬉しくて、釣りの約束の2週間くらい前から夜眠ることができなくなり、一日がとても長く感じました。
僕が自分の将来に関して、具体的なイメージを描くようになったのは、大学卒業以降のことですが、小学生の時に初めて渓流釣りに連れて行ってもらって以来、どうしたら自然と接しつつ暮らしていけるのか、いつも考え続けてきたような気がします。
ところが、僕が興味を持ったものは、自然だけではありませんでした。
ゲームやマンガや遊園地も大好きだったし、山間部に釣りに連れて行ってもらった時には、ダムの大きさ、すごさに驚いたことを今でもよく憶えています。
そんな自分を思い出したときに、今の大人たちが、大人の論理を子供に押し付けようとしていることが恐ろしくなります。
「ダムは、自然を破壊する悪いものだ。」と自然愛好家は、子供に教えたがります。
本当に、それでいいのでしょうか?
ダムが自然を破壊するという側面はありますが、あなたは、自分でダムを作れといわれて作ることができますか?
一方で、ダムは、人の技術の粋を集めたものすごい建築物でもあります。
ダムってすごいな〜。漫画は面白いな〜。ゲームは楽しいな〜。
いろいろな好奇心があるから、自然が素敵だなと思えるのではないでしょうか?
大人が、身の回りの事象に、いい、悪いというラベルを張り、いいものだけを与えようとする結果、すべての興味が失われているような気がします。
僕には渓流釣りの先生がいますが、先生が小学生だった僕に対して、「ダムなんか作りやがって!」と言わなかったことに、今、とても感謝しています。
昨日の新聞に、子供が両親と一緒に反戦のプラカードを持ち小さなデモをしている写真が美談として掲載されていましたが、僕は、子供が反戦のデモをしていることの方に恐ろしさを感じました。
戦争って何だろう?何で起きるんだろう?どんなことなんだろう?と素朴に感じることの方が、デモよりも断然大切なのではないでしょうか?
 

 
10月13日
(土)
 
 今年の冬は、10日から2週間くらいの撮影旅行を何度か予定しています。
主に、北国で、水辺の野鳥を撮影する予定ですが、そういった撮影旅行の計画も含めて、来年の春までの予定をたてているところです。
今年、力を入れたスタジオ撮影では、野外で撮影する際のような不便さを感じることは滅多にありません。
電気があり、冷暖房があり、水道があり、お湯も出ます。
ところが、電気があることで、夜中まで活動ができ、水道があることで何時でもお風呂に入ることができ・・・・・、自由に使える時間が増えることで、逆に、生活が不規則になってしまう不便さがあります。
野外での生活には、電気がないため暗くなったら寝るしかなく、温泉に入るにも営業時間があり不便ですが、その結果、規則的な生活を送り、自己管理がやりやすくなります。
便利であることには、便利であることの良さがあり、不便なことには、不便なことの良さがあります。
今年は、スタジオ撮影に力を入れた結果、便利な生活の恩恵をたくさん受けることができましたが、便利であることの不便さもたっぷりと味わっています。
この冬は、思いっきり不便な目にあい、不便であることの良さを味わうつもりです。
作家の開口健さんが、「男は旅に出なければ自殺する。」と何かに書いていたのを読んだことがあります。
開口さんが、どんな意味で書いたのか僕にはわかりませんが、男の人は、怠け者なので、便利な生活にどっぷり浸かっていると、どこまででも怠けてしまい、そんな怠け者の自分に嫌気がさしてしまわないように、自ら便利な生活を捨てなければならないという意味なのかな〜と考えています。
 

 
10月12日
(金)
 
 テロに対するアメリカの対応を見ていると、「あ〜日本人とは、根本的に発想が違うな。」と僕は感じます。
日本人が過程や形式にこだわるのに対して、アメリカ人は、とにかく結果を重視する。
テロリストを倒すためには、諜報活動あり、暗殺あり・・・・
結果を出すために、過程や手段を選ばない。
爆撃すれば、たまには誤爆もあり、相手を倒すという結果を出すためには多少の犠牲は仕方がないという強烈な割り切りを、僕はアメリカの態度の中から感じます。
プロカメラマンの世界は結果の世界なので、結果を出すためには、小さなことを切り捨てなければならないことは、日々の生活の中で痛いほど感じていますが、ここ数日、結果を出すということに関して、僕は改めて考え直しています。
 いい写真を撮るために、一つのシーンを何度も何度も繰り返し撮影しなければならず、その過程で生き物を殺してしまうことさえあります。
また、僕は、生物学の出身ですが、学生時代に、研究の過程で数え切れないくらいの生き物を殺し、恐らく、その単位は万の単位ではないかと思います。
しかし、研究をして生き物に関して何か新しいことを調べ出すだすためには、それも必要な過程です。
ある意味、今のアメリカのようになれなければ、生物学の研究者やプロのカメラマンなど、結果の世界では生き残ることが出来ないのかもしれません。
ところが、僕だけでなく、生き物を殺しながら研究をしている大部分の研究者は、一般の人よりもはるかに生き物に興味があり、生き物を愛している。
「本当に、人は、矛盾した生き物だな〜。」と強く感じています。

 以前に、野鳥の会が開催した写真展を見に行ったことがあります。
展示の中に、トラツグミという鳥の写真がありましたが、写真に写ったトラツグミは、恐らく生きているトラツグミではなく、はく製をあたかも生きているかのように地面に置いて撮影したものでした。
写真には、こういう風に撮らなければならないという規則はありません。
頭をひねり、いろいろなインチキを編み出すのも、カメラマンの力量の一つです。
しかし、写真の使用目的によって、こういったインチキが許される場合と許されない場合とがあります。
写真が、あるカメラマンの創作活動、あるいは何かのイメージを伝えるために使用されるのであれば、はく製を撮影することもいいでしょう。
しかし、野鳥を広く一般に知らしめるために存在する団体が主催する写真展や、図鑑の中や、新聞の中のように、正確な知識が求められる状況で使用されるのであれば、このようなインチキは許されるものではありません。
鳥に関する研究や調査活動全体の、信頼性を失わせる行為だからです。
プロの結果を出さなければ生活ができないという世界ならともかく、趣味で写真を撮る人が、こんなインチキをすること、そんな窮屈な写真の撮り方をすることを、僕は残念に思いました。
 

 
10月11日
(木)
 拡大
 
 写真の整理は、たくさんの写真を撮影するカメラマンの頭を悩ます問題です。
僕は、これまで、透明の写真専用ファイルに一枚一枚の写真を収めてきましたが、そのような悠長なやり方では、撮影する写真の枚数が多過ぎて、整理をする速度が追いつかなくなってきました。
そこで、フィルムのサイズにちょうどピッタリなボックスを探してきて、その中に、テーマごとに写真をまとめて収めておく方法に、今現在、移行させています。
アマガエルならアマガエル用のボックスを用意して、ボックスの中に、産卵、交尾、卵、オタマジャクシ・・・・・・と見出しをつけ、分類していくわけです。
一枚一枚ファイルに収める方法は、すべての写真に目が届きやすい点で優れているのですが、取り扱う写真の枚数が数十枚などという単位になってくると、やはり時間がかかりすぎるのと、ファイルの価格はけっして安くはないので、コスト的にも、ボックスに収まる方法がすぐれています。
本格的な冬の撮影が始まる前の、比較的に時間にゆとりがあるこの季節に、何とか、新しい方法への移行を終えておきたいと考えています。
 

 
10月10日
(水)
 
 畑正憲さん・通称ムツゴロウさんは、僕が大好きな作家の一人です。
といっても、僕は、ほとんど本を読まないので、唯一本を読んだことがある作家といった方が正確かもしれません。
時々、テレビに登場する動物好きの変なおじさんという印象をお持ちの方が多いのではないかと思いますが、東大の理学部出身で、「ムツゴロウの少年記」「ムツゴロウの青春記」・・・・・・、作家としてたくさんの本を出版している人物です。
そのムツゴロウさんが、今晩、テレビのお笑い番組に出演しているのに気が付き、テレビのリモコンを操作する僕の手が止まりました。
お笑いのタレントとムツゴロウさんが、中学校を訪問し、中学生の悩みの相談にのる企画で、僕がテレビのスイッチを入れた時、まさにその悩み相談の真っ最中でした。

 中学生  僕は、ストレスが溜まり易いのですが、どうしたらいいですか?
ムツゴロウ ストレスが溜まったら、君はどうなるのかな?
 中学生  人に八つ当たりをしてしまいます。
ムツゴロウ 人は、いつもストレスを感じている生き物なんです。
 中学生  ふ〜ん
ムツゴロウ 暑い、寒い、親父がいる・・・・すべてがストレスの一種なんだ。
 中学生  ふ〜ん
ムツゴロウ でもね、ストレスがあるから人は生きているんだよ。
 中学生  ふ〜ん
ムツゴロウ ストレスは、いいことなんだ。
 中学生  ふ〜ん
ムツゴロウ たくさん八つ当たりしなさい。(大爆笑)

大爆笑で受けを取ったような形で終わりましたが、僕には、ムツゴロウさんの言うことが、とても的を得ているように感じられます。
ストレスを感じたくないのなら、暑くもない、寒くもない、人と接する必要もない・・・・そんな場所に閉じこもっておけばいい。
でも、そんな生活はつまらない。
ストレスが嫌なのに、ストレスを求めて生きているなんて、人間は、本当に不思議な生き物ですね。
写真の世界は、典型的な結果の世界で、どんなに努力をしても、写真が撮れなければ評価されません。
言い換えるなら、「結果が出せないものは去れ。」という弱肉強食の世界です。
その弱肉強食の世界を求めた僕に対して、日頃、弱者にやさしい社会作りを主張している人たちが、「うらやましい。」という言葉を投げかけてきます。
「ストレスがない」「弱者にやさしい」という、人が頭の中で考えた理論的な幸せと、人が実際に肌で感じる幸せとは、しばしば、相容れないものであるような気がします。
今、日本の社会が、あまりに理論的な幸せばかりを追い求めていることに、僕は、馬鹿らしさを感じます。
 

 
10月9日
(火)
 拡大
 
 今朝も雨です。
僕は雨の中での撮影が大好きですが、今年は、不思議なくらい雨の日と、他の撮影や用事が重なり、雨の中での撮影ができずにいます。
今日も、まさにそんな日で、雑用で朝からパソコンに向かっていましたが、昼頃にはパソコンでの作業を終え、カタツムリを探しにでかけました。
場所は、昨日と同じ、近くの多賀神社です。
カタツムリが歩いた場所には粘膜が残り、乾いた後も、カタツムリが歩いた痕跡を見ることができます。
木の幹を注意深く見ると、そんな痕跡が見つかりますが、痕跡がたくさんある割には、カタツムリの姿が少ないように感じていました。
今日は、痕跡がたくさん残っている木の周辺を重点的に探してみたところ、カタツムリの代わりにナメクジが見つかり、日頃、カタツムリの痕跡と思っていたものの中に、ナメクジのものもたくさん含まれていることに気が付きました。
ナメクジは、カタツムリの仲間から殻が退化したものですが、殻がない分だけ小回りがきき、木の窪みや洞の中などに隠れやすく、カタツムリよりも目立ちにくいため、その存在に、僕が気が付きにくかったのだと思います。
カタツムリは殻に守られていますが、殻を持つことで目立つようにもなり、ナメクジは、殻を失いましたが、その分、目立ちにくくなります。
殻を持つことには持つことの有利さが、失うことには失うことの有利さがあり、カタツムリもナメクジも共に有利に生きているわけです。
自然ってよく出来ていますね。
 

 
10月8日
(月)
 拡大
 
 今日の午前中は、短い時間でしたが雨が降りました。
カタツムリが活動的になっているかも?と家の近くの多賀神社に出かけ、木の幹を一本一本見て回ると、大きなカタツムリが張り付いていました。
今日の画像は、そのカタツムリですが、これでもまだ子供です。
大人と子供の区別ですが、カタツムリは、大人になると殻の入り口が外側に向かって広がり、トランペットの吹出し口のような感じになります。
今日、採集したカタツムリのように、殻の入り口が真っ直ぐ伸びているものは子供です。
大人になるまでには3年以上かかると思いますが、動きが鈍いカタツムリが、3年間も外敵に襲われずに、無事過ごせる確率はとても低いのではないかと思います。
採集に行っても、この大きさのカタツムリになると、雨上がりなど条件がいい時にポツポツと見つける程度で、それほどにたくさんみつかるわけではありません。
初めて採集に出かけた時は、20〜30匹見つけて、その中から、殻に傷がなく、きれいなものを10匹くらい採集する予定でしたが、1匹しか見つけることができませんでした。
場所が悪いのか、探し方が悪いのか、採集できなければ撮影できないので、もがき苦しみましたが、どうやら、そんなにたくさん見つかるものでもないと最近わかりました。
今考えたら厚かましい計画を立ていたな〜と恥ずかしくなります。
カタツムリを見かけたことがある場所を、まめに、さらっと見て周り、時間をかけて少しずつ採集する方法がいいようです。
先日、山田緑地での写真展を見にきていただいた方から、「小倉南区で、縞模様のある大きなカタツムリを見かけましたよ。」と情報提供をしてもらいました。
数日うちに、今回教わった場所も訪れてみたいと考えています。
(フィルム1本撮影)
 

 
10月7日
(日)
 
 今日は、事務所のパソコンが一瞬ピンチに陥りました。
使用中に、急にエラーの表示が出てパソコンが止まり、再起動をしてみたところ、画像の表示に異常が生じてしまいました。
「これはまずい!」
画像の表示以外には異常がなく、当面パソコンは動きそうですが、最悪の場合、再インストールをしなければなりません。
ハードディスクに保存してある画像をどこに移そうか?
その他に、保存しなければならないものは?
再インストールしようにも、ソフトが全部出てくるだろうか?
まずは、パソコン関係の道具を整理して、今インストールしてあるソフトを一通り見つけ出し、説明書を読み、再インストールのしかたを調べました。
インターネットとの接続の設定も、全部やり直すのかな?
これは、面倒なことになりそうだな〜。僕は、覚悟を決めました。
ふと、数ヶ月前に、Windows98の文字表示が文字化けするトラブルがあったことを思い出しました。
その時は、パソコン大好きな僕の妹にたずね、対処の方法が紹介されているHPを教えてもらい、その通りにトラブルを解消したのですが、もしかしたら今回もそのHPに対処方法が出ているかも?
さっそくそのHPを開いてみると、なんと、一番最初の項目に対処のしかたが書いてあるではないですか。
説明の意味がわからなくて、多少手間取りましたが、その通りにしてみると無事トラブルを解消することができました。
あ〜よかった。
「この機会に、ソフトを整理しよう!」と、すべてのソフトにラベルを張り、ソフトの種類ごとに分類し、現在使用していないソフトは、別の入れ物に収め、再インストールする日に備えて準備をしました。
できれば、快調にパソコンが作動し、この準備が無駄に終わってほしいものです。
 

 
10月6日
(土)
 拡大
 
 今日は、この冬の撮影に向けて、撮影用水槽の手入れをしました。
水草を植え込んだ水槽を維持する際に、一番やっかいなのは、夏場の高温です。
アマゾン産の熱帯魚でさえ、夏場の水温が30度を越えると、黄色信号がつきます。
水草は、さらにデリケートで、30度前後の水温が続くと、ほぼ枯れ始めてしまいます。
つまり、日本の夏を、全く無傷な状態で越させることはできないということです。
昨年の冬に使用した撮影用水槽もかなりのダメージを受け、水草は枯れ、水槽内の岩は苔だらけで、見るも無残な状況に陥っています。
今日の作業は、水槽に沈めた岩を一つずつ取り出して、タワシで磨き、苔を落とす作業からはじまり、水を換え、水草の残骸の中からまだ辛うじて生きている水草を取り出し、その水草を植えなおしたところで完了です。
今日、手入れをした水槽は合計4つ。
丸一日がかりの作業になってしまいました。
今日、植え込んだ水草は、弱り果てた惨めな状態ですが、一ヵ月後には、新しい葉っぱが次々と茂り、撮影に耐える状態になっているはずです。
水槽を使って撮影をすることは、単に観賞用に水槽を維持することとは全く異なり、撮影に向けた、それなりの工夫が必要です。
今日の、水槽の手入れや準備が、いかに、この先の撮影を見越したものであるかは、この冬の撮影の効率、つまり、どの程度に僕がゆっくり出来るかを左右します。
今日は、いい作業ができたような気がしています。
 

 
10月5日
(金)
 
 先週末から今週にかけて撮影したフィルムの現像ができ、今日届けられました。
写真に写っているのは、アマガエルの泳ぎやカタツムリの写真で、ほとんどが、スタジオで撮影したものです。
できは、すべて80点という感じで、ほぼ満足のいく結果でした。
昨年の冬から今年の春にかけては水槽撮影を、そして今年の春から今まで、徹底してスタジオ撮影に取り組んできましたが、室内での小動物の撮影には、かなり自信が持てるようになってきました。
工場に例えるなら、この一年をかけて試作品を作り、試作品を完成させ、試作品を量産するためのラインがようやく整ったという感じになります。
今年の春に一週間以上の時間をかけて撮影した写真が、今なら、30分で撮影できるようになりました。
昨年の冬、野外での撮影をたくさん予定していましたが、水槽撮影がうまくいかず、ほとんどの予定を決行できませんでした。
今年の春〜夏にかけても、次々と渓流での撮影予定のキャンセルを強いられ、野外での撮影のはずの時間が、スタジオでのもがき苦しむ時間へと変わりました。
この一年間、時間を先行投資してきましたが、ようやく、その時間を取り戻す自信が湧いてきました。
今年の冬は、たくさんの野外での撮影をする時間が持てそうです。
 

 
10月4日
(木)
 
 今日も、とてものんびりで、丸一日、全くカメラをもたずに過ごしました。
今日は、ここ数日の中でも一番早く8時には帰宅をして、夕食を取りました。
一度のんびりしてしまうと、二度と張りつめた神経で写真を撮ることなど、できないような不安も感じます。
大学院を修了して、撮影をはじめて間もない頃は、その不安がもっと大きく、休めば休むほど、「二度と気力が湧いてこなかったらどうしよう?」という不安にかられ、休むことで逆に疲れ果てていましたが、何度も同じようなことを繰り返しているうちに、「なるようにしかならないかな。」と思えるようになってきました。
 朝夕、ふと「寒いな〜。」と感じる機会も多くなりました。
昔流行した音楽を聞いた時に、その当時の思い出を次々と思い出すことがありますが、僕は、冷たい空気を肌が感じると、秋〜冬にかけて、いろいろな場所を巡り、撮影した記憶が戻ってきます。
今日は、熊本県の五家荘で、紅葉の渓流を歩いた記憶に吸い込まれそうになりました。
そんな時思い出すのは、「すごかったな。」というような絵になる自然ではなく、なんでもない、平凡な一瞬が多いように思います。
 

 
10月3日
(水)
 
 生き物の撮影で一番忙しい季節は、5〜6月の誕生の季節です。
この時期の僕は、他のあらゆることを犠牲にして撮影に打ち込みます。
「今の季節を過ぎたらゆっくりできるのだから〜。」と、まるで念仏のように唱えながら、とにかく緊張の糸を切らないように心がけます。
7月になったら、時間にゆとりを持たせ、リラックスして・・・・と考えながら撮影をするのですが、実際に7月に入ると、5〜6月に撮り残したものが、どっと7月の予定に食い込んできて、むしろゆとりがなくなってしまいます。
ようやく一区切りがつくのが8月が終わる頃で、ちょっとゆとりができるのが9月の今頃の季節です。
ここ数日は、毎日、9時前には帰宅をし、ゴロゴロしながら、新しいアイディアを練ったり、今の撮影スタイルの中の、効率の悪い部分を頭の中で組み立て直しています。
撮影に限ったことではないのかもしれませんが、仕事は、忙しいだけでも、ゆとりがあるだけでもダメで、時間に終われ必死に仕事をすることも、ゆっくり時間を掛けることも両方大切にしなければなりません。
人は、とても矛盾した生き物で、相反する2つの物が共に必要なことが多々あります。
人間って、不思議な生き物ですね。
 

 
10月2日
(火)
 キャノンD30と17〜35ミリ
 
 今日は、新しいカメラとレンズの紹介です。
といっても、僕の物ではなく、父が購入したキャノンのデジタルカメラD30と17〜35ミリのズームレンズです。
僕は、一般的な撮影にはペンタックスの645版を、水中撮影や野鳥の撮影などにはニコンを使用していて、キャノンの製品にはほとんど触れたことがありません。
例外的に、メダカの卵など、1ミリ前後のサイズのものを撮影する際にキャノンのカメラとレンズを使用していますが、特殊な拡大撮影なので、一般的な用途でキャノンのカメラにたくさん触れる機会は、今回が初めてです。
D30は、デジタルカメラなので、たくさん撮影して、すぐにパソコン上で画像を確認することができます。
僕も、さっそくテスト撮影をしてみましたが、17〜35ミリのズームレンズの優秀さに驚かされました。
すごいの一言です。
 

 
9月30日

10月1日
(月)
 
 
 先月、アマガエルの泳ぎを撮影しましたが、使い慣れたストロボ(照明)の調子が悪く、日頃使い慣れない別のストロボを使用してその場をしのぎました。
慣れない機材で、仕上がりの予測ができず、不安を抱えての撮影でしたが、そのフィルムが仕上がり、いい感じで、カエルが泳ぐ様子が撮れていました。
昨日〜今日は、アマガエルの泳ぎを、さらに数カット撮影してみることにしました。
趣味で写真を撮る時は、そこそこに満足のいく写真が数枚撮れるよりも、自分にとって100点の写真が一枚撮れることが望まれます。
もしも、僕が趣味としてアマガエルの泳ぎを撮影するなら、カエルが思いっきり水を蹴って、足をピーンと伸ばした、一番格好いい瞬間を狙うでしょう。
ところが、出版物の中でアマガエルの泳ぎを紹介する写真としては、その記事の内容によって、水を強く蹴るために足をギュッと縮めた写真も必要になるかもしれません。
どんなニーズにも応えられるように、品揃えを豊富にしなければならないのです。
一般的に、人に写真を見てもらい感動してもらうためには、写真の質を上げなければなりませんが、大抵のカメラマンは凝り性なので、質を上げることは案外簡単なことです。
ところが、品揃えを豊富にする、つまり、量を撮影することは、なかなか難しい。
もしも一枚だけいい写真を撮ればいいのなら、数を打つことが一番簡単な方法ですが、数枚の写真を撮るのであれば、数を打つという方法は、コスト面、かかる時間の面で、現実的ではありません。
数を打つではなく、うまい方法を確立しなければならないところに難しさがあるのです。
アマガエルの泳ぎの撮影は、なかなかその方法が確立できず、昨日は、ほぼ一日を試行錯誤に費やしましたが、今日の夕方になって、いいアイディアが浮かび、その後は、1時間足らずであっという間に撮影を終えることができました。
これは、何も写真に限ったことではありませんね。
工場でも、商品を量産するためには、無駄のない、いいラインを作らなければならず、そこに利潤を上げれるかどうかの境目があるはずです。
(フィルム2本撮影)